アネモネの牧場の朝を少しずつ
開いていく花の筋肉。
やがては花の胎内に、音高く鳴る空の
多声の光が注がれる。静かな星形の花の中で、
限りない受容のために張りつめている筋肉、
それはときおりあまりの充溢に圧倒され、
日暮れが知らせる安息への合図を受けても、大きく反り返った花びらを
元に戻すことができないほどだ。
おまえ、なんと多くの世界の決意であり、力であるものよ!(end129)われわれ、力ずくで生きる人間は、長く生きはするだろう。
けれども、いつ、全人生のどこにおいて
われわれはついに自分をひろげ、受け容れる者となれるのか。(神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、129~130; 『オルフォイスによせるソネット』 Die Sonette an Orpheus より; ヴェーラ・アウカマ・クノープのための墓碑として書かれる; 第二部、五)
- きのうにつづき、九時のアラームで覚醒。やはりそれいぜん、八時になるまえ、七時四〇分ごろにいちど覚め、目を閉じると一瞬で八時二〇分まで移動し、そのつぎかさらにそのつぎで九時が来た。例によってしばらく臥位のまま喉を揉んだり脚をほぐしたりして、九時半に離床。きょうもまたかがやかしいひかりの晴天。部屋を出ていくと母親がおり、布団を干すという。洗面所でうがいをくりかえし用も足してもどると、ベランダにあらわれた母親に布団を渡して手伝い、枕はのこしておいて瞑想。脚の置き方がまずかったか、右足の先がしびれてきてしまい、それであまり長くできなかった。一〇時五分か一〇分くらいまで。
- ゴミ箱や急須など持って上階へ。もろもろ始末し、髪を梳かして食事。きのうの天麩羅ののこりや大根の味噌汁。米は朝に炊いたばかりのもの。新聞にさほど興味深い記事もなかったが、ロシアでコロナウイルスの感染が再拡大して過去最大のペースになっているという報を読んだ。一日四万人いじょうの新規感染が起こっており、さらに多くのひとは重症化しないとPCR検査を受けないので、実態はもっとひどいだろうと。市民の多くはマスクをつけたりワクチンを接種したりという対策を取らず、接種率はまだ三割程度だとか。地下鉄なんかでもふつうにマスクなしで顔を露出したひとびとがごったがえしているようだったが、そのなかのひとり、二〇歳の大学生に言わせれば、感染しない可能性もあるのになぜわざわざマスクをつけなければならないのか、ということで、どんな理屈やねんとおもった。感染しない可能性も、ということはとうぜん感染する可能性もあると認識しているわけだから。感染する可能性もしない可能性もあるけれど、俺はしないほうに賭けるしマスクなどいらんわ、ということなのだろうか。ただの博打じゃないか。そういう対策の不徹底にはロシア人に特有の人生観もかかわっているのではないかと言われており、なんでもロシアの民は、じぶんに降りかかってくるのは幸運なことで、悪いことについてはかんがえなくて良い、みたいな人生観を持っているというのだけれど、そんなことははじめて聞いたし、胡散臭いはなしだ。ドストエフスキーを生んだ国の言い分とはおもえない。しかし博徒的な性分、ということなのだとしたら、プーシキンなんかでも賭博ゲームはやられていたし、チェーホフでも子どもらがカードであそびまくるみたいなやつはあった気がするし、ロシアの古典で賭けはよく描かれているような気はしないでもない。政府は政権への抗議活動は徹底的に弾圧しているものの、コロナウイルス対策ではあまり強硬策に出ておらず、月末から九日間くらいの休業期間をもうけて一部店舗以外の営業を禁止したというが、ひとびとはふつうに出歩いているし、また旅行の予約も殺到しているようで、ただの長期休暇になりそうだとのこと。
- 食器をかたづける。洗うまえに、乾燥機のなかから乾いた皿を出して棚に入れておき、そうしてじぶんがつかったものを洗っておくと、風呂洗いも。出ると帰室してコンピューターを用意。きょうのことをさっそくここまで記述した。いまは一一時二四分。きょうはきのうよりさらにはやく、一時半には出なければならない。
