2021/12/1, Wed.

 ところが、ブルデューの出自はとてもつつましく庶民的なものでした。彼のお父さんは郵便局員です。経済的にも非常に貧しかったといわれています。しかも中央すなわち首都パリからは遠い「奥深いフランス」と呼ばれる片田舎の出身です。そのような彼ですが、公教育のおかげで、学校を通してしだいに成績を上げてフランスの知的エリートの中心的な養成機関である高等師範学校に入学します。そして「哲学」を修めるところから始めるわけですけれども、田舎から中央へ出てきた、言葉も違うし、人間たちのつきあい方も違う、経済的にも大きな格差を感じるというようなところから、そのような違和の経験をバックにして学問的キャリアを出発させました。「哲学者たちは、《思想とは何か》と問うことを好むものだが、《思想》という特殊な活動を可能にする社会的条(end172)件がいったい何なのかを彼らは決して問おうとしない」とブルデューは後に述べています。
 その後、一九五〇年代の後半から六〇年代の初めにかけてアルジェリア戦争を兵役で経験したブルデューですが、その後もアルジェリアで労働者についての社会学のフィールドワークを行うなど、パリのエリートたちが首都の知的雰囲気の中で成長するのとはかなり違った研究者としての自己形成を遂げていきます。そのような彼が注目するのは、パリのエリートたちの世界の見方と、地方の人々、貧しい庶民といわれる人々のそれとでは、世界の見取り図の作り方が異なっていること、社会階層や社会的カテゴリーによって世界の意味づけのあり方が大きく違っているということです。文化における意味づけというものが、支配的な階級・社会グループが、被支配のマイナーな社会階層に、自分たちの社会についての意味づけの図式を押しつけるという問題をはらんでいること、そこには様々な葛藤と闘争が繰り広げられていることに、学問的なまなざしを向けていくことになります。階級的および地域的な意味づけの差異ということに注目したブルデューですが、そのような意味づけの活動をめぐる社会的なせめぎあいの問題を「象徴支配」および「象徴闘争」として理論化していくのが、彼の社会学の仕事となっていくのです。(……)
 (石田英敬現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年)、172~173)



  • 一〇時すぎにめざめが来た。快晴。昨晩はおそらく一一時ごろから雨が降りだしていたのだが、明けて晴れ晴れしい好天。最高気温も一八度一九度くらいでここさいきんではいちばんたかいだろう。陽をあびながら寝床のなかでからだをととのえ、一一時をまわってから起床した。水場に行って用を足すと瞑想。二〇分ほどすわる。
  • 上階へ行き、ジャージに。食事は炒飯ときのうの味噌汁ののこり。卓につき、新聞を見ながら食べる。一面に立憲民主党の代表が泉健太になったという記事と(共産党との連携見直しと、国民民主党との再接近の見込みを表明)、オミクロン株の感染者が日本国内でもはじめて発見されたという記事があった。感染したのはナミビアから入国した三〇代のナミビア人外交官で、当局はおなじ飛行機に乗っていた七〇人ほどを濃厚接触者として待機をもとめており、拒否するばあいは実名公表も検討すると。このナミビア人はモデルナ製ワクチンを二回接種していたといい、ファイザーよりモデルナのほうが効力がつよいらしいと一般にいわれていたから、オミクロンはやはりそれでも感染するくらい強力なようだ。現在は入院しているという。外国人の新規入国は一月以来原則として禁止(という語がここではもちいられていた)されていたらしいのだが、とはいえ日本人や永住者の配偶者とか、特別なしごとのひととか、例外があり、その例外をみとめすぎではないかという声もあったらしい。じっさい、オリンピックごろには数万人規模で入国を受け入れていたよう。オミクロン発生を受けてその例外規定も厳格化して対象をしぼっていく予定だと。
  • 食事を終えると皿を洗い、そのまま風呂も。そうして帰室。白湯を飲みつつコンピューターを用意し、ここまで記して一二時四六分。きょうも三時すぎには労働にでむく。
  • 出発するまでにやったことはあまりおぼえていないが、ひとつにはたぶん二九日の日記を書いたのではないか。それでつかれてきたところでベッドにうつって『ボヴァリー夫人』を読んだとおもうが、この日はあまり臥位にとどまらず、すぐに起き上がってストレッチをしたおぼえがある。しかしそれが二時ごろに洗濯物を入れるまえだったのかそのあとだったのかは判然としない。いずれにしてもベランダのものをとりこむためにあがっていくと父親はソファでスマートフォンを見るか書類を読むかまどろむかなにかしていた。ベランダの戸をあけると陽射しが目のまえをまぶしく覆うのだけれど、吊るされたものは正直しゃきっとかわききっておらず、特に柵にとりつけられた炬燵カバーや足拭きマットは水気がのこっていたので、カバーはそのままにしておき、マット類はひかりがまだのこっている戸口付近にうつして台に置いたり棒にかけたりしておいた。それであとで出るまえに入れていこうとおもっていたところが、そのことをすっかりわすれてしまい、出しっぱなしのまま外出して、それに気づいたのは夕食後に台所と居間のあいだを行き来するさい、ストーブのまえに置かれたマットやソファに乗ったカバーを目にしたときだった。たぶん、母親が帰ってくるまでずっと出したままだったのではないか。ミスである。
