2022/6/4, Sat.

 (……)これに対して、ペーテルスブルクのアントン・カルロヴィッチ・フェルゲの病床を訪ねたときは、ふたりとも気持のいい印象を与えられた。フェルゲ氏は、善良そうな房々とした上ひげ [﹅2] を生やし、やはりこれも善良そうに飛びだした喉仏をのぞかせてベッドに寝ていた。彼は最近気胸手術を受け、その際危うく手術台上の露と消えかけたが、その衰弱から容易に回復しないのであった。手術最中彼は、この流行の手術に伴う副現象として知られている激烈な胸膜震盪に襲われたのである。彼の場合はその震盪が例外的に危険な形を取り、まったくの虚脱とはなはだ憂慮すべき失神状態とを伴い、つまりあまりにも烈しい震盪であったために、手術は中止され、延期されなければならなくなったのである。
 そのときのことがよほど恐ろしかったのか、フェルゲ氏はその話をするごとに、善良そうな灰色の眼を大きく見開き、土気色の顔をした。「麻酔なしでです。でもそれは一向に構いません、私たちはとても全身麻酔には耐えられませんから、あれは禁物ですよ。分別のあるひとならそれくらいのことはわかるというものです。はい。しかし局部麻酔は肉の浅いところにしか届きません、深い部分にまで届きませんからね。それで切開される模様がわかるのですよ。もっともそれは、圧 [お] しつけられたり、圧し潰されたりするような感じだけですが。私は何も見えないように顔に布切れをかけられ、右からは助手(end638)が、左からは婦長が私を押えつけていたのです。肉を圧しつけるような、圧し潰すような気がしたのですが、つまりそれは肉を切開して、それをピンセットで引っくり返していたのです。私はそのとき顧問官さんが『さあ、では!』というのを聞きましたが、その瞬間に顧問官さんが鈍い器具で――鈍い器具でというのはですな、うっかり変なところを突き刺したりしたときの用心のためになのですよ――肋骨を探りはじめました。孔を開けて、ガスを入れるのに適当な所を発見するためなのですが、顧問官さんがそれをはじめられたとき、つまり器具で私の肋骨を撫ではじめられたときに――ああ、お二方、私はすっかり往生してしまいました。お陀仏になって、なんともいえん気持になったのですわ。あなた方、肋骨はさわるものじゃございません。それはさわられることをきらいます。肋骨はタブーですぞ。それは肉で包まれていて、ちゃんと隔離されていて、接近できないようになっています。それを顧問官さんは、裸にして探りました。いや、どうもなんともかんとも私は気持が悪くなりましたよ。思いだしてもぞっとします、ねえ、こんなに厭らしい、こんなとほうもない嫌な気分が、地獄を除いてこの世にあろうとは思っておりませんでしたな。私は気絶してしまいましてね、――それも一度に三色の、緑と褐色と紫の、三色の気絶です。それにまたその気絶の臭いことといったら、胸膜震盪が嗅覚を襲ったんですわ。鼻が曲るほどに、それこそ地獄の臭気のように、硫化水素の臭いがひどいのです。そのうえ、私は気絶しながら、自分の笑い声を聞きましたな。(end639)それも人間の笑い声ではなくて、まあ、この歳までまだ聞いたことがないほどに淫らな、厭らしい笑い声なのですな。つまり肋骨を撫で回されるということは、あなた、これは実に淫らに、ひどく、たまらないほどにくすぐるのと同じことなのです。はい。そしてこれが胸膜震盪というものです。なろうことならみなさまが、そんなものを知らずにお済みになるようにお祈りしたい。まあそれほどのものですよ、胸膜震盪というのは」
 (トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、638~640)


 六時半ごろにいちど覚醒した。起きようとおもっていた予定の時刻、つまりアラームの設定時刻は七時半。まださすがにはやいなと判断し(さくばんは一時四〇分ごろ就床したから五時間しか眠っていないわけだし)、目をつぶる。死体のポーズめいてあおむけでじっと静止し、からだがほぐれてくるのを待つ。意識をかんぜんにうしなったわけではないが覚めているともいえない、あいまいな状態で時間を過ごし、七時半にいたると机のうえに置いてある携帯がふるえてひかえめな振動音を立てるので(携帯はつねにサイレントモードにしてあるので音は出ない)、それで起床。というかもうすこしかかったか。そこで覚醒をたしかにしたが、すこしのあいだ深呼吸したりして、七時四五分くらいに床をはなれた。背伸びをし、消毒スプレーとティッシュでコンピューターを拭き、廊下に出て水場へ。洗面所で顔を洗ったりみずを飲んだりして、トイレにはいると小用。そうして部屋に引き返すとベッドにころがって、すこしのあいだだけ書見した。サリンジャーライ麦畑でつかまえて』のつづき。モーリスというエレベーターボーイに声をかけられて娼婦サニーを部屋に呼びながら性的な行為をなにもせずにちょっとはなしただけで帰らせてしまったホールデンだが、そのあとねむれずにいると、モーリスとサニーがいっしょになってやってきて、代金は一〇ドルなのに五ドルしか払ってもらっていないと難癖をつけてくる。エレベーターのなかでモーリスはたしかに五ドルと言っていたのだ。ホールデンは支払いを拒否して口では対抗しているのだけれど、ほんにんも言っているとおりかなりビビっていて、声もふるえていたとくりかえしているし、アーニーの店からの帰路以降、かれはこれまでの生意気な不良少年ぶりとかわってずいぶんと弱気なようすをみせている。モーリスと言い合っているうちにサニーが勝手に「紙入れ」から五ドルを抜き取ったのに、いきなり泣いてしまうほどなのだ。そうしてくやしまぎれの負け惜しみといった感じで、おまえなんかきたならしい低能だ、みたいな罵言を吐いたことで、モーリスのパンチをお見舞いされて床にぶっ倒れる。いまのところ物語としては、高校を退学になり、ストラドフォードと喧嘩して学校をはやばやと飛び出して、ニューヨークに来てホテルやクラブでうだうだしているというくらいで、とりたてておおきな展開はない。人間関係も確たるあたらしいものが生まれたわけでない。ジェーン・ギャラハーとのかかわりが今後どうなるのかというのがひとつのメインの焦点だろう。かのじょはいまのところまだ回想として出てくるだけで、現在のホールデンと出くわしてはいない。
