2021/9/29, Wed.

 「隣人の顔」は「再現前化」を、私の現在に回収されることを逃れる。顔は「現象することの欠損そのもの」である。「顔の開示」はたしかに「裸形」であるが、しかし「かたちをもたない」(141/169)。つまり、目にみえる [﹅5] かたちをもっていない。ことばをかえれば、レヴィナスが顔 [﹅] と呼ぶものは、可視的な顔だちからずれ [﹅2] て、背後にあるなにものか、かたちからの余剰 [﹅2] として視覚を逃れるなにごとか、である。現前せず [﹅4] 、しかも〈私〉を触発する [﹅4] なにかが、ここで顔といわれているのだ。どういうことだろうか。
 とりあえず声との類比で考えてみる。声とはまず音 [﹅] であるようにみえる。声はじっさい音響として聞かれ、空気の疎密波として聴覚を刺戟する。だが、声が声であることは、それが音というかたち [﹅7] をもつことによっては尽くされない。また、それが言語的(に有意味な)音声 [﹅2] であることにも尽きない。声は、「コンテクストなく意味すること」(signification sans contexte)(146/174)でもありうる。じぶんが解さないことばを乗せた音も声 [﹅] である。それは言語音であるまえに叫びでありえ、叫びとして〈私〉を触発 [﹅2] する。声が声(end257)であるとき、それは音声にたいするずれ [﹅2] を、余剰を有している。余剰は聴覚を逃れる。あるいは、単純に音響を聞き分けるにとどまる聴覚そのものに、剰余としての声はあたえられていない。
 ことばとしては意味をもたない叫び声や、ほとん聴き取ることも困難なため息もまた声である。それらはたんに声の一例であるのではなく、むしろそれらこそがすぐれて聴覚をのがれ出る〈声〉そのものであることだろう。おなじように、顔が顔であることは、たんなる視覚をのがれている。静寂がなおなにかを意味するとき、静寂じたいが無音にたいして剰余を有し、微かなため息がただの吐息からのずれ [﹅2] をあらわにするように、無言の顔は視覚からの余剰を有しているのである。
 「感受性」とは「現象しないものによる触発」であり、「他者の他性によって問いただされること」(121/146)であった(三・2)。現象の欠損 [﹅5] として私を触発する「隣人の顔は、拒否しえない〈責め〉を私に意味する」(141/169)。私の感受性において意味している。諸存在者の「共 - 現前」(208/241)が、その「知解可能性」において「影のない、つねなる正午」(209/242)であるなら、顔とは「自己じしんの痕跡あるいは影」(241/281)であり、「不在の痕跡」「じぶん自身の影であるような現前」(148 f./177)である。だが、「痕跡のうちに失われた痕跡」(148/177)「痕跡のうちに追放された痕跡」(150/179)等々とかたられる〈顔〉とはなにか?――これらの表現は端的な矛盾であり、すくなくとも時間(論)的に不(end258)可能なことがらではないだろうか。痕跡そのものはつうじょう、べつのあるものの痕跡なのであって、みずからの [﹅] 痕跡ではない。また痕跡とはふつう、すでに現前しないものの痕跡であり、みずからが [﹅] 痕跡となることはありえない、かにみえる。
 たしかに、「痕跡」とは日常的には「現前の残滓」である。獣の足跡が「猟師」にとっては「獲物」の現前の痕跡であり(27/37)、傷痕がかつての諍いの痕跡であるように、である。足跡を残した獲物のすがたはすでに消え、刺傷の原因となった関係の軋みあいはもはや過去の、過ぎ去ったことである。そうした「《語られないこと》を告げる現前」であるなら、かたられないことは「背後で」かたられている(241/281)。つまり〈不在の現前〉というかたちでみずからをかたっている。住人が不在の部屋にも、たとえば家具の配置ひとつに他者のすがたが見えかくれする [註181] 。あるいは整頓され、あるいはとり散らかされた部屋のようすに、いましがたまでそこで呼吸していた他者の息づかいが立ちこめ、ときとして他者の肌の匂いすら消えのこっている。だがこれにたいして、「顔における過去の痕跡」とは、「断じて現在となったことのないもの」(ce qui n'a jamais été présent)の痕跡なのである(155/184)。――ここにはあきらかに、痕跡ということばの、ふつうに理解可能な用法からの逸脱がある。とりあえず、痕跡をめぐるみずからの考察をまとめて承けるかたちで、レヴィナスが書いているところを引用しておこう。(end259)

 《かなた》はあらわれるすべて《より遠いもの》でも、《不在において現前するもの》でも、《シンボルが現出させたもの》でもない。そうであるなら、それは始原に従属し、意識のうちにあたえられることになってしまう。ここで重要なのは、主題によって飼い慣らされ、家畜化されることの拒否である。《かなた》へとむかう運動は、ロゴスがかなたを召還し包囲して、かなたを現前化し暴露するとただちに、そのほんらいの意味を喪失し、内在と化してしまう。だが、〈近さ〉のうちに付属している〈かなた〉は、絶対的な外部性であって、現在と共通の尺度を欠いており、現在のうちに集約不能で、つねに《すでに過去になって》おり――つまり、現在はそれに遅れていて――、その外部性がそれを不安にし、強迫する《いま》を超えているのである。意識のアルケーによって活性化されることなしに現在を不安にしつつ過ぎ去り、直示可能なもののあかるみを消去するこのしかたが、痕跡と呼ばれたのである(158/187 f.)

