書くことはわたしたちが何年もかけて日々どうなっていくのか、その結果にしかすぎない。自分が何をしたのかが指紋のようにくっきりと映し出され、逃れようがない。そして過去に書かれたものなどすべて無意味だ。何が大切なのかと言えば……次に何を書くのかだ。そして次の一行が浮かび上がってこないのだとすれば、あなたは年老いたということではない、あなたは死んでしまったのだ。死ぬのは大丈夫だ、避けられないことだ。とはいえ、後回しにしてもらえることをわたしは切望する、わたしたち誰もがそう思っていることだろうが。熱を帯びたデスクランプに照らされ、このマシーンにもう一枚紙を差し込み、ワインを手放さず、タバコの吸い差しにまた火をつけるが、階下でこうした物音を聞いているかわいそうな妻は、わたしがおかしくなってしまったのか、それともただ飲んでいるだけなのか、あれやこれやと気を揉んでいることだろう。わたしは自分が書いているものを妻には見せない。話題にもしない。運に見放されず本が無事に出版されたら、わたしはベッドでその本を読み、何も言わずに彼女に手渡す。彼女はそれを読み、ほとんど何も言わない。これこそが神が導こうとしているやり方なのだ。死や善悪を熟慮した末に見つけられる生き方なのだ。これこそ究極の答えだ。そう定められている。やがてわたしは棺の中に横たわり骸骨となる定めなのだろうが、このマシーンの前に座って過ごすこうした痛快な夜が、何であれこの先損なわれるようなことは決してあり得ないのだ。
(チャールズ・ブコウスキー/アベル・デブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、278~279; ウィリアム・パッカード宛、1986年3月27日)
一〇時前に覚醒。尿意がわだかまっていてめちゃくちゃ小便がしたかったので、ちょっとするととりあえず起き上がってトイレに行き、便器に腰掛けてちょろちょろ放尿した。ついでに顔も洗い、室を出ると、カーテンもまだ開けていない薄暗さのなかでうがいをしたり水を飲んだりする。それから幕をひらき、部屋を白くして布団のうえにもどると、しばらくあおむけで深呼吸した。じきにChromebookを持って一年前の日記の読みかえしへ。きのうサボってしまったので2021/9/3, Fri.から。「五時過ぎで出発。雨が降っていた。さほどの降りではなくしっとりとした感じのしずけさで、だから山も色にせよかたちにせよほとんどかすんでおらず、薄膜を一枚かぶせられた程度。きょうは数か月ぶりでベストを身につけネクタイも締めたが、それでちょうどよい気温の低さだった。セミの声はもはや一匹もなく死滅した」とのことで、かなり涼しい気候になっているよう。今年はまだネクタイを締めたりベストをつけたりするにはいたっていない。帰路にはつぎのような記述。
(……)それからじぶんの電車を待つ。正面先の小学校校舎は夜の空間の黒さにほぼ埋没してぼんやりとした量感として浮かびあがるのみであり、骨っぽい亡霊か、暗闇のなかの蜃気楼といったぐあいである。線路上の白色灯が濡れた空気につややかに染みている。やってきた電車に乗って瞑目に休み、最寄りで降りるとうしろから三人の若者も降りた。めずらしい。階段通路を行くあいだ、ひとりが先んじてこちらを抜かし、駅前に停まっていた車に寄ってなかのひととはなしていたので、むかえに来てもらった親か家族に友だちを連れていっていいか聞いている、というかんじだったようだ。車通りのない道路をわたって木の間の坂道にはいり、マスクをずらすと、まえを行く小太りのサラリーマンの吸う煙草のにおいが鼻に触れてくる。雨はぽつぽつとかすかに散っており、面倒くさいので傘はひらかなかったが、樹の下を行くと周囲の木立のすきまから雨垂れの音がけっこう立って、坂のそとよりも増幅される。前方のひとが煙を吐き出すと漏れ出した精気のようにして薄白さが細い楕円として上下に伸びひろがり、風がまったくないのですぐに散らずかたちを保ってその場にとどまり、こちらがそこまであるいたころにも街灯の白びかりのもとで頭上にただよっているくらいだった。サラリーマンは左手に鞄や荷物を持ち、煙草を持っている右手は口もとにはこばれるとき以外はわりとせかせかした調子で腰の横を前後に揺れているが、その印象に比して歩速はそこまではやくはない。こちらは左手はポケットに突っこんでおり、歩みがのろいのでバッグと傘を持った右手もほとんど振れることはない。平路に出て、電灯の白さがなめらかにひろがっているアスファルトを踏んでいく。夜空は一様な曇り、しかし先日見たおなじ曇天よりも色が濃くなってやや沈んだかんじが出ているようだった。気温はやはり低く、虫はリーリーひびいて、ベストすがたでなければ肌寒いくらいだったはず。
これは描写というよりも、ほんとうに記録だよなとおもった。部分的には描写の感もあるけれど、総体としてはひとつのなにかを統合的に構成しようとしているのではなく、ほんとうに見聞きしたものをおおむね順番に記録しているだけという印象。そしてふつうはこんなことはわざわざ記録するような対象にはならないわけで、ここだけ取ってみるとなぜこの書き手がこんなふうにこんなものたちを書いているのか、動機がわからないとすら感じる。むかし(……)さんと会ったとき、(……)さんは(……)さんともまたちがって、変ですよね、なんであんなふうに書いてるのかわからない、みたいなことを言われたことがあったが、じぶんじしんでも一年前の文章にそれをかんじてしまった。そのとき(……)さんは、(……)さんがああやってまいにちブログ書いてるのは、もともと小説書くための練習というかウォーミングアップっていうか、そういう役割があったとおもうんですよね、みたいなことも言っていた。からだをあたためる準備運動みたいなものだということだろう。こちらだってもともとはそういうつもりだった。日記は日記で書きつつそこでやしなったちからを土台として小説を書きたいとおもっていたし、いまもいちおうおもってはいるわけだが、ところが現にこの体たらくである。(……)さんがいだいた戸惑いというのはたぶん、ひとりで素振りだけをまいにちひたすらにつづけていながら一向に試合に出ようとしないものを見たときのそれがひとつにはふくまれていたのではないか。
2021/9/4, Sat.も読んだ。冒頭、「きょうも天気は雨降りのようで、ゴーヤの葉のすきまを満たす空は白かったし、空気は薄暗さに寄って、大した降りではないようだが雨垂れの音もそとから聞こえる。ミンミンゼミが一匹、遠くで、やはりかなりゆったりとした、老いの愉悦みたいな振幅でうねっていた」とあり、「老いの愉悦みたいな振幅」にはおお、とおもった。帰路のようすはやはりそこそこ書いている。
退勤は七時。電車に乗って最寄りへ。このころには雨はかなり激しい様態になっていた。坂道にはいると、幾重にもつらなったさざなみが路上に生まれており、カタツムリ的な、まさしく這ううごきの鷹揚さでゆっくりくだりながれていく。雨夜ではあるもののあまり暗いという印象もなく、坂にはいったところでは道端の低みに咲いている花群れの白さもあきらかだったし、傘を差したこちらの影もそちらの壁に投げかけられてはっきり浮かぶ。それはふつうに街灯によるものではあるわけだが、それをおいても、空が雲に閉ざされていても足もとまで完全に夜に漬けられるというかんじではないようだった。下の道に出てバッグを腹のまえに抱えながら行っていると、突如として空間に白光が二、三度、つよく震えながら走った瞬間があり、雷だ、めちゃくちゃあかるい、いままで見たことがないくらいだった、とおもっていると、かなり近い距離で轟音が響き、なにかが落ちたというよりも山の火口が爆発してなにかが噴き出したかのような巨大な砲音だったのだが、そのあとすこし響きがのたうちまわるようにうなりながらとどまっていて、英語で雷にたいしてrollの語がつかわれるのが実感的に理解できた。すぐちかくの山か丘あたりに落ちたのではないか。馬鹿でかい音だったので、こうして家まですこしのところをあるいているこのあいだに雷に撃たれて死ぬということも可能性としてないとはいえない、などとおもいながら残りをすすんだ。
