2022/9/21, Wed.

西脇順三郎訳『マラルメ詩集』(小沢書店/世界詩人選07、一九九六年)

●48~49(「エロディヤード」; Ⅰ 序曲)
 この独特な舞台装置の室 [へや] は、
 戦争時代の栄華、色ざめた黄金、
 かつては古代色の雪の白さであった
 その壁掛は真珠母の光沢があり(end48)
 魔術師 [マージ] に古い爪を捧げる巫女 [シビラ] の
 くぼんだ眼に似た無駄の褶 [ひだ] がある。
 巫女の一人が、暗い銀色に小鳥を散らした
 空に閉 [とじ] こめた白い象牙色の私の着物 [ローブ] の上の
 縫取の枝をもち、仮装し、幻影となり飛び立つ
 ように見える。香りがする、おお薔薇だ、香りだ、
 吹き消された蠟燭に隠された空の床を遠く
 離れて香袋の上をさまよう冷たい黄金の香りだ
 月への偽証者のような一つの花束だ
 (消えた蠟に一つの花はまだ花弁をおとす)
 その長い悲歎もその茎も
 衰弱した閃光の一つの孤独な
 ガラスの花瓶の中に浸される。
 暁はその涙の中へ翼を引きずっていた!




 一〇時過ぎに覚醒、離床。いつものルーティンをこなしたあと、寝床にもどってChromebookを持つ。ウェブをちょっとだけ見てから一年前の日記を読みかえしたが、この日はみじかくてたいした時間もかからない。2014/2/17, Mon.もつづけて読んだ。「與那覇潤『中国化する日本』を三分の一読んだが、このような本に時間を使わなくてはならない今の状況そのものが苛立たしく、義務感でどうでもいい本を読むことほどつまらないことはなかった」と言っているが、これはとうじやっていた(そしてこんどの一〇月一五日に再開する)(……)くんらとの読書会で課題書にえらばれたもので、とうじはこちらと(……)くん、(……)くんいがいに(……)さん(したの漢字がこれで合っているか自信がない)という女性が参加しており、かのじょが読みたいと言ったものだったのだ。(……)さんは(……)くんの友人で、たしかサークル(「(……)」)で知り合った関係だったはずだが、トルコの政軍関係とかに興味があったひとで東大の院にすすんでおり、與那覇潤も東大出身なのでまわりで話題になっていたようなはなしだった。本屋でも平積みされてもてはやされていたおぼえがあるが、Wikipediaをみてみれば同書が出たのは二〇一一年だからこの時点でそれからもうけっこう経っている。しかしたしか課題書を決めるときに(……)の(……)で平積みにされているのを(……)さんが見てこれを読みたいと言ったような気がするので(その時点でしょうじきこちらは嫌だったというか、あんまりなあとおもっていたわけだが)、三年経っても売れていたのではないか。で、じっさい読んでみてもうえのようなことを述べているわけで、内容はぜんぜんおぼえていないけれど(たしか江戸時代以後の日本のありかたがいろいろ宋王朝の中国にすでにあらわれていて、みたいなはなしだったか?)、理論としてもけっこうつっこみどころのあるものだったのだろうし(疑問点とか不正確な点とかを詳細に検討したブログもあったはず)、とうじのじぶんにそのへんを明確に認識するちからがなかったとしても、じぶんがなによりもくだらんとおもったのはその書きぶり、語りぶりだった。最新の研究ではどうこうということをたびたび権威的にもちだしたり、他人を馬鹿にして読者を煽るような文言がおりおりふくまれていたりして、それだけでもうこれは読む価値のない本だな、そういう下品な芸風の書き手なんだなとおもったのだった。とうじはじぶんも文学にかぶれてまもないから、いまよりも文学とか学問とか芸術というものをはるかに神聖化してすばらしいものだとおもっており、だから東大の博士を通過したにんげんがこんなあさましい書き方をして良いわけがないだろう、学問というのはそういうものじゃないだろう、おのれのいとなみにたいする誠実さがない、といきどおったのだが、そういうふうに読者を怒らせて話題になり、大衆にアプローチするというのがとうじの與那覇潤の狙いだったのかもしれない。そういうことはとうじもおもいながらも、しかし怒りは怒りとしてあり、だから読書会の場でも(……)さんがおもしろかったとはなすのにたいしてこちらはずっと黙っており(かのじょが属していた東大の院生のあいだでもみんなおもしろいと言って評価していたとこの席で聞いたが、そんな馬鹿なととうじのこちらはおもったし、かりにも日本の最高学府の院生がもっぱらそんな調子でいいの? ともおもった)、それはなにか言えば非難やけなしになってかのじょの気持ちを害してしまいそうだったからなのだが、感想を聞かれたところで重い口をひらいてけっきょくすこしずつ批判をはじめてしまい、そうすると(……)さんもとうぜん反論するからだんだんヒートアップして、こちらもとうじはいまよりもはるかににんげんができていないから、ちょっと気色ばむようになってしまったのだった。