 八時一〇分ごろで瞑想へ。とはいえ荷物運搬の準備もあるし、きょうははやめにきりあげる気になった。一五分も座らなかったはず。そうしてゴミ箱やコップをもって上階に行き、台所のものとゴミをいっしょにまとめておいて、ジャージにきがえる。暑い日である。寝床からみた空はうっすらと雲の化粧をほどこしていたものの、みずいろが一帯にひろがっていてひかりもある。台所では父親が皿洗いをしていた。洗面所に行ってあらためて顔を洗ったり、うがいをしたり。その後、米がもうないというので食パンをオーブントースターに入れ、おかずとしてハムエッグも焼くことにした。フライパンに油を引いて、そのうえにハムを置き、卵もふたつ割り落とす。その他、キャベツも半端にのこっていたのを包丁でうすく切り落とし、味噌汁も少量あまっていたので椀に。そうして食卓に行って新聞をみながら食事した。しかし見たニュースの内容をよくおぼえていない。ウクライナではルハンスク州のセベロドネツクが九割制圧されたとあったが、セベロドネツク単体だったか、それともルハンスク州全体だったか。しかし州全体にかんしてはすこしまえから九割方制圧といわれていたとおもうので、セベロドネツクについての情報だったのだろう。あれだ、英国の見通しによれば、二週間以内にセベロドネツクが落ちるみこみだとあったのだ。ウクライナ軍は米国が供与するというなんとかいう爆撃システムみたいなやつが支援提供されるまでできるだけもちこたえ、軍備がととのったあとに反撃する計画をおもいえがいているのだろうと。ロシア軍は三月にキーウ周辺から撤退して東部制圧に集中したわけだが、想定されたよりも侵攻はスムーズに行っていないという見方もあった。ヘルソン州では二〇の集落が奪還されたときのうの新聞にもあった。
 食後、皿洗い。ちょうど九時ごろだった。引っ越しの準備へ。きのうおおかたはもうそろえておいたが、あとアンプとギターがのこっていた。自室にもどるとオーディオアンプの背面からスピーカーの配線を抜き、コンセントからケーブルも抜いて置いていたスピーカー上からとりあげる。スツール椅子のうえに乗せてティッシュと消毒スプレーでちょっと掃除。きのう掃除機でふれておいたが、こまかい埃がついていたり、表面にすこしよごれがあったりするのでこすった。そうしてケーブルを付属の留め具でまとめておいて、玄関へ。さらにとなりの兄の部屋からギターもはこんでおき、それで荷物は準備OK。歯を磨き、リュックサックにオーディオケーブルを入れるなど。本もいちばんさいきん買って読みたいやつを何冊か入れたのだが、荷物運搬が終わったあとにまずアパートで日記を書くつもりだったので、パソコンも入れなければならないんだと入れ直し、ティム・インゴルドの『生きるということ』だったか、そんなタイトルのやつがやや厚いのではいらなかったが、おいおい持っていけばよい。服装は暑いので上着はいらんだろうと判断し、鈍い赤と白や灰色で幾何学的な柄をなしているTシャツに、したは真っ黒な薄手のズボン。Tシャツがいまこれいちまいしかないので、このあと(いまはアパートにおり、時刻は午後三時前なのだが)(……)でなんか買ってもいいな。そうして上階に行き、風呂を洗う。そうすると九時五〇分くらいになった。玄関にそろえてある本やらなにやらをもうそとに出しておくことに。さいわい天気はよく、陽が盛んに照っており、家のまえにも日なたができてみちや向かいの木造屋はあかるみにおおわれているが、本を日にさらすとあまりよくないだろうとおもって荷物は家屋にちかいほうの日陰のなかに置いておいた。そうこうしているうちに一〇時にいたりそうだったが(……)がまだあらわれないので、沢というか水路というか、林のほうから出ているみずのながれのそばに行き、水流を見下ろしたりしていた。先日の雨のさいは厚かったがいまは平常どおりしずやかにかるくながれており、みずがその浅い丸みをなでるかになめらかに越えていく石は赤褐色、透けるような薄青さの線であるトンボが一匹、葉から葉へ行き来していた。あたりにモンシロチョウが多くあそび、水路まわりの草の葉にとまったり発ったりしているが、すこし奥にはドクダミが群れている箇所があって、その白い花のあいまにチョウがとまるとかんぜんに見分けがつかない。しばらくそうしながら首を伸ばしたりして、玄関のほうにもどろうというところでみちのさきに軽トラがみえたので、あれだなとおもった。玄関前で出迎える。車から降りてきた(……)にあいさつ。荷物をみたかれは、これならぜんぜん余裕で載るな、もっとあるかとおもってた、と言った。あとで車中できいたことには、いままで友だちの引っ越しは一〇回くらいは手伝っており、洗濯機とか冷蔵庫とかベッドとか、そういうおおきなものを運んだこともあるという。それなので手際はよく、軽トラの荷台の幌をはずしたりつけたりするそのうごきとか、荷物を荷台のうえにぴったり寄せてうまく配置していくさまなどはじつにスムーズだった。こちらも手伝って毛布を敷いたり、荷物を載せたりして、幌を覆いかけて留めるのはやりかたがわからないので一歩引いてかたわらで作業をながめる。荷台のしたには突起がいくつかもうけられていて、黒くてよく伸びるゴム紐を各方面から伸ばしてそれにひっかけたり、荷台の下側の角に巻きつけたりして留めるのだ。そうして一〇時一五分くらいにははやくも積載は完了した。母親が林檎ジュースを用意してくれていたので玄関に誘い、座台にならんで腰掛けて水分を摂取。制汗剤ペーパーも持ってきておいたのでつかうようすすめ、われわれが飲むあいだ母親は玄関の床のうえに膝で座り、(……)におしごとはとかいろいろきいていた。さいしょに、不動産屋のおしごとは……とかいいだしたので、ふたりで笑いながら、それはちがう、(……)だ、どっちもクラスメイトだよとただした。(……)は、動物関連で(動物の薬関連で、だったか?)、とまずこたえ、獣医さん? と母親がきくのに、資格ももってるんですけど、いまはそういう病院をバックアップするような、製品をつくったりとか、そんなことですね、などとはなしていた。こっちのほうは来られないでしょ? というのには、兄が二年くらいまえに(……)のほうに家を建てて、とのこと。これも高校時代のクラスメイトだった(……)の実家のすぐちかくだというので、(……)のそばだろう。あとで(……)の実家でお母さんからもちょっときいたが、兄(次男)はみずからのぞんで自然がたくさんあるほうに住みたいとそちらをえらび、車で実家のしごとばまで通っているという。(……)の家のきょうだい関係についてはこのあいだの飲み会でたしょうきき、あとでおもいだしたら書くと書き付けておきながら書くのをわすれていたが、いまもまだここでは記さず、あとでもしおもいだしたら書く。お子さんはと母親がきき、(……)がこたえてはなしが一段落したところで、もうさっさと行こうとおもって、じゃあ行くんで、というと(……)は笑い、めちゃくちゃぶったぎるな、とか言った。母親がつくったばかりの混ぜご飯とお茶のペットボトル二本を進呈し、またお礼としていくらか金をつつんだ小袋もあげたので、おれも用意したんだけど、と苦笑した。そうして軽トラに乗り込み、出発。ふだん車なんていうのはクソみたいにつまらんしやたら疲れるなんの官能性もない最悪の乗り物だとよく書きつけ、じっさい乗る機会も母親に送ってもらうくらいであまりないわけだが、ふだん後部座席に座るのでそうするとたしかに視界がせまくてクソつまらんのだけれど、軽トラは運転席と助手席しかないからすぐまえが窓で左からもそとがよく見え、そうすると視界がひろくてなかなか楽しめる。また、母親と乗っていてもまったくおもしろくないが、気の知れた友人といっしょになれば退屈はしない。軽トラだから乗り心地はよくないと(……)はいったが、一時間ほど乗ってもそこまで疲れた感はなかった。