その他ニュースやミシェル・ド・セルトーの記述はしたに。セルトーの文はあいかわらずよく書き抜きしていて、おもしろいものもいろいろある。
一一時二〇分くらいに寝床を立った。合蹠しておき、立ち上がってからも屈伸や背伸びなどしばらく。そうして水をもう一杯飲みつつパソコンをつける。電源を入れるとログイン画面はまいどランダムに世界の風景みたいな画像がうつしだされて、きょうはそれが丈の短い緑草がふさふさとひろがったなかに小川がながれ、その向こうに風車や家々がみえるといういかにもオランダ的な光景で、まさしくハーグ派とかバルビゾン派とか、あるいはコンスタブルみたいなあのへんの風景画で描かれているような風景だなとおもった。コンスタブルの絵はちょっとなまで見てみたいのだが。意外となんかへんなところというか、尋常さにおさまらないところがあるのではないかという気がしているのだけれど。なぜそうおもうのかまったくわからないが。
そうして瞑想。はじまりの時間をみるのをわすれたというか、見たような気もするのだが即座にわすれた。終えたのは一二時七分。れいによって足がしびれてきたので。たぶん二〇分くらいだっただろう。感触はわるくない。からだの内がわりとなめらかである。足のしびれがなくなると食事の支度。キャベツは半玉をつかいきってもう半分に手を出し、その他野菜はもう大根とタマネギしかない。したがってそれらと豆腐を合わせてサラダにし、シーザーサラダドレッシングをかけるとともにハムを三枚乗せる。いっぽうで冷凍のハンバーグと唐揚げを木製皿に入れて加熱。まな板などをさきに洗ってしまいつつ、洗濯もはじめる。洗濯物はすくないが、あしたは勤務だしもう洗ってしまうことにした。水を溜めているあいだは席についてサラダを食いはじめる。また國分功一郎の動画でもみるかとおもって、〈映像による哲学の試み〉というやつの第三回を視聴した。まもなく水が溜まるので席を立って洗剤を入れ、洗濯機をまわしたそのあとも、肉を取ったりパック米をあたためたりするからたびたび動画を一時停止してイヤフォンをはずし、立ち上がることになる。第三回の動画はドゥルーズの『ザッヘル・マゾッホ紹介』からひじょうにこころに留めてきた一節があるのできょうはそれを紹介するということで、フランス語で読まれたのは、超越論的探究の特性、もしくは固有の性質(英語でいうところのpropertyだろう)とは、やめたいとおもったときにそれをやめられないということである、ということばだった。じぶんの身に照らしてよくわかるはなしだった。超越論的(英語でいうとtranscendental)とはカントの用語で、にんげんには限界を超えようとしてしまう傾向があるがそのにんげんの認識とかに課された限界とはどのようなものなのか、にんげんの認識がそこで成り立つ条件を探究するというような意味であり、國分功一郎によればカント以後このことばは「哲学」とほぼ同義とみなしてよいものだと。ドゥルーズもとりわけそうかんがえていたとおもうとのことで、カントいぜんと以後ではそこがおおきく違う、プラトンとかスピノザとかにはそういうところはない、カントによって哲学といういとなみがそのように変えられたあと、その圏域がいまにいたるまでまだずっとつづいており、ドゥルーズはしたがってカントはじぶんの敵だと言っていた、ただそう言いながらも『カントの批判哲学』という本を書いており、しかもけっこう気に入っているとか言っている、敵というのはだからわれわれがまだカントによって変革された思考の枠組みのなかにとどまっており、その乗り越えをかんがえざるをえないという意味だろうとおもう、この点はおおくの哲学研究者が同意してくれるとおもう、ということで、そこを乗り越えようとしたさいきんの動向のひとつが、ぜんぜんよく知らないがカンタン・メイヤスーなのだろう。カントによって確立された相関主義、つまりにんげんの認識や思考と世界の様態とは相関しており、われわれが理解したり認知したりできるのはふたつながら組み合わさっているその相関性だけで、いわゆる物自体にいたることはできない、というかんがえかた(それって現象学ってことでよいのか? 現象学というのがなんなのかをいまだに理解していないのだが)をメイヤスーは批判したということだけは聞きおよんでいる。その内実については知らない。思弁的実在論というわけなので、なんか思弁によって論理をつみかさねていくことで世界の内実、実在がどういうものなのか一抹いたることができる、ということなのだろうが。ドゥルーズのことばにもどると哲学というのはそういうもので、ものごとのこたえとなるようななんらかの原理を見出しはするし、それも大事なことなのだが、ただ原理を見出したからといってそこで止まるものではなく、まだつづいてしまうのだと。それはしかしこたえがないということともちがって、こたえがないという言明はそれじたいがひとつのこたえであり、いかにも安住的な思考停止であって、こたえがないとひとが表明するときにじっさいに言っているのはじぶんはもうこれいじょうかんがえたくないという意味であると。かんがえたくないのはしょうがない、それはそれでよいのだけれど、ただ哲学といういとなみじたいは個々人のそういう停止や消耗を意に介さず、だからにんげんによっておこなわれることなのだけれどにんげんから独立したものでもあり、独立的に勝手に駆動していって止まることのないそのうごきにどうしてか巻きこまれてしまったひとびとが、そのうごきによってかんがえさせられたことを書き記している、そういうものだとおもう、ドゥルーズはまさしくそうだった、ドゥルーズのうえのようなことばを読みながら、ドゥルーズじしんにそのことをつよく感じる、あとハイデガーなんかにもそれを感じる、とそんなようなはなし。やめたいとおもったときにやめられないというのは、もちろんとてもよくわかるわけである。べつにじぶんの日々の書きものは哲学でもないし超越論的探究でもないし文学でもないし作品でもないが。ただ、行けるところまで行くみたいな、ともかく限界をめざすみたいなことは文を書くにんげんだいたいみんなあるわけで、それはもちろん文を書くことにかぎらないが、その限界の条件を概念をもちいて距離を置きながら考察しようというのではないけれど(自己反省というかたちでそういうこともおおいにふくまれはするが)、行けるところまで行こうとするその実践のなかに必然的にそういう探索のうごきははらまれあらわれるはずで、そういう意味ではこういう日記だって、にんげん一般ではなくてひとつの個人的レベルにおける超越論的探究といえないこともない。で、じぶんはこんなものはほんとうにやめたいとおもったらいつだってやめられる、いつだって捨てられると去年いらいさいきんにいたるまでうそぶいてきたが、じっさいやはりそうでもないのかもしれない。やめられるやめられるというのもそのじつ要はじぶんにたいして、やめてもいいのだと言い聞かせようとしている、ということだとおもうし。へんなはなし、これをつづけてもなんにもならないし……というよりは、いまさらやめてもなんにもならないし……という感じのほうがつよい。
