2022/4/25, Mon.

 ソ連が工業化と軍事大国化を比較的短期間で実現することができた理由の一つには、ソ連が石炭、石油、天然ガス、金、ダイヤモンドといった埋蔵資源に恵まれた国であったことが挙げられるが、豊富な資源の存在は、資源とエネルギーの節約やコスト削減の意識を弱め、技術革新を遅らせることにもつながった。石油や天然ガスの輸出、金の売却によって外貨を獲得することができ、性能の良い機械や食糧を大量に輸入することができた点も、ソ連の経済と社会にとって短期的には救いとなったが、中長期的には産業の弱体化を促すことになった。特に、一九七〇年代の石油危機に際して、西側諸国の産業はエネルギーと資源を節約するための技術革新を強いられ、そのことが技術力全般を高め、生産の効率化につながったが、産油国ソ連ではこうした動きは鈍く、技術力の差が一気に拡大することになった。
 こうして、一九七〇年代半ばにアメリカ合衆国との核戦力の量的均衡を実現したソ連は、経済的には「追いつき、追い越す」どころか、差が開く一方であった。そればかりか、第二次大戦で敗れ、数年にわたる占領さえ経験した西ドイツと日本が一九五〇~一九七〇年代に急速な経済成長を実現し、ソ連は経済的にはこの二国にも対抗できなくなっていた。
 ソ連の指導部はこのことを認識しており、一九六六年からの第八次五カ年計画には、外(end170)国の進んだ科学・技術の成果を全面的に利用し、パテントライセンスの交換を著しく拡大することが盛り込まれた。一九七〇年以降、ソ連の貿易額は急増し、先進資本主義国との貿易の割合も急増した。自動車生産でフィアットルノーとの提携がなされ、化学、繊維、鉄鋼、機械、食品などの分野でも広く先進資本主義国の技術が導入された。
 こうして一九七〇年代には、ソ連の指導部の間でも国民の間でも、社会主義体制が資本主義体制より優れているという確信が揺らいだ。この確信は一九六〇年代まではソ連の人々の間で広く共有されていたが、一九七〇年代から一九八〇年代になると多くの人々が、ソ連は先進資本主義国に遅れをとっていると意識するようになった。大々的な宣伝と検閲の下にあるソ連の人々でさえ意識するようになったソ連の遅れは、他国にはもっと前から感じられており、資本主義に対する社会主義の優位性という主張は疑わしいものとなった。ソ連は、資本主義に優る経済発展を可能とするモデルとしての魅力を失ったのである。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、170~171)



  • 「英語」: 741 - 755
  • 「読みかえし」: 689 - 694


 起床は一一時一三分。快晴である。なんどか覚めつつもそのたび混濁にひきもどされたのだが、さいごにさめたときはたいして寝床に長居せずまもなく起き上がった。水場に行って用を足したりなんだりしてきてから書見。南直哉『「正法眼蔵」を読む』(講談社選書メチエ、二〇〇八年)。のちにも読んでいま300のまえ。そろそろ終盤。因果律の非実体性(虚構性もしくは仮象性)についてだったり、あと道元が仏教修行における作法として洗面と洗浄をことさら重視していたというはなしなど。洗面、つまり顔を洗い、また歯を磨いたりするやりかたを『正法眼蔵』のなかでこまごまと詳述しているらしい。道元によれば洗面の習慣はインドから中国につたわったというのだが、祖師のおしえいわく、「もしおもてをあらわざれば、礼 [らい] をうけ他を礼する、ともに罪あり」(267~268)ということらしい。また、とうじの中国では歯磨きの習慣が廃れていたらしいのだけれど道元はそれも批判し、南直哉の現代語訳によれば、「したがって、天下の出家者も在家人も、息が非常に臭い。一メートル近く離れてものを言うときでも、口臭がやってくる。それを嗅ぐものは耐えがたい」(271~272)とけなしているのでわらう。「仏道を心得ている老師と称し、人間界・天人界の導師と名乗る輩も、口を漱ぎ、舌を磨き、楊枝で歯を磨く方法を、それがあることさえ知らない。これをもって察するに、仏祖の偉大な道が廃れてしまったこと、どれほどのものか想像もつかない。いま我々が万里の波濤をしのいで宋の国に渡ってくるのに露ほどの命を惜しまず、異国の山川を万難を排して越えてきて、ひたすら仏道を求めようと思っても、こんなことでは、仏法の衰運を悲しむ他ない次第で、いったいどれほどの尊い教えが、さらに以前に消滅してしまったのだろうか。惜しむべきである、まことに惜しむべきである」と仰々しくつづけているのもわらう。「しかるに、日本一国の為政者・民間人、出家者・在家人、みな楊枝で歯を磨くことを知っている。これは仏の光明を知ると言うべきである」(272)とも。
 一二時すぎまで書見し、それから瞑想。三〇分ほど。まあわるくない。風がよくめぐってそとの空間がざわめき、ながれが家にぶつかるおともきこえる初夏の日である。上階に行って糞を垂れ、ジャージにきがえるとあらためて洗面所でよく顔をあらった。あと口をゆすぐとともに髪やあたまも濡らして櫛つきドライヤーでかわかした。食事はカレーうどん。居間は無人である。きょうは新聞がやすみらしくみあたらなかったので、食べ物を部屋にもちかえってコンピューターを準備しながら食った。ウェブを見聞。
 あがっていくともう一時二〇分くらいだった。食器と風呂を洗い、白湯をもって帰室。「英語」と「読みかえし」と音読。とちゅうで二時をまわったので洗濯物をとりこみにいった。まぶしくさわやかな日和。シーツのたぐいや炬燵カバー、タオル類をたたんでおき、かえるとふたたび音読。


