2022/5/22, Sun.

 こういう次第でハンス・カストルプは、ダンテについてもあれこれと聞き知ることができた、しかも権威者の口から。むろん彼は、話し手のセテムブリーニに誇張癖があることを計算に入れて、話の全部を信じこむようなことはしなかったが、それにしてもダンテが目ざめた大都会人だったという説は、一応傾聴に値すると思った。さらに彼の聞いたところでは、セテムブリーニは自分自身をも話題にして、自分、すなわち孫のロドヴィコは、近い祖先の傾向、つまり祖父の公民的傾向と父の人文主義的傾向の結合した存在であり、従って自分は文学者、自由な著作家になったのだ、と説明した。なぜなら文学とは、結局は人文主義と政治との結合にほかならず、この二つのものは、人文主義自体がすでに政治であり、政治が人文主義であるだけに、いっそう自然に結び合うものなのである。……ここでハンス・カストルプは耳をそばだてて、話をよく理解しようと努めた。なぜなら、いまこそビール商のマグヌス氏の無学ぶりがよくわかるはずであって、文学がどうして「美しい品性」ではないのか、それも理解できるだろうと期待したからである。セテムブリーニはふたりに、ブルネットーという名の人のことを聞いたことがあるかと尋ねた。一二五〇年ごろフィレンツェ市の書記をしていて、美徳と悪徳に関する書物をあらわしたブルネットー・ラティーニ氏についてはすでにお聞き及びであろうか。彼こそは、フィレンツェ人に磨きをかけ、言葉に関する作法を教え、彼らの共和国を政治の原則によって統治することを教えた最初のひとである。「これですよ、諸(end331)君」とセテムブリーニ氏は叫んだ。「これなのです」と叫んで彼は、「言葉」、言葉の尊重、雄弁について語り、雄弁こそ人間性の勝利なり、といった。なぜなら、言葉は人間の名誉であり、言葉によってはじめて人生は生きるに値するものとなる。単に人文主義のみならず、人間愛一般が、つまり人間の尊厳、人間尊重、人間の自己敬愛という古くからの諸観念は、言葉や文学と密接不可分の関係にあるのである。――(「ね、聞いたかい、君」とハンス・カストルプはあとでいとこ [﹅3] にいった。「文学では美しい言葉が問題だってさ。ぼくもそう思っていたんだよ」)――だから政治もまた文学に関係している、というか、むしろ政治は、この結合、人間愛と文学との同盟から生れるのである。なぜなら、美しい言葉からこそ美しい行為が生れるからである。「みなさんのお国には」とセテムブリーニはいった。「二百年以前にひとりの詩人がいました。すぐれた雄弁家でした。この詩人は、美しい筆蹟は美しい文体を生むという考えから、筆蹟の美しさということを非常に重要視していました。しかし彼はもう一歩進んで、美しい文体は美しい行為を生むというべきだったのです」 美しく書くとは、美しく考えるということとほとんど同じことであって、美しい考えという段階から美しい行為という段階までは、あとほんの一歩である。あらゆる人間教育やその道徳的完成は、文学の精神、つまり人間尊重の精神から生れるが、これはまた同時に人間愛と政治との精神である。しかり、これらいっさいのものはひとつなのだ。同一の力、同一の観念である。そしてそれはひと(end332)つの名称で要約できる。で、その名称とは? その音節の組合せは別に耳新しいものではないのだが、その意味や威厳は、おそらくいとこ [﹅3] たちはまだはっきりとは把握していないのではあるまいか――さてその名称は「文明」である。セテムブリーニはこの言葉を発音しながら、乾杯するひとのように、小さな黄色い右手をさしあげた。
 (トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、331~333)



  • 「英語」: 491 - 520
  • 「読みかえし」: 801 - 806


