2021/9/12, Sun.

 イマージュの散乱、射映の揺らめきを〈語られたこと〉においてとらえ、それになまえをあたえること、つまり「命名すること」が、存在者の同一性を「指示」し、意味を「構成」する。ことばとはそのかぎりで「名詞の体系」にほかならない(61 f./76 f.)
 そうだろうか。感覚は揺れうごき、感覚的経験は移ろう。その感覚的次元につきしたがっているかぎり、言語もまたたんなる名詞にとどまりうるであろうか。そこでは、ことばとは「むしろ動詞の異常な増殖」(61/76)となるのではないか。動詞 [﹅2] であるのは、感覚的経験がまさに刻々とかたちをかえるからであり、動詞が異常 [﹅2] に増殖 [﹅2] するのは、その(end198)移ろいには休止も終止も存在しないからである。あるいは、こうもいえるのではないだろうか。

 感覚的質がそこで体験される諸感覚は、副詞的に [﹅4] 、より正確にいえば、存在するという動詞の副詞として響くのではないか。
 このように、諸感覚を〈語られたこと〉のてまえでとらえることができるとするならば、諸感覚は他の・もうひとつの意味作用を顕わにするのではないだろうか [一文﹅] (ibid.)。

 「感覚的生」とは「時間化」であり、「存在が存在すること」(essence de l'être)である(ibid.)。その感覚的な生にあって諸感覚は、「存在するという動詞の副詞」となる。どういうことだろうか。「他の・もうひとつの意味作用 [﹅12] 」とはなにか。順を追って、論点をすこしだけ具体的に考えてみよう。
 感覚的諸性質はたんに「感覚されたもの」ではない。それは同時に「感覚すること」でもある(56/70)。とりあえず「情動的な状態」(ibid.)については、ことがらはあきらかであろう。喜ぶことと喜ばしいものはわかちがたい。ひとは喜ばしいものを喜び、悲しむべきことを悲しむ。つよい情動を感じる [﹅3] ことと、感じられた [﹅5] 激しい情動は区別できな(end199)い。情動的な状態は感じられるものであると同時に感じることである。
 感覚的性質一般についてはどうだろうか。痛みにかんするベルクソンの例をとってみる [註114] 。右手でもったピンで左手のゆびさきを突きさしてみる、としよう。まず接触感があり、やや遅れて鋭角的な痛覚があって、鈍重な痛みの拡散が生じる。このそれぞれの段階にあって感じられているのは、ゆびさきに刺さったピンの感覚 [﹅5] であるのか、それともピンが貫いたゆびさきの感覚 [﹅7] なのか。痛みを感覚する [﹅4] ことと、感覚される [﹅5] 痛みとはこの場面でもわかちがたい。ここでも「なにごとかが対象と体験とに共通している」(56/71)。
 ベルクソンの例は、継起する感覚がかならずしも質において連続的ではないことを示していた。(おおきくは痛みとして括られる)ピンもしくは [﹅4] ゆびさきの感覚は、刻々と推移し、質を変容させる。ふくまれている論点をはっきりさせるために、べつの場面で考えなおしてみよう。触覚を例にとる。暗闇のなかを壁づたいに手さぐりですすんでゆく、としよう(廣松渉の挙げた例 [註115] )。歩をすすめるにつれ、感覚の変容が感じられる。壁の亀裂と凹凸にそって、手のひらの感覚が移ろい、入れ替わってゆくことだろう。
 確認しておきたい論点が三つある。第一の論点は、ベルクソンによる例のばあいと共通である。ゆびさきに感じるざらついた壁 [﹅6] の感覚は、壁に触れたゆびさきがざらつく [﹅9] 感覚でもある。ざらつきを感覚することと、感覚されるざらつきは不可分である。第二の(end200)論点が、さきの引用の理解にかかわっている。壁はところどころ脆く、場所により窪みがあるとしよう。感覚し・感覚される「諸感覚」はここでは「副詞的に [﹅4] 」あたえられる。「より正確にいえば」、感覚があたえる副詞はすべて「存在するという動詞の副詞」として響いて [﹅3] いる(前出)。壁はときどき「柔かく」感じられ、ときおり「凹んで」感じとられる。壁は「ぐにゃりと」存在 [﹅2] し、「抉られて」ある [﹅2] のである。――最後に、最大の論点がのこる。「印象が時間化する」こと、自己差異化する [﹅7] ことのうちに「存在するという動詞」(既引)があらわれる。「感覚的生」とは「時間化」であり「存在が存在すること」であった(同)。ここで存在する [﹅4] とはなんであり、時間が時間化する [﹅8] とはどのようなことなのか。
