2022/4/26, Tue.

 ソ連と国境を接しているアフガニスタンでは一九七八年四月のクーデタで共産主義建設を目指すタラキ政権が発足し、ソ連はこれを社会主義革命と認めていた。ところが一九七九年九月にタラキが殺害され、アミンが政権を掌握した。ソ連は、アミンがアメリカ合衆国との関係改善を求めているとの情報から、新政権が合衆国に接近してアフガニスタンが合衆国の対ソ前線基地となることを警戒し、アミン政権転覆のため軍事介入したと言われる。これに加えて、合衆国がこの頃までにソ連への態度を硬化させていて遠からず緊張緩和路線を放棄するとの見通しや、社会主義革命が起きたと認めた国の政権が倒されたのを(end172)ソ連が放置することは同盟国を動揺させるとの懸念にも基づいていたとの指摘もある。
 ソ連の政治指導部は、短期間の介入で親ソ政権を樹立して撤退することを想定していた。しかし、親ソ政権の樹立までは短期間で実現したが、アメリカ合衆国の支援を受ける反政府ゲリラとの内戦となり、ソ連は大規模な軍事介入を継続する必要に迫られた。介入は泥沼化してほぼ一〇年に及び、ソ連は人的物的資源を消耗してゆく。軍事介入を開始した一九七九年一二月から一九八九年二月の撤退完了までにソ連アフガニスタンへ約六二万人の兵士を送り込み、そのうち一万四〇〇〇人以上が死亡したとされる。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、172~173)



  • 「英語」: 756 - 782
  • 「読みかえし」: 695 - 697


 一一時五〇分まで寝坊。天気は曇り。午後四時まえ現在だと雨も降っている。はげしくはないが音響がゆたかな、そこそこの降りである。おきあがったあとはいつもどおり水場に行ってきてから書見した。南直哉『「正法眼蔵」を読む』はのちにも読んで読了。いろいろ興味深いところはあったが、感想をつづるほどのかんがえはいま浮かんでこない。きょうは時間が遅くなってしまったので起床後の瞑想をせずに一二時半くらいに階をあがった。母親にあいさつしてジャージすがたになる。食事にはベーコンエッグ。米はきのう炊いたばかりなのだがもうなくなった。新聞一面にフランスの大統領選でマクロンが勝ったという報があった。きのう出勤するさいに夕刊の見出しでも確認していたが。五八パーセント対四一パーセントだったかそのくらいの差だったはず。ぜんかい同様にマリーヌ・ル・ペンと決選投票したときにはマクロンが六六だかとって圧勝だったのだけれど、着実に差は埋まってきている。今後五年でまたどうなるか。ほか、ウクライナ危機にまつわって国連安保理の機能不全ぶりを記すコラム。安保理がロシアの拒否権によって非難決議を可決できず、米欧は総会にたよって一定の成果はあげたものの有効性としてはとぼしい。ゼレンスキーは安保理の存在意義を疑問視して抜本的な改革をもとめ、それができなければ解散するべきだとすらいっているが、拒否権をもてなければ大国が参加しようとしないという事情もありむずかしい。
 (……)ででかけていた父親が帰宅。食器と風呂を洗ってもどってくると、みずをそそいで火にかけていたフライパンがまだ沸騰しておらず、また炊飯器の釜もあらっていなかったのでそれをあらう。あいま、テレビのニュースは知床半島沖で観光船が行方不明になった事件をつたえており、まだみつかってないんだと母親がいうのに父親もなかなかみつからないだろう、あんなひろい海で、とか受けつつ、国後のほうまでさがすとかさっきもいってたよ、救命具をつけてるはずだから、浮かんでながれていくのかなとつぶやいていた。船のなかにのこったままになっちゃったひともいるんじゃないかとも。
 白湯をもって帰室。ウェブをちょっとみたのちに南直哉を読んで読了。二時半まえから瞑想した。ここまでかなと目をひらくと三時五分。だから四〇分弱なのだが、体感としてはやはりもうすこし、だいぶながく、四五分くらいはすわったかんじだった。そのあと東京事変の『教育』をひさびさにながして音読し、ここまで記していま四時すぎ。
