2022/4/22, Fri.

 一九六八年一月にチェコスロヴァキアでドゥプチェクが共産党第一書記に就任し、改革の動きが始まった。四月には共産党が「行動綱領」を発表し、政治と経済の改革が本格的に検討され始め、検閲制度が事実上廃止された(「プラハの春」)。数十名の著名人らが署名した「二千語宣言」が出されるなど市民が積極的に反応したこともあって他のワルシャワ条約機構加盟国指導部は警戒を強めたが、ドゥプチェクは「人間の顔をした社会主義」を掲げたのであり、「二千語宣言」も共産党の「行動綱領」への支持を表明したものであったから、この時点では社会主義の枠内で改革が進められる可能性はあった。
 しかしワルシャワ条約機構加盟国の指導部が、ドゥプチェクらが民衆を統御できなくなることをおそれた結果、八月二〇日深夜から二一日にかけてソ連軍を中心とする五カ国軍がチェコスロヴァキアへ軍事介入して、「プラハの春」を押し潰した。この際ソ連は、社(end162)会主義陣営の利益のためには一国の主権が制限され得るという「制限主権論」をもって介入を正当化した。この「制限主権論」の主張は、以後もソ連ワルシャワ条約機構の介入があり得ると意識させて、東欧諸国の改革の動きを抑制することになった。
 そしてまた、これを機にソ連の指導部は、改革自体を警戒し、忌避するようになったと言われている。このため、ソ連では以後、資源の節約、生産の集約化、科学技術革命、企業の自主性拡大などが何度となく唱えられた一方で、本格的な改革がおこなわれることはなく、先に見た労働者と農民の意識と態度の変化もあって、工業・農業ともに成長は鈍化し、「停滞」に至った。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、162~163)



  • 「英語」: 687 - 700


 一〇時ぴったりにはっと覚醒。寝覚めはわりとよかった。からだもおおむねまとまっており、こごりはすくない。さくばんから雨が降ってひびきがけっこうひろいものだったが、明けてみれば快晴の日和となっており、カーテンをめくると窓ガラスの上端付近ではやくも枠にかくれようとしている太陽がまぶしい。時間をかけず、一〇時一二分に離床した。水場に行ってみずを飲み、洗顔や用足しもすませてくるとあおむいて書見。南直哉『「正法眼蔵」を読む』をすすめる。この世はすべて関係性のシステムによって一定の条件下で暫時生成されるものであり不変同一的な本質や実体はないというのが縁起とか無常のかんがえであり、仏教はそれをとるわけだが、その縁起という法則や原理じたいが不変の本質となりはしないのか? という再帰性による古典的パラドックスについていくつかおもうところがありはするものの、いまは措く。のちほど余裕があったり書く気になったら。
 一一時一〇分くらいまで読んで瞑想した。からだのこごりがすくなかったのでながくすわれて四〇分ほど。上階へ。母親ははやくも一〇時から勤務に出ている。トイレに行って糞を捨てると居間にもどってジャージにきがえ。暑い。初夏らしい快晴だが空の青はいがいにもさほどの濃さでなく、雲がなじんでいるようにもみえないのだが淡くまろやかな風合いで、正午の太陽はたかくかたむきがないから近間の瓦屋根にもうまくはいらないようで、三角面に液体質の純白はうまれず、その揺らぐ光景もないまま大気はおだやかさにかわいてすこしさきの電線のもとのみがひかりをちょっとためていた。食事にはハムエッグを焼く。あときのうのカキフライのあまり。新聞一面にはウクライナの報があり、ロシアはマリウポリを完全に掌握したと宣言。セルゲイ・ショイグ国防相クレムリンプーチンに報告したと。アゾフスタリ製鉄所にはウクライナがわの兵が二〇〇〇人ほどのこっているらしいが、周辺をかんぜんに封鎖していると。プーチンはそれをうけて突入作戦は現実的ではないと言い、蠅の一匹も飛ばさないようにとの表現で封鎖の継続を指示するとともに、ウクライナがわにはあらためて投降を呼びかけた。露大統領府によれば、三月一一日時点でマリウポリには八一〇〇人ほどのウクライナ兵がいたが、そのうち四〇〇〇人ほどを殺害し、一四七八人が投降したという。ウクライナがわは完全掌握を否定し、製鉄所の部隊は抗戦をつづけると。いっぽうで負傷兵や避難民を救出するための「人道回廊」の設置をもとめ(二〇日にも設置が合意されていたものの実現しなかった)、大統領府顧問だったか副首相だったかが、そのために(たしか現地で)前提条件なしの協議におうずる用意があると述べたと。ほか、自民党安全保障委員会みたいなところ(小野寺五典が会長)が、年末の改定にむけた安保関連提案三つを正式に承認したと。いわゆる「敵基地攻撃能力」は先制攻撃との誤解がおおいとして、弾道ミサイルなどで攻撃をうけたさいの「反撃能力を保有する」という表現にあらためたと。反撃対象としては基地だけでなく、あいてがわの司令部や指揮統制機能もふくむ。
 台所に行ってフライパンにみずをくみ、火にかけるとともに食器洗い。さきほど卵をあたらしく開封して冷蔵庫のみぎがわのスペースにいれておいたのだが、そのパックも鋏でちいさめにきりわけて始末した。ついでにプラスチックゴミをいれてあるビニール袋も整理してゴミをきちんとおさめておく。そうして風呂洗い。出てくると沸騰したフライパンのみずを捨ててキッチンペーパーで拭き取り、白湯を一杯もって帰室。Notionを用意して湯をのみながらウェブをみたあと、一二時四〇分ごろから「英語」記事を音読し、一時をむかえてきょうのことをここまで記述。いまは一時四〇分。きょうは最高気温が二六度とかであつく、うえはジャージを着ていられず肌着いちまいだし、窓もあけて空気をとおしている。


