2022/5/13, Fri.

 先生の書斎は方七メートルほどで、天井まで書物が整然とアルファベット順に置かれ、北側の窓からはオリーヴの樹々が見えた。壁の一角にモネの銅版によるボードレール像がかかっており、わずかに道路を疾走する車の音が伝わってくるだけで、学問の場にふさわしい静寂が常にその部屋を充していた。先生はいつも礼儀正しく背広にネクタイを締めて待っておられ、私が扉を開くと、「ボンジュール・イノウエ。」とはにかんだように握手を求められるのだった。その態度には社交家の如才のなさといったものは微塵もなく、戸惑っているようなぎこちなささえ感じられるのだった。そうして、森閑とした書斎の片隅に置いてある長椅子に私を座らせると、朱の入った私の原稿を片手に問題点を指摘してゆくのだった。ひとたび話が文学に触れると、もの静かだった先生は突然情熱に憑かれて、深い所から魂の炎が迸りでるようだった。これは偉大な老人の性質ではないだろうか。肉体は衰えるものであるが、魂の炎は理想を追う人々にとっては絶対につきることがない。この不思議な炎の源は神秘的ですらある。先生は多くの場合きわめて厳しかった。そっと原稿をのぞいてみると「否 [ノン] 」と大きな朱が入っている部分などもあって、しばしば絶望につき落される気もしたのだった。極東の一読者(end134)のパンセが石造りの城壁に粉々になってしまう苦しみも味わったが、先生はそうした批判を権威ずくですることはなく、面白い見方があると異邦人の意見でも充分に尊ぶ雅量と公正さとを常に失われなかった。本当の自信、それは全知全能ではない、一つの限界とさらに大きなものを何時でも認めうる心だと教えて下さったのはリュフ先生だった。つまりこうした会話を通して、私は先生のなかに文学に対する深い愛情と人文主義的なよき伝統といったものを発見していったのだった。たしかに、複雑で人の魂を消耗させる現代では、先生の立場は古く、もっと戦闘的な思想が必要だと人は云うかも知れない。人文主義的伝統など過去の夢だ、全てを破壊しつくしたいのだという悲劇的な攻撃欲もあることだろう。しかしまた人間性を深く愛し、その理想を夢みることは不滅の事柄なのである。こうしてリュフ先生の篤実な人柄に惹かれはじめていた私は、仕事が終るまでは日本に帰るまいと決心していた。
 静かな書斎に闇がこくなり、煙草をともすマッチの火が一瞬明るく感じられる頃になると、広間へ行って御茶に招いて下さるのだった。「日本の御茶にはかないませんが。」と先生は常に地味だった。こうした時には夫人も同席されるならわしで、開け放された窓の向うには、南仏のなだらかな丘と谷が紫の夕靄におおわれていた。その涯にはカンヌ沖あたりの地中海があるはずだった。先生は古き良き時代のフランス、香水の原料がすべて自然の花であった時代や、旅行の想い出などを淡々と語られ(end135)るのであった。人生の夕映えを爽やかにむかえた老夫婦の静謐が美しかった。そしてそうした数刻、私は幸福な弟子であり、魂の平和にみちた夕が永遠にとどまることを虚しく願うのであった。
 (井上輝夫『聖シメオンの木菟 シリア・レバノン紀行〈新版〉』(ミッドナイト・プレス、二〇一八年/国書刊行会、一九七七年)、134~136; 「Ⅱ ベイルート夜話」)



  • 「英語」: 323 - 370
  • 「読みかえし」: 752 - 754, 755 - 756


 一〇時ごろ覚醒し、一〇時二〇分に起床。さくばんいつのまにか意識をうしなっていてなしくずしのようにしてねむってしまったので、めざめはあまり晴れやかではなかった。天気は雨。というかこの時点ではやんでいたようだが、書見をしているあいだに降りはじめた。水場に行ってきてからクロード・シモン平岡篤頼訳『フランドルへの道』を読む。200をこえてだんだん終わりがちかい。いつの間にかなめらかにというかんじで時空を移行するのがけっこうみじかい間でつづくところがあった。ジョルジュが括弧内の直接話法で「おれ」という一人称で語っていたのが急に「わたし」に変わり、鍵括弧が閉じないままイグレジアの発言を引きつつ段落が切れて、改行すると三人称「彼」の語りがはじまってコリンヌをまえにしている、というながれがそのひとつ。一一時半くらいまで読み、きょうは瞑想をする気にならなかったので上階へ。母親は居間にいる。ジャージにきがえて洗顔してからトイレに行くため玄関に出ると父親は戸をあけはなしにしてそこの座席にすわりスマートフォンをいじっていた。便所で腹のなかみを捨ててからだをかるくしてから食事。焼きそばやおじや。