2022/9/6, Tue.

 わたしは駆け出しの作家だという思いにずっと囚われ続けている。そこではかつての興奮や驚きが甦る……素晴らしい狂気だ。あまりにも多くの作家たちが、このゲームにしばらく参加しているうち、熟練しすぎ、用心深くなりすぎてしまったとわたしは思う。彼らは失敗することを恐れている。ダイスを振れば、最悪の目になることだってある。わたしはきちんとせず、放埒なままにしておきたい。研ぎ澄まされた完璧な詩がたまたま生まれることもあるが、それが閃くのは何か別のことをやっている時だったり(end290)する。どうしようもない詩を時々書いていると自分でもわかっているが、そのままにして、バンバンとドラムスを叩けば、みずみずしい自由が溢れ出る。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、290~291; ジョン・マーティン宛、1991年3月23日午後11時36分)




 目覚めて携帯を見てみると九時七分。昨夜は疲労によって例のごとく休んでいるうちに寝ていたわけだが、五時前あたりにいちど覚めて消灯した記憶がある。零時を越えたころにはもう意識をうしなっていたとかんがえると、八時間九時間程度たっぷり眠ったわけで、きのう睡眠がみじかかったからそれはよろしい。ながく眠ることは大事だ。鼻から深呼吸をはじめて腹を揉み、太ももやこめかみあたりや頭蓋も揉んだり、また首を左右に伸ばしたりもして、そうこうしているうちに一〇時前にいたってようやく起床した。横になっているあいだにいちどカーテンの端をめくって窓を見たが、曇りの白さでも朝の空はつねにまぶしく刺激的なもので、目をほそめながら見ているうちに意識というよりも瞳がじわじわと覚醒してくるのがわかる。立ち上がると喉が渇いている気がしたのできょうはさきに水を飲み、それから洗面所に行って顔を洗ったり用を足したり。そのまえ、水を飲んでいるときにすでにドライヤーで髪を梳かすこともしていたかもしれない。蒸しタオルはさいきんめんどうくさくてやっていないが、やらないよりはたぶんやったほうがよいのだろう。寝床にもどるとウェブをちょっと見てから一年前の日記の読みかえし。きのうできなかったので2021/9/5, Sun.から。セルトーの引用があいかわらずおもしろい。その一日を読むともう一一時ごろになってしまったので起き上がり、洗濯をしようかなとおもったがニトリの袋にはいっているのはきのうのワイシャツと靴下だけ、ならきょうはまだいいかと払ったが、あとでかんがえてみればこういうときこそシーツを洗うチャンスだったのだ。きょうは陽もけっこう出ているし。しかし三時かそのくらいには実家に行く予定で、シーツを洗うべきだったと気づいたのはすでに午後、干している時間もあまりなかったので断念した。屈伸したり背伸びしたりとからだを伸ばしてから、一一時二五分くらいに椅子について瞑想をはじめた。二〇分ほど。よろしい。
 それから食事のまえに、そういえばきのう知らない番号から着信が来ていたと携帯を見てその番号を検索してみたところ、家賃保証会社からのものである。印鑑相違で書類が返ってきたあと、口座振替手続きをまだやっていないから催促するためかけてきたのだろう。というかかんがえてみれば家賃は月末締めで翌月のものを払うシステムになっていたはずだから、いま九月分のものはまだ払っていないはずで、滞納状態になっているわけなのでまずい。その手続きを済ませようときょう実家に古い印鑑を取りにいくのだけれど、八月分家賃を払いこんだときの受領証をみてみるとQRコードでネットから登録できるとあった。しかしいぜんSMSによってやってみたとき、口座に登録されている電話番号が実家のもので、その番号に一時パスワードが通知されて手続きをすすめるというかたちだったのでできず、これも同様だろうなとおもってすすめてみるとやはりそうである。しかしさっさとやってしまったほうがよいし、実家に電話をかけて母親か父親にパスワードを聞いてもらってすすめるかとおもい、いったん携帯のウェブ画面を閉じて電話をかけると、何回かコールしたあとに母親が出た。事情を説明していちど切り、パスワードを通知するというボタンを押して一分ほど待ってからまた実家にかけると、聞き取った数字をおしえてくれたが、それを入力しても時間切れだった。それなのでやはりしかたがない、印鑑と書類でやるにしてもネットで手続きするにしても実家に行く必要がある。その場でじぶんが電話を受けてパスワードを聞き取り、即座に入力すればOKだろう。そういうわけなので再度電話をかけて、時間切れだったとつたえ、きょう行ってそこでやるわと言っておいた。天麩羅を揚げたらしい。
 そうして食事へ。キャベツ・豆腐・リーフレタス・トマトのサラダ。シーザードレッシング。それに冷凍の五種の野菜がはいったペペロンチーノ。このあいだ実家に行ったときに母親がフライパンと鍋持ってったらと言っていて、コンロがちいさくてばしょが狭いからサイズが合うかわからないと言って断ったのだが、一向にじぶんで調理器具を用意しようとしない現状、ちいさめのものをもらっておいたほうがよいかもしれない。フライパンは措いても鍋だけでももらえば野菜を茹でることができるし、たとえば生ラーメンとかもつくれるようになる。煮込みうどんも食えるではないか! 野菜だったらアスパラガスなんかを茹でて食いたい気はする。食事を取りながら2021/9/6, Mon.を読みかえした。以下の記述がまあわるくない。「曇った秋の夕べをやわらかく走り抜ける空気は涼しく」というこの一節、このリズムひとつで、もういかにもじぶんの文だなという感じが起こる。「ベストを身につけていてもほとんど肌寒いくらいで」というのは意外だ。ことしはまだそんなに涼しくなっていない。ただ、地元のほうがたぶん気温がすこし低いという事情もあるだろう。

