2022/3/9, Wed.

 犯罪を犯して刑務所に入れられるのは容易である。しかし、無実の罪で刑務所入りをするのはむずかしい。犯罪者は司直の手をのがれようとするから、警察は彼らを追及し逮捕する。しかし、自由意志で逮捕を求める者に対しては、彼らはどうにもしようがなくなる段階までは傍観しているばかりである。姉妹たちは、ヴェレーニギングで許可なしにトランスヴァールに入った。しかし彼女らは逮捕されなかった。彼女らは許可証なしで行商をやった。しか(end289)し、それでも警察は黙認した。
 私たちは、ここでフェニックス農園 [セツルメント] の草分け十六名を、州境を越えてトランスヴァールに送り込むことを決定した。このフェニックス部隊がトランスヴァールに入るのと入れ替わって、トランスヴァールで逮捕を求めて失敗した姉妹たちがナタルに入ることになった。ナタルから許可なしでトランスヴァールに入ることが違法であるのと同じように、トランスヴァールからナタルへ入ることも違法であった。姉妹たちがナタルに入るところで逮捕されれば、それでよかった。
 彼女らは逮捕されなかったならば、どんどん前進してナタルの大炭鉱地帯の中心、ニューキャッスルに陣取り、そこに働いているインド人契約労働者にストライキをすすめる、という手はずになっていた。もし労働者たちが姉妹たちの呼びかけに応じてストライキに入ったならば、政府としても、契約労働者もろとも彼女らを逮捕せざるをえなくなる。それによって労働者たちは、おそらく、いっそうはげしい熱情を燃やすだろう。これが、わたしが考え抜き、トランスヴァールの姉妹たちに話しておいた戦法であった。
 わたしは、フェニックスにおもむいて、農園の姉妹たちやその他の人々に向かって、彼女らがとろうとしている手段の重大性と、刑務所で受ける苦しみを話して聞かせた。しかし、わたしの妻をふくめた全部の者が、最悪の事態に対する心構えを持っていた。そして、どんなことになっても退却しない、と約束した。
 フェニックス部隊は、許可なしで州境を越えてトランスヴァールに入った。ただちに彼ら(end290)は逮捕されて、三ヵ月の懲役を宣告された [訳註19: 一九一三年九月二十三日のこと。] 。
 一方、トランスヴァールで逮捕されなかった姉妹たちは、いよいよナタルに入った。しかし、許可なしで入っても逮捕されなかったので、ニューキャッスルに行進した。そして、前もって決めておいた計画に従って、仕事をやり始めた。彼女らの影響力は、野火のように広がった。三ポンド税によってうずたかく積みあげられた、数々の不正についての切々とした悲しい物語は、坑夫の骨身にしみとおった。そして彼らは、ストライキに入った。
政府は、こうなっては、もはや、勇敢なトランスヴァールの姉妹が活動を自由に続けているのを、そのままにしておくわけにはいかなくなった。彼女らも逮捕され、三ヵ月の懲役を言い渡された。
 (マハトマ・ガンジー/蠟山芳郎訳『ガンジー自伝』(中公文庫、一九八三年/改版二〇〇四年)、289~291; 第六部; 「56 婦人も闘争に参加」)



