2022/9/8, Thu.

 夜になると、わたしはコンピューターに向かうこともある。そうでなければ、無理をしたりはしない。言葉が浮かび上がってこないかぎり、じっとしていればいい。何も閃かなくてコンピューターのそばに近づかないこともあって、死んでいるのかただ休んでいるだけなのか、そのうちわかることだろう。とはいえわたしは次の一行が画面に現れるまでは死んでいる。書くことは神聖なことではなくどこまでも必要欠くべからざることなのだ。そうだ。そのとおり。その間、わたしはできるかぎり人間らしくいようとしている。妻に話しかけ、猫を可愛がり、そうできる時は座ってテレビを見たり、あるいはもしかして新聞を一面から最後の面まで読んだり、あるいはもしかしてただ早く寝たり。七十二歳になるとは新たな冒険なのだ。九十二歳になったら今を振り返って大笑いすることだろう。いや、わたしはもうたっぷりと生きてしまった。同じ繰り返しはもう勘弁だ。わたしたち誰もがもっと醜くなっていくだけだというのに。こんなに生きるとは思ってもいなかったが、お迎えが来るのなら、わたしは覚悟ができている。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、296; ジャック・グレープス宛、1992年10月22日午後12時10分)


 投稿のさいにうえをちょっと見返しておもったのだけれど、この九二年の時点ですでに「コンピューター」なのだなと。これいぜんはずっと、ブコウスキーは文を書く道具としてタイプライターについて言及していた。このころのコンピューターというとどんなものなのか、いまでいうパソコンのようなものではまだぜんぜんないはずで、ワープロのたぐいではないかとおもうのだが。そうかんがえると「ワープロ」なんてことばも、いまの若い世代は知らない、聞く機会がないのではないか。




