2021/9/3, Fri.

 ことこまかに確認するまでもなく、問題はフッサールにあってすでに顕在化していた。現象学的還元によって獲得された超越論的自我は、世界の客観性という問題のまえで、他 [﹅] の我 [﹅] 、つまりおなじく超越論的な、ひとしく・ともに世界の意味を構成する他者という難問に直面することになる。それゆえ「自我論的還元が間主観的還元によって必然的に拡張されなければならない」(ブリタニカ草稿 [註47] )。――よく知られているように、『デカルト省察』第五省察における他者経験論は、おおきく分けて二段階の構成をたどることになる。他者の身体は原初的には「物体」(Körper)として知覚される。その物体にたいして、私の身体との関係でそれ [﹅2] が有する類似のゆえに「身体」(Leib)という意味が転移される。他者は、かくしてまず「対化」という受動的総合をかいして「類比的に統覚」され、ついで自己を投入されて他我となる。つまり、私とおなじように・私とならんで世界の意味をともに構成する主観となるのである。
 他者は一方では「世界における [﹅4] 」対象である。他者を「他方、私は同時に世界にたいする主観として経験する [註48] 」。対象であるかぎりでの他者は「直接的現前化」によってあたえられる。主観である他者にかんしては、しかし「間接的現前化」(Appräsentation)が可能であるにすぎない。後者によって、私は「もし私がそこにいき、そこに身をおいたならば」、おなじようにもつであろう空間的な現出様式を有するものとして他者を「統覚」する。かくて、「他者は間接現前化的に統覚される」のである [註49] 。――他者と私と(end167)は第一にそこ [﹅2] とここ [﹅2] という空間的な差異においてへだたっている。〈私〉とはとりあえず、世界がそれにたいして現出する絶対的な〈ここ〉である。だが、他者じしんにとっては〈そこ〉もまた絶対的な原点であることが理解されなければならない。〈ここ〉と〈そこ〉という、この空間的 [﹅3] な隔たりが第二に、間接的現前化という時間的 [﹅3] 次元をかいしてのり超えられる。他者はしかし再 - 現前化的に、つまり厳密にはともに現前することはないものとして構成されるのである。

 (註47): E. Husserl, Phänomenologische Psychologie, Husserliana Bd. IX, S. 262.
 (註48): E. Husserl, Cartesianische Meditationen, Husserliana Bd. Ⅰ, 2. Aufl., S. 123.
 (註49): Ibid., S. 146. よく知られているように、影響力のあったヘルトの批判の焦点は"wenn ich... dort wäre"というフッサールの表現にむけられている。Vgl. K. Held, Das Problem der Intersubjektivität und die Idee einer phänomenologischen Transzendentalphilosophie, in: Perspektiven tranzendentalphänomenologischer Forschung, hrsg. von U. Claesges/K. Held, Nijhoff 1972, S. 35-37.

