2021/10/12, Tue.

 死はおおきい。
 われわれは死のものだ、
 口で笑ってはいても。
 生のただなかにいると思っているとき、
 死はわれわれのただなかで
 泣いているのだ。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、48; 「結びの曲」 Schlußstück; 『形象詩集』 Das Buch der Bilder より)



  • 一一時二五分に離床。きのうの深夜はたぶんとちゅうから雨が降り出していたはずで、そこそこ肌寒かったのでジャージのうえを着たまま布団にはいったのだが、目覚めると汗だくだった。きょうも天気は雨で、だいぶ薄暗い。水場に行くと父親が階段下の室でパソコンをまえにしていたが、洗面所でうがいをしている背後でそのパソコンから中年くらいの女性の語りが湧いていて、早口ではないもののことばをかんがえる間をはさまずになにかについてのじぶんの意見をスムーズに、それでいて押しつけがましくなくやわらかい調子ではなしていたのだが、どうもなんらかのオンライン会議のようなものがひらかれていたらしい。(……)のほうの関係だろうか、主題を聞き取れなかったので不明。用を足してから部屋にもどると瞑想をした。二〇分少々。わりとうまくいった感。
  • 上階へ行き、髪を梳かしたりして食事。煮込みうどん。新聞にはきのうの夕刊にも載っていたが柳家小三治という噺家の訃報。落語というものにもいくらかなり触れてみたい。文化面はその関連と、先ごろノーベル文学賞を受賞したアブドゥルラザク・グルナ(Abdulrazak Gurnah)について。このひとは東アフリカはタンザニアザンジバルという島の生まれで、六〇年代に故郷の革命の混乱をのがれてイギリスにわたっていらいずっとそこで活動し、スワヒリ語母語のようだが英語で書いているらしい。いまWikipediaを見たら日本語の記事があったのだが、脚注部の典拠の閲覧日を見るとどれも一〇月七日か八日なので、ノーベル文学賞の発表を受けて急遽だれかがつくったページなのだろう。邦訳がない作家なのだが参考文献にいちおう邦文のものも四つあげられていて、どうやってしらべてきたのかなとおもう。ここに名がある粟飯原文子というひとが新聞の記事の寄稿者で、今回の賞はあまり知名度のない作家にあたえられたということで日本だけでなく世界的にもおどろかれているのではないかとおもうが、彼の筆力を知っているものにとっては納得の行くもので、いままで見過ごされてきたがここでおおきな評価をえることになった、みたいなことをさいしょに述べていた。作品世界としては東アフリカの風土や環境や状況をベースにやはり植民地主義やヨーロッパとの相克などを取りこんだ複雑な物語をつくっているというはなしで、くわえて、やはりノーベル賞を受賞したナイジェリアのウォレ・ショインカや、ケニアグギ・ワ・ジオンゴなど、先行作家を踏まえつつアフリカを背負って書いているという意識がかんじられる、という説明だった。ショインカはなまえと存在だけは知っていたが、ジオンゴというひとはここではじめて知った。近年は毎年のようにノーベル賞の候補として名があげられているらしい。
  • 柳家小三治についての記事は矢野誠一という「演藝評論家」のもので、故人とは六〇年くらいのつきあいがあって句会同人として毎月顔をあわせてはなすような仲だったというから、このひとの名もはじめて知ったけれどクソベテランというか業界の大御所じゃないかとおもった。古今亭志ん朝立川談志柳家小三治と、年下で仲良くしていたこの三人がもうみんな亡くなってしまってやはりさびしい、みたいなことを言っていた。柳家小三治はオートバイとかオーディオとか趣味がおおかったというが本も読むひとで、大佛次郎を『ドレフュス事件』から(大佛次郎ドレフュス事件について書いているなんてはじめて知ったのだが)、やたらながいらしい『天皇の世紀』というやつまですべて読み通し、さいきんだと永井荷風を読んでいたらしく、荷風的な性分や姿勢に親和的だったのだろう、とのこと。
  • もろもろすませて帰室すると茶を飲んで一服し、その後「読みかえし」。とりあえずただ口をうごかして声に出していればそれでいいと言っていたが、そうは言ってもやはり知識を身につけたいともおもうので、前回読んだ項目をもういちどくりかえし読むかたちですすんでいこうかな、とおもった。つまりきのうだったら224から228まで読んだので、これをきょうもういちど読んでからつぎにすすみ、きょうは229から236まであたらしく読んだので、あした以降この範囲をもういちど読んだらつぎにすすむと。一項目につき二回ずつ読んでいるので、あわせて四回ずつ読みながらすすむことになる。記憶にとどめるとなると、一日で一気に四回読むよりも、一日かそこら間をあけてから読んだほうが効果的だろう。読みながらひさしぶりにダンベルを持ったが、右手にくらべて注射を打った左手のほうがまだかたまっていてほぐれにくいかんじがあった。
