多くの聖職者の参画、非暴力の実践、宗教的な救済と、ときとして殉教を語る言葉。そうしたものをともなった公民権運動にはおよそいかなる争議よりも色濃く、巡礼の精神と光景が刻印されている。おおまかにいえば黒人参政権を焦点とするこの運動は、まずそれぞれの持ち場が舞台となった。バスにおける座席への着席運動やボイコット、子どもたちを登校させること、そしてレストランでのシッティング・イン。しかし運動の勢いが増したのは、抗議やストライキが巡礼とひとつになるときだった。選挙権を要求するセルマからモンゴメリーへの行進、バーミングハムはじめ国中で開催されたデモ、そしてその頂点としてのワシントン大行進。新たに結成された南部キリスト教指導者会議(SCLC)が最初に組織した大規模なイベントも、実に「祈りの巡礼」であった。これは公立学校の差別撤廃を支持した最高裁判所判決の三周年(end99)にあたる一九五七年五月十七日、ワシントンDCのリンカーン・メモリアルで開催され、その呼び名は強硬な印象をやわらげるために考えられたものだった。行進は要求だが、巡礼は呼びかけだ。マハトマ・ガンジーの言動に深い影響を受けたキング牧師は、非暴力主義の理念と、イギリス統治からの解放を早めたデモやボイコットという手法の両方をアメリカに応用した。一九三〇年に二〇〇マイルの「塩の行進」を導いたガンジーこそ、政治的巡礼の創始者といえるかもしれない。このときガンジーは内陸から大勢の人びととともに海へ向かい、イギリス法と塩税制度に逆らって自らの手で塩をつくった。非暴力主義は圧政者に対して強要することなく変革を求めることであり、弱者が強者の変化を引き出すための傑出した方法となった。
SCLC創設の六年後、キング牧師は、非暴力の抵抗運動だけでは不十分で、南部の人種差別主義者が行なっている黒人への暴力をひろく知らせる必要があると判断した。いまや圧政者だけではなく、全世界に声をきかせなければならない。これが、公民権運動の中核ともいえるバーミングハムの闘争の戦略だった。この闘いは一九六三年の聖金曜日の行進にはじまり、数多くのデモや行列によって遂行された。高圧放水に曝され、警察に犬をけしかけられる人びとの写真がこの抗議運動で撮影されて有名となり、世界中から憤りの声があがった。バーミングハムの行進ではキング牧師はじめ何百という人びとが逮捕された。大人の有志が尽きると高校生に参加が呼びかけられ、さらに幼いその兄弟も手をあげた。誰もが臆することなく歓喜にあふれて自由への行進に参加していき、その年の五月二日には実に九百人の子どもたちが逮捕された。襲撃や負傷、逮捕、ときには死さえ覚悟して街頭へ出てゆくことには尋常ではない決意(end100)が必要だ。おそらくその支えとなったのが南部バプテスト連盟の熱烈な支援と、キリスト教的な殉教の教えだった。バーミングハムでの運動がはじまってひと月経ったころ、「チャールズ・ビラップス師はじめバーミングハムの牧師たちは、三千人を越える若者を率い、バーミングハム刑務所へ祈りの巡礼に向かった。道すがら『わたしはイエスとともに歩いてほしいのです』を歌いながら」。あるキング牧師の伝記作家はそう書いている。
(レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、99~101; 第四章「恩寵への上り坂――巡礼について」)
やはり六時くらいからこまぎれにたびたびめざめた。実家よりも周囲におとやうごきがおおかったり、カーテンもレースだけなので完全に遮光しないからではないか。きょうは洗濯機と冷蔵庫が届き、あとおとといAmazonで注文した漢方薬も届く。きのう電気屋の配送業者らしき番号から着信があって、出られなかったので折り返したところがあいても出ずにその後再信がなく、こんな朝早くからは来ないだろうがとおもいつつも覚めるたびに枕元の携帯で時間を気にかけた。八時半で正式な覚醒。そのころにはもう保育園に子どもたちがあつまりだしていて、幼児の声や、おはようございますとあいさつする声、送りに来た親らしき声なども聞こえる。