  • 出勤前にチーズの風味が香るピザみたいなパンを食べた。瞑想をしたのがそのまえだったか。洗濯物を入れてもどってくるとすぐに座った気がする。かなりすっきりした。起き抜けにやるとからだがこごっていてまだ血がめぐっていないためか、まとまりはしてもある程度までなのだけれど、その後からだが起きてからもういちどやるとかなり軽くなる。出勤前にやればじっさいよいコンディションで比較的楽にはたらける。永平寺の禅僧の身体感覚とかどうなってんのだろう? とおもうのだが。一日何時間も坐禅していたら、まとまりすぎてやばいか、それかなんかつきぬけてべつの次元とか魔境にはいるかしそうなものだが。こちらの習慣としては、起床直後、外出前、帰宅後の三回を確立したいところだ。ようはじっとしていればそれでOKで、からだが勝手にほぐれてくれるので、音楽をともづれてやるのもよい。
  • それで瞑想したあと、しかしはやめに出るのはめんどうくさいし余裕はなくなるが電車で行こうかなとおもっていたところ、三時前に(……)さんからメールがはいって、いまから(……)に行くので四時ごろにはもどってくるが入れ違ったら鍵開けをたのむとあったので、それならはやく行くかとこころをひるがえした。というのもコピーしたいテキストがあったからで、自宅で見ておいて授業を楽にしようというわけだが、これはほんとうは駄目だとされているし、またそうすると準備時間も余計にかかるので、(……)さんがいるてまえではやりづらいからいない日をさぐろうとおもっていたのだ。ところに不在の知らせが来たからじゃあはやめに行ってそのあいだにやっちまうかと決断したのだった。それで出勤準備をしたが、パンを食ったのはこのときだった気がする。(……)さんのブログを読みながら食べ、つづけて歯磨きもした。そうしてスーツにきがえてはやばやと出発へ。あがって父親にもう行くとつたえて、マスクを顔につけて玄関を出た。
  • なるべくはやくついておおくの時間をかせいだほうがよいというわけで、つねになく脚をすばやくうごかしてずんずんすすんでいった。快晴とばかりおもっていたが東の坂にはいれば南の空に雲はひろくて、しかも下腹が象の肌の色にしずんで雨のなごりをおもわせるむき、ひかりはまだとおって日なたのなかに乾いた落ち葉がおびただしいけれど、樹冠がかかったあたりは路面に水気が去りきらず、べたべた貼りついた葉っぱたちが栗の皮の色に濃く染まっていた。柔軟をしたので脚はよくうごく。街道ではまだ工事がつづいており、囲いのなかで整理員が車をとめているそのむこうには道沿いで段のうえに乗った一軒に真っ赤なモミジが、さらにさきでは黄葉まじりの丘の緑とそれに寄りそう水色の空、道路には家蔭がななめにさしこまれつつもあかるみもまだかたく、コートを着なくてもよいのではという陽気だった。裏道にはいってあるきながら丘の林をながめれば、おおかたは緑のなかで高いほうなど褐色黄色橙がまざり弱いまだらをなしているが、それらすべて色はちがってもみな植物というより土をかためてつくったような乾きの質感におだやかである。このころにはさすがに足もつかれてきてペースがすこし落ちてはいたものの、それでもふだんよりそうとうはやく、たぶんいつもの一. 五倍か一. 七倍くらいのはやさであるいているなと当てずっぽうにかんがえていたが、じっさい平常よりも一〇分ははやく職場につくことになった。裏路地のとちゅうには見上げる高さのハクモクレンが一本あるが、先日は甘めに色変わりしたおおぶりの葉たちがまだちからづよくこずえに張って壮観だったのが、もうなかばは落ちてかるくなり、横をとおるさいにも風もないのにひとりでにはなれて枝とふれあう音をもらしていた。
  • (……)
  • (……)
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  • この日Cコマで終わるのはこちらだけだったので、授業後の共有はなく、コメントは書けていなかったが簡潔にやり、八時一〇分すぎには退勤することができた。駅へはいって乗車。瞑目にやすみながら最寄りへ。帰り道にとくべつ印象はない。帰宅すると消毒や手洗いをして室にかえり、休んだ。その後、Bon Jovi『Keep The Faith』をイヤフォンからながしつつ瞑想。Bon Joviは1stと3rdとこの五枚目はむかしそれなりに聞いていて、きのう、なぜだかわからないが急におもいだしてちょっとながしたのだけれど、ここでもういちど聞いたかたち。冒頭から六曲目まで。まあ、いまとなってはべつに聞いていてとくべつにおもしろみはないが。
  • 夕食へ。夕刊でオミクロン株関連のニュースを読んだとおもうのだが、記憶にのこっていない。それか朝刊をまた取って立憲民主党の代表選まわりを読んだのだったか。決選投票は逢坂誠二泉健太で後者が勝ったわけだが、逢坂誠二枝野幸男がぞくしている党内最大会派「サンクチュアリ」の所属で、ほかにそれぞれの候補の所属いがいで明確にひとりを支持したのは、小沢一郎のグループが泉を支援したくらいだったようだ。その他の派閥はそれぞれ割れたというか派で統一はせずにわりと個々の議員ごとで支持を決めたようだが、決選ではだいたい泉にながれた。泉側としては年齢もちかく清新なイメージでもかぶっている小川淳也との一騎打ちになったらまずいという思惑があって、小沢一郎なんかも小川淳也がのこったら負けていたと言ったらしいが、逢坂誠二が新代表ではけっきょく「枝野路線」の継続だから(「批判ばかり」といわれている)党のイメージを刷新することにはならず、参院選はたたかえないという判断をした人間がおおかったもようだ。
  • 風呂を浴び、出てきたあとは日記。二九日をしあげて投稿し、三〇日もすすめたが、とちゅうでちからがつきて怠惰にながれた。
  • いま二日の午前一時五九分だが、地震があった。たぶん震度二と三のあいだくらいか。