嫉妬の結果がかくも均衡を欠くことになりがちなのは、しかし、嫉妬が(第三に)そもそも不可能な情熱に裏うちされ、あらかじめ挫折がさだめられている欲望に発するものであるからではないだろうか。つまり、ある特異な志向的構造をともない、〈ひとしさ〉の要求からも身をもぎはなしてしまう嫉妬は、ほんらい狂った〈渇望〉の産物なのではないだろうか。
たとえばスワンがオデットに恋して、やがて激しく嫉妬するとき、スワンはじぶんには見えないオデットの時間そのものに嫉妬している。あるいはまた、「私」が結果においてはスワンの恋をなぞるかのようにアルベルティーヌに恋着するとき、「私」はアルベルティーヌのすべての時間を所有しようとしてかの女を幽閉し、しかしほどなく逃れられて、しかも決定的な不在を味わわされてしまう(プルースト『失われた時をもとめて』)。いまにもじぶんから逃げ出してしまうのではないか、という憂慮そのものがアルベルティーヌへの恋心の原因であり、それがまた嫉妬の炎を燃やしつづける理由ともなる。「偉大な《時》の女神」(「囚われの女」)であったアルベルティーヌは、どのようにあがいて(end100)みても「近接不能の女」「未知の女」であった。だが、アルベルティーヌへの、「私」の所有の「欲望はきわめて強くまた過度のものだったので、ついには喪失の保障者となってしまった」のである(バタイユ [註81] )。あるいは、レヴィナスそのひとの分析によれば、アルベルティーヌは囚えられたときすでに逃げさっており、逃亡してなおその痕跡によって「私」をとらえつづける。「私」の嫉妬は「他者の他性への飽くことをしらない好奇心」に、つまり満たされえない渇望 [﹅2] に発している。だがそれは、そもそも不可能性への情熱、あるいはゆがんだ〈渇望〉なのである。かの女の死が、そして最終的に「アルベルティーヌの無」として、かの女の「まったき他性」をあかしだてることになったのである [註82] 。(註81): G・バタイユ『内的体験』(出口裕弘訳、現代思潮社)三〇七頁以下参照。
(註82): Cf. E. Lévinas, L'autre dans Proust (1947), in: Noms propres, p. 121 f.(熊野純彦『レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、100~101; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)
- 一一時まえ離床。覚醒をつかめない。きょうも晴れでひとみにひかりを浴びるが、寝床から見える空には青一色だったきのうとはちがって雲も差しこまれている。瞑想OK。
- ハムエッグを焼いて米と食す。新聞はアフガニスタン情勢。バイデンは米軍撤退延長も示唆と。アフガニスタン内にいる米国人の退避が終わるまでだということ。米国とタリバンのあいだで、すくなくとも米軍の撤退期限としてさいしょにさだめられていた九月一一日までは、タリバンがカブールにて空港までの道を妨害せず国外に出たい市民の安全な通行を保証する、という合意がとりきめられたということなのだが、じっさいには現場の連中は妨害行為などをおこなっているもよう。また、各地で反タリバンのデモが起こり、タリバン側がそれに発砲して何人か死者が出ている。元第一副大統領で暫定大統領だと自称しているなんとかいうひとは交渉というよりも徹底抗戦のかまえでひとびとにも呼びかけているらしく、まだたたかいが起こる可能性があると。ガニ大統領が逃げたのはアラブ首長国連邦だったらしいが、国内にもどれるようタリバンと交渉しているらしい。いっぽうでタリバン政権樹立のうごきはすすんでおり、元の政府の高官とかれらのあいだではなしあいがもたれている。幹部があきらかにしたところでは、民主的な体制にはならず、過去のタリバン政権のときと同様、シャリーアにもとづいた政治になり、最高評議会が設置されて最高指導者がその議長に就任するだろうと。タリバンはいま最高指導者(三代目だったか?)のもとに三人の副官がおり、ひとりはカタールに常駐して交渉を担当していた穏健派(創設者の義弟)、もうひとりはわすれたが、あとひとりは創設者の息子で、このひとだったかふたりめだったかどちらかがなんとかハッカニというなまえで、そのひとの名をとってハッカニ・ネットワークというテロリスト組織というかたぶん不定形な集団みたいなものがあるらしく、だからとりわけ米国などはもちろんその影響力でテロ活動が活発化するのではないかと危惧している。