國分功一郎の動画は第二回も先日見ており、しかし内容を記しておくのはわすれたしそう詳しく書こうともおもわないが、そこではサド=アイロニー、マゾッホ=ユーモアというドゥルーズの説がいくらか解説されていて、それによればアイロニーというのは自我を統制しようとする超自我が過剰につよくなっている状態なのだという。超自我というのは自我にたいしてこういうふうにしなさいと命令するもので、ドゥルーズおよび國分功一郎のはなしの文脈は法にたいする二種類の姿勢というものなのだが、つまりサドのほうは自我をガチガチにしばって法を破壊しなければならない、乗り越えなければならないと命令し駆り立てるものだと。これはある意味かなりわかりやすい主体性のモデルであり、われわれがいだくサドのイメージとも一致するが、それにたいしてユーモアというのは、國分功一郎がいうには、超自我が自我にたいして、そのことはそんなにたいしたことじゃないよ? とちょっと言ってくれるようなものであり、法にしたがうことによってかえってその法の裏をかき、出し抜いて無効化してしまうようなありかただと。だからいかにもロラン・バルト的、もしくは現代思想的な概念だろうが、サド=イロニーが法を乗り越える高みをめざして上昇するのにたいし、マゾッホ=ユーモアは法にしたがって生まれてくる帰結に下降し、そこでなにかのすり抜けかたを見つけてしまうようなものだということで、(……)さんの『双生』に書きこまれていた理屈はそういうことだろう。
食事を終え、動画も見終えると皿を洗ったり洗濯物を干したり。ちょうどよく薄陽が出てレースのカーテンがあかるんでいた。しかし二時半現在また曇り気味のいろになっており、とはいえ窓辺に行って空をのぞいてみると、太陽は雲にとらえられながらもすがたはあきらかで、周辺に色あせた質感ではあるけれど水色も塗られている。きょうのことをさっそく書き出し、ここまで。きょうはもともときのうから兄夫婦が子どもを連れて来ているということで実家に行くことになっていたのだが、日記も書きたいし、(……)くんの訳文添削のしごともあるし、やっぱりやめようかなとおもっている。ただ、家賃の口座振替申込書が印鑑ちがいで先日かえって来ており、九月八日までに再提出しなければならないので、古いほうの印鑑を取りにいかなければならず、あさって火曜日にそうしようかなとはおもっている。送られてきたSMSから手続きしようとしたのだけれど、ゆうちょ銀行の口座に登録されている番号が実家のもので、それを変えなければならず、そのためには郵便局に行かねばならずと、郵便局はあるいて五分もしないところにあるしむしろそちらのほうが楽なのかもしれないが、なんかめんどうくさくてやる気にならない。髪もいいかげんうっとうしいので切りたい。九月一日に散歩したときに(……)駅のそばの裏路地で、ビルの二階に「(……)」というメンズヘアサロンの看板を発見し、こじんまりしてるしなんかここよさそうとおもったのだけれど、帰ってから検索するとカットとシャンプーで七〇〇〇円くらいしてさすがにそんなにかけていられない。完全予約制で個室でたぶんひとりずつマンツーマンでやるみたいな感じのようなので、値段をのぞけばよさそうなのだけれど。しかしそんな店に行くほど髪の毛にこだわりもないのだが。やはり(……)駅前の床屋にひとまず行くしかないか。
さきほど歯をみがいたときにTower Recordsのジャズのページを見たら、さくねん結成四〇年をむかえたYellowjacketsが新作を発表したとかで、Yellowjacketsなどほぼ聞いたことがないし、どちらかといえばフュージョンよりも純ジャズのほうが好きなにんげんなのだけれど、ちょっと聞いてみたくなった。Bob MintzerやRussell Ferrante、もう七〇代ですって。ところでページの左端には予約ランキングというものが縦にならんでいて、Makaya McCravenとかあってあーこのひともなんだかんだまだ聞いたことないやとおもうのだけれど、その一位になっているのがMuses『Muses』というアルバムで、ちいさくうつっている画像をみるに、え? Angraじゃないんですか? ネオクラシカルメタルの作品では? というアートワークで、かんぜんにAngraか北欧あたりのネオクラのジャケットなのでわかるひとは見てみてほしい。作品ページを見てみると、日本の女性フュージョングループらしい。
*
そのあと立って背伸びなどして、そのあいまに母親にきょうはやっぱり行くのをやめるというメッセージを送っておいた。兄貴たちによろしく言っておいてくれとつたえ、あさっての火曜日に古い印鑑を取りに行こうとおもうということもつたえておく。そうしてともかく九月一日のことをさっさと終わらせようととりかかり、仕上げると三時半くらいだったのではないか。疲れたので投稿はあとにして寝床でいったん休憩。ジョン・フォード論が出たのは七月と奥付に書いてあったよなと検索してみると、入江哲朗による蓮實重彦へのインタビュー記事が出てきたのでそれを読んだ。「蓮實重彦、『ジョン・フォード論』を語る【前編】──“愚かにも半世紀近い時間をかけて、あまり緻密ではない老人がなんとか辿り着きました”」(2022/8/1)(https://www.gqjapan.jp/culture/article/20220801-shiguehiko-hasumi-intv-1)と、「蓮實重彦、『ジョン・フォード論』を語る【後編】──“この本は、青山真治へのラヴレターのようなものでもあります”」(2022/8/2)(https://www.gqjapan.jp/culture/article/20220802-shiguehiko-hasumi-intv-2)。興味深かったのは以下の点。
──映画監督ジャン゠マリー・ストローブを感動させたこのラストシーンに、研究者たちはしばしば「ブレヒト的」という形容詞を当てはめてきました。しかし、『ジョン・フォード論』の序章は、「ブレヒト的」という抽象的な概念に安住しようとした者たちがどれほど多くのものを見逃してきたかを、『アパッチ砦』のラストシーンの具体的な分析によって明らかにしてゆきます。とりわけ重要だと思われたのは、記者会見のシーンだけを見ていたのでは十分な分析はできないと蓮實さんがおっしゃっていたことです。
蓮實:わたくしは『ジョン・フォード論』の序章「フォードを論じるために」にこう記しました。「映画を論じるにあたって重要なのは、あるシークェンスを語ろうとするとき、それを構成しているあらゆるショットが、それに先だつ、あるいはそれよりもあとに姿を見せるしかるべき視覚的な要素との間に、必然的かつ想定外の響応関係を成立せしめているか否かを見極めることにある」(21頁)。
『アパッチ砦』のラストシーンに関して言えば、直前のショットと記者会見のシーンとのあいだに数年の時間が流れていると思われますから、ふつうの監督なら「○○年後」みたいな説明を書きくわえたショットを挿入しそうであるのに、ジョン・フォードはそうしない。そうしないことによって、『ジョン・フォード論』で論じたように、記者会見に先だつショット、すなわちサーズデー中佐らから奪った連隊旗を酋長コーチーズが無言で地面に立てるところを捉えた砂塵の巻きあがるロングショットと、記者会見のシーンとのあいだの響応関係が際だつわけです。
さらに言えば、これは『ジョン・フォード論』にはっきりとは書かなかったことですが、サーズデー中佐の最期を捉えたショット、すなわち迫りくる敵の集団を迎え撃つヘンリー・フォンダの勇姿……。
──『ジョン・フォード論』の序章の扉(7頁)にある画像を含むショットですね。
蓮實:そう、あの光景を、ジョン・ウエインもまた見ていたのではないか、という気さえしてくる。もちろん、そのときジョン・ウエイン演じるヨーク大尉は後方にいて、戦いを望遠鏡でむなしく見守っていたのですから、ヘンリー・フォンダがインディアンを迎え撃って戦死するというショットをジョン・ウエインが見ていたということは物語的にはありえません。しかしながら、あたかもジョン・ウエインがそれを見ていたかのように記者会見のシーンは推移しているのではないか。記者会見中にジョン・ウエインは、まさしくあのショットを脳裡に浮かべながらサーズデー中佐の威厳を想起しているのではないか。これはいささかこじつけのようでもありますが、こうしたありえないはずの響応関係を感じとる視点も、映画にはあっていいはずだとわたくしは考えております。