曇った秋の夕べをやわらかく走り抜ける空気は涼しく、ベストを身につけていてもほとんど肌寒いくらいで、ワイシャツの表面に溜まった涼気が布地を抜けてその下の肌につたわってくるのがかんじられる。坂をのぼって最寄り駅へ。ホームのベンチには先客がふたり、おさない女児とその保護者で、さいしょ、保護者の女性は茶髪ではあるものの年嵩に見えて祖母かとおもったのだが、ベンチの端にはいってちょっと後ろ姿を見たときには髪の染めかたが若いように見えたので、ふつうに母親だったのかもしれない。女性は声がかなりちいさく、ささやくようなかんじで子どもとやりとりをしていた。目を閉じれば涼しさが身のまわりをながれていくのが浮き彫りとなり、丘のほうではセミがまだほんのすこしだけ生き残っているようで、そのひびきのもっとてまえでは秋虫がいくつかそれぞれの場所をえて鳴いているけれど、それが一定の調子で、はじまりから終わりまでの長さも毎度おなじく規則的なので、それらの鳴き声だけを聞いていると、その都度おなじ時間が巻き戻ってはくりかえされているような、数秒ごとに時空がリセットされてはじまりなおしているようなふうに聞こえるのだった。

 あとこの昨年の九月六日は通話をしており、猥談をしたり、そこで(……)くんがとち狂って露出しはじめ、小学生以下の下ネタでクソ笑ったりしていてあまりにも馬鹿すぎておもしろいのだけれど、(……)くんの名誉のためにこれは検閲したままにしておこう。食後はすぐに食器類を洗ってかたづけ、きのう、作業のまえに音楽とともに身を休めるというか落ち着かせるのいいなとおもったので、きょうもそうすることに。ねむければ音のなかでまどろめばよいし、そうでなくとも静止するから心身がしずかになったり、よい音楽なら精神的にあがったりする。それできのう出勤前にも聞いたけれど中村佳穂『AINOU』の”アイアム主人公”からはじめてさいごまで、そうしてYellowjacketsの新譜だという『Parallel Motion』から冒頭の”Intrigue”を聞き、そのあとで一九六一年六月二五日のEvans Trioの”All of You”を三テイクまとめてあるプレイリストから、テイク1とテイク2だけ聞いて切りとした。中村佳穂の歌はやっぱりすごいなとおもう。”アイアム主人公”だと、二番のさいしょで、この町のなんとか派閥だらけでなんとか闊歩しづらくなってる、みたいなことを言っている箇所があるけれど(聞き取れない、というか正確におぼえていない)、あそこの声とことばのながれかたなんて、周囲の演奏と混ざって聞くとボーカルというよりほとんど楽器というか、ある種のサックスのフレーズみたいに聞こえるし、最終曲の”AINOU”の歌唱はじっさいに即興なのかはわからないが、聞いているほうの感覚としてはジャズの楽器のアドリブとか、あるいはスキャットとかを聞いているのとほとんど変わらない。まずもって一番でだれだかわからない男性が歌ったあと、間奏部をはさんで(ここで右側にさしこまれているアボイドノート混じりの電子音の泡立ちはけっこう好きだ)二番にうつると、中村佳穂はさいしょから三連符をつかってはじめて、その後もややシャッフルめいた感覚がおりおりつづき、そこまでとリズム感がぜんぜんちがっているし。中村佳穂のボーカルは歌=旋律(とそこからの拡張としての声)、ことば(語り)、楽器(音)という三要素が絶えず微妙な配合によっていれかわりたちかわりあらわれてはつねにそのあいだをゆらぎながらひとつのながれとなっているような気がする。たいがいの歌い手にはほぼ歌=旋律(とそれにどういうニュアンスをつけるかという観点としての声)しか存在しないわけである。せいぜいひとによってはそのスタイルからして、語りにちょっと寄っていたり、歌=旋律がくずれて語り的な瞬間があるというくらいだ。中村佳穂は、そういうつうじょうのボーカルもしくは歌とはまったくちがった場所で、もっと総合的なものとしての歌唱をやっている気がする。
