2022/3/17, Thu.

 南アフリカの人種差別政策は古く、ガンジー南アフリカに来る八年前から、人種差別が法律になっていた。ことに、オランダ人農業移民の子孫ボーア人が作ったオレンジ自由国トランスヴァール共和国で人種偏見がひどかった。(これら両国は、ボーア戦争に敗北してイギリス領の一州になり、ガンジーがいる間に、すなわち一九一〇年、イギリスの植民地ケープとナタルがいっしょになって、南アフリカ連邦をつくった。) オレンジ自由国では、一八八八年から、インド人の権利をいっさい奪い、そこに住もうとするインド人は、ホテルの給仕とか、それに似た職業の者でなければならなかった。商人は国外に追放された。トランスヴァールでも、ほぼ同じであった。(……)
 (マハトマ・ガンジー/蠟山芳郎訳『ガンジー自伝』(中公文庫、一九八三年/改版二〇〇四年)、467; 訳註第三部5)



  • 「読みかえし」: 546 - 562, 563 - 569
  • 一一時三五分の離床。ティッシュで鼻を掃除し、アレグラ一錠を前歯のあいだにくわえて、水場に行って服用。用を足してもどってくると瞑想をした。一二時二〇分くらいまで。そうして上階へ。居間は無人。食事はきのうの肉炒めがほんのわずかのこっていたのでそれと、れいによってハムエッグ。味噌汁もあったのでよそって卓へいき、新聞をみながら食べた。一面はウクライナ情勢とさくばんの地震。震度六強。社会面にはロシア軍に制圧されたヘルソンで市民が抗議活動をおこなっているという記事。ロシア軍を刺激しすぎないように注意しながら抵抗の意志をしめしていると。しかしおおくのひとの目のまえで男性が拘束されてむりやり連れ去られたりとか、ゴム弾で撃たれて怪我をしたりとかもあるという。
  • 食器と風呂を洗って白湯とともに帰室。Notionを支度して「読みかえし」。一項目一回でどんどんすすんでいけるととうぜん楽なので、ガンガン読む気になる。いぜん英語もおなじように意味のわからなかった単語の前後をピックアップして音読することで訓練していたが、それもまたやってもよいかもしれないとおもった。きょうの箇所はだいたい古井由吉『詩への小路』からの書抜きで、ドゥイノ・エレギー訳文もたくさん読む。やはりすばらしい。
  • 二時でいったん上階に行って洗濯物をいれ、白湯とともにもどってまたしばらく読み、二時半からベッドで書見。レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)を二日前くらいから読み出している。ひじょうにおもしろい。文章も明快で読みやすい。
  • 母親は三時半かそのくらいに帰ってきたはず。こちらは三時半ごろからまたちょっと「読みかえし」ノートを読み、その後瞑想。このときはしかし眠気にやられて上体が左右前後にぐらぐらとした。それでも二〇分少々座ったのだが、終えたあともからだが重くて、ベッドのヘッドボードにもたれながら数分休息。なんとか起き上がって体勢をととのえると、きょうのことをここまで記していまちょうど五時になった。

And so, on a bright and sunny December morning, I found myself in the local park, inconspicuously trying to work out on the monkey-bars and swings instead of going to a body pump session in the gym. "Mummy, what's that lady doing?" asked a small boy.

Because it was winter and most people were inside keeping warm, the park was largely deserted. Motivation had been a struggle for me also. It’s hard to overcome the belief that because it’s winter, it will be cold and miserable outside. However, I was reminded of something a Swedish friend used to say: there’s no such thing as bad weather, only inappropriate clothing. And I soon realised that its rarely as bad outside as it may look. Indeed, the more I did it, the more I came to regard getting outdoors in winter as a treat, rather than a chore.

On another morning, I sat in the park with a cup of tea on my way back from dropping the kids at school and got out my light meter. The illuminance of light is measured in lux. On a cloudless day in summer, the light outdoors can reach as high as 100,000 lux; on an overcast day, it can be as low as 1,000 lux. Today, the reading was 73,000 lux.