  • 「読みかえし」: 528

 「坐禅しておるとクックックと寒暖計が上がるように−『もう少し』『あっ、来た、サトッタ』というようなものではない。坐禅はいつまでたってもナントモナイものである」という澤木興道老師の言葉がありますが、このナントモなさが坐禅と習禅の大きな違いと言えます。四禅の最初は「初禅」と呼ばれていますが、それはブッダが苦行を捨てて菩提樹の木の下に坐る機縁となったと言われている、幼い頃に喧騒を離れて木の下に坐った時、自ずと訪れた「諸欲・諸不善を離れ、尋・伺(すなわち覚・観)を伴いながらも、離による喜・楽と共にある状態」のことです。ブッダはそのことを思い出し「これこそが悟りに至る道であるに違いない」という確信の元に、菩提樹下に坐したと言います。しかし、のちに体系化された仏教教理の中では、この状態はいまだ、色界における禅定の最初の階位でしかなく、初禅からさらに第二禅、第三禅、第四禅へと階位を上がっていかなければなりません。しかし、ブッダ自身が「これこそが悟りに至る道に違いない」と思ったあり方が、最も低次の禅定扱いされているというのは、私にはどうも解せないのです。
 これはあくまでも私個人の見解で、おそらく誰も賛成してくれないかもしれませんが、「これこそが悟りに至る道に違いない」とブッダが思ったポイントは、その時に訪れた禅定という心理的状態ではなく、技術や成果といったことにまったく無頓着に、文字通り初心(うぶ)な心で行なったその時の態度だったのではないかと思うのです。それまで懸命に行ってきた瞑想や苦行にはなかったエレメント(成分)こそ、初心だったのではないか。樹下に打坐する前のブッダは瞑想や苦行のエキスパート(専門家・熟練者)になろうと努力し、その結果自他共に許すエキスパートになったにも関わらず、自分の抱えていた人生のジレンマは解決しませんでした。エキスパートになる努力では解決できず、それとは逆の方向の素手素足の素人、つまり初心にならなければ入れない世界(「空手還郷」とはそのことを言う?)があることを、幼いときに無端に坐ったエピソードを思い出すことが契機となって、悟ったのではないか、というのが私の憶測です。
 樹下に打坐したときのブッダには四禅八定などというもってまわった教義は無縁だったはずです。初禅からさらに高次の禅定に向かって体験を積み上げていこうとするような意図はなく、ただ幼い時の打坐のように初心をもって自己と世界をフレッシュに味わっていただけでしょう。それは人間が身心の操作のために編み出した瞑想技術ではなく、そういったもののすべてを放ちわすれた純粋な打坐、只管打坐だった。それは常に初心で坐る坐禅、初心に帰り続ける坐禅ですから、慣れるということがあってはいけないものなのです。毎日が初めての前例のまったくないユニークな一日であるように坐禅は毎回、初めての新鮮な唯一無二の坐禅でなければなりません。
 参考のためにここでもまた、澤木老師の言葉を引いておきます。「私はこの歳になっても坐禅はいつでも初心である。坐禅に慣れてしまったらそれはウソの坐禅になってしまう。慣れた坐禅はクソの役にも立たん。いつでも真新しの坐禅をしなければならぬ。だから初発心の時が一番よい。慣れっこになったのを熟練したと思ってはならぬ。」道元禅師がここで繰り返している「初心」は普通の意味の初心ではなく、こういう深い宗教的な意味をたたえた積極的な初心なのだと思います。

The Russian foreign ministry has claimed that its goals in Ukraine would be better achieved through talks and that it does not plan to overthrow the country’s government, reports Reuters. It said about 140,000 Ukrainians had fled to Russia and that its actions in Ukraine were strictly following its plan.

Congressional leaders in the US reached a bipartisan deal early this morning to provide $13.6bn to help Ukraine and European allies. The president, Joe Biden, originally requested $10bn for military, humanitarian and economic aid, but the backing from both parties was so strong that the figure climbed to $12bn on Monday and $13.6bn yesterday.

Ukraine’s government has banned exports of rye, barley, buckwheat, millet, sugar, salt, and meat until the end of this year, according to a cabinet resolution published on Wednesday. It will put food security across Europe into sharp focus, leading to shortages of grain and price rises of staples including bread.


A Russian airstrike that reportedly killed 47 civilians as they queued for bread in Chernihiv on Thursday may constitute a war crime, an investigation by Amnesty International has found. At around 12.15pm on 3 March a square was hit by multiple bombs, killing civilians and severely damaging buildings.

The number of people who have fled Ukraine since the start of the Russian invasion has reached 2.1-2.2 million people, the UN refugee agency said today. The UN high commissioner for refugees, Filippo Grandi, said during a visit to Stockholm that rather than talking about which countries refugees will go to, “the time is now to try to help at the border”.