 いま一一時一〇分。夕食をとりながら(……)さんのブログを読んだ。一九日にある学生たちとの夜歩きのようすがたのしそうでいいなあとおもった。まさしく愛と笑いの夜というかんじ。『愛と笑いの夜』というヘンリー・ミラーの本のタイトルはこのあいだ(……)くんがブログに文章を引いていてはじめて知ったのだけれど、この文言じたいがあまりにも幸福すぎて、もうこのひとことだけで幸福感のにおいが喚起されてしまう。検索してみると、サニー・デイ・サービスの三枚目のアルバムもこの題らしい。

 その後上階に行き、食器を洗ってから入浴。湯のなかで静止してすごし、冷水シャワーもなんどか下半身を中心に浴びせた。あたまを洗ったり、束子で全身の肌をこすったりも。きょうはけっこう念入りに脚や腹をこすっておいた。束子健康法はじっさいかなりすっきりする。出てくると炊飯器のなかの米がもうのこりすくないのであたらしく磨いでおこうとおもい、のこった米を皿にとって釜をながしへ。みずをそそいでおいてから食器乾燥機のなかのものをいちいち戸棚やほかのばしょにもどし、それから釜を洗った。父親はソファについて孫の手かなにかで肩や背をペチペチたたいたり、脚を揉んだりしている。そうしてザルをもって玄関に米をとりにいこうとしたところであがってきた母親が、パンと焼きそばがあるから米は炊かなくていいというのでそのようにした。白湯をコップにそそいでポットをのぞくと湯がすくないので薬缶にみずをいれてそこからそそぎ足しておき、ファンヒーターのまえにジャージが置きっぱなしになっていたのでたたんで仏間の簞笥におさめた。それで帰室。湯をのみながらウェブをまわっていま一時。


