2022/3/26, Sat.

 十月革命から内戦に至る過程で、旧ロシア帝国領だったフィンランドポーランドエストニア、ラトヴィア、リトアニアなどが独立し、また旧帝国領内各地にソヴェト共和国が樹立されていた。ソヴェト共和国のいくつかは自治共和国自治州としてロシア社会主義連邦ソヴェト共和国に統合されていき、その他のソヴェト共和国にもロシア共産党が影響力を持っていたが、共和国側の自立志向も強かった。ロシア共産党民族自決を訴えていたこともあって、一連のソヴェト共和国の統合は難しい政治課題となった。この課題をめぐって、各ソヴェト共和国を自治共和国としてロシア連邦共和国に組み込む「自治化案」を採る党書記長スターリンに対して、対等な共和国の結合を求めるレーニンの「最後の闘争」が始められた。レーニンは発作に倒れて療養中だったが、スターリンの案を知るとただちに、諸共和国の平等な立場での連邦結成を訴える書簡を書いた。スターリンは当初反発したが、最終的には譲歩した(その後もいくつかの問題をめぐって両者の「闘争」は続き、ついにレーニンは「スターリンはあまりに粗暴である」として書記長から外す提案をするに至ったが、実現させることはできなかった)。こうして一九二二年一二月に、ロシア連邦ウクライナ、ベロルシア、ザカフカス連邦(ザカフカスに位置するグルジアアルメニアアゼルバイジャンの三共和国で構成)によって、ソヴェト社会主義共和国連邦が形成された。
 一九二四年からは、ロシア連邦に統合されていた中央アジアの「民族的境界画定」が始められ、革命前からの政治・行政上の境界線を全廃して、カザフ・ウズベクトルクメンキルギス・タジクという民族別の社会主義ソヴェト共和国が編成されていった。この「民族的境界画定」によって、現在に至るまでの中央アジア諸国の枠組みが作られ、その枠組みでの民族意識が生まれることになったのであり、そのためこれは中央アジアにおける「第二の革命」とも呼ばれる。これによってソヴェト連邦の枠組みも基本的に固まった。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、25~26)



  • いちどさめて携帯をみると八時四三分だった。そこからややまどろみつつも深呼吸したりして過ごし、九時五〇分の起床。天気は曇りだが平板な空がそう暗くはなく、カーテンをひらくと寝床のひとみにあかるい白だった。水場に行ってアレグラFXを服用し、顔を洗ったり用を足したりしてもどってくるときょうもまず書見しながら脚をマッサージした。起きて直後から書見できる生活こそがにんげんのおくるべき生だ。レベッカ・ソルニットを読みすすめ(ずっとおもしろい)、一〇時半から瞑想。筋肉の結合がゆるくほぐれていくのをかんじつつすわり、このくらいかなとおもって目をあけると、ちょうど一一時で、あやまたずぴったり三〇分経っていた。
  • 上階へ。母親にあいさつ。ジャージにきがえるあいだそばのソファの端にもたれた母親は、イヤフォンをつけたまま携帯でメルカリをみている。いまこのテーブルのうえをかたづけようとおもったんだけど、だめだなできなくて、ともらしていた。髪を梳かし、ハムエッグを焼こうとすると、冷凍の鶏肉を食べたらというのでそうすることに。セブンイレブンの鶏の手羽中である。ほか、さくばんの豆腐がはいった汁物や千切りにしたニンジン。新聞をみると青山真治の訃報が載っていてちょっとおどろいた。映画も小説もふれたことはないが。ガンで闘病していたらしい。国際面をみるに、ロシア政府内部でいくらか異変があり、情報機関でもいちぶがクーデターも辞さないというかまえになってきているという観測があるという。セルゲイ・ショイグ国防相も二週間くらいすがたをみせておらず、ロシア大統領府は安全保障会合で発言するかれのようすを画像だか動画だかで発表したのだが、調査報道を専門とするメディアによると不自然なぶぶんがみうけられるという。国際機関との交渉をになう大統領特別代表みたいなたちばのひとはウクライナ侵略に抗議し、辞職して亡命したといい、このひとはエリツィンのときに副首相をつとめていてもともとリベラル派と目されていたらしい。はやくプーチンをどうにかして政権が終わるとよいのだが。プーチンに情報をあげていた情報機関(FSB=連邦保安庁)の幹部なんにんかは軟禁されているらしい。