 はやい時間から混濁気味に覚めつつ、九時ごろ意識がかたまる。布団のしたで深呼吸して九時二三分に離床。空には薄雲が引かれているもののみずいろも透け、ひかりの感触がある。消毒スプレーとティッシュでパソコンを拭き、洗面所へ。顔を洗ってみずを飲み、トイレで用足し。もどると書見した。ホッブズ/永井道雄・上田邦義訳『リヴァイアサンⅠ』(中公クラシックス、二〇〇九年)。力の種類や、名誉・不名誉のあたえかた、ひとの態度(マナーズ)についてなど、あいかわらずカテゴリカルというか、分類列挙的な記述がつづく。にんげんのふるまいかたにたいするホッブズのみかたは、皮肉なところがある。ただシニカルというよりは、冷静で冷徹ながら真をうがった面がある、というような。「自分と対等であると思っている相手から、こちらが報いることができるより以上に大きな恩恵を受けたばあい、私たちはにせの愛、いや実際には、ひそかな憎悪をいだきがちである。そのようなばあい人は絶望的債務者の状態におかれ、債権者に会うことを避け、もはやけっして会うことのない場所へ債権者が行ってしまうことを心ひそかに願うのである」(136)とか。「自分をそれほど有能だとは思っていないが、それでも勇者と思って得意になっている者は、見かけのよさにばかり気をとられ実行しようとはしない。なぜならば、危険や困難が現われたさいに、自分の無能ぶりが発見される以外に何も期待できないからである」「自分の能力を他人の追従や以前の幸運な行為によって評価し、自分自身についての真の知識に発する確実な希望にもとづいて評価しようとしない自惚れ屋は、向こう見ずをやりかねない。そして危険や困難が近づくと、引っこもうとする。なぜならば彼らは安全な道が見つからないとわかると、どのような救助によっても助からない生命を危険にさらすよりは、弁解によって救うことのできるかもしれない名誉を危くするほうをえらぶからである」(138)などもなかなかのディスりぶり。筆致に過剰なところはなく、ホッブズはべつにディスっているつもりはないのかもしれないが、ただ冷静に考察しているだけでそれが鋭いディスりになっているようなかんじ。あと、「(……)私たちは、人間のこの世における至福(フェリシティ)は満ちたりた精神の休息状態ではないことを考えなければならない。というのは、「究極の目的」(フィニス・ウルティムス)とか「最高善」(スンムム・ボヌム)とか、むかしの道徳哲学者たちが書物のなかで述べたものは、まったくありえないからである」(133)ともあって、これはなかなか論議を呼びそうなところ(刊行されたとうじに論議を呼んだのではないかというところ)ではないか。「満ちたりた精神の休息状態」とか、「究極の目的」「最高善」とかいうことばからは、キリスト教的な神の国というか、最終的に神がもたらすであろう天国的至福みたいなイメージがおもいおこされるのだけれど、ホッブズは「この世における」至福は、と留保をつけながらもこれらを否定している。逆にいえばそういう種類の「至福」は「この世」ではなく死後の世界にしかありえないという主張としても読めるわけで、じっさいすこしあとの136では、「(……)死後の喜びとは、えもいわれぬ天国の喜びにつつまれるか、地獄の極端な苦悩にかき消されるかのいずれかであるが、(……)」とも書かれており、すくなくとも書面上ではホッブズが「えもいわれぬ天国の喜び」の存在をみとめていると読めるけれど、ここまでのかれの記述の調子からして、ほんとうにそうなのかなあと、あるかなしかわからない死後のことなどどうでもよろしいとおもっているんじゃないのかなあといううたがいが湧く。133の記述はつぎのようにつづく。「さらにまた欲求がなくなった人間は、感覚と想像力が停止した人間と同じく、もはや生きることはできないのである」、そして改行後、「至福とはある対象から他の対象へと欲求が絶えず進んでゆくことであり、さきの対象の獲得はあとの対象の道程にすぎない。それというのも人間の欲求の目的は、ただ一度だけの、あるいはただ一瞬間の享楽ではなく、将来の欲求への道を永遠に確保することにあるからである」。