 #10 “忘れっぽい天使”は好きな曲だが、聞くたびに、ビブラートがほんとうに虫の翅の震動みたいだなとおもう。一番の「それなら それなら どうして」の二回の「れ」とか、二番の「思い出さなくていい思い出に いまでも途方に暮れるのさ」の「ま」の音とかである。そこまで顕著ではなくとも、ビブラートをふくんでいる部分はそれいがいにもいくつもある。一音だけのこの短さで瞬間的にこういう震え方をするというのはほかでは聞いたおぼえがなくて、この質感がほんとうに夜に道をあるいているときにそのへんから立ち上がる秋虫の音の震え方とほぼおなじで、にんげんの声というより自然物の震え方だなとおもう。ちなみに二番の「それなら それなら」はもうビブラートはかからず、そのあとも震える部分はほぼなかったはず。「通り雨の冷たさに」もそれまでと比して微妙に、だがかなりはっきりと歌っていて、つまり二番の後半からすこしずつ声に芯をつくって歌うようになっており、そうして合唱にはいっていく。この合唱のとちゅうにある「街の上に正論が渦を巻いてる」が『AINOU』でいちばん印象的でよく記憶しているフレーズだ。そのつぎの#11 “そのいのち”はやたらいい曲、すばらしい曲で、「夜に道ひとりで歩いても/新しいページがひかっても/生きているだけで君が好きさ/明日はなにを歌っているの」のところが好きだ。「夜に道ひとりで歩いても」はこの日記を読めば一目瞭然なようにあきらかにじぶんにそぐうたテーマだけれど、そのつぎに「新しいページがひかっても」が来るのがすばらしい。「生きているだけで君が好きさ」はストレートすぎて気恥ずかしく、またじぶんには残念ながらこの「君」が存在しないが、「明日はなにを歌っているの」はまたすばらしい。
 Yellowjacketsは先日もちょっとだけ耳にして、そのときもおもったのだけれど、いかにも都会的なフュージョン、都市のフュージョンだなあという感じで、こりゃあまさしくアメリカ西海岸ロサンゼルスのフュージョンの音ですわ、とかおもったのだけれど、そんなのはてきとうなイメージでしかない。純ジャズのほうが好きだとか言っていても、いまやそんなにこだわりもないし、こういうのもけっこうわるくない。Bill Evans Trioはテイク1がやはりすごくて、このときVillage Vanguardにいた客たちはこれを横でやられていったいなにをしているんだ? とおもった。ふつうに飯食ったりしゃべったりしていたのか? と。テイク2あたりになるともう意識がやや乱れてきていたというか、じっと座っているのにも疲れてきたような感じがあってあまり聞こえなかったが、このテイク2は比較的地味ではあって、しかしそのなかでもLaFaroのベースソロとかうーんこれは……ほんとによくこんなこと、こんなフレーズやるな、という感じだし、Motianのソロもうえもしたもバシャバシャドカドカやっていてうるさく、おまえはいったいなにをやりたいのかと。
 音楽に切りをつけると一時半前だった。立ち上がり、屈伸したり背伸びしたりして座りつづけていたからだをほぐし、それからきょうのことを書きはじめてここまでで二時三六分。ゆびがすらすらとうごく。あと、Spangle call Lilli lineというバンドを知った。ちょっとだけ聞いたが、けっこうよさそう。


