2022/6/28, Tue.

 世界のいたるところで山は霊界に近づく場所として、この世とその向こう側の境界のように考えられてきた。山に聖性を付与している土地は多い。霊界は怖ろし気なものだが、山が邪悪(end223)とされることはほとんどない。ほとんど唯一、山を醜悪で地獄のような世界とみなしてきたのは、キリスト教のヨーロッパ世界のみだ。スイスでは、高みにはドラゴンや不幸な死を遂げた魂、さらにさまよえるユダヤ人が棲むと考えられていた(伝説において、このユダヤ人はキリストを辱めたためにキリストの再臨まで地上をさまようべく運命づけられた。このさまよえるユダヤ人の伝説は、あてもなくさまようこともユダヤ人同様の日陰者の振舞いとみなされることが多かったと示唆している)。十七世紀イギリスの作家の多くは山を「身の毛のよだつ高み」、「地上の塵芥」などと呼んで嫌悪を露にし、それまで平坦だった地上にノアの大洪水が刻んだ傷とさえ書いた。つまり、世界に先駆けて近代登山を発展させたのはヨーロッパだったが、ヨーロッパにおける山登りは、世界のほかの地域ではそもそも失われることのなかった自然への認識をロマン主義が復興したことによって産みだされたのだ。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、223~224; 第九章「未踏の山とめぐりゆく峰」)



  • 「英語」: 118 - 150
  • 「読みかえし1」: 84 - 98


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 84番と85番。

 ミドルトンの村はずれ、湿原のなかにあるマイケルの家にたどり着いた時分には、陽はすでに傾きかけていた。ヒース野の迷宮から逃れ出て、しずかな庭先で憩うことができるのが僥倖であったが、その話をするほどに、いまではあれがまるでただの捏[こしら]えごとだったかのような感じがしてくるのだった。マイケルが運んできてくれたポットのお茶から、玩具の蒸気機関よろしくときどきぽうっと湯気が立ち昇る。動くものはそれだけだった。庭のむこうの草原に立っている柳すら、灰色の葉一枚揺れていない。私たちは荒寥とした音もないこの八月について話した。何週間も鳥の影ひとつ見えない、とマイケルが言った。なんだか世界ががらんどうになってしまったみたいだ。すべてが凋落の一歩手前にあって、雑草だけがあいかわらず伸びさかっている、巻きつき植物は灌木を絞め殺し、蕁麻[イラクサ]の黄色い根はいよいよ地中にはびこり、牛蒡は伸びて人間の頭ひとつ越え、褐色腐れとダニが蔓延し、そればかりか、言葉や文章をやっとの思いで連ねた紙まで、うどん粉病にかかったような手触りがする。何日も何週間もむなしく頭を悩ませ、習慣で書いているのか、自己顕示欲から書いているのか、それともほかに取り柄がないから書くのか、それとも生というものへの不思議の感からか、真実への愛からか、絶望からか憤激からか、問われても答えようがない。書くことによって賢くなるのか、それとも正気を失っていくのかもさだかではない。もしかしたらわれわれみんな、自分の作品を築いたら築いた分だけ、現実を俯瞰できなくなってしまうのではないか。だからきっと、精神が拵えたものが込み入れば込み入るほどに、それが認識の深まりだと勘違いしてしまうのだろう。その一方でわれわれは、測りがたさという、じつは生のゆくえを本当にさだめているものをけっして摑めないことを、ぼんやりと承知してはいるのだ。(……)
 (W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』白水社、二〇〇七年、171~172)

     *

 (……)それでわたしたちは呪われた魂みたく、ひとつところにずっと縛られて今日まできたのです。娘たちのえんえんとした縫い物、エドマンドがある日はじめた菜園、泊まり客をとる計画、みんな失敗に終わりました。十年ほど前にクララヒルの雑貨屋の窓にチラシを貼ってからというもの、あなたは、とアシュベリー夫人は言った、うちにいらしたはじめてのお客さまなのですよ。情けないがわたしはとことん実務にむかない人間、じくじくと物思いにふける性分です。家じゅうそろって甲斐性のない夢想家なのですわ、わたしに劣らず、子どもたちも。ときどき思うのですよ、この世にとうとう慣れることができなかったと、そして人生は大きな、切りのない、わけのわからない失敗でしかない、と。(……)
 (207~208)