Back indoors, I took a reading in the centre of my shared office: 120 lux – lower even than the 500 lux you’d expect outdoors immediately after sunset. Horrified, I returned to my temporary desk by the window, where it was colder, but a sunnier 720 lux.

     *

However, in a separate study, researchers at Charité Universitätsmedizin in Berlin discovered that the energising effects of light continued for the rest of the day. When participants were exposed to bright, blue-enriched light in the morning, they reported feeling less sleepy during the evenings, and their reaction speeds were maintained, rather than declining as time wore on. Also, the bright morning light seemed to buffer their body clocks against the effects of blue evening light – a finding which is in accordance with current mathematical models of how light affects the human biological clock and sleep.

It supports the idea that brighter and blue-enriched morning light could be a useful countermeasure to artificial light in the evenings especially during the darker seasons, when less daylight is available. It means we don't necessarily need to spend our evenings in darkness, or stop using our computers and gadgets.

“The effects of light in the evening highly depend on the light you were exposed to in the morning,” says Dieter Kunz, who was involved in the study. “When we’re talking about kids looking at iPads in the evening, it’s having detrimental effects if they’re spending their daytimes in biological darkness. But if they’re in bright light during the day it may not matter.”

  • うえのひかりと睡眠についての記事を読んだのはもう夜半もすぎた午前一時台で、内容はひろく知られている既知のものであり、ようするに日中に日光を浴びると体内時計が正常化する、また夜にはパソコンや携帯などのブルーライトをなるべく目にしないほうがよい、というだけのはなしなのだが、そういうことをあらためて読んで、やっぱり寝るまえにパソコンつかうのはなるべくやめたほうがいいなという気になった。さっさとコンピューターの電源を落として紙の本で書見をしようと。それでじっさいこの日は二時にコンピューターを黙らせてそのあと寝るまでレベッカ・ソルニットの『ウォークス』を読んでいた。そうしたらこれがじつによい、いつか降り出した弱い雨の気配がひびきではなくてときおりのかすかな点音によってのみうかがわれる深夜の停止したしずけさにひじょうにおちついて、やっぱりパソコンがついているとそれだけでなにか精神の静止がみだされるところがあるんだなとおもった。いろいろできるので、寝るまでにあとなにをやろうか、やるべきか、みたいなあたまになってしまうのだろう。その複数的な可能性をはなから殺してシャットアウトし、読書だと決めてしまえば、意識に選択肢の幻像が浮かぶこともなく、ただ読むことをたのしめる。そういうわけで、夜はなるべくはやめにコンピューターからはなれて書見に邁進するという習慣にしたい。
  • 『ウォークス』はおもしろい。あるくことのさまざまな形態や意味付けについて、じぶんの体験をからめつつ、いくつかの文献や証言も引きながらてみじかな歴史をたどっていくのだが、第四章「恩寵への上り坂」は巡礼をあつかっている。そのなかにピース・ピルグリムという女性のはなしが出てきて、まったく知らなかったのだが、一九五三年の元日に「人類が平和の道を学ぶ日まで、さすらい歩きつづける」(95)ことを誓って旅に出て、その後一九八一年の七月に自動車事故で亡くなるまでずっと各地をあるきつづけていたらしい。出発以後、「彼女は一銭たりともお金を持たず、使ってもいない」(97)といい、ものもほとんど持っていなかったようだ。寝床は駅とか墓地とかだったり、「知りあったばかりの友人の家」(96)だったりしたらしい。まったくすごいにんげんがいるもんだなあとおもった。これだからにんげんというのはおもしろい。
  • この日の五時すぎはアイロン掛けをして、その後天麩羅を揚げるなど。父親が山梨から帰ってきたのだが、フキノトウをいくらかとってきたので、それをみた母親がはやく揚げないととやりだしたのだ。それで豚肉を揚げたり。洗濯物もヒーターのまえにわずかにのこっていたのを片づけた。父親は(……)の用事で六時半ごろまた出かけたのだが、九時には帰ってくるというので夕食後はさっさと風呂にはいり、夜には書抜きもおこなった。一三日の日記も進行したが終わらず。一三日から一六日までしあがっていないのでやばいが、まあできるだけのことをやればよい。