     *


 路上でのことをさきに書いておきたい。家を発ったのは四時過ぎ。アパートを出ると右折したのは、きのうとおなじ道を行くと記憶が混ざってしまうとおもったからだ。空に雲は多いものの、太陽はそれを一息も意に介さず、アパートの角を抜ければ通りには日なたがひろく敷かれて逃れようもなく、ひかりを浴びながら太陽の方角へと向かう。豆腐屋の角から裏路地にはいってみると左側の家々が影をけっこう湧かして道幅のなかばあたりまで黒く塗っているところも多く、しばらくまえにも熱中症を避けてここを通ったことがあったが、そのときにはここまで影がひろくなかったのは季節がすすんだ証拠かとおもった。もっとも、その日は出たのがもっとはやかったのかもしれない。影があるとはいえそこを踏んでもあたままではかくれきらず、家並みを越えて浮かぶ陽の球が額や目を射抜き、対向者があってもひろがるまばゆさのためにほとんどそのすがたも見えはせず、右手では庭や垣根の緑の葉が白さを塗られてつやつやかがやき、庭木のいっぽんに風が通ればうごめくこずえに無数の白光点が跳ねるようにふるえ、まさしくそこだけ暮れ時を待つ綺羅の川面となったようなゆらぎは催眠的である。おもてに出ると横断歩道を渡り、寺の塀に沿って角をはいったり曲がったり、すると右側に駅前マンションがそびえて左は寺のかまえとなるが、階段状になっているマンションのてっぺんには階ごとに柵か壁らしきものがもうけられており、それがまた白くひかって段々をつくっている。風がまえからにわかにはげしく吹きつけた。身をかんぜんにつつみこみ、前髪はすべて額から剝がして、それどころか前に踏もうとするからだを押し返して強固な圧迫と抵抗によって歩みを格段にのろくさせる、その風のながれを受けてマンション前の低木も、枝葉を浮かべてこれから飛び立たんと翼をもちあげひらいた鳥の風情、というかもはや平らになってすでに空中を滑空している空の者のように舞い踊ってやまぬこずえだった。(……)駅にはいってもホーム前の床が白光し、ホームじたいにも陽はかかって、階段をのぼりおりするあいだ空をのぞけばひろがった白さのうえにほぼ真円とみえる黄色の丸がシールのように浮かんで、一瞬月のようにみえたけれどそんなはずはなく、さきほど片手を眉にあてながら目にした太陽の残像がひとみに刻まれているもので、視線をうつすにおうじてその黄色い円は西に見える病院などの建物の合間やそのうえにつぎつぎ移動していく。
 この日はねむりもよくとったし、からだがよくほぐれていて、地元に行くまで困難はなかった。(……)から三十五分くらい歩いて実家に行ったが、その道中のことも省く。どんどんカットするぞ。実家についたのが六時くらいだったか。声もかけずに空いている玄関からはいっていき、手を消毒して居間にはいると母親がいるのであいさつ。父親は入浴中。はなしもそこそこにまず口座振替の手続きを済ます。そのあと天麩羅を揚げたというから腹も減っているしちょっとだけもらうかと用意してもらったりじぶんで用意したりする。天麩羅と蕎麦とレタス。食っていると父親が風呂からあがったのであいさつ。兄夫婦や子どもらの写真を見るなど。そうして七時過ぎくらいにはもう帰ることにしたが、フライパンと鍋をくれと言ってもらったり、天麩羅とか煮物とかもくれるというので密閉パックに入れてもらったり。そのいっぽうでこちらは下階に下りて、文庫本をいくらか持っていくかと見繕った。中上健次の持っている文庫本五冊(たしかそれで全部だったとおもうのだが)や、寺田透の『正法眼蔵を読む』や、國分功一郎が動画で紹介していた河出文庫ドゥルーズの『ザッヘル・マゾッホ紹介』にマゾッホ『残酷な女たち』や、阿部良雄訳のちくま文庫ボードレール詩集二巻。安藤元雄訳の『悪の華』もあるのだけれど、それはまたこんど。下階でそうして本を見繕っているあいだに母親もやってきて、父親にたいする愚痴めいたものをいくらか漏らしていた。酒を飲んであまり運動もせずにいるためか、肌にできものみたいなものができてしまった、だから飲むのを一時やめればいいのに飲んでばかりいる、と。愚直な歩行の信奉者となったこちらは、歩けばいいのに、もう歩くだけでいいですよ、そんなん治るよ、とてきとうなことを言っておく。山梨にもむろんたしょう行ってはいるようだが、飲めばまたうるさいのだろうから、母親のほうもいっしょにいるのがストレスで、それで、これいぜんにそのはなしは聞いていたが、いまは(……)でやっている介護系の講座に週二だかそのくらいで通っているのだという。そりゃいいじゃんと言っておいた。なんでも(……)の広報に載っていたと。それにくわえてしごともあるわけなので週日は毎日でかけているようだ。ばしょは(……)(兄がむかし、というのは高校時代に通っており、大学に行ったあともバイトをしていたが)のそばだという。(……)のばしょを正確に把握していなかったが、南口だというから、駅前をまっすぐ行った交差点の通りでしょ? 