 87番。

 一七九九年七月に、ヘルダーリンは彼より二歳年下の妹ヘンリケにあてて書く、

「それにしてもひとにはそれぞれそのひとなりの喜びがあるわけで、だれがいったいそれを完全に軽蔑することができるだろうか? ぼくの喜びは現在のところ晴天、明るい太陽それに緑の大地なんかだ……もしぼくがいつか灰色の髪の毛を持つ一人の子供になるとしても、きっと春と朝と夕暮れの光とは毎日、まだいくらかはぼくを若返らせてくれることだろう、ぼくがこれで最後なのだと感じ、自由な風にさらされてすわりに行く、そしてそこから立ち去って――永遠の若さへと向かうそのときまで!」

 (フィリップ・ソレルス/齋藤豊訳『ステュディオ』水声社(フィクションの楽しみ)、二〇〇九年(Philippe Sollers, "Studio", Gallimard, 1997)、252)


91番。

 (……)ぼくは文学的関心を持っているのではなく、文学から成り立っており、それ以外の何物でもなく、他のものではありえないのです。(……)
 (城山良彦訳『決定版カフカ全集11 フェリーツェへの手紙(Ⅱ)』新潮社、1992年、415; 一九一三年八月一四日)


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The biggest challenge to farming fish is feeding them. Food constitutes roughly 70% of the industry’s overhead, and so far the only commercially viable source of feed is fishmeal. Perversely, the aquaculture farms that produce some of the most popular seafood, such as carp, salmon, or European sea bass, actually consume more fish than they ship to supermarkets and restaurants. Before it gets to market, a “ranched” tuna can eat more than 15 times its weight in free-roaming fish that has been converted to fishmeal.

About a quarter of all fish caught globally at sea end up as fishmeal, produced by factories like those on the The Gambian coast. Researchers have identified various potential alternatives – including human sewage, seaweed, cassava waste, soldier-fly larvae, and single-cell proteins produced by viruses and bacteria – but none is being produced affordably at scale. So, for now, fishmeal it is.

The result is a troubling paradox: the seafood industry is ostensibly trying to slow the rate of ocean depletion, but by farming the fish we eat most, it is draining the stock of many other fish – the ones that never make it to the aisles of Western supermarkets. The Gambia exports much of its fishmeal to China and Norway, where it fuels an abundant and inexpensive supply of farmed salmon for European and American consumption. Meanwhile, the fish The Gambians themselves rely on for their survival are rapidly disappearing.


