2021/10/3, Sun.

 私はつねに他者の現在に遅れて [﹅3] いる。他者と私はけっして時間的現在を共有することがない。「おなじ現在にとどまり、時間を共有し、私に再 - 現前化可能であること」の否定のうちに「他者の自由」がある(24/33)。それは、「現在をとおり過ぎ・現在を必要としていない過去」(25/34)であり、「起源 - 以前の、無始原的な過去 [﹅2] 」(23/31)である。だが、なぜ現在をとおり過ぎる、起源 - 以前の過去、無始原的な過去 [﹅2] なのか。
 私は、たしかに現在にある [﹅5] 。だが、私の現在の、そのつどのてまえ [﹅3] で、他者にたいして私が責めを負っている以上、責めは「先行するいかなる関与(engagement)によっても正当化されることはない [括弧内﹅] 」(162/191)。アンガジュマンは、つねに・すでになされ、取りむすばれてしまっている。〈責め〉とは「《人間の記憶にあるかぎり》けっして契約された(end272)ことのない」(80/99)ものである。他者にたいする私の〈責め〉は、いっさいの志向性、いっさいの知のてまえで、「知らないうちに」むすばれている。その「還元不能な無始原性」(122/147 f.)は、私が〈私〉となるできごとのてまえ [﹅3] 、そのかぎりでは、どのようにしても記憶不能な過去をさししめす。「現在に包摂されない」「隣人の他性」が私という「代替不能な単独性」に訴え、「対格」において〈私〉へとつれもどすからである(239/278)。私はだから、現在にない [﹅5] 。
 かくて、「他者がなぜ私にかかわるのか?」という問いにこそむしろ意味がない。「〈私〉の《前史》」にあっては「すでに責めがかたっている」からである(186/217)。他者からの「命令」はけっして「現在であったことがない」(141/169)。とすれば、「服従することそのもののうちに、アナクロニックなしかたで命令を見いだすことの可能性」、「他律から自律へのこの逆転」、このディアクロニー、反転する時間こそが「倫理」なのだ(232/270)。反転してゆく時間 [﹅8] のなかで、責めは「借用に先だつ借財というアナクロニスム」そのものとなるのである(178/209)。とするならば、線形的ではない関係の時間性、分断され反転する時間であるディアクロニーこそが、他者との関係であり、それゆえ〈倫理的〉であるような時間性をえがきとっていることになる。
 「借用に先だつ借財」という(いくらかはニーチェ的な)表現は、とりあえず奇妙にきこえよう。それはだが、およそ〈倫理〉が可能となる条件をえがきとるものなのである。(end273)というのもそもそも、あらかじめ呼びかけられ「召還」されてしまっていること、〈他者との関係〉に囚われてしまっていることを措いて、倫理は不可能であり、他者への応答は不可能であるからだ。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、272~274; 第Ⅱ部、第三章「主体の綻び/反転する時間」)



  • 一〇時まえに意識をとりもどしていた。まぶしい陽射しの快晴。しかし目をつぶったまま曖昧な状態でいると、母親が兄の部屋の布団を干すと言いそれをもってはいってきたので(兄の部屋はベランダに接しておらず、こちらの部屋から出なければならないため)、それで正式な覚醒となった。すぐには起き上がらず、枕元にあったウルフ『灯台へ』をちょっと読みつつ、寝ているあいだにこごった脚を踵をつかってマッサージする。そうして一〇時二五分に起床。瞑想はサボって上階へ。洗面所で洗顔やうがいなど。米を炊いていないというのでカップラーメンでも食べようかと電子レンジのうえにあった二種類(カレーとシーフード)のうちからシーフードを取り、居間の卓に置いておきながら先に新聞をめくって記事を確認していたところ、そとからはいってきた母親が素麺の煮込みがあるというので、気づかなかったとこたえてそれをいただくことに。それで丼いっぱいに盛ったものを食べながら新聞を読んだ。書評欄には『ベケット氏の最後の時間』みたいな本が紹介されており(評者は長田育恵)、伝記かとおもったところがそうではなく、史実と作品をもとにベケットの終末を仮構した小説らしい。