オーウェル(『一九八四年』)のときもおもったけど、とことん合わないね、と(……)さんは言い、帰り道で(……)くんが、いやー、ぼく、本屋でえらんだときからこうなるんじゃないかなって気がしてたんだよね、ともらしたこともおぼえている。こちらじしんもその予感はあったはずだ。その後だんだんとおのれの身のほどを知り、学問とか芸術にたいする神聖視もよほどうすくなっていくにつれて、(……)さんにはわるいことをしたなとときおりおもいだしては申し訳なくおもったし、いまも申し訳なくおもっている。けっきょくそのあとかのじょは参加をやめてしまったので、こちらが排除したようなものだろう。與那覇潤にかんしてもこの本からして良い印象はもっていなかったわけだが、その後双極性障害をわずらって、というじぶんの体験を語ったウェブ記事とか読んでみるに、いやそんなにしょうもないひとではなさそうだぞと認識をあらため、現在では特段の悪印象はもっていない。さすがに『中国化する日本』をもういちど読んでみようとはおもわないが。学者というよりは批評家・評論家・時評家的なタイプなのだろうし、Wikipediaにも、「2021年6月に刊行した『歴史なき時代に――私たちが失ったもの 取り戻すもの』では、前年来の新型コロナウイルス禍における大学所属の歴史学者たちの無見識と不作為を強く批判。同年8月刊の『平成史――昨日の世界のすべて』を最後に「歴史学者」の呼称を放棄し、評論家として活動している」とある。ちなみに(……)さんはその後、(……)くんからときどき消息を聞いたかぎりでは、トルコにわたって研究をしたいとたびたびいいながらも金を貯めたりとかあったのだろう、たしか防衛省と外務省でそれぞれはたらき、このときはむろん激務でひどい生活だったようだが、また民間のどこかでもはたらいたのだったかわすれたが、最終的にトルコに行ったんだったかな? それもわすれた。一六年か一七年か、会合のあとに(……)駅の改札内で別れるまぎわ、かのじょの近況を聞いて、それでいまはたらきながらそういうトルコ関係の本とか読んでんのかね? と聞いてみると、いや、そういうわけじゃないとおもうよ、と返ってきたので、ってことはほんとうは研究したいわけじゃないんじゃない、そこまでの欲望はないんじゃない、欲望を感じているなら、いま日本にいてはたらきながらでもじぶんの関心を探究しようとするでしょ、と、ほんにんがいないのを良いことにまた偉そうなことを言った記憶がある。ただそれは(……)くんも似たような印象を得ていたようで、トルコの研究がしたいというよりはトルコに行きたいとか、あこがれている海外で優雅な研究生活を送りたいみたいな、そういうこころがじっさいなのでは、というようなことを言っていた。
 二〇一四年の記事にもどると、與那覇潤をけなしたつぎの段落では、「車のなめらかな輪郭に反射して散った光の雫の一片が目に飛びこんできた。汗をかきながらも雪は晴天に負けずに形をとどめ、一車線となった道路の脇にうず高く積まれたかたまりは、ところによってはほとんど背の高さまで達していた。車は狭い道を海中の魚めいて左右に動いたり、雪の列のあいだにわずかにあいた待避所のような空間に控えたりしながら行き違った」と書いており、この風景はちょっとおぼえているなとおもった。とくに「車は狭い道を海中の魚めいて左右に動いたり、雪の列のあいだにわずかにあいた待避所のような空間に控えたりしながら行き違った」の部分。医者(ちょうどきのうも行った(……)である)に行くために(……)駅まであるいていったはずだから、たしかこの車のようすを見たのは(……)かそのへんだったはず。(……)のあたりではなかったか。
 医者で待っているあいだは『族長の秋』を読んでおり、「一生をかけてもこのような小説は書けないだろうと容易に確信できるほどの作品だった。昨年の夏にこの小説に出会って人生を狂わされた。迷宮に引きずりこまれてしまったのだ」と言っている。「休みをはさみながらの一時間半で一章、四十頁しか読み終わらなかったところを見ると、やはり体力のいる小説ではあった」とあるが、べつにふつうのペースではないか。こちらの読書ペースはだいたい二分に一ページくらいのはずなので。むしろはやいとすら言える。
 帰りに寄った「ローソンストアでは物流の麻痺で野菜やパンなどはなくなり、空の棚が並んでいた」というわけで、このときの大雪はそのくらいの影響があったようだ。体重は五五. 二キロらしい。いまも変わらないか、それよりすくないかもしれない。
