2022/9/3, Sat.

 わからないよ、A・D、自分がどうやってやってこれたのかよくわからない。酒にはいつも救われた。今もそうだ。それに、正直に言って、わたしは書くことが好きで好きでたまらなかった! タイプライターを打つ音。タイプライターがその音だけ立ててく(end269)れればいいと思うことがある。そして手元には酒がある、スコッチと一緒にビール、マシーンのそばには。そしてさっきまで吸っていた葉巻の吸い差しを見つけると、酔っ払ったまま火をつけて鼻先をやけどする。わたしは作家になろうと必死で努力していたわけではなく、ただ自分がご機嫌になれることをやっていただけの話なのだ。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、269~270; A・D・ワイナンズ宛、1985年2月22日)




 きょうはなぜかけっこう寝坊してしまい、うすく覚めながらもまどろみがながくつづいて、最終的に一一時九分にいちど離床。ここさいきん出勤日も休日もたくさんあるいていたので、疲れが蓄積されていたのだろうか。覚醒後、ひさしぶりに深呼吸をよくやっておいた。鼻から息をゆっくりちからをこめずに吐いていき、しぜんにとまるところでとまるにまかせてそのまますぐ吸わずすこし停止する、という感じにおのずとなったが、そうしてみると呼吸のなめらかさ、抵抗のなさがすこしまえとはだいぶちがっているようにおもう。起き上がってカーテンをあけると曇り空だが、のちには陽も出た。洗面所に行ったり水を飲んだりといつものルーティンを済ませると寝床に帰還し、Chromebookでウェブを閲覧。日記の読みかえしはサボってしまった。正午を回ってふたたび起き上がり、一二時一三分から二〇分ほど瞑想。深呼吸をしておくとからだがぜんたいてきにほぐれるから静止もやはり安定する。それから食事の支度へ。まずさきにれいによって流しの横のスペースに置いてあったプラスチックゴミを切ったり潰したりして半透明のビニール袋に始末。そうして水切りケースを床に下ろし、まな板や包丁、大皿などを取り出して、洗濯機のうえで野菜を切りはじめた。キャベツをザクザク大雑把にやり、豆腐を手のひらのうえで四二ピースにこまかく分け、半分あまっていた黄色のパプリカもぜんぶつかってしまい、リーフレタスを周辺にてきとうに散らすとともに大根をスライス。けっこうよい色合いのサラダになった。シーザーサラダドレッシングを開封。もう一品はきょうもまたレトルトのカレーを食べることにして、スープカレーの袋を流しのうえの戸棚から取り出し、サトウのごはんをレンジで熱したあと木製皿に出してスプーンでちょっと崩したそのうえからカレーをかけ、もういちどレンジに入れてしばらく加熱。そうしているあいだにまな板とかは洗ってしまい、豆腐のパックとかレトルトパウチとかもゆすいでおいた。食事。ここでも日記の読みかえしはサボり、ウェブをてきとうに見ながら食す。おおく眠ってしまったためか、どうにもしゃきっとしない日である。わすれていたが、サラダをこしらえた時点で洗濯もはじめていた。ものを食べ終えるとちょうど一時ごろになっており、まもなく洗濯が終わったところに都合よく雲のすきまからひかりが漏れはじめていたので、吊るされていたものたちを取ったあとからあたらしく取りつけて窓のそとに干した。座布団もいちまい出しておく。取ったものもたたんでかたづけ、日記を書きたいところだがそこからだらだらしてしまい、なかなか取りかからない。あいまに屈伸したり背伸びしたり、血をめぐらせてけっこうからだはやわらかくなっているのだが、どうもあたまがしゃっきりとしない。そうこうするうちに三時を越えて、消化がすすんで腹がかるくなっているから寝床にうつってストレッチなどしてみても、どうにも意識がねむたいようだ。ある程度はととのってきていたので椅子にもどると音読してから文を書こうとおもって口をうごかしたものの、やはりどうしてもあたまが硬いというか重いというか、晴れ晴れとしない感じがあったので、きょうはひさしぶりに籠っても良いとおもっていたけれど、これはやはり歩かないと駄目だなとおもい、散歩に出ることにした。ほんとうは一日のうちのなるべくはやく、飯を食ってすぐとかにいちど歩いてしまうのが良いのだろう。それでTシャツと青灰色のズボンに着替え、靴下を履き、荷物は鍵をポケットに入れ手首に腕時計をつけただけの軽装で、携帯も持たず財布も持たず、マスクをつけて部屋を抜けた。わすれていたが洗濯物は四時ごろ、ひかりが薄くなってきて窓正面の西空が灰色混じりの雲で満たされたので、雲行きがあやしいなと取りこんでおいた。部屋を出たのは四時一五分ごろである。まず左、公園のある南方面へ。三一日の昼に草ぐさがひかりと風を受けてあかるい緑の刻みとなっていた一軒では、きょうは草たちは風にもほとんど揺れず、低い塀にかこわれた小庭を埋め尽くさんばかりに繁茂したそのままのすがたでとまっている。