2021/9/24, Fri.

 〈近さ〉とは、しかしなんだろうか。〈近さ〉は第一に「幾何学的に」測られるものではない。空間的に近接 [﹅2] していることそのものが〈近さ〉なのではない。「主体は空間的な意味に還元不能なしかたで〈近さ〉にまきこまれている [註164] 」(129 f./157 f.)。――〈近さ〉は、また一致 [﹅2] を意味しているわけでもない。むしろ、とレヴィナスは書いている。

 〈近さ〉とは差異であり、つまり一致し - ないことであって、時間における不整脈である。それは主題化に抵抗するディアクロニー、つまり、過去の諸相を共時化する想起にたいして抵抗するディアクロニーなのである。〈近さ〉とは物語りえないものなのだ! 他者は物語られることで、隣人としての顔を失ってしまうのである(258/301 f.)。

 (註164): 逆に空間それ自体もまた「透明さと存在論」によって汲みつくされるものではない。空間そのものには「人間的意味」が、また人間的意味を超えるものがあるのである(275/321)。

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、243; 第Ⅱ部、第三章「主体の綻び/反転する時間」)



  • ほぼ一一時に起床。悪くない。きょうはひかりにあかるくさわやかな晴れの秋。とおもっていたが、一二時半のいま、背後の窓を見るとやはり煙めいた雲が湧いて空が白くなっており、大気中の陽の色もすくない。とはいえ空の青さが殲滅されたわけではないし、あかるいにはまちがいがない。からだの感覚は相当に軽かった。足裏をほぐしまくったおかげだろう。水場に行ってきてから瞑想。すこしまえとくらべると窓外がよほどしずかになっており、微風に触れられてカサカサと鳴る草の音のあいまに虫が翅をふるわせているのみ。二〇分ほど座った。
  • 食事は炒飯やうどん。暑くてエアコンをつけたと母親。一時、居間の気温計だと三四度くらいに達していたという。じっさいにはもうすこし涼しい気候のはずだが。新聞を見るとドイツで緑の党がいきおいを増しているとの報。二六日に下院選があるが、支持率一七パーセントくらいで、二番目とあったか? 一六年ぶりに連立入りの可能性があると。九八年から二〇〇五年のあいだに社会民主党SPD)と連立政権を組んでいたらしく、今回もSPDが第一党になりそうで政策的立場もちかいから十分見込みはあるようだ。メルケル以後の首相候補としても、社民党のシュルツ党首にくわえ、緑の党のなんとかいう女性の共同党首も名乗りをあげている。七月の洪水もあってドイツでは有権者の環境や気候変動にたいする関心が高いらしい。緑の党は公約として、二〇三〇年までの石炭発電全廃や、現政府よりもおおきな温室効果ガス削減目標をかかげるいっぽう、産業界の警戒に配慮してビジネスやインフラ支援の経済政策も今回公約にもりこんで配布ビラにしるしたという。
  • また、ロシア下院選で「新しい人々」という新党が議席をえると。きのうだかおとといにこの選挙の暫定結果をつたえる記事があって、むろん与党統一ロシアの圧勝なわけだけれど、とはいえ与党は三三四議席から三二四に減らすことになり、また自由民主党もだいぶ減ったいっぽう、「公正ロシア」だったかそんななまえの左派と共産党議席を増やし、くわえてこの新党があらわれていたのだ。一三議席くらい取るもよう。新党の素性はしれなかったが「新しい」とわざわざうたっているからにはすくなくとも反プーチンではあるはずだろうとかんがえ、だからいちおうリベラル派、反プーチン派が伸長したという結果にはなっているのだなと理解したのだけれど、きょうの記事によればFISHMANSの曲みたいななまえのこの党はやはり反プーチン勢力で、たとえば比例代表では改正憲法に反対した極東サハ共和国ヤクーツクの市長を候補に立てたりしているらしい(この都市は兄が何度か行っていたはずだ)。しかしそれも一抹あやしさがただよっているらしく、有力紙の報道によればこの新党のバックにはプーチンがいるとかで、党首とプーチンにちかい有力者らの関係が取り沙汰されており、結党からわずか三か月で選挙参加をみとめられたのも異例だから、政権側が批判の受け皿として用意した「官製野党」なのではないかという見方もあるようだ。
  • ほか、バイデンがマクロンと会談だか電話だかしてAUKUSならびにオーストラリアとの潜水艦開発事業の一方的破棄によって生じた亀裂の修復をはかったとか、習近平が恒大集団を救済するか否かで板挟みになっているとか。マクロンの国内での支持率もけっこうあやういようで、いぜんから不人気はわりとつたえられている印象だが、大統領再選はきびしいのかもしれない。マクロンが再選できないとなると有力候補はあとマリーヌ・ルペンだけになってしまうわけで、フランスでマリーヌ・ルペンが大統領になったらいよいよやばい。そこでイスラーム系の候補が出てくればミシェル・ウェルベックが想像した筋書きどおりになるが(といって『服従』を読んでいないのだが)、たぶんまだそこまでは行かないだろう。左派系がともかくもルペン阻止で候補を一本化して対抗するしかないのではないか。
  • 帰室してここまで記せば一時。きのうの記事ももうきのうじゅうにほぼ書いておいたし、じつにひさしぶりで完全に現在時に追いつくことができた。すばらしい。
  • 「読みかえし」より。167番。