 一一時過ぎに起き上がり、瞑想のまえに洗濯をはじめてしまうことに。レースのカーテンの白さにひかりの感触はなく、まったくの曇り空でかなり涼しいくらい、こんな日に干してもしょうがないなという感じではあったが、溜まっているので洗わないわけにも行かない。洗濯機を稼働させはじめると椅子にうつって瞑想。わるくない。からだのほぐれ度が底上げされていてまえにくらべると起きたときからそこそこ軽いから、座りつづけるにも苦労がすくなく、まとまりやすい。とはいえこのときは右足が痺れてきたので目をあけると、二〇分しか経っていなかったが。だがその痺れも弱く、さすればすぐに散る。時刻は一一時五〇分ごろ、食事を取ることに。床にしゃがんでプラスチックパックを切ったりして始末し、まだガタガタうごいている洗濯機のうえにまな板を置いてキャベツを細切りにする。その他豆腐、リーフレタス、トマトをそろえてシーザーサラダドレッシングをかけ(シーザーサラダはなぜユリウス・カエサルの名を冠されているのか?)、きょうはカレーではなくてきのう買ったレトルトのハヤシライスを湯煎した。米を食うための品がいまレトルトのそれしかない。そろそろタマネギと豚肉を買って炒めたりしてもよいのだが。あと煮込みうどんが食いたい。
 食事中は、谷田邦一/中北浩爾「日本共産党結党100年:時代に合わせ柔軟に変わった1世紀」(2022/8/1)(https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00826/(https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00826/))と板倉君枝/橋本直子「日本のウクライナ避難民対応と難民政策を検証する」(2022/8/12)(https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00823/(https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00823/))を読んだ。このサイトはきのう読みかえした「読みかえし」ノートの二〇二〇年ミャンマー総選挙についての記事が載っていたところで、あらためてちょっとのぞいてみたのだった。nippon.comなんていうなまえだから右派なのかなとおもったら、どちらかといえばそうなのだろうけれど、左派的な話題もみられる。学びになればどちらでもよろしい。食後はすぐに汚れた皿を洗い(カレーとかハヤシライスとかは放置しておくとルーの残り滓がかたまってめんどうになってしまうので)、音楽を聞いた。きょうはさいしょからBill Evans Trioの『Portrait In Jazz』。冒頭からはじめて、”Come Rain or Come Shine”, "Autumn Leaves", "Witchcraft", "When I Fall in Love", "Peri's Scope", "What Is This Thing Called Love?"までで六曲。感想をこまかく記すのはめんどうだし、時間もないが、"Autumn Leaves"がやはりすごいのと、"When I Fall in Love"が絶品そのものでおなじくらいすごいかもしれない。"Witchcraft"はLaFaroが旺盛で六一年のライブのかたちを予兆している感があるというか、ここから発展していったらああいうことになるだろうなという気はする。ただ、"Autumn Leaves"にせよ"Witchcraft"にせよ、ここにあるのはまだ並行共存のそれではなく、どちらかといえば対話的な関係で、とはいえあからさまに対話するというよりは交差の感がつよいから、対話と並行共存のあいだに位置するありかたとして、それを対位的と呼ぶべきかもしれない。"Autumn Leaves"は間奏的なかたちでそういうことを演じる範囲を枠組みとしてつくっており、だからこの部分は要はセリフのかけあい、戯曲である。ただそれも前述のように、あいてに応じてというよりは、あいてがやっているなかでおのおのじぶんがさしこめそうな間合いを探ってそれを見出したら勝手に差す、という向きがつよいように聞こえ、だから受けて返してというよりはすれ違いの気味が顕著で、一般的な対話感とはちがうのではないか。それを対位と言っても良いのだろうし、交差的対話法などと言ってみても良いのかもしれない。たしかにとうじこのメンバーでのBill Evans Trioがはじめて出てきてひとが注目したのは、この交差感だっただろう。"Witchcraft"を聞いたベーシストは、やばいことをやるやつが出てきたな、こんなふうに弾けるやつがいるのかと衝撃を受けたはずである。ここからかれらは対位ですらなくなっていく。だんだんとたがいのほうを向かなくなっていき、あいてを見なくともそれが問題にならないような緊密なしぜんさをたがいの関係に得るにつれて、それによってこそ達成されうる拡散性へと到達するだろう。
 音楽を聞くと一時前くらいだったか。洗濯物を干すのをわすれていたので干す。このころはまだ向かいの保育園の上空に、あさくうねる白雲のなかに埋まった太陽のすがたが弱々しく絞られているのみだったが、その後薄陽のあかるさがカーテンにかかる時間もあった。そうはいっても三時一三分現在だとまた曇っている。洗濯物を干し終えるとちょっと音読してからきょうの記述にとりかかり、ここまで。四時半の電車で行かなければならない。それかその一本前に乗って、このあいだとおなじように(……)から歩くか。