──いまのお話を伺って、『ショットとは何か』での、ショットの「穏やかな厳密さ」に関する議論を思い出しました。たとえば、『アパッチ砦』の記者会見のシーンがいくつのショットから成るかとか、それぞれのショットが何秒間持続するかといったことは「厳密」に計測できます。にもかかわらず、記者会見のシーンを構成するショットを「厳密」な計測によって取り出すだけでは十分な分析はできない。なぜならショットは「穏やかな」ものでもあるからで、それはつまり、「厳密」な単位に収まりきらずに別のショットへ浸透してしまうこともしばしば起こるからだということですよね。私としてはこれを、ショットは「フリンジ」(fringe)を持つ、あるいは「辺縁」を持つとも言い換えたくなってしまうのですが、いかがでしょうか。
蓮實:「辺縁」というよりはむしろ、ショットには不可視の「魂」のようなものが込められているということです。ショットは、何か魂のような見えないものをとおして別のショットと繫がることがある。こうした魂による繫がりは誰にも否定しえないけれども、にもかかわらず、ほとんどの人はそれを見ておりません。
──なるほど。『ジョン・フォード論』の第5章にある重要な一節が、ショットの「魂」とも関わっているように思われます。そこで蓮實さんは、『駅馬車』(1939)に関するある研究者の議論に、「映画では可視的なイメージだけが意味を持つと高を括り、不可視の説話論的な構造へと思考を向けまいとする者の視界の単純化」が「みじめなまでに露呈」されていると述べていらっしゃいます(302頁)。いましがた蓮實さんがおっしゃった「魂による繫がり」は、「可視的なイメージだけ」を見ていては感じとれないものですよね。
蓮實:はい。いま引用していただいた箇所でわたくしが述べていたように、「可視的なイメージ」と「不可視の説話論的な構造」との双方へ同時に注意を向けるということが、映画を見るうえでは重要な作業となってきます。これは至難の業ではありますが、そうしないと映画を見たことになりません。
──蓮實さんの映画批評に関してはときおり、「可視的なイメージだけ」をひたすら見ることがその特徴だと語られることがありますが、それが誤りであることが、いま蓮實さんご自身の言葉によっても確かめられたかと思います。
これまでずっと表層だの、まずは見えるものを見るべきだだの、いま目のまえに見えているものをそこに見えていないものへと還元してはならない、みたいな姿勢を取ってきた蓮實重彦が、「ショットには不可視の「魂」のようなものが込められている」、「ショットは、何か魂のような見えないものをとおして別のショットと繫がることがある」と、不用意ともおもえるようなことばを吐いているわけである(もっとも「魂」ということばじたいは、「魂の唯物論的な擁護」というフレーズで九〇年代あたりからつかっていたが)。ただ蓮實重彦が批判した、目のまえに見えているものを見えていないものへと還元するおこないというのは、要するに作品内のことがらを作品外のことがらに回収したうえでなされる「解釈」であり、そのような解釈によってこそだれもが紋切型のまずしさにおちいってしまい、作品じたいにそなわっているはずの具体性を見過ごし捨象してやまないという状況があったわけだし、いまもわりとあるわけだ。ここで「不可視」とされているのは「不可視の説話論的な構造」ともいわれているようにそれとはちょっとちがっていて、あくまでも作品内の要素の作品内におけるつながりのことだろう。だから「魂」などといういかにも抽象的なことばでいわれているけれど、それはいわばあるひとつの要素がはらんでいる意味論的なひろがり、余白の気配といったもののことを言っているはずである。そうはいうもののしかし、ジョン・ウエインについて語っている部分は蓮實重彦にあってはだいぶ意外というか、これはいわば印象批評、かれじしんの想像のたぐいじゃないかとおもうものだ。だからこそ「これは『ジョン・フォード論』にはっきりとは書かなかったことですが」といわれ、「あの光景を、ジョン・ウエインもまた見ていたのではないか、という気さえしてくる」と主観的ないいかたがなされており、じぶんはもちろんこのシーンの消息をじっさいに目にしてもいないし蓮實重彦の著作本文を読んでもいないので詳しいことはわからないものの、それは「物語的にはありえません」と断言され、「いささかこじつけのようでもありますが」と留保を置かれてもいる。とはいえおそらくは、「ありえません」のまえに付された「物語的には」ということばが重要なのだとおもわれる。つまり、説話内容のレベルではありえないことでも、「不可視の説話論的構造」を感じ取り、分析した結果として、それをベースにしながら浮かび上がってくる印象というものがあるわけで、これは「物語的には」「ありえないはずの響応関係」なのだけれど、「「可視的なイメージ」と「不可視の説話論的な構造」との双方へ同時に注意を向ける」映画体験においてはおおいに生まれうるものだということではないか。そこで、「こうしたありえないはずの響応関係を感じとる視点も、映画にはあっていいはずだ」と言われるとき、では「小説」や「文学」においてはどうなのか、という疑問が生じてくるわけだけれど、むしろ蓮實重彦がたとえば『「私小説」を読む』とかでやっていたのはまさしくそういうことだったのではないか。
もうひとつ、したではテマティークについての簡易な説明。
蓮實:「主題」というものがどこから来たかというと、ガストン・バシュラールからです。たとえば彼の『水と夢』(1942)という試論は、「水」という主題を扱っています。そして、バシュラールがテマティック(主題論的)な批評の大本にいるとすれば、それを精緻化したのがジャン゠ピエール・リシャールだというのが、わたくしの見たてです。
リシャールは、主題が孕んでいる、ほかのものに対する漠たる色気のようなものを掬い上げました。さきほどあなたがおっしゃった「フリンジ」とも近い、ほかのものへと伸びる触手のようなものです。わたくしは、そうした触手のようなものを持つ意義深い細部にことのほか惹かれるのであり、触手を持たないひとつのイメージには、それがどれほど見事な構図におさまっていようと、興味がありません。たとえば、ジョン・フォードのある作品における「投げる」という身振りが、フォードのほかの作品における「投げる」ことへと触手を伸ばしている。さらに、今度は白いエプロンがほかのものへと触手を伸ばしている。このように触手に導かれながら、いましがた申し上げた「魂による繫がり」をわたくしは見ているということです。
「わたくしは、そうした触手のようなものを持つ意義深い細部にことのほか惹かれるのであり、触手を持たないひとつのイメージには、それがどれほど見事な構図におさまっていようと、興味がありません」という点からするに、蓮實重彦にいだかれているとおもわれる細部偏愛というイメージもいくらかちがうのだろうと。あくまで体系的な構造のなかに組み込めるか、すくなくともそのような気配をおぼえさせる点において細部に惹かれるのであって、たんにフェティシズム的な、ほかとの関連から切り離されたものとしての見事なイメージを愛するわけではないと。ただここでおもうのは、そういうフェティシズム的な(ということばでよいのかわからないが)、ほかとの関連を問わず、なんかよくわからんけどこことにかくやばくない? すごいよね、いいよね、みたいなことはじっさいにあるわけで、蓮實重彦がそれを感じていないなどということはありえないはずである。そのばあい、「なんかよくわからんけど」のなかに「魂による繋がり」の気配がふくまれているということなのか、わからんが、体系化されうる細部にたいする感受の裏面として、それらとの関係で、体系化することのできない細部の切断性というものもとうぜん浮かび上がってくるはずで、フェティシズム的な、独立完結的な偏愛があるとしても、あくまで体系感覚を踏まえたうえでのものだということになるかもしれない。