 雨はだんだんとふくらんでおもいのほかに盛り、湿りをはらんだ涼気がじわじわと室内にながれこむとともに硬い打音もいくらかきこえた。David Robson, “The reasons why exhaustion and burnout are so common”(2016/7/23)(https://www.bbc.com/future/article/20160721-the-reasons-why-exhaustion-and-burnout-are-so-common)(https://www.bbc.com/future/article/20160721-the-reasons-why-exhaustion-and-burnout-are-so-common%EF%BC%89)を読みつつ休息。五時まえになって再度瞑想。二〇分ほど。このころにはすでにやんでいた。窓外では複数種の鳥たちがにぎやかに声を交錯させ、その編み目のあいだにウグイスの鳴きも淡くきこえた。ホーホケキョという尋常の鳴きがいちど、それにまだかれらの季をむかえてまもないだろうに、ひゅるひゅるという狂い鳴きもあった。近間の家内からか談笑的なひとのはなしごえもきこえ、またたぶん川ちかくに建設中のホームだとかいう建物からだろうが槌の打音が雨後のみずっぽい大気のなかに残響をともなってよくわたり、鳥たちの声もそれとおなじくおのおの輪郭をひろげたひびきとなりつつ、ヒヨドリが飛び立つと同時にあげる叫びなどめざましく裂くような鮮烈さだった。
 五時二〇分くらいで上階へ。アイロン掛け。母親はソファについてタブレットスマートフォンをみていた。作業をはじめようというところで電話が鳴ったので出ると(……)さんだという。(……)ですかね、と父親の名をあげ、少々お待ちくださいといって保留にしておき、サンダル履きでそとにでると父親がそこの水道でなにか採ったみどりのものを洗っていたので、電話とつたえて子機をわたした(父親は濡れた手をシャツの脇腹あたりでぬぐっていた)。なかにもどるとアイロン。シャツ類や作業ズボン、エプロン。さきほど書くのをわすれていたのだけれど食事のあいだにNHK連続テレビ小説がはじまって、そのオープニング映像がまあ写実的といってよいだろうタッチのアニメーションで、こういうのって実写映像とはちがった、アニメイラスト特有のセンチメンタルさがあるなとちょっとおもったのだった。新海誠まではいかないし、そこまできれいさ美しさを押し売りしにくるかんじでもなかったとおもうのだけれど、これとまったくおなじ構図おなじシーンの映像を実写で撮れたとして、そこにこういうセンチメンタルはたぶん生じないだろうと。表象としてはにんげんが現実に目でみるものにちかいだろう視覚像をわざわざひとの手によりイラスト化してアニメーションにすることで生じるセンチメンタルも不思議だが(ということはたぶんほんとうはぜんぜんちかくないということなのだろうが)、そもそもつうじょうの感性でとらえられるような「きれい」「うつくしい」がセンチメンタルさ、すなわち感傷性や感情性へと即座につながるのはいったいなぜなのか? という疑問をおもった、ということをおもいだしながらアイロン掛けをしていると、「センチメンタル」という語からスピッツ『フェイクファー』の二曲目であるまさしく”センチメンタル”という曲をおもいだし、そのメロディがあたまにながれたので口笛でちょっと吹いたりしていたのだけれど、携帯がスマートフォンになったいまやそれをつかってAmazon Musicで音楽をきけるわけで(すこしまえ、なにかの機会にアプリをダウンロードしていたのだ)、せっかくだし音楽をききながら家事をするかということにした。それで自室にもどってスマートフォンとイヤフォンをもってきてスピッツ『フェイクファー』をききながらアイロン掛けをしたのだが、ききはじめるあたりで父親が居間にはいってきて、きょうは父親が飯をつくるらしかったので、まかせることに。