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 勤務時のことを書く。(……)
 (……)
 (……)
 (……)
 帰路ほかは忘却。


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  • 「ことば」: 6 - 10
  • 「読みかえし1」: 484 - 491, 492 - 500
  • 日記読み: 2021/9/21, Tue. / 2014/2/17, Mon.


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谷田邦一/中北浩爾「日本共産党結党100年:時代に合わせ柔軟に変わった1世紀」(2022/8/1)(https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00826/(https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00826/))

日本は長年、アジアで唯一の先進国でした。この事実を踏まえ、宮本顕治書記長が主導して1961年、先進国でありながら社会主義革命ではなく民主主義革命(民族民主革命)を目指す独自の綱領を採用しました。さらにこの綱領のもと、まず米国に妥協的なソ連と衝突し、続いて武装闘争を求めた中国共産党とぶつかり、自主独立路線を確立します。「モスクワの長女」と呼ばれたフランス共産党はもちろん、イタリア共産党ソ連への遠慮が消えませんでした。これら二つの西欧最大の共産党と比べても、日本共産党の特異性は際立っています。

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武装闘争方針を放棄した55年の六全協(第六回全国協議会)の後、最高実力者になった宮本のもとで成立した日本共産党の政治路線を、私は「宮本路線」と呼んでいます。それは、第一に民族民主革命を平和的手段で実現することを目指す61年綱領を中核としつつ、第二に国際共産主義運動の内部で自主独立路線をとり、第三に大衆的な党組織の建設と国会などでの議席の拡大を図るものです。

宮本路線という言葉を使ったので、独裁的な権力を党内で行使したように思うかもしれません。しかし、宮本は集団指導の原則を少なくとも形式的には守りました。その結果、日本共産党は外国の兄弟党にみられるような個人崇拝とは無縁でした。今でも、それは変わりません。実は宮本自身、集団指導の原則ゆえに「宮本路線」や「宮本体制」といった用語には批判的でした。