あたためて席につき、食べながら新聞の一面をみると、フィンランドの大統領と首相が連名でNATOへの加盟申請を支持すると表明、との記事があった。ロシアのウクライナ侵攻をうけてフィンランドは自国の安全のためNATOに加盟するべきであると主張しており、政府はちかく正式に加盟を申請するみこみとのこと。フィンランドは約一三〇〇キロの国境でロシアと接しており、冷戦期はソ連との関係をはかってNATOにはいらず中立をたもっていたという。ソ連崩壊後もEUにははいったもののNATOにはくわわっていなかった。おなじく軍事的中立をたもっていた隣国スウェーデンNATO加盟のうごきをみせているらしい。二面には戦況。ハルキウ(ハリコフ)近郊、国境までの幹線道路に面した集落をウクライナ軍がいくつか奪還して、露軍は国境地帯まで押し戻されたらしい。ただ英国の発表によれば、ロシア軍は補給や部隊再編のために撤退した可能性があると。またヘルソン州の親露派「軍民政権」の幹部は、地元住民のうち希望者にはロシアが旅券を発効するだろうというみこみをしめしたと。これはきのうの新聞で、プーチンにヘルソンのロシア併合を要請したとつたえられていた幹部と同一人物のようだ。
 母親のぶんもあわせて食器を洗い、風呂へ。詰替え用洗剤の封を切ってボトルに補充しておいた。そうして浴槽をブラシでこすり洗い、出てくると白湯とともに帰室。コンピューターをまえにしてNotionを準備し、音読した。「英語」記事と「読みかえし」ノート。英語のほうはわりと読む気になるのだが、読みかえしノートのほうはなぜかあまり気分が乗らないことがおおい。一時すぎまで読み、体操とかかるいストレッチとかをはさみつつきょうのことをここまで記していま二時ぴったり。きょうから三日間は休み。きょうじゅうにおとといきのうの日記を終えたい。


 その後、おとといきのうにとりくんで、午後六時ごろに終えて投稿した。これであとはきょうの現在時に追いつかせればひとまずノルマはなくなる。二時をすぎてもさいしょのうちはどうも乗らないかんじがなくもなかったのだけれど、たしょうスクワットをしたりストレッチをしたりとやっているうちに血がめぐって書きやすくなった。たいせつなのはやはり脚で、ふくらはぎもそうだがとりわけ太ももであり、見たかんじでもいちばん太いぶぶんなので納得ではあるが、ここをどれだけほぐせるかどうかで心身ぜんたいのやる気は決まる。そのためにやりやすいのは胎児のポーズとスクワットで、前者は脚のみならず上体や首のほうまでからだぜんたいをやわらげることができる。スクワットといってもこちらがやるのはそんなに強度のたかいものではなく、そもそも上下したりもせず、開脚してたしょう腰を落とした状態でとまりながら息を吐くというだけでかんたんなのだが、これをおりおりやればからだはしっかりしたかんじになる。ゆびさきまで血と酸素がいきわたるから手もかるがるとうごくようになり、打鍵するのも楽だ。この文章をいま読んでいるみなさん、一〇年後、五〇年後、五〇〇年後一〇〇〇年後にこの文章を読むにんげんがもしいるとしてそのみなさん、みなさんにじぶんがこの日記をとおしてつたえたいのは、にんげんの健康はなによりも脚からであるというそのことだけである。一〇〇〇年後も人体の構造や機能はたいして変わっちゃいないだろう。脚をほぐすとやる気が出るぞというそのことだけをじぶんのメッセージとしてすべてのひとにつたえたい。サッカー部や運動部のれんちゅうがだいたいみんな威勢がよいのも納得だ。
 五時すぎ時点できのうの日記をすでに完成させていたかもしれない。わすれた。まだ二時間も経っていないのに。五時を数分こえたところで上階へ。父親が台所にはいっていた。米を磨ごうとおもっていたのでながしで手を洗い、さきに食器乾燥機のなかを各所にかたづける。父親は冷凍されていたホッケだかサバだか魚を焼くようで準備をしていたので、料理はまかせることに。ザルに米をとりにいく。二合ほどで尽きたのであたらしい袋を鋏で開封。古い袋にはいっていた唐辛子をあらたな袋のほうにくわえておき、米をすくいおえると洗濯バサミでとじておいて台所へ。父親がながしでフライパンを洗っているところだったので居間のほうに出てさきにアイロン掛けの準備をし、そのうち空いた隙をついて米を磨いだ。六時半に炊けるようセット。さきほど見にいったら炊けたようだったので、まえにタイマーがこわれているとおもったのはなにかのまちがいだったのかもしれない。機能しているらしい。そうしてアイロン掛け。テレビは相撲をうつしており、シャツの皺を伸ばしながら目をむけた。