それで衣服の皺を熱と圧迫によって殺しつつスピッツをきいたかんじ、かれらの曲のギターアンサンブルってだいたいはいっぽうでアコギがずっとシャカシャカやり、エレキがひとつはほどよい潰れかたのディストーションで刻んだりコードを鳴らしてひろげたりしつつ、もうひとつのエレキがメロディアスなアルペジオでいろどりをそえる、というかんじで、あまりにもスタンダードでオーソドックスなのだけれど、そのきわめて基本に忠実なやりくちをすごく忠実にやることでこれだけキャッチーになっているのだからたいしたもんだなとおもった。六曲目の”楓”のとちゅうでアイロン掛けに切りがついたが、この曲はセンチメンタルがすぎて肯定しきれない。売れはするだろうけれど、このアルバムだったらほかの曲たちのほうがぜんぜんよいとおもう。
 その後室にもどるとここまで加筆。きょうはあとどうすっかなあというかんじですね。日記はおとといきのうとまだあまり書いていないけれどたぶんきょうじゅうには終わらんだろうし、あした(……)くんの授業があるから訳文を添削しておく必要もある。あとこれもわすれていたが四時すぎにつぎにどの本を読もうかなとおもって自室と隣室にある本たちをひととおり見回ったのだけれど、まだ決めきれていない。ひとつの本を読み終えるとつぎになにを読むか、いつもまよう。おおかたどれも読みたくて持っているわけだからどれでもよいといえばよいし、どれを読んでもそれぞれなりのおもしろさ興味深さ勉強になる点があるだろうというのもみえるから、それでかえって困る。


 夕食。米が炊けていなかった。七時に炊くようタイマーの表示が出ていたのだが、その表示を出したところまでで炊飯ボタンを押さず、予約がきちんとできないままだったらしい。父親だか母親だか知らないが。母親はふだんつかっているわけで、たぶん父親のほうがミスったのだろう。米なしでもまあよいとおもったところがまえの米ののこりでつくったおにぎりがひとつ冷蔵庫のなかにはいっていたのでそれをいただくことに。ほかは野菜のおおい鍋スープなど。おおきな盆におのおの用意して鍋をこぼさないようにゆっくりはこんで自室に行くと(……)さんのブログを読みかえしながら食事。二五日の冒頭に梶井基次郎城のある町にて」の、寝床で寝られないままゴイサギの声をきいてものの遠近がおかしくなるへんな感覚がおとずれる、みたいな場面がひかれていたがこれはよくおぼえていて、この篇の終わり直前くらいだったはず。こちらが読んだとうじはこれ瞑想してるときのかんじに似ているなとおもい、そのことを日記に書きつけたおぼえもある。「厖大なものの気配が見るうちに裏返って微塵ほどになる」、「廻転機のように絶えず廻っているようで、寝ている自分の足の先あたりを想像すれば、途方もなく遠方にあるような気持にすぐそれが捲き込まれてしまう」というあたりだが、いまは瞑想をしてもこういう感覚が起こることはまずなくなった。むかしはいわゆる変性意識みたいな、ながくすわっているとある地点でステージが切り替わってなにかちょっと特殊な状態にはいっていくみたいなかんじがたしかにあったのだけれど、いまはほぼない。慣れたのか? やりかたを非能動性に変えたからかもしれない。深呼吸式でやればたぶんいまでもそういうかんじになるのではないか。あと、いわゆる丹光というやつ、まぶたを閉じた視界にみえるひかりじみた靄のようなものというのは、これはいまでもふつうにみえる。むかしはこれの湧出が盛んになって、視界の中心付近に吸いこまれていってはどうじに周縁からまたあらたな湧出がすでにはじまっておりそれも中央へと吸いこまれて、というのがくりかえされることがよくあり、それを瞑想状態が深まってなにかしらの脳波だか脳内物質が出ていることのあかしだろうとこちらはおもっていたのだが、さいきんはそういううごきかたがあったかどうかおぼえていない。たぶん似たようなことはあったのだろうが、あまりそれを気に留めていなかった。いずれにしてももはやじぶんはなにか特殊な精神状態にはいることが瞑想だというかんがえを捨てた。