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、167~168; 第Ⅱ部 第一章「物語の時間/断絶する時間」)



  • 一一時四四分に離床。きょうも雨天で涼しい。寝るまえの深夜は肌寒いくらいだった。瞑想をひさしぶりにきちんとやった。やはり大事である。二〇分ほど座ることができた。あいだ、ミンミンゼミが一匹だけとりのこされてそとで鳴いていたが、かなり緩慢でゆっくりとした鳴き方で、やはりもう死がちかいということなのだろうか。
  • 上階へ。母親はしごとへ。父親も山梨にいったという。煮込み素麺で食事。新聞の一面には菅義偉が六日にも小規模な内閣改造をおこなう見込みとかあり、そこでは総裁選へ出馬の意向と書かれてあったのだが、テレビのほうでは総裁選へは不出馬を決め辞任の意向、とつたえられていた。自民党の本部だかわからないがそれらしきところでひとびとがならんで会見しており、二階俊博幹事長が例のふてくされたような顔でぼそぼそ記者の質問にこたえていた。菅から辞任の意向を聞かされたのは今朝のことだったという。いまのところ岸田文雄しか総裁選への出馬は明言していなかったとおもうが、こうなると石破茂とか河野太郎とか、ことによると小泉進次郎とかも出るのだろうか。
  • アフガニスタン関連の記事を読む。駐留米軍の一員として警察養成などにはたらいたひとの言が載っていた。このひとは二〇〇一年九月一一日のテロの現場にも出動して、このような惨禍を引き起こした者には報復をしなければならないと憤り、みずから志願してアフガニスタンの駐留軍にくわわり、しばらくは米国がやっていることは価値のあることだと信じていたのだが(警察として雇われたアフガニスタン人はだいたいまずしい非識字層だったので、銃の構え方撃ち方からさまざまなことを手取り足取り丁寧におしえたという)、テロの犠牲者が増えるにつれて、米国の若者が本国から遠く離れた地でたたかい殺されることが本当に国益にかなうのだろうかという疑念が生じ、最後のほうでは駐留米軍の撤退を主張する活動にコミットしていたという。終局で混乱はあったものの、完全撤退じたいは正しい選択だったとおもっていると。同時テロ直後、ジョージ・W・ブッシュアフガニスタン侵攻をはじめたあたりでは、この戦争はただしいと賛同する人間は世論調査で九割を占めていたといい、反対派は五パーセントとかせいぜいそのくらいしかおらず、一年後もほぼ同様だったらしいが、長引くにつれてだんだん反対派が増えていって、二〇一四年には四九パーセントをかぞえて一時賛成派の割合を越え、ここ数年は厭戦気分が支配的になっていたと。
  • 帰室すると茶で一服。きょうのことを綴って二時。
  • 「読みかえし」をすこし読んで書見。ストレッチも。四時すぎでおにぎりをひとつつくって食べる。歯磨き後に瞑想。瞑想の時間を着実に取っていきたい。一五分すわればからだの感覚はかなり違う。
  • 五時過ぎで出発。雨が降っていた。さほどの降りではなくしっとりとした感じのしずけさで、だから山も色にせよかたちにせよほとんどかすんでおらず、薄膜を一枚かぶせられた程度。きょうは数か月ぶりでベストを身につけネクタイも締めたが、それでちょうどよい気温の低さだった。セミの声はもはや一匹もなく死滅した。
  • 坂をのぼりきったあたりでうしろから抜かしてきた者があったが、茶髪の、見ない顔の若者である。駅にはいってホームを先のほうへ。電車内では瞑目。降りると(……)くんが先に行くのが見える。そのあとをゆるゆる行って駅を出、職場へ。裏路地のむこう、マンションの背後にひろがる空は真っ白だった。