- いま夜の一一時一七分。夕食後に茶を飲みながら(……)さんのブログを読んでいる。二〇日の記事に「常徳桃花源空港」という固有名詞が出てきて、桃花源ってすげえなまえだな、桃の花の(出づる?)みなもとって、もろ中国だなとおもい、そこの地名なのだろうか、すげえ土地だなと検索したところ、陶淵明『桃花源記』という作品名が出てきて、そうか、桃源郷のはなしってこういう題だったか、とおもいだした。中学校だかの漢文で読んだ記憶がある。内容はなにもおぼえていないが。コトバンクに載っている日本大百科全書の説明によると、「中国、東晋(とうしん)の陶潜(とうせん)の著した物語。陶潜の編になるという『捜神後記(そうじんこうき)』に収められている。東晋の太元(たいげん)年間に、武陵(ぶりょう)の漁師が桃の花の林に踏み迷い、洞穴(ほらあな)を抜けて不思議な村里へ出る。村人たちは、先祖が秦(しん)の始皇帝の圧政を逃れてここへきてより、外の世界と隔絶して平和に暮らしているのであった。漁師はしるしをつけながら帰り、太守に注進する。太守は漁師に案内させて探索させたが、しるしは消えていて、ついに尋ね当てることができなかった、という筋(すじ)である。これに似た話はほかにもあり、当時このような説話(仙郷淹留(えんりゅう)説話という)がはやっていたのだろう。なお、この物語より、理想郷を称して「桃源郷(境)」とする語が生まれた」とのこと。たしかにこういうかたちの異界譚は世界中のいたるところにあるだろう。「太守は漁師に案内させて探索させたが、しるしは消えていて、ついに尋ね当てることができなかった」という部分を読んだときにこちらがおもいだしたのはしかし、なぜか『ONE PIECE』のジャヤ(すなわち空島の過去)のはなしで、モンブラン・ノーランドがノックアップ・ストリーム(だったか?)によって空にぶちあげられたジャヤに再訪できず、王をたばかった嘘つきとして処刑されるあのエピソードだが、あれも筋としてはこのかたちの範疇に属しているはず。異界へたどりつくにあたっては、説話的に一種の境界というか、そこを越えてこちらからあちらへと移行するなんらかの通過点(ときには試練など)が要求されることが大半だろうが(そうでなければ異界が異界たることがむずかしくなる)、『桃花源記』における通過領域は「洞穴」であり、ノーランドのはなしでは大嵐がそれに対応していると見なせるだろう。そのなかでノーランドにしか聞こえなかった黄金都市ジャヤの鐘の音が、一行を異界へといざなうみちびきの糸となる。
- 出るまでのあいだは「読みかえし」ノートをすこしだけ読むとともに、ポール・ド・マンを読みつつ脚をほぐしたはず。そうするともう一時を越えてしまい、時間がとぼしくなったなかなにかしらを腹に入れるために上階へ。買い物に行ってきた母親がスーパーのハンバーガーを買ってきたというのでそれをひとつだけいただく。また、もう時間がないと言っていると送っていこうかと申し出てくれたので、そのことばにありがたくあまえることに。そうすれば二〇分くらいは余裕が生まれる。それでハンバーガーを食べ、歯磨きをし、スーツに着替えて、余裕をもってそとへ。一時四五分ほどだった。玄関を出ると風に乗せられたなにかの植物の綿毛らしきものがとなりの敷地の縁にただよってきて、母親が出てくるのを待つあいだ、家屋もなにもなくただひかりだけが宿っているその空き地にはいって陽を浴びていることにした。(……)さんの宅が消え去ったここは、売りに出している不動産屋の広告旗も四隅にあるそのすべてビリビリにやぶれて文字が見えないどころかもはやほとんど掛かっていないくらいだからまったく体をなさなくなっており、足もとは黒いシートが敷かれたなかに草がいくらか生えている。きょうは風がよく踊って、林がたびたび大ぶりの鳴りを吐いていたし、晴天から降って身のまわりをつつみ肌に寄りつくあたたかさがあつまっては中和的に散らされた。母親が出てきて車をはこんでくると後部に乗り、職場へと届けてもらう。
- この日もいろいろあったが勤務中のことをこまごまと記すのは正直面倒臭い。なるべく軽く行きたいとおもってはいるが書いているといつのまにか詳しくなっていることはままある。(……)
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- (……)八時半まえくらいに退勤した。駅に入り、自販機で細長いかたちのポテトチップスとチョコチップクッキーを買い、電車内では瞑目して心身を回復させる。帰路に特段の印象深さはない。帰宅後は休んでから食事。サバなど。そのあと茶を飲みながら買ってきた菓子を食い、入浴。もどると日記を書きたかったのだが、とりかかるまえに音楽を聞きながら英気を養おうとおもって、『Portrait In Jazz』をながしたヘッドフォンをつけてベッドに乗り、臥位になるのではなくてヘッドボードと壁を背にしながらわりと起き上がった姿勢で休んでいたのだけれど、それにもかかわらずいつの間にか意識を取り落としていた。やはりそれなりに疲れていたようだ。いちど起きて自動再生されていたKeith Jarrett Trioを止め、そこから寝転がってウェブを見ていたのだが、またしても意識があいまいに融解しておぼつかなくなり、気づくと四時一七分になっていたのでしかたなく明かりを落としてそのまま眠った。