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 起きたのは八時半。紺色のカーテンを閉ざしている時点では部屋は薄暗さにおちついているが、それをひらくととたんにひろびろとしたあかるさがはいってきて目覚ましい。真っ青な快晴だった。昨夜もここさいきんと同様で、湯浴みも歯磨きもしないままに力尽きてねむってしまった。もっとも、労働から帰ってきてから飯も食わず休んでいるうちに死んでいたので、歯は特別に汚れていなかったが。労働に行ってきたわりに朝をむかえてからだやあたまもさほどべたついているようには感じられなかった。洗面所で顔を洗って水を飲むと、しかしともあれ歯磨きをした。デスクについてウェブをみながら丁寧に歯をこする。とちゅう、LINEにログインして、体調を問う(……)のメッセージに返信しておいた。そうして寝床にもどると書見。きのう読みはじめた土田知則『ポール・ド・マンの戦争』(彩流社/フィギュール彩101、二〇一八年)を読む。いま午後七時半だが、すでに読了してしまった。はやい。土田知則は文章も簡明だし、ド・マンの思想やその記述自体はかなり難解だが、この本はいわゆる「ポール・ド・マン事件」とはどういうことだったのかについて振り返って評価する主旨のものなので、思想面にさほど深入りはしないのでするする読める。いわゆる「脱構築」という考え方やド・マンのテクスト読解が、テクスト(やものごと)の全体的統一性、すなわち(恣意的で権力的な)完成(の暴力)にあらがうものだという点がだんだんとわかってきた気がする。ただそれをじっさいに演じているはずのド・マンの批評は、『盲目と洞察』にせよ『読むことのアレゴリー』にせよやたら難しくて、過去に読んだときはよくわからなかったが。また、ド・マンのいう「美学イデオロギー」というのが、そういう全体的統一性を志向して内的差異を捨象する趨勢であることもこの本を読んでちょっと見通しがついた。あるテクストやものごとが不可避的にはらむさまざま微細なノイズを無視することで、きれいなかたち、矛盾や毀損のない形式的統一性をそこにつくりだそうとする思考傾向のことだとおもうのだが。イェール大学のいわゆる脱構築派周辺のしごとはわりと読んでみたい。あとそのまえのアメリカのニュー・クリティシズムのあたり。デリダはなんだかまだレベルが足りない気がしているのと、文学性に寄っていそうで手を出しづらい。ちょっと気後れする。フランスのひとだったらデリダより、バルトとフーコー、それにガタリドゥルーズのほうに関心が先んじている。
 何時まで読んだのかわすれたが、一一時くらいだったか? 朝起きて、いちにちをはじめてまず本を読める生活。これこそがにんげんの生である。瞑想をした。いま持ってきた枕はもうつかわず、かわりに二つ折りにした座布団にあたまを乗せ、かつ敷布団は薄っぺらでそのまま寝るとなんだか腰の受け止めが頼りないので、もういちまいの座布団を腰のしたに置いて寝ているのだが、きょうは二つ折りの座布団に乗ったうえ、そのままだと脚が痺れがちなので、両脚の高さを調節しようとおもって枕をしたにはさんでみた。しかしそれでも痺れたが。どうも瞑想していて脚が痺れないポジションとか高さとかが見いだせない。きょうは二〇分ほど。やはり静止だ。なにもしない時間としての瞑想だ。