 (……)さんはいま執筆中の「(……)」を書くにあたってむかしのラブホテル勤めの時代の記録を読みかえしだしているのだが、そのさいしょが二〇一二年九月一五日。こちらが(……)さんのブログを発見してはまったのは二〇一三年の一月だったはずなので、とすればこのへんっておれ読んだことないのかなとおもったのだが、そうでもないようで、一七日のSさんやマネージャーとのやりとりの記述はあきらかに読んだ記憶があった。この時点でもうブログは「(……)」だったのだろうし、「(……)」として公開されていた記事はこちらはさいしょからぜんぶ読んだはずなので、だからこのへんもいちどは読んでいるのだろう。
 

 その後飯を食い終えてうえまでさきに書くと、ジャージとパンツを脱いで下半身丸出しになり、鋏で陰毛を切って股間をすっきりさせた。さきほど夕食まえに手の爪も切ったのだ。爪と髭と陰毛は定期的に始末しなければならないのがめんどうくさくて、これらは人体になくてもいいなとおもいますね。爪もまだぜんぜん伸びていなかったというかゆびさきをほんのすこし越えただけなのだけれど、肌にあたるときの感覚がやはり鬱陶しく、ゆびさきとしても厚ぼったいというか野暮ったいようなかんじなのでもう切ってしまった。陰毛もさいきん暑くなってきているしそうすると股間というのは基本的につねに衣服におおわれているわけで外気になかなかさらされず通気性がわるいから、毛がもじゃもじゃしているとけっこう蒸れたり湿ったりして下腹部がかゆくなったりもして邪魔くさい。そういうわけで定期的に切ってととのえており、この「定期的」がどのくらいのペースなのかちょっと気になりもするのだけれど、日記を追えばいちおうしらべることは可能なはずだ。チン毛を切るときはよそをむいたりあまりものおもいにふけったりせずに鋏の切っ先と性器をよくみてゆっくり慎重にやらないと局部をあやまって傷つけることになってしまい、そうするとかなり痛い。じっさいこのときも手をうごかしながら、二〇一三年の一月に(……)さんのブログをみつけ、また読み書きをはじめたからもうそこからまる九年いじょうか、と時の経過をおもっていたせいかキンタマの襞をちょっとはさんでしまったときが一回だけあり、かなり痛かった。中国の宦官のことをおもうとおそろしくなる。二〇一三年の一月から読み書きをはじめていらいじぶんがこの方面でやったことといえば本を読み、日々を記録することだけなわけで、なかなか堂に入ったやりかたで人生を棒に振っているとおもう。これからもなるべく積極的に生を棒に振っていきたいとおもっているのだけれど、なかなかそうもいかないだろう。

 陰毛を処理しおえてうえを記し、八時半ごろに上階へ。皿を洗っていると母親が、「じっちゃんの名に賭けて」っていうよね、金田一少年の事件簿、と口にしたのはいまうつっているテレビドラマがどうやらそれだからで(ちなみに母親はさらに「放課後の魔術師」とも口にしていたので、このドラマの事件は原作漫画でいえば五巻か六巻あたりのそれだろう。たしか桜木みたいななまえの女子先輩が首吊りでころされるやつだ)、母親の「じっちゃん」の発音は一般的な、後半の「ちゃん」でおとがあがるいいかたではなく、「じっ」の音節のほうが高くなるアクセントのつけかたであり、だからたとえばみちこというなまえの女性をあだなで「みっちゃん」と呼ぶときとか、童謡の「さっちゃん」とか、あるいは「兄ちゃん」「姉ちゃん」というときや、上野だかどこだかにいる日中友好の一環として中国からおくられたのかもしれないパンダを「リンリン」と呼ぶときなどのそれとおなじアクセントなのだけれど、母親はこういうふうにつうじょうとはちがったアクセントのつけかたをする単語をいくつか所持しており、それをきいた父親がそうじゃないだろとつっこむこともたまにある。