2021/10/24, Sun.

 この現世こそ、言葉になる物たちの時であり、地上がその故郷だ。
 語れ、そして打ち明けよ。かつてないほど
 物たちはうつろいゆく、体験しうる物たちは。なぜなら、
 それらの物をおしのけて替ろうとするのは、形のない行為だ。
 殻におおわれた行為だ。その殻は、
 内部から行為がはみ出し、別の境目ができると、
 じきにはじけてしまうのだ。
 二つのハンマーの間に
 われわれの心が立つ、舌が
 歯と歯の間にあるように。けれども
 称賛をする舌は健在なのだ。(end111)
 天使に対してこの世界を称賛せよ、言葉で言い得ない世界をではない。
 天使に対しては、華々しい感情の成果を掲げて競い合うわけにいかない。
 宇宙空間では天使の感じ方は奥が深く、そこではきみは太刀討ちできない。
 だから天使には素朴な物を示すがよい、世代から世代にわたり形づくられ、
 われわれのものとなって生き、いつでも手に取り、視野に入れられる物を。
 天使にはそのような物を言葉で示すがよい。すると天使は目を瞠り、立ちつくすだろう、
 かつてきみがローマの綱作りやナイルのほとりの壺作りのところで見とれたように。
 天使に示すがよい、一つの物がどんなに形よく出来、けがれなく、われわれのものであり得るかを、
 嘆きを発する苦悩さえ、いかに清らかに物のかたちとなることを決意し、
 一つの物となって奉仕し、あるいは死んで物となるのを、
 そしてかなたで清らかにヴァイオリンから流れ出るのを。これら
 限りある命を生きる物たちは、きみが讃えてくれることを分かっている。
 はかない存在である物たちは、最もはかない存在であるわれわれ人間に救いの手を期待している。(end112)
 物たちの願いは、われわれが彼らを、目に見えない心の空間で
 内部へ――おお、限りなく――われわれの内部へ変容させることだ。たとえわれわれがどんなにはかない者であっても。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、111~113; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第九の悲歌」 Die neunte Elegie



  • 「読みかえし」より。282番。

 気づいたとき、他者がすでに呼びかけている。他者による「召喚」がつねに先だつ(138/166)。召喚に応じないとき、つまり応答しない場合でも、私はすでに諾否の選択肢のてまえで [﹅4] 応答してしまっている。呼びかけを叫びとして、叫びを声として聞きとってしまうとき、「ナイーヴで無条件的な《諾》」(《Oui》inconditionné naïf)(194/224)によってあらかじめ応えてしまっているのだ。そもそも、ことば [﹅3] にあって「本質的なもの」は、ほんらい「召喚」であり「呼格」(le vocatif)であろう。すべてのことばは、特定の情報の伝達であったり、一定の言語行為であるまえに [﹅3] 、聴き取られるべく呼びかける。他者が〈語ること〉を聴き取ること自体が、(依頼、懇願であったり、命令であったりする)その内容を拒絶することに先だって [﹅4] しまう、無条件な諾なのである。――そればかりではない。「私はなにもしなかった」。そうもいえよう。だが、無条件の諾ののち、なにもしないことにおいて [﹅12] 、私はすでに「つねに問いただされていた」のだ。無条件な諾とは、「われここに [﹅5] 」(me voici)である(180/211)。私が [﹅2] 応えてしまっており、私が [﹅2] 応答しつづけなければならないという、私の「唯一性」としての「われここに」(227/264)、「代名詞の(end270)《私》(je)が対格にあり」、対格 "me" において「他者にとり憑かれている」ような《われここに》なのである(222/258)。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、270~271; 第Ⅱ部、第三章「主体の綻び/反転する時間」)