 食事。そのまえだったか、コンピューターを用意してGmailをみると、物件管理会社「(……)」の(……)というひとからメールが来ていた。きのう知らない番号から着信も来ていて、検索するとこの管理会社だったのでなんだろうとおもいつつめんどうなので折り返ししなかったのだが、口座引き落としの手続きがまだできていないので七月分の家賃は振込みでお願いしたいと。それで、あれ口座引き落としの手続きってこっちでやるんだったっけ、たしか契約時にもう書類を出したんだよなと記憶があいまいだったので、(……)にもそのへんたずねるメールをしておいた。家賃保証会社のほうでまだ手続きが済んでいないということなのだとおもうが。返信するついでに、別件でひとつご相談がありましてと言って、先住者(……)氏への郵便物がいまだに届くということをつたえ、そちらで連絡を取って宛先変更をうながしたりしてもらえないかと頼んでおいた。そうしたらそのあとしばらくして早速返信が届き、連絡をしておいたと。さきほど再返信をして礼を述べておいた。家賃の振込みはすぐそこに郵便局があるのできょうさっさと行けばよかったのだが、なんかそとに出るのがめんどうくさくなってしまい、あしたにすることにした。洗濯も、じつに日和ではあったのだけれど、Yahoo!の天気をみるとあした以降もずっとだいたい晴れるようだし、きょうじゃなくてもよいかとおさめて、昼飯はきのうの夜に(……)さんに礼をするさい自販機で買った菓子類のひとつ、チョコレートドーナツみたいなやつと、(……)先生が辞めるにあたってもってきたというクッキー三枚があったのでそれだけでいいかなとおもっていたが、やはり野菜を食いたいというこころが湧いてキャベツを切った。トマトは切らず、それにベーコンを乗せるのみ。キャベツははやくも尽きた。いま半分の品を買っているが、ふつうに一玉買ったほうがよいかもしれない。いまはまだ料理をしないので生ゴミはほぼ出ないのだけれど、その管理をどうするかがいずれ問題になる。キャベツの芯をゴミ箱とかに放置しておくとまずそうなので(燃えるゴミの回収は毎週月木である)、ラップにつつんでまだ冷蔵庫に入れておいた。豆腐も用意。先日スーパーに行ったさいにショウガのチューブを買ってきたので鰹節と麺つゆにそれも添える。その他ドーナツとクッキー。キャベツがなくなったのでまた買い出しに行こうかともおもったのだがこれもめんどうくさくなったのできょうは籠もろうと決め、夕食には豆腐やトマトやサラダチキンがあるし、なんだったらカップ麺も買ったのだからそれでいいやと横着した。きのう出勤前にシャワーを浴びたさいにつかったバスタオルを夜にもういちどつかおうとおもって吊るしておいたのだけれど、晴れていて陽が旺盛で暑いので、それだけそとに出しておいた。
 食後、一時くらいから音読。「英語」と「読みかえし1」。うえに引いたゼーバルトのやつはけっこう好きなんだよな。ソレルスが引いているヘルダーリンのやつも一時期とても好きだった。ただこれは『ヘルダーリン全集』の四巻にはいっている訳だとそんなにピンと来なかったはず。この訳だからいいというところがある。フェリーツェへの手紙は(……)図書館のカードをつくったらまた読みたい。あと、岩田宏の「神田神保町」が出てきてひさしぶりに読んだが、あれと「ショパン」はまいにち一回読みたい気がするな。