 「現在」のこの「遅れ」がディアクロニーとしての時間を産出し、その遅れが〈私〉の「現在」を「不安」にする。ことの消息を、もうすこし辿っておく必要がある。

 (註181): Vgl. K. Löwith, Das Individuum in der Rolle des Mitmenschen, in: Samtliche Schriften Bd. 1, S. 47. レーヴィットの所論そのものについては、熊野純彦「間人格的世界の存在構造」(『倫理学年報』第三四集、日本倫理学会、一九八五年刊)参照。

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、257~260; 第Ⅱ部、第三章「主体の綻び/反転する時間」)



  • 一一時半過ぎに起床。数日ぶりで陽の色が見られたが、快晴というわけではない。雲も多く、ひかりが陰る時間もけっこうある。水場に行ってきてから瞑想。一五分ほどすわれたか。
  • 上階へ。洗面所で髪を梳かしたりうがいをしたりして、食事。きのう(……)ちゃんが買ってきてくれたカツ丼のあまりなど。母親は勤務へむかった。新聞を読む。ブラジルのボルソナーロがますます過激化しているとの記事。ドナルド・トランプを信奉していると公言しているとおり、来年一〇月の大統領選で不正が起こるかもしれないと言って、電子投票方式を紙にも記録させるやりかたに変えるよう主張しており、いっぽう、国連総会の演説(トップバッターだったらしい)では、報道でつたえられないブラジルの真のすがたをおつたえしよう、と言って、自賛的な総括をならべたてたと。ブラジル主要紙はそれをとりあげて、すくなくとも一〇か所の虚偽や誇張がふくまれていると批判。また、ブラジルは九月七日が独立記念日らしいのだが、そこでボルソナーロは国民にあつまるよう呼びかけて、じっさいそれに呼応した民衆が首都ブラジリアでは数万人規模にのぼったという。あつまってどうすんねん、というはなしだが、それにしても大統領が呼びかけて数万人もの人間が一挙に動員されるというのはすごい。我が日本をかんがえてみると、そんなことができる人間はひとりもいないのではないか。首相にせよ政治家は無理だし、できるとしたらアイドルくらいではないか。しかしボルソナーロの支持率じたいは落ちつづけていて、図に二〇パーセントくらいとあったとおもうし、不支持率は五〇パーセントを越えていたはず。
  • ミャンマーでは全国各地で避難民が発生し、二〇万人ほどにのぼっていると見られるが、彼らへの支援が国軍の妨害などでうまくとどかないと。おおくのひとは山間に逃げているので悪路のために物資搬送がしづらいし、それにくわえて武装市民に支援がわたるのをおそれる国軍が妨害しているらしい。避難民はむろんまえから発生していたが、今月に国民統一政府(NUG)が国軍との戦闘開始を宣言して以来やはりさらに増えていると。
  • ドイツは二六日に下院選を終えて連立協議がはじまった。僅差で社会民主党が第一党になっていたはずで、緑の党自由民主党(FDP)の動向が鍵になると。この二党は基本政策のへだたりがおおきいが、組めるかどうか協議をはじめたもよう。EUではさいきん、安全保障面で米国からの独立にかたむく機運がおおきいらしく、NATOの枠組みでも各国に国防費を国家予算の二パーセントいじょうにすることを目標としているらしいが、緑の党はそういう防衛支出に反対で、FDPは賛成である。社民党と与党CDU・CSUのどちらかがこれらの党を取りこんで連立、というのが順当なながれだが、失敗したばあい、いまと同様に社民と与党で保革合同をつづけることもかんがえられると。そのばあいしかしメルケルも引退するし、社民党のほうが第一党なのだから左派の影響がつよくなるだろう。
  • 一面にもどると北朝鮮弾道ミサイルらしき飛翔物を発射と。きのうの午前六時台だったか? 日本海をめざしたはずだが、近距離で落下し、陸地に落ちた可能性すらあるという。新型の実験か、発射失敗だったのではないかと。一五日にも不規則軌道のものを二発発射している。
  • 母親が洗濯物を入れていったが、陽があったのでタオルだけまた出しておいた。風呂洗いなどして帰室。ウェブを見たあときょうのことをここまで記して二時。下階のベランダに干してあった布団を取りこみ、上階のタオルも入れにいく。このころには陽射しがよくとおって大気があかるんでおり、ほがらかな熱気もふくまれて、近間では雲が去って青さがおおきくひらいた夏っぽい空になっていた。
  • 竹内まりや『LOVE SONGS』をながして「読みかえし」ノートを音読。そのまえに多少、体操というかストレッチというかからだを動かして筋をやわらげた。たんじゅんなはなし、屈伸など、きちんとやっておくとやらないとでやはり過ごしやすさがちがう。それできょうは椅子にすわらず、立ったまま太腿の筋を伸ばしたりしつつ読んだ。太腿をほぐしたり鍛えたりするのがやはり大事そう。その後、書見。ポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)。細部がむずかしいのでなかなかひょいひょい読みすすめるというわけにいかない。
  • 四時まえでうえへ。廉価な豚こま切れ肉を焼いて米に乗せ、自室にもちかえって食事。(……)さんのブログを最新の一日だけ読んだ。
  • その後に読んだ九月二七日分より。