- コロナウイルスは茨城とか栃木とか群馬とか、一〇県くらいが緊急事態宣言の対象に追加され、蔓延防止等重点措置の県も増えて、緊急事態宣言下の都道府県は一三、重点措置は一六とあったはず。だからもう全国で半分以上の都道府県が緊急対応の対象になっている。新規感染者はきのうで二万いくらかとかで、過去最多を更新していると。やはりデルタ株の威力がすごいようだ。もう駄目ですわ。
- 書見後、三時まえからストレッチを念入りに。
- 山梨に行っていた父親が帰宅。こちらはきのうの余り物で食事を取った。それが三時半まえくらい。そのあと洗濯物をたたむ。二時にベランダから取り入れたときにタオルはたたんでおいた。そのさい、ベランダの日なたのなかでしばらく陽光を浴びて肌に吸ったが、西をふりあおげばそちらは雲がおおくわだかまって混雑しており、太陽もそのなかにあってほとんど一秒ごとにあたりのあかるみがうすれてはまたもどって、という時間もあった。ひかりが照ったときはからだがすべてつつまれてさすがに暑く、強力な、どんな対象からも水をしぼりだそうとするような苛烈な熱射であり、きのうは晴れのわりにもうけっこう涼しさがあった印象だけれどきょうは一時季節がひきかえしてまた夏めいていた。
- プルーストは「スワンの恋」を終えて第三部にはいった。スワンの恋はわりとしずかに、自然に嫉妬や恋情がうすれていって醒める、みたいな終わり方になっていて、こんなかんじだったかとおもった。そこにカンブルメール若夫人の魅力が介在しているというのはまったく記憶になかったところだ。コタール夫人とのやりとりはなんとなくおぼえがあったが。「スワンの恋」が終わって第三部がはじまると、そのいちばんさいしょから、わたしが夜に起きていままで過ごしたことのあるさまざまな部屋をおもいだしているとき、そのなかでコンブレーの部屋といちばん似ていない部屋はバルベックのグランド・ホテルの一室で……というはなしがかたられており、だからこれは第一部「コンブレー」と直結し、そこから順当にすすんでいる展開で、したがって第二部「スワンの恋」とはほぼ関係がなく、第二部全体が非常にながながとした迂回のように見えるもので、なんでわざわざあいだにながながしいスワンの恋の物語をはさんだのかな? とその必然性に疑問が生じる。まあ、プルーストにあってはそういうことはわりとどうでも良いのだが。もちろんこの「スワンの恋」ははるかのちにかたられる話者じしんのアルベルティーヌへの恋に前例として先行するというか、話者はそこにおいてスワンがオデットにたいしておもったことかんがえたことやろうとしたことを多くの面で反復するとおもうのだけれど(その核心はむろん、「占有」の欲求である)、そのくりかえしとひびきかわしとがあるにしてもこのタイミングで? ということはある。ただまた、話者とスワンの類同性というか彼らがいわば同族であるということは、アルベルティーヌを待たずにすでにあらわれてもいて、つまりスワンの恋はおさない話者と母親との関係にはやくも部分的に反復されており、そのことは明言されている(50: 「私がさっきまで感じていた苦悩、そんなものをスワンは、もし私の手紙を読んで目的を見ぬいたとしたら、ずいぶんばかにしただろう、とそのときの私は考えていた、ところが、それは反対で、後年私にわかったように、それに似た苦悩がスワンの生活の長年の心労だったのであり、おそらくは彼ほどよく私を理解することができた人はなかったのだ、彼の場合は、自分がいない、自分が会いに行けない、そんな快楽の場所に、愛するひとがいるのを感じるという苦悩であって、それを切実に彼に感じさせるようになったのは恋なのであり(……)」、また、500~501: 「彼はオデットの姿を見かけても、彼女がほかの男たちとともにしているたのしみをこっそりさぐるようなふりをして怒らせてはという心配から、長居をする勇気はなかった、そしてひとりさみしく帰宅して、不安を感じながら床につくのであったが――あたかもそれから数年後、コンブレーで、彼が私の家に晩餐にきた宵ごとに、私自身が不安を感じなくてはならなかったように――そうしたあいだ、彼にとっては、彼女のたのしみが、その結末を見とどけてこなかっただけに、無際限であるように思われるのであった」)。スワンは話者の、言ってみれば先行者、先達、先輩のようなものである。
- 往路に出たころには頭上に雲がおおく、二時にベランダから見たときにすでに雲がわだかまっていた西空からさらにひろがりだしたようで、いまだ青さがのこっているのは東のとおくのみであり、道を行くうちにカナカナが一匹、林から鳴きだしそれについでむかいから風がはじまるとそのながれが間をおかずスムーズに厚くふくらんでいき、耳の穴のまえでバタバタ鳴るくらいになったので、涼しくて佳いがどうも雨の気配だな、とおもっていると、風がおさまったあとからはたして、はやくもぽつりぽつりと散るものがはじまって頬に触れてきた。(……)さんが家の入り口に出て身をかがめながら草を取るかなにかしていたので、いつものようにちかづいてあいさつすると、いまちょっと降ってきましたねというので、そうですね、ぽつぽつ来ましたねと受けてすすむ。しかしそのあとで背後から、お父さんも家のまわりをよく丁寧にやられてるね、と追って投げてくるのもよくあることだ。ふりむいてなんとか受けたあと、会釈をおくって坂へ。