 覚醒すると八時前だった。そのまま深呼吸をはじめて起床に向かう。カーテンの端をめくると空は真っ白でつめたいような色合いである。れいによって腹を揉んだりするが、きょうはそのとちゅうで、カーテンを開けないうちにもうChromebookを持ってウェブをちょっと見たりしていた。起き上がったのは九時前くらいだったはず。洗面所に行って顔を洗ったり用を足したりして、屈伸をしてから水を飲む。そうして寝床にもどると一年前の日記の読みかえし。新聞で読んだ中東方面のニュースをいろいろ記している。紙の新聞がまいにち家に来るというのもやっぱりけっこういいよなあとおもう。いまはニュースサイトをおとずれるのをわすれてしまいがちなので、世情にうとい。イギリスの首相がLiz Trussに変わったのも先日実家に行ったときにそこで新聞の一面を見かけて知った。ウクライナの動向も追えていないのでひさびさにGuardianにアクセスして概観の記事を読み、そのあとは「コ2 [kotsu] 」という武術とかからだのうごかしかたとかのコンテンツをいろいろ載せているサイトの対談記事をいくらか読んだ。藤田一照のものを中心に。そこそこおもしろい。瞑想をしつつよく歩くようになった昨今、やっぱり身体ですわという感じがよりつよくなってきている。
 それで一〇時台まで寝床で時を過ごし、起き上がるとまた水を飲んで、携帯をみると先日も来ていたが家賃保証会社からの着信がのこっていたので、その場でかけかえした。サービスセンターの女性が出たのに、お世話になっておりますと言いながら名乗り、電話をもらったようですがと告げると、したのなまえまでおしえてほしいともとめられたので再度名乗り、すると申し訳無さそうな声色でいま回線が混み合っていてデータを出すのにちょっと時間がかかる、一、二分くらいしたらこちらからかけ直してもよいかと来たので了承していったん切った。そうしてすぐまた来たので受けてはなしを聞くと、先日ネット上でおこなった口座振替手続きは問題なく済んでおり、むこうにも把握されていて、九月分の家賃はコンビニ支払い書を送るのでそれで払ってほしいというので了解した。はなしの終わりぎわに、お手間をとらせて申し訳ありません、と謝っておいた。するとあいての女性はちょっと笑って問題ない旨をこたえた。
 その後二〇分ほど瞑想し、食事へ。もう野菜があまりない。キャベツもなくなっている。リーフレタスを大皿にたくさんちぎって敷き詰め、そのうえに豆腐やトマト、大根やタマネギを乗せてシーザーサラダドレッシング。その他きょうはレトルトカレーを食うことにして、サトウのごはんをあたためて木製皿に出すとともに、ながしのうえの戸棚にしまってあったポモドーロカレーを取り出して、米にかけるとふたたび加熱。食事中もコ2の記事をいろいろ読んだ。藤田一照いがいにもけっこうおもしろいものはある。ただこういう身体系のやつって宇宙だの生命だのおおきな概念とも容易につながって、スピリチュアル方面とも相性が良いのがたまにあれだが。まあこのサイトはそういう要素はそんなにないとおもうが。まあべつにこのさき、身体法をきわめてスピリチュアルがひらかれ、おおいなる大地とたましいとのつながりを体感しちゃってもべつにいいですけどね。それはそれでおもしろいかもしれない。だいいち、文学だって哲学だってつきつめていけば神秘思想へのかたむきは濃厚にありますよ。エマソンとかホイットマンなんてもろにそうだろうし、古井由吉だって中世ヨーロッパの神秘家に興味を持って『神秘の人々』とかいう本を出していたし、日本の古典とか(おそらく日本にかぎらず)近代いぜんの思想なんて言ってみればぜんぶ神秘主義で、そこを否定したら成り立たないじゃないですか、みたいなことを大江健三郎かだれかとの対談で言っていたおぼえもある。
 食後は洗い物をかたづけて洗濯。あるいはもっとまえからはじめていたか? わすれたがこまかな順番はどうでもよろしい。シャワーを浴びたあとは活動のまえにとおもってイヤフォンでYellowjacketsの『Parallel Motion』を三曲聞いたり。良質ではあるけれどまあフュージョンらしいフュージョンの範疇で、おどろくような音ではない。きょうは休日でこころに余裕があるため、日記をさっさと書かなければならないにもかかわらず、書抜きからはじめることにした。カフカ全集一〇巻、フェリーツェへの手紙の前半である。YellowjacketsをひきつづきBGMにして打鍵。それでもう三時をまわっていたはず。やはりあるかないとからだがあまりしゃきっとしないのだが、しかしきょうはあるきに出るやる気が起こらない。夜に買い出しに行くつもりだからそれで歩行の時間は確保されるとおもっていたこともある。それで書抜き後は布団にながれてしまい、ながれつつまたコ2の記事をいろいろ読みながら太ももを揉んだり。パソコンを置き、あおむけで両手をからだの脇に置いて、目を閉じて鼻から深呼吸するという、要するにヨガでいう死体のポーズだが、それもやっておいた。深呼吸もやればなんだかんだ血はめぐってからだはゆびのさきのほうまであたたまってほぐれはするわけで、おりおり時間を取れたら取ったほうがたぶん良いのだろう。消化がすすんで腹がかなり軽くなってからやるのが吉な気がする。あとちからを入れて吐きすぎてはいけない。あくまでもやはりちからを抜く方向でやるべきだ。ウェブ記事にくわえて、ブランショの『文学空間』もいくらか読んだ。この本はやたらむずかしくてなかなかすすまないので、このあいだ通話で(……)くんにも、一一日の会はいったん延期しません? といわれて了承した。(……)さんもそうしようと言っていたらしい。それでその後のLINEのやりとりで、当日は雑談だけするというはなしになっている。
 四時四〇分くらいに寝床を立った。腹が減ったのでちょっとなにかくおうということで、ひとつのこっていたナーンドッグ。しかしそれだけでは飽き足らず、さらに冷凍のチキンナゲットや肉まんも食ってしまう。そうしながらまたコ2の対談記事を読んでいた。武芸というか、身体実践的なものなにかひとつやってみたいな、というきもちをいだかないでもない。スポーツでもなんでもよいのだろうが。体育の成績で2か3しか取ったことのないおれがそんなことをおもうようになるとは。ダンスなんかも、高校のときには運動会でみんな基本参加するダンスがあったのに、クラスでそれを取り仕切っていた(……)に、おれ出なくていい? と無遠慮に聞いて、好きにすれば? みたいなことをつっけんどんに言われてちょっとビビったことがあったくらいだが、いまとなっては踊れるってのはいいことだなあとおもう。じぶんのばあい、ダンスというよりは舞踊というか、踊り、という感じかな。田中泯みたいなことできたらそりゃもうおもしろいんだろうなあとおもう。じぶんのからだをうごかすことがそのまま芸術になるという。たださいきんストレッチとかしてわかってきたのは、たとえばヨガにはいちおうさだめられたポーズが無数にあるけれど、ヨガの根本の部分っておそらくそういうポーズじたいにあるのではなくて、ある一定のポーズやうごきを取ったときにじぶんのからだの各部分がどのようにうごいたりうごかなかったり、どんな作用を受けたりするのか、どの筋肉とどの筋肉がじつはつながっているのか、ここをこううごかすとこっちがこう反応するみたいなことを、呼吸を媒介にした自己観察によってみずから実験し、理解していくということにあるとおもわれて、だからじぶんの身体をこまかく徹底的に知るとともにじぶんが身体であることを知るというのがその原理ではないかとおもうのだけれど、それがただしいとすれば、べつに既成のポーズを取る必要はないというか、ある意味どんな姿勢でいるときでも静止しながら目を閉じてじぶんのからだに観察を向ければ、それがもうひとつの身体訓練になるのだとおもう。ある種どんなポーズやうごきかたでもストレッチになるというか、じぶんのからだがよりよく把握できるようになると、いまここがこごっていて楽にしたいけどそのためにはこういううごきかたをすればいいなとかいうことが容易にわかるようになってきて、じぶんで勝手にうごきかたとか伸ばし方とかを開発できるようになるのだとおもう。まあそういう知見をながい歴史のなかで洗練させて形態化したのが既成のポーズや「型」なのだろうけれど、万人のからだにつねにうまく適合する型など存在するわけがないから、型はあくまで型であって、それとじぶんの身体との距離や齟齬をはかってより合うように調節していくというはたらきかけはつねに必要だろう。
 そのあとここまで記して六時半過ぎ。