 この日の勤務は五時すぎ出発。それまでのあいだのことはよくおぼえていないが、というかたいしたことがなかったが、書見したり瞑想したり、米を磨いでおいたり洗濯物をぜんぶたたんだりした。食事は食パンいちまいを焼いて食った。五時一〇分をこえたあたりで出発。ポストから夕刊をとって玄関内にいれておき、鍵を閉ざして道へ。むかいの宅の横側にある垣根に異国の蝶をおもわせるような赤さのツツジが咲きはじめている。花弁の襞のたおやかな質感。林の高いところでみどりのこずえたちがめぐる風にさらさらうごいておとを降らせていた。みちの前方では(……)さんらしき老女がこちらにむかって遅々とあるいており、ちかづいたところであいさつをかけた。(……)さんの家の横にも梅の木の脇の斜面の端にやはり赤いツツジが咲いていて、さきほどのものよりちいさい花だがおおく群れてあざやかであり、何年もなんどとなくこのまえをとおっているのだが、ここにツツジがあったということをこの日はじめて明確に意識した。その横には青灰色をほんのかすかはらんだようなシャガの白い花もいくつかあらわれていた。
 公団の敷地前を、フェンスに接したガードレールのあしもと、そこに生えならんでいる雑草や、そのなかにもふくまれているかなりちいさなツツジのオレンジをみながらとおりすぎ、付属公園の葉桜もみあげて上り坂へと折れた。きょうも初夏めいて気温は高く、ジャケットを着ていると暑いくらいの夕刻ではあるが、肌にあたる衣服の感触はさらさらとなめらかでここちよい。坂が尽きて最寄り駅をみちのむかいにすると駅舎階段のむこうに暮れがたの太陽が空に溶け、ななめにながれるそのあかるみが正面、カエデの樹の葉に混ぜこまれてみどりがいくらか黄色くあたたまり、そのみぎてにはもうとうに一律葉となった桜もいっぽんあり、ひかりはそこまでかからないもののこのみどりもそそがれたように充実だった。みちをわたって階段通路にはいると落陽のすじが横から顔にふれてくるのが季節がめぐってひさかたぶりの微熱だが、きょうの空はおおかたみずいろながら雲が淡くもそのまえにひろがっているようでひかりを延ばされた北西は白く、温みのなかに夏をのぞませる粘りはまだない。ホームにはいって縁のほうをあるいて行けば眼下の線路に日なたがうっすらひらいて敷かれ、レールやらそのまわりに詰められた石やら、草やら柵の土台となっているコンクリート壁やらのうえにこちらの影もななめに伸びてかるく乗りながら、物質のさかいをものともせずに、あゆみにしたがってするするとわたっていく。


 勤務。(……)
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