2021/8/21, Sat.

 レヴィナスは、「愛」に「〈他者〉がその他性を保持しながら、欲求の対象としてあらわれる可能性」を、さらにはまた「〈他者〉を享受する可能性」をみとめている(285/392)。性愛はたしかに、身体の〈贈与〉をふくんでいるようにおもわれる。愛が「享受」であり(end102)うるのはまた、愛を表現しようとする「接触としての愛撫が感受性である」(288/396)からである(三・3)。愛撫の経験にあって、他者は一方では「他性」をたもち、他方では私の「享受」へと供されている。「その意味で、エロス的なものは、かくべつな曖昧さ [﹅3] なのである」(286/393)、とレヴィナスはいう。
 すこし具体的に見てみよう。愛撫とは感受性であると説いたのちに、レヴィナスはつぎのように分析をつづけている。

 愛撫とはなにも把持しないことであり、みずからの〈かたち〉から絶えず逃れて、未来へとおもむくもの――けっして十分に未来ではない未来へとおもむくもの――を懇望する。あたかもいまだ存在しない [﹅8] かのように、じぶんから溢れ出てゆくものを懇望するのである。愛撫はさがしもとめ [﹅6] 、発掘する。愛撫は開示の志向性ではない。愛撫はさがしもとめる志向性であり、見えないものへのあゆみなのである。ある意味では、愛撫は愛を表現する [﹅4] が、愛をかたりえないことに苦しんでいる。愛撫はこの表現そのものに飢えており、不断に増大してゆく飢えのうちにある。そのゆえに、愛撫はその到達点よりも遠くへとおもむき、存在するもののかなたをめざす(288/397)。

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、102~103; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)