若隆景という力士と高安のたたかいがひとつあり、高安はいちおうなんとなく見たことがある。かれの腹はよくふくらんでおり、それを手でたたくおとが、どこのマイクなのかわからないがボン、ボン、とはいってきこえており、ずいぶんよくひびく、よく鳴るなとおもった。しかし試合は若隆景の勝ちで、こちらのほうが背が低くて体躯も比較的ほそいのだが、身を低くしずめてあたりにいき、高安の腋の下にはいりこむようにしてみぎてでまわしをとってあいてをうごけなくするという場面が三度くらいあり、終始身をかがめて立ち向かっていくような姿勢で試合中ずっとうつむいているから顔がみえなかったくらいで、最終的に行事が甲高く「ハッケヨーイ!」と声を張ったのを機にもう一段深く身をしずめて均衡をくずし、押し出しにいたっていた。ガッツのある取り方。相撲というものにおおきな興味はないがみればけっこうおもしろい。スポーツはなんでもそうだ。ぶつかりあう力士の尻の肉がはげしくふるえてマジでみなものようにうねりをわたしていくさまなどなかなか見ものである。人体があんなにふるえることもそうそうないだろう。
 アイロン掛けを終えると白湯とじぶんのワイシャツをもって下階にかえり、手の爪が伸びていてうっとうしかったのでそれを切ることにした。きのうあたりから全般的にSo What?というきぶんになっていたのでMiles Davisの”So What”がききたくなり、『Kind of Blue』ではなくて『Four & More』のほうをながした。爪を切ってやすりながら聞き、そのままついでにつぎの”Walkin’”もきいた。『Walkin’』が何年だったかわすれたが一九五四年か五年かたぶんそのくらいのはずで、おそらく初出だとおもうがあのもったりとしたスタジオ演奏をおもいおこすとこのライブの”Walkin’”はすさまじい変貌をとげてほぼ行けるところまで行った感があり、一〇年あればこれだけ変わるということじたいは意外ではないが、しかし時間はべつとしてここまで行くんだなと。こいつらぜんいん指うごかすのはやすぎない? とおもう。Milesもはじけているし、George ColemanもColtraneとかMichael Breckerとかとはちがってかき乱すようなブロウにならず、このテンポではやく吹いても一音一音が立って音程のとれるなめらかなつらなりになっているのがすごい。Ron Carterもここの演奏は文句なしにすごいしすばらしいのだが。後年のRon Carterは、こちらはあまりいいとおもえたことがない。
 そのあとここまで書いて七時。


 それからはたいしたこともなし。夕食時だったとおもうが(……)さんのブログでしたの梶井基次郎の文章を読んだ。(……)さんもいっているし、こちらじしんむかしに読んだときにおなじ感想をもったとおもうが、ここに書かれてあることほぼぜんぶかなりよくわかるなとおもった。パニック障害、不安障害の心理そのもの。「吉田はほとんど身動きもできない姿勢で身体を鯱硬張らせたままかろうじて胸へ呼吸を送っていた。そして今もし突如この平衡を破るものが現われたら自分はどうなるかしれないということを思っていた」という一節など、大学のいきかえりに電車のなかで呼吸のバランスがくずれないように必死になっていたときのことをおもいださせる。息をゆっくりながく吐くと副交感神経がはたらいて緊張がやわらぎ心身がおちつくというのはよくいわれるところなのだが、パニック障害レベルだとそれも焼け石に水というかたいして効果はなくて、むしろながく吐くことで逆に苦しくなるようなこともよくあり、じぶんのばあいはとくに呼気と吸気のかわりめの一瞬に緊張がたかまってビクビクすることがおおかった。それが発作まで転化しないように細心の注意をはらって呼吸のリズムやながさやつよさを調節する、ということになる。「何故不安が不安になって来るかというと、これからだんだん人が寝てしまって医者へ行ってもらうということもほんとうにできなくなるということや、そして母親も寝てしまってあとはただ自分一人が荒涼とした夜の時間のなかへ取り残されるということや、そしてもしその時間の真中でこのえたいの知れない不安の内容が実現するようなことがあればもはや自分はどうすることもできないではないかというようなことを考えるからで」というぶぶんもすさまじくよくわかる。「胸のなかの苦痛をそのまま掴み出して相手に叩きつけたいような癇癪」というのはむかし読んだときにすごい比喩だなとおもって、それでこの箇所を書き抜いた記憶がある。夏目漱石も『坑夫』のなかで似たような比喩をつかっていたようなおぼえがあるが、なんだったかな?