- セミの音はまだけっこう盛ん。アブラゼミが背景をなしてずっとジージー宙に敷かれているうえに、ミンミンゼミやツクツクホウシがときおり無法則に差しこんできて、不定形で区切りのない拡散平面のなかにリズムの感覚をもたらす。律動感がつよいのはやはりツクツクホウシである。駅につくとすでに電車が入線していたが、発車まですこし間があったのでさきのほうへ。乗ると優先席にインドのひとだか東南アジアだか、浅黒い肌で髭を生やした男性らが乗っていた。けっこうこっちのほうの山へ行く外国人も多い。
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)
- 帰路は徒歩。疲労感がなかなか濃かった。きょうは日中は晴れて夜になっても気温が高かったようで、あるくうちに汗と熱がこもってワイシャツの裏の肌が湿ったし、ポケットに突っこんだ左手の手首で腕時計がその裏の肌に汗を溜めるのがわずらわしいのでそれを外して胸ポケットにおさめる、という行動を取るくらいには蒸し暑かったのだ。白猫は不在。室外機にもいない。空には雲が豊富に湧いて夜空に煙色をひろげていたが、もうだいぶ満月にちかづいた月がその裏にあってもものともせずにひかりをはなって赤とか黄のほそい光暈を微妙にまといながら白いすがたをあらわにし、そのために雲のかたちも白さも容易に見て取られた。
- 疲労が濃かったので、帰宅後はちょっと眠ってしまった。ベッドにあおむいて、しばらく深呼吸してからパソコンを見ようとおもっていたところが、意識を失っていたのだ。三〇分くらい落ちていたようで、一一時四〇分ごろになって復活。意識をうしなうまえ、網戸にした窓のそとからエンマコオロギの声が立ちつづけているのを聞いていた。トゥルルルル、とかティリリリリ、というかんじの、ほそくてちいさな水柱がつかの間湧いて伸び上がる、というふうなかたちの音なのだが、それがあるときからもうすこしべつの鳴き方にかわり、ティリリ鳴いたあとに低部でちょっと溜まってもぞもぞする、みたいな音色になって、だからゆっくり放物線を描く水流の形象をおもったのだが、そこから汚い連想だけれどゆるい軌跡ではなたれた小便が落ちたところでジョボジョボいっているさまなんかもイメージされた。
- 零時で食事へ。ひとりの居間でしずかに食べる。夕刊には音楽の話題。松平あかねという音楽評論家が、周防亮介というヴァイオリニストがパガニーニをとりあげたコンサートの評を書いており、クラシックを聞きつけない人間なのでどちらもまったく知らないのだけれど、このひとの文章はなかなか良いなとおもわれた。たしかいぜんもいちど、そのようにおもったおぼえがある。短い欄だけれど、聞いた音楽の具体的な動きやニュアンスやそこからかんじられるイメージをきちんと記述しており、形容詞や比喩も文学的にくさくなりすぎず、空疎にもなっていないようにおもわれた。クラシック界隈では知らないが、すくなくともポピュラー音楽のほうでは音楽のかたちや動きをきちんと記述できている評論というのは、意外なほどにすくないという印象をこちらは持っている。ただ音楽評論などたいして読んだことがないはずなので、狭い範囲の勝手なイメージともおもわれるが。
- 夜半以降は一七日の記事をすすめて書抜きもして完成。投稿はあした。Gary Clark Jr.『Gary Clark Jr. Live』をながした。冒頭は"Catfish Blues"で、Muddy Watersの曲だけれど、あらためて聞いてみるとマジでほぼコード一発の曲で、よくこんなシンプルさでやろうとおもったな、とおもった。ブルースといいながらもブルース進行ですらない。それはGary Clark Jr.というよりもオリジナルのMuddy Watersへの賛辞で、Gary Clark Jr.はバンドでやっているから、ベースとドラムがいてエレキギターでやればコード一発だろうがいろいろやりようはある。しかしMuddy Watersがこの曲をもともとやっていたときはアコギ一本の弾き語りだったわけで、とはいえオリジナルでもコード進行がこんなに単純だったか、もうすこし展開していたかおぼえていないのだけれど、かなり地味なかんじだったことはたしかで、オリジナルも一発だったとすると、よくアコギと歌だけなのにそれでやろうとおもったな、とおもったのだった。まあそれを言えばSon Houseなんかはじぶんの手拍子だけを伴奏にして歌ったりもしているが。しかしそれはまたべつのはなしのような気もするが。