  • この日は労働。起きたのはいつもどおり一一時すぎだが、出発までのことはだいたいわすれた。そんなにたいしたことはできなかったはず。(……)くんの授業があるので、きょうあつかう英文をあらためて読みなおし、こまかい単語もしらべて確実にしておいた。三時ごろに出発。わりとゆるい気分であり、またゆるい空気でもあった。マスクをつけていても、(……)さんの宅の脇で小斜面に生えている蠟梅のところをとおったとき、香りが鼻にふれてきた。そのさきの家には郵便配達の赤いバイクが一台停まっており、目をむけずにすぎたが戸口でなにかやりとりをしているところで、女性が配達員とはなしているところに奥から老婆のほそい声でなんとかたずねたのに、戸口の女性が、うん、だいじょうぶ、とかこたえかえしているのがきこえたが、のちほど帰ったあとに母親が(……)さんの旦那さんが亡くなった、もう九〇くらいだったらしいとか知らせてきたのを聞くに、ここの家がその(……)さんだったらしい。だからちょうど、こちらがとおったあたりは取りこみ中だったのではないか。
  • 街道を行くと、公園には小学生らが多数あつまってわいわい遊びまわっているすがたがあり、なかの三、四人はいったん公園を飛び出してそのさきにあるローカルな商店でなにか買っていた。裏通りにむけて折れるとそのうしろからかれらが(男女でふたりずつではなかったかとおもうが)ついてくる。正面のつきあたりに建っている白壁の公営団地をみあげればその上空、北側の空は羽衣めいて雲を帯びながらも青さもけっこうのぞいている。梅がそこここで咲いており、裏路地とちゅうのアパートのまえでは低い塀のうちからちいさな一本が伸びあがって、枝によって先のほうはまだまばらなものもうきちんとならんだものととりどりだったが、つよいいろのショッキングピンクが充実しながら四方にむけてばらけているのが花火めく。あるいていると、すぎていった車の一台もとおくなり、音が消えてしずけさがいきわたったその停止感とともに、ちょうど目がむいていた林の縁の緑葉もまったくうごかずとまっていることが認知され、風がないなとみて肌をかんじ樹々をさらにみつめることで余計に静寂と停止がさだかになる。森というか丘というか、家々と線路のむこうにもちあがっている樹壁のつらなりは、入り口ばかりでなくたかいほうもやはりうごきをはらまずひろく一面ぴたっと停まってそれがかえって威容なのだが、くすんで黴っぽいような緑のなかにわずかオレンジめいた褐色もおおく混入して目立ちながらならびをみだしており、あれは花粉をふんだんに充実させた杉の木なのだろう。薬は飲んでいるが道中くしゃみもいくらか出た。右側に空き地のひらいた一角にかかると建物のない土地だから空がひろがり東から南をぬけて西まで水灰色の敷かれ雲がおおきくまたがって空のひろさをますますあらわにしているのが一望されて、数歩すすめば二軒のちょうど境あたりにある梅は二本混ざっているようで、紅梅と、底に薄緑を秘めてにおやかな白梅が一歩のたびにいろを交錯させてめまぐるしい。

清水:女性というものをどう考えるか、パターンが2種類あるということですよね。ひとつはある種バイオロジカルな「子どもを生む」とかそういうところにいく点。もうひとつが性別にとらわれないのが女性だみたいな話。ジェンダーっていう発想があまり出てこない。なんのかんの言って「生む性」か「性別なくなる」かどっちか、みたいな感じってなんだかすごいなと思って。

さきほども話しましたが、フィメール・ゲイズっていうのは、男性主体の欲望のあり方をさすメール・ゲイズという用語をひっくり返した言葉です。メール・ゲイズに対抗して何かをするって基本的にはかなり政治的な立ち位置になる。そのことを「フィメール・ゲイズ」という言葉は表現していると思うんですよね。この言葉が適切かどうかは多分色々議論があると思うんですけど、でもその立ち位置の話をしている人はそんなに多くないというか。やっぱり日本で女性というものを考える時に許されている幅が今はかなり小さい、あんまり色んな見方っていうのが共有されてないし奨励されてないですし。この動画のコメントから、そうしたことが逆説的に出ているような気はするんですね、私。

     *

清水:両性具有って難しいところがやっぱりあって、両性具有にあこがれるとかは全然構わないですけど、それをどう消費するか、そこからどう展開するかっていうのはなかなか簡単ではない気がします。

フィメール・ゲイズ号についての意見のなかで、コムアイスーザン・ソンタグを「フェミニズム」と「キャンプ」でつなげる内容の記事がオンラインにあった(山口博之コムアイスーザン・ソンタグは仲良くなれそう──今月の本 vol.17」)のですが、それを読んでちょっとびっくりしたんですね。キャンプという言葉を(記事中で)使ってるんですけど、セクシュアリティの話ゼロ、ゲイコミュニティの話ゼロなんですね。