布団のしたで深呼吸してからだに血と酸素をめぐらせ、九時ちょうどくらいにからだを起こした。屈伸や背伸びをして、ドライヤーを収納スペースから取り、枕元、部屋の隅のコンセントに挿してあたまをちょっと撫でる。しかしそれから洗面所に行って顔をあらうとおもったよりもととのっていなかったのでてきとうにみずをつけておき、室を出るとさくばん洗ってながしに置いておいた食品のプラスチックパックをキッチンバサミでちいさく切り分けて袋に入れた。そうして寝床にもどって書見。ピエール・アド/小黒和子訳『生き方としての哲学』。218からはじめていま268まで行っている。もう終盤。古代哲学についていろいろ興味深い解説が多い。たびたび手帳もしくは書抜きノートにページをメモする。一〇時すぎまで読むと立ち上がり、デスクについてパソコンを立ち上げ、ブラウザでNotionにログイン。さいきんはGoogleの認証がきびしくなったのか、このあいだまではふつうにパスワードを入れればログインできたはずなのにそれだけでは駄目になっていて、その都度スマートフォンに一時的なセキュリティコードを送ったり操作したりといずれにせよ携帯をつかわなければならなかったのだが、今回その方式をさだめてしまおうと設定した。これで今後はたぶん、パソコンでパスワードを入れるとともに携帯のほうで「はい、私です」という承認を押せば入れるようになったはず。それでNotionにきょうの記事をつくり、ウェブを見つつメモ帳でもきょうのことを書き出して、ここまで記せば一一時直前。書き忘れたがプラスチックパックを始末したあたりで携帯がふるえ(着信に気づくためにサイレントモードを解除していたのだ)、きのうとおなじ番号だったので業者だろうと出るとやはりそうであり、お世話になりますとかはい大丈夫ですとかありがとうございますとかいいながら聞くに一一時から一三時の範囲で洗濯機と冷蔵庫を配送しにくるということだった。
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日記に邁進。一二日から一四日まで一気にかたづけた。部屋内にいれば緊張もしないし、気力はあるのだ。あいまに一二時ごろだったか、窓のそと、したのみちに車が停まってなにかバタバタしているおとが聞こえたので、業者が来たかなとおもったところ、果たしてまもなく階段をあがるあしおとがしてチャイムが鳴ったのだが、出るとこれは家電ではなくAmazonでたのんだ薬のほうだった。もってきたのは郵便局員で、白髪混じりの初老くらいの男性、眼鏡をかけている。小包に表示された(……)というこちらのなまえを見つつ、(……)、(……)さま? というのであ、(……)ですと訂正し、礼を言ってデスクから赤ボールペンを取ってきて、受領証にカタカナで名字を書いた。箱はまだあけていない。配送業者からも再度電話があって、配送状況が遅れていて一時までといっていたのだが二時くらいまで見てもらえればというので、ぜんぜんだいじょうぶなんで、と軽く受けておいた。まったく気にしない。ただそうなると、洗濯機が来てからまとめて洗濯をやろうかなとおもっていたところが、申し訳程度のひかり(きょうもまた曇天で、気温は高めでふつうにぬるい大気ではあるが明確な陽射しはなく、バルコニーという名の柵のうちがわに柵の棒とそのあいだの日なたがうっすらと生まれるくらいである)に浴びせる時間が減ってしまうので、やはりもういくらかは手洗いをしておいたほうがよいかとおもってそうすることに。とはいえ洗濯物はけっこう溜まっていて面倒だし、中性洗剤を溶かした水に直接手を突っこんで洗うわけで地味に手指の皮膚もいたんでいる感じがあるから、バスタオルとフェイスタオルをそれぞれ二枚ずつだけにした。洗いの行程中、たびたび流水で手を洗ったほうがよい。一二時半すぎくらいからそれをおこない、窓のそとにハンガーふたつと集合ハンガーひとつを吊るし、流しにあったスポンジもぎゅっと潰して泡や水を吐き出させてから柵の内側に置いておき、また洗面所の戸のまえに置いてある足拭きマットも柵にかけて洗濯バサミで両側を留めておいた。こうしないと風で落ちる。洗濯バサミは先日ニトリで買ってきたやつをさっそく開封した。実家からは五つしか持ってこなかったので。ここまで加筆すると一時一二分。とりあえず一五日、一六日の日記をかたづけてしまいたい。きのうの分はもうほぼ書いてあるので、実質一五日だけだ。
