2022/5/31, Tue.

 それでは、生命とはいったい何であったか。それは熱だった。形態を維持しながらたえずその形態を変える不安定なものが作りだす熱、きわめて複雑にしてしかも精巧な構成を有する蛋白分子が、同一の状態を保持できないほど不断に分解し更新する過程に伴う物質熱である。生命とは、本来存在しえないものの存在、すなわち、崩壊と新生が交錯する熱過程の中にあってのみ、しかも甘美に痛ましく、辛うじて存在の点上に均衡を保っている存在である。生命は物質でも精神でもない。物質と精神の中間にあって、瀑布にかかる虹のような、また、炎のような、物質から生れた一現象である。生命は物質(end572)ではないが、しかし快感や嫌悪を感じさせるほど官能的なもので、だから、自分自身を感じうるほどにまで敏感になった物質の淫蕩な姿、存在の淫らな形式である。生命は、宇宙の純潔な冷気中での秘密な敏感な運動であり、栄養摂取と排泄との淫らで秘密な汚れであり、炭酸ガスと、素性も性質も曖昧な不純な成分から生れる排泄物的息吹きなのである。(……)
 (トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、572~573)



  • 「英語」: 651 - 670
  • 「読みかえし1」: 7 - 29


 29番。ひさしぶりに読んだがやはりすばらしかった。

 どんなにあなたが絶望をかさねても
 どんなに尨大な希望がきらめいても
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は……
 どんな小鳥が どんなトカゲや鳩が
 廃墟にささやかな住居をつくっても
 どんな旗が俄かに高々とひるがえっても
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は……
 あやまちを物指としてあやまちを測る
 それが人間ひとりひとりの あなたの智恵だ
 モスクワには雪がふる エジプトの砂が焼ける
 港を出る船はふたたび港に入るだろうか
 船は積荷をおろす ボーキサイト
 硫黄を ウラニウムを ミサイルを
 仲仕たちは風の匂いと賃金を受け取る
 港から空へ 空から山へ 地下鉄へ 湖へ
 生き残った人たちの悲しい報告が伝わる
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は!
 ふたたび戦争 かさねて戦争 又しても戦争
 この火事と憲法 拡声器と権力の長さを
 あなたはどんな方法で測るのですか
 銀行家は分厚い刷りもののページを繰る
 経営者はふるえる指で電話のダイヤルをまわす
 警官はやにわに駆け寄り棍棒をふりおろす
 政治家は車を下りて灰皿に灰をおとす
 そのときあなたは裏町を歩いているだろう
 天気はきのうのつづき あなたの心もきのうそのまま
 俄かに晴れもせず 雨もふらないだろう
 恋人たちは相変わらず人目を避け
 白い商売人や黒い野心家が
 せわしげに行き来するだろう
 そのときピアノの
 音が流れてくるのを
 あなたはふしぎに思いますか
 裏庭の
 瓦礫のなかに
 だれかが捨てていったピアノ
 そのまわりをかこむ若者たち
 かれらの髪はよごれ 頬骨は高く
 肘には擦り傷 靴には泥
 わずかに耳だけが寒さに赤い
 あなたはかれらに近寄り
 とつぜん親しい顔を見分けるだろう
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は
 けれどもかれらが耳かたむける音楽は
 百五十年の昔に生れた男がつくった
 その男同様 かれらの血管には紛れもない血が流れ
 モスクワの雪と
 エジプトの砂が
 かれらの夢なのだ そしてほかならぬその夢のために
 かれらは不信と絶望と倦怠の世界をこわそうとする
 してみればあなたはかれらの友だちではないのですか
 街角を誰かが走って行く
 いちばん若い伝令がわたしたちに伝える
 この世界はすこしもすこしも変っていないと
 だが
 みじかい音楽のために
 わたしたちの心は鼓動をとりもどすと
 この地球では
 足よりも手よりも先に
 心が踊り始めるのがならわしだ
 伝令は走り去った
 過去の軍勢が押し寄せてくる
 いっぽんの
 攻撃の指が
 ピアノの鍵盤にふれ
 あなたはピアノを囲む円陣に加わる。
 (『岩田宏詩集成』書肆山田、二〇一四年、170~175; 「ショパン」; 「8 モスクワの雪とエジプトの砂」; 『頭脳の戦争』より)