(……)はナビ用の携帯をダッシュボードと言ってよいのか、目の前のスペースに置かれた台座的な器具に乗せ、なにかべつの携帯式機械でさいしょは音楽をながしていたが、そのうち携帯のほうを取ってYouTubeかなにかでいろいろながしていた。道中はだいたい音楽のはなしをしていて、あちらがさいきんの邦楽を紹介したり、こちらがさいきんは邦楽はもうマジでFISHMANSしかきいてない、ほんとうにすばらしい、最高のバンドだと言ったり、さいきんは、ちょっと耳にするかぎりでは、ひろくメジャーになってる邦楽でもどれも洒落てるよね、おれらが中高生のころよりすごいレベル高くなったとおもう、と言い、七〇年代くらいの日本のポップス、シティポップっていうのがあって、松任谷由実とか、あとなんだっけ山……(山下達郎?)、そう、山下達郎とか、あのへんのやつのさ、リバイバルっていうか、そんな感じがあるらしいね、じっさい七〇年代のああいうのも質はめちゃくちゃ高いよ、かなり緻密につくられてて、竹内まりやとか、いまきいてもおもしろい、楽しめる、と述べたりした。(……)がかけたのは、先日の飲み会で(……)さんが幕張にライブを見に行くと言っていたポルカドットスティングレイや、高校時代にちょっときいたヘヴィメタルバンドのSynergyアレキシ・ライホはたしか亡くなったんだよな、四〇前くらいだったとおもうけど、おれらが高校のころは、メタルのギターではやっぱアレキシ・ライホが若手のホープみたいな感じだったな(しかしこちらはChildren of Bodomを好んで聞きはしなかった。デスメタルまではいかなかったのだ)、でもいまはもうヘヴィメタルなんて売れない、ってかべつに当時から売れてたわけじゃないけどさ(たしかに、界隈で話題になってただけだもんな)、ギターヒーローなんてもういないんだろうな)、さとうもか(これはもう(……)につき、(……)にはいったあたりでながされたので最後の曲だったが、たしかいぜん(……)がカラオケでうたっていて、そのときちょっといいなとおもったので調べた記憶がある。「令和の松任谷由実」とかいわれてるやつだろ、というとそうだといった)、ウル(表記がカタカナでよいのかわからない)、King Gnu、中村佳穂に似ているなんとかいう女性(声やうたいかたはかなり中村佳穂だったし、音楽は複雑さと洒落っ気がすこしだけ薄い中村佳穂みたいな感じだったので、これほぼ中村佳穂だわ、と言った。(……)は中村佳穂を知らず、あのー、去年、なんつったっけ、竜とそばかすの姫だっけ、アニメ映画あって、あれの主演、主演声優やってたひと、というとピンときていた)など。ポルカドットスティングレイはこういう感じね、と容易に理解できるたぐいの音で、まあわりとふつうのギターロックというか、パワーコードで押したりするのではなくて、ちょっとだけ粘りのあるようなトーンで副旋律を入れていきつつややこまかめのアンサンブルを嵌めていくようなやつなのだけれど(走行音でそんなによくきこえなかったが)、ある種のギターロックのそういう副旋律には、なんといえばよいのかむずかしいがなんかほんのり和風みたいなところがあって、かつおだしのラーメンがほんのり香るみたいな、とたぶんぜんぜんつたわらないだろう比喩を口にしたのだけれど、あれはたぶんペンタトニック(すなわちヨナ抜き音階)のいろということなんだろう。ペンタトニックはうまくやらないと祭り囃子みたいになるといわれることがあるが、そういうにおいなのではないか。しかもそこにほんのすこしだけ粘るようなトーンがくわわるとそれが強化される。ポルカドットスティングレイは、走行音でぜんぜんよくは聞こえなかったが、わりと激しめの曲もあった印象で、おそらくツーバスを踏んだりしてガチャガチャやっていたとおもうのだけれど、けっこう激しくやってるじゃん、というと、でも残念なことにこれがファーストで、ここからどんどん角がとれてく、とかえったので、まあ角がとれなきゃ幕張ではやれないよ、いうと、それはたしかに、と(……)は笑った。ポルカドットスティングレイはまたギターソロもはいっていて、そこそこテクニカルにテロテロやっていたのだけれど、いまは聞くほうもさ、ギターソロだけ飛ばしてきくみたいな、ギターソロいらないわみたいな、一部でそういう風潮があるらしいね(というのは(……)さんのブログでふれられていて知ったのだが)、というと、(……)は知らなかったようで、へー、そうなんだ、と受けた。まあわからんでもないけどね、ギターソロってさ、なんていうの? やっぱくどいしさ、でもそういうのってむかしもあるのよね、アメリカとかで、九〇年代のロックのやつらとかけっこうそうで、Nirvanaとかそうだけど、ギターソロいらんわっていう、つまりそのまえの八〇年代にメタルが流行ってテロテロやりまくるわけじゃん、(もう飽きたわって?)、そうそう、だから九〇年代の連中はあんまりギターソロやらないんだよね、とはなすと、まあなにを目的に聞いてるかのちがいだよな、みんなはだいたい歌詞と、ボーカル聞くじゃん? と(……)。余談だが、音楽を飛ばし聞きするという感性や行為様式がこちらにはわからず、それでなにがおもしろいのか? とどうしてもおもってしまう。本と映画はわかるのだ。本にかんしては飛ばし読みというのはむしろふつうのことである。こちらじしんはまずやらず、いまのじぶんはこの本を読むとなったら一字一句すべてとりあえずふれるだけはふれるし、一章だけひろって読むとかそういうことがむしろできないほうなのだけれど、本にかんしてはしょうじき読まなくてもいいような退屈な部分というのはまちがいなくあるし、飛ばし読み拾い読みというのは一般にふつうにおこなわれているはずで、それは容易に理解できる。どこを読むかというのをじぶんで選択しやすいという事情もある。映画にかんしても、さいきんは時間のないひとのために一〇分とかに縮約した動画がYouTubeにあがっていて著作権的に問題になっているとかきくが、これも、それで見てなにがおもしろいの? とはおもうし、それは映画をみているのではなくて物語を受容しているだけだともおもうが、しかしまだわかる。ただ、音楽で、ききたくないところを飛ばしてきくという、これになるとわからない。なぜ本や映画はわかって音楽だとわからないのかもわからないが。たんに時間的規模の問題なのか? しかしこういうことを言っていると懐古趣味的なにおいもわりとするし、ヒップホップみたいな、曲の一部をサンプリングしてあたらしいものを生む感性ってそういうことから生まれたんじゃないの? という疑問も湧くのだけれど、ただ、ここの曲のこの部分がめちゃくちゃよくて好きだ、ここだけ何回もききたい、というフェティッシュな欲望と、ききたくないところをききたくないので飛ばすという聞き方とは、おなじことの裏面のようでじつはちがうような気がするのだが。ヒップホップとかはどちらかというと前者の感性から生じたものじゃないかとおもうのだが。
