一九五六年、日本へ発つ直前にスナイダーはジャック・ケルアックを連れてハイキングをしている。サンフランシスコからまず海へ出て、二五七一フィートのタマルパイス山を横断してゴールデンゲート・ブリッジの反対側に下りてくる一晩がかりの行程だ。その道すがらスナイダーは、足の痛みに苦しむ道連れに「岩、空気、火、樹木、そうした現実のものに近づけば近づくほど、世界はますます霊的なものに感じられるではないか」と語りかける。研究者のデヴィッド・ロバートソンは、こう指摘している。
この一文はゲイリー・スナイダーの詩や散文の中核にある考えを示している。それに留まらず、旅をする多くの者がそのまわりで思考や行動をめぐらせる、ひとつの定点ともいえ(end242)るかもしれない。彼らの生と文学に心臓のように脈打っているものがあるとすれば、それはまさしく霊性と物質性を同時に備えたものに繰り返し触れようとするこの〈再確認〉の実践なのだ。……ハイキングは、スナイダーにとって政治と社会と精神の革命を推し進める方法のひとつだった。……事物の本質はアリストテレス的なプロットでもヘーゲル的な弁証法でもなく、目的を目指すものではない。したがって聖杯のように追い求めることはできない。むしろぐるぐるといつまでもめぐりつづけるものだ。それはさながらケルアックとスナイダーのハイキングのようであり、スナイダーが構想し、歩きながらケルアックに語った詩に似ている。
(レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、242~243; 第九章「未踏の山とめぐりゆく峰」)
目を覚ますと掛け布団がからだの横にはずされてかたまっていた。それいぜんにもたぶん暑くて覚め、布団をどかしたのだろうが、おぼえていない。窓外からは保育園の子どもがきゃーきゃーいっている声がちょっと聞こえた。しかしさいきんまえよりも子どもらの歓声がとどかないのは、猛暑だからこちらも窓を閉めてエアコンをいれるし、あちらも同様だろうからそれでだろう。紺色のカーテンを閉ざしていると部屋は暗い。また八時くらいかなとおもいつつからだを起こして机の端に置いてある携帯のスイッチを押すと、一〇時四分だったので、あ、もうそんなくらいかとおもった。それでカーテンをひらくときょうもまた空の青い快晴。真っ黒いマグカップに冷蔵庫のペットボトルから水をそそぎ、椅子についてちびちび飲む。それから洗面所に行って洗顔。そろそろ髭を剃りたい。寝床にもどると書見をはじめた。ホッブズ/永井道雄・上田邦義訳『リヴァイアサンⅡ』。200あたりからはじめて235まで。ひきつづき聖書のことばの唯物的・現世的解釈がつづく。旧約聖書の記述によれば「「神の王国」とは本来〔その臣民となるべき人々の同意によって〕その政治的統治のために設立されたコモンウェルスのことである。(……)それは本来、神が王であり、〔モーセの死後は〕祭司長が彼の唯一の副王ないしは代理者となることを定められた王国のことである」(201)とか、「神の王国は現実のものであり、比喩的なものではない」(203)とか言っている。201ページの省略部分に、「それは彼らの王である神にたいしてだけではなく、正義のためにおたがいにたいして、また戦争と平和を問わず他の諸国民にたいして、彼らのあらゆる行動を規制するためのものである」とあることからしても、ホッブズがこれまでに論じてきた「リヴァイアサン」たる現世的コモンウェルスと「神の王国」は、機能や役割として類比的なものとして理解されている。たしかにぜんぜん意識していなかったが、旧約聖書、新約聖書といったときの「約」とは契約のことであり、だから聖書に記されている原始ユダヤの共同体も、ホッブズの理論でいうコモンウェルスも、契約によって形成されたものなのだ。ただし聖書のばあいはその契約は神とのあいだになされたものであり、現世的コモンウェルスはひとびと相互のあいだになされるものだが(とはいえ、さきの引用部に「その臣民となるべき人々の同意によって」と付言されているとおり、「神の王国」にかんしても人民相互の約定の可能性がふれられてもいる)。