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 九時台後半に夜歩き兼買い物に出た。アパートを出ると雨がぽつぽつ落ちていたので、階段をもどって扉をあけて傘を持つ。それで再度道に出て、降りは弱いのでまだ差さずにTシャツから出る腕に水の点を受けながら路地を南へ。もう九月も八日でこの時刻となると、かなり涼しかった。風がながれればぬるさと涼しさのさかいで肌にやわらかみだけをもたらす半端さにとどまらず、明確に冷たさのほうにかたむく瞬間がふくまれている。いまは沈黙している建築現場の白いフェンスのまえを行き、車道のあるおもてに出ると右折、西方面へ。このあたりで降りがややこまかく鬱陶しくなってきたので傘をひらいた。あるくうちにまさってきて、パトカーが一台道路に停まっていたがそのライトのなかはななめの線で埋め尽くされて、雨線というよりも空間を壁としてえがかれた疵模様みたいになっている。ドラッグストアやコンビニのまえをとおりすぎてさらに車道沿いに行くあいだしかし、なんにんかすれちがう対向者は歩きも自転車もみな傘を差しておらず、ひとりじぶんだけが頭上に幕をかかげているので、まるでこの雨がこちらじしんにしか見えていないかのような、じぶんだけ雨が降っているべつの位相にはいってしまったかのような感覚が生じたが、もちろんそんなわけはなく、自転車で過ぎていった女性など雨粒にやられて顔をちょっとしかめていたはずだ。道のさきでは踏切りで電車が左右にとおっていく灯がみえる。そのてまえの横断歩道を渡るときょうは踏切りにすすむのではなく右折した。ここはもう(……)通りで、すなわちスーパーのある通りなのだけれど、とちゅうでわざわざ駅のほうに折れてひとまわりするかたちで店にいたろうとおもっていた。このあたりから歩道のタイルがじゅうぶんに濡れたようで信号の青緑がその表面に垂れて浸潤し、薄氷が張ったようになるのが見られた。駅のほうに曲がると左側にいくつか飲み屋や美容室などがならび、そのいちばんさいしょ、居酒屋からいま女性が出てきたところで、いくらかうねった髪の毛をうしろで結わえて腰からエプロンを巻いた店員らしいかっこうのそのひとは、ちょっと休憩なのか、煙草をとりだして一服するようすだった。駅の間近に踏切りがある。その向こうは駐輪場で、オレンジ色の明かりが闇を薄めてきわだっているのをよく帰りに駅のホームから目に留めるが、ひろがるその色は暖色らしいあたたかみをふくむというよりは、なにかおちつかない、精神を覚醒させるような、不穏なような印象をあたえる。駅のまえをとおりすぎて寺とマンションにはさまれた道を行けば風がいくらかながれてこずえが揺れ、向かいからは女性ふたり男性ひとりの連れ合いが来るが暗くて姿形もよくわからない。せいぜい女性のひとりが履いているズボンの白さが浮かび上がって見えるくらいである。角で曲がっておもてに出ると再度右折し、まっすぐ行けばスーパーにまわりこむかたちになる。この時間でも駐車場に車がはいってきたり、入店してみてもそこそこ客のすがたがあった。
 帰路は店を出て通りをわたるとそこの口からは裏にはいらず、左折してまた遠回りをする。このころにはもう雨が降っていなかったので、閉じた傘とビニール袋をそれぞれ片手にもちながら車道に沿っていき、小学校前で右にはいった。頭上にはクラゲ型というべきか、籠のような囲いにはいった白い明かりの街灯がさして間をあけずまっすぐ前方へつらなっていく。この道にひとの通りがまったくないのはめずらしい気がしたが、一〇時半にもなればそんなものだろう。車が一台遠のいていくと稀有なしずけさがひろがったが、またすぐに一台はいってきてながくはつづかない。とちゅうの珈琲屋のシャッターの向こうからは笑い声が漏れてくる。行き当たったところを右に曲がって行っているとそのへんの家から打音と、おそらく中高生くらいの男子の声が聞こえてきて、ミットをあいてにボクシングの練習をしているような、バスケットボールをダムダム打っているような響きだった。アパートの角にいたる通りは車線をくぎるセンターラインも引かれていないものの、左右のあいだはけっこうひろくて空が幅をもっており、はいったとたんに視界とからだに受け取られるその開放感はけっこう好きだ。