  • 帰路。(……)さんといっしょに出て、はなしながら駅にはいってホームに上る。(……)のようすなどについてはなす。彼女は一〇時一分の(……)行きに乗るようだったので、もう発車するので乗っていただいて、とうながし、電車が出るまで移動せずにその場にそのまま立ち尽くして、うごきだした電車の窓から(……)さんのすがたが見えると会釈で見送った。それからじぶんの電車を待つ。正面先の小学校校舎は夜の空間の黒さにほぼ埋没してぼんやりとした量感として浮かびあがるのみであり、骨っぽい亡霊か、暗闇のなかの蜃気楼といったぐあいである。線路上の白色灯が濡れた空気につややかに染みている。やってきた電車に乗って瞑目に休み、最寄りで降りるとうしろから三人の若者も降りた。めずらしい。階段通路を行くあいだ、ひとりが先んじてこちらを抜かし、駅前に停まっていた車に寄ってなかのひととはなしていたので、むかえに来てもらった親か家族に友だちを連れていっていいか聞いている、というかんじだったようだ。車通りのない道路をわたって木の間の坂道にはいり、マスクをずらすと、まえを行く小太りのサラリーマンの吸う煙草のにおいが鼻に触れてくる。雨はぽつぽつとかすかに散っており、面倒くさいので傘はひらかなかったが、樹の下を行くと周囲の木立のすきまから雨垂れの音がけっこう立って、坂のそとよりも増幅される。前方のひとが煙を吐き出すと漏れ出した精気のようにして薄白さが細い楕円として上下に伸びひろがり、風がまったくないのですぐに散らずかたちを保ってその場にとどまり、こちらがそこまであるいたころにも街灯の白びかりのもとで頭上にただよっているくらいだった。サラリーマンは左手に鞄や荷物を持ち、煙草を持っている右手は口もとにはこばれるとき以外はわりとせかせかした調子で腰の横を前後に揺れているが、その印象に比して歩速はそこまではやくはない。こちらは左手はポケットに突っこんでおり、歩みがのろいのでバッグと傘を持った右手もほとんど振れることはない。平路に出て、電灯の白さがなめらかにひろがっているアスファルトを踏んでいく。夜空は一様な曇り、しかし先日見たおなじ曇天よりも色が濃くなってやや沈んだかんじが出ているようだった。気温はやはり低く、虫はリーリーひびいて、ベストすがたでなければ肌寒いくらいだったはず。
  • 帰ると消毒や手洗いやうがいをして休息へ。一一時過ぎで食事に。上がっていったとき、テレビはなんらかの音楽番組をながしていて、Creepy Nutsという二人組のヒップホップユニットがRHYMESTERの偉大さについて語っていた。ヒップホップも掘りたい。日本語もそうだが、やはり米国のものを。ほぼRobert Glasperまわりで断片的に耳にしたことしかない。とりあえずまずKendrick LamarとThe Rootsを聞こうとはおもっている。The RootsJohn Legendとやった『Wake Up!』はわりとながすことがおおく、参加してラップをやっているBlack Thoughtはわりと気になる。なまえが格好良いし。いま検索したら、feat. とされていたので客演だとおもっていたところが、このひとはもともとThe Rootsのメンバーのラッパーだった。あとはCommonとかJean Graeあたりをとりあえず聞いてみたい。
  • 風呂のなかではやはり静止。からだがほぐれていくかんじというのがさいきんよりわかるようになっている。瞑想をしていると、マジで諸所の筋肉が次第におのずからほぐれていく。これはマジでそうで、いろいろなところの肌や肉が微細にうごいてやわらぐのが、ひらくようなかんじとかひっかかるようなかんじとか、泡がはじけるようなかんじとか、そういう感覚で感知される。そうすると、肌とからだが統合されてなめらかになる。ノイズや滞りや障害物がなくなって皮膚がひとつづきの平面、もしくは道になるようなかんじ。ちからを抜く、ということがわかってきた。べつにそうしようとしなくとも、ただじっと座っていればなんか勝手にちからが抜けていくのだが。最小限の労力で存在するようなかんじになるというか。おもうに、道元坐禅は安楽の法だといっているのはそういうことだとおもうのだけれど。ふつうに生きて存在しその場にとどまっているだけでもおそらく人間はからだや筋肉の労力をかなりつかっているのだとおもう。それを停止すれば、とうぜんそのぶんだけ楽になる。
  • (……)
  • (……)
  • 287~288: 「C・リンダとW・レーボヴは、ニューヨークの居住者たちが自分の住んでいる住宅についてどのような語りかたをするか、その叙述を綿密に分析しているが、そこからかれらは二つのタイプをとりだして、ひとつを「地図」(map)とよび、もうひとつを「順路 [パルクール] 」(tour)とよんでいる。前者は「台所(end287)のとなりに、娘たちの部屋があります」といったタイプのもの、後者は、「右のほうに曲がると居間になっています」というタイプのものである。ところでニューヨークの住民という一資料体のなかで、「地図」型に属しているのは三パーセントにすぎない。あとののこり、つまりほとんど全員は、「小さなドアから入って」、等々といった「順路」型である。こうした叙述は大部分がなんらかの操作 [﹅2] をあらわす語からなっており、「ひとつひとつの部屋にどう入っていったらいいか」を指し示している」