右ページの三冊はどれもおもしろそうで、中島隆博は岩内章太郎というひとの普遍性についての書をとりあげ(評価はあまり芳しくはなさそうだったが)、まんなかの列では木内昇だったかが渡辺浩『明治革命・性・文明』という東京大学出版会の新著を紹介し、上段では国分良成が『暁の宇品』というノンフィクション作品を史料や聞き取りの調査も構成も文体もあわせて第一級だと称賛していた。さいごのものは広島は宇品にあった陸軍の輸送部門やその司令官らを物語った書で、「暁部隊」と呼ばれたその名は広島県令のなまえの一字にちなんでつけられたという。その司令官だったなんとかいう中将が、物資や軍備の状況から見て中国大陸から東南アジアに南進するのは無謀だと上層部に注進していたというのだが、聞き入れられず解任され、日本は情勢判断の甘さをかえりみず対米戦争にはいって敗戦する。南進にともなって輸送線もながく伸び、米国はとうぜん補給路を断つために輸送艦を狙い撃つので多くの船が破壊され、ある島では隊員同士で食料をうばいあう生き地獄が現出したという。のち、広島に原爆が落ちたときの司令官は、本土決戦もありえるなか独断で全部隊員を市内の救出にふりあてたらしい。
  • 母親が昼食のために天麩羅を揚げていたのでそれもいくらかもらい、食べ終えると食器を流しにはこんで、洗濯物を干す母親のかわりに天麩羅を担当してナスやかき揚げなどを揚げた。それから風呂を洗い、食器も洗って茶をつくる。湯をそそいで待っているあいだ、ベランダに出てすこしひかりを浴びた。夏っぽく暑い晴天の日で、雲はぽつりぽつりとスポイトで落とされたようなものが青空のなかに散っているのみ、陽射しはあたりいっぱいによくとおって同時に風も絶え間なく、日なたにしゃがんで肌に熱を吸っているあいだ、周囲の洗濯物や眼下の緑がざわめいて、柵に干されたシーツなどひとりであそんでいる猫のように風にふくらんではみずからすれあって音を出していた。
  • 茶を持って帰室し、飲んだあと、きのうの記事に一行だけ足して完成、ブログに投稿するときょうのこともここまで記した。一時直前。しごとがはやくて良い。
  • その後、ブログに記事を投稿するためはてなのページにログインしたさいに、話題になっている記事みたいな欄にあったふたつのページを読んだ。野口悠紀雄「日本人は国際的に低い給料の本質をわかってない アベノミクスにより世界5位から30位に転落した」(2021/10/3)(https://toyokeizai.net/articles/-/458676(https://toyokeizai.net/articles/-/458676))と「竹島日本領 英豪も認識 サンフランシスコ条約時 公文書で判明」(山陰中央新報ニュース; 2021/10/2)(https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/102089(https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/102089))。そうしてからベッドに転がり、ポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)を読み出す。第三章の「読むこと(プルースト)」をすすめているが、ここはおもしろい。プルーストが涼しい部屋のうちにこもって本を読むことについて述べている一節をとりあげて、ていねいに分析している。二章の「リルケ(文彩)」はわかるようなわからないようなというかんじだったが、この三章は隠喩(必然性 - 総合性)/換喩(偶然性 - 断片性)という中核的な対立項がおおきく設定されているので理解しやすい。プルーストの言明内容自体は隠喩による物事の総体化を称揚しているのだけれど、そういう内容を述べている部分をよく読んでみると、じっさいにはそこでの比喩の用い方や言語の結合形式は換喩の原理にもとづいており、だから言ってみればテクストは偶然的なはずのむすびつきを必然的な絆であるかのように偽装している、というのが非常におおまかな要約。そこで言われていることを、そこでじっさいに発生している言語の動きやはたらきが裏切り、それに抵触・反抗しているというこの分析は、たぶんいわゆる「脱構築」の模範的な実践なのだろう。torrentの両義性に注目する点などおもしろかったし、うえのような分析から終盤でさらにそれをプルーストの小説原理全体へと敷衍しているのだが、いまそのあたりまででとまっている。