 二時台、Maria Konnikova, “The Walking Dead”(2015/7/9)(https://www.newyorker.com/science/maria-konnikova/the-walking-dead(https://www.newyorker.com/science/maria-konnikova/the-walking-dead))を読んだ。
 起床は九時四〇分。覚醒は九時ごろだったが、腹や腰など各所を揉んだりして起きるまでにやや時間がかかった。しかし九時台に覚め、起床したのはひさしぶりのことではないか。昨晩は労働の疲労のためにまたいつの間にか意識を落としており、めざめると四時二五分くらいだったのでそのまま寝たのだ。パソコンもつけっぱなしだった。起きて床に立つとティッシュと消毒スプレーでコンピューターのモニターやキーボード周りを拭いておき、水場へ。洗顔や用足しをしてもどると書見。J. D. サリンジャー野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』。白水uブックス版は一九八四年となっているが、いまウィキペディアを見たら初刊は六四年とあった。そりゃあ古いわけだ(uブックス版を出すときに修正したと訳者は言っているが)。しかしとうじは文学や小説の語り口としてはたぶん新鮮な口調だったのだろう。語り手ホールデン・コールフィールドはこのはなしを語っているあいてを「君」と呼んでいるのだが、それがだれなのかはわからない。そもそも作品内にその「君」が具体的に存在しているのか、それともたんにこの小説を読む読者を指示する呼びかけなのかもわからない。いまのところこちらの目にとまった「君」は、まさしく作品のはじまりの瞬間、一行目で「もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならな」(5)とはなしかけられているそれと、もうひとつ、62ページで死んだ弟アリーのことを語っているとちゅうにある、「君もきっと好きになったと思うな」のふたつである。さいしょの「君」にとくに具体的な人物としての設定はかんじられないのだが、ふたつ目の「君」にかんしては、聞き手の存在的な位相が、ホールデンやアリーと同一面にあるようにかんじられる。アリーがもし生きていたら、「君」もかれに会ったかもしれず、そして好きになったかもしれない、というふくみのある内容だからだ。したがってここでホールデンが語りつづけているあいてである「君」に、作品中の人物としてのにおいが一抹付与されてくる(しかし、この作品が発表されたのはとうぜんアメリカであり、読者も一九五一年当時のアメリカ人として作品の舞台を共有しているわけなので、もし作者がホールデンと同年代の若い読者を念頭に置いていたとしたら、この「君」は現実の読み手としても成り立つことになり、そのばあいは『ライ麦畑でつかまえて』の物語世界と読者が生きる現実の世界のさかいを曖昧化し、読者を作品世界へとよりさそいこむしかけとしてこの「君」が機能することになる)。ここまででわかるホールデンの性格や口調からして、なんとなく知り合った女の子をあいてにしゃべっているような雰囲気におもわれないでもないのだが、それは根拠のないたんなる印象である。かれがいまどこにいるのかというのは冒頭であいまいながらあきらかにされていて、「去年のクリスマスの頃にへばっちゃってさ、そのためにこんな西部の町なんかに来て静養しなきゃならなくなったんだけど、そのときに、いろんなイカレタことを経験したからね、そのときの話をしようと思うだけなんだ」(5)とのことだ。その「西部の町」がどこなのかはまだわからない。ホールデンのはなしの本筋はかれが「ペンシー高校をやめた日のこと」(6)からはじまっており、クリスマス休暇のまえに退学になったという事情で、高校をやめた日は「とにかく、十二月かなんかでさ、魔女の乳首みたいにつめたかったな、特にその丘の野郎のてっぺんがさ」(9)と、すこしあいまいながら月を明示されている(「魔女の乳首」のようなつめたさというのは印象的で卓抜な比喩だ)。だからたぶん、冒頭でいわれている「去年のクリスマスの頃」というのは、この高校をやめた直後のクリスマスなのだとおもう。この時点でホールデンが一六歳であるということは35ページに書かれている(「僕が十六で、奴が十八なもんだから、奴はいつも、僕のことを、子供だ、子供だっていいやがんだが(……)」)。だからホールデンがはなしを語っている時点では、かれはおそらく一七歳だろう(誕生日をむかえていなければ一六のままだが――とおもったところが、いま方々を読みかえしているとちゅうに、「今は十七さ」(17)とじぶんで明言しているのを発見した)。
 弟のアリーのはなしが出てくるのは、女の子とデートに行く同室のウォード・ストラドレーターにたのまれた英語の課題をやる段で、描写的な文ならなんでもいいといわれていたものだから弟アリーの野球のミットのことを書こうというのだ。その語りのとちゅうにとつぜん、あっさりと、弟はすでに死んだということが明かされるのだが、その瞬間に、そしてその後の段落内にだけわずかにただよう湿っぽさは、ここまでホールデンがしめしている突っ張った生意気なティーンエイジャーの語りのなかでゆいいつトーンがちがっていて印象的である。「そこでどうしたかというと、弟のアリーの野球のミットのことを書いてやった。こいつはすこぶる描写向きの材料なんだ。ほんとだよ。弟のアリーはね、ギッチョの野手のミットを持ってたのさ。あいつ、ギッチョだったんでね。しかし、どこが描写向きかというとだな、アリーの奴が、ミットの指のとこにも手を突っ込むとこにも、どこにもかしこにも、いっぱい詩を書いてあったんだ。緑色のインクでね。そいつを書いておけば、自分が守備についてる場合、誰もバッター・ボックスに入ってないときに、読む物ができるっていうんだ。もう死んだんだけどさ、弟は。うちじゅうでメイン州に避暑に行ってたとき、白血病になって死んだんだ。一九四六年の七月十八日。君もきっと好きになったと思うな。僕より二つ下なんだけど、頭は僕の五十倍ほどいいんだ。頭のよさはこわいみたいだったよ」(61~62)という具合だ。
