2021/11/25, Thu.

 パースが西欧の哲学的伝統から受け継いで発展させている記号についての考え方に、記号を、それが指す事物との関係に基づいて定義する、記号代替説があります。記号とは何かの代わりをしているものだという考え方です。たとえば、「木」という言葉を考えてみますと、「木」という記号は、実物の木の代わりをしているわけですから、そのときに記号「木」は、実物の木の代替物であり、記号とは対象の代わりであると考えることができます。こうした記号観は記号についての西洋の伝統的な定義のひとつでもあるわけです。
 それを発展させて、パースは次のように提示しました。

 「記号(sign)あるいは表意体(representamen)とは、ある人にとって、ある観点もしくはある能力において何かの代わりをするものである。記号はだれかに話しかける、つまりその人の心の中に、等値な記号、あるいはさらに発展した記号を作り出す。」(「記号の理論についての断章」一八九七年 [註10: C・S・パース(一九八六):『パース著作集2 記号学』、勁草書房、二頁] )

ここに述べられているのは、ひとつには、記号が指している対象の代わりになるという記号代替説です。しかし、それだけではありません。記号に基づいて人間が推論を連ねていくことによって、さらに人間は自分の心の中に様々な記号を作り出しているという考えが述べられている。この「人の心の中に等価な記号、さらに発展した記号を作り出」しているというところが、パースのオリジナルの視点なのです。ひとつの記号を受け取って、そこで理解が成立するというのではなくて、記号はさらに別の記号と結びつくことによって様々に解釈されていく、そのように次々と記号を繰り出し、意味を作り出している活動こそが解釈である。このように記号処理の連続的プロセスとしての生命の意味活動を捉えようとするのです。
 (石田英敬現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年)、65~66)



  • 一一時一三分の離床。このあたりのことはあまりおぼえていない。瞑想はたしかしたとおもう。食事にはハムエッグを焼き、あと母親がシチューをつくってくれていたのでそれをいただいた。したの元(……)さんの宅にあたらしい入居者が引っ越してきているようだと母親は知らせてきた。たしかに、寝床にいるあいだに、オーライ、オーライという(おそらくは女性だったとおもうが)トラックかなにかを誘導する声が聞こえていて、ふだんそんな声はこの付近では耳にしないので、なんだろうとおもっていたのだ。じゃああいさつするようじゃん、というと、たぶん遭遇したのは父親だったのだとおもうが、あとで来ると言っていたらしい、とのこと。その父親はこちらが居間にあがったのとほぼ同時くらいにでかけていったが、入院していた祖母がきょう退院するのだという。祖母も正直もうあまりながくはないだろうし、死ぬまえに一回くらいは顔をあわせておきたい気はする。たぶん、むこうはこちらのことをもうおぼえていないか、顔におぼえはあるとしてもなまえやだれだという認識は出てこないとおもうのだが。
  • 二時から美容室を予約してあった。起きて瞑想したなら階を上がったころにはもう正午に達していただろう。食事やもろもろを終えて帰室すると一二時四〇分かそこらだったはず。そこから二時までの時間は「ことば」ノートの石原吉郎の文を読んだり、ベッドでだらだらしつつ脚をマッサージしたりした。工藤顕太「「いま」と出会い直すための精神分析講義」をどんどん連続で読んでいったはずで、このときだけではなかっただろうが、この日で第六回から第一一回まで読んだ。一時四〇分くらいになると身支度へ。GLOBAL WORKのカラフルなシャツにブルーグレーのズボン、モスグリーンのモッズコートというかわりばえのしないかっこうで、そろそろあたらしい服がほしい。冬に着るものとしてふさわしいようなシャツがないし、腹まわりも痩せたため、ベルトなしで履けるズボンが青灰色のそれしかないのだ。もうひとつ、褐色ひとつでまとまった無地の、やや毛のような質感をふくんだズボンもあるのだけれど、それがいぜんはちょうどよかったのがゆるくなってしまい、履いているとたびたびもちあげなければならないのが面倒臭い。そして茶色のほそいベルトを持っていたはずが、なぜかどこにもみあたらないのだ。なにかの機会に父親に貸したりしてそのままなのだろうか?
  • 出発。カエデの赤はきょうも空にくっきり映え、そのとなりではなんの種かわからないが柑橘類の木が実をふとらせていくつもぶらさげており、それはしかしまだあかるい黄色にはたどりつかず、青さのおおい未熟児だった。林のなかをまっすぐくぐっていくほそい坂道へ。足もとには落ち葉がたくさん散らかっており歩をすすめるごとにくしゃくしゃという音が立つけれど、とはいえまだほんとうに埋め尽くされたというかんじではなくじゅうぶんにすきまがあって、靴がそこにはいって擦過音を生まない一歩もある。うえの通りがちかくなると道の形態が変わって幅のおおきめな段が両側に配されたかたちとなるが、そのまんなかをとおる苔むした坂のうえには灰色の、ほんとうに白っぽい炭のような色をしたおおきな葉っぱがいくらか落ちていた。おもてに出ると坂をのぼってきて苦しかったのでマスクをずらして呼吸をととのえ、道をわたって店へ。先客に高年の婦人がひとり。あいさつをしてモッズコートを吊るしてもらい(財布をポケットに入れたままだったが、とられる心配はなにもない)、洗髪台へ。美容室でのあおむけになっての洗髪はそこそこ苦手な時間である。いまよりもパニック障害の残滓がもっと色濃かったむかしはふつうに緊張したし、あと脚のマッサージとかストレッチとかをきちんとやるようになるいぜんは首が硬かったので、やや苦しかった。いまではもはや緊張や不安はかんじないものの、今回は洗われているあいだに喉のほうで分泌される唾とかが飲みこみにくくてすこしわずらわされた。髪を洗うと鏡のまえで椅子につき、一二月一八日に友人の結婚式に出るので今回はそんなに刈りすぎず、とあたまのうえのほうは多少のこしてもらうことにした。周りはバリカンをつかって削ってもらう。それで会話をしながらあたまを処理される。話題としてひとつおぼえているのは秋篠宮眞子内親王(いまでは小室眞子と呼ぶべきなのだろうが)の件で、もうひとりの客だった婦人がパーマをかけて待っているかなにかのあいだに(……)さんにそのはなしを振っており(たぶん週刊誌を見ていたのではないか)、それを拾ってこちらの髪を切っていた(……)さん(ずっとなまえに自信がなかったのだが、今回確定した)も俎上に載せたのだった。まあみんな小室圭氏にも結婚にも批判的なようすで、まず話題をもちだした婦人は小室氏について、なんか軽いでしょ、軽いかんじがして、皇族と結婚するのにあれじゃあ、みたいなことを言っており(なにかの会見のときだろうか、髪をしばってきたでしょ、あれにはおどろいた、あれでいいの? っておもった、とも言っていた)、(……)さんはそれにおうじて、軽いのはいいけど、嘘をつくのはねえ、と苦言を呈していた。じぶんはこの件にとくだんの関心がないし情報も持っていないので、小室圭がなにについて嘘をついたと言われているのかわからない。