2022/5/29, Sun.

 それにしても、まだ最初の降臨節の日もこないうちに、もうクリスマスの話をするなどというのは少し気が早すぎるとハンス・カストルプは思った。それまでにはまだたっぷり六週間はある。ところで食堂のひとたちは、この六週間を飛び越え、呑みこんでしまったのだ。それは一種の精神的処置ではあったが、ハンス・カストルプは、まだ同病の先輩たちのように大胆な考え方をすることには慣れてはいなかった。むろん彼もすでにある程度は独力でこの処置を講ずることができたが、同病の先輩たちにとっては、ク(end560)リスマスというような、一年の途中の一段落は、段落間の空虚な時間をひらりと飛び越える手がかりになる、便利な木馬のようなものであった。(……)
 (トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、560~561)



  • 「英語」: 624 - 638
  • 「読みかえし」: 825 - 832


 一〇時二〇分ごろにたしかな覚醒を得て、一〇時四〇分に離床。かなり暑い、ひかりのまぶしい晴れの日。ティッシュに消毒スプレーを吹きつけてコンピューターを拭き、水場に行って洗顔や用足し。胃の感触はまあまあ。きのうよりはふつうによくなっている。喉の奥に酸味というよりはかすかにしょっぱいような感触が一点、ないでもないが。しかし午後三時現在ではそれもない。起床後はいつもどおりホッブズ/永井道雄・上田邦義訳『リヴァイアサンⅠ』(中公クラシックス、二〇〇九年)を読んだ。もう終盤。きょうが読書会なのでそれまでに読み終えるつもりで、いま文を書いているのは午後三時だがさきほど読了したところだ。一巻目のさいごのほうはコモンウェルスのなかにつくられる公的私的団体とか、団体における代行者についてとかのはなしで、そんなに興味を惹かれるものでもなかった。ぜんたいをとおしてはけっこうおもしろく、ある程度のながさをもって書きぬこうという箇所はすくないものの、メモ的にうつそうと手帳に記したページはかなりおおくなった。
 一一時四八分から瞑想。いつもどおり三〇分くらいやったはず。暑いので寝間着のうえは脱ぎ、上半身を黒の肌着いちまいにして座った。そとのおとを聞くかぎりでは風はそんなにないようなようすで、部屋内にはいりこんでくるものもたいしてかんじられなかったが、あとで台所から南窓をみとおしたときには木々が左右にゆれてさわやいでいるすがたがあり、大気はあたりをめぐっているようだった。鳥の声がひっきりなしにしているあいまに赤ん坊の、えへへへとあはははの中間のような笑い声が立つ。鳥声のうちいちばん目立っているのはチューブから押し出される練り物をおもわせるような、やや長めでわずかな曲線をえがいて伸び、ちょっと泡立つようなジュクジュクとしたような手触りのもので、それが間をおかずなんども鳴きつづけているうちにそれまで笑っていた赤ん坊がとつぜん泣き出し、あー……あーん……ぎゃーん……ひゃ、あーん……ううう……あーん……みたいな声が立って、その泣きじゃくりはところどころ怒っているようにもきこえる。
 上階へ。両親は父親の友人である(……)くんが近間の蕎麦屋「(……)」まで来るというので会食。母親はほんとうは行きたくないというか、家でやりたいことがいろいろあるのにみたいなことを、こちらの覚醒後に部屋に外出を知らせに来たときにもらしていた。さくばんもこちらが入浴のためにあがっていったときにおなじような調子で、それで機嫌を損ねたのか知らないが、そののち(こちらが風呂を出て帰室してから、零時になるころだったとおもうが)父親が階段をおりて寝室にさがるときに、ふざけんなよとかぶつぶついっているのがきこえた。父親は下階におりて寝室に行くとき、ほぼまいかいそういう独り言をいっているが、なににたいして文句をもらしているのかがわからない。母親にたいして言っているのか、こちらにたいして言っているのか、その他のいろいろなことにたいして言っているのか、まだテレビを見聞きするなりしていてその内容にたいして言っているのか。