  • その後、書見。ポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)。四章の「生成と系譜(ニーチェ)」を終え、五章「文彩のレトリック(ニーチェ)」へ。四章のほうは『悲劇の誕生』について論じたもので、やはり大雑把にはわかるものの、こまかいところの論理接続とか、この文がおおきな論旨の枠組みとどう対応しているのかがわからん、みたいなことが往々にしてある。しかしプルーストの章のようにじっくり読み込もうという気は起こらなかったのでつぎに行った。五章はまだはじまってすぐのところまでしか読んでいないが、いまのところはだいたいわかる。わからないところがあったら、いろいろ言い換えたりしてこねくりまわしてかんがえることも大事なのだが、やはりとりあえず素読的におなじ範囲をくりかえし読みなおすのがいいなとおもった。それでおのずと意味がひらけてしっくりくるのを待つ。
  • 五時まで読んでうえへ。アイロン掛け。雨はたぶんまだつづいていたとおもわれ、そとは濡れてぐずぐずにくずれたような色合いで、室内もおうじてかなり暗かった。ひたすら手をうごかしてシャツなどの衣類を処理。腹が減ったが米がまだ炊けていなかったし、母親がつくってくれているカレーもとちゅうだったので、六時でいったん帰室して、きょうのことを記した。母親はきょうの昼前にスパイス講座みたいなもよおしに行ってきて、S&B食品のなんとかいうスパイス講師みたいな女性が先生だったらしく、要するにエスビーの宣伝と販売の一環でもあるわけだろうが、それでいくらか品を買ってきたようだった。そのなかのひとつであるカレーをつくったもよう。きょうはこのあと八時から(……)と通話することになっている。
  • いま二六時。図書館で借りた詩集の返却期限が今週の金曜日なので、それまでに書抜きをすませなければというわけでとりかかり、BGMをもとめてAmazon Musicにアクセスして、なににしようかなとおもっているうちにScott LaFaroの名が浮かんだのでそれで検索し、いちばんさいしょにあった『1961』という音源をながした。ありがちなことでよくわからんところから出ている編集盤みたいなもののようで、このまま検索してもなんのデータも見つからないのが困るのだが、冒頭が"I Hear A Rhapsody"で、それをたよりにしらべたかんじではDon FriedmanとPete La Rocaといっしょに六一年にセッションしたときの音源のようだ。Don Friedmanってこんなかんじなんだ、とおもった。Bill Evansの系譜といわれていた記憶があるのだが、ぜんぜん似てねえじゃん、と。"I Hear A Rhapsody"ではけっこう速く弾く場面があるのだけれど、そのときのこまかさというかテラテラしたかんじというか、波打ちのつくりかたなんかがEvansとはまったく似ていない。それいがいの部分は多少似ているのかもしれないが。Evansはすくなくとも六一年の段階では、激すること、指を衝動にまかせて部分的に突出するということ(Keith Jarrettはこれを非常によくやる)、逸脱すること、過剰になることが一瞬もない。さいしょからさいごまで完璧に一定のペースをたもっており、呼吸がみだれるということがすこしもない。それがBill Evansの人間離れした特徴である。晩年には六一年あたりとくらべてかなり熱をもつようになった印象だが、しかしそれもペースが全体として熱っぽくなったというだけで、均整と統一と一定の呼吸という点は変わっていないような気がする。
  • LaFaroはとうぜんだがこの音源だとEvansとやっているときとはちがって、やっぱりあれはEvans Trioだからできたことなんだなあとおもわざるをえない。ソロにはいると、あ、これはLaFaroだな、ということばづかいをしているところは散見されるが。
  • 八時から(……)と通話した。九時半くらいまで。だいたいは広島にうつるという話題の周辺。尾道のとなりにあたる(……)というところに越すという。瀬戸内海に面しているので海がすぐ見えるらしく、気候もおだやかで気持ちよさそうなのでたのしみだと。それはいいなあとこちらもおもう。とりたててどこに住みたい、どういうところに住みたいみたいな欲望がないのだけれど、穏和な気候でさわやかで海がちかくて、ときけば気持ちよさそうだなと惹かれるものはかんじる。海もいままでそうなんども見たことがないし。というかたぶん生きていて肉眼で海を目にしたのなんて、五回もいっていないのではないか? (……)は「(……)」に属していて中国人に聖書を講読することをやっており、たぶんそのついでに生活サポートなんかもやっていたのだとおもうが、それをやるグループが事情は知らないが「分解」したといい、その関連で広島に行くことになったのだという。現地で宗教活動以外になんのしごとをやって生計を立てるのかは聞いていない。(……)はそこそこの役割についているのか、スピーチをする機会がけっこうあるらしい。いまはオンラインだが、いぜんは各地の会館で聴衆(すなわち、会衆というやつか)をまえに舞台だか演壇だかに立ってはなしをするという機会が、月一だったかわすれたがそれなりの頻度であったというからたいしたものだ。じぶんだったら絶対にやりたくない。たくさんのひとのまえに立って演説めいたことをするというのはこの生でもっともやりたくないことのひとつである。広島というとやっぱり平和記念公園のイメージがつよいというか、それくらいしか知っているものがないというと、原爆ドーム、と(……)は受けた(しかしこちらのあたまのなかにあったのは原爆ドーム単体ではなく、あくまで「平和記念公園」の文字列であり、原爆ドームのほうはイメージ的にも文字としてもおもいうかべていなかった)。平和記念公園はふつうに行ってみたいし原爆関連の資料も見てみたいとおもうが、(……)はいぜんいちど広島に行ったとき、原爆ドームは見に行こうっていう気が起こらなかったな、と言った。なんか、気が滅入りそうで、とのこと。