 あと目についたのはホールデンがものごとの程度についてやたらおおげさな、誇張的ないいかたをすることで、うえの引用にも「頭は僕の五十倍ほどいいんだ」とあるけれど、ほかにもたとえば、ペンシー高校の卒業生で新寮のなまえの由来にもなったオッセンバーガーという人物が礼拝堂で演説したとき、「それがなんと、十時間ばかしも続いたな。最初に、やぼくさい冗談を五十ばかしも並べやがってね」(29)といっていたり、寮の部屋に来た隣室のアクリーが爪を切りはじめたさいに、「アックリー! 頼むよ。お願いだから、そのきたねえ爪はテーブルの上で切ってくんないか? おれはもう五十回も頼んでんだぜ」(40)などともいっている。ホールデンはこのように、数量にかんして無意味に、むやみにそれを誇張する癖があるようで、同様の例はたくさんみつけられるだろう。ほんにんはじぶんについて、「僕みたいにひどい嘘つきには、君も生まれてから会ったことがないだろう。すごいんだ。かりに雑誌を買いに行く途中なんかでもさ、誰かに会って、どこへ行くんだってきかれるとするだろう。僕は、オペラへ行くって答えかねないんだな」(28)とよくわからないことをいっているが、「嘘つき」と誇張は微妙にちがうとしても、冗談半分にどうでもいい嘘をいったり、やたらにおおげさな物言いをする性格があるということだろう。とはいえたいした意味のないおふざけや誇張はのぞいて、ホールデンがいまのところ明確についた嘘は、別れのあいさつに行った歴史のスペンサー先生にたいして、「でも、実は、そろそろおいとましなきゃならないんです。家へ持って帰らなきゃならない道具を、体育館に、いっぱい置いてあるもんですから。本当なんです」(27)といったそれのみである。
 一〇時四〇分くらいまで読んで、いま76。それから瞑想。あまりながくならなかった。階をあがるとジャージにきがえて食事。きのう素麺やうどんをつけて食ったつゆがとぼしくなっていたのでそれを増やして麺を煮込むことに。あと天麩羅ののこり。キャベツやタマネギ、ニンジンを切ってつゆにくわえ、麺つゆが切れているので醤油やみりんなどで味つけ。母親はきのうやったのにまたしても天麩羅をはじめてシソやインゲン豆などを揚げていた。こちらはパックにはいっていた細麺のうどんを苦労して箸でほぐし、それを鍋に投入して煮込むともう食事へ。新聞、ゼレンスキーがハルキウ視察し、兵士を激励したと。二月二四日いらいでゼレンスキーがキーウをはなれたのははじめてだといい、来たるべき東部奪還のための反撃にむけて士気を高めるねらいがあるのだろうとのこと。社会面には七二年にテルアビブ空港で銃撃事件を起こした日本赤軍岡本公三の、取り調べや裁判で通訳をつとめたという名誉教授が当時を語る記事があった。ユダヤ人の歴史やパレスチナの状況をただしく理解していないと感じた、という。重信房子元最高幹部も先日二〇年の刑を終えて出所し、武力闘争路線によって無辜の人間に被害をあたえたのはまちがっていたと表明していた。
 食後は食器を洗い、仏間に布団があるというのでそれをカバーに入れ、母親と協力しておおきなビニール袋のなかにおさめた。ほか、タオルやなんかも籠に用意してくれており、あと家から持っていくのは服と本とアンプくらいだからまあ楽勝だろう。電気ガス水道ネットの手続きをしなければならないのと、その他もろもろあちらでそろえなければならないのがめんどうくさいが。きょうから日曜日までは休みにしたのでそのあいだにやらなければならないのだが、引っ越しよりもまず日記を書かなければというきもちのほうがつよくて生活の準備にこころがむかない。書きものをかたづけないとそちらに行く気になれないのだが、書くことがけっこうたまっているのでやばい。きょうとあしたでなんとかすませて、六月二日三日であっちにでむいて買うものを買い、四日に家から運搬、というかんじで行きたいが。五日は(……)が会いたいと言ってきたので会うつもり。
 それから風呂洗い。きのう風呂にはいったときに浴槽内壁の下端をさわるとまたしてもちょっとだけ汚れの感触がのこっていて、これはもしかしてこちらが洗ったあと、両親の入浴の過程で再度溜まったものなのでは? といううたがいすら湧くのだが、あるいは感触がのこっているのはちょうど壁と床面のつなぎにあたるわずかにカーブしているようなぶぶんなので、ブラシをあてたときに意外とすきまが生まれていてうまく届いていないのかもしれない。そこできょうは棒のさきにスポンジがついているかたちのブラシで洗ったあと、毛状のちいさなやつでもこすっておいた。ついでに窓枠というか窓ガラスとサッシのてまえにあたる、くぼみの下面も掃除しておき、そこだけやろうとおもっていたところがちかづいて見るとガラスを縁取り嵌めている黒い枠組みのうえやそれと接しているガラスのいちばん端のあたりなども汚れており、ついでにそれらもこすって掃除してしまった。鍵のぶぶんになど腐りきって茶色く汚れたソフトクリームの断片みたいなものが固くなって付着していたのだが、あれはなんども泡が飛んで溜まったものが放置された結果ああなったのだろう。
 出てくると白湯を持って帰室。胃の調子はかなり良いかんじ。しかし油断をせず太田胃散を飲んでおき、ウェブをしばらくまわってから音読をした。いままで音読は座るか立つかでやっていたが、べつに口をうごかしてさえいればよいわけだから、寝転がって気楽にやってもわるいことはない。そういうわけで後半は臥位で脚をもみながら読み、岩田宏の「ショパン」がすばらしかった。二時半くらいまで読み、そのあときょうのことを記述。とちゅうで母親が部屋に来たりしてやりづらかったが。あと、上階にあがったときに卓上に図書館で借りたらしい中公文庫の吉田健一短編集みたいなやつをみつけて、母親が借りたわけだが、吉田健一なんて母親には読めないだろうし読んだとしてもおもしろくないんじゃないかとおもっていたところ、音読前に歯を磨いているときに母親が部屋に来て、読めない漢字がたくさんあってというので歯ブラシをうごかしもごもごしながらわかるものは読み方をおしえた。「出廛」というタイトルがあって、こんなん知らんわとおもったのだけれど、文中で立花食堂とかいっているから、店じゃないの、店の古い字じゃない、といいつつその場でパソコンで調べてみると、果たしてそうだった。しかしいま、複雑な字だからよくみなかったし、ほんとうにあっていたのかなとおもって検索してみると、これは廛の字ではなくて、「出廬」という題だったことが判明した。「しゅつろ」。「引退して世俗を離れていた人が、再び官職などに就くこと」という。誤った知識をつたえてしまった。ほか、タイトルでは「空蝉」とか「邯鄲」とかが母親の読めなかったもの。本文中にもいくつかあったがそれらはわすれた。ここまで書くともう五時前だ。