- マルセル・プルースト/井上究一郎訳『失われた時を求めてⅠ 第一篇 スワン家のほうへ』(ちくま文庫、一九九二年)より。
- 637: 「いつかはオデットにおぼれなくなる日がくるであろうことを考えて、かつてスワンはしばしば恐怖をおぼえ、注意して見張っていなくてはならないという気になり、恋が逃げさりそうだと感じると、すぐにかじりついて、つなぎとめようと心にきめたものであった。しかしいまは彼の恋の衰退は、同時に、恋人でありたいという欲望の衰退につながっていた」
- 638~639: 「スワンがふとしたはずみに、フォルシュヴィルがオデットの恋人であったという証拠を身近にひろうとき、彼はそれにたいしてなんの苦痛も感じないこと、恋はいまでは遠くにあることに気づき、永久に恋とわか(end638)れていった瞬間があらかじめ自分に告げられなかったことを残念がった。そして、彼がはじめてオデットを接吻するに先だって、いままで彼のまえに長いあいだ見せていた彼女の顔、この接吻の思出でいまからは変わって見えるであろう顔を、はっきり記憶のなかにきざみつけようと努力したように、こんども、彼に恋や嫉妬を吹きこんだオデット、彼にさまざまな苦しみをひきおこし、そしていまではもうふたたび会うこともないであろうあのオデットに、彼女がまだ存在しているあいだにせめて心のなかでなりとも最後のわかれを送ることができたらと思った」
- 643~644: 「われわれの生活における関心事はたいそう複雑なもので、おなじ一つの状況のなかに、まだ(end643)存在しない幸福の標柱が、現に深まりつつある悲嘆のかたわらにうちこまれているのはさしてめずらしいことではない。そして、まぎれもなくその現象は、スワンにあっては、サン=トゥーヴェルト夫人の邸以外の場所にいても、やはり起こりえたであろう。あの夜、彼がどこかほかの場所にいても、あれとはちがった幸福や、あれとはちがった悲嘆に見舞われ、それがのちになってから彼に不可避なものであったと思われたことであろう。しかし、彼に不可避なものであったと思われたのは、あのとき催された出来事なのであって、あのサン=トゥーヴェルト夫人の夜会に行こうと決心した事実のなかには、何か摂理のようなものがあったことを、彼はやがて見てとるのであった、なぜなら、人生のゆたかな創意をたたえることに熱心ではあっても、一つの問題、たとえば自分のもっともねがっていたものが何であるかを見出すといった問題を、長いあいだ自分に課しつづけることができない彼の精神は、あの夜経験した苦しみと、すでにはぐくまれていたがあのときにはまだ気づかなかったたのしみとのあいだに――しかもそれら二つのものの価値を正確にはかりくらべることはなんとしてもむずかしかったが――必然的な一種の連鎖があると考えたからであった」
- 647: 「私にとって、海の上の嵐を見たいという欲望にも増して大きな欲望はなかったが、それは美しい光景としてよりも、自然の現実の生命のあらわな瞬間としてながめたいという欲望であった、言いかえれば、私にとって何よりも美しい光景とは、私の快感に訴えようとして人工的に工夫されたのではないこと、必然的であること、変えられないことを、私が知っているもの、――つまり風景の美とか大芸術の美とかいったものでしかなかったのであった。私の好奇心をそそったもの、私が知りたくてたまらなかったものは、私自身よりももっと真実だと私に思われたものだけであり、大天才の思想とか、自然が人間の関与なしに勝手にふるまっている場合の威力とか美しさとかを、すこしでも私のために見せてくれる価値をもったものだけなのであった」
- 651~652: 「それからは、単なる大気の変化だけで、私のなかに、そうした転調を十分ひきおこすことができるようになり、そのためには、もはや季節のめぐりを待つ必要がなかった。というのは、一つ(end651)の季節のなかに、しばしば他の季節の一日が迷いこんでいることがあるが、そうした日は、その季節に生きているような気持をわれわれにあたえ、その季節特有のよろこびをただちに喚起し、欲望させ、われわれがいま抱きつつある夢を中断してしまうものなのであって、そうした日は、幸運 [﹅2] のマーク入り日めくりカレンダーのなかに、他のページからはがれたそのマーク入りの一枚を、その順番がめぐってくるよりも早いところかおそいところかにはさみこんだようなものだ」