  • 288: 「言いかえれば、叙述は二項選択のどちらかにかたむいている。すなわち、見る [﹅2] (場所の秩序の認識)か、それとも、行く [﹅2] (空間をうみだす行為 [アクション] )かのいずれかである。図 [﹅] であらわすか(……「があります」)、または動き [﹅2] を組織するか(「入っていって、通りぬけ、曲がってゆくと」……)(……)」
  • 289: 「結局のところこの問題は、こうした日常的な語りのベースとして、道順(ディスクール〔話 [わ] 〕による操作の系列化)と地図(観察による全体的平面図化)とがどのような関係にあるのかという問題、すなわち、空間にかんする二つの象徴的、人間学的言語の関係という問題にかかわっている。経験の二極が問題なのである。「日常」文化から科学的ディスクールへというのは、前者から後者への移行なのではないのだろうか」
  • 290~291: 「ことに地図についていえば、もしそれが現在みるような地理学的形態のものだとすれば、近代の科学的ディスク(end290)ールの生誕によって特徴づけられる時代(十五―十七世紀)に、こうした地図はその可能性の条件であった道しるべから徐々にはなれていった。中世初めての地図には、もっぱら順路をしめす直線が引かれているだけで(そもそもその道は、なにより巡礼のための指示だったのだ)、どのようなステップをふむべきか(この街は通過するとか、立ち寄るとか、宿泊するとか、祈りを捧げたりするとかいった)注意書きがそえられ、距離は時間か日数、すなわち歩いてかかる時間が記されているだけであった [註10] 。どの地図も、とるべき行動を記したメモランダムなのである」; (註10): Cf. George H. T. Kimble, Geography in the Middle Ages, London, Methuen, 1938; etc.
  • 292~293: 「だが時代とともにこうした絵図を地図が凌駕してゆく。地図が絵図の空間を植民地化してゆき、その地図をうみだした実践の絵画的形象化を排除してゆくのである。まずユークリッド幾何学により、ついで画法幾何学によって変形させられて、抽象的な場所の形式的集合になってしまったそれは、ひとつの「舞台」(地図帳はそうよばれていた)であって、きわめて異質なままの二要素を同じひとつの図法によって併置している。すなわち伝統によって伝えられたデータ(たとえばプトレマイオスの『地理学』)と、渡航者によって伝えられたデータ(たとえば海図)の二つを一緒にならべているのである。こうした地図は同一平面上に異質な場所を、ひとつは伝統を受(end292)け継いだ [﹅5] 場所、もういっぽうは観察によって生産された [﹅5] 場所を貼りあわせているわけだ。だがここで大事なのは、道しるべが消失してゆくということである。道しるべは前者の場所を前提にしつつ、後者の場所を条件づけ、事実上、前者から後者への移行を可能にしていたのだが、その道しるべはすがたを消してしまう」
  • 296~297: 「このような空間編成にあたって、物語は決定的な役割をはたしている。たしかに物語は筋を「描く」にはちがいない。だが、「およそ筋を描くということはなにかを固定する以(end296)上のことであり」、「文化創造的な行為」なのである [註17] 。そうして筋に描きだされた情況がすべて総合されるとき、物語は分配する権能と遂行する権能(物語は語ることを行なう)とをあわせもつ。そのとき物語は空間を創生するものとなる」; (註17): Y. M. Lotman, in École de Tartu, Travaux sur les systèmes de signes, Complexe et P. U. F., Bruxelles et Paris, 1976, p. 89.