 音読後は日記を書くのではなく、ひさしぶりに英文記事でも読むかという気になって、うえのやつを読んだ。このときは読みきらず。けっこうながくて、のちまでかかった。エアコンはきょうも朝から入れてしまい、一時解除したが、やはり入れないとどうにも暑すぎてそこそこきつい。四時ごろだったかもうすこしあとだったか、音楽をながしながら静止しようとおもったときがあって、英文記事のなかにAt nightfallというフレーズが出てきたのを見たときに、Kenny BarronとCharlie Hadenがやっている『Night And The City』をおもいだし、ひさしぶりに聞きたくなって記事を読むあいだにながしていたのだけれど、BarronとHadenの名でAmazon Musicを検索するともうひとつ出てきたアルバムがあって、それが『One Finger Snap』、ぜんぜん知らなかったのだが九四年の二月録音の作品で、このふたりにRoy Haynesがくわわったトリオでやっている。それでこれをながしてしばらくじっと止まった。"Take The Coltrane", "Sail Away", "Be Bop", "Passion Flower"と四曲目まで。しょうじき音楽を聞こうというよりじっとしようとおもったので音のほうに意識を凝らしたわけではないし、また耳をふさいでいるとままあることでねむくもなってきたので、音楽じたいはそんなに聞けなかったのだけれど、こういう感じでよいのですこしでも音楽にふれる時間をつくっていきたい。Barronはなにしろ品が良い。こまかくなってもちからにながれずアクがない。Discogsをみてみると一曲目はDuke Ellington作、以下Tom HarrellDizzy Gillespie、Billy Strayhornとジャズメンの作曲からとりあげている。その後、Richie BeirachやVictor Lewisなんかも。いま検索して知ったのだが原題は八曲目からとった『Wanton Spirit』という題らしく、この作曲はEarl MacDonaldといってカナダのピアニストらしいがぜんぜん知らない。それが『ワン・フィンガー・スナップ』という邦題になったのは、最後の一〇曲目であるこの"One Finger Snap"がHerbie Hancock作曲だから、それを知ってるやつには引っかかるだろうというレコード会社の戦略にちがいない。ふざけやがって。邦題文化なんてクソだ。変える必要ない。英語で書け。ScorpionsとかMichael Schenkerくらいはじけるとダサすぎて笑えるからいいが。ジャズで原題から変えるんじゃねえ。あとエロジャケをやめろ。「なんかおとなっぽくてセクシー」、みたいなジャズのイメージを助長するんじゃない。バップは戦争だ。Parkerを聞け!
 その後、寝床に逃げて書見し、土田知則の本を読み終えたり、ciniiでかれやポール・ド・マン関連の論文を検索していろいろダウンロードしておいたり。それで七時くらいになり、きょうのことを記述。いまもう八時半前だ。臥位で書見しているときにレースのカーテンはあかるみを吸ったようにわずかな暖色をその下半分に貼っていて、そこに窓の外の物干し棒やひとつきり吊るされたバスタオルの影が乗って映る。上半分も色味はうすいもののあかるさと同化しているのはちがいなく、このカーテンはひかえめな青緑と鈍い薄黄色の縦線が交互に走ったストライプ模様で、線のうえには等間隔で結び目めいた点がしばしば置かれているが、さらにそれらの線と点を横切って両ななめにうすい影の線が無数にとおっているのは窓ガラスの上部にほどこされたものの映りであり、下はすりガラスだからひかりはそのなかで乱反射して日暮れの川のような粒のかがやきが幕をめくらなくとも透けてみえるし、めくればいっそうきらめきはあざやかに、小爆発めいてうごめいて空は青、きょうは風もたいしてないようでバスタオルのゆれはおとなしく、幕をもどせば透けるかがやきのうえにタオルの影はずいぶんしっかりとした四角さで、青いようにかさなった。