「私たちが、「御国 [みくに] と力と栄光はあなたのものです」というとき、それは神の力の権利ではなく、私たちの契約の力によって成り立つ王国のことである」(203~204)と「契約(の力)」が強調されているし、204ページにはさらにはっきりと、「要するに、「神の王国」とは地上における「現世的王国」(シヴィル・キングダム)である」と断言されている。「それは最初、イスラエルの民が、モーセによってシナイ山からもたらされた法をまもることにあった」が、「ついでこの王国が、サウルを選ぶことによって投げ捨てられると、それがキリストによって復興されるであろうことを預言者たちは告げたのである」(204~205)。「キリストによって復興される」とはいうものの、ホッブズはそれがどのように「復興される」のかについては、両義的な立場を取っているようにも見える。つまり超自然的なちからによってなのか、あくまで現世の唯物的なありかたによってなのか、ということだ。いっぽうでは、「そしてそれが実現するのは、キリストが現われ、威厳をもってこの世を裁き、彼自身の人民を統治するとき、つまり「栄光の王国」が来るときである」(205)と言っているので、ここでは救世主のちからによる千年王国的なものをみとめているようにおもえるのだが、その直後、段落が変わってはじめの文では、「もしも「神の王国」〔その栄光と王座の尊ぶべき高さから、「天の王国」とも呼ばれる〕が、神の掟を人民に伝えるためにつかわされた代行者すなわち法王たちによって統治されるこの地上の王国でないならば(……)」とも述べている。つまり、代行者たる法王(すなわち教会)によって統治される現世の共同体がすでに「神の王国」であるということになるはずだろう。この時期の教会が「神の王国」をどういうふうに理解していたかぜんぜん知らないのだけれど、それを現世的に解釈することは、いっぽうでは教会の統治の正統性を保証することにつながるだろう。ただいっぽう、もしこの時期の教義としてエホバの証人みたいな、超自然的な解釈が支配的だったとすると、その教義を否定することにもつながりかねない。
教会にたいする微妙なスタンスというのはそのほかの箇所にもうかがわれて、たとえば第三十七章「奇跡とその効用について」では、「たとえばある人が一片のパンに呪文を唱え、そのパンが神によって、神あるいは人間、またはこの両者に変えられてしまったと主張したとしよう。それにもかかわらずパンがもとどおりにしか見えないのであれば、実際に変化が起こったと考えるべき理由はない」(225)と言っていて、よく知らないのだけれどキリスト教には聖体拝領という儀式があるわけで、そこではいわゆる「最後の晩餐」を踏まえてパンはキリストの肉であり、ワインはキリストの血であるとなぞらえたかたちで食事がされるはずである。信仰心のないこちらなどからすればそれはあくまで「なぞらえ」、すなわち比喩でしかないわけだし、ホッブズもそう考えているだろうが(「実際に変化が起こったと考えるべき理由はない」)、しかしうえの記述はこの儀礼を迷信的なことだと言っているようにも見える。文脈としては、奇跡とおもえることがほんとうにそうなのか判断する権威は教会にあると述べている箇所なので(「このばあいにも私たちは、神の代理者に頼らなければならない。そして事実すべての疑わしいばあいに、私たちの私的判断を彼に従わせなければならない」(225))、教会がそこで奇跡が起こっているといえばそうなのだ、というふうにも取れるのだけれど、やはり両義的な態度に見える。
