2022/4/18, Mon.

 一九六二年にフルシチョフは、核弾頭の搭載が可能で合衆国本土を射程に収める中距離ミサイルをキューバに配備することを決断した。合衆国のキューバ侵攻を抑止するとともに、米ソ間の核戦力バランスを少しでも均衡に近づけることを狙ったと見られる。
 一九五九年の革命により成立したキューバカストロ政権は、親米政権を打倒して成立したことから合衆国との関係が悪く、その結果としてカストロソ連に接近したため、キューバと合衆国の関係はさらに悪化した。一九六一年に亡命キューバ人ら反革命勢力がキューバ侵攻作戦を企てた際には、合衆国はこれを支援した。この作戦は失敗に終わったが、合衆国が本格的にキューバ侵攻に乗り出すおそれがあった。フルシチョフは、基本的に独力で革命を成し遂げたキューバの政権を高く評価していたと言われ、これを守ろうとしたと見られる。(end141)
 その一方で、ソ連ICBMを誇っていたが、実際には実戦で使えるICBMはまだ少なく、この時合衆国はソ連の四倍程度のICBM保有していると見られていた。このため、合衆国がソ連に先制核攻撃を仕掛けた場合、十分な報復能力がソ連に残るか危ぶまれる状況であり、ソ連としては合衆国に対する抑止が働くか不安に感じられる状況だった。そこで、合衆国に近いキューバに中距離ミサイルを配備し、合衆国本土への核攻撃能力を高めることで、合衆国のソ連に対する核攻撃を抑止する力も強化しようとしたと考えられるのである。
 合衆国は、偵察機の撮影した画像から、キューバに配備されたミサイルが核弾頭を搭載する可能性のあることを察知し、一九六二年一〇月、キューバ周辺海域を艦船と哨戒機によって封鎖するとともに、ソ連にミサイルの撤去を要求し、撤去しない場合のキューバ攻撃にも言及した。これはフルシチョフには予想外の強硬な対応であったようで(フルシチョフは集まった幹部たちに開口一番「レーニンの事業は失われた」と述べたとの証言がある)、ソ連指導部は国の存亡を賭けた対応を迫られることになった(キューバ危機)。
 この時米ソ間に直通の通信線(いわゆるホットライン)はなく、合衆国大統領ケネディフルシチョフ双方の疑心暗鬼もあって危機回避は危うい状況であったが、最終的にケネディキューバに侵攻しないことを約束し、フルシチョフはミサイル撤去を決断して、危(end142)機は収束した。このときキューバの最高指導者カストロは核ミサイルの使用をソ連に求めていたとされ、キューバ危機は核戦争に最も近づいた事件であったと言えよう。他方でこの事件は、米ソ間の直通通信線を生むなど、両国をやや歩み寄りに向かわせた。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、141~143)


 この日は一〇時から通話だったので八時にアラームをしかけており、それで無事覚醒。しかし布団のしたでだらだらすごして離床するのはけっきょく九時ちょうどくらいになったはず。水場に行ってきて瞑想。それかもっとはやく水場には行ってきて、南直哉の本を読んでいたかもしれない。たぶんそうだ。それで脚はある程度揉みほぐすことができたはず。とはいえ睡眠がみじかいので万全でもない。しかしきのうが休日でたいしてうごいていないからからだは混濁というほどではなく、むしろどちらかといえばまとまっていた。
 瞑想を二〇分か三〇分くらいするとあがっていっててきとうに食事。あがった時点で九時三五分くらいだったはず。洗面所でうがいをしたり、食事はすくなめにてばやくすませたりして、九時五〇分くらいでしたへ。隣室にコンピューターなどはこんで準備。きょうはChromebookのほうでまずはいってみたのだが、画角はひろくてうつりも良いは良いものの、動作速度としてはあまり変わらないかむしろすこしだけわるいようだったし、あと音声がちいさくて調節がむずかしいという反応も来たのでやはりもとのパソコンでやることに。Chromebookは通話しながらインターネットをみたいときにつかうことにしよう。あと、LINEもそっちにいれておけば通話中に貼られたものなどをそちらでみることができる。Notionもすくなくともブラウザ版はつかえるようなので、常用パソコンは通話のときはかんぜんに通話だけに専念させればよいだろう。
 この日は三時すぎには労働に出なければならないしはやめにきりあげようとおもっていたのだが、けっきょくいつもどおり雑談にながくすごして二時まで通話していた。(……)
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 それから出勤までにたいした記憶はない。家を発ったのは三時四〇分くらい。雨はやんでいたが傘はもった。道中にもどうも明確な印象事がないので勤務まで飛ぼう。(……)
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 (……)先週の月曜日にはじめての授業に行き、水曜日まではまいにち登校したという。木金はオンライン。雨が降っていたからだというので、それ大学のときのおれじゃんと笑ってとうじのエピソードをはなした。大学はだいたい一年でみんな第二外国語をやることになり、こちらはイタリア語だったが、雨の日はめんどうくさいから行かないでいたところいつのまにか雨天にはかならず欠席するキャラクターにされており、ある日雨でもでむいたらおまえ雨なのになんで来てんのといわれた、というはなしだ。イタリア語のクラスでいっしょだったれんちゅうはけっきょくだれも二年いこうはぜんぜんつきあいがなくなり、西洋史コースにすすんだ二年からは(……)くんなどとのかかわりがはじまるわけだが、一年時のイタリア語のクラスメイトの顔もいくつかははっきりとおもいだせる。すくなくとも三人は出てきて、そのだれもなまえはもうわすれてしまったが、眼鏡をかけた短髪のひとりは松本みたいなかんじで「松」の字がついたはずだ。もうひとりはエジプト研究会みたいなサークルに属していた。あまりにもなつかしい。今後の人生で再会したりかかわったりすることはないだろうし、かりに顔をあわせたとしてたがいにたがいを認識できないだろう。(……)
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 (……)退勤は一〇時すぎになった。九時をまわったあたりでカードは切ったわけで、そこからのこりすぎである。