  • 正午起床と遅くなってしまった。瞑想はサボる。食事はカレーがあったのだが、鍋のうえにフライパンのおおきな蓋が、とうぜん鍋の口には合わないのだけれどかぶせられていてなぜか気づけず(ふだんならにおいを感知するのだが、このときはまったくかんじなかった)、炒めたナスをおかずに米を食った。新聞はアフガニスタン情勢。タリバンは米国への協力者など、標的となる人物のブラックリストを作成していたらしい。国連の報告でそれがあきらかになったとか。だから、融和姿勢は見せかけで、各国の人員や外交官やいなくなったあとに標的を粛清しはじめるというシナリオもありうると。じっさいすでに現場では政府側の人間が処刑されたりという報告もあるようだし、この日の新聞にもまた、ドイツの放送局に属していたアフガニスタン国籍の記者の家族が殺されたとあった。標的はもちろんこの記者本人で、タリバンの戦闘員が一軒一軒まわってさがしていたという。そんななか、一九日は英保護領から独立して一〇二年目の独立記念日で、タリバンはカブールにはいって以降アフガニスタン国旗を撤去してタリバンの白い旗におきかえていたらしいのだけれど、首都カブールでは一九日の午後から国旗をかかげた抗議デモが起こり、東部でも同様のうごきがあって記念式典もおこなわれたらしい。とうぜん、それによってタリバンに殺される可能性はじゅうぶんにある。いっぽう、トルコからEUにかけての諸国は難民の流入を警戒している。英国はいちはやくボリス・ジョンソンが二万人の難民受け入れを表明し、英国はアフガニスタンを良い国にしようと努力し協力してきたすべてのひとにたいして恩義があると述べたというが、ほかの国はおおむね拒否か消極的な態度のようで、フランスのマクロンは難民の波から自国を守らなければならないと言い、ドイツのメルケルは二〇一五年のシリア難民のときの再来は避けざるをえないだろうから周辺国への支援を強化しなければならない、と言うにとどまり、トルコのエルドアンドナルド・トランプばりに難民を排除すると断言してイランとの国境地帯二〇〇キロにわたって壁を建設中で、すでに半分くらいは完成しているらしい。
  • ほか、『ペリリュー 楽園のゲルニカ』の作者である武田一義の談も載っていたので、あとで三時すぎにカレーを食ったときに読んだ。
  • あとはいつもどおり、「読みかえし」ノートとプルースト。ストレッチも念入りに。きょうは曇天なのだけれどなかなか蒸し暑く、また、昨晩窓をあけっぱなしのまま寝たからか(しかもさいきんはけっこう夜間の気温も低くなっているだろうし)、鼻水がやたら出た。書見のあいだに脚をマッサージしたりそのあとストレッチをしたりしてからだをあたためると改善。
  • 母親はきのう、二回目のワクチン接種をすませてきたが、一晩明けても熱は出なかったようだ。やはり腕は痛いらしいが。
  • きょうは職場で会議のために六時には出向かなくてはならない。いまもう四時。
  • いま、飛んで、二二日の午前二時直前。風呂のなかではあたまをめちゃくちゃ揉みまくった。頭蓋というのはなぜなのか、放っておくと気づかないうちにすごく凝り固まっている。耳のまわりから額やら後頭部やら頭頂やら、全体を念入りに指圧して、かなり軽く、楽になった。
  • 出勤まえにきのうの記事を記述できて良かった。母親は、五時ごろになって台所で会ったときは、微熱があった、三七. 二度だった、と言った。ふだんが三六度以下らしいので、これはたしかに熱が出ている。送っていこうかというのだが、微熱があるのに仕事を増やしては大変だし、とおもって電車で行くことに。
  • (……)
  • (……)
  • 652~653: 「しかしそれらの名が、それらの町にたいして私が抱いていた映像を永久に吸収するにいた(end652)ったのは、私のなかにあらわれるその映像をそれぞれの名に固有の法則にしたがって変貌させながらでしかなかった、その結果、それらの名は、ノルマンディまたはトスカナの町を、実際にそうであるよりもはるかに美しく、しかもまたはるかに異なったものにし、私の想像力のひとり勝手なよろこびをふくらませることによって、未来の旅の失望を大きくした。それらの土地の名は、私がこの地上のある種の場所からつくりあげる観念を高揚させながら、その場所をいっそう特殊な、したがっていっそう現実的なものにするのであった」
  • 653~654: 「町や風景や史蹟は、その名によって、それ自身だけがもつ名によって、人名と同様に固有な名によって指示されるために、さらに個性的な要素をどんなに多くふくむことであろう! 語は、われわれに事物の明瞭な、見慣れた、あるささやかな映像を思いうかべさせる、たとえば仕事台、鳥、蟻塚とはどんなものかという例を児童に示すために、校舎の壁にかけられている絵のようなものであって、同一種類のすべてのものの標準と見なされるような映像である。ところが、名は、人の、そしてまた町の――町もその名で呼ばれるために人物とおなじように個性的で独自なものだと思う習慣がわれわれにはついている――ある漠とした映像を思いうかべさせるのであって、この映像は、その名から、その名の音 [おん] の明朗または沈鬱なひびきから、色彩をみちびきだし、この色彩によって映像は、全紙が青ま(end653)たは赤の一色で描かれているポスターのように、それも手間をはぶくためや、装飾画家の気まぐれのために、空や海ばかりでなく、小舟も教会も通行人も、みんな青か赤の一色になっているあのポスターのように、一様に塗りつぶされるのである」
  • 658~659: 「そのまる一(end658)か月というもの――そのあいだ私は、いつあきることもないメロディーのように、フィレンツェヴェネチアやピサの映像を根気よくくりかえした、一方、それらの映像によって私のなかにかきたてられた欲望は、あたかもある人への恋のように、深く個性づけられた何物かを、それらの映像の痕跡として残していた――私はそれらの映像が、私から独立したある現実に対応していると信じることをやめなかったし、またそれらの映像も、まさに天国にはいろうとする初期キリスト教徒の胸にはぐくまれたとおなじような美しい希望を私に抱かせたのであった。だから、夢想によって丹念につくりあげられ、しかも感覚器官によって知覚されなかったもの――それだけにますます感覚器官にとっては魅惑的であり、感覚器官が知っているものとは異なるもの――そうしたものを、感覚器官でながめ、ふれようとすることの矛盾を私はすこしも気にかけず、それらの映像の現実を思いうかべることによって、一途に欲望を燃えたたせるのであった」
  • 660: 「春の太陽はもうヴェネチアの大運河 [﹅3] の波をくすんだコバルト色と高貴なエメラルド色に染め、その波はティツィアーノの絵のすそによせてはくだけながら、その絵と妍 [けん] を競っているだろう(……)」: 「妍を競う」: 多くの女性や花などが、美しさを比べ合う。「妍」は、女性の容貌などが、あでやかで美しいこと。
  • 663: 「シャン=ゼリゼに行くのは私には堪えられなかった。せめてベルゴットがその著書の一冊に、シャン=ゼリゼを描いていたのであったら、まず私の想像力のなかで「複写」がとられることからはじまったこれまでのすべてのもののように、なるほど私はシャン=ゼリゼを知りたいという欲望をもったことであろう。私の想像力がそれらのものに血をかよわせ、生き生きとさせ、人格をあたえ、そしてそれから私は現実のなかにそれらをふたたび見出したいと思ったであろう、しかしこの公園のなかのものは何一つ私の夢想にむすびつかないのであった」