  • 食器を洗い、風呂も。アイロンをかけるものがかなり溜まっているので、きょうは二時台からの労働だからぜんぜん時間はないのだけれどちょっとだけやっておくことに。じぶんのワイシャツをいちまいだけかけ、あとはハンカチや母親の衣服。そのあいだテレビは正午前の『ゼロイチ』とかいう番組をうつしており、なんとか義堂という男性アナウンサーが評判の店に行って人気一位の商品をあてれば視聴者特典がもらえる、という企画をやっていた。表参道にある韓国クッキーの店。画面ひだりうえのテロップには、「センスが良い」「評判のお土産」みたいなことばが記されてあった。選択肢として提示されたのはスタンダードなチョコチップと抹茶クリームチーズとオレオスモアの三つ。スモアとはいったいなんなのかちっとも知らないのだが、これはオレオがはさまれており、なかにマシュマロかなにかがはいっているらしく、スタジオにいるひとびとが食べるとそのマシュマロがびよーんとながく伸びるさまが映されていた。韓国クッキーというのは一般的なクッキーよりもおおきめのサイズでしっとりした食感という特徴をもっているといい、みたかんじではたなごころくらいのおおきさとおもえたが、いちまい四三〇円だったようだからそのサイズでもまあふつうに高い品だ。表参道なんていうばしょはおなじ東京内でも竹林に接して住んでいるこちらのような人種には縁がない。スタジオでうまいうまいいっているひとびとのなかにひとりみおぼえのある顔があって、このひとなんてったかなとちょっとまよったが、指原莉乃だとおもいだした。けっきょく一位の商品はオレオスモアだということ。そのあとはキューピーの料理番組がはじまって、初心者むけにつくりやすいハンバーグとアボカドサラダのやりかたを実演解説していた。
  • アイロンかけを切り、白湯をもって帰室すると一二時をまわったあたり。きょうのことをここまで記して一二時半。出勤まで猶予がないわけだが、なにをすればよいかというのに立ち迷う。きのうの日記、ひいては先週の金曜日、一八日以降の日記を書きたいというのはもちろんなのだが、こののこり時間ではどうせたいして書けもしないし。
  • そういうわけでそのあとはまた脚を足で揉みながら書見した。レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)はずっとおもしろく、おもしろくない章がない。一時五分ごろから二度目の瞑想。瞑想といういいかたもやはりぴったりこないので、静坐と言ったほうがよいのだろうか。それもそれでそんなにぴったりはこないが。このときすわっているあいだに、大風が吹いたときがあった。かなりとおくでひびきがはじまったのをすぐに感知して、さいしょは飛行機のあらわれかともおもって判別できなかったのだが、しだいにどうも風だなというきこえかたになってきて、だんだんとちかづいてくるそのうなりの迫りかたはずいぶんとゆっくりな、じわじわと時間をかけた移動だったのだけれど、そばまで来ると音響は例になくおおきく、津波でも来たのか地震でもつたわってきたのかというほどの激しさで、あたりの草木を圧迫したりものを落下させたり家々をガタガタいわせたりするのがききとれるものの、家は揺れても不思議とガラスはふるえずさわがなかった。去っていきおさまるまでもけっこうながかった。