 さきの例にもどる。私の掌につぎつぎと、壁の起伏が感じられる。ここで起伏は副詞的に [﹅4] 感じられ、壁は「突き出て」存在 [﹅2] し、「窪んで」ある [﹅2] 。そのばあい、壁の感覚はおなじ [﹅3] 感覚として継起し、しかもことなって [﹅5] ゆく。同一のものが差異化している。つまり「感覚的印象が、異なることなく異なって、同一性において他のものとなっている(autre dans l'identité)」(57/71)。――同一性における差異化のありかは、副詞が不断にえがきとる。あるいは、動詞としても表現される。壁は掌を押しかえし [﹅5] 、ゆびを引きこむ [﹅4] 。壁はそのとき凹凸である [﹅3] 。壁に起伏が存在する [﹅4] 。このある [﹅2] 、存在する [﹅4] 、という動詞そのものはなにを示しているのであろうか。(end201)
 動詞「ある」を修飾する副詞が示すのは、とどまるところのない感覚的変容のさまである。これにたいして、Be動詞がえがきとっているのは、「感覚が現出し、感覚され、二重化されながらも、みずからの同一性を変化させることなく変容する」過程そのものである。この変化なき変容 [﹅6] である「時間的変容」が、「時間の時間化」、つまり時間が時間であるということであり、「存在するという動詞」なのである(60/75)。存在する [﹅4] (essence、もしくは「存在する [﹅4] という語の動詞的な意味」をつよく示すために、正書法からの逸脱をデリダに倣ってあえて犯すとすれば、essance avec a [註116] )とは、時間が時間化する [﹅8] ことである。時間の時間化とは、同一性そのものの変容、同一性の自己差異化なのだ。
 カントの超越論的感性論ふうにいえば、時間とは、それをあらかじめ(ア・プリオリに)考えることで同時性と継起とがはじめて意味をもつにいたる「純粋な形式」である [註117] 。個々の感覚は継起する。だがしかし、継起する感覚の質の変化それ自体が時間ではない [﹅2] 。時間とは継起ということがらそのものであって、それ自身は継起し変容しながら、しかも変化しない [﹅2] 。存在すること [﹅6] が、時間であることそのものであるとすれば、感覚的経験があかす、それぞれの存在者から区別された存在そのものとは「時間的な奇妙な痒み」(61/76)にほかならない。だからこそ、時間 [﹅2] (の時間化)と(存在者の)存在 [﹅2] はさしあたり解きがたい謎なのである。――静まりかえった夜の闇のなかで、家具がわずかに軋む。(end202)それはほとんど「無声の摩滅」である。いっさいは「すでに質料を課せられて、生成」し、時のなかで「剝がれ落ち、みずからを放棄して」ゆく。すべての〈もの〉は、ほんとうは(色が輪郭をはみだし、輪郭にとどかない、デュフィの絵画のように)じぶんとそのつどずれて [﹅3] おり、みずからと重ならず、たえず移ろっている。時間とはだが、よりとらえがたく「形式的」な、「すべての質的規定から独立の、変化も移行もない《変容》」なのである(53/67)。

 (註114): Cf. H. Bergson, Essai sur les données immédiates de la conscience, 155ème èd., PUF 1982, p. 31 f.
 (註115): 廣松渉『世界の共同主観的存在構造』(勁草書房、一九七二年刊)一三九頁参照。同書は、講談社学術文庫(一九九一年刊)で再刊されているほか、『廣松渉著作集』第一巻(岩波書店、一九九六年刊)に再録されている。言及した論点は、それぞれ、文庫版では二〇二頁、著作集版で一四四頁以下。
 (註116): E. Lévinas, De la déficience sans souci (1976), in: De Dieu qui vient à l'idée, p. 78 n. 1. 講義録にも「存在が存在する [﹅2] こと」(l'essance de l'être)とある。Cf. E. Lévinas, Dieu et l'ontothéologie, in: Dieu, la mort et le temps, Grasset 1993, p. 147.
 (註117): I. Kant, Kritik der reinen Vernunft, A 30-32/B 46-48.