さらにこの章のさいごの段落では、「私人には心のなかで信じ、また信じない自由が〔思想は自由であるから〕つねにある。すなわち、人々がそれを信ずることにより、どのような利益が、それを主張する人、あるいは支持する人にもたらされるか。これをどう判断するかに応じて、そして、それによって、それらが奇跡であるかうそであるかを推測するところに応じて、奇跡として提示されていることがらを自分の心のなかで信ずるも信じないも自由である。しかしその信念を外に告白するということになれば、私的理性は公的理性、すなわち神の代理者に従属しなければならない」(226)と主張しており、これはクリティカルなポイントだとおもわれる。前半は現代のいわゆる思想と良心の自由に適合する考えでなじみやすい。しかし私的自由はあくまで内心の領域にかぎられるものであり、公的な領分においてはしたがうべき「公的理性」があると。フランスのライシテにもかかわってきそうな議論だが、いっぽうではこれは「公」を「私」の上位に置く考え方である。それじたいはホッブズのここまでの論調や時代思潮からして不思議ではないが、逆に取れば、宗教や信仰や思想にかんしては面従腹背でよい、それがゆるされる、ということでもあるだろう。そしてそのばあい、射程は二方向に向いている。すなわち、世俗的国家のなかでの思想的自由というテーマと、教会にたいする信仰的忠誠という主題である。ここの記述を読めば、教会がいっている奇跡とか教義とかは、儀礼的に、外面的にしたがっておけばよいのであって、じぶんのこころのなかで根本的に信じている必要はない、という考えが容易に出てくるだろう。その意見は教会の権威をおとしめることにつながるはずで、当時のカトリックからしたら激怒するんじゃないかとおもうのだが。
あと、奇跡はただ不思議で驚嘆するできごとというだけではなく、ひとびとの信用を得てしたがわせるという目的がその本質的な部分であるという指摘もおもしろかった。
またつぎのことは、奇跡にとって本質的なことである。すなわち、奇跡が起きることによって、神の使者や代行者、預言者たちが信用を得、その結果それらの人たちが神に召され、つかわされ、用いられている者であることが一般に知られ、それによって人々が彼らによりよく従うようになることである。したがって、世界の創造、またその後の大洪水によるあらゆる生物の破滅は、驚嘆すべきものではあったが、預言者とか他の神の代行者が信用を得る目的で行なわれたものではないから、ふつう奇跡とは呼ばれないのである。
いかに驚嘆すべきことがらであっても、驚くべきことはそれが起こりえたという事実にはない。なぜなら全能者にはすべてが可能であることを人は知っているからである。むしろ人間の祈りやことばにたいして神がそれを行なうからこそ、人々は驚嘆する。神がモーセの手によってエジプトで行なったことは、まさしく奇跡であった。なぜならそれはイスラエルの民に、モーセがやって来たのは彼自身の利益の企てからではなく、神につかわされたためであることを信じさせる意図のもとに行なわれたからである。
(217)
一一時過ぎまで本を読み、それから瞑想。エアコンはもう起きてすぐから入れずにはいられない。あとで天気予報を見たところ、きょうの最高気温は三八度だといい、今年最高ではないか。死ぬぞ。瞑想は足がしびれるという問題を考慮し、椅子のうえでやってみた。よさそう。さいしょのうちはどことなくしっくりしきらずにいつつも背もたれもあって安定しているし、足もしびれないからこれで行けるなとじっとしていたのだが、からだのほぐれは弱いような気がして、しばらくしてから、背もたれに背をつけているのがむしろ駄目なのかと気がついた。駄目というわけではないが、やはり背を立ててじぶんのからだのみで姿勢をつくらないと、微妙なゆらぎがおさえられてしまうのだ。静止とは言い条それは停止ではなく、つねにからだのあちこちが微細にうごいてはいてそれがじわじわと肉体のほぐれを生むのだろうから、支えに頼ってその微細動を殺してしまうのは下策なのだ。そういうわけでとちゅうから背をやや伸ばして上体をまえに出した。そうするとやはりいい感じ。枕に座るときとちがって座面がひとつしかないので尻と脚とで高さに差が生まれず、そうするとちょっと背すじを伸ばしづらいようでもあるが、坐禅のことをかんがえてみるにたしか尻を乗せる坐蒲というのは日本で生まれたものだったはずで、ということはもともと中国禅では床なり地面なり岩なりにそのまま座ってやっていたのだろうからそれとおなじことである。四〇分強座った。一一時一九分から一二時三分まで。長さを基準にするなら、四〇分をコンスタントにできるのが当面の目標かな。