その他後編には以下の言。やっぱそうなんだ、という感じ。
──ジョン・フォードの作品からいくつもの主題論的な統一を読みとるにあたって、蓮實さんはたとえば映画を見ながらメモをお取りになるのですか。
蓮實:メモは絶対に取りません。
──「あの作品のあの場面にあの主題が現れていたはず」という記憶を確かめるさいに、その場面だけをDVDで再生するといったこともなさらないのですか。
蓮實:しません。そういう場合も、必ず最初から最後まで見てしまいます。ですから、ものすごく時間がかかる。問題の場面だけを見て済ませたいという誘惑に駆られることがないわけではありませんが、それは作品への冒瀆だという思いも生じ、結局いつも全部見ることになってしまいます。
起き上がると四時半くらい。水を飲んでから瞑想。さくねんの日記を読むとだいたい起床時と出勤前の二回瞑想しているし、もっとやる日は帰宅後とかもやっているし、やっぱりいちにち二回か三回くらいは座ってもよいのではとおもったのだ。じっと座ればともあれ心身はやわらいできもちもおちつくし、あまり気負うことなくやることをやれるようになるかもしれない。あと、パニック障害をつねにうちにかかえているじぶんにとっては、やっぱり心身の緊張をほぐすということが最重要なのではないかという気もする。そして、ただじっと座っているとふしぎなことに体内はほぐれて風通しがよいようになってくる。これは深呼吸によっては得られないものである。呼吸法やそのたぐいのストレッチではからだはおおいに伸びるけれどそれはたんに伸縮性が高まるのであって、緊張がとけるとはかぎらないし、からだがほぐれて気体にちかくなったりはなかなかしない。座りはじめの時間をまたわすれたが、終えたのは五時九分だった。たぶん二五分くらいだったのではないか。それから寝床にうつってストレッチに時間をついやしてしまい、あっという間に五時三五分になって世界は暮れ時、筆洗のなかで混ぜ合わされて濁った淡緑みたいな薄暗さに部屋がつつまれているので明かりをともし、腹が空なので冷凍の小型肉まんふたつとヨーグルトを食べた。そのあいだは(……)さんのブログを読む。八月三一日。『草枕』の以下の記述が、こりゃいいなとおもった。
眼の届く所はさまで深そうにもない。底には細長い水草が、往生して沈んでいる。余は往生と云うよりほかに形容すべき言葉を知らぬ。岡の薄(すすき)なら靡く事を知っている。藻の草ならば誘う波の情けを待つ。百年待っても動きそうもない、水の底に沈められたこの水草は、動くべきすべての姿勢を調えて、朝な夕なに、弄(なぶ)らるる期を、待ち暮らし、待ち明かし、幾代(いくよ)の思(おもい)を茎(くき)の先に籠(こ)めながら、今に至るまでついに動き得ずに、また死に切れずに、生きているらしい。
余は立ち上がって、草の中から、手頃の石を二つ拾って来る。功徳になると思ったから、眼の先へ、一つ抛(ほう)り込んでやる。ぶくぶくと泡が二つ浮いて、すぐ消えた。すぐ消えた、すぐ消えたと、余は心のうちで繰り返す。すかして見ると、三茎(みくき)ほどの長い髪が、慵(ものうげ)に揺れかかっている。見つかってはと云わぬばかりに、濁った水が底の方から隠しに来る。南無阿弥陀仏。
(夏目漱石「草枕」)
こりゃいいなとおもったのはぜんたいてきな内容もあるが、とくに、「岡の薄(すすき)なら靡く事を知っている。藻の草ならば誘う波の情けを待つ。百年待っても動きそうもない、水の底に沈められたこの水草は(……)」の推移で、つまりここを読むに、こちらだったらぜったい「百年待っても」のまえに逆接の接続語を入れてしまうな、とおもったのだ。読みながらあたまのなかでもう勝手にことばが出てきていたし。しかし夏目漱石はここにわざわざつなぎをはさんでみせはせず、くわえて「岡の薄なら」「藻の草ならば」とみじかい主語をあたまに据えた文の連続で来ていたそのあとに、「百年待っても動きそうもない、」という読点つきの修飾句からはじまる文をあえて置き、すると接続語の欠如ともあいまってなにかこの部分が一瞬宙に浮くような感覚が生じたのだ。じぶんの文章にはぜったいに生まれえないリズムだとおもう。こちらはかなりきちんと形態化してしまうタイプだとおもうし、接続語もどんどんはさむ。夏目漱石は作品ごとでもかなり違うのだろうけれど、リズム的にやはりへんだったり、いまだとこんなふうには書けないよなというところがおおいにあるとおもわれ、とりわけあの軽妙さというのは、接続語をあまりつかわないという点にももしかして根ざすところがあるのだろうか? 夏目漱石がここ以外でも文頭の接続詞をあまりつかわないのか否かわからないが、なんとなくそんな気がする。そして明治大正あたりの日本近代文学の作家たちってもしかしてけっこうみんなそうなのかもしれないという気もなんとなくされ、それは誤解で夏目漱石に特有のことなのかもしれないけれど、しかしもし近代文学初期の連中がわりとそうなのだとしたら、そこから文体的・リズム的に学ぶことはおおいにあるよなとおもう。夏目漱石の感じにかんしては、ありがちなはなしだけれど、やはり江戸文学とか落語とかの文化的下地がまだまだのこっていた世代ということになるのだろうか? あとこれもよくいわれるはなしだとおもうけれど、樋口一葉の文章を近代以降の日本語はおそらくじゅうぶんに受け止めきれていないはずである。そうかといって二葉亭四迷だって、けっこうへんなところがあるんじゃないかとおもうが。『浮雲』しか読んだことないが。
そのあとここまで記せば七時過ぎ。九月二日のことをなんとかやっつけで仕舞えてしまいたい。きのうのことも散歩中のことが書けたし、あとはたいした記憶もないしよいだろう。そうしてほかには(……)くんの訳文添削をおこなえれば、きょうなすべきことはおわる。あとで九時くらいになったらあるきに出るついでにスーパーかストアかで野菜か冷凍のパスタあたりでも買っておきたい。
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九時過ぎくらいに外出した。雨が降り出していたのでビニール傘をもつ。いくらか散歩してから帰りにスーパーに寄ってたしょうものを買うことに。アパートを出ると左へ。公園にセミの声はもちろんもうなく、それにかわってコオロギなどの秋虫どもがリンリンと声を高めてあたりに響かせ、右折して細道にはいってもそれが背後からながくついてくる。雨降りのためにアスファルトの路面は微小なおうとつに水が街灯をそれぞれ分け持って、歩につれてあいまいな微光点がじりじりじらじらとうごめきうねる。道を渡って再度左折するとさらに南に向かい、コンビニの角でまた西方面にからだが向いた。車道沿いを行くことになる。歩道のきわには白い棒をとおした柵がもうけられており、したを見ながらあるいているとちょっと渡りがさしはさまったとき、その端から黄色っぽい色がだんだんともれてひろがってくるのはまえから来た車のライトであり、柵や歩道によってかたどられながらもおしとどめられない水のようにゆっくりとしたうごきであふれでてきたそのつぎ、歩道に乗って行けばべつの車のライトがこんどは柵のすきまをとおってかかり、細長いひかり、というよりは細長い影が何本も路上に映りだすとともに車がまえから来て過ぎていくにつれてひかりと影でセットになったその格子棒が横手に向かって回転をはらみながらおおきくひろがりながれていって、あざやかな色はないけれど素材不足の万華鏡を一部分のぞいたようなうごきだった。前方の交差点で停まっている車のライトは濡れた空気と路面にあかるく、反映によって増幅されているからエネルギー波のように厚みがあって、横断歩道の信号も健康にわるそうなかき氷のシロップめいた青緑を道路に投げかけ混ぜこんでいるが、信号が変わったからといってそれはなくならずただ一挙に赤さにうつるばかりで、ひかりが反射にしろ輪郭にしろおのれの領分を超えて世界ににじみだす過剰さを誇るのが雨の夜だった。踏切りをわたってそのまままっすぐ進む。空き地にかかってひらく空を見るに雨夜のわりに色は濃くなく、全面を覆っている雲は暗まず、闇の色をしておらず暗夜には遠い。