  • 読んでいると、ちょうど三時にたっしたあたりで母親が部屋に来て、兄が電話をかけてきてなにか聞きたいことがあるといって呼んでいる、銀行がどうとか、というので音楽(竹内まりや『LOVE SONGS』がもうさいごの "五線紙" ライブ版にかかっていた)をとめ、玄関にむかった。子機がこわれてつかえなくなったので、玄関に置かれてある親機で出るしかないのだ。もしもしと出てみると、あちら(モスクワ)は夜明けごろのはずだからそれに似つかわしいともいえる低いトーン(といってわりといつもそうだが)で返答があり、はなしを聞くに、帰国にあたって隔離用のホテルなど手配しており支払いをしなければならず、(……)のアプリをつかってオンラインでやろうとしたところが、ながいこと触れていなかったから更新があったのか本人確認用の番号を自動音声電話で聞いて入力しなければならない、いまこの電話を切ったらそちらにかかってくるようにするから聞き取っておしえてくれ、ということだった。もしかしたら必要かもしれないということで店番号と口座番号もおしえられたのを手もとのノートにメモし、電話を切るとすぐに着信があったので出て、機械音声の女性が述べる番号を同様にメモした。パスワード設定用番号とか言っていたとおもうので、これを入力して本人確認が取れたところでようやく個人アカウントのパスワードを作成することができる、ということなのだろう。それで母親に説明し、スマートフォンを借りてViberにメッセージをしたためているとふたたび電話が鳴り、兄かなとおもって出ればやはりそうだったので、口頭で番号をおしえ、切ったあとViberのほうにも、番号情報以外にもひとことふたこと添えたメッセージを送っておいた。そうして帰室するとストレッチをちょっとやり、ここまできょうのことを加筆して四時まえ。
  • 「読みかえし」より。200番。

 彼女の行先が分からない場合でも、そのとき感ずる苦悩を鎮めるためならば、オデットの存在と自分が彼女のそばにいるという喜びだけがその苦悩の唯一の特効薬なのであるから(この特効(end239)薬は、長い目で見れば、かえって病状を悪化させるが、一時的には痛みを押さえるものだった)、オデットさえ許してくれれば彼女の留守中もその家に残っていて帰りを待ち、魔法や呪いにかけられたようにほかの時間とまるで異なっていると思われたそれまでの数時間を、彼女の帰宅時間によってもたらされる鎮静のなかに溶けこませてしまえば、それで充分だったろう。けれども彼女はうんと言わなかった。それで彼は自分の家へ戻ることになる。道々彼は、無理にもさまざまな計画を作り上げ、オデットのことは考えまいとした。そればかりか家に帰って着替えながら、心のなかでかなり楽しいことをあれやこれやと考えるのに成功さえした。ベッドにはいり、明りを消すときには、明日は何かすばらしい絵でも見に行こうという希望に心が満ち満ちていた。けれども、いざ眠ろうとして、習慣になっていたので意識さえしなかった心の緊張をゆるめたそのとたん、ぞっとするものが不意に湧き上がり、彼はたちまち嗚咽しはじめた。なぜこうなったのか、その理由さえ知りたいとも思わずに、彼は目を拭うと、笑いながら自分に言うのだった、「あきれ返った話だ、ノイローゼになるなんて」 それから彼は、明日もまたオデットのしたことを知ろうとつとめなければならないし、なんとか彼女に会うためにいろいろ力になる人を動かさねばと思うと、ひどい倦怠感を覚えずにはいられなかった。このように休みない、変化のない、そして結果も得られない行動が必要だということは、あまりに残酷なものだったから、ある日腹にでき物ができているのに気づいた彼は、ことによるとこれは命とりの腫瘍であり、もう自分は何ものにもかかわる必要がなくなるのではないか、この病気が自分を支配し、もてあそび、やが(end240)て息の根をとめてしまうのではないかと考えて、心の底から嬉しくなった。事実このころには、自分でそれと認めたわけではないにしても、よく彼は死にたくなることがあったのだが、それは苦痛の激しさを逃れるというよりも、むしろかわり映えのしない努力をつづけたくなかったからであった。
 (マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 2 第一篇 スワン家の方へⅡ』(集英社、一九九七年)、239~241)