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その後一五日の日記を進行。そのさいちゅう、二時には達していなかったとおもうが、配送業者がやってきた。戸口に来たのは眼鏡をかけた男性で、ツナギ的な、青暗いような作業服を着ている。声がちいさく、なにを言っているのか聞き取れないこともあり、ひととのコミュニケーションがあまり得意そうにはみえなかった。礼を言ったり、よろしくお願いしますと言ったりしながら受け入れ、洗濯機台を示すとともにその横に冷蔵庫を置いてほしいとつたえる。それで作業開始。そとからものをはこんで来た男性は、靴を履くスペースからあがったところにマットのたぐいを敷き、そのうえに洗濯機を乗せてマットを引くかたちで室のなかのほうに移動させる。作業員はもうひとりいて、このひとは冷蔵庫を持ってきて部屋のそとにすがたをみせ、あ、どうも、と声をかけてきたので、どうも、ありがとうございますとあいさつをしたが、じっさいに室内での作業をおこなったのはぜんぶ眼鏡の男性である。電話をかけてきたのは後者のほうの男性だが、どうもこのひとのほうが先輩らしく、眼鏡のひとにやや粗雑だったりそっけないような口調で指示を出しており、アースはここね、ここが届かなきゃなしで、と扉のちかく、靴箱の上部にあるコンセントを示したあとはすがたを消していなくなってしまった。ほかにしごとがあったのかもしれないが、眼鏡のひとにたいする態度を見ているかぎり、後輩にやることをやらせてじぶんは休んでいるのではないか? といううたがいも生まれた。眼鏡のひとははあはあ息をつきながら機械をはこんだり、もちあげて洗濯機台のうえに置いたり、配管をつないだり、アース線を伸ばして接続したり、黙々と作業をすすめていた。さいしょのうちはこちらも日記をすすめようとしたり、かといってやりづらく所在なげにしたりしていたのだが、じきにもうひらきなおって立ち尽くしたままその作業のようすを堂々とじろじろながめるにいたった。配送状況が遅れていると電話で言っていたから眼鏡のひとはたしょう焦っていたのだろう、うごきはすばやく、はあはあいいながら床にぴったり伏すようにして洗濯機の下部をつないだり確認したり、あるいは冷蔵庫を置いたときには下部のパーツを回すかなにかしてその足の高さを調節したりしていたが、その手際はてきぱきというよりはやや焦りつつがんばっているという雰囲気で、たぶんまだ比較的新人にちかいほうなのではないかとおもわれた。ちかくに寄ると汗のにおいがそのからだからただよっていた。作業をじろじろながめるかたわら、めっちゃ力仕事で、めちゃくちゃたいへんですねとか言ったり、位置関係上アース線がながしのうえを渡らなければならないので水道の付け根にひっかけるようなかたちになるのをこんな感じで……というのにだいじょうぶです、どうにかするんで、と言ったり、今日はもう何件やられてきたんですかと問うたりした。五件やってきたというので笑いながら、めちゃくちゃたいへんですね、お疲れさまです、と言ったり(ベッドを二件やったりしたということだった)、つづけてこのあと何件あるんですかときくとまだ六件くらいというので、ほんとにからだがたいへんですねとまたくりかえしたりした。洗濯機は蛇口の根元のほうから分岐している水道につながれ、みずが注がれるか、排水されるかなど動作がチェックされ、そのあいだに冷蔵庫も設置され、いったん置かれてから男性が、位置はどんなもんかと問い、コンセントがあるのでそのぶんは空きますがというので、前後はこのくらいでいいとおもうんで、じゃあもうすこしこっちに寄せてもらえますかと洗濯機にちかづけるよう頼んだ。