 ウルというひとは(……)がいちばん声が好きな女性ボーカルだといい、もしこういう声の子とカラオケいっしょに行ったらずっとうたっててほしい、おれはうたわないから! うたって! ずっときかせて! ってなる、といっていた。(……)の好きなポイントは、きれいな歌声だけれどちょっと翳があるというか、哀愁がふくまれているところがあり、かつ、可愛らしい感じにはならない点だと。これでなんかもうちょいキャピキャピしてると、うーんっていうか、病んでる子なのねってなっちゃうけど、と言っており、その点はよくわからなかったが、病んでいるのに無理してあかるくふるまっているようにきこえるということだろう。ウルは翳があるけれどにんげんとしてのつよさが感じられる、といった(翳をわがものにしてるってことね、というと笑っていた)。きいてみるとたしかに声はきれいで、透明感があると言ってよく、歌いぶりも安定しており、とくに高音に行ったときに声がかたくなるのではなくてふわっとちょっとひらいてなめらかになり、かつそれがふくよかまでの厚みをもって重くならずなめらかにとどまって浮遊するのが、そんなにきかれない卓越した質感におもえたが、(……)が言っていたとおりある意味ではそこが弱点とは言えて、つまり、あかるい曲はうたえないんだろうなっておもうけど、とのことだった。芯がある声を出せるのか否か、そこだわな、と受ける。
 King Gnuはなんだかんだいままでちゃんときいたことがないのだけれど、あ、こういう感じなんだ、みたいになった。(……)が、こいつらも全員天才だからな、ととつぜん絶賛のことばを吐いていたのだが、バンド名をあかさずにさいしょにかかったのは七〇年代ハードロックを換骨奪胎してコード一発、ペンタでやるぜ、みたいなもったりした感じの、ブルージーないろの曲だったのだけれど、ほかのやつをきいてみても、意外と男気あるなっておもったわ、もっとなんか洒落てる、シャレシャレしてるイメージだったけど(とあたらしいことばを造語してしまったが)、というと、そう、なよなよしたおしゃれ~な感じかとおもいきや、けっこうロックしてんだよね、おれもさいしょあんまりっておもってたんだけど、ちゃんときくとこれは、ってなった、と評していた。
 あとはさとうもかのひとつまえにはAdoがながされて、ここでようやくこのひとの読みが「アドゥ」ではなくて「アド」だということをさだかに知ったのだけれど、(……)はべつにそんなに好きというわけではなさそうだった。このひとあれだよね? 匿名っていうか、ときくと、そう、顔出しはしてない、いまはまあもうそういうひとも多いからね、とのこと。評価はまっぷたつに分かれるだろうなー、と(……)はもらした。受け付けないってひとは受け付けないだろうと。きいてみればまあそれはわかって、どういう層にこれが受けるのかいまいちわからなかったのだが、そういうと(……)は、まあ病んでるひと、と言い、こちらも、なんかまあストレス溜まってそうな若い女性とかなのかな、と受けて、あと、洒落てるぜ、みたいな、これをきいてるじぶん洒落てますみたいなそういうやつら、と(……)がくさすので笑いつつ、これをきいて洒落てるってのがよくわかんねえけど、というと、でもちゃんときくと意外にけっこうおもしろいよ、とのことだった。"うっせえわ"というれいのやつがゆうめいで、これにかんしてもじぶんはタイトルしか知らず曲じたいはきいたことがないのだけれど、こちらの、こういうのを好んで聞くのは「なんかまあストレス溜まってそうな若い女性とかなのかな」という推測は、かんぜんにこのタイトルの印象に引っ張られたものではないか? じっさいこの車中でながれた曲も、歌のあいまにメロディを落としてちょっとだけ喋りというか、憤懣や不満を吐き出すような語りめいた口調がこまかくちょいちょいはいって組み込まれていたので(ラップと言って良いのだろうか?)、それでそうおもったのだろう。
 車に乗って(……)に来ることがふだんないためか、車内からみる街の景色には、おもいかえしてみるとなにか新鮮さがあったようで、空も雲をふくみながら青いしたで昼前のひかりがあたりに浮遊して、右手、すこしだけひらいた運転席の窓から外気や街のおとがはいりこんできて、時はさわやぎ、おだやかだった。じきにアパートそばへ。クリーニング屋のはいった茶色いビルの二階で、角にあるのだが、そこの角からは車がはいることができなかったのでいちどとおりすぎて折れ、裏にはいってもどるかたちですすんだものの、どの路地がアパートのある路地なのか曲がる地点がわからず、一回ミスってまた迂回し、それで到着することができた。軽トラから降りると背伸びをして、(……)が幌を解いてふたりで荷物を部屋にはこびこむ。扉はストッパーのたぐいがないので互いのリュックサックをならべて置いて開けたままおさえる支えとした。本の袋などもろもろ、階段とちゅうで受け取ったり、荷台まで行ったりして部屋にいれると、たぶんまだ一一時半くらいだったのではないか。それかちょうど正午くらいだったとおもう。そとのみちにいればひかりはひろく射して熱く、こちらも(……)も目をほそめることが多かった。作業が終わると(……)が毛布をたたんでかたづけ荷台に整理するのをひかりを浴びながらかたわらでながめて待ち、終わると礼を言って部屋のなかに。(……)はなにか用事があるものだとおもっていたのだがそういうわけではなく、まあいつ帰るかというだけだというので、昼飯に行くかということになった。(……)に出るかときくとそうではなくこの近辺ですませるといい、それは原付で実家まで来たのでそのほうが簡便だからということだった。原付で走ってきたあと軽トラで我が家まで走り、復路もおなじ距離を走ってきたわけで、ずいぶん道路を走るやつだ。それでリュックサックに入れてきた本やパソコンを部屋に置き、軽トラに乗って(……)の実家へ。ちかい。あるけばたぶん一〇分くらい。家のまえの駐車スペースに横に停めて降りる。(……)の実家は看板屋なので手近に細長い木材がならべて置かれてあり、家の正面外観はよくある一軒家ではなくちょっとモダンな感じのするビルめいた相貌で、たぶん三階建てだろうか? 一階は車庫というかガレージ的な作業場で、正面はガラス張りになっておりなかからひらいて行き来することができる(あとで(……)は原付をそこから出していた)。家屋を正面にして左端にはアジサイなどがいくらか植えられていて、こちらの知っているアジサイとはちがうがすこし花をつけていた。そちらのほうに入り口があり、マンションなどと同様にインターフォンを押してロックを解除してもらう式のようだったが、母親がいるというのでまああいさつだけしておくかということになった。それで(……)がインターフォンを押し、作業が終わったことを報告して、来てー、とかいっているのだが、わざわざ来てもらうのもあれだったのでちょっと待ったあとにもうこちらからなかの階段をあがっていってしまうと(なかもやはりコンクリート壁なのか無骨なビルめいた風情で、足音がよく響く)、そのとちゅうで(……)母と出くわしたのであいさつ。