路地に日なたはない。暗くはないが、空は雲がちで射してくるひかりもない。そのため暑くもなく、風が通ればよほど涼しい、体温と葛藤しない穏和な肌触りの暮れ前である。公園では遊びまわるおさなごを連れた女性らが立って会話しており、セミの声はまだかろうじて聞こえた。右折すれば正面が西で、目のまえに伸びる路地やそのさきの車道を渡って向こうの家並みを越えた果ての低みに空は白く、そこにも雲があるのだが灰色混じりで覆いひろがる周囲のそれより薄いようで、ひかりの気配がふくまれている。車道を渡ると左折してふたたび少々南に移行し、コンビニの駐車場をななめに抜ければまた西が正面となって、左に接する二車線の道路はまんなかに植込みかなにか据えられているからそこそこ幅広で空もひろがり、白雲のなかにひとつひらいたちいさなほころびがいま陽を漏らしつつあるところで、こちらのあるく歩道沿いの木々からほのかな影がにじみだすなかを行けば、ほころびに溜まるつやめきはすこしずつふくらんで、路面にうっすらと、暖色ともいえないくらいの色を乗せて影をかたどり、車道を駆けてくる車のてっぺんも白さをはじきながら去っていく。足取りはゆるい。まえに見える横断歩道が青でもいそがず、かわるにまかせてつぎを待つ。手に持つものもなく、リュックサックを負ってもいないので、胸をちょっと張って背を伸ばすのに難もなく、身軽さのままにゆったりと行ける。駅そばの空き地の手前でわたる踏切りは(……)踏切というなまえだった。「(……)」でよいのか、なんと読むのかわからなかったが、いま検索してみると「(……)」というようだ。目のまえには巨大な昆虫の瞳のような、ヒマワリの花の中心部のような赤色ランプが上下にならび、おもちゃめいた詰まった音がカンカン鳴るあいだ赤い灯しが二つを行き来して、電車がガーガー過ぎていく。向かいがわには徒歩だけでなく自転車のすがたも何人かある。遮断器が上がるとかれらとすれちがって渡ったが、渡り終えたとたんにまたカンカン鳴り出したのでずいぶんはやいなとおもった。それを背後に置き残して病院付近の草の生えた空き地に沿ってすすんでいき、病院の敷地まで来ればいくつも立ったヒマワリはやはりそんなに堂々とはしていないがうなだれるでもなく顔を見せているものが多かった。前方で、まさしく病院の建物正面に入っていく道にかかった横断歩道が点滅し、赤になる。しかしあちらがわから来た自転車のひとは気にせずスピードをあげて渡り越し、そのあとでこちらの背後から抜かしていく女性の自転車も遅れて通り越え、立ち止まったじぶんも信号無視してしまうかと間をはかったがそこに病院のある右手からバスがズーンとやってきたので、目と鼻の先をそれが過ぎるのを見送った。それから渡れば、女性はすぐ脇にある患者用の駐輪スペースに停めて病院に向かっていた。ここまであるいて二〇分ほどだったのではないか。
 (……)のまえを過ぎて(……)通りと(……)通り、交通量の多いふたつの道路が交差する地点にちかづいていくと、こちらから見て前後に四車線の車道を左右にすばやく行き来していく自動車たちの、ごうごういうようなうなるような走行音が、遅速それぞれありつつ各所から立って、ビルの多い空間に一挙に響いて埋めるのではなくじわりじわりと回遊しながらひろがるようで、その音響にふれながら交差点を目の当たりにして、いかにも都市だな、都市の音だなと感じた。きょうは渡らず右に折れる。やや香ばしいにおいのかおる焼肉店のまえを過ぎ、ちょっと行くとまた右折して敷地の裏側をもと来たほうにもどっていく。このあたりでマスクをはずした。歩道は歩行者用と自転車用レーンがいちおう分けて設けられており、車道と自転車レーンにはさまれる縁にはサルスベリがずっとさきまで植えられている。ちかくで見ればショッキングピンクのようなつよい紅色だが、ならびのさきに遠くで見ればちいさなこずえを飾る色は少々弱まって橙にちかづいたように、花木というより果樹のようにうつる。その向こうには病院の建物をむすぶ空中通路が道路のうえに横にかかって、さらに先は空、通路のすぐうしろがわは青さをはらんだものもふくめて数本の雲が波のようにかさなり、その他の領域も雲に覆われがちだけれどすきまもおりおりはさまって、左手向かいの建物の屋根やその付近の高さでは空の青さはさらさらとした水色であり、もっと首をかたむけて高くをみやれば頭上の青さはより濃やかに締まっていた。そのまままっすぐ病院裏をあるくあいだ右隣に白い花をつけた低木がいくつも植わっており、先端をちょっとしなりとさせたような五弁花のなかに黄にいたらないクリーム色めいて蕊が差されているのがおぼえのあるような気もするのだが、なんの花なのか名がわからない。フヨウだろうか? そこでれいによっていま検索してみたところ、ムクゲのすがたが記憶と似ている。あれがムクゲか、とおもったが、ムクゲとフヨウはおなじアオイ科で似ているらしく、やはりフヨウの可能性もある。見分け方として蕊がまっすぐなのがムクゲ、先で五つに分かれてカーブしているのがフヨウといい、よくも見なかったけれどまっすぐに伸びて分かれていなかったようにおもうので、ムクゲだったのではないか。