 そういうわけで居間は無人だった。ジャージにきがえて食事。胃がわるいにもかかわらずケンタッキーフライドチキンとカキフライを食べてしまうわけだが、しかしわるいといってもふつうにうまく感じるし、ひっかかりもないではないが苦しくかんじるわけでもない。きのうにひきつづき大根おろしもいくらか食べておいた。その他きのうスライスしたサラダののこりや、タマネギの味噌汁。新聞、ルハンスク州の知事が、退路をかんぜんにふさがれるまえにウクライナ軍が一時撤退する可能性を言明と。ゼレンスキーも同趣旨のことを言っているようだ。ルハンスクはすでに九五パーセントがロシア軍に制圧されているといい、いまは要衝のセベロドネツクに攻勢がかかっているところらしい。撤退は準備をととのえていずれ再反撃し、地域を奪還するための戦略だといわれてはいるが、セベロドネツクの市民を一時見捨てることになる。ロシアのメディア「メドゥーサ」によれば、プーチン政権内では秋頃をめどにキーウ再攻撃をおこなう計画が取り沙汰されているようだともあった。日米関係についてとりあげる連載コラムで、クアッドの首脳会談にかんしても。公表されていないらしいがインドのナレンドラ・モディ首相が会談で、ロシアは戦争犯罪を犯しているのだから裁かれなければならないと明言したという。インドは軍備の六割をロシアに依存しているとかで伝統的にロシアとの関係が深いのだが、国際社会でのロシアの孤立をみこんで米国に接近しようとしているしるしではないかと受け止められているようだ。会談ではバイデンもたびたびモディ首相の言うとおりだともちあげ、オーストラリアは政権が労働党に変わったわけだが同盟にたいする関与に変わりはないと断言しており、われらが日本の岸田文雄は首脳らの発言を受けてここには共通点があったなどと指摘し、「聞く力」を発揮したと記事にはあった。日米豪印のこのクアッドという枠組みはもともと二〇〇四年にインド洋の大津波で被害を受けた地域の支援からはじまったらしく、こんかいの会談は四国の結束をしめすことになり中露にむけた抑止や牽制になっただろうと。
 台所に皿をはこび、まずみずをそそいでおき、それから食器乾燥機のなかにはいっているものを戸棚などにかたづけ、そうして洗い物。そのまま風呂も。済むと暑いが白湯をもって帰室し、きのう買ってきた太田胃散を服用。胃のかんじはわるくない。しかし油断せずに文句なしの健康を手に入れたい。Notionを用意すると音読をはじめた。「英語」と「読みかえし」両方。後者は832番まできて、最新は835なのでそろそろ最前線においつく。そうしたらまえに読みかえし用としてつくっていた「記憶」ノートを「読みかえし1」、いまの「読みかえし」ノートを「読みかえし2」として、1のほうをさいしょから読みつつ、2はあたらしい項目を追加したときにその都度そこだけ読んでいく、というやりかたですすめていこうとかんがえている。「記憶」ノートも600項目くらいあるので一周するにはかなりかかるだろう。
 二時をまわったところで切って上階に行った。ベランダに出て洗濯物をとりこむ。暑い。夏日である。陽は揚々と照って風も活発に走り、暑いけれどまだうだるような蒸し暑さの気配はなく、空気はさわやかに軽い。ベランダの端であたまにひかりを受けながら屈伸をしていると車が駐車場にはいってくる音がして、両親が帰宅したと知れた。吊るされたものを取りこみ、布団とかそのカバーとか毛布とかをたたむ。これはどうもこちらがアパートに持っていく用にと母親が干しておいてくれたものらしい。その他タオルや肌着、靴下などをたたんでまとめ、洗面所にはこんだり仏間においておいたり。そうして部屋にもどるとホッブズを読み終えてしまおうというわけでベッドで読んだ。ホッブズコモンウェルスを「人工人間」と呼び、人間との、しかもわりと機械論的に部分部分の有機的結合としてとらえた人間との類比でイメージしているのだが、しかしかれの記述からその有機的連関性がつよく喚起されるかというとそうでもなく、せいぜい地方行政を委任される総督などはにんげんでいうところの手足をうごかす神経であるとか(332)、判決を実施したり命令を公布したり行政をじっさいに執行するひとはにんげんでいう手であるとか(336~337)、そのくらいの部分的な類比を述べる程度にとどまっていて、それらの国家諸部分がどのように連携して政治や統治を成すかという点についての詳細な記述はいまのところない。かれの記述は全般的にかなりカテゴリカルというか、ひとつひとつの項目ごとに分類して説明していくやりかたをとっており、ひとつの小見出しにおける文量はそうながくはなく、きちんきちんと部分ごとにはめてわかりやすく明晰に書いていくというかたちになっている。そしてそれらのあいだの横のつながりが具体的にどのように機能するのかというはなしはいまのところみられないのだが、これはこの著の意図がそういう実際上の行政の描写記述にあるのではなく、あくまで理論的に国家をとらえて論じることにあるということなのだろう。ところで334ページに王権神授説を肯定するらしき一段落があった。しかしこれは微妙なところでもあって、文脈をあきらかにするためにそのまえの一段落とあわせてひとまずしたに引く。