そういうはなしを受けて(……)さんもいろいろ言うわけだが、なかでひとつ、金銭問題が取りざたされている小室氏の母親について、あのひとは常習犯なんだって、むかしからそうで、だからたたかれてもぜんぜん気にしないって、息子をとにかくああいういいところに行かせたいって、それでいろいろやってきたみたい、というような言があった。(……)さんはさらにそれに類する例として、イギリスのチャールズ皇太子のむすこさんいたでしょ、その奥さん、なんていったっけ、と挙げたので、なんですっけ、メーガンでしたっけ? 女優かなんかだったひとですよねと受けると、あの女性の家庭も親が娘を上流階級の仲間入りをさせたくて必死で、ヘンリー王子の好みをいろいろ調べあげて、それに合った服を着せたりとか、目にとまらせよう気に入らせようと画策していたらしい、という情報がかたられた。そういったゴシップ的なうわさの情報源というのは、おそらく週刊誌か、店に来る客との会話がメインだろう。元内親王の結婚にかんしてはふつうに興味がないし言いたいこともとくになかったので、でもあの小室さんのほうもよく皇族と結婚しようとおもいましたよねえ、めちゃくちゃたいへんでしょ、という最大限にあたりさわりのないことしか口から出てこなかった。じっさい、ほんとうにそれくらいの感想しかない。
  • もうひとつには(……)さんがさいきん負傷したというか、腕をひっぱられてすじをやったというはなしがあり、それは客の老婆が立つときに手を貸してくれというので支えようとさしだしたところ、いきなりぐいっとひっぱられて怪我をしたのだという。それで腕があがらないようなありさまになり、また朝起きるときなども上半身がかたまって容易にうごかせず、難儀する時期がいくらかつづいたと。腕がうごかないのではしごとにならないので、店もしばらく閉めなければならなかった。それでさいしょのうちは気持ちがわりと沈んでいたのだが、根っこのところで気がつよいほうだからだんだんと怒りがまさってきて、あんのクソババア、ぜったいゆるさん、と寝床で憤慨していたというが(老婆のほうはたいしたことも言わずにさっさと帰ってしまったらしい)、それもおちついてくると、まあじぶんももう若くないのだから、だいぶの歳なのだからという自省に転じ、また友だちにその件をはなしてみても、あなたねえ、そもそも還暦をこえてまだやってるのがねえ、ふつうだったらもう引退してる歳なんだから、とむしろたしなめられるような調子だったという。世話になっている整体の先生にも、(……)さん(とここでほんにんの口からじぶんの名字が漏れたので、ようやくなまえが確定されたのだったが、(……)という名はたしかこうじゃなかったかとこちらがおぼつかなげにおもっていた名と一致していたので、いちおう記憶は合っていたのだ)、そのおばあさんはあなたになにかを教えにきたんですよ、といわれたというので、坊さんみたいなことをいいますねと笑うと、そう、ちょっとほかのひとと見方がちがう先生なのよ、坊さんみたいな、とかえるので、整体なんかやってるとやっぱり東洋のあれですかね、中国の仙人みたいな、とてきとうなことを言った。
  • あと、いまここでは整髪料って売ってないですかとたずねると、お客さんの注文を受けるということはしているが、ふだんから店で売っているわけではないという返答があった。なにかいいものがあれば切りたてでみじかいうちは多少セットするかとおもっていたのだが(いちおう家にもARIMINOのやつがひとつあるにはあるが)、それではしかたがない。しかし、この日さいごに髪につけてくれたやつがもうのこりすくないからと無料でくれるというので、遠慮しながらもありがたくいただいた。これはたぶんほんとうは女性もので、ミルクタイプというのか白い液体の整髪料である。(……)さんによればさいきんはハードなやつできちんと固めるというひとはあまりいない印象だとのこと。だいたいみんな、しっとりと濡れたようなかんじでながすくらいのスタイルにしていると。
  • こちらが髪をやってもらっているあいだにもうひとりの客だった婦人は終わって帰っていったのだが、帰りぎわに入り口脇のレジのところで(……)さんとつぎの予約をしていたようで、年内にもういちど来るかどうかみたいなことを言っているときに、こちらの脇で髪を切っていた(……)さんは、ささやき声で、やらなくていいとおもうんだけどな、こなくていいとおもうんだけど、と漏らしていた。どうも、けっこう注文がおおくてたいへんな客のようだった。しかしあのくらいの声のかんじだと、婦人にもあるいは聞こえているのではないかという気がしたのだけれど、むしろそれを意図していたのか、あるいは婦人の耳の能力を熟知していたのか。じぶんの調髪が終わったのは三時すぎだった。レジで会計し、整髪ミルクとカレンダーを入れたちいさな紙袋を受け取ると、よいお年を、とふたりにいわれたので、まだ一一月なのにと笑いながら礼をかえし、あいさつして退出。街道にはまだ太陽のひかりが西からまっすぐふりそそいでおり、視界がまぶしく染められた。とおりをわたって来た道、林のなかの坂をくだっていき、家のほうにあるいていきながら見上げると、だんだんと高みにむけて引きつつあるあかるみが林のうえのほうにはまだかかっており、竹は葉の緑をおだやかにしつつ淡緑の幹を薄白さと化していた。
  • 帰宅して室にかえるといったんジャージにもどってだらだらした。いつもどおりベッドにころがって脚をほぐしていたわけだが、たぶん工藤顕太「「いま」と出会い直すための精神分析講義」を読んでいたはず。(……)でのイベントは七時から、電車をしらべると五時半くらいのものがちょうどよかったが、どうせ(……)に行くならひさしぶりに(……)にも寄ろうかなという気持ちも起こっていた。一時間くらい見てまわるとして、それなら四時台の電車に乗るのがよいが、その時間を日記などにつかったほうがよいのではないかという迷いもあった。本を買ったところですぐには読めないといういつもながらの事情もある。しかしけっきょくは欲望にしたがおうと結論し、四時台の電車で行くことに決めて、そこにまにあうように身支度。出るまえにおにぎりをひとつつくって食ったはず。