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  • 日記読み: 2021/6/28, Mon.; 2014/1/7, Tue.


 わたしはおもったのだけれど、音読とおなじくこのようにして、過去の日記をどこまで読み返したかということも日記に書いておけばよいのだ。そうすれば間があいてわすれてしまってもブログで検索して、どこまで行ったか突き止めることができる。そのためのワードとして「日記読み」をもちいることにする。


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 2021/6/28, Mon.より、2020/5/28からの引用。

話を少し戻して、(……)さんが言っていた比喩を重ね合わせていくと最終的には機械になっていくというイメージに触れると、これについてこちらはまだあまり実感的に理解できていないのだが、次のようなことなのだろうかとひとまず考えた。ある記述とある記述が表面的な外観としては異なっていても、意味合いとしてはテーマ的に通じるということはもちろんいくらでもある。ただそれらの個々の記述は、具体的な記述として違いがある以上、比喩的意味としても完全に同一の状態には還元されないはずである。つまり、当然の話だが個々の比喩にはそれぞれ意味の射程があり、純化されない夾雑的な余白がそこにはつきまとっているはずで、その比喩もしくは意味の形は完璧に一致するということはない。とすれば、それらを織り重ねていくと、そこには明確な形態には分類されえない不定形の星雲図のようなものがだんだんと形成されていくはずではないか。アメーバのようなイメージで捉えてもいるのだけれど、この織り重ねは単に平面的な領域の広がりには終わらず立体方向に展開していくものでもあると思われ、すなわちそこには複数の層が生じることになる。そのような平面 - 水平方向と立体 - 垂直方向の二領域において、個々の要素であり部品である具体的な記述が対応させられ結びつけられていくことによって、いつしか得体の知れない特異な構造の機械にも似た建造物が姿を現すに至る、とたぶんそんな感じなのではないか。これを言い換えれば(……)さんは意味の迷宮を建築しているということであり、すると続けて思い当たるのは当然、彼の文体自体が「迷宮的」と称されることで――そもそも『亜人』とか『囀りとつまずき』などの文体を「迷宮的」という形容で最初に言い表したのは、たしかほかでもないこちらではなかったかという気がするのだが――つまり彼は表層に現出しているそれ自体迷宮的な文体のなかにさらに複雑怪奇な経路を張りめぐらせることでより一層迷宮的な意味の建造物を構築しているということになるわけで、とすれば三宅誰男という作家の一特性として〈建築家〉であるということがもしかしたら言えるのかもしれないが、ただ重要なのはおそらくこの建築物が、例えば序列とかヒエラルキーとかいったわかりやすい系列構造を持っているのではなくて、(迷宮であるからには当然のことだけれど)まさしく奇怪な機械としての不定形の容貌に収まるという点、少なくともそれが目指されているという点だろうと思われ、それは現実の建造物としては例えばフランスの郵便配達夫シュヴァルが拵えた宮殿のような、シュールレアリスム的と言っても良いような形態を成しているのではないだろうか。とは言えそれはおそらく充分に正確なイメージではなく、と言うのはシュヴァルの宮殿は外観からしてたぶんわりと変な感じなのだろうと思うのだけれど、(……)さんの小説はけっこう普通に物語としても読めるようになっているからである。まあ文体的に取っつきにくいということはあるかもしれないが、表面上、物語としての結構はきちんと確保されている。だから(……)さんの作品を建築物に喩えるとすれば、外から見ると比較的普通と言うか、単純に格好良く壮麗でそんなに突飛なものには見えないのだけれど、いざなかに入ってみると実は機械的な迷宮のようになっていると、そういうことになるのではないか。で、この迷宮にはおそらく入口と出口が、すなわち始まりと終わりがない。もしくは、それはどこにでもある。どこからでも入れるしどこからでも出られるということで、なおかつその迷宮内部は常に機械的に駆動し続けており、人がそのなかに入るたびに前回と比べて様相や経路が変異しているみたいな、実際にそれが実現されているのかどうかはわからないが企図としてはそういうものが目指されているのではないか。そして人が迷宮に入ったときに取るべきふさわしい振舞いというのは、言うまでもなくそのなかをたださまようということである。『亜人』冒頭の言葉を借りれば、この迷宮には「こぞってこちらのあとをつけるうすぎたない追いはぎども」(9)が至るところに潜んでいるわけだが、そこに足を踏み入れた者はこの盗賊たちに襲われてひとつところに囚われてしまうのを避けるため、彼らの追跡から逃げ惑いつづけなければならない。


 (……)さんの作品についての推測的考察なのだが、こちらが今回読んで気になったのは、「ある記述とある記述が表面的な外観としては異なっていても、意味合いとしてはテーマ的に通じるということはもちろんいくらでもある。ただそれらの個々の記述は、具体的な記述として違いがある以上、比喩的意味としても完全に同一の状態には還元されないはずである。つまり、当然の話だが個々の比喩にはそれぞれ意味の射程があり、純化されない夾雑的な余白がそこにはつきまとっているはずで、その比喩もしくは意味の形は完璧に一致するということはない。とすれば、それらを織り重ねていくと、そこには明確な形態には分類されえない不定形の星雲図のようなものがだんだんと形成されていくはずではないか。アメーバのようなイメージで捉えてもいるのだけれど、この織り重ねは単に平面的な領域の広がりには終わらず立体方向に展開していくものでもあると思われ、すなわちそこには複数の層が生じることになる。そのような平面 - 水平方向と立体 - 垂直方向の二領域において、個々の要素であり部品である具体的な記述が対応させられ結びつけられていくことによって、いつしか得体の知れない特異な構造の機械にも似た建造物が姿を現すに至る(……)」という部分で、もしかするとこのあたり、ポール・ド・マンのテクストや読解についてのかんがえかたとかかわってくるのではないかという気がしたのだ。「個々の比喩にはそれぞれ意味の射程があり、純化されない夾雑的な余白がそこにはつきまとっているはずで」の、「純化されない夾雑的な余白」とか。あと、概念的意味としては違うかもしれないが、ド・マンのもちいる主要概念にもまた「機械」があるらしい。「比喩を重ね合わせていくと最終的には機械になっていく」という(……)さんの言っていたはなしと、ド・マンの「機械」は、もしかしたらいくらか似ているところがあるのかもしれない。