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参院選前の2022年4月に、志位和夫委員長が党本部の総決起大会で「有事の際に自衛隊を活用する」と発言し、他党から批判が相次ぎました。志位氏は「急に言い出したことではなく、2000年の党大会で決定し綱領にも書き込んでいる」と反論しましたが、これも同党がよく理解されていないことを示す事例ですか。

志位氏の発言は不正確だと思います。共産党はいったん00年に自衛隊活用論を打ち出したものの、党内に批判があって、当面は自衛隊を活用しないという方針に軌道修正しました。安保法制反対運動後、野党共闘を進めるなかで再度持ち出してきたというのが真相です。自衛隊活用論一つとっても紆余曲折があり、私たちだけでなく、党内でもきちんとした知識や情報が共有されていないと感じました。

―やはり時代に合わせて柔軟に変遷させてきた外交・安全保障政策の振幅が大きいからでしょうか。

日本共産党の政策には、強固に維持されている部分と、それ以外の柔軟な部分の両方があります。同党の外交・安全保障政策について言えば、米国帝国主義への批判は一貫していて揺るがない。しかし、自衛隊に関しては、かなりの柔軟性があります。戦前の共産党天皇制の打倒がメインの方針でしたが、1961年綱領以降、日米安保条約の廃棄(破棄)が最も重要な政策です。それに比べると、自衛隊はやや脇の論点です。これも十分に理解されていない点であり、天皇制廃止論や自衛隊違憲論が共産党の主張のコアだと思っている人が意外に多い。同党にとって一番重要なのは、日米同盟の解消なのです。近年、日本共産党は中国批判を強めていますが、それが日米安保条約の肯定にまで至るかというと、かなりハードルが高いと思います。このことが立憲民主党などとの野党共闘を進める上で大きな障害になっています。

―最近、女性の登用が盛んですが、かつては日本社会に根深い女性差別から逃れられなかったと著書で触れています。

私の本では、戦前の日本共産党の暗部だった女性差別について、地下活動を行う男性幹部に女性活動家がハウスキーパーとして手当されていた事実を慎重な表現で紹介しました。立花隆の『日本共産党の研究』にも書かれていて、昔からよく知られていることなのですが、知り合いの研究者などからは、批判が生ぬるいと言われました。「日本共産党は性暴力を容認していた」と書くべきだったという意見も、複数のフェミニストからいただきました。

同党は最近、本腰を入れて女性を登用しようとしています。今回の参院選では58人の候補者のうち32人、55%が女性でした。当選者でも4名中2名、5割が女性です。党幹部についても女性を増やしてきています。しかし、その一方で、分派の禁止を伴う民主集中制の組織原則が維持され、党中央が下部を強力に統制しています。ジェンダー平等を重視し、多様な性のあり方を認めることも大切ですが、それとともに党内に多様な意見が存在することを認め、党員間で自由に議論を戦わせるようにならないと、党組織は活性化しないと思います。

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多くの老舗企業も同じですが、変わるのは容易ではありません。しかし、今回の参院選日本共産党が獲得した比例票は361万で、前々回の601万、前回の448万から大きく減らしています。また、野党間の選挙協力も今回の参院選で後退し、見通しを失っています。体力が残っている今のうちに変わらなければ、じり貧に陥る恐れがあります。しかし、見方を変えると、共産党が本格的な路線転換に踏み切れば、野党共闘が強化され、自公ブロックに対抗できるようになる。つまり、日本政治の閉塞感を打破するゲームチェンジャーになりうる存在なのです。


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板倉君枝/橋本直子「日本のウクライナ避難民対応と難民政策を検証する」(2022/8/12)(https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00823/(https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00823/))

2022年3月以降、日本が受け入れたウクライナ避難民は7月下旬時点で1600人を超えた。「1982年から2021年までの約40年で日本政府が認定した難民の数である915人を、わずか4カ月で超えました。そして難民よりも、良い待遇、充実した支援を受けています」と橋本氏は言う。