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  • 「読みかえし1」: 375 - 387
  • 日記読み: 2021/9/8, Wed.

ミャンマーでは民主派が結成した「国民統一政府」(NUG)が国軍との戦闘開始を宣言して、傘下の国民防衛軍(といって民兵というか武装市民の組織だが)には戦闘を、少数民族武装勢力には連帯を、一般国民には支援をそれぞれもとめたという。副大統領にあたるひとがFacebookに演説動画をアップしたらしい。このタイミングで宣言に出たというのは、一四日から国連総会がはじまるので、そこで国際社会の支援を得られるようにあらためてじぶんたちが置かれた情況をアピールするという意味合いもあるもよう。国軍のクーデター以後も職をつづけているもともとの国連大使が承認されるか、それとも国軍が任命した人間のほうが承認されるかというのがひとつの焦点で、チョー・モー・トゥンというこの民主派の大使は職を解かれたらたぶんマジで国軍に殺されるのだとおもう。すでに先日、大使館員だったかスタッフのなかに暗殺を企図した人間がしのびこんでいた、という件もあったし。民主派がうえのように宣言をして、いまのところ北部シャン族の武装組織とマンダレーの学生組合は呼応して連帯を表明したらしく、また一部都市では警察や国軍の拠点への襲撃も起こっているとかいうが、しかし一般国民がどこまでそれに応じて乗るかというのは不透明で、戦闘力でいったらふつうに国軍のほうがうえのはずである。