会うのはかなりひさしぶりで、むこうがこちらのことをおぼえていたのか怪しいが、どうもおぼえていたようだ。わすれていたとか、その場でおもいだしたみたいなそぶりがなく、事前に(……)になまえをきいて認識していたという雰囲気だった(引っ越しを手伝うあいてがこちらだということは、きょうになって聞かされたのだ、あの子はまったくもう、ぜんぜん言わないから、などと言っていたが)。引っ越しを手伝ってもらった礼を述べたりしてちょっと立ち話したあと、じゃあ飯を食いに行くというんで、と下がろうとすると、じぶんもしたに行くというのでいっしょに下り、家のまえでまた立ち話。(……)はそのあいだ、軽トラの幌を整理したりとかまたかたづけ。仏頂面で黙々とやっている。(……)母はわりとふわふわしたような、おだやかな感じのひとで、声も高めでやや細く、外見としても線が細いようで、むかしここを訪れたさいにはなぜかかならずこちらのからだをいたわることばをかけてくれたのだが(いまもそうだがひょろひょろだったし、たぶん顔色も悪かっただろうから不健康そうだったのだろう)、こうして見てみるとあちらのほうもお元気で体調を崩さないで暮らしてほしいとおもわれる。会話のとちゅうで軽トラのまわりを行き来する(……)がこちらに目を向けたのを受けて、なぁにその顔は、と母親が言ったときがあり、かのじょはそれからこちらに向いて、もうじぶんのことをぜんぜん軽んじるのだみたいなことを漏らして、言ってやって、といわれたので、もっといたわってやれって、と笑いながら(……)に向けた。たぶんこちらがじぶんの母親にたいするのと似たような感じなのだろう。母親ふたりはタイプとしてもそこそこおなじ系統だとおもう。たぶんいろいろ気を遣ったり、世話を焼いたりするのだが、それがかえってわずらわしくてうるせえな、となってしまう感じではないかとおもわれ、これはおそらく世の東西を問わず古来息子と母親の関係として無限に反復されてきたものだろう。こちらもわりとうるせえな、という感じになってしまうが、じぶんは他人にたいして偉そうにふるまうにんげん、とくに女性や年下や店の店員などに偉そうにふるまうクソバカどもがこの世でいちばん嫌いでつねづね地獄に落ちろとおもっているので、(……)がきょう家に来たときも母親にたいしてそういう男性としての醜さや息子としての幼稚さをあらわさないようちょっとだけ注意した。
 それで(……)のかたづけが終わると、じゃあ行くかということに。母親にあいさつし、車のとぎれたすきにみちをわたりながら振り返って会釈。そうして通りをてくてく行く。カレー屋に行こうということになっていた。(……)のみちびきにしたがってはなしながら歩く。くだんのカレー屋はあとで気づいたところでは(……)駅からアパートにむかうとちゅう、一本目にはさまる通りをわたってすぐのところである。はいるとインド系らしいひとがあの外国人特有の音調をもった、フランクなようでもあり無愛想なようでもある日本語でむかえてきた。客はゼロ。店員はたぶん全部で三人か四人だったとおもう。いらっしゃいませ、とむかえてくれたさいしょのひとは店長なのかリーダー的な存在のようで、もうひとり、客席の一角でひたすらにナンを包装している男性もおり、かれの目のまえにはナンがたくさん、幼稚園児が熱中してつくりあげた砂山のように盛り上がっていた。あとたぶん厨房内に何人かいたとおもう。(……)は室内にある国旗をみて、ネパールっぽいな、おもてはインドだったけど、たぶんネパール、インドってしたほうが日本人けっこう来るから、といっていた。いぜん(……)でなんかマイナーなネパール料理屋に行って、なんつったかわすれたけど乾きものの、なんかプレートに豆とかいろいろ乗ってるやつ食ったわ、とはなす。(……)はピンときて、ああプレートのやつね、なんてったかなあと言ってスマートフォンで調べ、なんとかいう単語を口にしていたが、たぶんそれじゃないなとこたえた。注文は基本、何個かセットがあるなかから選ぶ式のようだが、こちらはふつうのAセットでカレーは野菜カレー、ライスとナンの選択はナンにして、飲み物はラッシー。渡邉はチーズナンセットにしていた。まずサラダが来たのでさっさと食い、飲み物がそのつぎだったか。ナンとカレーが来ると、熱されて方々ふくらみほのかに芳香をたてているそれをちぎってカレーにつけながら食う。ふつうにうまい。ふつうにうまいのだが、ナンがけっこうおおきく、こんなもんだと(……)は言ったが、食っているうちに胃がよくないからやはりちょっと反発感が出てきて、ぜんぶ食べきれなかった。それでナンのわずかなのこりとけっこうのこしてしまったカレーを(……)に食ってもらうことに。やつもチーズナンをおかわりしていたので、こちらの分まで食べるとさすがにもう腹が、といっていたがなかなか健啖家である。それをみながらみぞおちのあたりを揉んでいると、痛い? ときくので、苦笑を返し、でもまあよくなってはいるからな、先週の飲み会のときはだいぶ悪かった、その前日くらいがいちばんよくなかったんだけど、そこに比べればまあ、と言い、そのあと医者はいまも行っているのかと、これは胃ではなくて精神科のほうをたずねたらしき問いがあったので、いやもう薬も飲んでなくて、たださいきんまたちょっと緊張するようになってる、電車んなかとかではちょっと緊張するな、だからパニック障害の再発をおそれてるよ、まあそうなったらしょうがねえからまた医者行って、薬もらってやっていくしかないわ、と笑った。ひとり暮らしに移行するというストレスもあるんだろうなみたいなことを(……)は言ったとおもう。じぶんでもそうおもっているし、この翌日にあった(……)もそう言っていた。とちゅうでもうそろそろ食べきれないな、ちょっと苦しいなとなったときに、気分転換のためにトイレに立ったが、トイレはけっこうきれいだった。また滞在中にほかの来客は三人ばかりあって、ひとりめはなにか地元自治会とか商店街の役職者ではないかという感じのひとで、年嵩の男性というかまあ老人なのだが、ナンをつくっていた若いひとのところに行くと、あのね、いま~~さんとはなしてきたんだけど、みたいなことを、耳の遠い高齢者にきかせるようなおおきな声で、やや詰め寄るようなトーンで言い出したので、なにか悶着かな? とおもってこちらも(……)もちょっと目を向けたのだが、悶着というほどのことではないようだった。頼みますよ、お願いしますよ、とかさいごに言って去っていったので、なにかしらのトラブルか問題があってその対応をしており、この店のひとにも注意しにきた、みたいな雰囲気だった。ほかは女性客。持ち帰りでなにかしらを頼んでいた。たぶんスマートフォンで旦那だか誰かと通話して、注文をきいていたとおもう。あとはなんかちょっと来たよくわからないひととか。