 吉田はこれまで一度もそんな経験をしたことがなかったので、そんなときは第一にその不安の原因に思い悩むのだった。いったいひどく心臓でも弱って来たんだろうか、それともこんな病気にはあり勝ちな、不安ほどにはないなにかの現象なんだろうか、それとも自分の過敏になった神経がなにかの苦痛をそういうふうに感じさせるんだろうか。――吉田はほとんど身動きもできない姿勢で身体を鯱硬張らせたままかろうじて胸へ呼吸を送っていた。そして今もし突如この平衡を破るものが現われたら自分はどうなるかしれないということを思っていた。だから吉田の頭には地震とか火事とか一生に一度遭うか二度遭うかというようなものまでが真剣に写っているのだった。また吉田がこの状態を続けてゆくというのには絶えない努力感の緊張が必要であって、もしその綱渡りのような努力になにか不安の影が射せばたちどころに吉田は深い苦痛に陥らざるを得ないのだった。――しかしそんなことはいくら考えても決定的な知識のない吉田にはその解決がつくはずはなかった。その原因を臆測するにもまたその正否を判断するにも結局当の自分の不安の感じに由るほかはないのだとすると、結局それは何をやっているのかわけのわからないことになるのは当然のことなのだったが、しかしそんな状態にいる吉田にはそんな諦めがつくはずはなく、いくらでもそれは苦痛を増していくことになるのだった。
 第二に吉田を苦しめるのはこの不安には手段があると思うことだった。それは人に医者へ行ってもらうことと誰かに寝ずの番についていてもらうことだった。しかし吉田は誰もみな一日の仕事をすましてそろそろ寝ようとする今頃になって、半里(はんみち)もある田舎道を医者へ行って来てくれとか、六十も越してしまった母親に寝ずについていてくれとか言うことは言い出しにくかった。またそれを思い切って頼む段になると、吉田は今のこの自分の状態をどうしてわかりの悪い母親にわからしていいか、――それよりも自分がかろうじてそれを言うことができても、じっくりとした母親の平常の態度でそれを考えられたり、またその使いを頼まれた人間がその使いを行き渋ったりするときのことを考えると、実際それは吉田にとって泰山を動かすような空想になってしまうのだった。しかし何故不安になって来るか――もう一つ精密に言うと――何故不安が不安になって来るかというと、これからだんだん人が寝てしまって医者へ行ってもらうということもほんとうにできなくなるということや、そして母親も寝てしまってあとはただ自分一人が荒涼とした夜の時間のなかへ取り残されるということや、そしてもしその時間の真中でこのえたいの知れない不安の内容が実現するようなことがあればもはや自分はどうすることもできないではないかというようなことを考えるからで――だからこれは目をつぶって「辛抱するか、頼むか」ということを決める以外それ自身のなかにはなんら解決の手段も含んでいない事柄なのであるが、たとえ吉田は漠然とそれを感じることができても、身体も心も抜き差しのならない自分の状態であってみればなおのことその迷妄を捨て切ってしまうこともできず、その結果はあがきのとれない苦痛がますます増大してゆく一方となり、そのはてにはもうその苦しさだけにも堪え切れなくなって、「こんなに苦しむくらいならいっそのこと言ってしまおう」と最後の決心をするようになるのだが、そのときはもう何故か手も足も出なくなったような感じで、その傍に坐っている自分の母親がいかにも歯痒いのんきな存在に見え、「こことそこだのに何故これを相手にわからすことができないのだろう」と胸のなかの苦痛をそのまま掴み出して相手に叩きつけたいような癇癪が吉田には起こって来るのだった。