コンピューターを用意。暑いのできのう買った「ヨーグリーナ贅沢仕上げ」とかいうサントリーの天然水をマグカップについでよく飲む。Notionを準備し、LINEを見て返信。(……)が電子レンジをくれるのだけれど、(……)さん(かのじょの母親)が車ではこんでくれるらしく、七月二日に決定した。その他"(……)"のMVを外注することにきのう決まったのだが、依頼相手への質問の文言を確認してくれと。見て修正を入れ、返信。それから食事。きのうコンビニで買ったヒレカツのサンドウィッチに豆腐ひとつ。食べ終えるとすぐものを洗う。あと瞑想が終わったあたりで、さくばんつかって吊るしておいたバスタオルと座布団二枚を名ばかりのベランダに出しておいた。その後、洗面所兼浴室の扉のまえに置いてある足拭きマットも。役所に転入手続きをしに行かなければならないのだけれど、最高気温三八度とかきくとマジでぜんぜん行きたくない。きのうの日記も書きたいし。しかしあしたも三六度とかでたいして変わりゃあしねえんだよな。引っ越してから二週間の仮期限も過ぎているし、やはりきょうさっさと行ってしまうべきなのか。あと、天気のページを見て電力需給が逼迫しているということを知った。いわれてみればこれだけ暑いのだからたしかにそれはそうなる。そうはいってもなかなか部屋にいるとエアコンを切るのも苦しいが、とりあえず二九度から三〇度に上げてはおいた。
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- 「英語」: 151 - 182
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クソ暑いし、ぜんぜん外出したくない、転入届はきょうはやめてまたあしたにしようかなともおもったのだけれど、あらためて(……)市のホームページで確認してみると、窓口サービスセンターという施設でも手続きをすることができると。それじたいは知っており、この名称もいままでなんどか目にしていたが、その場所がどこなのかみてみると、(……)駅前のビルの一階で、これはこのあいだ行ったLABIがはいっているビルじゃないか、あそこにあったのかとおもった。それで、それならそんなにそとをあるくこともないし、やはりきょうここに行って済ませてしまおうという気になった。市役所はもうすこし遠くて、モノレールで(……)まで行ってそこからまた一〇分くらいあるかなくてはならないらしい。それよりはよほど楽である。そういうわけで四時くらいになると身支度をして外出へ。いま七月三日で、この日のことは書く気にならず後回しにしていたため、道中のことはわすれた。とにかく暑かったのだけはまちがいない。それで(……)から電車。電車内ではやはりわずかな緊張があった。(……)で降りると駅を出て移動。北口広場から左に向かい、高架歩廊からビル入り口に向かうと、その手前の脇にしたに下りられる場所があったのでそちらに折れ、エスカレーターをくだっていき、そうすると窓口サービスセンターの表示があったので廊下を行き、入室。手に消毒液をつけてこすりあわせ、それからカウンターやフロア内を見てきょろきょろしているとあそこが発券機だなというのが発見され、そのそばに案内人の女性もいたのでそちらに行ってあいさつし、転入届を出しに来たと告げた。転出証明書はお持ちでしょうかというので肯定すると、すぐちかくの記入スペースに案内され、それではこちらの用紙に記入をというのでもろもろの情報を書き込んだ。できると持っていって発券してもらい、席で待つ。わりとすぐに呼ばれた。カウンターに行ってまたべつの女性((……)というなまえだったとおもう)をあいてにやりとり。転出証明書や本人確認書類としてつかうパスポートをとりだし、渡す。女性はこなれたようすでそれでは確認いたしますねー、と、書類間の情報をちょっと口に出しながら、ゆびも当てて照らし合わせていき、パスポートの写真と本人の顔とを照合するさいにはこちらもマスクをずらした。あとはだいたい、~~ですねー、といわれるのに、はい、はい、とこたえていたのみ。基本の情報がOKとなるとその他もろもろ、ほかにやる手続きがあるかなどの確認。