そうして終了。保証書は作業中にもう受け取っており、冷蔵庫はなかに保証書や説明書がありまたセッティングはお客様のほうですすめてほしいとのことで了解し、納品書にチェックをつけてサインをした。きちんと説明を受けましたかみたいな項目にチェックをするわけだが、さいごのひとつ、製氷について説明を受けましたかという部分は、製氷についてはなにも聞かされなかったのだけれどまあいいやとおもってチェックをつけておいた。それで礼を言って見送り。日記にもどったのだが、洗濯機が来たということで洗濯ができるぞとなり、また日記を書いているうちに二時過ぎにいたると曇天が裂けたようでレースのカーテンがあかるく陽をはらみはじめたので、ここで溜まっている洗濯物を洗ってしまったほうがいいなとおもって席を立った。ビニール袋に入れておいた洗濯物(肌着の上下が三セット、ワイシャツ二枚、靴下、フェイスタオル二枚)を洗濯機のなかに入れ、説明書をみながら標準コースでセット、洗剤はエマールしかないからそれをてきとうに、うしろの表示を参考にまあ二〇mlくらいかとくわえる。洗濯にかかる時間は三〇分ほど。そのあいだに一五日の記事をすすめ、終えた。洗い終わったものはハンガーに吊るして干す。やはり手でやるのとでは脱水がぜんぜんちがう。陽はよく照っており、一挙に夏めいていて、その後も夕方にかけて暑い空気がつづき、室内でも熱中症になるというのはこれはほんとうだなとおもった。実家とはちがう。もっと夏になったら躊躇なくエアコンをつかわなければ死ぬぞ。そうして記事の投稿をさきにしたんだったか、わすれたけれどともかく一区切りついたというわけで、ようやく飯を食うことにした。そのまえに届いた漢方薬が食前なのでそれを飲まなければならないのだが、飲むための水がない。そこでジャージに肌着のすがたでそとに出てアパート脇の自販機で買うことに。冷蔵庫が来たからつめたいまま保存できるというわけで飲み物を三本くらい買っておこうと三三〇円を持ち、部屋を出て階段をおりると建物の入り口にも西のひかりが射して、通路にあわせてぴったり四角く切り取られた日なたが簡易郵便ボックスのまえの足もとを埋めている。出て自販機で水を二本と、Welch'sのぶどうジュースを一本買う。陽射しが暑い。保育園では昼寝の静謐から復活した子どもたちがまたにぎやかにしている。陽をすこしばかり浴びたい気もしたがしかし冷たい飲み物を脇にはさみながらすぐにもどり、郵便ボックスをチェックしていると駆けこんできたひとがあったのですみませんとどいた。作業服のひとで、書き忘れたがこれはさきほど洗濯機と冷蔵庫を搬入しているあいだ、あけはなした扉のむこうにみえていたひとで、といってももうひとりの配送業者ではなくまたべつのひとりで、通路にもともと設置されているアパートの洗濯機と乾燥機をなにやら確認したり整備したりしているようすだったのだが、配送業者の一員なのかな、ここに来るついでに建物の機械もチェックするとかそういうことなのかなとおもっていたところが、そうではなかったようだ。たぶん配送業者とはべつの会社で、たまたま来るタイミングがかぶったということだったのだろう。そのひとは洗濯機のなかにタオルだか雑巾だかをわすれていたようで、こちらが追って階段をのぼっていくとそれを取ったところだったので、ご苦労さまですとあいさつして部屋のなかにもどった。そうして食事。みずを飲んで胃や食道をうるおし、さらに漢方薬を飲んでからものを食べる。一本のこっていたチョコチップスティックパンや、おにぎりやクリームコロネ。洗濯物を干したのはこのあいだだった。おにぎりをもぐもぐ食いながら干したおぼえがある。束子とキッチンのスポンジも柵の内側に置いておき、また足拭きマットも柵にかけておいたがこれはもううえに書いたか。その時点でたぶん三時くらいだったのではないか。