このときの父親は発音について指摘することはなかったが、じぶんはじぶんでワイヤレスイヤフォンをつけてタブレットでなにかの番組をみているから母親の発言がよくきこえなかったらしく、え? 何? とおおきなこえでききかえして、その声音にふくまれている圧迫的な粗雑さにいらだつこともまえよりなくなったものの、食器をこすりながら、にんげんは老いるとふたとおりあるとはよくいわれるところで、あるひとはまるくなったり聖人めいた鷹揚さや寛容さを体現するようになったりするいっぽう、べつのパターンでは歳に比例して子どもがえりするかのごとく幼稚になると、つまりあるものは深化し、あるものは退行退化する、とそういうはなしがあるとおもうが、ひとは歳をとると、つまり老人になると、虚飾とか余計なとりつくろいとかがなくなってある意味純化され、地の人間性があらわになってくるのかもなあとばくぜんとおもった。あまりたしかなかんがえにはみえず、むしろうさんくさいようだが、たんじゅんに年齢をかさねればからだがあちこちおとろえ壊れてきて、痛み苦しみがつねのともづれとなり、ときに病をえて、日々を暮らしそのときそこに存在しているだけで若いころよりも難儀になるだろうから(歳にかかわりなく、どれだけ楽をしていようとも、そもそもにんげんは存在しているだけでだれもかなりたいへんなのだから、若いころは若いころで難儀なのだが)、ひととしてつくろうだけの余裕がなくなり、そのひとの本性みたいなものがもしあるとすればそれがあきらかにでてくるのかもしれないと。危機においてこそそのひとの真価がためされるみたいなはなしだが、そういうことはじっさいあるのではないか。危機的状況をむかえたときにそれをどう受け止めどう行動するかというのは、それまでに、まずもって平穏な状況のうちでどれだけよくかんがえて日々を生きていたか、そこでじぶんのやること他人のやることをきちんとみていたか、あるいはみずからがかつて体験した危機や歴史上の過去の危機、そして未来の危機をどれだけおもっていたかということに左右されてくるだろう。これもよくとりあげられるはなしだが、批評(critique/criticism)と危機(crisis)の語源は同一であり、criticalの語は批評的という意味とともに危機的の意ももっている。そこからすれば批評とはすなわち危機をおもうことではないのか。というのは短絡にすぎるいいかたな気もするが、危機においてこそ人間性が真にあらわれためされるということを仮定するに、アウシュヴィッツで(少数で、かつささやかで、わずかばかりだったとはいえ)プリーモ・レーヴィをたすけた善良さが存在したことはすさまじいことだなとおもった。想像を超えている。そしてアウシュヴィッツを生きたプリーモ・レーヴィが、"We do not believe in the most obvious and facile deduction: that man is fundamentally brutal, egoistic and stupid in his conduct once every civilised institution is taken away … We believe, rather, that the only conclusion to be drawn is that in the face of driving necessity and physical disabilities many social habits and instincts are reduced to silence.”と書きえたことも同様にすさまじい。想像を超えている。