角にコンビニがある、じゃあ通るわ、さいきんあるいてるから帰りにあるくわ、と受けた。テキストと授業料込みで、二か月の期間だかで一万円だという。テキストを見せてもらったが三冊くらいあって、いかにも教科書という雰囲気の、とはいえイラストなども多くあってやわらかい色合いのものだったが、こういうのもちょっとおもしろそうだなとはおもう。たぶん二か月講座受けて、いちおう最低ランクの資格が取れるみたいなことなのではないかとおもうが、二か月の授業料で教科書もふくめて一万円というのは相当に安いのではないか。教科書は箱の裏に七〇〇〇円とかあったとおもうから、授業料は実質三〇〇〇円くらいなわけで、ふつうだったら一回の授業でそのくらいは取られるはずだろう。それを二か月もやってやろうというのだからずいぶん太っ腹で、そんなんでもとが取れるのだろうかとおもうが、役所の広報に載っていたからには信用できるはずだろう。そういうのに精を出すのもよいとおもう。母親がそうやってじぶんなりに興味を見つけて活発に六〇代を謳歌しようとしているのに対し、父親はまあ畑をやったり山梨の家に蜂をそだてたり、そちらはそちらでおのれの関心に精を出しているにしても、夜はだいたいずっと酒飲んでテレビ見てひとりごと言ってるはずで、そういう対比をあたまのなかにおもいえがくと、母親がまだはたらいてほしい、社会との接点をもってほしい、金稼いでほしいとグチグチ嘆くのも、まあわからんでもないなという気にはなる。歳を取ると女性のほうが元気でつよいし長生きするとかよくいわれるものだが(歳を取らなくても言われるかもしれないが)、そういう紋切型を地で言っているように見えなくもない。母親のほうがたしかに快活で活発には見える。もともとの性格や性向があるにしても。表情もほがらかである。母親はここ数年、お父さんが死んだら畑の道具とかかたづけどうしよう、できないよとひじょうに頻繁に心配を漏らしており、たぶんいまでもおなじだとおもうのだけれど、だからかのじょのなかではじぶんよりもさきに父親のほうが死に、じぶんはあとにのこるということはほぼ疑いのない決定事として前提化されているようなのだけれど、このまま行くとたしかにそうなりそうだなという雰囲気は感じる。あと、兄が来た先日に、この家をどうするかみたいな、そういうこともいちどみんなではなしたほうがいいからそういう場をもちたいみたいなはなしになったらしいのだけれど、べつにこちらとしてはなんでもよろしいというか、家も土地ももらう気などないしなにもいらんから兄にぜんぶあげてまかせたいというのが真情だ。しかし実家やその土地が今後のこるのかわからないが、処分せずに管理をつづけるとしたら、このさきもふつうに兄よりこちらのほうが自由度が高くて時間の融通がきく生活をつづけるはずだから、こちらが通って世話をすることになるのではないか? まあそれならそれでよいが。それもまたひとつの書くネタにはなろう。ともかくまいにち読んで書くこの生活をつづけるかぎりこちらは週三いじょうの労働はできないし、そうするつもりもないわけで、月収一〇万以下で生きていくことになるから、労働いがいになにかしらの収入をつくれないと老後(「老後」ということばは正職に就いてはたらきつづけてきたものが「現役」を引退したあと、という含みが前提化されているような気がするので、正職に就く気のないこちらの「老後」とはいかに? みたいな感じがちょっとないでもないのだが)はふつうに貧困におちいっているはず。それいぜんに病を得て死んだり、死ぬまでいかなくともにっちもさっちもいかないことになっている可能性もまあわりとあるだろう。しょうじき知ったこっちゃねえという感じだが。金を稼いだり地位や名誉をえたり世間並みの幸せだったり不幸だったりする家庭をきずいたりするよりも、良いことをしたり、じぶんがやるべきだとおもったことをやることのほうが大事だ。じぶんなりにできる良いしごとをすることこそが大事なことだ。そもそもまずじぶんは「しごと」といえるほどのことをしてすらいないが。とりあえずTo The Lighthouseを訳さなければとはおもう。
 リュックサックに本や食い物を入れ、フライパンと鍋はUnited Arrowsの紐で口をすぼめるタイプの袋に入れて、というかそちらにも野菜とか本もたしょう入れて、そうして帰ることに。(……)まで歩いていくと言って車で送るというのをことわると、母親もとちゅうまでついてきた。上り坂の出口付近まで。そのあいだも父親のことをなんだかんだ言っているが、とにかく歩けと、あなたたちはもうこれからなにもしなければからだが衰えていくばかりなのだから、なるべく歩いたほうがいい、あるけなくなったらにんげんおしまいだと、なんども繰り返すけれどそれだけは言っておく、と言っておいた。(……)までのことはわすれたし、その後の帰路もアパートに帰ったあとも同様。