  • かっこうはさきほど美容室に着ていったものとまったくおなじである。リュックサックを負って出発。最寄りまでの道のことはもうわすれた。電車に乗って移動し、乗り換えがすぐだったので山帰りのひとびととともにすぐ手近の口に乗り、揺らされながら前方へ。二号車のとちゅうについて、さいしょのうちは瞑目にやすんだはず。(……)あたりで本を読みはじめたのではなかったか。いずれにせよ電車内においてたいした印象はのこっていない。(……)につくと降車。すわっていたためにかたまったからだを背伸びでほぐし、リュックサックを背負って改札へ。エスカレーターをあがっていき、出るまえにトイレに寄った。そうして改札を出るとSUICAの残額がややこころもとなかったので券売機に寄ってチャージし、北口方面へ。毎年のことで駅前はロータリーのなかにイルミネーションがほどこされており、試験管のなかをつたい落ちる液体めいて緩慢に下降するひかりが気に入りだと去年かおととしの日記に書きつけた記憶がある。一年前か二年前は青いひかりでそれがおこなわれていた記憶があるのだけれど、この日見たのは白いもので、それも数はすくなくほとんどひとつふたつしかなかった気がする。ロータリーまわりに何本も立っているイチョウの木にもやや無造作な調子で白い光の線がかけられて、こずえをいくつかにわけるようになっている。駅前には高いビルがいくつかそびえており(とりわけ上部にあらわした大文字を赤くひからせた白木屋のビルがめだつ)、それをくっきりくぎりながらつつみこんでいる空は黒々と濃密で、意外なほどに高い。通りをわたって(……)へ。店外の棚をまず見たが、ほしいほどのものはなし。フォークナーにかんする英語の研究書がいくつもあった。入店し、レジのほうに寄ると(……)さんがいたので、こんにちはと声をかけてあいさつ。お元気でしたか、お変わりないですかとかたがいに交わして、無事をことほぐ(などというとおおげさすぎるが)。それから店内を見分。だいたいいつもそうだとおもうが哲学の区画から見はじめて棚をたどっていく。入り口から見ていちばん右の通路を奥にすすみ、左をむくと、棚の端はドゥルーズとかレヴィナスとかそのあたりのいわゆる現代思想があつまっている。そこから左に、つまり入り口のほうに推移していくと、哲学のほかに海外の文学研究、歴史(たとえばフィリップ・アリエスとか(この日はなかったとおもうが)ジャック・ル・ゴフとかそういったものや、アナール学派方面の著作)、日本の文芸批評のたぐい、むかしの日本人の作家の文学的エッセイのたぐい(渡辺一夫とか粟津則雄とか杉本秀太郎とか)、幻想怪奇方面(中井英夫全集かなにかがあったはず)などがある。この一連のならびの時点でまず、前回来たときにも目にして気になっていたものだが、石川学『ジョルジュ・バタイユ 行動の論理と文学』に目をつけており、これは買うかとおもっていた。そのとなりにはバタイユ著作集のうちの『聖なる神』というやつもあって(なかをのぞくと「マダム・エドワルダ」がはいっていた)、安かったのでこれも買っておこうと決めていた。もうひとつ、中山元が書いたハンナ・アーレントの評伝らしきけっこうおおきな本があり、世界にたいする愛、みたいな副題がついていてわりと気になったのだけれど、これは今回見送った。また、アドルノの著作で『不協和音』というのがあって、「管理社会における音楽」という副題を見るかぎり、これはたぶんジャズを批判しているやつだなとおもって、一〇〇〇円くらいでやすかったのでこれも買っておくかとこころにとめておいた。そして、棚のいちばん左側(入り口にちかい側)、幻想怪奇系の本のいちばんしたには日本の古典文学関連がすこしそろえられていて、そこに古典文学全集の『方丈記』の巻と『土佐日記』および『貫之集』の巻があったので、これらも買っておくかとおもっていた(じつのところ『土佐日記』の巻はいぜん買ったような気がしないでもなかったのだが(あるいはこのおなじ場所で見てそのときは見送ったのだったか、記憶に判定がつかなかった)、五〇〇円くらいで安いしべつにかぶったならそれでいいやとこだわらなかった)。それからふりむくと、壁際のそこはレジにちかいほうから美術・写真、演劇・映画、音楽、建築という芸術分野のならびになっており、美術のところで、こまかいことはわすれたが水声社のおもしろそうな本があったり、ジャコメッティの『エクリ』があったり、あとみすず書房のなにかもあったような気がするが、それらはすべて見送った。それから通路をひとつ内側にうつるとそこは入り口から見て右側が海外文学や詩、左側が短歌俳句や日本文学という構成で、いろいろ興味をひかれるものはあるけれど、この日はこれからイベントにでむくわけで、そうするとあまり大荷物になってもたいへんだからとあらかじめ冊数を制限するこころがはたらいていたので、あまりとりあげず。また、そろそろ時間がせまってきているという事情もあった。詩歌のたぐいももっと読みたいところではあるが。詩の棚でおぼえているものとしては田中冬二全集みたいなものが三巻くらいあったはずで、田中冬二という詩人についてはこまかいことをまったく知らないのだけれど、このあいだ偶然職場で読んだ文章のなかに出てきたひとで、そこに載っていた詩はセンチメンタルだがみずみずしくてよさそうなものだったので(街に時計(わりとおおきめの振り子時計のはず)を修理しにいってもらった少年が、修理の終わったその時計を背に負いながら星空のもと雪の道をあるいて帰ってくるみたいな内容で、「ぼむ ぼむ ぼうむ」とかいう独特のおもしろい擬音がつかわれていたのだが、それはたぶん少年のこころもしくは記憶のなかで鳴っている時計の音ということだったのだろうか? あまりきちんと読まなかったのでわからないが、あと、夜空に浮かぶ星のかがやきを「あられ酒」にたとえていた)、あのひとじゃんと目にとめた。海外文学の区画だとアポリネール全集なんかも気になるのだがおおきくて重そうなのできょうは捨て置き、そのそばにあったランボーのほうに注目した。粟津則雄訳の『ランボオ全詩』というやつで、じつのところランボー河出文庫の鈴木創士訳も持っているし、金子光晴とあとだれかふたりが共同で手掛けたランボー全集みたいなものも持っているのだけれど、ランボーはすごいらしいからいろんな訳を持っておいてもわるいことはないだろうとこれを買うことにした。ところで『ランボオ全詩』のとなりにはおなじく粟津則雄訳の、『ランボオ全作品』だったかわすれたけれど、なにかちょっとだけ文言がちがうおなじような本があって、これどういう区分なの? とおもったのだが、目次を見るかぎりでは内容も同一のようだったので、たぶん版のちがいだろう、古いやつを出しなおしたのだろうと判断し、それで出版年がよりあたらしかった『ランボオ全詩』のほうをえらんだのだった。その他、文庫の棚や、店内左側奥の東洋文庫があるあたりや(この区画にキリスト教神学がひとつのカテゴリとしてあつまっていてカール・バルトとかボンヘッファーとかの関連があったが、これはいぜんはなかったあたらしい区分だとおもう)、政治方面の本や時評的なものなどもちょっとだけ見たが、いますぐ買うほどのものはないし、そろそろ時間もないというわけで会計へ。買ったものの一覧は以下。

・石川学『ジョルジュ・バタイユ 行動の論理と文学』(東京大学出版会、二〇一八年)
木村正中 [まさのり] 校注『新潮日本古典集成 土佐日記 貫之集』(新潮社、一九八八年)
・三木紀人 [すみと] 校注『新潮日本古典集成 方丈記 発心集』(新潮社、一九七六年)
・Th. W. アドルノ/三光長治・高辻知義訳『不協和音 管理社会における音楽』(音楽之友社、一九七一年)
生田耕作訳『ジョルジュ・バタイユ著作集 第五巻 聖なる神 ―三部作―』(二見書房、一九九六年)
・粟津則雄訳『ランボオ全詩』(思潮社、一九八八年・改訳版)