 (……)さんのブログの五月八日分を読み、九日分もとちゅうまで。ドゥルーズ『記号と事件』の書抜きがいろいろ。ドゥルーズ、おもしろいじゃん、とおもった。まだ一冊も読んだことがない。河出文庫をたしょうもってはいるが。どうせわからんだろとおもっていたが、引用を読むかんじではなにかしらわかるな、という感覚がけっこうある。どういうことなのか説明しろといわれると無理だが、言ってることなんかなんとなくわかるぞ、という感じがある。
 したの引用を読んだときには、すこしまえにやはり(……)さんのブログで読んだベルクソンじしんの文章を読んだときとおなじ感じ、ある種のリアリティをおぼえた。

開放性はリルケが好んだ詩作上の概念としてよく知られています。しかし、これはベルクソンの哲学概念でもあるのです。重要なのは集合と全体の区別です。このふたつを混同すると、「全体」はまったく意味をなさなくなるし、全集合の集合という有名な逆説におちいってしまうからです。個々の集合は多様きわまりない要素を結びつけることができます。しかし、それでもなお集合は閉じている。相対的に見て閉じられていたり、人為的に閉じられたりするわけです。「人為的に」閉じられると言わざるをえないのは、集合には本来一筋の糸があって、それがどんなに細くても、かならず当該の集合をより広範な集合に結びつけ、結局は集合が際限なくつながっていくことになるからです。全体のほうはまったく違う性質をもっている。時間の序列に属しているからです。全体はすべての集合を横断する。集合が集合に特有の傾向を完全に実現するにいたるのをさまたげるのが、この全体にほかならない。つまり全体は、集合が完全に閉じてしまうのをさまたげるわけです。ベルクソンはことあるごとに注意をうながしている。時間とは開放性であり、変化をくりかえすものだ。時々刻々と性質を変えていくのが時間なのだ、とね。つまり時間とは、集合のことではなく、ひとつの集合からべつの集合への移行をくりかえし、ひとつの集合を別の集合のなかで変形させていく全体のことなのです。