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、198~203; 第Ⅱ部、第二章「時間と存在/感受性の次元」)



  • 一二時一三分離床。瞑想。天気は水っぽいような、かすみがちの曇り。窓をあけて目を閉じれば風がやわらかくながれこんできて涼しさと外気のにおいが身に触れる。座っているあいだ、虫の声や物音のあいだに草のささやきめいたひびき、もしくは空間がところどころぽろぽろ剝がれ落ちるような音が生まれだしたので、雨が降ってきたなとわかった。そこで切りに。一五分ほど。家内の気配からして母親がいないようだったので、洗濯物は大丈夫かとおもったのだった。
  • 上がってみればタオルだけ出ており、いちおう軒の下にははいっていたがおおきなハンガーのほうは入れておくことに。それからハムエッグを焼いて食事。米同時テロから二〇年でバイデンが式典に参加して演説し、団結こそが米国のちからだと述べた由。ページをめくっていくとうしろのほうに、単身者の記者(五七歳男性)がコロナウイルスにかかったときのことをつづり、どういう状況になるかどういった点にこまるかを述べた記事があった。感染がわかったのは七月のあたまあたりで、それまで食事はつねにひとりで取っていたし会食も避けていたので感染経路は不明と。毎日体温をはかっていたところそれが三八度を越え、たまに世話になっていた近所の医者に連絡して徒歩ででむき、PCR検査をすると陽性が出たと。そこで保健所に連絡がいき、自宅隔離かホテルかという選択肢を提示され、ひとりもので自宅にいたときに容態の急変がこわかったのでホテルを選んだ。ただ、受け入れ態勢がととのうまでのあいだは自宅待機しなければならない。このひとは前々からそなえて保存食を備蓄しておいたといい、レンジであたためれば食べられるようなそれを食ってしのいだ。熱は変わらず三八度以上がつづき、頭痛もあって料理をするような気力も起こらないので、レンジですぐ食べられるものがあって良かったと。それで待機しているうちにしかし症状が悪化してきたので、保健所に相談すると医師の判断で入院となり、はいったのが七月九日、退院は一六日目の二四日だった。あいだ、発熱、頭痛、下痢の症状がつづき、肺炎も見つかってただ息を吸うだけで胸が痛いという状態になって、中等症Ⅱと診断されたらしい。退院後はしばらく在宅勤務をして、いまは職場に復帰していると。こういった経験からひとりものが感染したときにこまりそうなこととして、食事の確保や日用品の用意などを挙げていた。このひとのように備蓄をしておくのが良いと。また、外出もできなくなるので、買い物などに行ってくれるひとをあらかじめ見つけておくと安心と。おなじひとりものの仲間と協定を組んでおくという手もある。このひとのばあいは大学時代からずっとつづけているサークルの先輩が近所にいて、差し入れをしてくれたのが助かったという。ほか、入院のさいに必要な品々もあらかじめ買っておかないと困るし、また気力を保つために気晴らしは大事だけれど多くの病院はWi-Fiをつかえないので、スマートフォン電子書籍とか好きな音楽とかを入れておくと良いということだった。
  • 皿と風呂を洗い、帰室するときょうのことをここまで。二時。手の爪が伸びていて鬱陶しいから切りたい。打鍵をするにしてもわずらわしいし、ふと肌に触れたときとか、かゆいところをかくときの固い感触が鬱陶しい。
  • そういうわけで、Marvin Gaye『What's Going On』をながしさっさと爪を切ると書見にはいった。シュナック/岡田朝雄訳『蝶の生活』(岩波文庫、一九九三年)。三時半くらいまで。それからストレッチ。そのときのBGMはQueen + Paul Rodgers『Return of the Champions』に移っていた。Brian May作の"'39"が好きで、有名曲とは毛色がちがっていかにもQueenっぽいという曲ではないし一般にもぜんぜん知られていないとおもうが、Queenの曲のなかでもかなり良い曲だとおもうのだが。
  • 四時から熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)の書抜き。三箇所写せた。よろしい。ほんとうは毎日二箇所ずつ書き抜いていってストックを増やしたいのだが。その後瞑想。四時四五分から五時のチャイムが鳴るまで。眠気がまさってあまりうまく行かなかった。とまっていようとしてもからだが勝手に揺れてしまう。