  • 七七〇〇円だった。一万円を出す。レジ台のうえにはこれから整理や掃除や値付けなどして棚に出すのだろう本たちが積まれているが、そこにバタイユ著作集が数巻あったので、それも見たかった。しかしまたの機会に。紙袋を受け取って礼を言い、退出。駅のほうにもどっていく。すこし行ったところで袋を地面に置き、持つものをすこし軽くしようと三冊リュックサックにうつした。そうしてふたたびあるいて駅へ。そこそこの疲労感や、からだが熱をもっているかんじがあったはず。駅舎にはいるとそのままコンコースをとおって反対側に抜けていき、エスカレーターを下りて通りへ。(……)をしばらくまっすぐ行って「(……)」という店があるビルの五階だということだった。それで周囲の店々をながめながらまっすぐすすんでいく。なかなかそれらしいビルが見えてこないなとおもいながらすすみ、だんだん駅からはなれてひかりのすくない雰囲気になってきて、道のさきに夜空の黒がめだつようになってきたので、五階建てのビルとかあるのか? とおもっていると、くだんの看板が発見されたのでここだなとなかにはいった。なぜかすこし緊張していた。エスカレーターをつかわず、階段を五階までのぼっていくと、狭い階段通路のとちゅう、室のまえ(エスカーレーターを降りて目のまえでもある)にスタッフの男性がいたのでこんにちはとあいさつし、なまえをもとめられたので息をととのえながら、(……)と申しますと名乗った。男性は手にもった予約客の名簿からこちらのなまえを確認して消し、代金は一五〇〇円だというので二〇〇〇円で支払った。そうしてアルコールで手を消毒してからなかへ。(……)というなまえは過去にもどこかで目にしながらはじめてきたわけだけれど、そうおおきくはなく愛想のないような室で、はいってすぐ目のまえにはスツール的な足高の椅子がいくつかならんでおり、そこから右手にふつうの椅子の席が二列あった。さらに右方にむかって奥の壁際は講演者のスペースである。好きな席にということだったので、前列の右側三席のうち左端についた。左脇が通り道としてすこしひらいている場所である。本のはいった紙袋を右隣の椅子とのすきまに置き、リュックサックを足もとにおろした。二列の椅子席はたぶん前列が五席か六席、後列はそれとおなじかすこしだけ多かったのではないか。(……)
  • 七時の開演まではまだ一〇分ほどあったが、とくになにをするでもなく椅子に座ったままあたりをながめながら待った。室内はさしてひろくなく、殺風景で仄暗いようなスペースで、壁は全面真っ白に塗られており(といっても純白というほどきれいな白ではなさそうだった)、床は薄灰色めいたくすんだ色調のうえになにかものをこすったあととか靴が行き交ったあとと見える淡くて乱雑な線や痕跡が無数にえがかれている。天井は黒っぽい鼠色というかそんなような色合いで、あれはなんなのかわからないのだが頭上ではあちこちに、突起が整然とならんだ板状のものがとりつけられており、見たところではゴムっぽいような素材におもわれたのだが真実は知らない(防音用の、音を吸収するようなものなのか?)。突起がたとえば六個×六個でならんで正方形をつくっているようなもので、もっとおおきなサイズもあったが、すべて縦横の突起がおなじ数の正方形だったとおもう。ライトは講演者のテーブルを越えた最奥に四つ(正面の壁の最上部の中央には一見すると意図的にあけたのではなくあやまって破壊したようなちいさな穴があった)、頭上付近ではひとつの列には六個だったか八つくらい、それよりうしろにはまた四つの一列があった。テーブルは特徴もない、白くて横にややながいもので、三人それぞれのためにスタンドをつかって外側からマイクが配され、顔がくるだろう付近にむけて伸ばしてあった。テーブル上には今回のトークに関連する書籍がいくらか。右手の壁のとちゅうにはごくちいさなスペースが奥にひらいており、それは申し訳程度の水場らしく、水道らしきものとその下に雑多に詰めこまれた器具類や、湯沸かしのパネルらしきものが暗がりにのぞいていた。そのとなり、客席から見ると奥にはトイレ。さらにその奥、正面壁のいちばん右にはとびらがもうひとつあって、その奥はたぶん楽屋的なスペースになっているのだろうが、いまはあかりがついておらず暗いためにどちらかというと非常階段につづくような雰囲気がかもしだされており、わずかにのぞいている範囲に柵のようなものが見えていたのもその印象をつよめたのだろう(一段たかくなったような場があるようで、そこに柵らしきものがもうけられているように見えた)。そのうちに三人あらわれてそろい、テーブルについて、佐々木敦がスタッフに合図をしてそれまでかかっていた音楽(抑制的な女性ボーカルの洒落たものだった)がフェードアウトしていき、照明がしぼられて開始。客席から見て左から佐々木敦、古谷利裕、山本浩貴という席順。(……)山本浩貴は雰囲気としてはいちばんスマートというか、語り口もおちついており、また席についたりあるいたりするときの物腰もわりとゆっくりしたかんじで、知性的な若者という印象だったが、このイベントは佐々木敦が彼にやろうともちかけたものらしく、そのときにいちおう司会進行をまかされたということだった。それを意識してかはじめのうちは彼がふたりにむかってはなしを振り、発言を配分するような役目をすこしになっていたし、佐々木敦がはなしたことを要約してくりかえし、整理してみせるような場面もあったのだけれど、時間がすすむうちにそのあたりはあいまいになって、山本浩貴もじぶんのかんがえを積極的に披瀝するようになり、全体として観客にむけた説明とか配慮とかはほぼなくして、つまり観客のほうをむいてしゃべっているというよりは、三人がたがいのほうをむいていろいろ語っているのを横から客が見るというかんじの趣向になった。山本浩貴は基本的にですます調のていねいなことばづかいで語っていたのだが、ときおり、「~~なんですけど」ではなく、語りのとちゅうで「~~だが」「~~なのだが」というかたい逆接をはさむことがあり、その後の発言の切れ目もしくは文末ではかならずですますに回帰して対話あいてを志向するのだけれど、この「~~だが」の時点では反省的にじぶんのかんがえを言語化するほうによりフォーカスしているというむきがつよく、格式張ったようなその逆接がなかなかおもしろく耳に立って印象的だった。全体をとおしてたぶん五回から七回くらいは登場したとおもう。あとはじぶんがこれから言うこともしくはいましがた言ったことにたいして、~~ですけど、という留保や付記的なことわりを足すことも何度かあり(たとえば、そう断言するのは慎重にならないといけないですが、みたいなこと)、これはメタ認知の能力(自己相対的反省性)をそなえた知的に慎重な人間に典型的なふるまいというかんじ。
