2022/6/12, Sun.

 どきりとさせられたのはヘビだった。暗色の体に黄色っぽいストライプが走る、その模様からガーターヘビと呼ばれるヘビ。艶かしい小さな体を漣のようにくねらせて小径を横切り、草叢に消えた。慌てるというよりはむしろはっとさせられて、わたしの意識は一挙に考えごとから抜け出し、再び身のまわりのものごとへ向けられた。柳の花穂 [かすい] 、寄せる波の音、小径を覆うふさふさとした植物の影。そして何マイルか歩いたあとにだけ到達できる、すっきりした気分。腕は脚と同期してゆるやかな対角線のリズムを刻み、すっきり伸びた身体はヘビに劣らずしなやかだ。いつものルートはもうすぐおわりだ。終着点に着くころには、自分の主題が何であったのか、どうとりくめばよいのか、わたしにはもうわかっていた。六マイル手前ではまだ何もわかっていなかったのに。突如として直観されたのではない。少しずつ確かな感触を帯びて、まるでどこかの場所を知ってゆくように意味を感じとっていったのだ。場所に身を投じたなら、場所はわたしたち自身を投げ返してくれる。場所を知ってゆくことは、記憶と連想の見えない種をそこに植えてゆくことだ。そこはあなたが戻ってくるのを待っている。そして新しい場所は新しいアイデアと新しい可能性を孕んでわたしたちを待っている。世界の探検は精神の探索の最良の手段のひとつであり、脚はその両方を踏破してゆく。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、26; 「第一章 岬をたどりながら」)


 六時台だったかはやくにいちど覚めてまたねむり、九時ごろ再度の覚醒。布団のしたもしくはうえでしばらく過ごしながらまぶたがひらいたままになるのを待ち、九時二五分ごろ起き上がった。カーテンをちょっとひらくと空には雲もあるけれどさだかな青のすきまもみられる。ひさかたぶりの晴れの気配。さくばんは疲れによってシャワーも浴びず歯も磨かないままに寝てしまったので、とりあえず歯磨きをした。そのあと寝床にころがって福沢諭吉福翁自伝』。維新前後のはなしまで終えて「雑記」、「一身一家経済の由来」とすすみ、その章まで読み終えた。すなわち274まで。歴史的なことを主に編年的に語るのは「雑記」いぜんまでで終いで、あとはいろいろなよしなしごとという雰囲気。一一時半くらいまで読み、瞑想した。そのすこしまえからそとを市議会議員の選挙カーがとおって演説しているのは、(……)市の市議選が来週一九日にせまっており、きょう公示だとかいう。さいしょに来たのは日本共産党の(……)というひとで、これはせんじつチラシもはいっていたが、ちょっとだけ早口なところがあり、声色もややたよりなげな雰囲気。帯同の女性がいて応援演説とまでは行かず、(……)氏をちょっと紹介しつつ支持を呼びかけていたが、共産党方面の中年女性はみんなおなじトーンの、特有の声色がある。あの朗らか風なかんじというのはなんなのだろう。ところで(……)氏の演説内容は共産党だからロシアのウクライナ侵攻を非難するべき、防衛費増額反対、憲法九条をまもる、地元民の声をひろって議会にとどける、道路建設反対とそういうわけだけれど、なかにひとつ、(……)駅の北口南口にある電気(といったのか「デッキ」といったのかよく聞き取れなかったのだが)をずっとさきまで伸ばすという計画がある、とはなしていた。(……)市の予算は一〇三億円あって、この計画は一一四億円かかるみこみのものだと。一〇三億円というのは総額ではないのだろうが、どういう区分のものかはわからなかった。いま検索して(……)市が出しているPDFをみると、令和四年度では、「歳入歳出予算の総額は,歳入歳出それぞれ84,007,000 千円と定める」と冒頭に書かれている。八四〇〇万円の千倍ということは、八四〇億円かな? 一〇三億円についてはそうだ、なんとかかんとか調整金みたいなことをいっていたような気がする。たぶん国からくる補助金がそのくらいあるとかそういうことだろうか。このひとはもう二期八年つとめているといったが、そのあとにいれかわるようにして来たのは公明党の(……)というひとで、こちらは四期一六年といっていた気がする。さすがにベテランというわけか、ことばのおくりだしや声音におちつきがあり、(……)氏よりもゆっくりとしゃべってリズムに安定感がある。もう慣れたもので悠々としている、というような雰囲気だった。そのあとも日中にかけて選挙カーは頻々ととおってなんにんか候補がいたようだ。