 ひとは、「大気」を吸い込み、日の「光」を浴び、さまざまな「風景」を目にし、それを愉しみながら生きている。より正確にいえば、それら「によって」(de)生きている。たんに呼吸することでさえ、大気を享受することである(cf. 154/216)。
 ひとは、しかし風の流れで大気を認識し、光のなかで〈もの〉のかたちを枠どることで、ある意味ではそれを構成 [﹅2] し、風景をみずからに表象 [﹅2] しているのではないか。そうもいわ(end20)れよう。だが、たとえそうであるとしても、世界を認識するためには、私はまず生きていなければならない。構成されたものであるはずの世界が、世界を表象するための条件、生の最下の条件をととのえている。「私が構成する世界が〈私〉を養い、私を浸しているのである」(136/190)。大気や光、世界の風景は、まずは「表象の対象」ではない。かえって、「われわれはそれらによって生きているのである」(Nous en vivons)(前出)。
 風や光や風景は「生の手段」でもなければ、「生の目的」でもない(同)。ひとは生きるために [﹅3] 呼吸をしているのではなく、呼吸をするために [﹅3] 生きているのでもない。私はただ、大気を吸い込み、そのこと、つまり〈息をすること〉によって [﹅4] 生きている。大気や光、水、風景は私の「享受」(jouissance)へと、つまりは「味覚」(113/158)へと供され、私の〈口〉に差しだされている。世界は私の「糧」(nourriture)であり、「糧を消費することが、生の糧である」(117/165)。世界を構成しようとする、たとえば超越論的現象学のくわだてが結局は「失敗」してしまうのは、世界が私の「糧」であるからである(cf. 157/220)。〈糧〉としての世界の受容こそが、比喩的にいえば、経験の原受動的な層をかたちづくっている。
 世界をたんに表象するとき、世界は私のうちにとりいれられる。そこでは「〈他〉が〈同〉を規定せず、〈他〉を規定するものはつねに〈同〉である」(130/182)。世界は私の外部に [﹅3] 存在するということ、世界は私とは〈他なるもの〉であること、つまり世界の「外部(end21)性」を、認識はけっきょくは否定する。認識され知られたかぎりでの世界は、認識と知の内部に [﹅3] 存在するからである。世界が提供するさまざまな「糧」によって生きている私は、これにたいして、世界の外部性を肯定する。それはしかも、「たんに世界を肯定することではなく、世界のうちで身体的に自己を定立することである」(133/187)。――身体はたしかに、「世界の中心 [﹅2] 」(*ibid*.)を指定する。知覚される世界は、身体を中心にひらけている。世界を認識する私は、世界に意味をあたえ、世界がそれにたいして立ちあらわれ、世界の意味がそこへと吸収される、つまり世界という〈他〉が〈同〉と化するような中心点である。だが、身体である私は、まず世界によって養われていなければならない。
 かくして、「裸形で貧しい身体」(le corps nu et indigent)が、なにものももたずに [﹅9] 、ただ身体だけをたずさえて世界に生まれ落ちた〈私〉が「いっさいの肯定に先だって、《外部性》を、構成されはしないものとして肯定している」(133 f./187 f.)。そのいみでは、「身体とは、いっさいの〈もの〉への《意味付与》という、意識へと帰属される特権への恒常的な異議申し立てなのである」(136/190)。純粋意識もまた身体のうちに受肉する。受肉した意識はもはや、無際限な意味づけの主体ではありえない。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、20~22; 第Ⅰ部 第2章「自然の贈与 ――始原的な世界を〈口〉であじわうこと――」)