  • 一時三五分くらいで切ったはず。上階に行ってちいさなおにぎりをひとつつくり、もちかえって食す。歯磨きも。あいまは(……)さんのブログや(……)さんのブログなどをみる。”感謝(驚)”をながして服をスーツにきがえ、階上へ。手を洗ったりうがいをしたりして出発へ。母親はなにかのチラシに携帯をむけつつ、これどうやるのといっていた。QRコードを読み取りたかったらしくカメラの画面になっていたが、QRコードリーダーみたいなのが必要なんじゃないのと言い、わかんない? ときくのにはわからんとこたえて玄関へ。コートがなくてはさむいかとおもっていたのだが、そとに出れば風のつよいわりに大気の質感じたいはおだやかで、ながれるものの感触もかるくやわらかく、駆けたとてつめたさにむすぼれることのない、たましいをすくいとっていくような春の風だった。路上にはそれによって剝がされた杉の茶色い枯れ葉やら、なにかべつの緑葉がついた枝片やら、また木からいくつも落とされた柑橘の黄色い実などが散らかっていた。空は端まで雲につつまれかさなりが薄く灰色がかり、風はやわらかくとも厚くはやいから雨が来てもおかしくなさそうとみれば、はやくもあるいているあいだに落ちてきて、はじめはいたいけなはぐれ粒だったがすぐに少々数を増し、ななめに飛ばされて路面にぽつぽつ模様をつけながらもこのときはまだ盛らずに、降りになるまえにとどまった。
  • 十字路にかかればちょうど風が木立のあたまを薙ぐようにゆがめて、坂に折れるとその風からわかれたなかまによって落ち葉たちがぱちぱちとおとを立てて一斉に、回転しながら走りおりてきて、小学校の運動会にでもありそうな全員競走の様相、しばらくのぼっていくと前方に、家の入り口で木立がとぎれひらかれたその縁に立った一本が、やはり風に揉まれてもだえるように枝葉をこまかくまわしているのがみあげられた。出口てまえの右手の壁にはのり面のくぼみに雑草があつまっているが、そこを風がびしゃっと通るさまが草の折れるののつたわりかたでみてとられ、バケツからみずを投げ捨て撒き散らすときのようなすばやいいきおいの通過だった。
  • 最寄り駅では桜がいくらか咲いていた。といってまだにじんだ程度の、溶けかけのシャーベットがのせられた程度の風情ではある。時間はもどるが坂下の、公団に接した小公園の木も花はまだだがつぼみにいろをためつつ枝のうえに整列させていた。階段通路をとおってホームにむかうと、駅の反対側ではもうそれなりにいろの揃った桜木も一個あり、ホームのさきのほうに出て見れば、丘のてまえの家の敷地にはあれは桜ではないとおもうのだけれど、丸く刈りととのえられたちいさな庭木の、鈍い葉叢の端からはんぶんくらいがいろを横から吹きつけられたように、黴が生じて浸食しているように、桜によくみられるあの浮遊的な薄紅色に、和菓子めいてかすかに甘さの香るような粉っぽい淡色に染まっていた。
  • 風はここでもたいそうつよく、丘のふもとの家の脇にある樹々など風の切迫に横から追いまくられてみどりの葉叢の数本がぐわっと押したおされるようにかたよっており、荒れ狂った、といってよい激しさの吹きつのりだった。電車に乗って移動し、職場へ。(……)
  • (……)さんもあたるのはひさしぶり。あいかわらず授業中にノートに絵を描いて取り組まない、という時間がままある。しかしこちらはそれをあまりせっつかずゆるしていく所存である。かのじょがどれくらい絵を描くことが好きなのか、たんに退屈な勉強の間の手慰みとしてやっているのか、それとも家でもよく描いているのかわからないが、後者だったらそれをもっと肯定したいとすらおもっている。かのじょは見たところではひととのコミュニケーションが得意なタイプではなく、まあいわゆる「陰キャ」と言ってさしつかえないだろう雰囲気であり、質問をしてこたえてくれるときにもちょっとどもったり詰まったりするようなかんじもあり、こちらが指示を出してもすぐにはとりかからず絵を描いているあたりなど特有のじぶんのペースや雰囲気もたしょうあるのだけれど、この日なんだかじぶんはこの子をかわいらしくおもってしまって、といってももちろん容姿がきれいだとかかわいいとか恋愛感情として好みだとかそういうことではなく、じぶんの娘がいたとしたらおぼえるようなたぐいのかわいらしさなのだけれど、だからそれはいわゆる庇護欲、といわれるようなものなのだろう。そしてその庇護欲と、かのじょを肯定し承認してあげたいというきもちのなかには、一種の傲慢さもまたふくまれている。つまり、「陰キャ」とみなされるような子を承認し、自信をつけさせて、よりたのしい、自己実現できるような生へとみちびいてあげたい、みたいなきもちがおそらくあるはずで、これこそパターナリズムというものだろう。