 駅そばの踏切りを渡り、左に折れて、ちょうど駅から出てきたひとらとすれ違いつつ、駅舎前を通り過ぎてマンションと寺にはさまれた道を行く。セミの声が落ち、前から風が吹いて肌を撫でるのが涼しいが、マンション脇の木や、寺の塀を越えて出ている木の枝葉は風の感触からすればもっと揺れそうなものを、意外にも緩慢としてちらちらうごいているばかり、そのさきで右折するとなじみの(……)通りで、渡ってすすめばもう家のほうである。豆腐屋のまえで中年の男女が窓口からすみませーんと声をかけたが、聞こえないのか反応はなく、薄暗いなかからひとも出てこず、アパートそばまで来れば保育園の迎えに来たものか車が路駐されているその脇をすりぬけて階段にはいった。
 帰ってきたのはちょうど五時ごろだったとおもう。だいたい四五分ほど歩いたようだ。しかしあっという間だったというか、アパートが見えたときに、時間をはかりつつ、ぜんぜんながくなかったなとおもった。さほど汗もかいていない。服を着替えて楽なかっこうになると、腹が減ったので冷凍のちいさな肉まんをふたつあたためて食い、先日ふたつ買ってひとつのこっていたキリンレモンを飲んだあと、一息ついてからきょうのことを書き出した。それでいま七時半になっているから、ここまでだいたい二時間で書いたことになる。あいまに立ってからだをうごかしたり検索したりもしていたけれど、もうすこしかからないとおもっていたのだが。それか書きはじめたのがもうすこしあとで、六時ごろだったか? おとといきのうのことを書きたいが、きょうじゅうにどこまで行けるか。とりあえず疲れたので寝転がって休憩したい。あとそうだ、わすれていたが書きものの前に爪を切ったのだった。そのさいにWhitesnakeの八七年のいわゆるサーペント・アルバムなんてながしてしまったのだけれど、これをおもいだしたのは、まずこの前日に雨降りのなかをあるいたわけだが、じぶんはふつうに傘を差していたからべつに濡れそぼったわけではないけれど、町田康が『くっすん大黒』ではなくてタイトルをわすれたがたぶん三冊目くらいの本にはいっていた小説で、土砂降りのなかで雨にひたすら降られてびしょびしょになる男の一人称で、「根源的に俺は濡れてた」というフレーズを書いていたのをおもいだした、それとともに"Crying In The Rain"という曲をおもいだしたからで、もっともこちらが直接おもいだしたのはWhitesnake版ではなくてJohn Sykesがたぶん二〇〇五年くらいに出してその後音沙汰がなくなったライブアルバムである『Bad Boy Live!』の四曲目にはいっていた音源なのだけれど、それでなんかWhitesnakeをながしてみる気になったのだった。"Still of the Night"からはじまる。ああこんな感じだったなあと。二曲目が"Give Me All Your Love"で、これはタイトルだけではどんな曲かおもいだせなかったのだけれど、はじまるとちょっとだけ哀愁風味をふくめたコードワークでシャッフルを刻むほんのりブルージーなやつで、いかにも七〇年代からの延長としての八〇年代ハードロックだなあとおもった。こういうのはわりと嫌いではない。サビを聞けば、ああこの曲か、ともなる。その他"Bad Boys"や"Is This Love"はJohn Sykesもうえのライブ盤でやっていてよく聞いたからタイトルだけで曲が出てくる。ほかの曲はそうならないが、じっさいに聞けばたしかにこんな曲あったなあ、という感じにはなる("Here I Go Again"で、なんとなくこの曲はJourneyっぽくないか? と感じた)。ところで、のちに書き抜き中にながした分もふくめてけっきょく一〇曲目に収録されていた"Crying In The Rain"までいかなかったのだけれど、いまあれ? とおもって調べてみると、こちらが聞いたのは二〇〇七年の二〇周年リマスター版だったのだが、オリジナルとそれの曲順はちがっている。八七年の北米版はまさしく"Crying In The Rain"が冒頭になっており、たしかにそうだった、じぶんが聞いていたのもこれからはじまっていたはずだ。
 この日はあとカフカの書簡の書き抜きをそこそこやったくらいしかおぼえていない。


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  • 「ことば」: 11 - 15
  • 「読みかえし1」: 369 - 374