 そんなことをかんがえながら風呂にはいっていたので、排水溝カバーにたまっている毛をとっておこうとおもっていたのをわすれてしまい、あがって洗面所で髪をかわかしているとちゅうにおもいだしたので、いちど履いた寝間着のズボンを脱いでパンツ一丁になり(裾が洗い場の床について濡れるためである)、しゃがみこんだままカバーにひっかかって黒くあつまっている毛をとりのぞいた。なにかにいちどつかったあとの使い回しであろうビニールの、口を封じられるタイプの袋に手をつっこんで奥のほうにいれておく。なるべく底のほうにいれるのは後続をいれたときに先行者が浅いところにあると仲間同士でひっかかりからまって、なかなかうまく置き去りにできずゆびを引き抜くときにくっついてきてしまうためである。ブラシでカバーをこすってとれた毛をさらにいれたり、汚れをのぞいたりしておき、風呂を出ると白湯をもって帰室。ここまで書くと一〇時すぎ。

 そのあと書抜きをして、さらに(……)くんの訳文を添削。書抜き時は爪を切ったときにながしていた上田正樹とありやまじゅんじの『ぼちぼちいこか』のつづきと、西岡恭蔵とカリブの嵐『77.9.9 京都「磔磔」』をながした。この後者のライブ盤はいぜんいちどながしたのだけれどなかなかよくて、コンプリート版がほしいくらいなのだがデータでは売っていない。さいしょのメドレーのいちぶになっている”プカプカ”というのはゆうめいな曲のはずで、いったいどこできいたのかわからないがだれかがカバーしているのをどこかできいたおぼえがある。”アンナ”は初期のThe Beatlesをおもいおこさせるテイストで、ソロでこういういろあいのギターを弾かれるとわりと参ってしまうし、”MISSISSIPPI RIVER”のギターも芸がこまかく、ただしい連想なのかわからないがBob Dylanなんかをおもいだす。Bob Dylanの音楽じたいもそうだが、より具体的には七五年のThe Rolling Thunder Revueのギターを連想するようで、ということはおそらくT-Bone Burnettのいろあいということで、すなわちアメリカ南部のロックとかカントリーということなのだろうが、じぶんはT-Bone Burnettをほかできいたことはないしそのへんの音楽にもぜんぜんふれたことはない。あと二曲目の”夢”だったような気がするが、ピアノソロでよくいわれるところの「玉を転がすような」かんじのフレーズがあり、この瞬時の回転はたまらない、これはピアノでしかできない質感だなとおもって快楽をおぼえた。
 訳の添削はぜんかいまでより時間がかからなかった印象。別紙にぬきだして解説するほどのこともなかった。(……)くんほんにんもそろそろ全訳はいいかなとおもっているような気もされ、こちらとしても労力がかかるのでほんにんがもうだいじょうぶそうといえばそれでもいいかなとおもっている。ただ、和訳の練習として英文解釈のテキストとか和訳の問題とか、それは長文とどうじにやらせたほうがよいだろう。その後しばらくだらだらして休んでからひさびさにGmailをのぞいたところ、(……)さんからメールが来ていてわりとびっくりした。ひじょうにひさしぶり。二八日の木曜日に東京に来る用事があり(……)さんと美術館に行くことになったのでもしよかったらいっしょに、ということだった。とうじつにまにあってよかった。以下のように返信。

(……)

 (……)さんとまえに会ったのは二回のはずで、ブログを検索してつきとめたところでは二〇一九年の七月二一日と九月一二日のことだった。(……)さんと三人でクリスチャン・ボルタンスキー展をみにいったというのはおぼえていたものの、そのあとがいつだったかおもいだせず、たしか翌年の四月くらいだったか? とおもいつつもはっきりせず、検索のてがかりをもとめて記憶をさぐったところ、そういえば(……)に来てくれたのだ、それで電車のなかでかのじょがもっていたバッグだったかがmarimekkoというブランドで、じぶんはとうじそのなまえを知らなかったが、(……)さんはおしゃれさんなんだから知ってるでしょ、といわれたなとおもいだし、marimekkoで検索すると九月一二日がひっかかったのだ。われながらじぶんの記憶力にほれぼれしてしまいますね。たしかその二回だけだったはずで、こんかいが三回目になるとおもう。(……)