病院や文化施設のまえを過ぎて交通量の多い交差点にいたった。右に曲がろうと角を出たところでそちらから来た自転車に出会ったので歩を停めて身を引き、曲がりながらうしろを向けば背後からも二台来るので脇に寄って止まりながらゆずり、そうしてすすむと焼肉屋の横のベンチに男があおむけで寝ているのにさいしょは気づかず、気配を感じ取れないままにちかくなって認知したのでちょっとびくっとからだをうごかしてしまった。まもなくまた右折してさきほど来た道の裏手にあたるほうをもどる。家を出たころ雨はしとしとと、あからさまな打音を立てずに染み入るような降り方だったが、このころにはもうだいぶ弱くなっており、傘をおろしてもいいがそうすると顔や腕にぴたぴたあたってくるものはまだすこしは冷たくてわずらわしいという微妙なあんばいである。とりあえず差しながら行き、病院の裏手で先日の白い花をのぞき、蕊がやはり分かれていないのでこれはムクゲだなと確定させた。背後からは女性の声が聞こえていた。ひとりがおおきな声でいまのバイトはつなぎだからどうこう、もっといいところではたらきたいうんぬんとか愚痴めいたことを言っているのに、応じる声が聞こえなかったので電話しながらあるいているのだろうかとおもっていたところが、こちらの足の遅さのためにだんだんと声がちかづいてくると、どうやらもうひとり同行がいるらしいなと判ぜられて、駅そばの踏切りまで来て止まったところで追い抜かされたあいてをみれば、ワンピースめいたかっこうをしてわりと若く、たぶん大学生くらいだろうという女性ふたりだった。過ぎていく電車も濡れているために反映力があがっているらしく、踏切りの赤灯や待っているわれわれの影を車体側面につかの間うっすらうつしてそこにつくりあげたあと、払い捨てて去っていく。渡ると左折し、駅前からまっすぐな細道を行ってスーパーに寄った。買い物中のことは特別つよくおぼえてはいない。野菜はリーフレタスとトマトを買った。トイレットペーパーもストックがあとひとつになっているので買っておいたほうがよいのだけれど、このときは断念。
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スーパーのレジはなんどか担当してもらったことのある年嵩の女性があいてだったのだけれど、(……)のポイントカードは、とさいしょに聞かれたときに、いや、と手を振りながら、大丈夫ですとこたえたのと、品物の読み込みが終わって値段がつたえられ、籠がレジ台端のセルフ会計機械の脇に置かれたときに、はい、ありがとうございますとこたえたこの二回、あとでおもいあたったのだけれど、この二回のみがこの日こちらがじっさいに喉をふるわせて声を発した機会だったのだ。すこしおどろきを感じないでもなかった。いちにち家に籠った日などは、だからひとことも実声を発していないはずだが、いままでそのことを意識することがなかった。ひとりでいてもほんとうにほぼずっとあたまのなかでひとりごとを言いつづけているような感じなので、あまり喋っていないという感じもしないのかもしれない。
いまもう九月八日の午前零時一六分なのでこの帰路のことはよくもおぼえていないが、あるきながらとちゅうでFISHMANSの"忘れちゃうひととき"があたまにながれて、あれはいい曲だよなあとおもった。全篇良いが、「ずっと前に見たような木の茂ってるB級映画のようさ」というフレーズが好きだ(ちなみにFISHMANSはファーストアルバムのさいしょの曲である"ひっくりかえってた2人"でも、ある晴れた夏の日にくだらない映画を見て笑いころげてた、と歌っている)。じぶんはまさしくああいう忘れちゃうひとときのことを書きたいのだろう。しかしそれはほんらいわすれるにまかせるべきもので、記録するようなものではないのではないかという疑問もあるが。ところでFISHMANSがうたっていたような時間とはべつだけれど、晩年の古井由吉もそういうわすれてしまうような、記憶にのこらないような平常の時をひとつには書きたかったのだとおもう。おもうというか、ほんにんがどこかでそんなようなことを言っていた。又吉直樹かだれかとの対談だったかもしれない。にんげんがふだん部屋のなかにいてなんでもないようなことをやっていて、なにをやっていたのかそれはあとにものこらない、そういう時間のことをね、書きたいとおもってますね、とかなんとか。じっさい、『ゆらぐ玉の緒』あたりではけっこうそういう感じの篇もあったとおもう。それはともかくFISHMANSの歌をあたまに再生しつつあるいていき、裏路地をとおって公園の前、アパートのある道にいたったあたりでいつもながら、夜道をこうしてひとりでしずかにあるいているときほどじぶんの存在が孤であり個であるときわだつ時間はないな、とおもった。自由と解放と安息の行為、それが夜の歩行だ。瞑想もおなじく自由と解放と安息のおこないだとはおもうものの、しょせんはながれるもののない部屋のなかでおこなわれるものにすぎない。大気に触れてひとの心身はひろくなる。とりわけどこかに向かう往路ではなく帰ってくる道のほうが自由と解放のおもむきがつよいというのもたびたび書いてきたところだが、佐藤伸治もまた"帰り道"という曲をつくっているわけである。「帰り道の さみしさの そのわけを 教えてよ」とうたわれているこの「さみしさ」が、じぶんのいうところの孤であり個である感覚なのではないか。じぶんはそれを「さみしさ」という情緒としてはまったく感じない。ただ自由と解放、それに尽きる。それはにんげんの生活のなかでもっとも自由かつ解放されたひとときだ。"帰り道"では「行くときは時がつぶれてた」といわれ、「帰り道はずいぶん長い気がする」ともうたわれる。「時がつぶれてた」というのはだから、時間がみじかかった、道があっという間だったということではないか。じっさい、どこか向かう目的があるというだけでにんげんのこころは幾許かはそれにとらわれて、そちらに引きずられ、ときに焦ったり急かされたりする。そうでなくともなにか物思いの種があれば周囲のものものは目に耳にはいらず、たましいが身からはなれたようなあくがれの状態でいつの間にか道が過ぎているだろう。帰路にはなぜかふしぎと、そういったおもいの占領がなく、道の行く手に現在がぽっかりとひろがることが多くあるようだ。「帰り道はずいぶん長い気がする」というのはそういうことではないか。ふだん意識などされない実存というものが感知されるのはそういうときだ。生活のあわただしさのなかに突如ぽかんとひらいたその空隙は、だから、ひとによってはおそれや忌避感をすらおぼえさせるかもしれない。自己の存在と向き合うことに耐えられず、じぶんとともにあることのできない者は、本能的に危険を察知して、いそいでその空隙を埋めようとするだろう。だからこそみな、夜道を行きながらもスマートフォンを手からはなさない。なにもなさをおそれることが、現代の文明が総体として罹患している恐怖症だ。資本主義はその恐怖によって駆動されている。
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- 日記読み: 2021/9/3, Fri. / 2021/9/4, Sat.