一五日の記事を投稿したり、一六日の記事も投稿したり、あるいは一五日分はまだ終わっていなくてここで終わらせたのだったかもしれないが、いずれにせよそうこうするうちに四時にいたり、西陽があいかわらずカーテンをひたしていたのだがそれをめくってちょっとみてみると、日なたの位置がひだり、すなわち南の方向にずれていて、下着をならべた右方にはもうひかりがかからなくなっていたので、洗濯物の位置をひだりに詰めて寄せ、束子やスポンジ、足拭きマットなども左方にうつしておいた。向かいの保育園のビルのうえに太陽はみえるが、ほとんどその上端に接しかかっている。そのあたりでMobile Wi-Fiのバッテリーがとぼしくなり、日記も切りがついたし充電するあいだ本を読むかとピエール・アドを読み出したところが、どうやらねむいぞと気づいた。手がわずかにふるえる感じがあった。きょうは五時間半くらいしか滞在しなかったし、それも切れ切れだったのでとうぜんのことだ。それで休もうとおもい、椅子についたままその高さを下げ、さらにちょっとうしろに倒して目を閉じた。そうして三〇分が過ぎた。一瞬だったとは言わないが、三瞬か五瞬くらいではあった。うとうととあいまいにねむっているあいだのBGMは保育園の子どもたちの声で、三〇分経って覚めたあたりでは、せんせー! せえんせえ! とか、わたしにもお願いしま~す! お願いしまあす! とか、あるいは、みんな! かたづけて! とかいう大声が聞こえ、それいがいにも声は絶えずいくつもあって重なりあったざわめきをつくっており、そのなかからうえのような際立った声が聞き取れることばとしてときに突出してくるのだが、保育園児幼稚園児というのはこんなに元気だったかなとおもった。じぶんがこの年ごろのころ、こんなに声がでかくて元気だったおぼえはないし、まわりの友だちもそんなだったおぼえはないぞと。じっさいにはそうだったのだろうし、また物静かな子もいるのだろうが。しかし五時くらいになるとその声もだんだんと厚みを減らしはじめ、それは親の迎えが来てじょじょに去っていくからだろう。じっさい迎えに来た保護者と子どもや保育士のひとがやりとりする声なども聞こえ、こちらはそのへんで洗濯物をチェックし、鼻を寄せてじゅうぶん乾いていることを確認したうえで取りこみたたんだが、したのみちにはたとえば自転車で来た母親が子どもとやりとりして、たがいにうい~ん、うい~ん、と、それは自転車をいまから発進させるよ、家に帰るよ、ということをあらわしているらしいのだけれど、そういう声を出しているのが見聞きされた。したがって五時まえに高潮するあのさわぎというのは、陽が落ちきるまえの夕映えがさいごに短いひとときだけひときわ色を濃くするのとか、花火大会の終わりに壮大な盛り上がりが演出され展開されるのと似たようなものだろう。
洗濯物をたたんで収納スペースのボックスに入れる。ハンガーの置き場所にもちょっと困るが、とりあえず収納スペースの籠(タオル類)と布製ボックス(靴下・肌着・ハンカチ)のあいだにさしこんでおいた。そう、ハンガーは足りなかったのでジャケットをかけていたやつとかを一時拝借していたが、それでジャケットをかけなおして木製ブロックにもどしたり。ワイシャツもアイロンをかけられないので皺がついたままだがそこにかけておいた。円形の集合ハンガーだけはカーテンレールの端にひっかけてある。そのあと寝床に横たわり、座布団を二枚からだのしたにはさんで書見。ピエール・アド/小黒和子訳『生き方としての哲学』をさいごまで読了した。けっこうおもしろかった。古典としてひじょうに名高いがマルクス・アウレリウスの『自省録』を読みたい。神谷恵美子の訳が岩波文庫にはいっていたはず。持ってはいない。あれだけむかしの本なのだから無料で読めそうだが。すくなくとも英語版は無料でころがっていないとおかしいだろう。とおもってとりあえずWikipediaをみてみると下部のFurther Links的なところにStandard Ebooksというページが紹介されており、そこに無料で公開されている。ここはなかなかよさそう。こころみにPhilosophyカテゴリ(https://standardebooks.org/ebooks?page=2&tags[]=philosophy)をみてみると、プルードンとかクロポトキンとかトマス・ペインとかもある。チェスタトンも。エピクテトスとかも。ラッセルとかウィトゲンシュタインもあるわ。ここにあるMeditationsは、George Longというひとが訳したものらしく、これはどうやらWikisourceにあるものと同一のようだが、一八八九年の出版らしいからまあ古いは古い。