まあそれを言ったら教育すべておおかれすくなかれそうとも言えるのかもしれないが、いずれにしても失礼なはなしではある。そもそもかのじょがいまのじぶんに満足しているのか否か、じぶんのありかたを変えたいとおもっているのか否か、じぶんの生をつまらないとおもっているのか否か、そのあたりはまったくわからないのだから。ことさらにつまらないとおもっているだろうともおもわないが、うえのようなこころのなかには、じぶんがかのじょをより良いありかた、生きかたにむかわせてあげられる、というようなおもいが混ざっているはずである。そして、それはあまりよくないことだとかんじる。もちろんそれがなければ教育にたずさわったところで意味はないのかもしれないが、それをはじめから意図してしまっては、危険なことにもなりかねないのではないか。ここで(……)のことをかんがえるに、かれは塾にかよってこちらと接していたこの一年強のあいだにあきらかににんげんとして成長したと言えるはずで、それにじぶんの存在が幾許かは寄与したという自負もこちらにはある。しかし、(……)と接しているとき、じぶんはかれを成長させようとかにんげんとして変えようとかはかんがえていなかった。おしえるものごとをできるだけしっかり理解させようとか、かれのできる範囲ですこしでも勉強をできるようにしようというあたまはもちろんあったが、それは塾講師のしごととしてとうぜん意図することであって、それをのぞけばこちらがやっていたのは、ただかれと接し、やりとりし、はなしていただけのことである。そして(……)のばあいは、それがたまたまいくらかは良いように作用したのだとおもう。かれを変えようなどとかんがえていたら、おそらく(……)はその傲慢さ、押しつけがましさを敏感に嗅ぎつけ、察知し、こちらのことを嫌っていたのではないかと推測する。推測というか、じぶんはそれをほぼかんぜんに確信している。ほかの講師にたいするかれの態度からして、それはあきらかだとおもえる。もちろんさまざまな面でちがいはあり、年齢や経験や知識などからくる格差はあり、また立場上平等で対称的な関係ではありえないにしても、ただたがいにひとりのにんげんとして接し、やりとりし、はなすこと。承認とはそういうものなのではないか。生徒を変えようなどというのは教師の傲慢である。しかし教育とは、生徒を変えることいがいのなにものでもない。だから、教師は、生徒を変えるために、それをはじめからの目的としてあいてを承認するのではなく、ただたんににんげんとしてあいての現在を承認すること、それをつづけ、関係をきずくことで、生徒を変えなければならない。偶然の変化がそこに呼び寄せられることが可能であるようなスペースを、余地をひろげ、つくらなければならない。そこにじっさいに変化がまよいこんでくるかどうかは、偶然である。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 八時半ごろの退勤だったか? もうすこしはやかったか。職場を出たとたんに雨がぱらつきはじめ、しかも駅に行くまでのあいだにすばやく勢力を拡大し、本式の降りになってきたのでコンビニで傘を買ったほうがよいかもしれないとまよったが、最寄り駅についたときに止んでいる可能性もあり、降られるか降られないか運否天賦にまかせようとさだめて改札をくぐった。しかし、通路を行くあいだにも屋根を打つ雨粒のおとは盛んにひびき、ホームについてベンチにすわるとさらに嵩増して、しばらくはげしい音響がつづいて目を閉じている顔に水粒がちょっとふれてくるくらいだったので、これはどうも止まないのではと負けをおもったが、まもなくピークは過ぎて電車に乗ったころにはだいぶ弱くなっていたようだ。瞑目して休みつつしばらく待ち、最寄りで降りてみても、まったく降っていないわけではないがたいした量でもないので、まあ賭けには勝ったと言ってよいだろうと判断した。しかし駅を抜けて街道に出るあいだにもまたちょっと粒が増えたりして、変化のこまかくておちつけない雨である。