  • 一一時半に離床。きょうもひかりのまぶしい好天だったのだが、三時をまわった現在はあかるさがやや減じている。とはいえ空は淡い雲に巻かれながらも青いし、近所の家壁にすこし甘いようになった陽の色も見えるので、単純に日がみじかくなったということかもしれない。水場に行ってきてから瞑想。かなり良かった。いつもどおりしばらく深呼吸をしてから静止にはいったのだが、からだがあたたかくまとまるのが気持ち良く、長めに三五分くらいすわっていた。すわってじっとしていると、肉体の各所、たとえば首の付け根とか頬のあたりとか、いろいろなところの筋がおのずとゆるんでくるのが如実にかんじられるのだが、それは言ってみればからだが徐々に武装解除をしているような感覚だ。窓をすこし開けており、そとの大気はしずかでもう虫の音もはっきりとは聞こえず、弱い風が下草をわずかに撫でる衣擦れめいたひびきや、スズメかなにかの鳥がチュンチュンとかわいらしく鳴いている声だけが耳にとどく。
  • 食事へ。カレーやきのうの残りもの。新聞、国際面。南アフリカで白人の土地を接収することを主張する黒人中心主義の極左勢力、「経済的解放の闘士」(みたいななまえだったとおもう)がいきおいをえていると。一一月一日に統一地方選があるのだが、そこで伸長を見せるかもしれないという。もともと与党のアフリカ民族会議を離脱したひとが二〇一三年だかにつくった党らしい。与党内もシリル・ラマポーザ大統領とズマ前大統領の対立で荒れており、人種対立の拡大もあって政情は不安定、そこを突いて余計に分断を煽ろうという向きのこの党は、やはりいわゆるポピュリズム的な方向性のようで、白人の土地を没収して黒人に分けたり、富裕層の地域に黒人用の家屋を建設することとかをかんがえているようだ。そんななか、白人種のほうには分離独立をかんがえる一派もあると。ネルソン・マンデラが掲げた「虹の国」という多人種共生の理想があやうくなっている、とのことだった。
  • 食器を三人分まとめて洗い、ポットに水を足して沸かし、風呂を洗いに行った。こちらが浴室にはいるとほぼ同時にインターフォンが鳴ったが、これはたぶん(……)さんだったようだ。手ずからつくった里芋かなにかを持ってきたようで、母親が礼を言っていた。風呂を洗うとポットの湯がまだ沸いていなかったので先に室にもどり、Notionを用意したあと茶をつくってきた。一服しながらウェブをながめて、二時くらいから「読みかえし」を音読。280番から290番まで。Oasisの『(What's The Story) Morning Glory?』をBGMにしたのだが、Amazon Musicでながしていたところ、"Champagne Supernova"のあとにも曲がつづいて、アルバムが終わったあと似た曲を自動再生する設定をオンにしてあるので不思議ではないのだが、アコギで弾き語るその曲がなかなか良いもので、これなんだろうと立ってChromebookを見に行くと、なまえはOasisのままで"Talk Tonight"というものだった。それではじめて知ったのだが、このアルバムのデラックスバージョンみたいなやつはシングルのBサイドの曲をあつめたディスクが追加されているらしく、こちらがながしていたのはその音源だったのだ。そんなものがあるのは知らなかった。この"Talk Tonight"は正直かなり良い。じぶんでもこういうシンプルなやつをやりたいとおもう。
  • 三時ごろに読みかえしは切りとして、きのうのことをわずかに書き足して投稿、それからきょうのこともここまで綴って三時半過ぎ。
  • ストレッチをおこなった。ベッド上でやる四種類から立位での開脚などまで念入りに。からだがととのうと四時半まえだったので、もうはやめにアイロン掛けをしようということで上階へ。湯呑みを洗い、急須をハイターに漬けておいた。それからアイロン。母親のエプロンや父親のズボンなど。じぶんのワイシャツも一枚。となりの(……)さんのことをはなしていた母親が、おばさんが死んじゃったあとどうするんだろ、と漏らし、年取ると家なんかないほうがいいね、もっと狭い賃貸のほうが、といつもながらの言をくりかえすので、俺ももうCD処分しようとおもってるわ、と受けた。売りに行くなら(……)の(……)かなとおもっているが、いかんせん数が多いので面倒臭い。ブックオフじゃ駄目なの、と母親が言うのには、ブックオフはクソだから、と返した。ブックオフはぼったくりだから、あれは世にのさばっちゃいけない企業だから、と糞味噌にけなしながらも、じつのところそこまで強硬なこだわりを持っているわけではなく、ときおりふらっと行って本を買ったりもしてしまうが、しかしやはりできればブックオフは避けて、もっとローカルな店に品を提供したい。