 そうして退店したのは一時過ぎくらいだったか。こちらのおごり。一八七〇円。あとでけっきょく公園で用意していた御礼の封筒(職場のものだが)もわたしたが。五〇〇〇円入れた。三〇〇〇円くらいでいいかなといちどはおもったのだけれど、友だちだし色をつけてくれてやれとおもって五〇〇〇円札をおさめたのだ(財布に入れていた札なのでややしわくちゃ気味であまりきれいではなかったが)。母親もいくらだか知らないが独自にわたしていたし、飯もおごったわけで、(……)はきょうでなかなか稼いだのではないか。それで食事中に(……)がこのばしょからアパートまでのルートをスマートフォンの地図(Google Map)で調べており、そこをともにたどってみるか、となった。そとに出るとすぐそばの細道から裏にはいり、そこをみちなりに行くとさきほど通っていたアパートそばの公園にあたるということだった。そうして左折すればすぐ部屋。きょう来てはじめて知ったのだが、ほんとうに歩いて二分くらいの近間にそこそこひろめのなかなかよさげな公園があるので(「(……)公園」である)これはよかった。ギターを弾きたくなったり風を浴びたりしたくなったらここに行けばよい。それで住宅のあいだのやや入り組んだような路地を行く。(……)。そうして「(……)公園」につくとなかにはいり、木蔭になっているベンチに座ってしばらく過ごす。とちゅう、下校する制服やジャージすがたの中学生が通ったり、おさない子連れの親がやってきて遊ばせたりしていた。はなしはだいたい思い出話になったようで、高校のころのエピソードなどだ。ひとつおもしろかったというか印象的だったのは、高校のときにいちどだけ(……)がキレたことがあったというはなしで、こちらはぜんぜんおぼえていなかったのだけれど、それをはなすまえにはバスケ部のやつらのはなしがあった。どこのながれからだったかこちらが先日日記に書いたように、大学受験のときに(……)といっしょに(……)まで受けに行って、じぶんはとうぜん受かった(と大口をたたき)、(……)の文学部の日本史はたいがい選択問題だがそのなかにすこしだけ語句を書かせる問いがあり、その年は豊臣秀吉が朝鮮に出兵したときの拠点となった地を答えよみたいなやつで、じぶんは見事にこれを名護屋と正答し、帰りのモノレールのなかで(……)にそのことをいうとおどろかれたおぼえがある、とはなすと、(……)は合わなかったなー、という返答があったのだった。というか(……)はバスケ部で、しかもキャプテンだったのにバスケ部のだいたいの連中とは性分としてはあまり合わなかったらしく(サッカー部についてよくいわれる印象だがわれわれの代はバスケ部にもやたらとウェイウェイいうような感じのやつらが多く、(……)は暗かったり寡黙だったりするわけではなく程よいあかるさをもっていてノリも良いけれど、そういう人種は嫌いだったようで、だからこそキャプテンをつとめることができたのだろう)、おれはただバスケがやりたかっただけなんだけど、という述懐があった。それでいちどキレたことがあったというのは、なんといっていたか、我が(……)高校では体育祭のさいに生徒を色ごとに四つの団にわけて応援合戦をやるみたいな趣向があったのだけれど((……)は青の団長)、なにかの物事決めのときに、(……)と、バスケ部でクラスメイトだった(……)と、あとA組にいた「(……)ちゃん」((……)と言って、あの有名な(……)とたしか漢字もいっしょだったのではないか。不思議と顔立ちや雰囲気もどことなく似ていたとおもうが、もういわゆる「陽キャ」中の陽キャみたいなやつだ)と、あとひとり誰か言っていたかもしれないが、そういうメンツではなしあっていたところが、連中がふざけてばかりでずーっとなにも決まらない。(……)もさいしょは我慢してつきあっていたのだけれど、それまでにバスケ部のほうなどでもそういうやつらのあいてをしてきて溜まりに溜まったものがあったらしく、そのうちについにプッツン来てしまって、窓を割ったのだという(高校時代について後悔はないな、窓も割ったしな、というつぶやきがかれの口からもれたときがあり、そんな尾崎(豊)みたいなことやってたっけ? と問うたところからそのエピソードがはじまったのだ)。窓といっても廊下に通ずる扉に嵌めこまれていたそれだが、いらいらがピークに達してぶち切れた(……)は、たぶん廊下ではなしていたのだとおもうが、ふりかえって拳をその窓にむけて振ったところがみごとに腕でガラスをぶち抜いてしまい、それと同時に一瞬で怒りが醒めて冷静にかえり、あー、やっちゃったな、やべえ、窓割っちゃった、どうしよう、とかおもいつつ、なぜか振り抜いた拳をそのままとめてしばらくじっとしていたらしく、この点はあとで保健室の先生か生活指導の先生に(ぜんぜんおぼえていないがこの年に生活指導の教師がほかからあたらしく赴任してきていたといい、かれはまえは不良がおおくてけっこう荒れた学校にいたらしく、(……)はそういうできごとを起こしたので面会することになったのだけれど、いやー、まえのとこがひどかったんでね、ここに来て、こういう学校でもそんなことあるんだなってびっくりしてたら、ぜんぜん真面目な子で、と言われ、(……)のほうも、いや僕もぜんぜんそんなつもりなかったんですけど、となったといった)、ふつうこういうときはみんなすぐに腕をもどしちゃうから、それで破片が腕に引っかかってたくさん傷つき、血がだらだら出るもんなんだけど、君はずいぶんきれいだね? 君はー、めずらしいね、なんで腕をとめたの? とかいわれたという。それでどうしようと動揺し、血ももちろんいくらかは出ているわけなのだけれど、動揺した(……)はなぜかとりあえずじぶんの席にもどって座ったらしく、やべえ、どうしよう、窓割っちゃったな、血も出てるし、みたいに悶々とかんがえていたら、なんとそこにこちらがやってきて、おまえさ……(と(……)はこちらの発言を再現するとき、いつも無愛想で低めの、ちょっとぼそぼそいうようなトーンで真似をするのだが)保健室いったら? とうながし、それで、ああそうか、そうだよな、とりあえず保健室行ってくるわ、となったのだという。しかもそのあとじぶんは、破片はかたづけておくから、とかなんとか言ったというから、たぶんじっさいかたづけたのだろう。こちらはこのできごとをまったくおぼえていなかった。ただ、(……)とか(……)とか、わからないがだれかといっしょにガラスの破片をかたづけたということは、たしかにあったような気がしないでもない。このはなしをきいてようやくその像がほんのわずかにうっすらと蘇ってきそうな気配をかんじたくらいで、(……)がこういうことをやったというのはまったくおぼえていなかった。


