2021/9/20, Mon.

 パルメニデスは、存在は存在するとかたりうるのみであると主張しながら、同時にそれは存在したのでもなく [﹅2] 、存在するであろうということでもない [﹅2] とかたっていた。これはとりあえず奇妙なことがらにみえる。ある [﹅2] をかたりだす局面で、すでにない [﹅2] が、存在 [﹅2] をかたどるときにあらかじめ無 [﹅] があらわれ、存在と無が絡みあっているかに見えるからである。
 問題のこの場面で「父殺し [註143] 」を敢然とくわだてたのは、ソフィステース篇に登場する「エレアからの客人」であった。よく知られているように、ソフィステース篇は、虚偽が存在する以上、なんらかの意味で非存在が存在する、つまりあらぬ [﹅3] ことがある [﹅2] と論じていた。ある [﹅2] ものは、他のさまざまなものもあるのに応じてあらぬ [﹅3] 。ある [﹅2] ものは、それら他のものではない [﹅2] からである。したがってあらぬ [﹅3] とは、他の在るものとのことなりであり、或るものがあらぬ [﹅3] とは、他の或るもの、他である [﹅3] ものがある [﹅3] ということにほかならない。非存在とは他とのことなりであって、〈無〉とはむしろ〈他〉の存在であるにすぎない。
 非存在は差異にすぎないとするプラトンの認識は、多くの哲学者たちにわかちもたれてきたようにおもわれる。ここでは、『創造的進化』の論点のひとつだけを取りあげて(end228)おこう。たとえば、こういう場面を考えてみる。街にでると、見なれた風景が一変している。そこにある [﹅2] はずの建物がない [﹅2] 。私はそこに一箇の不在、非存在を、つまり無を見るようにおもわれる。――だが、そうだろうか。建物はない [﹅2] 。そのかわりに [﹅4] しかし、瓦礫があり、青空がある。建物も瓦礫もある [﹅2] こと、存在することについてはなんらかわりがない。視界をかぎり枠どっていた建物が消失したことで、青空は以前よりなおさら近くにあるほどだ。ひとが無をみとめるとき、現にあるのは、客観的には存在の「置換」であり、主観的には「好み」であるにすぎない [註144] 。「空虚 [﹅2] 」とみえるものもつねに「充実 [﹅2] 」している。空虚があるかにおもわれるのは、私のがわに「願望あるいは悔い [﹅8] 」があるからである [註145] 。「絶対無」をみとめず、「部分無」のみを主観的な気分として承認するベルクソンの所論にはもちろん、いっさいを「不断の生成」のうちにみる、その基本的な立場が反映されているわけである(cf. 160 n.1/343)。

 (註143): Platon, Sophistes, 241 D.
 (註144): H. Bergson, L'évolution créatrice, 4ème, éd., PUF 1989, p. 282.
 (註145): Ibid., p. 283.

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、228~229; 第Ⅱ部、第三章「主体の綻び/反転する時間」)