  • アイロン掛けを終えると夕食の支度だが、カレーがあるのでそれでもうだいたい良い。母親がもらった里芋をつかっちゃいたいと言うのにはけんちん汁をつくってもらうことにして、あとは餃子を焼いて野菜をてきとうにスライスすれば良かろうと決めた。それで餃子を焼くまえに先ほど漂白しておいた急須を洗っていると、母親が、駐車場のうえにかかってる蜘蛛の巣がとどくかどうか見てみてよと言う。高いところに張っているのを取りたいらしく、アイロン掛けのさいちゅうから言っていたが、それで急須を念入りにゆすいだあと、サンダル履きでそとに出た。竹箒をつかえばふつうにとどくだろとあなどっていたところがたしかにずいぶん高いところにあり、屋根のちかく、玄関上の庇というか小屋根みたいなところと家屋全体の屋根とを左右の支えにして浮かんでいる。小屋根部分の縁につながった糸の端を切ることくらいはできそうだったので、首をおもいきりうしろにかたむけて頭上だけを視界におさめるかたちで体勢を固定したまま竹箒をめいっぱい突き出し、前後左右不安定にうごかしてすこし糸をかたづけた。小屋根の縁には何本もくっついていたし、取り除いていても箒の先にまつわる糸のさまに粘りがかんじられたので、なかなか年季のはいっていそうな立派な巣であった。これいじょう上、すなわち巣の本陣にはとどかないし、このくらいでいいだろうと屋内にもどりかけたところが、母親が(……)さんの家がなくなって以来空き地となっているとなりの敷地に立っていた旗の竿(いまや旗自体はながいあいだ風にさらされたためビリビリに破れ、残骸となって竿のまわりにひっかかったり地に落ちたりしている)に着目し、これならとどくんじゃないと勝手に引き抜きはじめた。とにかく問題を解決したいというときの人間のあたまというものはなかなかの創意を見せるものだ。こちらは面倒臭かったし、そこまでがんばらなくて良いだろうとおもっていたし、そもそもくだんの蜘蛛は屋根のあたりで暮らしているだけでなんの害もなしていないので、あいつなにも悪いことしてないじゃんと言って反対したのだが、けっきょく母親の言を容れて、竿を受け取ってそれを頭上に突き出し、蜘蛛の巣をからめとるようにして破壊した。ちいさくまわした棒の先にひっかかった糸が宙をおよぐすがたは、綿飴のようだった。それから林のほうに行ってふきとろうということで移動し、こちらが水平に落とした竿の先を、母親がそこに植わっているサツマイモのおおきな葉っぱでふきとり、からまった糸(と、もしかしたら蜘蛛じしんもそこにいたかもしれない)を始末した。これが人間種のおごりである。その存在が気に入らないと言って勝手にあちらが住んでいるところまで出向き、その棲みかを一方的に破壊してなきものにしたのだ。たとえば入植地のイスラエル人がパレスチナのひとびとにおこなってきたことはこれに近い。とはいえこのばあいのあいては人間ではなく、所詮はちいさな畜生のたぐいにすぎない。だが、あいては家のそとでただ生きていただけなので、特段の問題もなく生命として平和裏に共存できたはずなのだ。まあたかが蜘蛛なのでどうでも良いといえば良いが、室内にもどって大根やニンジンをスライスしながら、『トリストラム・シャンディ』の叔父(だったとおもうのだが)の精神をみならわなければとおもいだし、久方ぶりのその想起によって、ポール・ド・マンを読み終えたら『トリストラム・シャンディ』を読もうかなとおもった。この小説は岩波文庫全三巻をずいぶんまえから持っており、むかし一巻の終わりくらいまで読みながら中断した記憶がある。
  • 竿をもとあったところにもどしておいて屋内にはいると手を洗い、AJINOMOTOの餃子を焼き(フライパンにならべて加熱していればマジで勝手にいいかんじに焼けるので調理者はほぼなにもすることがない)、そのあいまとそのあとに野菜を桶にスライスして、けんちん汁は母親にまかせて帰室した。そうしてここまで記述すると六時を越えている。