 要素現象の主な特徴は、本来なら象徴界に属する「シニフィアン」が、現実界にあらわれることにある(…)。通常、シニフィアンは、ほかのシニフィアンと連鎖した状態で象徴界に存在している。シニフィアンは、言葉が単独であるだけではその意味がわからないのと同じように、二つ以上のシニフィアンが連鎖しないかぎり、象徴的な意味をもつことができないのである。もしこの連鎖が切れてしまい、シニフィアンがバラバラになってしまうと、そのシニフィアンはもはや象徴界ではなく現実界に存在することになる。つまり、要素現象とは、シニフィアンが他のシニフィアンに連鎖せずに「切れた連鎖」(…)、「現実界におけるシニフィアン」(…)として単独で現れる現象なのである(…)。
 では、実際の臨床のなかで、要素現象はどのような体験として現れるのだろうか。(…)
 精神病においてみられる独特の「確信」体験は、まさに要素現象の構造によって成立している。通常、象徴界に属するシニフィアンは「ある」と「ない」の二項対立の可能性のなかにあり、対立項による訂正の可能性がある。例えば、テーブルの上にあるパンは、誰かに食べられてなくなってしまうことが常に可能であり、それが普通である。反対に現実界は、あるところには過充満にありすぎるし、ないところには絶対的に欠如する。精神病では、象徴界の水準にあるはずのシニフィアンが、現実界の水準であらわれる(二項対立の可能性のなかにあるはずのシニフィアンが、対立項を失った形で出現する)という異常事態が生じる。つまり、そこにないということが不可能なかたちで、あるものが現れるのである。ラカンはこのような事態を「弁証法=対話(ディアレクティーク)の停止 arrêt dans la dialectique」と呼んでいる。精神病では、シニフィアン弁証法以前の「即自」として現実界に現れるため、その訂正を可能ならしめる対立項がそもそも存在しないのである。
 臨床においてよく観察される事例をみれば、このことはすぐにわかる。声(幻聴)の存在を訴える精神病者に対して、「声は現実には存在しない」と説得することは無意味である。そもそもそこでは「聞こえない」という可能性それ自体が失われているからだ。同じことが不在の確信についてもいえる。メランコリー(精神病性のうつ状態)における貧困妄想では「お金がない」などという訴えが確信をもってなされるが、彼らに預金残高をみせて説得することは無意味である。そもそも「お金のある」可能性それ自体が失われているからだ。精神病の幻覚や妄想にみられる「確信」体験の独自性は、この体験が「確信しているか、していないか」の次元にあるのではなく、「信じる」という事態の成立可能性そのものの次元において生じていることに由来するのである。
 この確信という体験を臨床のなかで見つけ出すためには、「主体のメタ言語的位置」に注目することが重要であるとミレールは言っている。つまり、自分の発言に対して、主体自身がどういう態度をとっているかに注目するのである。要素現象としての確信は、主体がどれだけ否定しようとしても否定することができないものであり、主体は否定できないものの出現を前にしてただ「困惑」に陥ることしかできなくなる(…)。この意味において、「排除 forclusion とは、否定できないものを引き出す否定」だと言えるのである(…)。
松本卓也『人はみな妄想する――ジャック・ラカンと鑑別診断の思想』 p.49-50)

  • 家を発つまえに汁物だけつくっておこうとおもい、タマネギと卵の味噌汁をこしらえた。五時にはいるくらいのころに。あとで飲んだかんじではわりとうまくできていた。そのあと瞑想し、身支度をして出発。六時まえ。暑くもなく寒くもなく、涼しさというほどのものも生じず、大気にほとんどうごきのない道だった。もうたそがれて薄暗さがだいぶ地上に降ってきているが、空は色味をのこしておりまだまだ夜はとおく、いまだ宵にすらはいっていない。坂道は樹々の蓋があってとうぜん暗いものの、樹冠のすきまに細片化された空の白っぽさは目を振れば即座にあらわで、まだ閉ざされきっていない。のぼっていって出るころには風が身のまわりに生まれていたが、あたってきてもかたまらず、肌のうえをころがって逃げていくような涼しさだった。
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  • 帰りは歩いた。また月が遠い時期にはいったようで夜空の色は青も黒も鈍く深まっており、外縁をなびく雲の色もさほどあきらかならず、しかし天頂にひらいた沼のような暗色帯にて白星はさやかにかがやいていた。ながれるものもあって、涼しい夜道。