2021/9/3, Fri.より。
アフガニスタン関連の記事を読む。駐留米軍の一員として警察養成などにはたらいたひとの言が載っていた。このひとは二〇〇一年九月一一日のテロの現場にも出動して、このような惨禍を引き起こした者には報復をしなければならないと憤り、みずから志願してアフガニスタンの駐留軍にくわわり、しばらくは米国がやっていることは価値のあることだと信じていたのだが(警察として雇われたアフガニスタン人はだいたいまずしい非識字層だったので、銃の構え方撃ち方からさまざまなことを手取り足取り丁寧におしえたという)、テロの犠牲者が増えるにつれて、米国の若者が本国から遠く離れた地でたたかい殺されることが本当に国益にかなうのだろうかという疑念が生じ、最後のほうでは駐留米軍の撤退を主張する活動にコミットしていたという。終局で混乱はあったものの、完全撤退じたいは正しい選択だったとおもっていると。同時テロ直後、ジョージ・W・ブッシュがアフガニスタン侵攻をはじめたあたりでは、この戦争はただしいと賛同する人間は世論調査で九割を占めていたといい、反対派は五パーセントとかせいぜいそのくらいしかおらず、一年後もほぼ同様だったらしいが、長引くにつれてだんだん反対派が増えていって、二〇一四年には四九パーセントをかぞえて一時賛成派の割合を越え、ここ数年は厭戦気分が支配的になっていたと。
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ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)より。
297~298: 「(1) 行為の舞台を創造すること [﹅12] 。物語はなによりもまず権威づけの機能を、あるいはより正確に言うなら、創生 [﹅2] の機能をそなえている。厳密に言えばこの機能は法的なもの、すなわち法律や判決にかかわるものではない。むしろそれはジョルジュ・デュメジルが分析した、印欧語の語根 dhē 「すえる」と、そこから派生したサンスクリット語(dhātu)とラテン語(fās)からきている。「聖なる掟(fās)は」、とデュメジルは書いている。「ま(end297)さに不可視の世界における神秘的な礎であり、これがなければ、iūs〔人間の法〕によって罰せられたり許されたりする行動、さらにひろくあらゆる人間的行動は、不確かで危ういもの、いや、破滅的なものになってしまう。fāsはiūsのように分析や決疑論の対象にはなりえない。この名詞は語尾変化もしなければ、それ以上細分化することもできない」」
298~299: 「「《西欧の創造》」は、みずからfāsにあたる固有の儀礼をつくりだし、ローマがこの儀礼を完成していったが、伝令僧(fētiāles)とよばれる司祭がもっぱらこの任にあたった。この儀礼は、宣戦布告、軍事的遠征、他国家との同盟といった、「他国とわたりあうローマのあらゆる行為のはじまるところ」に関与する。それは、遠心的にひろがってゆく三段階の歩みであって、第一段階は国内だが国境近く、第二段階は国境において、第三段階は外国という過程をふんでいった。儀礼的行為が、いかなる民事的ないし軍事的行為にも先立って遂行されたのであり、というのもその儀礼的行為の役割は、政治的活動や軍事的活動のために必要な領域を創造する [﹅7] ことだったからである。したがってそ(end298)れはまた、ものの反復(repetitio rerum)でもある。すなわち、原初の創生行為の再現 [﹅2] と反復でもあれば、新たな企てを正当化するための系譜の暗唱 [﹅2] と引用でもあり、戦闘や契約や征服にとりかかるにあたっての成功の予言 [﹅2] と約束でもあるのだ。実際の上演に先立っておこなわれる総稽古のように、身ぶりをともなう語りである儀礼が、歴史的な実現に先立つのである」
309~310: 「もし仮に違反的なものがみずから身をずらしながらしか存在せず、周縁にではなくコードの間隙に生きながらその裏をかき、それをずらしてゆくという特性をそなえており、状態 [﹅2] にたいして移動 [﹅2] を優先させるという特徴をそなえているとするなら、物語は違反的なものである。社会に違反するということは、物語を字義どおりうけとめること、社会がもはや個々人や集団にたいして象徴的な出口か静止した空間しかさしだそうとしないときに、この物語をそのものとして実存の原理にすること、もはや規律に従って中におさまるか非合法のはみだしかの二者択一しかなく、それゆえ監獄か外部への彷徨かの二つに一つしか(end309)ないとき、物語を実存の原理とすることであろう。逆に言えば、物語とは余地に生きつづける違反行為であり、みずから隅に身をひきながら存在する違反行為であって、伝統社会(古代、中世、等々)のなかでは、秩序と共存してきたものであった」
318~319: 「(2) こうした区別が、あるひとつの領域(たとえば言語 [ラング] )やあるシステム(たとえばエクリチュール)の確立と、そうして確立されたものの外部、または残りの部分(パロール、あるいはオラル)との関係としてあるかぎり、これら二項は、対等でもないし、比較することもできない。それらの一貫性からみてもそういえるし(一方を規定することは、他方を無規定にしておくことを前提にする)、それらの操作性からみてもそういえる(一方は(end318)生産的で支配的で分節化されており、他方を無力なもの、支配されたもの、そして不透明な抵抗という立場に追いやる)。つまりそれら二項を、記号が逆転すれば同一の機能をはたすものと措定することは不可能なのだ。二者のあいだの差異は質的なものであって、共通の尺度をもっていない」
2021/9/4, Sat.より。
2 前項の末尾にひいた引用 [『時間と他者』] にもどる。――レヴィナスは、まず「時間」は「孤立し単独な主体にかかわることがら」ではない、とかたりだしていた。時間がとりあえずはむしろ内面的で主観 [﹅] 的な現象としてとりだされることを前提とするかぎり、この断定は自明ではない。じっさい、アウグスティヌスに先だってアリストテレスもすでにまた、『自然学』にふくまれた時間論の末尾で、こころと時間の関係という問いを立てていた [註54] 。レヴィナスにちかいところでいえば、たとえばベルクソンの時間論はまさに、空間化さ(end170)れ客観化された時間にたいして、内的に体験される「純粋持続」を手繰りよせようとするこころみである。レヴィナス自身がたかく評価するように、それは「時計の時間の第一次性を破壊する [註55] 」作業であったのである。とすれば、時間をたんなる内面性に封じこめないために辿られる理路こそがむしろ問題となる。
他方ではこれにたいして、時間はそれじたい社会的に、あるいは共同的にかたちづくられる「観念」であり、「表象」であるとする立場がありうる。特定の共同体における生のかたちはたしかに、成員の時間のとらえかたにふかい影響をあたえうる。ひとはこの次元で、たとえば循環する時間について、一方向的に流れる時間について、あるいは単一な時間や、複数的で多形的な時間にかんして、そのなりたちと由来とを問題とすることもできるであろう [註56] 。――共同体がさまざまな時のかたちをさだめうるのは、そもそも時刻 [﹅] も時間 [﹅] も、ひととひとのあいだがら [﹅5] に根ざすものであるからである。ひとの生にあって公共的に反復されることがらが、たとえば起床・食事・就寝が、また種まき・草とり・収穫が、時の区切り目としてえらびだされ、時刻となり季節となる。ひとはまた、他者と出会うべき時までのあいだを測り、間 [﹅] がないといい、間 [﹅] に合わせるという。このような時のあいだ [﹅3] はそのまま一箇のひとのあいだ [﹅3] であって、時間はたしかに人間 [﹅] 関係によって「区切られ整序され」(前出)てゆく [註57] 。
レヴィナスにあっては、だが、「時間についてのわれわれの観念ではなく、時間それ(end171)自体が問題なのである」。時間それ自体とは、そしてレヴィナスによれば「主体と他者との関係そのもの」にほかならない(同)。時間にかんする「社会学的」な説明があやまりであるわけではない。時間そのものが他者との関係 [﹅2] の次元に根ざしていることこそが問題なのである。講演の論点をかんたんに辿っておこう。
〈私〉とその現在が、たんにある [﹅2] こと、匿名的にあることを切断する。たんにあることは〈私〉のなりたちとともにあるもの [﹅4] となる。レヴィナスのいうイポスターズとは、単純にいえば、ことのこのなりたちにかかわる消息にほかならない。単独なこの〈私〉とともに成立する現在は、しかしいまだ「時間の要素」ではない。現在とはここでは「自己から到来するなにものか」である [註58] 。過去とむすばれず、未来へとひらかれていない現在は、なお時をかたちづくってはいない。それは〈私〉がとりあえず端的な同一性、みずからのうちで鎖 [と] ざされた同一性であるからである。その意味で、時間は孤立し単独な主体 [﹅8] からは生成しない。
この同一性は、あるいは主体によるみずからの存在の支配は、しかしやがて破綻する。この破綻こそが、他なるもの [﹅5] の到来にほかならない。同一性を解れさせるものは、ひとつには私の死 [﹅3] である。死において私はもはや私の主人ではなく、生は私の手のなかで毀れてゆく。〈私〉はなんらか絶対的に〈他なるもの〉にたいして曝されているのである。
私が死ぬということは、「その存在そのものが他であること(altérité)であるような、(end172)なにものか」と、〈私〉が関係しているということである [註59] 。死とは「他性」そのものなのだ。――死は不可避的に到来する。死は、だがけっして現在には回収されない。死をいま [﹅2] 予感することは死ぬことそのものではない。死は、私がそこに居あわせる経験 [﹅2] ではありえない [註60] 。その意味で死は絶対的な未来である。現在と地つづきな未来、予期される未来ではなく、端的な未来 [﹅2] である。
そうであるとすれば、だがしかし、死はいまだ私に時間をもたらさない。私の死は断じて「現在との関係」に入ることがないからである。死という絶対的な未来は、ただ直面する他者を経由して私にかかわるはずである。だから、と講演でレヴィナスは説く。「未来との関係、現在における未来の現前は、他者との対面(le face-à-face avec autrui)のうちで実現するようにおもわれる。対面の状況が時間の現成そのものであろう [註61] 」。(註54): Cf. Aristoteles, *Physica*, 223a16-29.