 「全体のほうはまったく違う性質をもっている。時間の序列に属しているからです。全体はすべての集合を横断する。集合が集合に特有の傾向を完全に実現するにいたるのをさまたげるのが、この全体にほかならない。つまり全体は、集合が完全に閉じてしまうのをさまたげるわけです。ベルクソンはことあるごとに注意をうながしている。時間とは開放性であり、変化をくりかえすものだ。時々刻々と性質を変えていくのが時間なのだ、とね。つまり時間とは、集合のことではなく、ひとつの集合からべつの集合への移行をくりかえし、ひとつの集合を別の集合のなかで変形させていく全体のことなのです」というあたりだが、まえに読んだベルクソンの文章というのはブログを検索すると五月一一日に引かれてあった。『思想と動くもの』。コメントもふくめて再掲。

直観的に考えるとは持続のなかで考えるということである。悟性は通常不動から出発し、並置された幾つかの不動をもってどうにかこうにか運動を元どおりに作る。直観は運動から出発し、それを事象そのものとして定立し、あるいはむしろ知覚し、不動というものを、われわれの精神が動きに対して撮った瞬間撮影に当たる抽象的な瞬間としか見ない。悟性は、その通常認める事物を安定的なものと考えて、変化というものをその上に付けくわえられた属性だとしている。直観にとって本質的なものは変化であり、悟性が意味しているような事物は生成のさなかにほどこした切り口で、それをわれわれの精神が全体の代用物に仕上げたものである。思考は通常新しいものを前から実在している要素の新しい並べ方として表象する。思考にとっては何もなくならず、何も創り出されない。直観は持続すなわち成長に注がれるので、そこに予見のできない新しいものの途切れない連続を認める。


(…)現にあらゆる言い方、考え方、知り方には、不動と不変が権利上存在すること、運動と変化とが、それ自身動かずそれ自身変わらない事物の上に、付随的属性として付けくわわるということが、意味としてふくまれているからである。変化の表象は、実体のなかに次々に起こる性質もしくは状態の表象である。それらの性質の一つひとつ、それらの状態の一つひとつは固定しているものであって、変化はそれらの継起から成り立っていることになり、継起する状態および性質を支える役目の実体は固定性そのものだということになる。こういうのが、われわれの言語に内在し、アリストテレスが一度にぴたりと方式を与えた論理である。悟性は判断を本質とし、判断は主語に述語を付けることによってはたらく。主語は、人がそれに名前を付けたというだけで、不変なものと定義され、変化は、人がこの主語について次々に主張する状態の多用性に存する。こうして主語に述語を、固定したものに固定したものを付けていくやり方によって、われわれはわれわれの悟性の斜面に従って進み、われわれの言語の要求に適合し、つまりわれわれは自然に服従する。現に自然は人間を社会生活に入るものと前から決めている。自然は共同の作業を欲した。この作業が可能になるためには、われわれは一方において主語の絶対的に決定的な安定性を、他方においてはやがて属性となる性質および状態の漸定的に決定的な固定性を認容するのである。