「特別扱い」は、21年8月タリバン復権したアフガニスタンからの難民と比較すると明白だ。日本政府は、日本と関係がある、あるいは協力したために命を狙われる可能性のあるアフガン人の国外退避支援を躊躇(ちゅうちょ)した。大使館、国際協力機構(JICA)の現役職員は家族も対象としたが、日本のNGO現地スタッフの場合は、本人のみ。同年8月時点で雇用契約が切れていた元現地職員や家族帯同を希望するNGO職員など、そのリストから漏れた人たちは「民間退避」となり、ビザの取得が極めて困難だ。日本人か永住者の身元保証人、滞在中の生活費の支払い能力、日本での就職先など厳しい要件が課されている。

一方、ウクライナ人には条件を大幅に緩和し、即時に短期滞在ビザを発給、政府専用機に搭乗させる異例の対応もした。来日後は就労可能な在留資格に切り替え、ウクライナ人「限定」の就職先や公営住宅のあっせんもある。生活費補助、日本語教育など官民からの支援も手厚い。

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「避難民」に公的定義はないが、今回はロシア軍による無差別暴力を逃れてきた人たちを指し、1951年の「難民の地位に関する条約」(難民条約)に定義された「条約難民」とは区別される。

戦時でも平時でも、条約に明記された5つの事由「人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること、政治的意見」のいずれかに基づく差別によって迫害を受ける恐れがある場合に、条約難民の定義に当てはまる。ただし、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が指摘する通り、多くの場合内戦下では、武力攻撃が完全に無差別であることはまれだ。

日本の難民認定率は1%にも届かない。欧米と比較して際立って低いのは、「迫害」の概念を狭く解釈していることも一因と橋本氏は言う。

「迫害の “恐れ” がどの程度あれば難民とみなすのか。日本は他国と比べると、その要求水準が高く、悪い意味で完ぺき主義だと言えます。命からがら逃れてきた人にとって、迫害に関する客観的な証拠をそろえるのは至難の業です」

難民認定は、過去に迫害を受けたかだけでなく、将来、どの程度迫害の対象になるかを予想することです。民事裁判、刑事裁判とは全く違う基準、考え方が求められるのです。また、移住労働者として経済に貢献できるかなどの短期的実利ではなく、日本が人道的な国という国際的評価を得られるか、中長期的な国益を俯瞰した戦略的判断が必要です」

「日本には、良しにつけ悪しきにつけ、外交政策としての難民保護という考え方が(インドシナ難民を除いては)ほとんどありません。移民にせよ難民にせよ、基本的に外国人を受け入れることが政策カードの一つになっていない。単一民族的国家だという強い思い込みが残っていることも、背景にあるかもしれません」

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2021年に政府が国会に提出した入管法改正案は、野党や国内外から強い批判を浴び、廃案となった。中でも、3回目以降の申請で送還停止効を解除する点が難民条約の「ノン・ルフールマン原則」に反し、「人権侵害」だと問題視された。入管施設に収容中のスリランカ人女性が亡くなったことも、審理の逆風になった。

岸田政権は、ウクライナ避難民などを「準難民」(補完的保護)として扱う制度を全面に押し出して、改正案を今秋にも再提出予定だ。

「補完的保護という単語は、昨年の改正案にもありました。ただ、『難民条約上の5つの要件に当てはまらないが迫害の恐れのある人』を対象としているので、今のように迫害の恐れの解釈が狭いままでは、保護対象者は増えないでしょう。EUの補完的保護を参考に、『無差別武力紛争を逃れてきた人』や『拷問の恐れがある人』と明記すべきと考えます」

     *

橋本氏は、送還停止効のもう一つの例外規定案に関しても注意喚起する。昨年の改正案には、仮に難民(申請者)が、受け入れ国の安全にとって危険な存在になった場合、ノン・ルフールマン原則は解除されるという難民条約の条文にのっとり、その要件が列挙してあった。

「例えば、日本で反社会的な集団とみなされている団体を、そうとは知らずに手助けしてしまった場合でも、送還停止効解除の可能性があります。チラシの中身を理解していないのに頼まれて配ってしまった、あるいは、相手がテロリストと知らずに通訳のアルバイトをしてしまった、そのような行為をした疑いがあるだけで、送還・追放の対象になり得る条文案でした。これでは『危険』とみなす範囲が、あまりにも広すぎます」