 ちょうど正午ごろに瞑想の姿勢を解いて、それから九日のことを書いた。いや、ちがうかな。どっちがさきだったかおもいだせない。すぐ二、三時間まえのことなのだが。日記のほうは九日をしあげ、一〇日ともども投稿した。そのいっぽうでシャワーを浴び、そのあと衣服を手洗いで洗濯したのだ。晴れ間もみえており正午を超えてひかりの射すときもあるのできょうがチャンスだろうとおもい、せんじつ買ってきた「エマール」をつかって洗面所で洗い物。さいしょは洗面器にみずをそそぎ、そこにエマールを少量垂らして、まずフェイスタオルからやることにし、洗剤入りのみずのなかに入れて押したりちょっと揉んだりするようにして洗ったあと、すぐひだりが浴槽だがそちらにはいり、蛇口はちょっと高い位置にあるのでみずがはねやすいのだがしゃがみこんでタオルをゆすぎ、洗剤がとれるとバスタブから出てタオルを手でぎゅっと絞り、ある程度みずが吐かれればパンパン振ってじゅうぶんではなくとも皺を殺した。それで洗面所を出て、足拭きマットはきのうまでは室内、便器のまえに置いていたのだがそれだとすぐ湿ってしまうから、室のすぐそとに置いたほうがいいなとおもいなおしてそうしており、それでちょっと濡れた裸足を拭き、窓に寄ってちいさい円型の集合ハンガーにタオルをつける。これいぜんにマットもそのハンガーにつけてちょっと干しておいた。きのうだかおとといだかは雑巾も。それで洗面所にもどり、そこで気づいたところが洗面台で栓を閉められるのだから洗面器をつかうのではなくそこにみずをためてやったほうがスペースがひろくやりやすくてよい。そして洗面器はゆすぐ用につかえばよいのだ。それでそういうふうにした。タオルにつづいてパンツ、靴下、ハンカチと集合ハンガーにつけるたぐいからやっていき、そこまでできるとそとに出す。窓のそとの両側には物干し竿をとおせるようにいくつか穴のあいた支えが突き出しており、もともと突っ張り棒が部屋にあったのでこれで干せということだろうとそれをシュルシュル回してながくして、両側の穴にとおして物を干せる竿をつくった。右側の支えはすこし壊れているようで、重みをかけるとちょっと下向きにかたむいてしまう。左側はなんともない。とはいえ両方とも根本のほうにちょっとだけひび割れはみえるのだが、右がかたむいてしまうとおなじ位置の穴にとおしても左右で高さが変わってしまう。それなので右側は左より窓に近いほうの穴に棒をとおして棒がまっすぐにちかくなるよう調整し、集合ハンガーを吊るした。そのあとまた肌着の黒シャツと、ボタンがそれぞれいろちがいでカラフルな麻の白いシャツを手洗いして、あまっているハンガーがないのでいったんジャケット二枚をはずして布団の足もと、かたよせた掛け布団のうえに置いておき、肌着とシャツをそれぞれハンガーにつけて吊るしたが、作業中にうすうす気づいてはいたけれど空がにわかに雲に覆われ天気がみるからにわるくなってきており、これはかんぜんにミスったわとおもった。それでもいちおう干していたのだが、たしかこのとき日記を書いていたのだったか。それかネットをみていたのかもしれないが、いずれにせよ収納スペースのまえに立ってパソコンをまえにしているうちに空気の暗さが増してきて、窓に寄ってみれば空は青灰色、ひかりはうしなわれてもうすぐにでも降るなという形勢だったのでミスったわ、しょうがねえと吊るした三者をとりいれて、洗面所のバスタブのうえ、カーテンをつけるようの微小なフックがいくらかあるそこにかけておいた。直後、雨が降りだした。しかも一挙に盛って、雷も鳴りつつバチバチ激しい雨粒が風に追われておおいにかたむき窓にびしゃびしゃ打ちつけるくらいだった。それで天気予報を見ておくべきだったなと調べたところが、しかしこれは一過性のようでもうすこし経てば晴れるらしかったので、それをたよりに過ごしているとじっさい雨は短時でやみ、その後雲がのこりつつもまた陽射しのみえる昼下がりとなったので、よかったとふたたびハンガーをそとに出した。西窓なので午後には陽がよくあたる。これだけで乾けばよいのだが、さすがにそこまでいかないか。よく絞れていないし。洗いすすぎは手洗いでもどうにかなるが、脱水はやはり洗濯機がなければ難儀だ。服にも悪そう。
