2021/10/16, Sat.

 この内部にふさわしい外部は
 どこにあるのか。どんな痛みの上に
 この亜麻布は当てられるのか。
 どんな空が、このなかに
 この開いたばらの(end100)
 この屈託のない花々の
 内海のなかに映っているのか。ごらん、
 ばらはみなほどけかかり、ほどけた
 空間にやすらう、ふるえる手が触れたなら
 花びらがこぼれてしまうと恐れつつ。
 ばらはみずからを支えることが
 できない。多くのばらはいっぱいにあふれ、
 内部空間から昼の空間へ
 あふれ出ていく。昼の空間は
 ますますみなぎりつつ閉じていく。
 ついには夏全体が一つの
 部屋になる、夢のなかの一つの部屋に。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、100~101; 「ばらの内部」 Das Rosen-Innere; 『新詩集』『新詩集別巻』 Neue Gedichte und Der Neuen Gedichte anderer Teil より)



  • 一一時過ぎに起床。一〇時半ごろに覚めて、喉やこめかみを中心にからだを揉んでいた。さいしょは窓が一面白く染まりつくしていたのだが、そのうちにじわじわとその白さの明度があがってきて、まもなく太陽が雲の膜のうすいところにはいったらしくひかりがにじみだすとともに周囲の白さよりも凝縮的なするどい白のつやめきが生じて目を射った。起きると水場に行ってきてから瞑想。二〇分ほど。よろしい。なにか放送のようなものが聞こえるのは、きょう近間の中学校で運動会もしくは体育祭をやっているからだろう。風はなかなか旺盛だが気温はそう低くなく、肌寒さは生まれずさわやか。
  • 上階へ。髪を梳かし、ナスとひき肉の炒めものやオクラのスープで食事。新聞、アフガニスタン南部カンダハルのモスクで自爆テロと。死者三七人。シーア派の金曜礼拝がねらわれる事件がつづいている。八日にも同様の事件があって、そのときはISISが犯行声明を出した。
  • 皿と風呂を洗って帰室。コンピューターやNotionを用意し、ここまでしるせば一二時半過ぎ。
  • その後、きのうのことも書いて投稿。(……)からおくられてきていた結婚式のウェブ招待に出席で返事をして送信。そうするといま二時まえ。
  • 「読みかえし」を音読。二時半ごろ。そこからストレッチを少々。さいきんサボっていた。三時まえで上階へ。きょうも労働(会議)だが、アイロンかけをしておくことに。面倒臭いのですべてはかけず、じぶんのワイシャツ以外のものを優先しておく。それから食事。冷凍の安っぽい肉のこま切れを焼いて米に。炊飯器の米はそれでなくなった。ほか、ソーセージとピーマンの炒めものを少々。持って室に帰り、BBC Future team, "What we know and don't know about Covid-19"(2021/3/1)(https://www.bbc.com/future/article/20210224-the-knowns-and-unknowns-of-covid-19(https://www.bbc.com/future/article/20210224-the-knowns-and-unknowns-of-covid-19))を読みながら食べた。記事をさいごまで読了すると上階に行き、食器を洗ってかたづけるのだが、まずは乾燥機のなかにスペースをつくらなければならない。それでまだすこし濡れている食器類を戸棚などにはこび、また、先ほどつかったフライパンをゆすぎ、水を入れて火にかけておく。そのあいだに食器を洗い、ナスとひき肉の柚子味噌炒めにつかわれたフライパン(泡に漬けておいた)も洗った。そうしてもうひとつのフライパンも熱湯をあけてキッチンペーパーで拭き、綺麗にすると、炊飯器を洗ってあたらしく米を磨ぐ。六時半に炊けるように設定。下階へ。そとで草取りをすこししたらしい母親が、下階の物置きからはいってすぐのところでアシカかなにかのようにごろりと横になって、つかれた、うごけない、と言っていた。ちょっと寝ればいいじゃんと受けて歯ブラシを用意し、部屋にもどると歯を磨きながら去年の日記を読むことにした。一年前の読みかえしもほんとうはすすめてブログを検閲しなければならないのだが、ぜんぜんやる気にならない。この一年前は文をきちんと書きたいという欲求と、しかしそれだと日々のいとなみがコンスタントにすすめられないという事情のあいだで板挟みになり、とりあえず記憶をメモに取っておいてあとあとそれを正式に記す、という折衷案を取っていたようで、しかしそれでもいとなみをうまく維持できず、メモと記述が混在したかたちで放置されてあった。それでブログには投稿されておらず、昨年中にはそういうふうに投稿にいたらなかった日がけっこうある。今回読み直し、いじらずにそのまま不完全なかたちで投稿。この日に2020/7/5, Sun.だから三か月いじょうもまえの日の記事をしあげて投稿したらしいが、そのさいにブログのタイトル(このまえは「雨のよく降るこの星で(仮)」だったはず)を「日記」という端的な一語に変えたらしい。その後、どこかのタイミングで「2014/1/5, Sun. - 」にまた変更したのだ。