  • トークは七時ごろからはじまってたぶん八時半くらいでいちどみじかい休憩がはさまれ、さらに一時間半つづいて一〇時ごろで終了となった。前半は佐々木敦『半睡』についてのもろもろにほぼ終始し、後半は古谷利裕および山本浩貴の作品についてや、より一般的な話題が展開された。はじめに山本と古谷の『半睡』についての感想や、それを受けた佐々木敦の自作説明あるいはネタばらしのようなはなしがなされたが、おもいだせる順につづっていくと、まず古谷が、「偽日記」には書かなかったけれどと前置いて、インターネットがあることを前提にしてる小説だなとおもった、と言い、それにおうじて佐々木がそのあたりをいろいろと説明していた。「偽日記」で読んだ記述やこのトークのあいだにはなされたことによれば、『半睡』は二〇一二年の三月一日からはじまって、二回断絶をはさんで四年ずつ飛びながら二〇二〇年三月一一日までのことを語った手記という体裁をとっているらしく、登場人物としては語り手もしくは手記の書き手である「私」と、その「私」と恋愛関係にあったらしいふたりの女性「N」と「M」、それに「私」の友人か知人で作中作『フォー・スリープレス・ナイト』の作者でもあるらしい「Y・Y」という人間がメインのようだ。「偽日記」によればNとMというふたりの女性は村上春樹ノルウェイの森』の「緑」と「直子」という人物に対応しているらしく、佐々木敦いわくそれは読めばだれでもわかるようになっているらしく、この小説は『ノルウェイの森』の主人公が生まれ変わったもの、いわば「転生もの」なのだと言った(そうだったのか、という笑いが起こっていた)。主人公の「私」が一九七五年生まれと設定されているのもそこから来ているらしい(じぶんは『ノルウェイの森』を読んだことがないのでよくわからなかったのだが、これは要するに『ノルウェイの森』の主人公が三七歳だから、二〇一二年時点で「私」を彼とおなじ年齢にしたかったということのようだ)。佐々木敦が語っていたネタばらしのたぐいをさきに書いておくと、大枠としては夏目漱石の『夢十夜』を逆転させた趣向になっており、『夢十夜』のほうはたしか「こんな夢を見た」からはじまって、第一夜はもう死にますという女が出てきて、浜辺で砂を掘ったり一〇〇年待てますか? みたいなやりとりがあったり天からしずくが落ちてきたりしていた記憶があるけれど、『半睡』のほうはさいごでもう死ぬみたいなかんじになっているらしい。佐々木敦じしんのアイディアは二〇一二年の二月末に吉増剛造と対談した日があって、その夜になぜかねむれなくなり、かんがえるともなしに小説のアイディアがあたまにおもいうかんできて、そのときに『夢十夜』を逆転させたらどうかという着想をえたという(だからY・Yは、モデルというようなひとはいないが、その「Y」はひとつには「吉増」のYでもあると言っていた)。『半睡』というタイトルにせよ、『夢十夜』の参照にせよ、また『フォー・スリープレス・ナイト』という作中作の題にせよ、眠りにまつわるテーマがこの作品のなかには横溢しているようなのだが(佐々木じしんも言及していたが、『フォー・スリープレス・ナイト』というのは岩波文庫にもはいっているヒルティの『眠られぬ夜のために』を取ったものである)、そもそも書き出しからして、『失われた時を求めて』の冒頭をもじった文章になっているらしく、そういうかんじでいろいろな作品から一部引用したりパスティーシュ的にちょっと変えて書いたりした部分がかなり多いようだ(ついでにここに書いてしまうが、『失われた時を求めて』の冒頭では語り手が本を読んでいるうちにねむってしまっていつの間にか蠟燭が消えて部屋が暗くなっていることに気づかない、というような記述があるのだけれど、『半睡』ではそれが部屋の電灯に変えられており、ということはこの「私」には彼がねむってしまったときに電灯を消してくれる存在があるということなのだ、と佐々木敦は説明した。それはつまり「私」がNやMだけでなくいろいろな女性と関係をもっているという可能性をにおわせた要素であって、したがって佐々木のことばでいうならばこの「私」はかなり「ヤリチン」なのだと。古谷利裕は「偽日記」上で作品内の時系列を整理して、NおよびMとの交際期間がかぶっていたのかどうなのかいまいちはっきりしない、NだかMが、わたしはあなたがほかの女と会っていることも知っているんですよみたいなことをいうけれど、そのほかの女がもうひとりのことを指しているのかどうかあいまいであると述べていたが、佐々木敦としてはそれはNおよびMとの交際期間がかさなっているということではなく、ほかにもたくさんの女性とあそんでいる男として暗示的に造形していたのだということで、この「私」はなやましいようすで誠実ぶったり、じぶんがおかしたらしいなんらかのおおきな裏切りを後悔するようすを見せるのだけれど、そういう放埒な性的関係のことはなにひとつ書いていないわけで、だからじぶんにとって都合のわるいことがらを隠しているのだということになるが、そのへんについてはまたあとに記すことになるだろう)。作中に書かれているできごとも(二〇〇〇年代の文化的風景とか演劇界隈のこととかがしるされているらしいのだが)、じっさいのできごとや歴史的情報をもとにしたものがおおいようで、それがようするに古谷が言っていたインターネットがあることを前提としているということの意味である。つまり、作中でかたられたり言及されたりしているできごとや固有名詞をちょっと検索すればその詳細がわかるようになっているということで、インターネットがなければいちぶの教養あるひとにしかわからない衒学的な作品になってしまったかもしれないのだが、グーグルのちからでそれは回避されている。なにしろ佐々木じしんもネットを活用してじっさいのこまかな時系列などしらべながら書いたといい、そうしているなかで鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』も出てきたのだという。『半睡』のなかではこの作品がテーマもしくはモチーフ的に全体につうじるような重要な役割を果たしているらしいのだけれど、これはもともと「私」とNだかMだかのどちらかを再会させたいとなったときに、その動機がおもいつかなかった、それでいろいろしらべているうちに『ツィゴイネルワイゼン』が二〇〇一年に再上映されていたという事実に行き当たり、これを契機とすることに決め、そこからひろがっていったのだと。そういうかんじで、元ネタにする事実情報などをしらべているうちに、芋づる式にというか、引っ張られるようにして内容がふくらんでいってできたということだった。元ネタにかんしては雑誌掲載時には作品のあとにかなりこまかい一覧をしるして典拠を明示していたのだが、それは「美しい顔」事件というものがあったことがひとつには影響したと。詳細は知らないがこちらも「美しい顔」という作品のなまえくらいは目にしたもので、ようするに小説作品の制作にあたって参照した典拠をしめさなかったことで剽窃のそしりを受けたということだとおもうのだけれど、それがあって雑誌側としてもナーバスになっていたというか、批判されないようにきちんとやっておこうという事情があったらしい。ただ、今回書肆侃侃房から単行本を出すにあたっては編集者とのはなしあいでそこまでしなくてもいいのではないかということになり、かなり簡略化したということだった。