  • 上階へ行ってアイロン掛け。窓外は石灰水をわずかばかり注入されたような色合いで、雨が降っているのかいないのかよくわからないもののたぶん降ってはいなかったとおもう。山はしかしビニールの膜を一枚かけられたように色がうすれている。もっとてまえの川沿いや近間の樹々は、大気があかるくないせいもあろう、ならぶ緑に差異はほとんど見受けられず、風もないようで群れてやすらぐ鈍重な平原の動物のように不動の斉一性にしずまっている。聞こえる音は居間の端に吊るされた洗濯物に焼け石に水にもならない微風をおくる扇風機のひびきや、大気をつたわってくる近所の子どもの声くらい、母親はソファでタブレットかなにか見ていたが、じきに天麩羅をやるといって台所にはいり、そうすると油がはねる泡立ちの音もくわわった。
  • アイロン掛けはほぼ一時間もかかった。母親が図書館で『絶景本棚』という本を借りてきたというのでちょっと覗いてみると、作家とか蔵書のおおいひとの本棚の写真を載せている書だったが、あまり知った名はない。明確に知っているのは京極夏彦がたしかさいしょのほうにいたのと、都築響一くらいで、といってどちらも読んだことはないが、都築響一のページを見てみると、やはりけっこう雑然としたかんじだった。いろいろ混ざっており置き方も一貫していない区画のほかに、全集のたぐいをあつめているところがあるようだったが、そこに『日本農民詩全集』なるものがあって、こんなものあるのかとおもった。文によればしかし都築響一はコレクター癖はないから蔵書はすべてデータ化するのが目標なのだという。もったいない、と編集者がおもわずもらしたところ、じぶんにとって重要なのは蔵書ではなくてフットワークだといわれたとのこと。こちらも紙の本という形態にそこまで愛着をもっているわけでもないのだけれど、かといって電子書籍を本格的に導入しようというほどの気も起こらない。でもあと数年くらいすればじぶんももう基本、データで読んでいるのではないかという気もする。音楽も、いぜんはCDを買ってしかしそれをそのままプレイヤーで聞くのではなく、パソコンにデータとして入れるという手間を取っていたのだが、Amazon Musicに登録したいまそれで事足りており、CDもそのうち処分しようという気になっているし。本だってそのうちサブスクリプションサービスができるだろう。というか、軽い方面の本はすでにできているはずだ。
  • アイロン掛けを終えるといったん帰室。ベッドで休みながら(……)さんのブログを三日分読んだ。そうしてあがると、母親がゆでたうどんを水に入れてしめているところだった。父親が山梨から帰ってくるまえに風呂にはいるというので了解し、こちらは食事を用意。テレビも消して、ひとり食す。新聞から米同時テロから二〇年という関連の記事をいくらか読んだ。とうぜんながら二〇〇一年以降に生まれた世代も増えており、二〇代でもおさなかったひとは事件のことを学校でならう以外になにも知らないというひともいて、どんな歴史的事件についてもいわれることだが記憶と経験を若いひとびとに継承していくことが責務であると。二〇〇一年九月一一日の事件も、たぶんあと二〇年、三〇年、五〇年くらいすれば、あんなテロなどはほんとうは起こりはしなかったのだ、映像は加工改竄されたつくりものである、アメリカがイスラーム世界に攻撃するための陰謀だったのだ、とか、そういう馬鹿なことをいいだすクソバカどもがあらわれるのだろうなとおもう。
  • 食器を洗い、茶をつくって帰室し、ここまで加筆。
  • その後は日記をすすめたり、Sabu Kohso and Liaisons, "Radiation, Pandemic, Insurrection"(The New Inquiry; 2020/12/14)(https://thenewinquiry.com/blog/radiation-pandemic-insurrection/(https://thenewinquiry.com/blog/radiation-pandemic-insurrection/))を読んだりなど。入浴中、ロシアの兄夫婦から電話がかかってきてはなしているらしい音声が聞こえてきたが、べつに急がずゆっくりしていたので、出るころには終わっていた。一〇月に任期が終わって帰国する予定で、(……)に良さそうな物件を見つけたのだがこの時勢なのにオンライン内見をやっていないところで、かわりに見に行って携帯で中継してくれないだろうか、という依頼があったらしい。火曜日だとか。こちらは面倒臭いし、その日は(……)くんとの通話もあるので行くつもりはない。
  • この日はきのうの本文を終わらせ、四日の書抜きを終えて投稿、五日は書抜きをとちゅうまで。どうもあまり日記に邁進できないが、まあちまちまやろう。毎日書抜きメモをする方式になっているのでそれに労力がかかり、むしろ本編というか生活中の記録を満足にできないようになっているが、しかたがない。メモが多くなるのはセルトーの本だったからで、シュナックのほうはそんなにメモろうという箇所もないので、セルトーの期間を終わらせればともかく楽になる。思想とか知識方面の本はやはりメモが多くなるだろう。小説やら実作のたぐいは精読の欲がでなければべつにさほどではないはず。