  • 上階へ行ってアイロン掛け。炬燵テーブルの端に台を置いてこちらが衣類を処理している横で、母親はソファに座らずその縁になかばもたれるようにして腰掛けながら携帯かタブレットかを見ており、なんとかいう作家は知っているかと聞いてきたが、まったく知らないなまえだった。ホラー作家らしい。そとは先ほどよりも雲が増えて青さがみだれているものの、南の川向こうや山はまだ温和なあかるみを乗せられまとっており、右に目をふればベランダにつづくガラス戸の上部にのぞいた西空は箔を貼られたようにひかりが染みて、一面純白が固着したようになっている。アイロン掛けは座布団を置いてそのうえに両膝をつくというか、正座まで行かないくらいのすわりかたでやっているのだが、あいまに立ち上がりはするもののながくそのままでいるので膝がけっこう痛くなる。終えると五時まえ。母親はそとに出ていた。さっさと食事の支度をすることに。米をあたらしく磨いでセットし、ナスとピーマンと豚肉を炒めることに。昼に揚げた天麩羅がのこっているので、だいたいそれで良いだろうというはなしだった。ナスを切って水にさらし、ピーマンも細片にして、フライパンにオリーブオイルを引くと先日とおなじようにニンニクと生姜をすりおろし、最弱の火勢でしばらく炙った。それからナスを投入、蓋をして蒸し焼き気味にしながらときおりフライパンを振る。つぎに冷凍の安っぽい豚こま切れ肉をもうのこりがとぼしかったのですべてあけ、同様にしばらく熱したあと、ピーマンを降らせるとともに砂糖・醤油・味醂・酒で味付けをした。強火で汁気を飛ばして完成。
  • 帰室。「読みかえし」ノートを読む。六時にいたったくらいで母親が、兄がまた手伝ってほしいといっていると携帯をもってきた。見るとViberに要請があるのでどうしたらいい? と聞くと、もういちど自動音声電話がかかってくるのでやってほしいと。了承して上階の玄関へ。今度は登録番号みたいなものを入力しなければならない方式で、音声にしたがって兄がおくってきたそれを押し、無事手続きはすんだ。そのまま夕食へ。膳を用意しているとタブレットのほうに着信があって父親が出たので、ものを食べるまえにほんのすこしだけ顔を見せておき、食事へ。会話の音声のために新聞はあまりうまく読めない。台湾南西の防空識別圏に中国機が三八機だったか一日で侵入したという報があって、そんなに? とおもった。一日の数としては最多だという。二〇機と一八機で時間をおいてわかれていたようだが。あとこれは昼間に読んだのだったとおもうが、先のロシアの下院選で与党がいろいろ「奇策」をもちいたという情報があった。モスクワの選挙区のうち三つくらいで、共産党の候補と、プーチン政権がしかけたとおもわれるなんとかの共産主義みたいななまえの新勢力の候補が、同姓だったのだという。ミスを誘い、野党共産党の票を分散させて与党を勝たせようとしたのだろうと。また、プーチンの出身地であるサンクトペテルブルクでは、野党候補に顔がよく似た人間をわざわざ同姓同名に改名させてぶつけたとかで、阿呆みたいなことをやっているがじっさいそれで統一ロシアが勝っているわけである。こうなると共産党が主張していた電子投票の不正も信憑性が出てくるが、なんでもネット上に、選管スタッフが用紙をたくさんまとめて投票箱に入れている映像がながれもしたらしい。電子投票の不正というのは、電子の開票が遅れていたところ、いざ開票されるとそれまで二番手だった与党候補が追い上げてつぎつぎと一位にあがって当選、という事態がたくさんあったことからいわれているらしい。ふつうにやっていておかしくなさそうとはいえじっさいどうなのかわからないが、すくなくともうえのような「奇策」をろうしておきながらも、プーチンは選挙は民主主義に則ってただしくおこなわれたと言っているわけである。
  • あと、習近平が、元司法部門の長だったか、正確なところをわすれたが、警察・司法方面の幹部を摘発しにかかっているというはなしもあった。このひとはもともと習近平の側近で、政敵を排除するのにも功があったらしいのだが、そんな人間まで排除するあたり強権姿勢がますますつよまっていると。たしかこの幹部は江沢民方面にもパイプがあるとかで、彼やほかの大御所の影響力を完全に排除しようという腹なのだろう、みたいなことが書かれてあった。それで単純な疑問なのだけれど、こういう習近平によって追放されたり粛清されたりしたひとが、裏切ってアメリカにわたったり、わたるまでいかなくともアメリカ側の人間と接触して情報をながすみたいなことはないのだろうか? そういうのもやはり監視されていてできないのだろうか?