  • まずもって大枠としてはそんなかんじだったとおもうが、もうひとつ古谷利裕が述べた感想としては、「偽日記」にも書かれてあったことだけれど、この小説の話者はなにかを隠している、なにか言えないことや言いたくないことがあって、それにふれずにすませているのだけれど、その隠す身振りがかえってなにかをばらすことにつながったり、反対になにかをバラすことでべつのことを隠したりしていて、隠すことで明かし、明かすことで隠すという循環的なうごきが形成されていると。古谷利裕は『文學界』の「新人小説月評」でこの作品をとりあげたとき、フロイトの夢解釈のラカンによる再解釈を援用してそのあたりの欠如のリアリティみたいなものについて書いたのだけれど、その夢のエピソードとはつぎのようなものである(ちなみにこのはなしは、ちょうどこの日(の帰宅後だったとおもう)に読んだ工藤顕太「「いま」と出会い直すための精神分析講義: 11 目覚めるとはどういうことか――現実の再定義としての夢解釈」(2020/2/12)(https://www.akishobo.com/akichi/kudo/v11(https://www.akishobo.com/akichi/kudo/v11))でもとりあげられていた)。フロイトの患者の男性に息子を亡くした父親がいたのだが、献身的な看病をつづけたすえに子どもが亡くなったあと、その遺体が棺に入れられ安置された部屋のとなりでねむっていた。すると夢のなかに息子が登場し、腕をつかみながらとがめるような調子で、お父さん、ぼくが焼かれているのがわからないの? というようなことを言う。そこで父親ははっと目覚めて、隣室を見ると、たおれた蠟燭の火が棺に燃え移って遺体は焼かれかかっていた。工藤顕太の説明によれば、このエピソードにたいするフロイトの解釈は『夢解釈』の全体をつらぬく「「夢は欲望充足である」というテーゼ」にもとづいたもので、父親が「二度と会えなくなってしまった子どもと会うために、彼を夢のなかに呼び戻し」、その欲望を満たすため、火事が起こっている差し迫った状況下にもかかわらず(フロイトにいわせれば)「眠りを一瞬引き延ばした」のだというものである。それにたいしてラカンは、「続行された夢は本質的に、こう言ってよければ、欠けた現実へのオマージュなのではないだろうか?」と述べており、その「欠けた現実」とは、(工藤顕太によれば)目覚めたあとの世界としての「外的現実」にはあらわれない「父親の内的現実、つまり彼の欲望を決定している現実界である」。「息子の喪失に根ざした父親の欲望、いつ生じていたのかさえわからない息子とのすれ違いをなんとか埋め合わせたいという実現不可能な(それゆえに尽きることのない)欲望」が、夢として形象化されてあらわれたのだという。「偽日記」に引かれた古谷利裕の説明によって言いかえれば、「父には息子との関係において意識から排除された(記憶に回帰することのない)レベルの(死因にもかかわる)後悔があり、その関係の不調(現実)が「責める口調」として夢に入り込み父はその現実から逃れるために目覚めた」ということになる。そういう欠如たる現実としてのリアリティみたいなものを古谷はかんじたらしいのだけれど、ところでこの単行本の帯には、小説を書くというのは人工的に無意識をつくりだすことなのだとおもう、という千葉雅也の評言がしるされているらしく、それはなかなかおもしろい発想だなとおもった。山本浩貴もそれを受けて、小説で無意識をつくるとか、小説の無意識っていったいどういうものなんだろう? ということをじぶんもずっとかんがえていると言っていたが、この文脈で『半睡』の内容について語られたことにもどってもうすこし記しておくと、手記の書き手である主人公=話者の「私」は、二人称「あなた」をときおりもちいて、あいてに語りかけるような姿勢を見せているらしい。ただしその「あなた」とは未来のじぶんのことであって、この手記を読むものがもしだれかいるとしたらそれは未来のじぶんじしんしかありえない、そのじぶんにむけていま書いている、みたいなことを話者は明言するらしいのだけれど、それはたんなることわりというか、(佐々木敦のことばによれば)「言い訳」にすぎず、この「私」がなぜ手記を書いているのか、だれにむけて書いているのかということは、根本的には不明で、まったくの謎なのだと。小説を書き出す、なにかを語りだす(もしくは人物に語りださせる)といったときにはどうしてもなんらかの動機設定とかきっかけみたいなものが(ある種のエクスキューズとして)必要となるもので(ちなみにここで、それこそ「新本格」だったら、たとえば廃墟から一冊のノートが発見されて……みたいな外枠の設定がなされるだろうけれど、という冗談が口にされたのだが、それはこれよりもまえに古谷利裕がこの小説の内容を指して、かなり青春的というか、「シンホンカク」みたい、中年の「シンホンカク」、という感想を漏らしていたからで、「シンホンカク」という語がなにを指しているのかじぶんにはわからなかったのだけれど、あとでメフィスト賞とか舞城王太郎とかのなまえが出てきたので、あのへんのミステリーっぽいやつを「新本格」というのだなと判別された。『半睡』は上述したように「あなた」を志向したり、また言ってみれば「読者への挑戦」みたいな文言もふくまれているらしく、その点読み手を巻きこんでいく作用(「インタラクティヴィティ(interactivity)」という語がもちいられていた)が濃厚で、山本浩貴のかんがえではここにいる三人はみんななんらかのかたちで小説にインタラクティヴィティをくみこんで読者に(おそらく理想的には身体的な側面から)影響や効果をあたえようとつとめている書き手だということだったが、佐々木敦にかんしていえばそれは彼のミステリー好きがおおいに反映されているらしかった)、だからしかたなくそういう「言い訳」をつくったのだけれど、ただこの作品ではその「言い訳」が終盤にいたって破綻してしまうようになっているらしい。というのも、終わりちかくなって、それまで未来のじぶんだとして呼びかけられてきた「あなた」が変質して、語りがとつぜんこの作品を現に読んでいる読者のほうを志向するからだといい、またおそらくほぼ同時的に、「あなた」なんていうあいてはほんとうは存在しないのだという認識が表明されるかららしく、山本浩貴は、そこでそれまでの前提が一気にくずれて、底が抜けたようになると述べていた。だからこの小説にあらわれている手記の書き手がいったいなにを語ろうとし、また語れずにいるのか、語りを語ろうとする理由や動機はなんなのか、それが根本のところではまるであきらかではないと。明示的には、「私」は(MやNとの関係において?)なんらかのひじょうにおおきな裏切り的行為を犯したらしいと読み取られ、それを後悔し懺悔するような調子で文をつづっているようなのだが、しかしその裏切りの詳細はやはりすこしもあきらかではない(ちなみに後悔という語にかんして言えば、佐々木敦Twitterに、この小説のテーマは「後悔とエゴイズム」ですと投稿したらしいのだけれど、それはエゴイズム的な行為を後悔し懺悔するということではなくて、後悔することのうちに本質的にエゴイズムがふくまれるという意味なのだといい、また、じぶんが村上春樹を読むときにかんじるのがそれなのだとも付言していた)。それでいながらさいごには「私」はもうこれから死ぬみたいなことを言って手記を終えるらしく、だからあからさまに「遺書」としてひびくような書き方になっているようなのだが、山本浩貴はそのあたり、読んでいてかなりきつかったと言っていた。語り手が本質的には重要なことをなにも語っていないという点や、物語の根本的なところが不透明だということにかんしては、Y・Yの存在もそうで、Y・Yというのは「私」の友人だか知人だかの大学教授かなにかしている人物らしく、作中には彼が書いたという小説(『フォー・スリープレス・ナイト』)も引用されているようだが、彼がほんとうに存在しているのかもじつのところうたがわしいのだと。佐々木敦じしん、Y・Yなんて人間はどこにもいないじゃないですか、この小説で語られてるエピソードのなかで、Y・Yなんていちども出てきませんよね? これがY・Yだっていう人物、そうだと推測できる人物すらいない、とはなしており、だからY・Yは「私」がつくりだした仮構的な人物だという可能性すらあるということだろう。じっさい、Y・Yが作中で具体的にどのように語られているのかは知らないが、「私」はじぶんにとって都合のわるいこと、じぶんに不利になるようなことをY・Yにすべて押しつけている、それでいて誠実に罪を悔い、後悔しているようにふるまっているのだという、自作の人物にたいする佐々木の評価もあった。しかしそういうある種の演技のはざまに、「私」がかくそうとした(語ろうとしなかった)ことがおもいがけず垣間見える瞬間があり、たとえば性関係にかんしていえば、それがうえにふれた電灯の件なのだ。