 洗濯物を管理するいっぽう、フォノイコライザーのことが気になっていたので検索してみると、「林正儀のオーディオ講座 第27回:RIAA/フォノ端子ってなに?」(2018年10月16日木曜日)(https://www.phileweb.com/magazine/audio-course/archives/2008/10/16.html)というページを発見し、読んでみたがこういうことなのかとなかなかおもしろい。フォノイコライザーというのはレコード、つまりアナログ音源の信号が弱いのでそれを増幅する役目のものだというわけで、だからやはりパソコンとかデジタル音源につかうのはただしくはないのだ。増幅にくわえて、このページの説明によれば、レコードにはもともとRIAAという規格があり、これは低音域をあらかじめかなり削り高音を上げて補正するものらしいのだが、フォノイコライザーによってそれと逆の操作がおこなわれ、最終的にはよいバランスになるというわけで、だから低音がかなりあがっているというのはそういうことだったのだ。デジタル音源にはもともとRIAA補正はかかっていないわけだから、フォノイコライザーによって低音が爆上がりし高域はけずられる。したがってかなりまろやかな、鮮やかさのうすい音質になると。それでこんどはヘッドフォンをつないでBill Evans Trioとかをきいてみたのだけれど、そうなるとやはりフォノだとおとのバランスがへんで低音がふくらみすぎ、まろやかにすぎる。ただし、FISHMANSの"バックビートに乗っかって"はめちゃくちゃにきもちがよい。あれはダブというかああいう音楽だから高音域のきらびやかさなんてなくていいし、音質がこもっていてもむしろそれがうまくはまるものなので、そういうなかで低音がゴツゴツくるのはかなりきもちよくて例外的にFISHMANSのこのへんの音楽にだけはフォノイコライザーもおそらく合う。しかしふつうに聞くならやはりTV/AUX端子でなくてはならないのだと理解してケーブルをつけかえ、そのあとも音質を調整してみた。調整するといってLOUDNESSスイッチとBASS、TREBLEのトーンコントロールとあとハイフィルターしかないのだが、ネットで情報を調べつつLOUDNESSスイッチを押すと、これも低音を、あとたぶんわりと高音も増幅されるのでFISHMANSなんかはきもちがよいけれど、しかしやはりどうしてもわざとらしい、いかにも増幅している増幅感にならざるをえない。FISHMANSはギリギリそれでいけなくもないし、ベースがギュンギュンくるのはけっこうきもちがよいが、ジャズなんか聞くにやはりLaFaroなどふくらみすぎで他の領分を浸食する。となればトーンコントロールでやるしかない。それで音源をながしながらベースとトレブルをすこしずつ動かして聞こえ方をはかってみたところ、なやましいところだがいまベースがプラス2.5くらい、トレブルはプラス2.5弱くらいにいちおうおちついている。自然さにつくならベースが2から2強、トレブルは2弱くらいがよいのだろうが、それだともうすこしほしい感もある。ギリギリいける最大はベースが3弱、トレブル2.5くらいかなとおもう。
 いずれにしてもそういう感じで過ごしつつ、ここまできょうのことを書いて三時四三分。飯をなにも食っていないしみずも飲んでいないので、なにか腹に入れたい。スーパーまで行ってみようかともおもっていたが、そとは西陽がけっこうひろがっているようであかるみに抜かれたカーテンに洗濯物の影がうつっているし、また近間のコンビニですませるか。とにかく野菜が食いたいのだが、野菜を食うための皿がまだない。キャベツとかを買ってきたとしても、保存もできない。包丁は持ってきたがまな板もなかったはず。コップもない。あとやらなければならないこととしては、たしか電気とガスの支払いに口座振替を設定しなければならなかったはず。役所のほうの手続きも。ほかにもなにかあった気がしたがわすれた。家電は洗濯機と冷蔵庫をきのう見にいったので、それにもとづきちかいうちに買う。あとスタンドライト。アイロンもだ。これらふたつはネットでよいやつをみつくろえばよいのではないかとなった。机のしたに敷く用のマット的なやつも。床はこれもフローリングといってよいのか、白っぽい木目調のタイルをきっちり組み合わせてはめたみたいなつくりなのだが、あまり丈夫ではなさそうなので、冷蔵庫のしたにもおなじマットをつかったほうがよいのかもしれない。