 ここでベルクソンがいってることマジでめちゃくちゃよくわかるなとおもった。とくに、「直観は持続すなわち成長に注がれるので、そこに予見のできない新しいものの途切れない連続を認める」とか、「主語は、人がそれに名前を付けたというだけで、不変なものと定義され、変化は、人がこの主語について次々に主張する状態の多用性に存する」という一節が、じぶんにとって内容としてめあたらしいものではないが(そもそもすごくよくわかるということはめあたらしいものではないということだろう)、なにかあらためて腑に落ちるようなかんじがした。にんげんはものごとに反復をみるし、みないかぎり生きてはいけない。たとえばいまブログを読みながら飯を食っているこの夜一一時ごろは、ぜんじつや、労働があったほかの日の夜一一時ごろとだいたいおなじようなもので、そこにくりかえしや踏襲をみないわけにはいかない。しかしじっさいにはこの夜一一時ごろときのうの夜一一時ごろはまったくべつのありかたをしているのだろうし、それどころかこの一瞬とつぎの一瞬こそが接続はしていながらもつねにそれぞれまったくべつのものとしてあるのだろう。そして世界はほんらい局部としても総体としても一瞬ごとにそのように更新されており、つねにあらたなものとしてつぎの瞬間をひたすらにうみだしつづけている。そこにくりかえしは存在しない。終わりがあるのかどうかもわからないが、すくなくとも終わりがくるまでに経過されるすべての時空を、どれだけ微細に分化したとしてもそのひとつひとつはかならずまるでべつの時空なのだ。つまり、おなじものというものはほんらいない。われわれはいちどしか生きられないし、あらゆる瞬間もほんとうはその都度いちどしかない。不可逆というよりは、一回かぎりのつねにあらたなものたちがどこまでもつらなってつづき、それらのあたらしさが尽きることはなく、もどることも似ることもくりかえされることもない。「直観は持続すなわち成長に注がれるので、そこに予見のできない新しいものの途切れない連続を認める」という一文を読んで、そのような観念的イメージがあたまのなかに生じた。

 「ここでベルクソンがいってることマジでめちゃくちゃよくわかるなとおもった」といっているが、うえのドゥルーズの文章を読んだときにも、マジでめちゃくちゃよくわかるまではいかないにしても、腑に落ちるようなところがあって、世界が一瞬ごとに永遠に生成変化しつづけながら終わることなく存在しつづける、というヴィジョンにじぶんはなにかしらのリアリティを感じるようなのだ。そのリアリティはリアリティというよりもロマンティシズムなのかもしれない。じぶんではそうは感じないのだが。じぶんにとっては無常ということばの理解もこういう感じなのだけれど、だから究極的には、終わりということが理解できない。よくかんがえればほんとうはにんげん全員そうなるのではないかとおもうが、終わりが理解できないということはとうぜんながら、はじまりが理解できないということである。そこからこちらにとっては、パルメニデスの汎存在論、はじまりなどなくつねに「ある」があったし、現にあり、このさきもありつづける、という形而上学的なかんがえがやはり一抹のリアリティを帯びてくることになる。終わりが理解できないというのは無が理解できないというのとおなじことだが、相対的な無ではなくて絶対的な無を理解できるにんげんなどいるはずがないではないか。絶対的な無などわけがわからないし、もしそういう無があったとしてそこからなにかが生ずるというのも理解できないし、だとしたら絶対的な無などありえず、はじめからなにかが、物質とか時空とかですらないかもしれないが、なにかしらが存在していたとかんがえたほうが納得が行く。世界にははじまりなどなかった。したがって、終わりもない。それはたんににんげんの、あるいはこちらの思考の限界をあらわしているだけで、世界じたいはそうではないのかもしれないが。
 その他おもしろかった引用は以下。とくに印象的なのはやはり此性のはなし。「空気の流れ、そよぐ風、一日の流れ、一日のうちのある時間、小川、場所、戦い、病などには非=人格的な個体性がある」というのも、よくわかるなという感じ。「むしろ私たちには〈事件〉の個体性があると考えたほうが正しいのですが」とか、「私はこれまでどの著作でも〈事件〉の性質を追求してきましたが、それは〈事件〉が哲学の概念であり、「ある」という動詞と、属詞とを失効させることのできる概念は他にないからです」とか、ほかの引用でも、「単一性は、ほかならぬ多様体に欠けているものだし、同じく主語(主体)は〈事件〉に欠けているものです」などといっているが、この「〈事件〉の個体性」をあらわし、表出・表象するというのがつまり小説(のひとつの理想的なかたち?)なのではないかとおもった。