保険については、来月末まで父親の社会保険の任期継続で扶養にはいっており、それが切れたら(……)市で国民健康保険にはいる予定と説明。それなので、市役所でやる手続きはそれのみで、いまのところほかには特にないようだった。任期継続が切れたら、失効証明書みたいなものがもらえるので、それをわすれずに持ってまた手続きに来てくださいとのこと。転入手続きはOKとなったあと、ゴミ捨てカレンダーとかハンドブックとか、生活に必要な書類をいくつか提示され、それらがはいった封筒を受け取った。ゴミ捨てカレンダーが出てきたときには、ここでもらえるんですね、と笑みを浮かべた。ハンドブックはホームページから落としたPDFには書かれていない細かい品目などについても記されているだろうから、これはありがたい。デザインは実家にいたときに見た(……)のものと似たような調子だった。それで礼を言って終了。カウンターの席を立ち、そのへんの席にリュックサックを置いてもらった封筒をなかに入れ、さきほどの案内人のひとにもありがとうございましたと礼をかけつつそのまえを通り過ぎて出入り口へ。来たときとはべつのほう。出ると目のまえは植込み壇みたいなものがあり、そこで持ってきたボトルの水をちょっと飲み、道に出るとまあふつうにしたの道、高架歩廊のしたである。うえにのぼり、図書館に行くことにした。ついでにもうカードもつくってしまおうと。歩廊にのぼるといつも通る歩道橋に出るほうの通路ではなく、帰り道によくつかうモノレール駅下を抜けるほうを選び、さらにモノレール線路下の広場に下りててくてく歩き、ホテルの脇で歩廊にのぼるというルートを取って、この道中、主にビルのガラスに空が映りこんでいるようすなど、すばらしい風景をたくさん目にしたのだけれど、それらを書くための気力と記憶がもはやないので割愛する。図書館にはじつにひさしぶりに来た。手を消毒してゲートをくぐり、新着図書の棚をちょっと見てからカウンターに行き、カードをつくりたいんですがと申し出る。用紙を渡されて、あちらの台でこれを記入してくれといわれるのでそこに行き、立ったまま記入。背の高さと台の高さの問題で、片足のかかとがあがってちょっとつま先立ちになるような姿勢で書く。そうしてまたカウンターに行くとさきほどの若い男性はべつの客を対応しており、もうひとりいた女性の職員が、こちらがちかづいてきたのを即座に感知して、お願いします、とべつの男性に頼んだのでそちらへ。男性は四〇代か五〇代かそこそこの歳に見えたが、説明のことばがぎこちない調子だった。ぎこちないというか、態度やことばづかいはひじょうに丁寧なのだけれど、そういうふうなことばづかいをするべきだとおもってそう努力しつつもじっさいなかなか口がうまく回らない、うまくことばが出てこないというか、こういうときに緊張してしまうという性分なのか、あるいは一種の吃りみたいなものなのか、なんかそんな印象だった。あと、たまに声がとても小さくなるのでなんと言っているのか聞き取れないことがあった。他人とのコミュニケーションが得意ではなさそうだったが、しかしじっさいわからない、こういう公的な役割でのやりとりのときだけそうなるのではないかという気もする。まあいずれにしても丁寧で丁重でまったく不快なひとではなかったのでよいのだが、そのひとをあいてにカード作成の手続き。本人確認書類としてはパスポートをまた使い、あとここでは住所確認書類も必要で、その点は事前にホームページで確認しておいたのだけれど、住所をさっと確認できるような身分証明書をこちらは持っていない。そこで先日払った水道料金の請求書を持ってきており、住所確認なんですけど、公共料金の請求書でも大丈夫ですかねと笑いながら出してみると、直近三か月以内のものなら大丈夫ということだったので、それで通った。このときこちらが、大丈夫ですかねと笑いながらうかがいを立てたときの反応も、妙に恐縮するというかそんな感じだったので、やはり他人とはなすときに緊張する性分のひとだったのかもしれない。