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 その後、書見。なにも食っていないわけだが時間が半端だったので、もう夜まで我慢し、それからスーパーかコンビニに出てあしたのぶんもあわせてなにかしら食い物を買えばいいやという気になった。みずだけは飲みたかったのでジャージに肌着のすがたでそとに出て、アパートのすぐ脇の自販機でAsahiの天然水を買った。それをさっそくあけて口にしながら階段をもどればうえで部屋が開くらしき気配があり、のぼりきったところでむこうから住人が、一〇日に来たときにも出くわしたその女性だが、やってきたのでみずを喉にいれたばかりのちょっともごもごした言い方でこんにちはとあいさつした。こんかいはあちらもちいさく返してきた。それから部屋内にもどり、ひたすら『福翁自伝』を読んで過ごし、六時をまわって読了した。あいま五時まえくらいに洗濯物をとりこみ。かんぺきというわけには行かないがけっこう乾いていてよろしく、タオルや下着肌着はまあこれくらいならゆるせるかなというレベルだったのでもうたたんでボックスなどに入れてしまい、白シャツもわるくはないがやはりかんぺきではないのでまだいちおう室内にかけておき、靴下だけがあからさまにみずけをのこしていたのでこれはまだそとに出しておいた。その後『福翁自伝』をしまえた時点で再確認し、乾ききってはいないがまあこれいじょうはしかたがない。部屋のそとにある乾燥機をつかうか、それかあしたあらためて干すかだろうが、いずれにしても飯を食いたい。部屋にこもって本を読んでばかりおらず運動のためにぶらぶら歩くも大事だが、いまは空腹がすぎてながくあるくほどのちからが身にない。


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 (……)くんにメールの返信を書くことにする。

(……)


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 七時まえごろにスーパーに行くことにして、ジャージから赤っぽいTシャツと真っ黒いズボンにきがえた。リュックサックに、このあいだサンドラッグでものをたくさん買ったときのビニール袋と、もういちまいちいさめのやつをいれる。あと財布と携帯。マスクをつけてそとへ。たいそう日の長い時節で、アパートを出て右に折れ、すぐあたった通りでひだりをむけばそちらが駅のかた、すなわち西だが、空の果てには残光がとおくに吸いこまれていくような幕を成し、周囲は頭上から遠方まで淡く晴れた夕空がひろがって、ふりむけば東かたには薄紫の雲がほっそりたなびいている。みちの端を行くに建物のまえで年嵩の女性がふたり、立ち話をして、海には行かないだの山には行くけどだの言っていた。じきに横向きの道路がはさまって、ちょっと左にずれてから車のいないすきに渡り、そこで目のまえの、いままではいったことのない路地にはいってみることにした。このへんの土地というのは裏にいっぽんはいればけっこう細道が入り組んでいて、古くからの地元の民らしきものも混ざる住宅のあいだを行くうちに、みちすじがどうなっていたのか、どちらがどの方角なのか、容易にわからなくなった。それでもこっちだろうとすすめば知った路地に出て、おもったほうとは反対のみち、さきほど横向きの道路に行き当たったさいに右にずれたあたりから伸びるみちだったのだが(花の豊富な美容室がある)、ここに来るのかとおもってそのまま行き、街道めいた太めの道路に出ればスーパー(……)は対岸の左方である。そこは駅から細道を抜けてきたところでもある。ひだりに折れて横断歩道にむかうに、途上にはコインランドリーやクリーニング店、飯屋のたぐいのまえでは男性がひとり、おおきな声で電話をしている。横断歩道のボタンを押そうと手を伸ばしたところが一瞬先に表示が変わって、むかいには大学生らしきラフなかっこうの若い男がふたりいた。信号を待つあいだに左右、南北をみとおせばやはり雲はない。