ある意味で、キャンプのゲイネスを薄めてしまったところはソンタグの「キャンプについてのノート」(『反解釈』に収録)がいちばん批判されたところなわけで。むしろソンタグだったらソンタグで、誰がどういう風に(対象を)見て、「見る人」にどういう権力性があって、っていう議論は当然やっているじゃないですか。でも、そういう話を全部飛ばしてキャンプでソンタグでというところから一足飛びに男性も女性も超越してってなる。いや、それは違くない? とか思うんです。

キャンプって単に何かを超越していく話ではなくて、何かに不適切なぐらいに固着するその欲望の話だと思うんです。「キャンプについてのノート」は見るところいっぱいあるけれども、あの記事は本当にソンタグが批判されたところだけそのまま踏襲しちゃったみたいな感じで。「とにかくジェンダーにとらわれなければいいんだよね」みたいな軽さがある。(山口さんの)記事の中にはヴァージニア・ウルフも出てくるんですけど、フェミニズムでウルフを出すんだったらやっぱり『自分ひとりの部屋』だったりするわけですよ。私にはお金が必要だし場所が必要っていう、ものすごい物質的な話が出てくる古典なのに、ウルフでもそちらにはいかないんですよね。軽やかに『オーランド』にはいくけれども。私、軽やかとか嫌いなんですよ。

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清水:両性具有とジェンダーレスって違いますよね。いつも思うんだけど日本で両性具有っていう時ってどっちの特徴も落としたみたいな感じですよね。すごい大きな胸とすごい大きなペニスがみたいなことは、まずないじゃないですか。不思議だなっていつも思ってたんですけど。

鈴木:両性具有ってじゃあ何なんだっていう。

清水:そう。何なのかがよくわかんなかったりする。別にそれはそれでいいんだけれども、でも私たちはある特定の身体で生まれてきている。その上で、その身体とどういう関係を結ぶか、どう変えるかだったり、与えられたジェンダーとどういう関係を結ぶか、どう変えるかとかをやっていくわけで。その大変さがゼロというか全く出てこない状態で、「両性具有」とかジェンダーレスとか言うのは、私にはピンと来ません。そういう感じで「クィア的」なものを消費するって90年代にありましたけれど、その頃からすごいむかつくと思ってました。そもそもキャンプって「世の中の人がみんな格好悪いと思っているこれが、私にとっては絶対に魅力的だ」とか「みんなが格好悪いと言うからこそ、私はもう何が何でもこれを愛してやる」みたいな、けっこうくどくて面倒くさい、浪花節的な愛着だと思うんですけど。

鈴木:泥くさい。

清水:そう、泥くさい。そういうのが全部なくなっちゃうっていうか。そういう形でフィメール・ゲイズ号ができていくのだとしたら非常に残念だなとは思う。

鈴木:できてたというか、そう読まれてると。

清水:そうですね、作られたと言うより、受け止められる。ウルフでソンタグでキャンプでコムアイだ、素晴らしいですねって言われても、その話の中にフィメール・ゲイズ一言もなくね? って思うじゃないですか。そういう受け取られ方は非常に残念だし、ある種のトランス的なものと女性的なものの1番不幸なつなぎ方だと思うんですよね、私は。

そういうつなぎ方をすると、トランス女性でもトランス男性でもXジェンダーでも何でもいいんですけど、トランス的な経験と、女性が女性身体で生きてるとか女性ジェンダーで生きてるとかっていう女性的な経験が、くっつかなくなってしまう。本当は密接に繋がっているのに。そうだとしたら非常に残念ですよね。フィメール・ゲイズ号は嫌いじゃなくて、いいものいっぱいあると思うのに、なぜこの取り上げ方なのか、とは思いました。

清水:一般的に、あるものをちゃんと整理して分類して、あるいは問いに答えて……っていうのが学問だと思われやすいんですけど、「問いを立てる」という学問もある。クィアスタディーズというよりクィア理論というべきかもしれませんが、それはそういう面を持っています。

わたしたちが、社会や文化、自分のことを考える時に、例えば「ジェンダーって今までわたしたちが考えてきた通りのものなのだろうか、違うとしたらどういうものと考えれば良いのか」みたいに、問いと仮説を立てていく。権威を持って「これが正解なのでよろしく」と設定するタイプの学問ではないんですよね、本当のところ。