アフガニスタンタリバンが東部パンジシール州から抵抗者をかたづけたと発表し、全土掌握を宣言。夕刊には閣僚三三人の顔ぶれを発表したと載っていた。首相には旧政権で外相などつとめていたひとがついたらしい。もともとは政治部門トップのバラダルが首相につくとみこまれていたようだが、戦闘部門のほうから異議が出たらしく、政治方面にも軍のほうにも顔がきく人間になったと。それでバラダルは副首相。ハッカニ・ネットワークのハッカニが内相になったというが、この人物はFBIが指名手配している人間らしい。最高指導者のアクンザダは内閣にははいらず、おそらく旧政権と同様最高評議会で実権をにぎるだろうと。女性の入閣はなし。アクンザダは、ここ二〇年の戦争でおおくの聖戦士を殺されてきたわれわれがなぜ譲歩しなければならないのか、と述べて欧米の要求に反発したらしい。

カブールでは数百人規模の反タリバンのデモが起こったという。タリバンの実権掌握以降、最大の規模。女性は大学へ通うことと授業への出席がいちおうゆるされているらしいが、原則男性とはべつの教室で授業を受けることとされ、どうしても部屋が足りないばあいのみ、仕切りで区切るかたちで同室での受講がみとめられるという。カーテンで男性の列と女性の列が分かたれている写真が載せられてあった。服装はむろん、髪や肌を露出しないもの。いぜんはふつうに男女同室で混ざって授業を受けており、服装もカジュアルなものが多かったという。

アフガニスタンからの難民への対応に中東各国は難儀しているところだろうが、中東情勢が荒れているここ一〇年くらいで、各国は国境沿いに壁の建設をすすめているらしい。トルコはイラン側に壁をもうけ、シリア側にも計画しており、いっぽうでシリアやリビアなどに軍事力を派遣してプレゼンスをつよめている。その他エジプトなりサウジアラビアなり、だいたいどこの国も壁建設はおこなっているようで、もともとアラビア世界は(スンニ派シーア派の対立はあるにしても)イスラームなどを共通要素として、国境の行き来は比較的ゆるかったらしいのだが、米国の介入によって難民やテロの波及に対応せざるをえなくなった結果、そういうことになったらしい。


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Léonie Chao-Fong, Tobi Thomas and Samantha Lock, “Russia-Ukraine war latest: what we know on day 196 of the invasion”(2022/9/7, Wed.)(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/07/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-196-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/07/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-196-of-the-invasion))

A Ukrainian counteroffensive is occurring in eastern and north-eastern Ukraine as well as in the south, a senior presidential adviser has claimed. Writing on Telegram, Oleksiy Arestovych said that in the coming months Ukraine could expect the defeat of Russian troops in the Kherson region on the western bank of the Dnieper River and a significant Ukraine advance in the east.

Ukrainian forces are planning for a long and brutal campaign with the goal of taking back most of the Russian-occupied region of Kherson by the end of the year, according to reports. Ukraine’s goal of recapturing Kherson by the end of 2022 is ambitious but possible, US officials said.

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Ukrainian troops could be in a position to seize the entire right bank of the Dnieper, including Kherson city, by October, according to a French general. Ukrainian forces have methodically prepared their counterattack in the southern Kherson region, launching offensives on “almost the entire southern frontline”, Gen Dominique Trinquand, a former head of the French military mission to the UN, said.

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Ukraine is considering shutting down the Zaporizhzhia nuclear plant for safety reasons, according to Kyiv’s top nuclear safety expert. Oleh Korikov also expressed concerns about the reserves of diesel fuel used for backup generators. Vladimir Putin has accused Ukraine of threatening Europe’s nuclear security by shelling the plant, and claimed Russia has no military equipment at the facility.

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Lithuania, Latvia and Estonia have reached an agreement in principle to restrict the entry of Russian citizens travelling from Russia and Belarus, the Latvian foreign minister said. Edgars Rinkēvičs said the increase of border crossings by Russian citizens was “a public security issue […] also an issue of a moral and political nature”.