 主権にたいする義務を人民に直接教えるか、人民に教えることを他人にできるようにし、また、何が正しく何が正しくないかを人民に知らせ、それによって彼らがたがいに敬虔と平和のうちに生活し、公共の敵にたいして抵抗するよう(end333)に指導する権限を持った者たちも公的代行者である。
 彼らが代行者であるのは、自分自身の権限によってではなく、他人の権限によってことを運ぶからであり、また公的であるのは、主権者の権限以外のいかなる権限によってもそれを行なわない〔また行なうべきでもない〕からである。君主あるいは主権を持つ合議体だけが人民を教育し指導する権限を神から直接に授かっている。他のいかなる人でもなく、主権者だけが、「デイ・グラチア」(神のめぐみによって)、いいかえれば、他の何ものでもなく、ただ神の恩寵によってその権力を授かっている。他の者はすべて権力を、神と彼らの主権者の恩寵と摂理によって授かっているのであり、君主政では、「デイ・グラチア・エト・レギス」(神のめぐみと王のめぐみによって)または、「デイ・プロウイデンチア・エト・ウォルンタテ・レギス」(神慮と王の意志によって)授かることができるのである。
 (ホッブズ/永井道雄・上田邦義訳『リヴァイアサンⅠ』(中公クラシックス、二〇〇九年)、333~334; 第二十三章「主権の公的代行者について」)

 読まれるとおり、ここで直接に、神に由来し恩寵によって主権者に与えられると語られているのは「人民を教育し指導する権限」であって、主権全般ではないのだ。ホッブズのここまでの理論からすれば、主権の源泉は万人の万人にたいする永遠の戦争状態を抜け出したがいに平和と安全を確保したいとかんがえた人民たちがむすぶ契約、それぞれみずからの権力を全的に主権者に譲渡することをみとめることでひとりまたは複数の統治者を生み出すとともに、相互の平和と安全のために自然法に反しないかぎりでその主権者に服従することに同意するという内容の社会契約であるはずなのだ。ところがここにあるように、主権者のもつ権限のなかで、「人民を教育し指導する権限」だけは、「神の恩寵によって」、主権者はそれを「神から直接に授かっている」と述べられている。なぜ教育と指導の権限だけが特権的なあつかいを受けることになったのか? ホッブズは、契約主体である人民は主権者のすべての行為がじぶんじしんの行為であることをみとめると契約によって同意しているのだから、かれらは主権者の行為にたいする「本人」であるという説明を諸所でたびたびくりかえしている。そこからたとえば、つぎのような理屈が出来してくる。

 第四に、すべての国民は主権を設立することによって、主権者のあらゆる行為、あらゆる判断をつくりだした本人であるから、主権者がどのように行動するにせよ、それは国民のだれかを侵害したことにはなりえない。また国民は、いかなる行為をも不正であるとして非難すべきでない。
 なぜかといえば、他から権限を受けて行為する者が、これを与えてくれた当人にたいして権利侵害をはたらくことはありえないからである。コモンウェルスの設立によって、それぞれの人が主権者のあらゆる行為の本人となったのである。だから、主権者から侵害されたと不平をいう者は、自分自身が本人であることがらについて不平をいう者である。したがって、彼は自分以外のだれをも責めるべきではない。否、権利の侵害について自分自身をも責めるべきではない。自分の権利を侵害することは不可能だからである。
 (ホッブズ/永井道雄・上田邦義訳『リヴァイアサンⅠ』(中公クラシックス、二〇〇九年)、246; 第十八章「設立された主権者の権利について」)