 しかし結局はそれも「不安や」「不安や」という弱々しい未練いっぱいの訴えとなって終わってしまうほかないので、それも考えてみれば未練とは言ってもやはり夜中なにか起こったときには相手をはっと気づかせることの役には立つという切羽つまった下心もは入っているにはちがいなく、そうすることによってやっと自分一人が寝られないで取り残される夜の退引(のっぴ)きならない辛抱をすることになるのだった。
 (梶井基次郎「のんきな患者」)

 入浴後、一〇時すぎにギターをいじりたくなってちょっといじったが、時間がおそいのであまりおおっぴらにおおきなおとを出せず、たいしておもしろくはなかった。そのあと風呂場などでおもいついていた散文を綴った。カフカが日記に夜な夜な書きつけていた断片のようなかんじでやろうとおもったのだが。とちゅうまで。あと、「隻眼の家出少女のみちびきに乗るも乗らぬも雨音しだい」という一首をつくった。あとそうだ、書抜きもやって、トーマス・マン魔の山』の上巻は終わらせた。書いた散文はした。

 森のなかに、犬がいる。これは夢だとその目がいう。あるいは鳴き声が。わたしは町を捨ててきたのだが、そのことが記憶にない。犬の声を聞いても思い出すわけではない。犬はただ鳴いている。鳴くというよりは小便をちょろちょろと漏らすような、不安をかきたてるような鳴き方で、その声はクゥンクゥン……でもキャインキャイン……でもなく、文字にすることがむずかしい。鳴き声というより、強いていうならば、夏の夜に道端の草むらでじりじり鳴っている虫の翅音のような声だ。秋になると虫の声は透きとおって旋律に似てくるが、そのまえの、なまぬるい風だけをふくんでいる、詰まった鈍いうなり。わたしは犬をなでる。それ以上のことはできない。不遜さはすでに上限に達している。不運か幸運かでいったら幸運だろう。
 風は吹き、木の葉は鳴る。わたしは犬をなでる。しらみをとるようにではない。復讐や、勉強のようにではない。ように、はなく、ただ手をすべらせる。腹や背、首元に。頭をなでていると、耳が見つかった。耳の片方はいくぶん欠けている。そこに指を一本入れると、自動ドアが閉まるように、カメラのシャッターの収縮のように耳は吸いつき、指に引っかかる。わたしは立ちあがった。犬は軽く、重力ではなくその法則そのもののように重さをもたず、指にぶらさがってついてくる。わたしの目のまえには彼の(彼女であっても何ひとつ問題ない)口、そして歯が浮かぶ。その歯に映っているのはわたしの顔だが、映っているというか、ひとの顔がそのまま実になっている地獄の木のように、ひとつひとつの歯にわたしの顔が描かれている、というかひとつひとつの歯がわたしの顔である。だからといって、鏡であるわけではない。どんな素材でできているのかわからない。ただ、エナメルや酸素、印刷用インクや金平糖でないことだけはまちがいない。ここは森だった。ということは、おそらく葉っぱでできているのだろう。つまり、繊維質なのだ。
 風は吹き、木の葉は鳴る。これがひとつのできごとだ。では、ふたつのできごととは何か? 鳴った木の葉が落ち、池の水にふれて波紋を生むことだ。犬がそこに飛びこんで、生まれたての波紋を破壊する。粉砕する。それが三つ目。わたしは犬とともに池に入り、水浴びをする。服を着たまま浴びたのか、脱いで浴びたのかは重要ではない。水を浴びたということが大切なのだ。池から出てきたわたしから水滴がぼたぼたと落ち、地面に薄黒い水玉模様を描く。これが四つ目のできごとで、地べたに座りこんだわたしが空をあおぐと、日の光が目を刺してなみだがながれた。五つ目だ。涙腺が刺激されたわけではない。目に向かってまっすぐ射られた太陽光線が、睫毛に濾しとられ眼球の上をころがるように通過することで、なみだに変わって伝い落ちたのだ。そうして納得されるものがあった。自分の死期は近い。だとすれば、この犬を殺してやらねばなるまい。
 それもまた不遜にちがいない。不遜さはすでに上限を超えている。しかし犬は、その目は、何もいわなかった。わたしは彼(彼女であってもまったく問題がない)を尊敬し、感謝と敬意を払い、四つんばいになって