  • テクストに直接書きつけられているのは電灯がいつのまにか消えていることに気づかない、という意味のことがらであり、読むものはそこから、この「私」にはねむっているあいだに電灯を消してくれる人間がいるのだな、と、直接書かれてはいないが論理的にみちびきだせることについて推測をはたらかせることになる。そういうぶぶんはほかにもたくさんあるようで、山本浩貴がなんどか言及していたことには、そういう類推による「参照のネットワーク」が複雑に張り巡らされているという(おそらくは現実の歴史的なできごとをもとにした記述がその参照関係にからんできて、さらに網目を複雑化するしくみになっているのではないか。つまり、この作品にあっての参照方向はテクスト内における完結的=閉鎖的相互性にとどまらず、言語作品という枠組みのそとがわを志向したりそこから媒介項をとりこんだりするうごきがおりこまれている)。そのネットワークが成立しうるのは、とうぜん、「私」が諸所で肝心なことをかたらずにあいまいな状態にとどめているからのはずで、その中核にあるのが「私」にも語ることができないおおきな欠如ということだろうが、この欠如が中心となってネットワークを生じさせ構築しているというよりは、無数の参照関係がめぐらされることにおいて(事後的に)穴としての中心が浮き彫りになって発生してくる、というほうが、おそらくこの作品のありかたにちかいのではないか。じっさいに読むものが体験するのはそのようなテクストのうごめきだとおもわれる。ところでこのひじょうに複雑な参照のネットワークという点にかんしては、(……)さんが『双生』でやったことと、種類はちがうけれど似かよったものなのかもしれない、とおもった。『双生』は象徴的な意味の面で、自動的に駆動しくみかわりつづける多層的機械構造みたいなものをつくりあげたとおもうのだけれど、『半睡』はそれを類推という、(リアリズム的?)論理の原理にもとづいてやった、というような。意味のかさなりあいというのはもちろんメタファーといいかえることができ、ひるがえって類推というのはAからBがみちびきだされるという統辞的関係のはずで、それは隣接性の一種であるはずだから、メタファーにたいしてメトニミー(換喩)の秩序をなしている、ということができるのか? この二分法は汎用性がたかすぎてなににでもあてはめられるがゆえにあまりたよりたくないというか、それじたいではたいして有効なものにならない気がするのだが。
  • あと佐々木敦は、この「私」やその言動が直接的に作者の佐々木じしんにむすびつけられてしまうことにも不満を述べていた。たとえばインターネット上の評判として、(たぶんNとMが死ぬことになっているのだとおもうが)女性をかんたんにころしてひどい、とかいうものがあったといい、それについてはNとMをころしたのは「私」ではなくいちおう作者の佐々木のはずなので、書き手による女性登場人物のあつかいかたという点で問題化する余地がまったくないわけではないのかもしれないが(佐々木じしんもこのはなしをしているとちゅうで、ひどいのは俺じゃなくて、といいかけながら、いや、俺もひどいのかもしれないけど、と言をちょっと後退させながら笑っていた)、ほかにたとえば「私」が書きつけている「読者への挑戦状」的なことばにかんしては、あれはじぶんが読者にそう言っているわけじゃなくて、読み手にたいしてそういうことを言いたがるような人物をつくったということなんだから、それなのにあんまりみんなそういうふうに読んでくれない、と不満を漏らしていた。
  • 前半の『半睡』についてのはなしはだいたいそんなところ。五分か一〇分くらいのみじかい休憩がはさまれてから後半にうつったわけだが、こういうトークイベントというものに足をはこんだことはいままでほとんどなかったというか、もしかしたら今回がはじめてなのかもしれず、ただ椅子にすわってずっとはなしをきいているだけなのだけれど、ながくおなじところにすわりつづけているから尻や腰がそこそこ痛くなっていた。それで休憩中は席を立って室のそとに出て、せまい階段通路で屈伸をしたり背伸びをしたりした。開始時点でからだはそれなりにつかれていたのだけれど、ただじっとうごかずにすわっているとだんだん疲労が中和してきたというか、腰や尻はのぞくとしても各所の筋肉がほぐれてぬくもりながらまとまってきたようなかんじがあり、ようするに瞑想をしているときと似たような身体の変化が起こったので、目をつぶっていなくてもじっとしているだけでそうなるんだなとおもった。それで後半は『半睡』をはなれてもっと一般的な話題がかたられたのだけれど、けっこう雑駁としたというか、深く突っこんで関連するテーマを連鎖的に展開させるというよりは、漠然としたむきのほうがつよかったようで、内容をあまりおぼえてもいないし、いいかげん面倒くさくなってきたのでそろそろやめたい。しかしおぼえている範囲でしるしておくと、岡田利規の重要性ということがひとつにはあった。日本の現役の作家の作品をぜんぜん読まない人間なので、例によって岡田利規の文章もまったく読んだことがないから、じぶんはその重要性をなにも理解できていないのだけれど、彼はやはり画期だった、小説のかたちを更新したとおもうというのが佐々木や古谷の共通見解のようで、古谷利裕は、九〇年代に保坂和志を読んだときにこんな表現をできるひとがいるんだとおどろき、その後二〇〇〇年代に岡田利規を読んでもういちどそういうおどろきをえたとはなしていた(古谷は小説一般が好きで関心をもっているわけではなく(「偽日記」に載っている東工大講義のスライドなど見ると、あんなにこまかくていねいに作品を読んでいるのに)、小説という形式においてそういうあたらしい表現をするひとがいるという点にかぎって小説に興味を持っている、といっており、山本ももっぱら小説が好きだというよりは、現時点ではじぶんの表現したいことに小説というやりかたがいちばんあっており、コストもそこまでかからずできるかなというかんじで、根っこのところはぼくは詩なんだとおもいますといっていた)。小説というジャンルはやはりある種、ひじょうに古臭い、古めかしいような形式なのだと佐々木は言い、ただそこで、古いわりに他ジャンルからの影響を受け入れとりこんで更新されてきた(生き延びてきた、と言ってもおそらくよいのだろう)、そのインパクトのもっともおおきなものが映画で、たとえばヌーヴォー・ロマンは完全に映画をどのように小説において受け止めるかというこころみだったとおもう、とはいえそれももう五〇年いじょうまえだ、その後、小説の発展なんてもうないだろうとおもわれていたところが、じつは映画よりも小説よりももっとはるかに古い演劇というジャンルにそのヒントがあった、現代日本でそれをみちびきいれたのが岡田利規だという見取り図を説明した。