誰を危険とみなすか、どの程度の「迫害の恐れ」との比較衡量(ひかくこうりょう)が妥当か。母国で拷問される危険があるので送還できないが、受け入れ社会にとって「危険」である人をどう扱うか。その基準は諸外国でもばらばらで、世界的な難民法学者たちも頭を抱えている超難問だと言う。

     *

法務大臣の自由裁量となる「在留特別許可」(在特)の在り方も、検討が必要だ。

「例えば、日本に家族がいるから特別に在留を許可するというのは、母国での迫害の恐れとは無関係なので、難民認定作業とは切り離した別枠での人道的配慮が必要です。補完的保護に無差別暴力と拷問からの避難民を含めた上で、条約難民認定、補完的保護、人道的配慮に基づく在留特別許可の3つのカテゴリーを整理する。同時に、今後も『顔の見える国際協力』を推進するなら、日本に協力した(元)現地職員と家族の退避制度も整備すべきです」

日本では、入管が警察・検察・司法の三役を担っていることや、在特の基準が不透明であることが批判されている。

法務大臣は、「難民審査参与員」のヒアリングと意見書を参考にして、難民不認定者からの異議に対する判断を下すことになっている。参与員は、法律または国際情勢に関する学識経験者から選ばれる。橋本氏もその一員だが、参与員全員が難民法や認定手続きに詳しい専門家とは限らない。さらに、参与員の意見書が法務大臣による判断を拘束するわけでもない。

「日本には難民政策に限らず、独立した第三者機関がほとんどないことを考えると、すぐに実現するのは難しいでしょう。でも、少数精鋭の難民・庇護政策の専門家委員会が準司法的な最終決定権限を持った形で、フルタイムで従事することが理想です」

     *

すぐに難民政策を大きく変えることが難しいとするならば、いま日本ができることは何か。

「既に2010年から実施している第三国定住(難民キャンプ等で一時的な庇護を受けた難民を、当初庇護を求めた国から新たに受け入れに合意した第三国へ移動させること)を拡充していくことです。すでにUNHCRのスクリーニングを経て、日本政府が事前に面接し、審査を通った人たちです」

「政府は、2020年から、アジア地域に滞在する難民を毎年60人受け入れるという閣議了解を出しましたが、コロナ禍でストップしています。ウクライナ避難民を受け入れられるなら、その人たちも受け入れられるはずです。早く再開し、もっと数を増やすべきです。例えば、2010年から19年にかけて、ミャンマー難民を計194人しか第三国定住で受け入れていない。欧州の小国でも年間数千人程度は受け入れているのです。世界的に見て、受け入れ枠が質量ともに貧弱すぎます」

人道主義に基づく難民受け入れと、長期的な国益は相反するものではありません。日本はまだそのことを十分認識できていません。外交戦略としての難民受け入れ政策という大きなビジョンが欠けていると言えます」


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Gloria Oladipo, Martin Belam and Pjotr Sauer, “Russia-Ukraine war latest: what we know on day 210 of the invasion”(2022/9/21, Wed.)(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/21/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-210-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/21/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-210-of-the-invasion))

The president also threatened nuclear retaliation, saying that Russia had “lots of weapons to reply” to what he called western threats on Russian territory and added that he was not bluffing. In a highly anticipated televised address, Putin said the “partial mobilisation” was a direct response to the dangers posed by the west, which “wants to destroy our country”, and claimed the west had tried to “turn Ukraine’s people into cannon fodder”.

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Putin’s decision to announce a partial mobilisation sent shockwaves across Russia. Since the start of the invasion on 24 February, the Russian president has sought to shield his population from the grim realities of war, with the Kremlin eager to cultivate a sense of normality on the streets of Moscow and other major cities. But with the decision to announce a partial mobilisation and the call-up of 300,000 mostly young Russian men, the war will now enter the household of many families across the country.

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Putin also said Russia would give its full support to the referendums announced for this weekend in Luhansk, Donetsk, Kherson and Zaporizhzhia to join the Russian Federation. He accused the west of starting a war against Russia in Ukraine in 2014. “In its aggressive anti-Russian policy the west has crossed all lines,” the Russian president said.