 わたってスーパーに入店。足先でペダルを踏んで手に消毒液を受け、こすってから籠を持つ。買えはしないものの野菜のあたりもちょっと見て、豆腐に行き当たったところで豆腐は食えるなと、割り箸はきのうのがあるし醤油もどうせいずれつかうだろうから、いっしょに買っていけばふつうに食えるなとおもったがひとまず過ぎた。肉を冷やかし、刺し身も冷やかし、フロア奥からみぎに折れて順々にすすみ、反対側の角にパックにはいったサラダ類があり、これも皿がなくても袋からそのまま箸でつまめば食えるなとおもい、ちいさな包装のごぼうサラダとサツマイモとカボチャのサラダを籠に入れた。そのならびに寿司だのなんだの惣菜がそろっており、おにぎりをとりあえず三つ、ツナマヨネーズと照焼きチキンマヨネーズと鮭とを取っておき、あとパック入りの生サラダもあって、なかからスピナッチサラダというやつと和風ドレッシングの小袋を入手した。この野菜は帰宅後の食事で食うつもりだった。包装のサラダはあした以降食うつもりで買ったが、まったくかんがえなかったけれどふつうに冷蔵の品だし、この部屋だとけっこう暑いからもしかしてまずいかな? という気もしている。まあ一日二日はどうにかなるんではないかと信じたい。ふりむいたさきは乳製品のコーナーで、ブルガリア飲むヨーグルトが飲みてえなとおもったところが注いで飲むためのコップがない。そこでわたしは気づいてしまったのだが、スーパーマーケットには紙コップとかが売っているはずである。それを買っていけば飲めるではないか。というわけで飲むヨーグルトも鉄分入りだとかいうやつを一本籠に入れたのだけれど、これもかんがえていなかったが乳製品だから常温で置いておくのはまずいのではないか。あしたじゅうには飲み終えそうなのでたぶんだいじょうぶだろうが。収納スペースの奥に置いておくことにする。その他ランチパックを二種。メンチのやつとハムタマゴ。
 そのあと紙コップをもとめてそれらしき通路へ。とちゅうで食器用洗剤にも当たり、もう買っておくことにした。「キュキュット」のクリア除菌とかいうやつ。きのうコンビニで買った品のプラスチックパックを洗うのにふつうに水だけでゆすいだのだけれど、洗剤があればよく洗える。スポンジも買おうかとおもったが、そういえば(……)くんが三個入りのスポンジみたいなやつを買って置いていってくれたはず、研磨がどうのこうのと書かれてあったがあれはふつうに片面が食器にもつかえるスポンジだろうとおもいだし、それをつかうことにした。そうして紙コップではなくてプラスチックのコップ(アウトドアに最適! とかいう謳い文句)を取って、会計へ。レジは半セルフレジみたいな感じで、店員はいて品物を読み込んでくれるのだが、そのあとあのレジのあいだの細い通路を出たところ、すなわち長いテーブルの先端部にある筐体で操作して支払うしくみになっていたので、あ、ここで払うのかとちょっとまごついた。実家にいるあいだはほんとうに買い物をしなかったから(何年かまえは図書館帰りなどたまに寄っていたのだが)、スーパーなどとんと来ていなかったので、システムの変化に追いついていない。一万円で払ったのだが、小銭がいまおおくなりすぎており、あまりに多いために端数をそこからえらびだして加えるのが手間がかかりそうで面倒くさく、それで札だけで一気に払うから余計に小銭が増えるという悪循環におちいっている。ともかく会計を終えて籠を持つと背後の台にうつって、リュックサックからサンドラッグのビニール袋をとりだして品々をおさめた。もともとリュックサックに入れて帰ろうとおもっていたのだが、はいりづらそうだったのでそれをそのまま片手に提げて退店。
 たそがれはすすんでいる。街道をわたってこんどはすぐそこのみちにはいる。空のうす青さはじつにまろやかで、一見雲がふくまれているかというほどの色のまるさだが、東南の低みにちぎれ雲が二、三かたちをなしてはおり、となると地はおそらくまっさらなのだろう。左下をわずかに削ったのみで満月にほどちかい月がくっきり白々浮かび照っていた。足取りはゆるやかで、おなじみちを行ったり過ぎたりするだれよりもおそい。Tシャツ一枚だが寒いどころではない、大気はおだやかで肌によく、暮れがたのすずしさが身になじみ、ゆっくりひとりでそとをあるくのがやはり自由というものだとこころがかるくひろがった。路地の終わりちかく、右側に集合住宅があり、空調かなにかの駆動音、蒸気めいたおとが部屋の扉のまえの通路かららしく盛んに漏れひびいているのだが、その建物のきわに申し訳程度の壇があり、実家ちかくの公団まえに生えているのとおなじものだろう、ピンク色のちいさなツツジがいくらか灯って、首を落とした花もちらほらあった。