  • 一時で切りがついたとき、そとの色がうすれており、雲も厚くなって灰青色をいくらかふくみ、空模様があやしくなっていたので、もう洗濯物を入れてしまおうと部屋を出た。上階のベランダに行くと日なたがあるにはあったが、雲のかんじがやはり不穏なので吊るされたものを取りこみ、さっさとたたんでかたづけた。もどると「読みかえし」ノート。その後リチャード・ブローティガン福間健二訳『ブローティガン 東京日記』(平凡社ライブラリー、二〇一七年)。二か月の日本滞在のあいだ日記的に日々つくった詩を載せている作品で、みじかくてなんということもないようなちょっとした篇がおおいので、三時ごろまでで本篇は読み終えてしまった。ブローティガンは俳句が好きらしく、五八年にサンフランシスコに越していらい禅の影響を受けた友人たち(というのはビートニクまわりの連中もたぶんふくんでいるとおもわれ、ゲーリー・スナイダーとかがもしかするといたのだろうか)もできてそこから仏教についても多少まなんだという。それで俳句的な、数行のみじかい詩篇もいくつかある。さほど印象深いものはないが、こういうふうに日々ほんのちょっとした詩をつくりつづけるといういとなみじたいには好感をおぼえる。ほんとうはじぶんでもやりたい。
  • ストレッチをして、上階へ。米をあたらしく磨ぎ、炒飯のあまりとゼリーを持ってもどると食事。皿をかたづけてきて歯もみがくとここまで加筆して四時半。
  • いま帰宅後に休息を取って一一時半。『ブローティガン 東京日記』を読み終えた。一日で一気に読んでしまったが、じっさいそのくらいに軽く、ちょっとした、気取りのないつつましやかな本ではある。
  • 四時半のあとは瞑想をした。一五分ほど。そとでは女性がふたりと男性がひとりはなしている声、またそのあいまに子どもの声も聞こえており、たぶん(……)さんのところに知人が来ているかんじだとおもったのだが、(……)さんと妻同士ではなしていたのかもしれない。ふだんからよく子どもの遊び声や会話の声は聞こえるのだが、そのあたりの正確なところが把握できていない。ヤモリが家のなかにはいってることない? ある、ある! というようなはなしを女性ふたりがしていた。ふたりとも苦手で、マジで勘弁してほしい、というかんじのようだった。我が家もヤモリは夏のあいだは毎日窓に見かけたし、両親など夕食中に居間の南窓にあらわれてくるのをまるでこころ待ちにしているかのように、きょうも来た、と見つけて、すばやく虫を食べるようすを見てよろこんでいた。
  • 着替えて出発へ。空にはやはり雲がおおくこびりつくようにはびこっているが、水色が見えないわけでなく、雲も全体に青味をふくんでひろがっており、あたりに陽の色はないものの暗い空気というわけではない。坂道をのぼっていくと左右の端に色変わりした落ち葉が溜まって縁なしており、そろそろそういう時季である。駅について階段を行くに、若青さをはらんだ稠密なビリジアンの樹々の向こうで北西の空はほとんど雲に埋められており、かこいこまれたすきまから太陽のあかるみがどうにかというかんじでわずかに洩れ出て周囲の雲を青く染め、目をふった先の東では雲の色味はいくらか落ちて、空の水色のうえに部屋の四隅の埃のような薄灰色が群れをなしている。ホームにはいって先へ行き、線路のほうをむいて立ち尽くせば、風がながれて歩行にあたたまった肌をなだめてくる。もうセミは死滅したものだとおもっていたが、さいきんの好天にさそわれたのか丘の林のほうからツクツクホウシの鳴きがまだひとつふたつほそく聞こえ、電線を飛び立ったカラスは鈍い青雲にかき乱された西空のなかを黒くはばたき、先日見かけたヒマワリの隊、労役囚めいてうなだれながら影色に枯れていたあの残骸たちはもはや消え去って、空っぽになった空間の奥に林の緑とその脇の家が視線を受け止めるばかり、そうして見ているうちにあたりの空気がいつの間にか暮れていて、黄昏の青さをかすかに先取った五時二〇分のしずまりのなか、線路沿いのオシロイバナが低みで風になでられながら赤紫を点じている。