 いま六月七日火曜日の午後五時過ぎ。公園で(……)とはなしたことはそのほかあまりおぼえていないのだが、高校時代にはじめてはなしたときのことをおぼえているか、とたずねると、(……)ははじめて? いやー……と困惑気味に記憶をさぐるようなようすをみせだしたので、おれもおぼえていないとつづけて笑いをひきだした。(……)とはなしたときはおぼえてんだけどな、と言い、高校のころはおまえとそんなにいっしょにいた記憶がないんだが、卒業後はよく遊んだ印象だけど、高校のときはクラスであんまりいっしょにいた感じがない、というと、(……)はよく(……)といたという。(……)といっしょになって(……)をひたすらにいじりまくっていたと。それで笑い、(……)のあれもなあ、サッカー部はひどかったな、わりと危うかったよなと受けると、何回か救出したことあるわ、(……)行こうぜ、って、とかえった。音楽にくわしいやつがいるといって(……)に紹介されたのかもしれないと(……)は言った。それはあまりなさそうな気がするが、たぶん(……)と(……)がかかわりをもちだして、こちらは(……)とは一年のときからつるんでいたのでそこで関係が生まれたのかもしれない。それか(……)かな、と言った。そちらの線のほうが濃厚な気がしないでもない。二年にあがってのさいしょは出席番号順、すなわち名前順の席のはずだが、(……)は一年時と同様比較的こちらのちかくにいたはずだし(一年のさいしょはたぶん隣だったとおもう)、(……)だってさいごのほうなので、もしかしたらそれこそこちらのすぐ隣とかだったかもしれない。(……)のなまえを出して、さいきんあいつのことをけっこう日記に書いてて、女性の胸を揉みたいっつってレントゲン技師になるとか言ってたろ、とむけると、クソ野郎、だったか、クズ、という苦笑がかえった。あいつのことを書くときはちゃんと、女性の胸を合法的に揉みたいといってレントゲン技師をめざした愛すべき馬鹿である(……)、って書くようにしてる、とも言っておいた。
 そうしてじゃあそろそろ行くかとなったのは二時くらいだったとおもう。御礼の封筒をまあいちおうもらっといてくれと進呈すると、じゃあケトルをおくるわ、ということになった。六月七日現在、ガスの立ち会いのために三時前にアパートに来ると不在票がはいっていて、きのう来たようだったが、あとで連絡しようとおもっていたところ佐川急便のひとがわざわざきょうも来てくれて無事受け取ることができた。まだあけていなかったのでいま開封してみたところ、「タイガーPCM-A080WM電気ケトルわく子0.8Lマットホワイト」という品である。ありがてえ。公園を出るとアパートのまえまで陽に照らされながらあるき、礼を言ったり、がんばってと言われたり、あいさつをして別れ。階段をあがって部屋にもどると、なにはともあれ日記を書くことにした。さいしょはもってきた座布団に座り、ムージルの書簡とかを入れた布製ボックスにパソコンを乗せて打鍵していたのだけれど、やはりそれだとからだが疲れる。むかしの日本人は基本畳とかのうえであぐらで過ごしていたとおもうのだけれど、かれらは長時間それでいられたのだろうか? あぐらでずっといると脚もかたまるし、下半身がこごるうえに腰もつかれるし、たぶん胃腸も圧迫されてうごきがわるくなるからからだのしたのほうが重くなる。そこでわたしは気づいてしまったのだが、じぶんの部屋の収納スペースはなぜか天井から床までのあいだ半分くらいしか設けられておらず、そのしたに空いた空間があってそこに本を置こうとおもっているのだけれど、この収納部分の下面にパソコンを置くと立って打鍵するのにじつにちょうどいい高さなのだ! なんだったら机なしでもうこれでも行けるくらいだが、しかし机はやはりほしいので買う。それもこの四日ののちに見に行き、翌五日には(……)と(……)くんとともにもういちどニトリを訪れ、もうこの品というのを決めてしまった。それを部屋の南壁にむかって収納スペースの横に配置するつもりでひとまずいるのだが、立って作業をしたくなったらすぐ左をむいて収納部分にパソコンを乗せればよいわけだ(とはいえ机も高さを調節してスタンディングできる品にしたけれど)。
 この四日の記事を五時くらいまで書いたのだったかな。ネットが通っていないからNotionがつかえないので、メモ帳に記述してテキストファイルを保存しておいた。このメモ帳というソフトもいざ書きものにつかってみればじつにつかいやすく、余計な機能がなにもなくてとにかく動作が軽く、ストレスなく書けてすばらしい。Notionはさいしょのうちは問題ないのだけれど、一日の文量がおおくなってくるとだんだん文を書きこむときの動作が重くなってくるので、さいきんでは長くなってくるとメモ帳に書き、それを一段落ごとくらいでNotionにうつすという方法をとっている。もしかして日記もテキストファイルで保存したほうがよいのだろうか? いまNotionで自動保存&クラウド管理というかサーバーにアップロードというかたちでやっているけれど、もうテキストファイルで書くようにして、それをバックアップとして保存しつつ、Notionにもうつして二重に保存、というやりかたが良い気がしてきた。むかしはこんな無味乾燥な、白地に文字だけのテキストファイルなんて見にくくてしかたがねえやとおもっていたはずなのだが、いまはむしろ読みやすい。フォントをいじれるのがよかった。游明朝でちょうどよい文字サイズにしている。ただいろを変えられないのがゆいいつの難点だ。ブログに投稿するさいに固有名詞を検閲しなければならないわけだけれど、それはNotion上で太字&色変えの加工で目印をつけているのだ。そうするとコピペしてブログの投稿欄に貼るときに、該当箇所は「**」という記号でくくられるので、それを拾って(……)で消していけばよいという寸法である(ひとと会った日は固有名詞がたくさん出てくるので、それをいちいち消さねばならず、かなり面倒くさいが)。メモ帳が文字加工も容易にできるソフトだったらこれはもう最強だった。そういうフリーソフトありそうだが。メモ帳に毛が生えただけみたいな。こんどさがしてみるかもしれない。あと、背景黒地で白文字にも変更できたほうがそれはやっぱりよい。白地に黒だとやはり目が疲れやすい気がする。
 日記は車中のことくらいまでしか書けず。現在時には追いつける気でいたのだが。そろそろ帰るかという気になったのでアパートを出た。駅までの道のりは(……)とあるいてもう把握していたし、だいたいまっすぐ西なので余裕。帰るまえになにはともあれ机と椅子だとおもって(……)でニトリに寄ることに。(……)駅まで行くと電車に乗って移動し、降りて改札を抜ける。コンコースの人波がやばかった。こんなに? とおもうほどにごったがえしており、さいきんは(……)と会うためにちょくちょく来ていたがここまでではなかったぞとおもった。ひとびとが帰宅にむかう夕方の時間だったからだろう。まだ胃が悪くて緊張しやすいからだだったので、改札を抜けてその人波のなかにはいっただけでちょっとからだが固くなるような、うげー、というような感じがあった。高架歩廊に出るとゆっくりあるいて(……)へ。ビルにはいり、エスカレーターでニトリへ。カーテンとか洗濯機とか買わねばならないものはいろいろあるけれどようわからんしともかく机だとおもい、フロアマップを見てからうろつく。机と椅子がくみあわされて例示されている一画があり、そのそばに椅子だけでいくつか置かれている一角もあった。机をみたなかでは、「マーフィー2」という品がダントツでピンときて、なめらかな焦茶色のたたずまいも格好良いし、天板の奥行きが一二〇センチあって、置かれていた品のなかではたぶんいちばん広かったとおもうが、その点も気に入った。