  • 文がなかなかさらさらと書けず手が重くなってしまうという神経症的苦境について、(……)さんがいぜん言っていたことをおもいだしながら、だれかへの「報告」のようにして、書いているというよりはしゃべっているようにして書けば行けるのではないかという解決案を見いだしており、それはつまり磯崎憲一郎『肝心の子供』のなかに出てきたビンビサーラのありようだと言って該当箇所を引きながら、「ただひたすらに、自分が見、聞き、感覚し、思考し、行為したことを、誰かに向かってくまなく報告し続ける自動機械としての存在性」というなじみの幻想的イメージに回帰している。
  • その後、ここまでしるして四時半。
  • 瞑想をした。かなりいい感覚ではあったのだが、やや眠気が混ざって一五分ほどで切ることに。停止感というか、なにもしないという非能動性の感覚にかんしてはもうお手の物というくらいに習得してきたつもり。しかしそういうときにこそ、じつはできていないということが往々にしてあるものだが。ともかくもすわって、ある程度のあいだすわりつづけていれば身体と精神のうごきがどうあれもうそれでいい、というこだわりのなさになってきている。きのうの記事に書いた、生きていればだいたいなんでもいい、というのとおなじこと。状態を言語化したときに、「すわっている」という言述のほかに実質的にはなにもない、そのそとがない、というのが瞑想もしくは座禅であり、只管打坐ということではないのか。ある程度の時間すわってじっとしていれば、もうそれで良いわけである。質は問題ではない。
  • そのあとまだ出るまでに間があったので書見。ポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)。きょうは臥位にならず、ベッド縁にすわってゴルフボールを踏み、足裏を揉みながら読んだ。そちらのほうがなんとなくあたまがはっきりはたらくような気がする。それであまりこだわらず、そこそこうまくながれるように読みすすめられた。といって八ページ程度だが。五時二〇分ごろで身支度。竹内まりやの"五線紙"や、北川修幹の"バカばっか"をながして口ずさみながら服を着替えた。
  • 出発。母親が、水道のまわりがちゃんとなってるかな、といいながらこちらのあとにつづいて玄関を出てきた。やっぱりなってなかった、というが、いったいどうなっていればちゃんとなっていることになるのかわからない。母親独自の、蛇口のむきだったりバケツの置き方だったりがあるようなのだが。道へ。家を出た瞬間には沼のように青くけむった南空にやや艶を帯びてあかるんだ半月が浮かびきわだっていたのだが、一分もすすまないうちにまた見あげるともうそのすがたが霧消していて、どのあたりで雲の裏にかくれたのかも見分けられなかった。この時刻になるともはやたそがれを越えて宵にはいった暗さである。(……)さんがまえからゆっくりあるいてきて、あいさつをしようとおもったところがこちらから見て道の右端で(……)さんの家のほうに顔をむけて、あまりはなしかけてほしくなさそうなかんじだったので声をかけずにとおりすぎた。坂に折れると(……)さんがおり、落ち葉の掃除かなにかしていたようだ。行ってらっしゃい、とかけてくるのであいさつをかえし、もうこの時間になるとずいぶん暗いですね、と世間話を投げた。何時ごろまでかと訊くので、きょうだと一一時くらいになっちゃいますね、きょうは遅いほうなんで、とこたえると、そんなに、というような反応が返ったが、でもまあそんなにながくないんで、と笑って受けて、別れ。のぼっていくとこんどは(……)に遭遇した。それでまたちょっと立ち話。テストがきのう終わったところだという。駄目だというが、Timed Readingでは一位だったとか。Timed Readingという単語をいままで聞いたことがなかったが、要するに文章がどれだけはやく読めるかみたいなことだろう。たいしたものだ。マスクをつけたまま坂をのぼってきたのでちょっと息がくるしく、はあはあいっていてややしゃべりづらかったのだが、眼鏡について触れた。あちらから触れてきたのだったか、こちらから話題に出したのだったかわすれたが、これ今週からかけはじめたんだけど、マスクつけてると曇るんだけど、はじめての体験ですよ、どうにかならないの? と、(……)も眼鏡をかけているのできいてみると、曇り止めをつかうしかない、とのことだった。曇り止めって塗るってこと? ときくと、そうだという。そういうものがあるのだ。別れるまえに、まあ元気でやってりゃなんでもいいですよ、と言をおくり、たのしい? とつづけてきけばたのしい、と返るので、たのしけりゃなんでもいいですよとゆるく落として笑いをもらい、じゃあがんばって、と言っておのおのの方向にすすんだ。