  • 電車に乗って移動、そして駅を出て職場に行くあいだにとりたてた印象はない。勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 一〇時まえに退勤。きょうはひさしぶりに歩いて帰るこころだった。ひとのあまりとおらない裏路地にはいるとマスクをずらして口と鼻を解放し、夜気を吸収しながら行く。とちゅうで止まってバッグから持ってきた眼鏡を出してかけた。外出先で眼鏡をかけるということをいままでしておらず、ワクチンを受けに行った日にいちどこころみたのだけれど、家を出る段でかけてみるとマスクのために息が上方に漏れ出てレンズがたびたび曇るのが鬱陶しく、やめたのだった。それできょうためしてみたところ、家内でかけていた時間でもう慣れてきたようで、かけたままずっとあるいていてもいぜんのように視界や平衡のみだれをかんじず、大丈夫そうだった。遠くもよく見える。夜なので視覚的にあまりおもしろくはなかったが、昼間だといままではっきりしなかったものが明晰になるだろう。しかし、やはりなんだかあまり、つねに眼鏡をかけて暮らそう、外出しよう、という気が起こらないようなのだが。
  • 秋の夜風が絶えず生まれて路上をさらさらおよいでいき、精霊のような涼しさがつねにひらひら舞い踊っては頬やからだをなごませる。夜に歩くに良い季節となった。中秋節を過ぎて右上が欠けた月は濃厚な黄味をたたえたすがたで背後の東空にのぼり、雲にかくされたりあらわに照ったりしているがその存在感はいつもあきらかで、裏道の中途でひろい空き地に接して見上げれば南空の雲のかたちもありありと浮かび、砂糖かなにかの粉末を押しかためたようにひろくを占める乳白色の、ひび割れたほそいすきまの淡青のなかに星もひとつ、きらめいていた。白猫は車のしたにいなかった。表通りに出るとコーラでも買うかというわけでローカルなコンビニみたいな商店の横でペットボトルを買い、街道沿いを行くが、その間今夜は聖なる静寂はおとずれず、タイヤの音が背後のとおくに去っていったと聞くのもつかのま、まだすがたの見えぬまえからながく伸びた先触れのひびきが空間のなかにはいってくる。さいごの坂をくだるあいだ、歩みにあわせて左の股関節のあたりが痛みはじめて、股関節というかもっと中心部、性器のほうに近く、なにか睾丸か膀胱あたりのような痛みだったのだが、なんだったのか不明である。左足をうしろに蹴り出すときにあわせて痛んだようだが。いずれ大したものでなかったといえばそうだ。
  • 帰るといつもどおり休息したが、しかしきょうは一一時をすぎると起き上がって日記を書き出したのが違うところだ。往路のとちゅうまで書き、その後、夕食と入浴をすませて一時半まえにもどってくるとふたたびきょうのつづきを書いて、なんといま三時てまえでここまで追いついた。労働後にもかかわらずこなすべきことを粛々とこなすという、みずからおどろくほどの勤勉さである。すばらしい。いつもこうだったら良いのだが。夕食時のことや新聞の内容は面倒臭いのであした気が向いたら書く。
  • 勤務にむかって家を出るまえに、「夜がはじまるとともに、全員が姿を消したのだ」を読み返した。この詩篇はきのうの深夜にもひさしぶりに読み返して、二、三箇所で一、二字を足したり消したりし、また行の区分けをほんのすこしだけ変えたりして、まあこれでいいかなという気持ちになった。いまのかたちはもうけっこうまえにできていて、第一連はいちおうひとつのながれをつくれた気がするものの、そのあとから終わりまでが性急すぎるようでうーん、とずっとおもっていたのだが、読み返してみるとそこまで悪くないようにおもわれて、この詩はここまでで良しとするか、と。いま読み返してみると「星々」だけがちょっとひっかかったが、何度か読んでこれはこれで良かろうと払い、完成とすることに。そろそろつぎの篇に行きたいし。あまり質にこだわらず、日々どんどんつくっていきたいのだ。詩を書いたとして発表の場を日記のなかにするのか、それとも正式に日記以外の文を公開するブログをつくるのか、というのもかんがえどころだが、ひとまずこの篇のばあいは正式な場をもうけるほどのものではないとかんじるので、日記の一部として載せる。