読んでいるあいだにちょっとあけたカーテンからのぞく電線のかかったせまい空をみると、さいしょにみたときにはうす白さがぜんたいを覆っていてそのころにはもはや西陽もしりぞき、我が部屋の窓にかかるほどの高さはなくなっていたのだが、おだやかな夕べのその空につぎに見たときには片々としたちぎれ雲がほつほつと付されており、うっすらとしたみずいろもそのあいだにひろがって希薄ながら海をなして、雲は未知の地図となりながらじわじわとわずかずつ推移していたので、ああ一面曇っていたのではなかったのか、とおもった。そのあと立ち上がって椅子につき、ここまできょうのことを綴るといまは七時ちょうど。まだ暮れきったという感じがなく、宵はとおく、そとはたそがれと言えるほどの暗さですらない。空には薔薇のいろがちいさく散って、みちのさきもすれちがうひとの顔もまだまだよくみえるだろう。ところがおそらく、これから一〇分、二〇分、三〇分経てば、あたりはもう夜の先駆けにつつまれる。
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- 「英語」: 774 - 795
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この日のあとのことはめんどうくさいのでだいたい省略しようとおもうが、夜にふたたび買い出しに行った。冷蔵庫が来たので野菜を保存できるぞ、というわけだ。キャベツでも切ってドレッシングかけて食おうとおもっていた。それでスーパー(……)へ。そのまえにコンビニで(……)への転出届も印刷しようとおもって行ったが、駅前をとおるときに記憶が喚起されるのか、あるいはひとがたしょういるからだろう、電車に乗るわけではないのにまた緊張を感じた。転出届はUSBにデータを入れたとおもっていたところが入れていなかったようでなにも表示されなかったので印刷できず(帰ってから入れておいた)。スーパーではまな板や、野菜をさまざまにスライスするための調理器具のセット(三種類)や、ゴミ袋用のポリ袋や、あととりあえず間に合わせにと紙皿を買った。フライパンもあったのでそれを買って行けば野菜炒めとかできなくもないのだけれど、なんかここでフライパン買ってしまうのもなあとおもったし、まだそこまでちゃんとした調理はしなくていいかと見送った。そのほか食品。冷やし中華をメインにしようとおもって買ったのだがこれはこの夜は食わなかった。キャベツをバリバリ食っていたらそれでけっこうお腹がいっぱいになったのだ。ほか、手巻きやおにぎりなど。野菜はキャベツ以外に大根も買っておいた。ドレッシングはすりおろしタマネギのやつ。マヨネーズも買い、あと醤油も。これは豆腐を食うためである。しかし醤油よりもドレッシングをかけたほうがうまい。醤油は牡蠣醤油というやつを選んでみて、豆腐は「絹美人」の三個パックを二つ買っておいた。翌日にかけて毎食食っている。あとサラダチキンだ。キャベツに添えようとおもって。クレラップと段ボールを解体するためのカッターも買った。そんな調子なのでまたけっこう金がかかったが。帰って飯を食ったのが一〇時くらい、そのあとはエネルギーが枯渇してたいしてなにをするでもなく、零時をまわって寝床にうつるとそのまま意識をうしなってしまった。あとあれだ、書抜きはした。レベッカ・ソルニットの『ウォークス』を四箇所。机があるから書抜きがとてもしやすい。