 このあたりに、二一世紀を生きるこちらからすると極端、極論と見えるようなホッブズのかんがえが観察される。それはひとつには、代表・代行にかんするかんがえのバランスの悪さとでもいうべきものである。つまり、代行者はいうまでもなく本人とはべつの存在であり、そのあいだにはつねに距離が生じざるをえず、代行者が行為の本人とされる主体の意志を正確に、満足に反映できるとはかぎらないのだが、ホッブズがうえのように述べる場面ではその距離がほぼゼロと化し、議論は、主権者の行為は人民じしんの行為でもあるのだから、それにたいして不平をとなえるのは不合理である、それは契約をむすんだじぶんじしんの責任であるという自己責任論に収束するのだ。それでいて主権者には国家の平和と安全をまもるために、最大限の自律性が付与されている。だから主権者と国民ひとりひとりのもつ権限を比べたときに、実際上そのあいだの距離ははなはだしく、二者のあいだには権利にかんしてとてつもない幅のひらきが介在しているはずなのだが、主権者の行為の責任や起源を問うとなったその瞬間、距離は消滅して二者は同一の存在として定められるのだ。論がそうなる理由は、もちろん契約の内容にある。つまり前提として、人民は契約によって、主権者にコモンウェルスの平和と安全をまもるという目的において最大限の権力を行使することをみとめているのだ。ホッブズにおいてはとにかく戦争状態や内乱をふせぎ、そこから脱出して、平和や安全や秩序を確保することこそが問題なのであり、万人の万人にたいする戦争よりも悲惨な状態はないとかんがえられるがゆえに、このような均衡を欠き、ひじょうに強権的と見える契約が正当化される(かれの思考のなかで「コモンウェルス」や「国家」と、「人民」や「国民」の区別はどうかんがえられているのかも重要なポイントだろう)。そして、その社会契約からはずれれば、その人民はじぶんじしんのちからのみに頼ってふたたび闘争状態を生きねばならなくなり、不安定で悲惨な生におちこまざるをえない。したがって、ホッブズの社会契約論において人民は、みずからの生活と安全を確保するために強権的な国家に服従せざるをえず、それに同意できなければアナーキーな闘争領域でたたかいの生を生きるほかなくなる。かれの論にはそういう脅迫的な二者択一をせまるおもむきがあり、しかもひとびとはいちど契約をむすんだらそれを撤回したり破棄したり、調節したり修正したりすることはできないことになっている。だからいいかえれば、ホッブズの社会契約には救済の余地がない。


 三時過ぎにホッブズを読了。それからきょうの日記を書き出した。とちゅうで下階のベランダに干してあった布団を母親が入れはじめたので、じぶんのものを受け取ってカバーにいれる。布団にきれいにカバーをつけるのは意外とむずかしく、骨が折れる作業だ。そのさいちゅうに通話は何時からときかれたので五時からとこたえると(これいぜんにも二回くらいつたえてあった)、麻婆豆腐つくらないという。もともと通話前にすこしでも家事をやっておこうかなとはおもっていたのだが、即答せずにいると、おまえがつくる麻婆豆腐うまいじゃんと母親はいい、なんでこういうあさはかなことをかんがえなしにいうのかなとおもった。できあいの麻婆豆腐なんてだれがつくろうがよほど下手をしなければ味などそう変わらないわけである。こちらがつくったほうがうまいとおもっているのはほんとうなのかもしれないが、それがあるとしても母親の真意はあきらかに、じぶんで麻婆豆腐をつくるのはめんどうくさいからやってほしいというほうにあるのだ。そしてそれはふつうに正当な望みなわけで、だったらそのように、つくるのめんどうくさいからつくってよと言えばよいところを、わざわざおまえがつくったほうがうまいからとかいう、真実とははなれた見え透いた理由付けをする。要するに、このことばは追従である。ふだんからたしかにそうおもっているわけでもなく、その場のノリでひょっとあたまに浮かんだことをそのままてきとうに口に出したにすぎない。母親はこちらがつくった麻婆豆腐のほうがうまいということをそんなに信じているわけではないし、ネタや冗談のようにしておふざけで言ったわけでもないし、確信犯としてやっているわけでもなく、じぶんのその発言が追従だということに気づいていないのだ。そこにあさはかさをかんじる。あさましいまではいかないが、あさはかである。
 しかしそれはそれとして、ちいさなことでも他者のために奉仕することは重要だとおもうので、麻婆豆腐はつくろうとおもった。時刻は四時くらいで、日記を書いていたわけだが、まああと三〇分くらいで現在に追いつかせて、麻婆豆腐ともう一品くらいちゃちゃっとつくって五時には間に合うだろうとみこんでいたところが、ホッブズについて書いているとおもいのほかに時間がかかって、いつのまにか五時がちかくなってしまった。それなのでLINEのほうに飯をつくらなければならないのでやや遅れます、さきにはじめていてくださいと投げておき、現在時に追いつかないままに五時前で上階へ。台所にはいって前後に開脚して脚を伸ばしたあとに手を洗い、調理へ。木綿豆腐を二パック切って、湯通しすることに。そのいっぽうで手抜きだがサラダもこしらえておくかというわけで、きのうとおなじようにニンジンを洗い桶のなかにスライスし、大根はこちらがおろしにつかったりしてもうほぼないのできょうは入れられず、買ってこられたばかりのキャベツをスライスした。ほか、きのうつかったサラダ菜ののこりもつかうことにしてちぎる。それをすすめつつ並行して麻婆豆腐の用意もし、豆腐をザルにあげてソースをパウチからフライパンに押し出すとあわせて加熱。ネギはないというのでキャベツを一枚分はがしてちぎり、麻婆豆腐にもくわえておいた。その他モヤシも茹でてあとでサラダとあわせてもらうことに(と意図していたのだが、これはのちほど辛めの味つけをした和え物になっていた)。
 