  • 食後、またすこしタブレットのまえへ。(……)ちゃんはもう四歳で、よく喋るようになっている。まだ一人称は「(……)ちゃんはね」とじぶんのなまえだ。ワンピースを買ってもらったとかで、バラかなにかの花模様が一面にあしらわれたそれを大人っぽく身につけており、髪もながくなって顔の両側にいくらか垂れてながれ、アラレちゃんみたいなかんじで眼鏡をかけている。こちらの顔を見てもあまり目立った反応を見せないので、こいつ俺のことおぼえてんのかな? とおもった。(……)くんも一歳と八か月ほど、顔がだんだんできあがってふてぶてしいようになってきている。(……)さんはロシア語のレッスンに行っているとかで不在だった。たぶん最後の回だろう。
  • たいしたことをはなさなかったが、通話が終わると食器を洗い、ねぐらにかえった。ふたたび「読みかえし」をいくらか。それからベッドにころがっていくらか情報収集。コンピューターをデスクからはなしても音楽をながせるように携帯プレイヤーのたぐいをひとつ買おうかなとおもっていたわけだが、Amazon Musicに登録してあるいま、それをながせればもう事足りるわけで、音楽をながす用のパソコンをもう一台買ったほうがいいかなともおもったのだ。検索してみると、いまはもうウォークマンなどストリーミング再生に対応しており、アプリをダウンロードして各種サブスクリプションサービスをながせるらしいのだけれど、ウォークマンAmazon Music Unlimitedには対応していないというはなしもあってよくわからない。Amazon Music HDというやつはいけるらしいのだが。Unlimitedは音源をダウンロードすることはできず、ブラウザかPC上のアプリでしか聞けない仕様だが、ほかのサービスは違うのだろうか。でも、ダウンロード可にしたらいくらでも複製流通できてしまうではないか。ともあれ携帯プレイヤーよりふつうにパソコンでいいのでは? という気もされ、AmazonのノートPCのページでいちばんうえに出てくる品々をいくつか見たが、PCのスペックの意味など知らないし、こだわりもないのでどれでも良い。ただ、PCを買うならいちおう音楽をながすだけでなく、多少のこともできたほうがあとでなにかに役立つかなという漠然とした目算でいくつか見たのだが、まあべつにどれだって読み書きネットくらいできるだろう。ところでChromebookという語はどこかで聞いたことがあったが、Chrome OSというものがあるのはここではじめて知った。よくわからないがこれが動作がはやいらしく、あたらしいOSに手を出してみるか? ともおもったものの、WindowsとかMac用のアプリでつかえないものもあるらしく、Amazon Musicって行けるのかな、という疑念が湧く。ふつうにブラウザでながせばいいだけなので行けるはずだとおもうが。ただ、Chromebookのヘルプのページを見ても、YouTube Music、SpotifyApple Musicなどほかのサービスのなまえはしるされてあるのに、Amazon Musicという語は見つけられない。
  • まあべつにかならずなきゃいけないわけでもないし……というわけでいったんなにも決めずに見送ったが、やはりAmazonにたよらず電気屋にわざわざでむいて安いやつをひとつフィーリングで決めたほうがじぶん向きかもしれない。書店にも行きたいし。ところでカート内にヴァルザー関連の本を七冊くらい入れてあって、そのうち買おうとおもっていたのだけれど、そのなかの三冊が、もとの出品者からは買えなくなりましたとなっていた。Microgramsの英訳のやつなど。Carl SeeligのWalks With Walserはかならずほしい。これを英訳してくれたのはマジでありがたい。あと飯吉光夫が編訳した本は古いやつとあたらしいやつ(後者はみすず書房の「大人の本棚」だったか、あの一色カバーのシリーズ)とふたつあって、収録されている篇が多少ちがい、「神経の疲れ」の訳などもすこし変わっていたはずだし、古いほうのさいごにはたしかスイスの作家がたぶんSeeligのWalks With Walserをもとにしてヴァルザーについて書いたみたいな文章も収録されていたはずで両方とも持っておきたい。
  • (……)

 (……)