  • 297~298: 「(1) 行為の舞台を創造すること [﹅12] 。物語はなによりもまず権威づけの機能を、あるいはより正確に言うなら、創生 [﹅2] の機能をそなえている。厳密に言えばこの機能は法的なもの、すなわち法律や判決にかかわるものではない。むしろそれはジョルジュ・デュメジルが分析した、印欧語の語根 dhē 「すえる」と、そこから派生したサンスクリット語(dhātu)とラテン語(fās)からきている。「聖なる掟(fās)は」、とデュメジルは書いている。「ま(end297)さに不可視の世界における神秘的な礎であり、これがなければ、iūs〔人間の法〕によって罰せられたり許されたりする行動、さらにひろくあらゆる人間的行動は、不確かで危ういもの、いや、破滅的なものになってしまう。fāsはiūsのように分析や決疑論の対象にはなりえない。この名詞は語尾変化もしなければ、それ以上細分化することもできない」」
  • 298~299: 「「《西欧の創造》」は、みずからfāsにあたる固有の儀礼をつくりだし、ローマがこの儀礼を完成していったが、伝令僧(fētiāles)とよばれる司祭がもっぱらこの任にあたった。この儀礼は、宣戦布告、軍事的遠征、他国家との同盟といった、「他国とわたりあうローマのあらゆる行為のはじまるところ」に関与する。それは、遠心的にひろがってゆく三段階の歩みであって、第一段階は国内だが国境近く、第二段階は国境において、第三段階は外国という過程をふんでいった。儀礼的行為が、いかなる民事的ないし軍事的行為にも先立って遂行されたのであり、というのもその儀礼的行為の役割は、政治的活動や軍事的活動のために必要な領域を創造する [﹅7] ことだったからである。したがってそ(end298)れはまた、ものの反復(repetitio rerum)でもある。すなわち、原初の創生行為の再現 [﹅2] と反復でもあれば、新たな企てを正当化するための系譜の暗唱 [﹅2] と引用でもあり、戦闘や契約や征服にとりかかるにあたっての成功の予言 [﹅2] と約束でもあるのだ。実際の上演に先立っておこなわれる総稽古のように、身ぶりをともなう語りである儀礼が、歴史的な実現に先立つのである」
  • 306~307: 「越境であり、場所の掟への違反である橋は、出発のフィギュールであり、ある状態の損傷、征服の野望のフィギュール、あるいは追放のフィギュール、とにかく秩序への「裏切り」のフィギュールなのだ。けれど同時にその橋は、ただよう他所 [よそ] を出現させ、境界線の彼方に、内部で制御されていた他所なるもの [エトランジェ] の姿をかいま見せ、あるいは見せつけ、境界のこちら側では身(end306)をひそめていた他性に客観性(すなわち表現と表 - 象)をあたえるのであり、それゆえ、渡った橋をひきかえしてこちら側にもどってきた旅人は、それ以来というもの、こちらの世界に他所を見いだす。その他所の地は、出発のときに自分が探しもとめていた場所、そしてあげくに逃れてきた場所なのだ」
  • 309~310: 「もし仮に違反的なものがみずから身をずらしながらしか存在せず、周縁にではなくコードの間隙に生きながらその裏をかき、それをずらしてゆくという特性をそなえており、状態 [﹅2] にたいして移動 [﹅2] を優先させるという特徴をそなえているとするなら、物語は違反的なものである。社会に違反するということは、物語を字義どおりうけとめること、社会がもはや個々人や集団にたいして象徴的な出口か静止した空間しかさしだそうとしないときに、この物語をそのものとして実存の原理にすること、もはや規律に従って中におさまるか非合法のはみだしかの二者択一しかなく、それゆえ監獄か外部への彷徨かの二つに一つしか(end309)ないとき、物語を実存の原理とすることであろう。逆に言えば、物語とは余地に生きつづける違反行為であり、みずから隅に身をひきながら存在する違反行為であって、伝統社会(古代、中世、等々)のなかでは、秩序と共存してきたものであった」
  • 314: 「口から口へと伝説や唄を国中に伝え歩いてゆくことば [パロール] 、それだけが人びとを生きさせる」(第10章「書のエコノミー」エピグラフ; N・F・S・グルントビ; Grundtvig, Budstikke i Høinorden (1864) 31 X 527. Erica Simon, veil national et culture populaire en Scandinavie. La genèse de la højskole nordique, 1844-1878, Copenhague, 1960, p. 59 に翻訳、引用)