創造は、創造のネックとなるものがあるところでおこなわれるものなのです。一定の国語のなかでも、たとえばフランス語を使う場合でも、新しいシンタクスはかならず国語内の外国語となるのです。ものを創る人間が一連の不可能事によって喉もとをつかまれていないとしたら、その人は創造者ではありません。創造者とは、独自の不可能事をつくりだし、それと同時に可能性もつくりだす人のことです。発見するためには、マッケンローのように壁に頭をぶつけていなければならない。壁がすりへるほど頭をぶつけなければならないのは、一連の不可能事がなければ逃走線、あるいは創造という名の出口を、そして真理を成立させる〈偽なるものの力能〉を手に入れることができないからです。

     *

かくかくしかじかの点について見解も考えももたないというのはとても気持ちがいい。私たちはコミュニケーションの断絶に悩んでいるのではなく、逆に、たいして言うべきこともないのに意見を述べるよう強制する力がたくさんあるから悩んでいるのです。旅をするとは、出かけた先で何かを言ったかと思うと、また何かを言うために戻ってくることにすぎない。行ったきり帰ってこないか、旅先に小屋でも建てて住むのであれば話は別ですけどね。だから、私はとても旅をする気になれない。生成変化を乱したくなければ、動きすぎないようにこころがけなければならないのです。トインビーの言葉に感銘を受けたことがあります。「ノマドとは、動かない人たちのことである。旅立つことを拒むからこそ、彼らはノマドになるのだ」というのがそれです。

     *

さまざまな人の生涯で面白いのは、そこに含まれた空白の数々、つまり劇的なこともあるし、場合によっては劇的ですらないこともある、欠落部分だと思います。何年間にもわたるカタレプシーとか、ある種の夢遊病のようなものなら、たいていの人の生涯に含まれている。運動が成り立つ場所は、こうした空白のなかにあるのではないでしょうか。いかにして運動を成り立たせるか、いかにして壁を突き抜けるか、と問うことこそ、難局を切り抜ける道だからです。だとしたら動きすぎることも、しゃべりすぎることもないように気をつけるべきではないか。偽の運動を避け、記憶が消えた場所にじっとしているべきなのではないか。フィッツジェラルドがみごとな短編を残しています。十年間の空白をかかえて、ある人物が町を歩くという話です。これと正反対の問題がもちあがることもあります。空白ではなくて、定数外の流動的な追憶が過剰なまでに増殖し、それをどこに置き、どこに位置づけたらいいのかわからなくなる状態(そんなこともあったな。でも、あれはいつだったのだろう)。こうした追憶は、どうあつかったらいいのか見当もつかない。余分の追憶だからです。七歳のときだったのか、十四歳の、あるいは四十歳のときのことか。人間の生涯で面白いのは、いま説明したふたつの状態、つまり健忘症と記憶過剰なのです。

     *

だから、ふたりで書いたところで特に問題はないし、そもそも問題などおこりようがないのです。けれども、もし私たちがほかならぬ個人であり、各人が自分に固有の生活と固有の意見をもち、相手に協力して議論する気になったら、そのときは問題が発生する。フェリックスと私は、どちらかというと小川のようなものだったと申しあげたのは、個体化とは、かならずしも個人にかかわるものではないという意味だったのです。自分が個人であるのかどうか、私たちはまったく確信がもてない。空気の流れ、そよぐ風、一日の流れ、一日のうちのある時間、小川、場所、戦い、病などには非=人格的な個体性がある。つまり固有名があるのです。こうした固有名を、私たちは「此性(haecceitas)」と呼びます。〈此性〉同士はふたつの小川、ふたつの川のように組み合わせることができます。言語のなかでみずからを表現し、言語に差異を刻み込むのは〈此性〉ですが、個体ならではの生を〈此性〉に与えて、〈此性〉と〈此性〉のはざまを何かが流れるようにするのは言語のほうなのです。意見を述べるときは誰でも同じような話し方をするもので、「私」を名乗り、自分はひとりの個人だと思い込んでいるようですが、これは「太陽が起きあがる(=太陽が昇る)」という慣用表現に疑問を感じないのと同じことです。けれども私たちには、それで当然と思えないし、個人というのはけっして正しい概念ではないはずです。フェリックスや私、そして私たち以外にも多くの人びとが、自分のことをかならずしも個人とは思っていないのです。むしろ私たちには〈事件〉の個体性があると考えたほうが正しいのですが、これはなにも大げさなことを言っているのではありません。〈此性〉というのは控え目で、場合によっては顕微鏡をのぞかなければ見えないほど小さなものなのですから。私はこれまでどの著作でも〈事件〉の性質を追求してきましたが、それは〈事件〉が哲学の概念であり、「ある」という動詞と、属詞とを失効させることのできる概念は他にないからです。そう考えれば、ふたりで書くことは不思議でもなんでもない。何かが伝わり、何かが流れ、その一筋の流れだけが固有名をもつようになれば、それでじゅうぶんなのです。ひとりで書いているつもりでも、かならず誰か他人が関係しているものだし、しかもその他人は名前を特定できるとはかぎらない他人であるわけですから。