  • いま一一時ぴったり。Bill Evans Trio『Portrait In Jazz』を聞いた。さいしょから、八曲目の"Spring Is Here"まで。きのうのようにねむることなく音楽を聞きたかったので、枕のうえに尻を乗せて上体を立てる瞑想時の姿勢で聞いた。やはりめちゃくちゃすごい。何年もまえからずっとおなじことをなんども書いているが、Bill Evansの演奏でじぶんがもっとも驚嘆するのがそのペースの一定さや、あらかじめそう弾くことがさだめられていたとしかおもえないような均整のつよさである。今回は二曲目の"Autumn Leaves (take 1)"のとちゅうからそれを如実にかんじた。例のピアノとドラムがおりおりからんでくるベースソロだが、そこでのEvansのベースへの添い方は、フレーズの入りや終わりのタイミングにしてもそのあいだをつなぐ音のながれかたにしても、Evansだけはそのように弾くよう楽譜にしたため指示されていたかのような、端正きわまりない配置ぶりである。最大限に呼吸の合ったインタープレイとしばしば称される第一期のBill Evans Trioだが、Evansの打ち出している音を聞くかぎりでは、彼があいての呼吸を汲み取りそれに応じているという印象はまるでおぼえない。おそらく演じているときのじっさいの意識としてはそういう関与がとうぜんあったはずだが、そこにあらわれている音のみから受ける印象としては、Bill Evansは他者からの影響に侵入されることなく、三人でいながらも、あたかもつねにひとりで弾いているかのようだ。Scott LaFaroはそうではない。彼のフレーズやタイミング、またニュアンスのつけかたからは、Evansの音を待ち、それを聞き受けて反応しているなという気配がときにかんじとれる。Bill Evansにはそのような、演奏主体の意向がにじみでるような瞬間がまず存在しない。誤解をまねかずに説明するのがむずかしいところだが、ニュアンスということばをつかうならば、Bill Evansの音には操作的な意味でのニュアンスが付与されていない。それは彼の演奏が非常に平板であったり、ダイナミズムの変化に欠けていたりするということではなくて、いついかなるときにも過剰な瞬間、演者の個人性(というのはいわゆる個性のことではない)があらわに露呈されるような突出の瞬間がないということだ。あらゆる瞬間的な過剰さの欠如と、人間離れしているとおもえるほどの揺るぎなき統一性こそが、ひるがえって演奏全体としての過剰さを、まごうことなき特異性を生んでいる。それはどの曲でもそうであり、"Autumn Leaves (take 1)"で絡み合い的なアンサンブルが終わったあとのピアノのソロもまたそうである。つぎつぎと空間を埋めつらなっていく八分音符たちはリズムとしても非常に正確だし、一音一音の粒立ちもつねにきわめてあきらかで、ソロはさいしょからさいごまでほとんど単調とすらいえるかのような明晰さに支配されている。そこに存在しているとかんじられるのは、演者ではなく、ただ音のみである。みずからをあやつり統御する主体をうしなった音楽が、起源をもたずただそれだけで自律する機械仕掛けの天使のようなダンスをおどっている。Bill Evansには音を奏でる者としての衒いがない。意図や情念のようなもの、思想であれメッセージであれ陰影であれ表情であれ音楽にこめたり装わせたりしたいなにか、あるいはどういうふうに弾くかといった目論見や、共演者にせよ観客にせよ聞く者への視線など、最大限にひろい意味での私性が完全に欠如しているということが、Bill Evansを聞いたときにかんじる驚愕のもとであり、その異様さである。それはマラルメ的な非人称性の理想を音楽の領域で実現していると言うべきなのではないか。彼が演奏するとき、彼は音であり、そこにいるのは彼ではなくて音である。