鈴木:クィアを「どうとでも言える」っていう風に理解しちゃう人も出てくる気がします。それが良いこととは思えないんだけど。

清水:「どうとでも言える」と「どう言っても同じ」は必ずしも同じではなくて、「どうとでも言える」ことをどう説得力を持って言えるか? 何のために言うか? は問題になります。わたしはそういうところが気になります。

例えば「ジェンダー」についても、さまざまな説明の仕方やや考え方があります。その中には、はちゃめちゃで望ましくない考え方や、今の状況を悪くするような説明の仕方もある。でもそれをあえて言うとしたら、そのための正当化が必要だとわたしは思うんです。どうとでも言っていいからこそ、言ったことがどういうことになるのかは考えなくちゃいけないんです。

鈴木:影響とか。

清水:そうですね。これも学問領域によるかもしれませんけど、「何であるかを明らかにする」というよりは、「それが何をするか/しているのかを明らかにする」点で、人文系のカルチュラルスタディーズとか、文学理論や映画理論などは、一部のライターさんの仕事とも近いかなと思います。ある特定の場所、ある特定の時代、ある特定の文脈の中で、ひとつの表現なり主張なりが何をしているのか、どのような機能や作用を果たしているのか、という問題を考えることは法制度とか、社会や自身をどう捉えるかとか、何をきれいだと思うかとか、そういうことと関係してくる。だから、どう言うか、どう言えるかは、実はけっこう限定されてくる感じです。

     *

清水:多分コミュニティの中で動いている人は、その中で貧困や障害の問題を抱えている人の存在をわかっていらっしゃるわけですよね。その反面、外からは、それこそLGBTブームの文脈で「すごい色々なクリエイティブなひとたちがいて、頑張ってる」みたいな話と、「もしかしたら今月の家賃も払えない、家賃分を貯めとかなくちゃいけない、と思いつつ、でもそのお金を飲んじゃう」みたいな人の話とは、まったく繋がらないもののように見えているかもしれない。一般社会からは、ということですけれども。実際には多分重なってるのに、それがちょっと見えなくなる。でもその重なりが見えなくなるのはやっぱり恐い。

谷山:それを当事者が言ってかなきゃいけないのが、しんどいっちゃしんどいんですけどね。女性の性暴力の話だってなんで被害者が言わなきゃいけないんだっていう話だよね。

鈴木:男性の被害者もメディアでは可視化されづらいですよね。

清水:#MeTooに関しては、なんで被害者が言わなくちゃいけないんだと同時に、なんで言わせないんだみたいなのもあったりするから、難しいですね。

鈴木:そもそも言う場所がないところからの、ネットでの#MeTooっていう。

     *

清水:もっと適当でいいと思うんです。建前と本音の使い分けっていうものをわたしは実はとても信じていて。たとえばクィア系の研究者として、「エリートゲイ」っていう打ち出し方はここがまずいとか、TRPのこのやり方はこう問題があるとか、わたしにとっても譲れない建前みたいなものはいっぱいあるんですよね。おなじように、TRPはTRPとして、「ここ出入りはしないでください」「裸では歩かないでください」「路上でキスはしないでください」とかやっぱり色々あるんだと思うんですけど、それは建前として出せばいいと思うんです。それに対して「そんなのはクィアじゃない」とかっていうすごいラディカルなクィアの人たちの建前ももちろんあるので、ガンガン批判すればいい。

鈴木:すごく事務的なことで解決することってけっこうあるというか。だからそれをやるためにはやっぱり文字コミュニケーションが、そこの胆力があるかどうかってすごく大事。それが建前をぶつかり合わせるってことですよね。

清水:建前同士がぶつかるのは非常にわたしはプロダクティブなことだと思ってて、どんどんやるべきだと思うんです。それとは別に「とはいってもね」という意味での「本音」の部分っていうのも実際にはあって。たとえば、TRPのここがおかしいとは言っても、パレードに行ったりするし、ブースまわったりもする。あるいは、内部でスタッフをやってる人が「とはいえTRPのここはおかしいんだけどね、でもまあわたしはスタッフやるけどね」と思っていても良い。途中入退の話だったら、TRPとしては「全然構わないです」とは言えないとして、それでも現場で「今行けるから入っちゃえ」とかっていうのはあっていいんじゃないかなと。建前は譲らない、でも本音はもう少し対応は色々あるよね、みたいな。

  • あとは勤務時のこと。(……)
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