だからここは直接には、にんげんの「この世における至福」とは「満ちたりた精神の休息状態」という、欲求が解消された静止性ではなく、際限なき欲求の連続状態だという再定義の箇所だが。「人間の欲求の目的は、ただ一度だけの、あるいはただ一瞬間の享楽ではなく、将来の欲求への道を永遠に確保することにあるからである」ということは、欲求とは欲求が永続することそのものを欲するものである、ということだろう。ここから欲求の本質は再帰性にあるという方向でなにかしら考察をひろげることも可能なのかもしれない。極端なばあいの不安が不安そのものにおびえるようになり、恐怖症がついには恐怖恐怖症にいたりうるということをおもいだす。じぶんの経験からすると不安障害とは、どんなものであれ不安がすこしでも発生することじたいをおそれる不安不安症のことである。
 さらにその後、「そこで私はまず第一に、あらゆる人間に見られる一般的傾向として、死にいたるまでやむことのない権力への不断のやみがたい欲求をあげる」(134)と述べられている。ホッブズはけっこう「力」に注視をむけており、なにが力であるかということも列挙していて、そのなかでは「学問はたいした力ではない。それは目だたないものであり、したがってどんな人のばあいでも持っていることが分らない。またそれは少数者をのぞけば誰ももってはおらず、その少数者のばあいでも、わずかのことがらに関してもっているにすぎない。つまり学問とは、自分自身がかなりの程度身につけていないかぎり、理解しえないものなのである」(118)などともいわれている。ほんにんが権力志向だったかどうかは措いても、このあたりにんげんの本質や、力がものをいう世界もしくは時代にたいしての苛烈な現実認識がみえる気がされ、そのへんがゆうめいな自然状態の定義につながっていくのかもしれない。
 一〇時一八分くらいから瞑想。窓をあけていてもまったく寒くなくさわやかな大気で、そとの空気もよくうごきまわっているひびきを帯びていて、鳥の声もひっきりなしにたくさん散ってにぎやか。目をあけると一一時ぴったりだった。すなわち四二分も座っていたわけで、こんなにながく座ったのはひさしぶり。座ってじっとしていればそれで成立だという原点にたちかえったので余計な模索がなくなり、ちからを抜いて楽にいられるようになった。上階へ。両親は不在。映画に行ったらしい。いくらか晴れてきており空で雲のまわりに濃い青が見えだしていたので、肌着類などなかに吊るされてあった洗濯物を出した。食事はきのうののこりもの。新聞一面にはロシア国防省がアゾフスタリ製鉄所を完全掌握し、マリウポリを制圧した旨を発表と。アゾフ大隊の司令官も「投降」したといっており、セルゲイ・ショイグ国防省は、マリウポリを「解放」したとプーチンに報告したという。フランシス・フクヤマの寄稿も。二面のつづきもあわせてぜんぶ読んだが、民主主義が近年衰退低迷しているなか、われわれは権威主義的独裁国によるふたつの誤った選択を目撃することになった、ひとつはむろんロシアによるウクライナ侵攻であり、もうひとつは中国のゼロコロナ政策への執着である、ロシアは負け戦の途上にありドンバスの獲得も当初の想定より縮小せざるをえないだろうし、制裁によって経済的にも破綻するだろう、中国も同様にコロナウイルスや都市封鎖によって経済が危うい、習近平は個人崇拝を確立させようとしているが、コロナウイルス状況下で孤立を深めたといわれているプーチンとおなじく、恐怖のためにだれもかれにただしい情報を報告しなくなっている可能性はたかい、政策転換を提言できる側近や高官もいないだろう、欧米においてすら権威志向の煽動政治家が増えているなかウクライナの帰趨は一国のみならず世界全体の民主主義のゆくえを左右するものになる、民主主義国が結束をとりもどす機会にもなりうるだろう、というかんじの、スタンダードなはなしだった。