(註55): E. Lévinas, *Éthique et Infini. Dialogues avec Philippe Nemo*, Fayard 1982, p. 17.
(註56): いわゆるモノクロニックな時間とポリクロニックな時間との差異のことである。簡単には、熊野純彦「理性とその他者――〈理性の外部〉をめぐる思考のために」(岩波講座『現代思想』第一四巻、一九九四年刊)一七〇頁以下参照。
(註57): たとえば、和辻哲郎の時間論がそのような洞察のうえに展開されている。ここでは、『和辻哲郎全集』第一〇巻(岩波書店、一九六二年刊)二〇〇頁以下参照。和辻時間論の問題点については、熊野純彦「人のあいだ、時のあいだ――和辻倫理学における「信頼」の問題を中心に」(佐藤康邦他編『甦る和辻哲郎』ナカニシヤ出版、一九九九年刊)参照。
(註58): E. Lévinas, *Le temps et l'autre* (1948), PUF 1983, p. 32 f.
(註59): *Ibid*., p. 63.
(註60): Cf. E. Lévinas, *La mort et le temps* (1991), L'Herne 1992, p. 21-24.
(註61): E. Lévinas, *Le temps et l'autre*, p. 68 f.(熊野純彦『レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、170~173; 第Ⅱ部 第一章「物語の時間/断絶する時間」)
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(……)新聞、一面は菅義偉の退陣をつたえている。きのうのテレビとか、インターネット上のニュースの見出しでは「辞任」ということばがつかわれていて、こちらもそれをそのままつかったが、いますぐ辞任するわけではなく総裁選には出ないということなので、「退陣」の意向、というほうがいくらか正確なのだろう。あんまり変わらんか? アフガニスタンと米国の記事を読んだ。タリバンは国境を管理していて、せっかく国境にたどりついてもカブールに追い返されるひとも多数いるようだ。カブールの国際空港は外国軍がいなくなったので完全にタリバンの管理下にあり、戦闘員が周囲を包囲しているから市民はちかづくことすらできない。となれば陸路での脱出が道となるが、そちらもとうぜんタリバンは防ごうとしているし、また周辺の隣国も難民の定着や不安定要素の流入をおそれて積極的な受け入れ姿勢をしめすとはかぎらない。事実、パキスタンは二箇所の検問所のうち一箇所を閉じたらしいし、二六〇〇キロだかにおよぶ国境の九〇パーセントの範囲にフェンスをもうけて密入国をきびしく取り締まっているという。まだ開いている一箇所の検問所にはひとが多数押しかけて圧死が起こる事態になっていると。イランのほうはいちおうまだひらいていて受け入れ姿勢を取っているようだが、それもいつどうなるかわからない。ドイツや英国はウズベキスタンやタジキスタンにはたらきかけて国境を閉じないよう要請しているようだ。米国の記事は連載で、二〇〇一年九月一一日のテロ以来、米国でムスリムが置かれた立場について。テロ以来、米国のムスリムは平等で対等な市民としてあつかわれなくなったというのが当事者の声で、それはいまもつづいており、ふだんとちがうモスクに行ったりすると捜査官が家に来て理由をたずねたりするのだという。FBIだか警察当局がモスクにスパイを潜入させたりということもおこなわれてきたようで、それが一定程度過激派の摘発につながったこともたぶん事実ではあるのだろうが。しかしひとりのムスリムに言わせればあたらしい世代に希望も見える、とのことで、たとえばドナルド・トランプがイスラーム圏の国からの渡航禁止を打ち出した際には宗教も人種も関係なく多くのひとびとが反対と連帯を表明したし、それは昨年の黒人差別への抗議運動も同様だと。テロ行為にはしるというのは、特定の宗教が原因ではないという見方もひろがってきているのではないか、とのこと。
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ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)より。
322~323: 「こうして書くという企ては、外から受けとるものをなかで変換させたり保存したりし、自己の内部で、外的空間を領有するための器具をつくりだす。それは、ものを分類してストックし、拡張のための手段をそなえつける。過去を蓄積する [﹅4] 能力と、世界の他性をみずからのモデルに適合させる [﹅5] 能力をかねそなえているこの企ては、資本主義的であり、征服的である。科学の仕事場も産業の仕事場も(まさしく産業はマルクスによ(end322)って「科学」がみずからを書きしるす「書」であると定義されている [註4] )、同一のシェーマにしたがっているのだ。そして近代的な都市もまた。それは、境界線をひかれた空間、そこに外部の住民を集めてストックしようとする意志と、地方を都市モデルに適合させようとする意志とが実現されてゆく空間なのである」; (註4): Karl Marx, 《Manuscrits de 1844》, in Marx-Engels, Werke, ed. Dietz, t. 1 (1961), p. 542-544. 〔城塚登・田中吉六訳『経済学・哲学草稿』岩波書店〕
323: 「革命という「近代的な」観念そのものが、全社会的規模でもって書を書こうとする企図のあらわれであり、その野望は、まず過去にたいして自己を白紙にかえす [﹅3] ということ、そしてその白紙のうえにみずからを書いてゆくということ(すなわち固有のシステムとしてみずからを生産してゆくということ)、そしてみずからが製造するモデルにのっとって歴史を新しくつくりかえる [﹅6] 〔書きなおす〕ということである(それが「進歩」なるものであろう)」
331: 「身体のうえに書かれないような法はひとつとして存在しない。法律は身体を支配している。集団からきりはなせる個人という観念そのものからして、法律的な必要からうまれてきたものであって、刑法にとっては懲罰を徴づけるための身体が必要であり、婚姻法にとっては、集団間の取引に際し、値を徴づけられるような身体が必要だったのだ。誕生から死にいたるまで、法律は身体を「とらえ」、身体をみずからのテクストにする」
331: 「これらのエクリチュールは、相補的な二つの操作をおこなっている。まず第一に、法をとおして生きた存在は「テクストのなかにくみこまれ」、もろもろの規律の記号表現 [シニフィアン] に変えられてしまう(それがテクスト化である)。他方で、社会の理性ないし《ロゴス》は「肉となる」(それが受肉である)」
332: 「あらゆる権力は、法律の権力もふくめて、まずその臣下たちの背中に描かれるのである。知もおなじことをする。こうして西欧の民族学という学問は、他者の身体がさしだす空間に書きこまれていったのだ。こうしてみれば羊皮紙も紙も、われわれの皮膚のかわりにできたものであり、平和なあいだはその代役をはたして、皮膚を保護する上塗りになってくれているといっていいだろう。もろもろの書物は身体のメタファーにすぎないのだ。だがひとたび危機の時代がやってくると、法にはもはや紙が足らなくなり、またもや身体のうえに法が描かれてゆく。印刷されたテクストはすべてみな、われわれの身体に刷りこまれたものを指し示しているのであり、最後には《名》と《掟》の(赤い鉄の)徴が、苦痛そして/あるいは快楽によってその身体を変質させ、それを《他者》の象徴に変えてしまうのだ。ある宣告 [﹅2] 、ある呼び名 [﹅3] 、あるひとつの名 [﹅] に」