ただ、岡田利規はべつに小説を更新してやろうなどとおもってそれをおこなったわけではない、戯曲の分野でそれまで活動してきてえたことを小説というかたちにくみこんでみたらそれが革新的なものになった、つまり彼はあたらしい小説を書こうとおもったのではなく、たんに小説を書いてみたらああなっただけだと(おなじタイプとして山下澄人の名もあがった)。佐々木はそういう他ジャンルで活躍したり、あるいはいろいろなジャンルや形式をわたりあるいてきたようなひとが小説という分野でなにかおもしろいことをなすことに期待をいだいているようで、多ジャンル横断的ということでいえばきょうここにいる三人も全員そうだというはなしもあったが、佐々木はもとから小説家として小説をずっと書いてきた作家と、じぶんたちのようなそうでない書き手のあいだにある種の線引きをしているようだった。いわく、たとえば小説家がイベントなんかで小説について語るとき、なるほどとおもったり、いろいろと感心するような見地が聞かれたりもするけれど、そこで言われていることは煎じ詰めればけっきょくふたつで、小説とは小説であるというトートロジーと、じぶんの書いているもの(こそ?)が小説であるというその二点に集約されると。そういう小説家としての誇りめいたものを持っていたり、小説という形式の存在を所与の自明なものとして受け入れてきた作家がいっぽうにはいるが、たほうで、この小説ってものはいったいなんなんだろう、という疑問や違和感をもったり、その約束事とかになじめないような書き手がいて、そういうひとがむしろ小説でできることの可能性を開拓したりすると(さいごのほうでは、生粋の小説家ではないそういう書き手をあつめて「小説研究会」をつくりたいなと漏らしていた)。小説が古いジャンルだということに関連して、山本浩貴も、小説っていうのはかんがえてみればみるほど変なもので、なんというか、粗いというか、すきまがおおいようなもので、ふつうにかんがえて映画なんかとくらべると情報量すくなすぎでしょ、手間かかりすぎでしょ、みたいなところがあるし、また作者がかんたんに書き換えることができて、それでいて読者もその書き換えを違和感なく受け入れることができる点も変なのだけれど、と述べ、そういうすきまがおおくて粗いような形式であるがゆえに、まだやられていない可能性がたくさんねむっていて、あたらしいことを導入して更新していく余地はまだまだある、というのがいちおう全体としてのおおまかな結論めいた希望のようだった(古谷もそれに対応することとして、たとえば絵画なんかでも二次元の平面であるがゆえにむしろ三次元ではできないことができると言って、マティスの名をあげていた)。
  • あとは古谷利裕の小説作品について山本浩貴が言っていたことが印象にのこっており、いわく、ひじょうに思弁的な要素をふくんでいながらもそれを徹底的に具体的なかたちで表出しているということで、そういう思弁的具体性の強靭さみたいなところは、古谷利裕が八年くらいまえに連作を書いたときから(今回書いた篇はそれのつづきである)惹かれており、じぶんではかなり影響を受けたとおもっている、といっていた。からだのうごきや空間の描写などをかなりこまかく書いている文章らしいが(こまかくといってもおそらく微視的な観察のそれではなくて、そこにあるものや生じるものをひとつひとつひろいあげて、特殊な空間性のながれをていねいにつくることで読者の身体性になんらかのはたらきかけをおこなおうとするようなものではないかとおもうが)、古谷はやはり空間性や空間感覚に興味があるようで、特殊だったり奇妙だったり不思議だったりするそれをつくりあげ、なおかつそのなかに人間(もしくはじぶん?)の身体を投げこんでうごかしたい、という欲望があり、それが小説を書く動機のひとつらしかった。
  • おもいだせるはなしはせいぜいそんなところ。一〇時で終了。時間がおそくなったので質疑応答はなしで、さいごに三人がそれぞれの展望というか、なにをやりたいかみたいなことを述べて終わった。室がややあかるくなって客がうごきはじめるとじぶんはまず腕をまえに伸ばしたりしてからだをやわらげ、それから退出。来たとき同様エスカレーターはつかわずに階段を下りていき、そとに出るとひらいていたモッズコートのまえを閉ざし、駅へともどってあるいていった。腹が減ったのでそのへんの店でなにか食ってもよかったのだが、店にはいって注文して食事をするというのがなんとなく面倒臭く、なぜかコンビニのおにぎりが食べたいという気持ちが湧いていたので、地元で帰りに買っていって自室で食べようと決定した。さすがに一〇時すぎとあってひとどおりはそれなりにすくなくなっている。駅にはいってホームにおりるとやってきた(……)に乗車。一号車のもっとも二号車側の口からはいり、北側にあたる七人がけの左端の席のまえあたり(両側の座席のあいだをとおる通路が扉の位置まで来ると四角い空白スペースが生まれるが、その右上の角あたりということ)に立って吊り革をつかみ、到着を待った。(……)で降りて乗り換え。発車まぎわのものは混んでいたので見送り、まもなくつぎに来た電車に乗ってすわり、(……)につくまではだいたい目を閉じて休んでいたはず。ねむったおぼえはない。疲労はけっこうあったはずだが、意識は明晰だったのではないか。つくといったん駅を出てコンビニでおにぎりやチキンをはさんだパンを買い、もどって(……)に乗り、最寄りへ。駅正面の坂道をおりると道のうえには微風がながれてからだを冷やしてくるのに、空気のながれが林を避けているかのように周囲からは葉擦れがまったく立たず、枯葉が落ちる音すら聞こえず、左の木立からあたまのすぐうえにはりだしている枝葉のさきもすこしも揺らがず、じぶんの身にだけながれがとおってくるという不思議なしずまりを見たのがこの夜ではなかったか。坂のとちゅうで木蓋がいちぶはずれて暗闇の空がのぞく箇所があるけれど、ちょうどそこに蜘蛛の巣がかかって色つきの葉を数枚とらえているさまが夜空の前景に浮かびあがって、どうでもよい連想なのだが、藤原カムイ作『ロトの紋章』の一五巻くらいで、ゴルゴダみたいななまえの冥王(古代にほろんだムー帝国(だったか?)の王だったタオ導師(アルスのなかま)の兄かおとうとで、宇宙のかなたから異魔神を召喚してつくりあげた張本人)と主人公アルス一行がたたかうさいに、巨大な蜘蛛型の化け物である冥王が幻術をつかって、宙にとらえたなかまたちを石化させて砕きころしていく幻覚をアルスに見せるという場面があったことをおもいだした。したの道に出ると夜空はきわめて青くなり、くもりくすみがどこにも見られず星々のあいだをくまなく埋めてそのひかりをかたどりあかるくきわだたせている天蓋の、純然たる青のひらきであり、みだれなく大気の一片までのがさずたたえられた凪の液体であり、磨き抜かれた金属の質を帯びた表面だった。
  • 帰宅後のことはおぼえていないし、つかれていただろうからとりたてたことはしなかったはず。