     *

(…)ところが芸術家は、涸れた生に甘んじることも、個人の生活で満足することもできない。自分の内面、自分の記憶、自分の病を語っても書くことにはならないからです。書くという行為には、生そのものを変容させ、個人を超えた何かにつくりかえよう、生が閉じ込められていたら、そこから生を解き放ってやろうという明確な意図がある。芸術家や哲学者は健康状態がすぐれなかったり、からだが弱かったり、精神的に均衡がとれていなかったりすることが多いですよね。スピノザニーチェ、あるいはロレンスのように。けれども彼らを最後にうちのめすのは死ではなく、むしろ彼らがその存在に気づき、身をもって生き、考えぬいた生の過剰なのです。彼らにとっては大きすぎる生かもしれませんが、それでも彼らの力があればこそ「兆しは近い」ということにもなる。『ツァラトゥストラ』の最後や『エチカ』の第五部を見てください。書くということは、来るべきものとして想定され、まだ自分の言語をもたない人民のためにおこなわれる行為です。創造とは、いわゆる伝達ではなく、耐久力をもち、抵抗することです。

     *

(…)単一化、主体化、合理化、集中化を特権視する必要はどこにもありません。これらのプロセスはむしろ、多様体の生育をさまたげ、多様体に含まれた線が延び、発展していくのをおしとどめ、新しいものの生産を不可能にする袋小路か囲いであることが多いからです。
 超越性をひとつでも援用すると、それだけで運動を停止させ、実験するかわりに解釈をもちこむことになる。(…)それに実際、解釈は何かが欠けていると仮定し、その欠如に依拠するかたちでおこなわれるものです。単一性は、ほかならぬ多様体に欠けているものだし、同じく主語(主体)は〈事件〉に欠けているものです(フランス語で「雨が降る」と言いあらわすときは非人称的表現が使われる)。もちろん、欠如の現象もあるにはありますが、しかしそれはなんらかの抽象を想定し、超越性の視点から見たときに生まれる現象にすぎない。抽象の実体がひとつの自我だとしても同じことで、要するに内在性の平面を構成する作業がさまたげられたとき、かならずそこに顔を出すのが欠如の現象であるわけです。すべてのプロセスは生成変化であり、生成変化にたいする評価は、生成変化を終わらせる結果ではなく、現に生成変化が進行しているとき、その質はどうか、生成変化が示す継続の力能はどれほどのものか、ということによって決まってくる。たとえば、動物への生成変化や、非=主体的個体化がそうです。だからこそ私たちは樹木に対抗するものとしてリゾームを選んだわけで、両者を対比すれば樹木、いやむしろ樹木化のプロセスが、リゾームとその変容を一時的にストップさせる、とりあえずのリミットになっていることも明らかになると思ったのです。普遍概念はなく、あるのはただ特異性だけ。概念は普遍ではなく、さまざまな特異性を集め、ひとつひとつの特異性が別の特異性の近傍にまで延びていくようにした、ひとつの集合なのです。

 あと、相当ひさしぶりのことだが一年前の日記も読みかえした。特筆することはないが。
 

 いまは六月二日の午後七時一五分になっており、この日のことについておぼえていることはもはやない。ギターを弾いた時間はあった。しかもけっこううまく弾けたのだった。似非ブルースではなくて似非インプロみたいな感じでやる例のてきとうなやつが、いつもはうねうねクロマチックなんか入れてでたらめにやりがちなのだけれど、この日はわりと旋律的に、スケールに添いつつ複音で移行しながらメロディを演じたりして、なんか良かった印象。