  • 『Portrait In Jazz』は一九五九年の一二月二八日に録音された音源だが、Bill Evansの振る舞い方は、一九六一年の高名なライブでのそれとなにもちがいがないように聞こえる。クオリティの高さという意味であれ、演奏の仕方という意味であれ、スタジオとライブで質にまったく差がないというのも、やはりおどろくべきことだろう。ほかのふたりはといえば、六一年のVillage Vanguardと『Portrait In Jazz』とではけっこうなちがいを見せている。Paul Motianはそのあたり見極めるのがなかなかむずかしい、つかみどころのない演奏者なので微妙だが、それでもスタジオ盤ではいくらかは猫をかぶっているようにおもえるし、LaFaroのほうは比較的オーソドックスなフォービートが中心でライブよりもあきらかにおとなしい。リズム隊のふたりがライブにくらべてサポートに寄っていることで、それまでのピアノトリオのありかたからは離れつつもここではまだEvansが主役だという印象がおおきいのだが、それがゆえにむしろ演奏全体としてはつよく凝縮しているともかんじられる。より拡散的なMotianと、大胆と奔放の権化のようなLaFaroがあらわれ、融通無碍というほかない流体的な交錯を実現するには、六一年の六月を待たねばならなかった。LaFaroの死によってこのトリオが終わっていなければ、ベースとドラムはおそらくそのあとより拡散の度をつよめ、フリーにいたるすれすれのところまで差し迫っていたかもしれない。そして、これは妄想にすぎないが、そのなかでEvansだけは、神聖な頑迷さとでもいうような一貫性でもって、孤高の形式的統一をまもっていたのではないか。そこでは演奏を多方向へ切りひらこうとするふたりの趨勢と、それに飲みこまれまいと安定をたもつEvansのあいだでのっぴきならない緊張の渡り合いが演じられたはずであり、Evansがついにフリーへの誘惑に屈することがあったとしたら、その瞬間が同時にこのトリオの終幕でもあっただろう。主観的な断定をおかすならば、Bill Evansはフリースタイルに行ける人間ではなかったとおもうのだ。彼がもしフリーへの境目を踏み越えるとしたら、それはそれいぜんとはまったくちがったすがたへの完璧な変身、すなわち新生としてしかありえなかったようにおもう。実際上も、『Portrait In Jazz』の五九年から死の直前、八〇年六月のVillage Vanguardで演じられた『Turn Out The Stars』まで、Bill Evansの演奏は本質的なところでは変化しなかったのではないか(きちんと聞いてみないとわからないが)。Evansはフリーへと行ける人間ではなかった。もしそうだとして、そのことは彼の弱みではまったくなく、それこそがBill Evansの最大のつよみだったのではないかとおもう。枠組みを破壊してそこから立ち去ることなく、その都度すこしずれた極北において絶えず行き詰まりつづけることを選んだのが、Bill Evansの偉大さだった。
  • Eric Dolphyは『Last Date』の最終トラック、"Miss Ann"の演奏が終わったあと、最後の数秒で、"When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again."とかたっている。あらゆる音楽は、あらゆる時間的な物事と同様に、この仮借なき一回性を生きることを宿命づけられている。音楽とはほんらい、生のすべての瞬間とおなじく、一回かぎりのもの、一回しかないものである。あらゆる音楽家は例外なくこの事実を体感において理解しており、自覚的にであれ無自覚的にであれ、その瞬間にもっとも受け容れられる音を、瞬間からもっとも歓待される音を全身で追いもとめ、つかみ、生み出そうとしているだろう。ほかのどんな音楽にもまして、さだめられたその闘争を誠実に引き受け、ギリギリのところでそれをたたかっているとかんじさせてくれるのが、Bill Evansの演奏である。あらかじめ仕組まれていたわけでもなくそのときその場で生まれたはずの音が、これしかない、これしかなかった、と魔法のようにひとを撃ち抜くあの均整の相において、闘争が生きられたことをなまなましく物語っているようにかんじられるのだ。白銀色に透きとおった静謐さと入り混じって見分けのつかなくなった、うつくしくするどい苛烈さがそこにある。