 夜がはじまるとともに、全員が姿を消したのだ
 線香花火の吐き棄てる、あの
 呪文のような
 遺言のような
 宣誓のような
 熱くおさない赤 と同様
 散り散りに走り
 不可視の紙面に吸い取られていく
 それが人であるならば
 誰かが
 わたしか
 あなたか
 それともまたべつのあなたでもいい
 誰かがそれを取りもどさなくてはならないが
 それがもし、言葉であったなら
 一瞬だけ
 ひそかに光ってからだをほどき
 溶けてなくなるのは、言葉のほうの勝手だろう
 いずれにせよ、あとに残るのは
 もちろん闇で
 闇とはなによりも正確かつはなやかな超越の比喩だが
 超越など哲学が捏 [こしら] えた二千年来の魔法にすぎない
 人が
 闇を愛せるというのは、あきらかに
 昼には見えていたものが見えなくなるからだろう
 つまり嫌いなやつの顔を見なくてすむから、ということだ
 その点、月というのは
 いささか意地の悪い、闇への反逆者だが
 人類史開幕以来
 あそこにも住まう者がいるのだから仕方がない
 死者たち
 彼らの記憶が寄り集まってできた月
 それはいわば地球のたましいそのものであり
 なにしろ生者を照らしだすというのは死者たちの本能みたいなものだから
 ほのかな白桃色をした彼ら死者たちは
 ひねもすクレーターのほとりに座りこんでは
 地球をながめてばかりいる
 おそらくほかにやることがないのだろう
 やりたいこともないのだろう
 せいぜいこの星に光をおくりつけるくらいのことで
 それは怨嗟であったり
 愛惜であったり
 警告であったり
 羨望であったり
 嘲笑であったり
 告白であったり
 予言であったり
 意味のないひとりごとであったり
 論証であったり
 子守唄であったり
 浮気心であったり
 軽蔑であったり
 便所の落書きであったり
 啓示であったり
 祝福であったり
 悪意であったり
 たとえば、幸せな夢
 であったりするかもしれないが
 なんであれ、それはもちろん
 生者の言葉などよりもはるかに多様だ
 狼だから月に吠えねばならないなんてことはなし
 人間だからといって
 かならず生きねばならないわけでもない
 生者の馬鹿げた思い上がりを
 月光は洗い
 そして、わらう 