―――――

  • 日記読み: 2021/9/5, Sun. / 2021/9/6, Mon.


 2021/9/5, Sun.より。

(……)新聞では、白井さゆりという慶應義塾大学の経済学者の語りがあったのでそれを読んだ。気候変動が金融市場などにも影響をあたえてくるだろうというはなしで、自然災害が起こって橋とか道路とか街とかが破壊されたりすると、そこでもろもろの企業活動にもいろいろ影響があって株価などにも影響するわけだけれど、いまの金融市場というのはそういう非常事態にあまり予測対応するようなものにはなっていないところ、これからは気候変動によって災害ももっと頻繁に、かつ大規模になってくる可能性がある、そうなったときに対応できるようなしくみをつくっておかないと経済の混乱がおおきくなるというのがひとつ。また、地球温暖化をくいとめて気候変動を乗り越えるにはエネルギー政策の抜本的な変容が必須で、要するに太陽光やクリーンエネルギーをもっと大々的に導入しなければならず、しかしそうすると全国的な送電網の整備とか余った電力を貯めておく蓄電池の普及とかが必要で、それにはとうぜんおおきなコストがかかる。気候変動によって居住環境が悪化し、もはや住んだり生活を営んだりできなくなるようなことになるよりはむろんそちらのほうが良いわけだが、しかしコストはとうぜんながら増税とか電力料金の値上げとか、製品の値段とかに反映されざるをえないわけで、国民の理解と協力をあおぐには政府がしっかりとした説明をしなければならないと。このひとは二〇一一年から一六年まで日銀の政策検討委員会みたいな、わすれたがなにかしらの委員をつとめたといい、白川方明から黒田東彦に総裁が変わって方針がおおきく転換されるのを間近で見てきたというのだが、黒田東彦が「異次元緩和」とかいって金利を下げまくったのは(マイナス金利とかいうこともやっていたはず)基本的には良かったというか、震災後の経済をささえるには正解だっただろうと。しかし、いまの低金利水準を今後もずっとつづけていけるはずはないし、気候変動の件もあるので、コロナウイルス騒動が終わったとしても楽観はできないと。

     *

そういえば昼に食事を取っているとき、テレビは『開運!なんでも鑑定団』を映していて、そこに篠井英介が出ていた。顔は知っている俳優だが、なまえははじめて知った。小学生のときに見た『サウンド・オブ・ミュージック』のジュリー・アンドリュースにあこがれてむかしから女性の役をやりたいという欲望がつよかったらしく、後年、『欲望という名の電車』(テネシー・ウィリアムズ原作)で杉村春子の演技を見たときも衝撃を受けて、いつかこのブランチ役をじぶんもやるんだとおもいださめて、その後実現したという。いちど、男性に女性役をやらせるのは駄目だという権利者側の意向で企画が頓挫したらしいが、粘り強く許諾をもとめてついにゆるされたということだった。出品したのはルドゥーテというベルギーの版画家の花の絵で、七〇万で入手したもののべつの画商にこれはせいぜい一、二万ですよといわれたので不安になってこの番組に出演したと。絵の価値などわかるはずもないが、見たところ実に端正に写実的で、つやもあるようでかなりきれいな植物画だったので、七〇万は高すぎるとしても一万二万ということはないんではないか、とおもっていると、一〇万円だった。じぶんも植物画とか静物画とか、なんにせよものを絵で描くことができればすごくおもしろいだろうとおもうのだが。じぶんが絵をやるとしたら人でも風景でもなくてとにかくものを描きたい。目の前にひとつものを置いて、それを絵にするということだけをやりたい。道具や形式もなんでも良い。しかし、そちらの方面の素養はまるでない。中学校時代の美術の成績は二である。