縦がそんなに広くなくてもよいといえばよいのだけれど、ばあいによってはこの机で飯を食う可能性もあるので、そうすると広いほうがよい。とはいえやはり食卓用のテーブルも導入するべきなのかもしれないが。自炊をするとしたらキッチンがちいさすぎるので、どちらにしても調理台用の折り畳めるようなテーブルはつかわなければならないだろう。ともあれ「マーフィー2」にピンときて、もうこれでいいじゃんとおもったのだが、値段は三万円である。しかしじぶんは読み書きをするにんげんなのだからそれくらいはぜんぜん出す。古井由吉だってたしか芥川賞をとったときの賞金でちゃんとした机を一個買い、それを死ぬまでつかっていたはず。「マーフィー2」はあと、ハンドルをぐるぐる回せば高さが調節できて、このつぎの日にくわしく確認したが、床から七三センチだったかそのくらいの高さから、一二二センチくらいまで変動させることができる。一二二センチまであげればけっこうなもので、立位で作業するのになんの問題もない。そういうわけで机はもうおおかたこれだわと目星をつけて、椅子があつまっている区画に行き、いくらか座ってここちをさぐってみた。さいしょに座ったのはアクオスではないのだがなんかそんな感じのなまえの品で、黒い合皮のワークチェアであり、けっこうよかった。首にあてたり背中にあてたりすることができる小塊が付属されていて、リクライニングもできるとのこと。これはいくらだったかわすれたが二万五〇〇〇円とかだったか? つぎに座ったのが「リカルド」というやつで、これのほうがより沈みこんでやわらかく受け止めてくれるような感触で、これかなとおもった。さいしょにベージュっぽいいろ(モカだというが)のやつに座ったのだがこれはフットレストつきの品で、四万円である。つぎにブラックの、フットレストがついていないほうに座ったがこれは三万円。フットレストだけでそんなに変わるの? とおもったが。座りごこちはさいしょに座った四万円のほうがよいような気がこの日はしていたのだけれど、翌日精査してみたところ三万円のほうがじぶんに合っている気がしたし、高さも微妙にちがっていて、買う品はこちらに決定している。
 この日は、面倒くせえしはやくかえりたいし日記書きたいしというわけでみるのはそれだけにして、しかし本屋にも寄っておくかというわけで階をあがってジュンク堂に入店。思想の通路をみると配置が変わっており、まえははいって左側の列も哲学・思想の区分で、さいしょに新刊紹介があってそのあと言語哲学とか分析哲学、認知方面や倫理学などつづき、さらに行くと日本思想の区画があったのだが、それがべつのものに変わっていて、日本思想はあとで確認するとひとつ右側の通路にうつっていた。哲学・思想のはいって右の列はみすず書房のコーナーや特集めいた棚、雑誌などがあったあとにまえは社会学方面からまず来ていたとおもうのだけれど、社会学もひとつ右の通路にうつっていた。てきとうに見分。端まで行くととなりの通路にもうつって、日本思想などもたしょう見分。とくになにも買うつもりはなかったのだけれど、蓮實重彦の『ショットとは何か』という本が新刊として出ているのを発見し、これ「考える人」のウェブサイトのインタビューでいってたやつだな、出たのか、とおもい、ちょっとのぞいてみると、まあ蓮實重彦がいうことはもうだいたいわかっているのだけれど、やっぱりちょっと読んでみたい気がして、そうなるあたりなんだかんだいってこちらはけっこうファンなのかもしれない。それでこれをまあ買っちまうかとおもった。そうなるとまえに来たときにみかけた新書のやつもまあまあまあついでに買っちまうかという気になり、文庫や新書の区画へと移動。なに新書だったかおもいだせなかったのでちょっと見てからスマートフォンで検索すると、光文社新書だったのでそこに行って発見。『見ることのレッスン 映画史特別講義』というやつである。それを持ち、ついでに周辺の文庫を見て、平凡社ライブラリーでマリー・シェーファーの『世界の調律』が復刊したのをすこしまえから気に留めていたがこれも買っておこうとなり、さらにちくま学芸で、遠藤嘉基渡辺実『着眼と考え方 現代文解釈の基礎』、高田瑞穂『新釈 現代文』というやつも買うことに。前者は読書猿といってゆうめいらしい書評ブログのひとがいるけれどそのひとがむかし読んで感銘を受けており復刊をあとおししたみたいなやつで、伝説の現代文教本みたいな評判らしい。これはいぜん情報を目にしたことがあった。後者はきょう来てはじめて目に留めて、のぞいてみたがそこそこおもしろそうだったので買うことに。やはりいまだにテクストの読み方、どういうふうに読むのか、あるいは読み取るのか、という点がきになるわけである。高校現代文、受験国語という枠組みをもちいてその基礎について識者が言っていることをあらためてまなんでみようと。こういうのを読んでおけば塾で現代文をおしえるときの役に立つかなというあたまもある。それで計五冊をもってレジに行き、会計。ビニール袋に入れてもらった。
 エスカレーターをくだってビルを出ると時刻は六時半かそのくらいだったとおもう。高架歩廊を踏むと往路とはちがうルートを取るかと右に折れた。正面の空は西であり、初夏の暮れがたで夕陽が射していて、駅のほうに曲がりながらすこしさきの街並みのなかでビルがひかりを反映させて薄雲まじりの夕空をうつしこんでいるのに目を惹かれた。オレンジいろに染まったひかりは歩廊のうえにもながれかかって、ひとびとの顔やからだや衣服を横からいろづけるとともに、足もとにひらいたそのいろのなかに影がはいってはゆっくり抜ける。モノレール駅のしたに来ても歩廊の端はそのままひらいているからときに太陽そのものものぞき、とちゅうの太い柱は横から半分くらいを西陽にひたされ、そこだけ皮膚をぺろりと剝いだように、いろを剝がされたようになっている。まえを行くひとたちが色濃い日なたに立ち入って、側面を染めつつ影を生むのをながめながら、しかしじぶんもまもなくその風景の一片になるのだとおもい、じっさい右手からひかりを受け取って頬をあたたかくされた。
 駅にはいると改札を抜け、電車に乗って帰路へ。このあとのことは特別記憶がない。家に帰ってから日記も書かなかったのではないか。足がかなり疲れていたのだ。それでだらだら休みがちで、たいしたことはしなかったとおもう。買ったばかりの蓮實重彦『見ることのレッスン』をちょっと読んだりはした。じぶんにはめずらしいことで、現在サリンジャーとこれを併読するかたちになっている。ときの気分にあわせて読みたいほうをえらぶのもまあ悪くはない。しかしやはりどこかやりづらい感がつきまとわないでもない。基本、一冊と決めたらその一冊をメインとして読み通したい人種ではある。とはいえそういう硬直的な一貫性からのがれて気分にまかせてうろうろしたいというきもちもある。そういう意味ではこんかいみたいなこともよいのかもしれない。べつの本をかたわらにはさむことで気分が一新されてもういっぽうを読みやすくなるという効果もあるかもしれない。