  • あとはこちらの文章について。日記を書いているということはまえに言ったので知っているのだが、それは発表していないのかときくので、ブログにあげてはいる、とこたえると、URLをおしえてほしいといわれたのだけれど、(……)はとりたてて本を読む人間ではないし、こんなにながながとしたやつを見せてもしかたあるまいというわけで、いやまああんまり知り合いに見せるようなもんでもないし、などと言ってにごしておいた。そうして、そのうち気が向いたらおしえるよ、と落とす。さいきん読んだ本もきかれたので、このあいだワクチンの一回目を受けにいったときにひさしぶりに図書館に行って、そうしたら詩を読む気になって詩集を借りてきて読んだね、と言い、リルケっていうやつをひとつ読んでそれがいちばんおもしろかったかな、とこたえた。(……)はその場で検索しはじめたようだったので、リルケってのはまあなんかいかにも文学、みたいなやつ、と言をくわえておき、(……)もWikipediaかなにか見てそのような印象をえたようだった。あと、ニール・ホールっていう、このひとはさいきんのひとでぜんぜん有名じゃないとおもうけど、アメリカの黒人のひとで、黒人差別を批判する詩を書いているひとで、これもけっこうおもしろかった、おもしろいっていうかまあ良かったね、とおしえると、(……)は、(……)さんは感受性がゆたかなんだね、といったのでわらってしまった。感受性がゆたかどうこうという観点でじぶんを規定することがここ数年、まったくなかったので、そのことばのつきなみさとあいまって、なんだかおもいがけない形容を受けた、というかんじがあったようだ。(……)は、ああいうのって、ポエムをつくるのって((……)はなぜかこのはなしのあいだ、詩のことを「ポエム」という横文字で言うことがおおかった)、どういう……? どういうかんじなんだろう? みたいな疑問を表明したので、あくまで俺のばあいはという限定つきで説明した。俺はまあ小説もつくりたいといちおうおもってるわけだけど、小説ってわりとながいじゃん、で、小説をやるってなると基本は物語、ストーリーがいるんだよね、で、物語をつくるってなると、そこでうごく人物がいるし、その人物の性格とか、場所とか、環境とか、そういう具体的な設定をいろいろかんがえなきゃいけなくて、俺はそういうのにはあんまり向いてないんだよね、でも詩のほうは、わりと言語だけで完結できるのよ、一行書いて、それに合うもう一行を書いて、っていうふうにできるから、分量もすくなくて済むしね、小説だと具体的なことをいろいろ書かなきゃいけない、と。つまり小説のばあい、物語内容としての表象的な側面がつねにつきまとうもので、詩でもむろんそうした側面はあるものだけれど、小説のばあいはそれを基本的にはわれわれが生きている現実と似たものとして辻褄があうように構築・設計しなければならず、だからたとえばこの人物はこういう人生で、過去にこういう事件があって、こういう思想を持っていて、というような人物造形が必要になるし、場所や空間の歴史や人間関係の経緯などもかんがえなければならない。そんなものはじっさいに書きながらかんがえていき、書きすすめているうちにおのずと見えてくるものでもあるのだろうが、こちらはそういう設定をかんがえるのがどうも得意ではないというか、あまりそういう方向にあたまがはたらかず、だからたぶんそれにたいして興味がないということなのだとおもう。小説を書こうとおもうようなひとのおおくは、むしろそういうふうにじぶんのあたまで想像的に世界を構築することに魅力をかんじるものなのではないかとおもうのだが。じぶんのばあい、そういう、この現実世界を写し取るような、あるいはそれと似たものを言語をとおして映し出すような、すなわちみじかく言ってリアリズム的な表象行為にたいする欲求というのは、この日記でおおかた尽きて満足しているかんじがある。物語やおもしろいはなしをかたりたいという欲望もない。もちろん小説にはもっといろいろな側面がふくまれてもいるだろうが、だから小説を書きたい書きたいといままでずっと言ってきて、いまも書きたいという気持ちはじっさいあるにはあるのだけれど、ほんとうに小説を書きたいのか、どういう小説を書きたいのか、というのはよくわからない。もともと小説を書きたいとおもっていたのも、べつになにか書きたい題材があるとかつたえたいことがある、表現したいテーマや形象化したい時空などをもっている、というわけではなく、たとえば『族長の秋』とか『灯台へ』とかを読んで、こういうすごいやつをじぶんでもつくりたいなあとおもっていただけのことだし。磯崎憲一郎的なやりかただったらこちらでも小説を書けるだろうが、それだったら詩でいいじゃないかとおもってしまうというか、じぶんのばあいは詩のほうがむいているのではないかという気がする。とにかくながく書くのがたいへんだし。でもあれだ、ひとつ、『タンナー兄弟姉妹』をパクったようなやつは書きたい気はする。