 横にはさまる道路を越えてまた裏へ。このへんは戸建てがならんでいる。とちゅうの一軒家から高年の女性がひとり、よいしょっといいながら自転車を引き出してみちに出て、乗りはじめるところにこちらがならんだのであいまいに会釈をしたところがあちらもこんにちはと返してきたので、それを再度の会釈で受けてすぎかけながらもこんにちはと返しておいたが、おもったよりも低い声が出た。突き当たりは(……)公園である。そのまえに市議選の候補者掲示板があったのでちょっとみてみたのだが、四六人分の区画があるなか空欄はすくなく、たぶん三〇人ほどは埋まっていたのではないか。さすが(……)市ともなればずいぶん候補が多いのだなとおもった。きょう部屋にいるあいだになまえを聞いた候補のポスターを瞥見しておいた。いずれにしてもこちらは投票はできないわけだが。
 それからむきを変えてアパートへ。途上の一軒の、植木鉢の多い庭から高年の女性が出てきて、ポストを確認したあとに戸口をひらいてはいっていくに、家のうちから差し出てきた暖色の薄光が道路上にななめにかかって口をひらき、すすむこちらの足もとに触れかけたところで戸が閉まって細まっていき、いなくなる。空は変わらずの淡青だがすでに宵がちかく、明度がさがってそのために濃くなったようにみえる。あちらが西だから行く手は北、月は東南だったはずと首を曲げるがアパートの周りは二階建てクラスの建物がおおくて家屋や屋根にかくれ、容易に見えない。下宿につくと郵便ボックスから市議候補のチラシを回収し、部屋にもどると服をジャージにかえて手を洗った。そうして食事。飯を食うにも床や寝床にすわりこんであぐらで食うのもなんだかやりづらく、収納スペースに置いたパソコンをまえに立ってその横に食い物を置いて食うというしかたになっている。スピナッチサラダとおにぎりふたつ(鮭いがい)、それにランチパックのメンチを食った。飲むヨーグルトもごくごく飲む。食べものであとのこっているのは包装のサラダ二種に鮭のおにぎり。それにランチパックではなかったがハムタマゴのスナックサンド(フジパン)だ。食後に(……)くんへのメールを綴ってからここまで書くともう九時半すぎ。きのうのことを書きたいのだが脚が疲れた。食後すぐにサラダのプラスチックパックは洗剤をつかって洗っておいた。割り箸も。洗ったとして食器類を干す場所がないので、きのうもそうしたがパックはとりあえず流しの角に立てかけるかたちでみずを切り、プラスチックゴミはひとつのビニール袋にまとめてある。(……)市のゴミ捨てルールやその日程も調べないと。ところでそういえば麻の白シャツはその後、そとには出さず網戸にした窓のまえ、レースカーテンの裏側でカーテンレールにかけるかたちで風にあてておいたのだが、いま見たらけっこうよい感じに乾いている。鼻をあててみてもいやなにおいはない。靴下のほうも集合ハンガーにつけたままこちらはカーテンのてまえに吊るしておいたのだけれど、これも室内でも意外とけっこう乾いている。とはいえシャツのほうはアイロン掛けができない。麻なので、現状皺があってもなんかそういう風合いとしてみえなくもないが。まだはずさずいちおうこのままにしておいて、あした晴れたらまた出そうかなとおもう。


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 この日はあとたいしたことはなくて、(……)くんが読んでほしいとメールに添付してきた小説を読んだり、そのまえに『福翁自伝』を読み終えたのだったか。なかなかおもしろかった。九日に読みはじめて一二日に読了しているので、九、一〇、一一、一二とわずか四日間で読んでいる。たいしたもんだ。岩波文庫で三三〇ページくらいなのでそこまでではないが。ガツガツ読んでいきたい。(……)くんの小説も、PDFファイルでぜんぶで九五ページだったとおもうのだけれど、三七くらいまで読んだはず。どんどん行ける。さらには眠るまえに、ピエール・アド/小黒和子訳『生き方としての哲学』という本も読みはじめた。二時半ごろ就床。ねむけが満ちてきたのだが、あしたは午前から通話だしちょうどよかった。