  • 一〇時半ごろ風呂へ。放置していた髭を剃って顔がすっきりした。シャンプーとかを置いておくラックみたいなものがところどころ炭をこすりつけられたみたいに黒く汚れていたので、こすってきれいにしておいた。排水溝付近もいくらか。出てもどり、歯をみがいたあときょうのことをここまでつづれば一時一五分。わるくはない。そこそこやれてはいる。
  • 豆腐やおにぎりを用意してきて腹を満たした。それからデスクについて書抜き。夕食後で下階にいるあいだ、トイレに立ったさいに上階のテレビで音楽がかかっているらしき音が聞こえ、それがたぶんじっさいには違ったとおもうのだがなぜかQueenに聞こえて、『News of the World』をおもいだすところがあり、Amazon MusicQueenを検索してしかし『News of the World』ではなくて『Queen Rock Montreal』をながしたのだけれど、そのさいQueen & Adam Lambert『Live Around The World』という音源を発見してこんなもの出ていたのかと目にとめており、それでいまこれをながした。Adam Lambertというひとはなまえをちょっと聞いたことがあるくらいでなにも知らなかったのだけれど、『アメリカン・アイドル』のオーディションでゲストとして来ていたBrian MayRoger Taylorに見留められてその場でいっしょにやろうと打診されたらしい。聞いてみると非常に若々しいボーカルで、なんというか生意気ざかりの少年みたいな甲高さをどこかにのこしたような声で、歌はやたらうまく、かなり高いところまで出て音域的にはFreddie Mercuryを(彼がたまにアウトロとかでやっているファルセットの超高音を除けば)ふつうにカバーしているし、声をあぶなげなく制御する力でいえば安定性はたぶんMercuryよりもうえで、こいつはステージに立つと華があるだろうな、というかんじ。Wikipediaによれば一〇歳から舞台俳優として活動し、ミュージカルもいろいろやってきたようだが、そういわれると納得感がある。ミュージカル、やってそう。なんというか、そつがない。そしてそのそつのなさがちいさくまとまるのではなくて、おおきくたかめられて花開いているかんじ。"Somebody To Love"で終結部にはいるまえにアカペラで高音まであがったあと「ラーアアァアァゥアーアァァヴ……」と観客にうたわせるおなじみの箇所があるが、あそこで悠々と、たっぷりの張りで最高音を出していちど観客にうたわせたあと、まだまだ足りない、みんながもっとクレイジーになってるのを聞きたいんだ、みたいなことを言ってもういちどおなじことを余裕で反復しているのにはすごいなとおもった("Under Pressure"のシャウトなんかもすごい)。ちなみにそのあと、この"Somebody To Love"の終結部は三拍子をやめて、いくらかテンポをはやめた四拍子のロック調になっており、このアレンジははじめて聞いたがAdam Lambertの若々しさに合っているとおもう。書抜きしながら聞いていただけだが、二曲目の"Now I'm Here"など聞くにRoger Taylorのドラムがおもいのほかにパワフルで、もうけっこうな歳のはずだがまだまだすごいなとおもわれたし(この曲は二〇一四年、日本のサマソニでのパフォーマンスらしく、その時点でRoger Taylorは六五歳くらいだったはずだ)、ほかの曲を聞いてもギター・ベース(はジョン・ディーコンではないが)・ドラムとも全体になんだか乗っていたりキレていたりするようで、活力をかんじる。いかにもAdam Lambertによって若い風が吹きこまれたというようなかんじ。それにしても"Don't Stop Me Now"という曲の、あのメロディのつくりとかながれかたとかはすごいなとあらためておもった。歌詞の無敵感と見事に一致している。Paul RodgersはPaul Rodgersで歌がうまく、安定性や節回しのなめらかさじたいはやはりFreddie Mercuryよりまさっていたとおもうが、とうぜんながらPaul Rodgersに若さはなかった。歳をおいても彼は色気の人間であり、そもそも二〇歳くらいでFreeをやっていた時点でも若さはあまりないというか、たかだか二〇歳の若者があんな音楽をやってけっこう受けていた七〇年代ってなんなの? どういう時代だったの? という疑問は湧く。
  • そのあとだらだら夜ふかしして、五時まえに就寝。寝るまえに合蹠をやったが、やはりこれを習慣にしたほうが良いかもしれない。