 通話中のことはれいによって後回しにしよう。五時半くらいから参加して、九時すぎまで。そのあと夕食。あがっていくと両親はいつもどおり炬燵テーブルにならんでつき、父親がタブレットで韓国ドラマかなにかをみているいっぽう、テレビはつけっぱなしのまま母親はスマートフォンを手にうとうとと意識をうしなっているようだった。フライパンにのこっていた麻婆豆腐を丼の米にかける。しかしこれはあとで風呂にはいるためにあがったときにきいたのだが、母親はまだ麻婆豆腐を食べていなかったのだという。量からしてもとうぜんすでに食ったものだとおもってぜんぶかけてしまったのだが、それは悪いこと、申し訳ないことをしてしまった。つくってといわれてつくったのにせっかくのそのつくったものをまったく食べさせないという鬼畜のような所業である。その他タマネギの味噌汁ののこりやサラダを用意して横にながい盆にそろえ、自室にもどって食事。(……)さんのブログを読んだのだったか? 五月七日分。最新からだいぶ遅れている。食べ終えたあとはちょっと置いてから食器を洗い、そのあとは部屋に持ってきていた新聞をいくらか読んだような気がする。胃が悪いのに麻婆豆腐などという刺激物を食ってしまったが、痛んだり苦しかったりということはなかった。しかしこの翌日の五月三〇日午後二時二〇分現在、やはりすぐれて健康とはいえない。とくに調子が悪いとかきもちが悪いとかそういうことはなくて生活に支障はないものの、胃に違和感はあり、万全とはいえない。入浴時は髭と顔を剃った。顔を剃るとつるつるしてきもちがよい。洗い場に出てあたまを洗ったりからだを束子でこすったりしていると、床の端にオレンジというかピンクというかそういういろのかすかな汚れが目についたので、小型ブラシでこすっておいた。風呂を出たあとは書きものはたいしてできず、この日のことをちょっと書き足すのみにとどまった。二六日以降をさっさと書かなければならないのだが。かわりに読みものはけっこうふれられて、新聞を読んだり、他人のブログを読んだりし、寝るまえ一時間くらいはJ. D. サリンジャー野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』をあたらしく読み出して、37ページくらいまで行った。三時二〇分ごろ消灯して眠りへ。寝るまえにコンピューターをみたり作文したりせず、ベッドでごろごろ休みながら書見できたのはよいのだが、ほんとうはもうすこしはやく寝るべきだ。


 そういえばこの夜、ひじょうにこまかな蝿というか羽虫というかそういうたぐいが部屋の宙に何匹かうろついているのを意識した。網戸の目をとおりぬけられるくらいちいさいということなのか、それともほかのすきまからきたのかわからないが、夏っぽくなってきている。


 通話中のことは詳細に書くのがめんどうくさいし、省略気味に軽く行きたい(……)。
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