  • 八時にいちどアラームで覚めたのだが、そのときの記憶はほぼない。はっと気づくと九時をまわっていた。夢を見たのだけれどそれもわすれてしまった。なにかお気に入りのおもちゃか道具か生き物があって、それを酷使しすぎてこわすか殺すかしてしまう、というようなものだった気がするのだが。寝床ですこし深呼吸してから起床。(……)
  • きょうは気温がだいぶ低くて涼やか。天気もきのうにつづいて濁りのない快晴で、一年でもっとも過ごしやすい秋のかるさ。きのうの天麩羅の残りなどで食事を取る。新聞はテーブルの向かいについた父親が読んでいるので、窓のそとをながめながらものを口にはこんでもぐもぐ食った。そとはひどくあかるく、ひかりはどこにも行き渡って満ち、そのために川沿いの樹々や山襞は蔭をかえって濃く溜めて、なだれるように充溢した明暗のコントラストがきわだっており、川沿いの樹壁のなかでいちばんあかるい一部分は泡っぽい希釈水の緑に浮かび上がって、もうすこしてまえではあたりの屋根があるものは瓦の四面を区切る突端の線にひかりをあつめてかがやかせ、あるものはゆるい傾斜の一面をすべて白く発光させている。
  • 食事を終えて皿と風呂を洗う(……)。
  • 自室にもどると眠りがすくなくて眠く、からだもやや重かったので、ベッドですこしだらだらしたあと、竹内まりや『LOVE SONGS』をながして大の字になった。深呼吸をしばらくつづけてからヨガでいう死体のポーズよろしくちからを抜き、無動の休息にはいって、眠ってしまうかとおもっていたが意外と意識は保たれて、六曲目でややあいまいになったところから復活したのを切りとした。臥位での瞑想というかんじで、すわっているときとおなじようにじっとしているとからだがじわじわとほぐれていき、内側に微弱なふるえが走りながらなめらかにまとまっていくので気持ちが良い。
  • それで二時前だったはず。きょうは労働なので食事は出勤まえに取れば良いやとして、そこからストレッチをした。ほんとうはすぐに日記を書くかあるいは「読みかえし」を読むかという気分だったが、いざ柔軟をはじめればけっこうきちんとやってしまって二時半くらいにはいたったか。そうしてきょうのことをここまで記していま三時前。
  • 作: 「誰も彼もかしこぶり屋の治世では冗談だけが愚者の矜持さ」
  • いま一時(二五時)で、Pink Floyd『The Dark Side of the Moon』なんていう歴史的名盤のほまれ高いアルバムをながしながら一七日のことを記述している。このアルバムは中学生当時に同級生で当時唯一の音楽仲間だった(……)が入手して聞いていたはずで、彼の家でこちらもすこしだけ耳にしたおぼえがある(それで"Money"か"Time"だけその後印象にのこっていたおぼえがある)。やつはほかにたしかYesも入手していた気がするし、もしかしたらKing Crimsonも聞いていたかもしれず、プログレの有名所をいくつか手に入れていたとおもうのだが、たかだか中学生でプログレなんぞ好んで聞いていたとはいけすかない、ませたクソインテリだったなといまさらながらおもった。当時のこちらはDeep PurpleLed ZeppelinOzzy Osbourneである(Black Sabbathはあまり入手できず(『Paranoid』と、Ozzy Osbourneがいなくなったあとは『Heaven And Hell』だけで、SabbathでいちばんながしたのはRonnie James Dioがボーカルの後者)、なじみがなかった)。それいらいPink Floydをほぼ聞いたことがなかったのだが、いま聞いてみると#2 "Breathe (In The Air)"のバックのサウンドの質感からしてひとつのきわだった雰囲気をかもしだしており、なるほどこれはたしかに、とおもわれ、中学生でこれを聞いていたのはやはりすごい。やつは暑苦しいだけのこちらより数段先を行っていた。FISHMANSも高校当時ですでに聞いていたおぼえがあるし(FISHMANSのライブ盤を聞かされたとき、おまえにはこういうのはわからないだろうが、と馬鹿にされたおぼえがある)。大学ではバンドサークルにはいって、Kurt RosenwinkelとかBill Frisellなんかを真似しようとしていた。
  • 手帳に「イラン(モサド)」というメモがあるが、これは朝刊の国際面で読んだニュースのことで、イランの核開発の中心となっていた博士が昨年だったかに暗殺されたらしいのだけれど、それにAIを利用したロボットがつかわれたということだった。実行者はイスラエルモサド。遠くから銃撃するロボットだったらしく、衛星から来る位置情報のわずかな誤差を修正するためにAIが活用されたと。一発目で車に当て、降りてきた博士を二発目で正確に銃撃して暗殺に成功したらしい。
  • 勤務中ほかにかんして印象深い記憶もよみがえってこないので省こう。帰路、最寄り駅に降りて南側に視線をやると、すっきりとなめらかに塗られた夜空に満月がかかっていて、いまは九月だし中秋の名月というやつか、とおもった。坂にはいったところや、そのあとの平ら道で見上げたかぎり、空には雲ひとつなく、深い藍色が染みわたって湛えられていた。
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