  • 315: 「近代的な「規律 [ディシプリン] 」である書という装置 [スクリプチュレール] が設置されたのは、印刷によって「再生産」が可能になった事実ときりはなすことができない出来事だが、この装置の設置は、(「ブルジョワジー」から)「《民衆》」を遠ざけ、(書かれたもの [エクリ] から)「声」を遠ざけるという二重の結果をもたらした。このことから、はるかな彼方、経済的、行政的権力からはるか遠い地で「《民衆》が語っている」という信念がうまれてきたのである。魅惑的でもあれば危険でもあり、一度かぎりで消えてゆく(激しく短い氾濫はあっても)パロールは、その抑圧そのものによって「民衆の《声》」となり、ノスタルジーと制御の対象となって、わけても学校という手段によりこのパロールをふたたびエクリチュールにつなぎとめようとする大遠征の対象となった」
  • 316~317: 「こうして言語を口にする発話の行為によって生まれる現在の音の数々は、単一なものではない。したがって、これらの音をそっくりひとつに集め、「《声》」とか、固有な「文化」とか――あるいは大いなる《他者》――といったラベルを(end316)貼ってしまうようなフィクションはすててかかるべきであろう。むしろオラルは、書 [スクリプチューレル] のエコノミーの織り目――終わりなきタピスリー――のなかに、まるでその一本の糸のようにそっと紛れこむのである」
  • 317~318: 「まずはじめにあきらかにしておきたいと思うが、エクリチュールとオラルの二つをとりあげるからといって、ある第三項によって対立性が揚棄されたり、あるいは序列が逆転したりするような二項を措定しようというのではない。問題はあの「形而上学的対立」(エクリチュール対オラル、ラング対パロール、等々)のひとつにもどることではないのであり、そうした対立についてはジャック・デリダが次のように語っているとおりである。「そうした対立は究極的に……差異に先行するひとつの価値なり意味 [﹅2] なりの存在に準拠し(end317)ている [註3] 」、と。このような二項対立を措定する発想は、唯一の根源(創生の考古学)とか、究極的な矛盾の解消(神学的な発想)といった原理を前提にしており、したがって、準拠すべきこの統一性によって支えられるディスクールを前提にしている。逆にわたしが前提するのは、ここではくわしく述べないけれども、複数性が根源であるということ、差異がこれら諸項を構成しているということ、そして、言語 [ランガージュ] は象 - 徴秩序によって分割の構造化作用をどこまでも隠蔽しつづけるよう宿命づけられているということである」; (註3): Jacques Derrida, Positions, Ed. de Minuit, 1972, p. 41. 〔高橋允昭訳『ポジシオン』青土社
  • 318~319: 「(2) こうした区別が、あるひとつの領域(たとえば言語 [ラング] )やあるシステム(たとえばエクリチュール)の確立と、そうして確立されたものの外部、または残りの部分(パロール、あるいはオラル)との関係としてあるかぎり、これら二項は、対等でもないし、比較することもできない。それらの一貫性からみてもそういえるし(一方を規定することは、他方を無規定にしておくことを前提にする)、それらの操作性からみてもそういえる(一方は(end318)生産的で支配的で分節化されており、他方を無力なもの、支配されたもの、そして不透明な抵抗という立場に追いやる)。つまりそれら二項を、記号が逆転すれば同一の機能をはたすものと措定することは不可能なのだ。二者のあいだの差異は質的なものであって、共通の尺度をもっていない」
  • 319~320: 「「進歩」とは、書くという [スクリプチュレール] 型に属したものである。いろいろなやりかたをとおして、人びとは「正当な」実践――科学的、政治的、学校的、等々――とは区別されるべきものをオラルと(あるいはオラルとして)定義するのである。進歩に役立たないものが「オラ(end319)ル」なのだ。逆に、声や伝統の魔術的世界からみずからを区別するものが「書 [スクリプチュレール] 」なるものである」