 だが
 彼らだって、ほんとうは
 死んでいなければならない
 なんてわけがないのだ
 星々のあいだを抜けて宇宙のかなたに消えていく
 ひかりの色とおなじ数だけ積み重なった死者たちよ
 あなたたちを追いやったのは誰なのか?
 記憶を焼いたのは誰か
 耳を捨てたのは誰か
 力を崇めたのは誰か
 見ることをやめたのは誰か?


 声を聞きとめるのは誰か?
 夜の消滅と
 朝の復活のあいだに。

  • これは管啓次郎『ストレンジオグラフィ Strangeography』(左右社、二〇一三年)が端緒となったもので、この本のなかに詩人五人で一行ずつまわして連詩をやったというはなしがあり、それを読んだときに、そうか、詩ってこういうふうにつくればいいんだ、要するに一行をかさねてつらねていけばいいんだなとわかった気がして詩への欲求がたかまったところに、そのエッセイのしめくくり(113)に「夜がはじまるとともに、全員が姿を消したのだ」というこの一節を見てちょっと気に入り、それをパクってはじめに据えてつくったもの。ほか、「捏える」で「こしらえる」と読ませる漢字のえらびは、W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』(白水社、二〇〇七年)からまなんだもので、171に「ミドルトンの村はずれ、湿原のなかにあるマイケルの家にたどり着いた時分には、陽はすでに傾きかけていた。ヒース野の迷宮から逃れ出て、しずかな庭先で憩うことができるのが僥倖であったが、その話をするほどに、いまではあれがまるでただの捏[こしら]えごとだったかのような感じがしてくるのだった」というかたちでつかわれている。「ひねもすクレーターのほとりに座りこんでは」の「クレーターのほとりに」は青木淳悟の「クレーターのほとりで」を一字だけ変えたもので、『四十日と四十夜のメルヘン』に収録されているこれを読んだのは相当むかしで、保坂和志の小説論を読んでとりあげられていたのを見て読んだはずだから読み書きをはじめてさいしょかつぎの年くらい、二〇一三年か二〇一四年のはずで、したがってタイトル作のほうも「クレーターのほとりで」のほうもぜんぜんよくおぼえていないのだけれど、後者は原始人的な連中が夜に森のなかとかを移動しているみたいなところからはじまっていた記憶があり、保坂和志もエッセイのなかで引いていたとおもうのだがそこで原始人が地面に寝転がって夜空を見上げる場面があり、はるか頭上の天に無数に散らばって満ちているあれら銀色の砂子のひとつとじぶんがいま背をあずけているこの大地とがおなじものだとはまったく想像がつかなかった、みたいな一節があったことと、その原始人たちがたしか薄ピンク色みたいな体色として書かれていたことだけおぼえており(後者にかんしてはあまり自信がなく、記憶違いかもしれないが)、「死者たち」の色もそこから取って「白桃色」とした。
  • これがいちおうきちんと書いたと言って良い詩のさいしょの完成。たぶん二〇一九年中だったか、一時いくつかつくったときがあったのだけれど、そのときはほんとうにてきとうにことばをならべただけだったのでつくったものとしてはみとめられない。あと、たしか昨年の四月だかに一篇、みじかいやつもつくったのでそれをさいしょとしても良いが。ブログを検索してみると、2020/4/19, Sun.だった。これもいちおうきちんと書いたはずなので、これを1番とし、「夜がはじまるとともに」を2番とするか。

 真っ白な雨だ

 雨粒は
 無調の静穏を奏でる

 その聖なる永遠の反復が
 人
 であることの浮薄を隠してくれるなら

 魂よ 君は歌い
 そして踊るがいい
 歓待の風が君を満たしながら横切り
 境界を突き抜けていくその瞬間

 名はほどけ散ってかたちを失い 君は一つの比喩となるだろう

  • 夜に新聞で読んだのは、日米豪印のいわゆるQUADの枠組みで、インド太平洋におけるインフラ整備の促進協力で合意したというはなしくらい。中国がいわゆる「一帯一路」で周辺地域にインフラを提供して政治的影響力をたかめているようだが、安いインフラを提供しながら資金融資で相手国の債務負担を膨張させる悪質な支援をしている、というようなことがいわれているらしく、それに対抗して技術提供とともに公平で透明性のある資金融通をおこなうと。
  • 寝るまえにニール・ホール/大森一輝訳『ただの黒人であることの重み ニール・ホール詩集』(彩流社、二〇一七年)を読みはじめてすこしだけ読んだ。