それでもろもろ説明を受けたり、かれがデータをパソコンに入力してカードをつくるあいだに説明書を読んだりしたが、いまは電子図書館というのもやっているらしく、そのパンフレットも確認し、いちおうもらってきた。まあじっさい、こちらが読むたぐいの本は電子化されていないとおもうが。このパンフレットの表紙というか最初のページには三人の女子高生だか女子中学生的キャラクターのイラストが描かれており、かのじょらの制服はそれぞれ種類がちがって、その三人は両側に書架がつらなっている通路の真ん中にならんで立っており、背景となっている両側の書架はその端のあたりだけをわずかにのぞかせながら奥へと何列もつづいていて、通路最奥の壁際にも棚があって本がはいっているのが真ん中の女子の髪に接してほんのわずか見えているのでわかるのだが、電子=こういうアニメキャラ的二次元という広告図式がもう完全にできあがっているわけだ。べつに電子図書館を広告宣伝するからといって、アニメキャラ的なイラストを用いなければならないという絶対的必然性はないはずである。むかし(おそらく一〇年ほど前まで?)はこういうイラストを「萌え絵」といったりしていたとおもうし、「萌え」というワードが両義的なニュアンスを帯びて流通していたとおもうのだけれど、いまや「萌え」なんて語彙を観測する機会はなくなってしまったぞ? まだつかわれているのだろうか? まえにも書いたけれど、じぶんは中学一年二年のころに当時黎明期を過ぎて活況を呈しはじめていたライトノベルをたしょう読んでいたところ、中二のあたりになって表紙のイラストがこういう萌え的な、しかもものによってはちょっとエロいようなけばけばしいものになってきたので、それで恥ずかしくなって買うのをやめたのだ。ところがいまや、思春期のこちらが羞恥をおぼえたようなそういうイラスト類がごくごく一般的なものとして世の広範囲に流通し、テレビなりネットなり漫画なりそとで見る広告なり、なんというか社会のメインストリーム的な場所にまでふつうに見かけるようになっていて、そのことがとうぜんのごとく受け入れられている。いっぽうあまりむやみにエロいようなものにかんしてはフェミニズム方面などで批判の動向もつよまってはいるだろうが、いずれにしてもあらためて意識してみるとたいした変化だなと。何年かまえに塾で中学生男子らが『涼宮ハルヒの憂鬱』を持ってきて貸し借りしているのも目撃したことがあり、そのときも、もういまはこういうのをふつうに友だち同士で共有しておおっぴらに持ってくる時代なんだなとおもった。じぶんが中学生のころだったら、『キノの旅』ですら恥ずかしかったぞ、と。『キノの旅』はしかし、特に表紙のイラストがエロかったりするわけではないし、なかの挿絵にもエロいのはなかったとおもうし、内容にエロいことが含まれていたわけでもない。中二病患者が好みそうないかにもな雰囲気のフレーズとかワードとかが含まれつつも、さまざまな奇妙な国をめぐる短篇連作風味で、まあちょっと不思議なおはなしがたくさん詰まったような物語でなかなかおもしろかった。いまはどうなっているのか知らないが、そういうふつうのライトノベルでも仮にクラスメイトとかに見られると恥ずかしかっただろうというのは、やはりそれだけああいう絵柄がまだまだ一般の目には触れられていなかった、すくなくともじぶんの周囲では見ることがなかったので、なにこれー、とかからかわれそうだったということではないのか。漫画だって二次元の絵ではあるけれど、漫画雑誌とライトノベルは当時はまたぜんぜん違う界隈だっただろう。いまはそのへんはもうアニメを軸にしておおきなジャンルとしてわりと統合されているような気がするが。漫画だったらコロコロコミックとかガンガンとかジャンプとか単行本とかを買ったりコンビニや本屋やブックオフで立ち読みしたりということを男子はわりとみんなやっていた気がするが、当時そのなかでライトノベルとなると毛色がかなり違う。そもそも絵があるとはいえ小説だし。漫画だって読んでいると恥ずかしいエロいやつみたいなのはあって、こちらが中学生頃にあったそれはたぶん『いちご100%』だったとおもうのだけれど(『I's』にもエロい場面があったのを公園に放置されていたジャンプでみかけて知ったのをおぼえているが、あれはこちらの世代よりもうすこしまえだったはず)、『いちご100%』を読んでいることの恥ずかしさと、ライトノベルを読んでいることの恥ずかしさはやはりかなり別だったはず。