  • 電車はこの時間でも意外と混んでいる。きょうは土曜日だから山に行ってきたひとがおおかったのだろう、座席はすべて埋まっており、よく見なかったがにぎやかな会話の声も左右から生まれていた。左からは鈴の音がたびたび聞こえて、たぶんあれは最寄り駅でこちらとともに乗ったひとがリュックサックにつけていたのではないかとおもうのだけれど、熊よけのものではないか。
  • (……)に着き、職場へ。(……)駅を出て職場へ。空はもう黒い。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 「夜明かしの価値も知らないおまえらに用はないのさとっとと眠れ」という一首をつくった。
  • 帰路にたいした印象はない。きのうにくらべると気温の高い感触だった。肌寒さはない。それで水の抜けていたからだがさそわれたようで、文化施設裏の自販機でキリンレモンの缶を買った。その後、有効な授業方法や宿題の出し方などを、わりと個々の生徒にそくしてかんがえながらあるく。白猫はきょうはあらわれず。帰宅すると消毒や手洗いうがいをして自室におり、着替えると横にならずボールを踏みながらきょうの日記をつづった。帰り着いたのが一一時まえだったはずで、ちょうど零時まで書いたので一時間強。退勤のところまですすんだ。しごとがはやい。
  • 食事へ。コンビニの冷凍の手羽中などをおかずに米を食す。味噌汁はワカメとジャガイモのもので、ワカメの質感がトロトロしていた。朝刊の国際面を見た。タイの各地で大雨による洪水被害が起こっているが、政府は無策で手をこまねいていると(ちなみに文中では「手をこまぬく」になっていて、もともとはこちらの言い方をしていたのが音が転じたらしい)。タイは雨期の終わり、一〇月から一一月くらいにかけて毎年水害が起こるらしいのだが、今年のそれは大規模で、たしか全国で一都七六県だかそのくらいあるうちの、四割いじょうだったかそのくらいの範囲で冠水が確認され、被害を受けた世帯は三〇万にのぼるとあったとおもう。二〇一一年にも非常におおきな洪水被害があって、そのときは四〇〇万世帯が被害にあったと書かれていたとおもうが、当時の政府がその大災害を教訓として治水計画をすすめていたところ、二〇一四年に軍のクーデターが起こって中断し、その後の軍部主導の政府もあたらしい計画を立てるだけは立てたもののじっさいの建設などにはとりかからず、そうして放置しているうちに今回の水害をまねいたというわけで、政府になんの備えもなかったことが露呈し、とうぜん批判を浴びていると。プラユット・チャンオーチャー首相は九月に被害現場を視察に行ったのだが、そのときも市民たちから「役立たず」とか「帰れ」とか罵声を浴びせられたと言い、政府がおこなっている支援は避難所に食料をとどけるくらいのことで、肝心の洪水の収拾にかんしては雨期の終わる一一月になって自然と水が引くのを待つしかないという「お粗末ぶり」だといわれていた。ある地域では水位が基本的に一. 五メートルくらいの高さに達しており、場所によっては三メートルにもなると。だから一階が完全に浸水した家も多いようだし、二階まで水が達している家もけっこうあるとおもわれ、住民たちはおのおの板を渡したり、ボートで水のないところまで移動してから出勤したりと難儀な生活を強いられているようだ。そんななかでアユタヤの一画にある工業団地だけは二〇一一年の件を受けて独自に対策を取り、高さ六メートルにもなるコンクリートの堤防をつくっていたので今回も浸水はまったく起こっていないという。この水害で現政権への不信はとうぜんたかまったはずで、そうなると洪水がいちおうおさまったあと、くわえてコロナウイルスの感染も下火になって集会がまたできるようになれば(いまはまだ一日一万人くらいの感染者数があるらしいが)、若い世代による反政府抗議活動が再開され、コロナウイルス対策および洪水被害への対応で批判をまねいた政府への抗議はいぜんよりちからをえるはずである。そこでもし政権が市民を無理やりおさえこんで黙らせようとすれば、ミャンマーみたいなことになる可能性もかんがえられるだろう。そのミャンマーではちなみにアウン・サン・スー・チーをさばく特別法廷がはじまっているのだとおもうが、スー・チー側の弁護人が国軍からメディアへの発言などを禁じられたという報がこの日かきのうの新聞にあった。