 昼間、この日のことを記述したあとは瞑想した。三〇分ほど。窓はあける。鳥の声が活発にたくさん散らばる季節になってきた。静止に切りをつけるとストレッチをすこししてから階上へ。ベランダの洗濯物をとりこみ、タオル類をたたんで洗面所の籠へ。それから出勤前のエネルギー補給。といってクルミのはいったやわらかいパン(白い粉がふんだんにまぶされてある)をひときれレンジであたためて食べるのみ。白湯とともに部屋にもちかえってさっと食べ、歯磨きをしてきがえ。きょうのあつさではジャケットは着ていられない。そうするとベストすがただから胸に内かくしがつくれず、ふだんそこの両側にいれている手帳と携帯をバッグにいれざるをえない。シャツの両腕はまくった。そうして階をあがり、ハンガーにつけられたものをはずしたり、肌着類などをたたんでおいて出発。ふれるからに暑い空気。家から東に出て坂にはいるまえのみちわき、新緑をゆらすカエデの木の立ったところから一段さがった敷地に花壇がもうけられているのだが、そこにおおぶりの赤いツツジがいくつもならべられて咲いていた。その脇をはしる水路に接した斜面には明緑の草のなかにハナダイコンの紫が群れている。坂にはいるとみぎては眼下の川やそのむこうの木壁、さらに川むこうの集落や果ての山まで宙がひらいてみわたせて、いかにも青々とした初夏のいろを背景にしたのみちに面して建設中の建物の、ホームかなにからしく横にけっこうながくて四角くととのっているが、その木材の薄色がほがらかだった。背にやどるぬくみは暑く、初夏をすでにこえている。風がながれてしたみちのみどりがいっぽん揺れ、木の葉もいくらかはがれていたようだが、あるくみちにも左右の端にせんじつまでみなかった落ち葉の帯が太めにつくられてあった。坂の尽きるそばの一軒で敷地の端に白い花をまとった小木が、木というよりは枝の束のようにほそいすがたですらりと立って、ひだりての西空から視界にかかったひかりをまぜられて花はおのれの輪郭をふみこえながらその白さにつやを帯び、あれは桜ともみえたがべつの種か後れ咲きのひともとなのか。坂をぬけてふたたび陽のなかにはいればまちがいなくこの春になっていちばんのひかりの厚さ、重さ粘りである。
 街道に出るまえのみちわきはガードレールのむこうが斜面で鬱蒼としたかんじの杉の木がなんぼんか立ちあがってそびえているが、そのてまえにいっぽんはいった細枝の木が、若緑の葉をつけて杉の枝葉をすこしかくすようにしており、それではじめてここにこんな木があったのかと気がついた。杉のほうも棘っぽい葉叢のところどころの茶色にもはやあかるさはなく鈍くかげっている。おもてみちに出ればフジの花の清冽な青紫が垂れてゆらぐのが目につき、むきだしの陽のうちを行くあいだ風は吹くものの涼しさにいたらず、かといってことさらぬるくながれるでもなく半端な温度のやわらかさばかりが肌をあそぶ。空は正午の淡さをはなれていまはまったきみずのひといろ、雲もとぼしくて直上から東の果てまでとめどなかった。なにをおもったか、裏にはいらずわざわざ陽の照るおもてを行こうと気が向いて、垣根をいろどるドウダンツツジの微小な白の群れなどみやりつつあるくうち、尻や脚の裏までたまる陽射しは重く、マスクをつけていれば息もややくるしくて、これはとちゅうでみずを飲んだほうがいいかとおもいながら口を風にさらした。汗をかくのでかえってながれが涼しくなる。女子高生がひとり、上着を脱いでシャツになってバッグをせおいなおしながら、友だちでも待っているのかスマートフォンをみながら暑いなかを立ち尽くしていた。ローカルなリカーストア、要するに酒屋のたぐいの横にある自販機でとまり、小銭がなかったので千円札でスポーツドリンクをひとつ買っていくらか飲んだ。そのころには陽射しもいくらか肌に馴れていて、マスクももどす。
 (……)に寄って用を足したあとかわらずおもてを行きながら、みあげた空はカーンとおとが鳴りわたるような青に抜け、車の絶えず行き過ぎてさわがしい道路の対岸では建物の間のちいさなスペースで子どもらのあそぶ声が反響し、そこにある駐車場所なのかせいぜい一、二台しかとめられなさそうな空きに接してツツジが植え込みに群れていて、日陰ながら白や赤がたがいにいりまじってあざやかだった。駅前まで来ると横断歩道をわたって折れる。駅のほうにむかいながら等間隔にもうけられた壇のなかのパンジーを見、それからみどりの葉をみたが、表面がいくらかざらついた感触のその明緑に、それまでただのみどりだったものがこれはアジサイかと名をむすび、そうだここにはアジサイがあって、毎年このならびに花が咲くのをみるのだったとおもいだされた。おもいいれがあるわけでない。しかしわすれていたのがなぜか不思議なようだった。


 (……)そうして勤務。(……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 八時半ごろ職場を出て駅へ。ベンチについて瞑目。(……)行きが来ると乗って瞑目をつづけ、最寄りで降車。たいした印象はない。昼間は暑かったが、この時間になればベストすがたはすずしく、夜あるくにはよい季節となった。ジリジリとしたにぶい声の虫があらわれどこかの草のなかで鳴きはじめており、空気のながれのなかになにかのにおいが混ざってだんだんと夏っぽい。空は月のない晴れ。黒々とした金属板のなめらかさに星もあまりうつらず、家のすぐてまえでぽつりと一滴だけ顔にふれるものがあったが、こんな快晴で降るはずもなし、なんのみずだったのかどこからきたのかわからなかった。
 帰ると休んで瞑想したあと食事に入浴といつもの暮らしだが夜半まわりのことはすでに書いた。この夜のうちにこの日の往路まで書き終えることができたのは僥倖だった。とはいえやはりからだはつかれていて姿勢をたもつのも難儀だったし、いまこうして書いているその感触とくらべるととうぜんながらゆびのうごきもにぶかったので、ほんとうはやはりさっさと眠ってつぎの日に書いたほうがよいのかもしれない。