 食事を終えると乾燥機をかたづけて皿洗い。風呂も。そのあと白湯をコップについで帰室。Notionを用意して、音読。一時くらいまでだったか。そのあときょうのことを綴りはじめ、とちゅうウェブに寄り道したり洗濯物を入れたりもして、ここまで記すと三時前。きょうじゅうにきのうのことを書きたい。きのうの昼間に(……)から連絡があり、物件の書類がとどいたから重要事項説明をするというのに候補日がいくつか挙がっていて、そのなかにきょうの夜があったのでさっそく会うつもりでいたのだが、さきほどメールがあって今夜は無理そうとなった。再調整。


 そういえばきょう、フランシス・フクヤマの寄稿文中で、ロシア軍黒海艦隊の旗艦「モスクワ」が沈没させられたことや、ロシア軍の戦車を農民が牽引していく映像がひろまったことはロシアにとって屈辱の象徴だろう、という一節があり、そこを読んだときに小説のアイディアをおもいついた。その戦車を牽引していって回収し、ひろめの車庫とか作業場とかにひとまず置いた農民が、じぶんたちは平和を希求するというメッセージをはっきりと世界にむけてしめすために、知り合いをさそってじぶんたちだけでこの戦車を解体するという一種のパフォーマンスをおこなおうとかんがえ、そのようすをさいしょからさいごまで撮影してそのまま編集無しでぜんぶインターネット上にアップする、その動画の内容を文章として記述する、というもの。そもそも素人に戦車が解体できるのかどうかまったくわからないので、人脈をたどってそういう技術方面の職人とかエンジニアとかにも参加してもらい、やりかたをおしえてもらいながら数人で時間をかけて解体をすすめる。そのあいだカメラはずっとまわしっぱなしになって、その場のすべてが重要なこともそうでないことも分け隔てなく撮影されている。動画の冒頭は農民による趣旨説明や視聴者にたいする訴え、メッセージからはじまり、その後は作業のようすとか、そのあいまにかわされる会話とか(そこから戦争や社会の状況やさまざまな個人的物語や体験がかいまみられる)、BGMとしてながされる音楽とか、なにも起こらない間延びした合間の時間、あるいはだれもいないときのこととか、そういったことごとが三人称で記述される。そのようなものだが、これはほんとうにたんなるおもいつきで、じぶんがうまくできるともおもえないし、そもそもじっさいのウクライナにもとづくにせよ、架空の状況をつくりあげるにせよ、倫理的な躊躇があるので、すくなくともいまはやるつもりはない。うまくできればけっこうよい作品になりそうな気もするのだが。じっさいのところ小説のアイディアというよりも、新聞記事の一節からそういう架空の情景が妄想的におもいえがかれたというのが正確で、それを小説にしたらおもしろいかもしれないとおもったということだ。


 その後はだらだら怠けたり、アイロン掛けをしたり、きのうのことを記述したり。どうもなかなかながい時間書きものをつづけるということができなくなっている。むかしは二、三時間いっぺんにがんばっていたのだが。いまはもうちょっと書けばすぐ疲れて休みたくなってしまう。気概が足りない。それで二一日分を終わらせることができず。あしたが朝一〇時から通話なので、二時に寝た。


 あとこの日、音楽をきく時間をつくろうというか、座ってじっとしていればそれでもう瞑想として成立するというところにたちかえったので、音楽をバックにそれをやろうかなとおもってMiles Davisの『Four & More』をヘッドフォンでながしつつ座った時間があったのだけれど、ねむくなってあまりきけなかった。なぜなのかわからないのだが、耳をふさいでじっとしているとそうでないばあいよりはるかにねむくなる。これはまえからそう。瞑想としても、音楽をききながらやるよりもなにもながさず、耳もふさがずにやったほうがからだのほぐれがよくなる気もする。やはりきくのだったらきく、瞑想だったら瞑想としなければだめなのかもしれない。