 2014/1/7, Tue. も読んだのだけれど、とうぜんのことながら、まだまだ記憶や印象にのこることがすくないのだなと。生活の細部まで隈なく書くということがぜんぜんできていない。いまのように起きてから寝るまで漏れをすくなくいくつものことを詳細に書くという、こういう認知のありようはやはりかなり特殊なものなのだ。ながいあいだそのように訓練しなければできるようにはならない。勤務の往路帰路もいまとくらべると情報量は格段にすくない。ただそれでも帰路の一段落は、「正午過ぎまで働いてパンを買って帰宅した。空気は変わらず冷たいが風はあまりなく、穏やかな昼下がりの町を歩いた。雲ひとつなく晴れわたった空に彗星のような飛行機雲が走っていた。澄んだ青に溶けてなくなろうとしている月がうっすらと見えた」というふうに、空気の質感、空のようすと、この時点ですでに風景とそのニュアンスへの志向がみられる。たしかに、さいしょのうちは空ばかり見て、それを記憶して書こうとしていたのだ。空だけはまいにち見ても飽きず、おなじ様相にならず、かならずちがうことばで書けるからすごいなとおもっていたおぼえがある。みちをあるいていてもほかのことはたいして印象にのこらず、ことばにもならないのだけれど、空だけは書こうとすることも書くこともできると。またいっぽうで、このときは読み書きをはじめてからまだ一年で、二〇一三年いぜんにもいちおうちょっとだけ文を書いたことはあったはずだけれど、それでもはじめて一年で曲がりなりにも文になっているなとはおもった。流暢さ、闊達さ、こなれ具合、饒舌さ、そういったものはむろんいまと比すべくもないけれど、たしかに文を書いている。ガルシア=マルケスの、おそらくは『悪い時』あたりを参考にして、そんなようなリズムで書こうとしているのではないか、とうかがえる。ほぼすべての文末が「~した」「~だった」の過去形で終えられているのも、その反映だろう。その欲望に縛られて苦戦しているように見えなくもない。かえって窮屈さを感じているような。ちなみに当時のじぶんもじぶんでうまく書けているという実感はなかったようで、「全然書けない。クソみたいなことしか書けない。このような駄文を少数とはいえ衆目にさらして申し訳ない。日に日に書けなくなっているような気がする」と欄外に書きつけている。切実だったのだ。