     *

ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)より。

338: 「十九世紀の初頭になると、医学のイデオロギーはしだいに転換をみせはじめ、摘出の治療法(病気とはなにか余計なもの――余分ななにかあるいは過剰ななにか――であって、刺絡や下剤やらをもちいてそれを身体からとり除かねばならない)はおおむねすたれてゆき、かわって付加の治療法(病気とはなにかの欠如、欠損であって、薬品なり支柱なりを使ってそれを補わなければならない)が登場してくるようになるが、それでもなお、道具という [﹅5] 装備は、あいかわらず古いテクストに代えて新たな社会的知のテクストを身体に書きこんでゆくという役割を果たしつづけており、ちょうどそれは、『流刑地にて』に描かれるあの馬鍬が、紙に書かれた命令がどう変わろうとおかまいなく、受刑者の身体にその命令を刻んでゆくのとおなじことである」

339~340: 「十七世紀に、清教徒の《宗教改革者》たちは、法律家たちと手をたずさえながら、当時はからずも《物理学者 [﹅4/フィジシャン] 》とよばれていた医師たちの知をみずからもまた獲得しようとめざしたが [註11] 、ここから大いなる野心がうまれてくることになった。すなわち、ひとつのテクストにもとづいて歴史を書きなおそうという野心である。堕落した社会と腐敗した教会にかこまれつつ、聖書 [エクリチュール] がこの二つを改 - 革 [レフォルメ] 〔再成型〕するためのモデルを提供してくれるにちがいない。それが、宗教改革の神話であった。根源にたちかえること、キリスト教的西欧の根源にとどまらず、宇宙の根源にまでたちかえって、《ロゴス》に身体をあたえ、ロゴスがこれまでとは別なありかたでふたたび「肉となる」ような創生をめざすこと。このルネッサンス時代には、このような神話のバリエーションがそこここにみうけられるが、ユートピア的、哲学的、科学的、政治的、宗教的の別をとわず、いずれをとっても、《理性》が世界を創始し、あるいは復興しうるはずだという信念に支えられており、問題なの(end339)はもはや秩序や隠れたる《作者》の秘密を解読することではなく、ひとつの秩序を生産 [﹅2] し、その秩序を粗野な社会、腐敗堕落した社会の身体のうえに書きしるす [﹅5] ことだという信念をともにしていた。歴史を矯正し、たわめ、しつけなければならないという目的とともに、エクリチュールは歴史にたいしてある権利を獲得する [註12] 。世界とは理性であるという仮説にたち、生まれの特権を文字という装備におきかえようとめざす「ブルジョワジー」の手中にあって、エクリチュールは権力となるのだ。自然を変えるべく理論を自然のなかに刻みこまねばならないという信念は、やがて「啓蒙」や革命の公準に変わってゆくが、こうした信念とともにエクリチュールは科学となり、政治となる。迷信ぶかい民衆や、いまだ魔術にとらわれている地方の隅々までわけいって、それらを裁断し切断しつつ、エクリチュールは暴力となるのである」; (註11): Charles Webster, The Great Instauration. Science, Medicine and Reform, 1626-1660, New York, Holmes & Meier, 1975. とくに次の箇所。《Conclusions》, p. 484-520.; (註12): 歴史にたいするエクリチュールのこうした新たな権力については次を見よ。Michel de Certeau, l'Écriture de l'histoire, Gallimard, 2e éd., 1978.