とおりすぎる車のライトが黄色くひらいた空間のなかに雨線の軌跡が詰まっているが、意に介さずに街道をあるき、「(……)」のまえの自販機でコカコーラゼロの缶をひとつ買った。それからひきかえして駅正面の木の間の坂にはいる。このころにはまた止みかかっていたが樹冠のしたにはいれば枝葉からしたたる粒のためにかえっておとは繁くなり、しかもしたのみちに出て行くうちにまた本降りになってきて、それでも急がずに頑迷とも言える態度で一定の速度を踏みつづけたが、だから賭けは最終的には引き分けというおもむきになった。この日、来週の労働が増えてしまうことが判明し、月曜から木曜までずっとまいにち三コマという絶望的というほかない状況におとしいれられてしまったのだけれど、帰路をあるくあいだはそのことをかんがえていた。そのことにうすい怒りはおぼえるが、それは(……)さんがわるいわけではない。(……)さんに怒りをおぼえるのではなくて、そのことじたいに怒りをおぼえる。怒りをおぼえるのは正確にいえばはたらかなければならないことではなく、それによって記したいことを満足に記すことがますますできなくなるという予測にたいしてである。それもだれがわるいわけでもなにがわるいわけでもない。こちらじしんがまったくわるくないとはいえないだろうが、かといってとりたててわるいわけでもないだろう。世界が社会がわるいという観念的なロマン主義をとることもむろん可能だが、それはクリシェであり、とうぜんながらそういったところでなにをもとらえたことにはならない。とはいえ、ひとはつねに行為と行動に、やらなければならないことや、やるべきこと、やりたいことに追われている。ただ追われているのではなく、追いこまれ、追いまくられている。現代世界はそれがこれまでになく細分化され、ひとはより緻密なかたちで、芸術的なほどに精密なかたちで追われるようになったとは言えるのかもしれないが、しかし歴史上、大多数のひとが行為に追われるということはだいたいのところつねに変わらない状況だったのだとおもう。なにかしら、なにかのためにやらなければならないことがいつもあり、それをのがれることができたのは極々小数の特権者のみである。ひとはひたすらずっとやらなければならないことに追いこまれ、それによって心身や自己や主体や存在を支配され、占拠されてきた。それはとうぜんのことである。そして、そのとうぜんのことをおれはぜったいにゆるさんぞとおもった。ありていに言って、じぶんはいそぐことと焦ることがとにかく嫌いなのだ。急ぐことはまだよい。いそがされ、あせらされることがとにかく苛立たしい。やらなければならないことややりたいことややるべきことに囲いこまれて、じぶんの心身のなかに焦りの感触がはいってくることが嫌いである。いまの状況がまさしくそれである。日記をじゅうぶんに書き、書けることをできるだけ記録したいが、労働やらなにやらもろもろのやることや事情のためにそれが満足に果たせず、この不一致やジレンマによって怒りや苛立ちや欲求不満が生じ、焦りが生まれる。だれかやなにかやじぶんじしんや、状況や環境や条件の総体が、じぶんのなかにそういう感覚や心情や思考を発生させることを、おれはぜったいにゆるさない。現実にはそれは無理だが、ともかくも抵抗はしていく。いそがしい状況であっても、いそがしいという感覚によってじぶんの心身をかんぜんに占領されることをおれはぜったいにゆるさない。とにかくいそがしいとおもって焦りたくない。じぶんの心身がいそがしさに明け渡されることをどうにかして回避していく。どこかに抵抗のスペースをかたちづくり、そこを拠点にしてできるだけのことをやっていく。
  • 帰宅後にたいしたことはない。この日の日記をとちゅうまで記したが、あまりいくらも書けずにちからつきたはず。あと藤田一照と宮川敬之が春秋社ウェブでやっている道元についての連載を三記事くらい読んだ。レベッカ・ソルニットも寝るまえに三時半くらいからしばらく読んだ。夕食を取ったあとは皿を洗ったのちに、米がもうほぼなくなっていたので古い米を皿に取ってラップをかけて冷蔵庫にいれたり、釜を洗ってあたらしく磨いでセットしたりしておいた。