共有された恥ずかしさか否か、という点に尽きるのかもしれないが。ちなみにぜんぜん周囲に流通していなかったライトノベルをこちらがどうやって知ったかというと、小学校五、六年のときにおなじクラスになった優等生(……)が富士見ファンタジア文庫の『魔術師オーフェン』シリーズを持っていて(たぶんじっさいには姉の所有だったのだとおもうが――このお姉さんはたしか「(……)」みたいななまえで(「こ」はなかったかもしれない)、漢字をわすれたがじっさいには「(……)」と読ませる、そういう漢字だったはず。(……)やこちらの何個上だったのかおぼえていないが、三つ四つくらいは上だったのではないか? 学業優秀で、東大に行っていたはず。(……)も学業優秀で中学から受験して(……)に行き、いまは医者をやっている)、それで借りたか、あるいはそういうのがあるということを知って買うなり図書館で借りるなりしたのだったか。ともかくそこが入り口。それいぜんの小四とか小五のころには、「青い鳥文庫」をいくらか読んでいた。いま検索してシリーズ名をおもいだしたが(まえにもいちど振り返って日記に記したことがあるのだが)、松原秀行のパスワード探偵団シリーズというやつが好きでけっこう読んでいて、これは当時だんだん人口に膾炙していたパソコンのチャット技術なんかを作中に取り入れた児童小説で、我が家でも小五くらいでWINDOWSが来たはずなのでその点でもなじんだのかもしれない。シリーズがすすんでいくにつれて恋愛要素がすこし生まれてくるので、いたいけで純情な小学生だったじぶんはそれでドキドキしていたおぼえがある。むかしのじぶんはミステリーものがけっこう好きで、その後高校時代にも島田荘司なんかをたしょう読んでいたのだけれど(シャーロック・ホームズも中学生のときだったか、すこしだけ図書館で借りて読んだおぼえがある)、小学生時点ですでにこの少年探偵ものに惹かれたというのはなんだったのだろう。コナンと金田一の影響だろうか。
かなりどうでもいいはなしにながくそれてしまったが、それでカードをつくり、きけばもうきょうから借りていくことができるというのでそいつはいいやとおもって礼をいい、書架を見分。哲学のほうにまずいって西洋のやつらを見たがまあここにこういう本があったなというのはだいたい記憶通りで、くわえてあたらしい顔ぶれがいくつかという感じ。それにしてもフーコーの講義録とかけっこう何冊もあるし、宗教神話のほうに行くとレヴィ=ストロースの『神話論理』もぜんぶあるわけだし、文化人類学のところにもストロースがたしょう、またティム・インゴルドと川田順造も数冊ずつある。すばらしいというほかはない。しかしやはり文学だとおもって移動し、英米やフランスを中心に見分。詩集を一冊とほかのやつを一冊借りようかなとおもっていた。詩集なら読むのにそうかからないだろうというあさはかなかんがえである。それで見ていってまず土曜美術社出版販売から出ている新・世界現代詩文庫シリーズの『ベアト・ブレヒビュール詩集』というものが気になって、スイスのひとらしいのだが、ちょっとめくってみるとわりとよさそうだったのでこれにするかと決め、その後フランスに行ってバルトを確認したりベケットを確認したりいろいろ見ていたのだが、ここに西脇順三郎訳の『マラルメ詩集』(小沢書店のやつ)があるわけだ。そうなるとやはり借りたくなって詩集が二冊になってしまった。そのほか、英米のエッセイとか日記書簡みたいな区画をみていると、ここもおもしろそうな本だらけなのだけれど、『書こうとするな、ただ書け』というブコウスキーの書簡集が目にとまって、このタイトルの文言はまさしくじぶんのテーマなので気になり、いったん措いておいてイタリアとか南米とか見に行ったのだけれど、やっぱりあれにするかと決めてもどり、そのブコウスキー書簡集を取って、三冊を持ってカウンターに行って貸出。そうして退出。
帰路とその後ももう省略する。