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 夜がだんだん深まるにつれて、そとを歩きに出たいなというきもちがもたげてきたので、一一時ごろだったか、散歩に行くことにした。財布と鍵だけもって、時計も携帯もなし。アパートを出るととりあえず左に折れ、路地の伸びていく向こうにオレンジ色の灯を整然とならべたマンションがのぞめたので、できるだけまっすぐに、ひたすら南へ向かってみるかとおもった。なにかの建物を建設中のおおきな敷地の横を行く。敷地を囲む白い壁にはTシャツに黒ズボンのこちらのすがたが、亡霊か砂でつくられたノイズのようにあいまいに反映し、それとはべつで街灯にすくわれた影も、壁や路上に希薄にただよう。通りにつきあたると渡り、向かいのすぐそこにまた裏への入り口があったのではいった。入り口脇の建物は保育園か幼稚園らしかった。ちょっとすすむと右手は草と畑になって土地がいくらかひらけており、畑でなにかつくっているようだが暗闇のもとでは見分けられない。左側には白い花をつけた木がならんで顔のすぐうえまで花弁が下りているので、近寄ってちょっとながめた。花は五枚か六枚ですこしくしゃっとした質があり、コブシだろうかとおもったが時季ではないだろう。そこを抜けるとまた横の通り、向かいに道がひらいていないのでどうするかと右に折れつつ渡って、なにかの施設らしくながくつづく塀に囲まれた場所の表示を見れば(……)大学とあって、ああここにあったのかとおもった。最寄りの(……)駅を利用するさいにその学生だろうという女子らをたくさんみかけていた。塀に沿ってすすみ、道が南にひらいたところで曲がって、あたりにひと気などまるでなく、暗い細道の向こうに立っている電柱が地にしばられてうごかぬ幽霊のように見えなくもない。そのうちに自転車で来る明かりや、あちらも散歩か女性ひとりであるいている周辺の住民らしきもあらわれたが、そのへんで行く手に電車の音が聞こえてきて、線路がはさまった。(……)線に当たったことになる。これに沿って西にむかえば最寄り駅に着くはずと、短い踏切りをわたってすぐに、脇に自転車が捨てられてある細道にはいると、いくつも接して両側にならぶ住宅やアパートのあいまを抜けていく裏道となって、なかなか線路に沿えず方角もつかめず、おおきな通りに出る向きもわからず、とちゅうでいちど人家に当たる行き止まりにもはいりかけたが、迷いを迷いのままにてきとうにすすんでいると、左の塀の向こうにあらわれた屋根のかたちが寺のもので、まもなく墓場も出てきて不穏なようだが、かまわず行っているうちにどこをどう通ったのか、地震が来たら一発で終わりじゃないかというボロアパートや、反対に入り口にボタンの多いロックのついて小綺麗な集合住宅を過ぎて、ようやく車の走る通りに出た。集合住宅の脇には私有地につき通り抜けは禁止とあったが、通ってから気がついた。道の向かいにはドミノピザ、そろそろ住み家のほうにもどるかと見当をつけて右に、つまり西に折れ、そこから北に向かう道を見つければとおもえばすぐにあって、おあつらえむきに踏切りがあるというからさきほど渡った箇所からちょっとずれた位置である。まっすぐすすんで踏切りまで来ると、そこは中学校前とか書かれてあり、中学校なんてどこにあるのかとみているうちにたしかにあらわれて、市立第三中学校だった。遠くにマンションの灯が見えるあのかたちは最寄り駅前のやつではないかとおもって、あのあたりが知った界隈ではとめざしているうち、ある地点であたりの見覚えに気づき、ここはさっき通ったぞとおもった。見れば(……)大学の角である。ここにもどってきたのか、とおもった。この角をさきほどは南に曲がったわけだが、いつのまにか西から来るかたちでまた行き当たったのだった。翌日に地図を見てみたところ、踏切りにあたるまではおおむねまっすぐ南に来ていたが、そこで線路に沿おうとしたから西向きにかたむいて、しばらくすすんで北にちょっと折れ、さらに東へもどって、線路から左下へと突き出した楕円を描くようなかたちでおなじ地点にめぐりあったのだった。それでさきほど抜けてきた白い花の道にはもどらず、そのまえをとおりすぎると道沿いはおおきなマンション、ホテルではないかとおもうそびえ方の立派なもので、棟のまえには木々もあしらわれて地面にちかい路上の常夜灯も白く立っている。その周りをいくうちに、さいしょに目印にしたオレンジ色の灯のマンションはこれだったのかと気がついた。ということはここから北にむかえばだいたい家の付近、ちょうど棟のあいまに道があらわれたので折れてすすむと、そのさきにはコンビニが見えて、向かいの別棟沿いにはこちらとおなじく夜歩きの高年、コンビニの通りに当たればにわかにひと気が生まれて犬の散歩もいる、しかし渡ってまた暗い路地にはいってすすめば、前方から若い女子の笑い声が来て、アパートから出てきたのか三人連れで好きなひとがどうとかはなしているのとすれ違い、風呂上がりなのか濡れたにおいがした。そこでこのへんかなと左に折れれば白い壁があり、ここだここだと角を折れて行けば公園もあって、無事アパートのある路地にはいっていた。惜しむようにして歩が遅くなった。