348~349: 「ディスクールの信憑性 [﹅3] とはなによりまず信じる者をそのとおりにしたがわせるものである。信憑性は実行者をうみだす。信じさせること、それは行なわせることである。ところが、奇妙な循環によって、したがわせる――身体を書かせ組み立てさせる――力能とは、まさしく信じさせる力のことなのだ。法がすでに身体を使用し身体に適用され、身体の実践のうちに「受肉化」しているからこそ、法は信用されるのであり、法は「現実」の名において語っているのだと信じさせることができるのである。「このテクストを汝らに伝え(end348)るのは《現実》である」、そう言いながら法は信頼をうるのだ。ひとは現実と称せられたものを信じるのだが、ディスクールにこの「現実性」を付与するのは信仰であって、この信仰がディスクールに法の刻まれた身体をさずけるのである。法が信用され実施されるためには、かならず身体の「先行投資」が要り、受肉の資本が要る。つまり法はすでに刻みこまれた身体があればこそ刻みこまれるのである。法を他の人びとに信頼させるものは証人や殉教者や例証なのだ。このようにして法はその臣下に尊重される。「昔の人びとはそうしていた」、「ほかの人びとはそのとおり信じて行なっていた」、「汝みずから、汝の身体のうちに我が署名を宿している」」

349: 「言いかえれば、規範的ディスクール [﹅6] は、すでにそれが物語 [﹅2] となり、現実的なものと結ばれ現実的なものの名において語るテクストとなったとき、すなわち、身体によって物語られ、人物列伝とともに史実化された掟になったときにはじめて「うけいれられる」のである。規範的ディスクールがみずからを信じさせながらさらに物語をうみだしてゆくためには、そのディスクールがすでに物語になっていることが前提になっている。そうしてまさしく道具は、身体を掟に順応させつつ掟の受肉化を助け、かくて掟は現実そのものによって語られるのだという信用をあたえるのであり、このことをとおしてディスクールの物語への移行を保証する」

352: 「そのエクリチュールは、際限なく書きつづけてゆき、どこまでいっても自分以外のものに出会うことがない。出口はフィクションにしかなく、ただ描かれた窓、ガラス - 鏡があるだけである。この世界には、書かれた穴か裂け目のほかは何もない。それらは、裸形と拷問のコメディであり、意味の壊滅の「自動」物語、バラバラに分解した顔の狂騒劇である。これらの作品が幻想的なものをはらんでいるのは、それらが言語 [ランガージュ] のはてる境界に怪しげな現実を出現させるからでなく、ひたすらシミュラークルの生産装置があるばかりでそれ以外のものが不在 [「ひたすら」から﹅] 」だからである。これらのフィクションが小説なりイメージなりで語っているのは、エクリチュールには入り口も出口もなく、ただ自己製作というはてしない戯れしかないということだ。この神話は事件の非 [ノン] - 場所 [リュ] を、あるいは起こらない [ナ・パ・リュ] 事件を語っている――およそ事件というものがなにかの入り口であり出口であるとするならば。言語の生産機械はストーリーをきれいに拭いとられ、現実の猥雑さを奪いとられ、絶 - 対的で、自分以外の「独身者」とかかわりをもたない」

362~363: 「こうしてオラルなものが締めだされてしまったあげく、それに押しつけられてしまった歴史的な形態をもう少しあきらかにしておかねばならない。経済的な有効性を維持し、それをみださぬようにという理由によってこのような排除をこうむってしまった声は、なによりまず引用 [﹅2] というかたちをとってあらわれる。引用というのは、書かれたものの領域にあって、ロビンソンの島の浜辺についたあの裸足の痕跡にもひとしいものだ。エクリチュールの文化のなかで、引用は、解釈をうみだすはたらきと(引用はテクストを生産させる)、変質をもたらすはたらきと(引用はテクストを動 - 揺させる)、その二つをかねそなえている。それは、この二極のあいだをゆれうごき、二極のそれぞれが、引用のとる二つの極限形態を特徴づけている。すなわち、一方にあるのは、口 - 実 [ プレテクスト] としての引用 [﹅8] であり、こちらの引用は、権威をそなえた口承の伝統のなかから選別した遺物にもとづいて(注釈や分析とみなされる)テクストを製造するのに奉仕している。もう一方は、道徳としての引用 [﹅8] であって、言語のなかにこの引用の跡が描かれてゆくのは、われわれの世界を構造化(end362)していながら書かれたものによって抑圧されているもろもろのオラルな関係が、断片的に(まるで声の破片のように)、しかし遠慮なく立ち返ってくるからである。この二つが極限的なケースであって、これ以外ではもはや声は問題にならないように思われる。前者の場合、引用はディスクールが増殖してゆくための手段となり、後者の場合、引用はディスクールを逃れながら、ディスクールをバラバラに切断してゆく」