2022/9/22, Thu.

西脇順三郎訳『マラルメ詩集』(小沢書店/世界詩人選07、一九九六年)

●51~52(「エロディヤード」; Ⅰ 序曲)
 彼女は時々混乱して
 悲痛な予言を歌った!
 なめし皮の小姓が給仕する食事用寝台は
 亜麻布でなく、役にたたなく修道院的よ!
 夢をひそますあの懐かしい妖術の本も
 また廃れた山羊の毛織の墓所の天蓋も
 眠る髪の毛の香りももうない。あったことがあるか?
 冷たい少女は散歩を美妙な楽しみとし
 花が寒さに震える朝でも
 またザクロを折った意地悪の夕暮でも!
 三日月は、そうだ、時の鉄の指針面にただ一つあり
 振子としては反逆の天子が吊られている
 それはいつも人を傷つけ、暗黒の涙に滴る
 水時計でいつも新しい時間は泣くのだ。
 見捨てられてさまよう彼女の影の上には彼女の(end51)
 言い難い足どりにつきそう天使もいない!




 目を覚まして携帯を見ると九時四七分だかそのくらいだった。カーテンの端をめくってそとを見てみると、空は淡い雲をまぶせられて希薄化した水色。そこから腹を揉んだり脚の付け根をさすったり、あたまを左右にころがしたり胎児のポーズをとったりとからだをすこしずつセットアップしていく。数日前からようやく秋らしい涼しさの日々にうつっており、布団を脇にのける必要もなく、それを覆い被せられたままでもぞもぞうごく。昨晩の件があってやはり腹を揉んでおくのが大事なのだなとおもったので、下腹部全体を、そしてとりわけ臍のうえあたりをよく揉みほぐしておいた。一〇時四〇分ごろに離床。前夜はたしか二時五〇分かそのくらいに床についたとおもうので、睡眠なら七時間、滞在なら八時間ほどでどちらにせよわるくない。七時間八時間くらいはやはりねむるものだろう。洗面所に行ったりうがいをしたり、水を飲んだりしたあときょうは蒸しタオルもやった。それですぐにまた寝床にもどり、Chromebookで一年前の記事の読みかえし。2021/9/22, Wed.にはしたのような記述。

(……)新聞からはイスラーム思想家でもあるというヨルダン王子(現国王のいとこ)へのインタビューを読んだ。アル・カーイダのようなジハード主義者がやっているのはジハードではなくてテロリズムであると。ジハードはもともと努力という意味で、みずからのこころの悪に打ち克つという意味での大ジハードと、「正戦」としての小ジハードがあり、重要なのは前者だし、「正戦」にしてもそれをおこなえるのは国家だけで、おこなうにしても先に攻撃されたとか規範から逸脱してはならないとかきびしい制約が課せられているものだと。だから二〇〇一年九月一一日のテロのような、自国から遠くはなれた国の民間人を標的にした攻撃は本来の意味のジハードとはまったく言えない。イスラームの宗派としてはスンニ派シーア派という大別があるわけだが、スンニ派内でもそれまでに積み重ねられてきた法学者たちの解釈の伝統を尊重しそれにしたがおうとする派閥(スンニ派のうち六五パーセント)と、それらの蓄積を無視して初期イスラームの時代にもどろうとするような派閥とで分かれているといい、このあたりはカトリックプロテスタントの区別に似ているのかもしれない。前者のうちには四大学派があり、そのうちのハナフィー学派という派閥から派生するかたちで独自解釈をこころみたのがデオバンド派であり、タリバンはこれにもとづいている。後者の派閥にはサウジアラビアの一部などで見られるサラフィー・ワッハーブ派やエジプトのムスリム同胞団、そしていわゆるジハード主義者のたぐいがふくまれると。彼らはイスラーム解釈の伝統を無視し、一部を極端に重要視した拡大解釈をおこなっている、とのこと。

     *

いま二時(二六時)四五分。二〇日月曜日の記事をしあげ、火曜日分とともにブログに投稿し、ようやっとその日のうちに前日分までしあげて投稿するというところまで持ってくることができた。きょうのことはまだ書けていないが、あしたにはおそらく、ひさかたぶりで現在時まで記述が追いつく、という状態にできるだろう。先日の記事にしるしたとおり、日記なんてものはその日のうちかせいぜいつぎの日までにさっと記録するものであり、何日もかけたり、一週間後になってようやく一週間前をしあげたりするものではない。これはじつにただしい主張である。このことをこころに留めて、さっさかさっさかと楽にやっていきたい。そして日記を日々コンスタントにかたづけることができれば、それいがいのことにとりくめる。つまり翻訳をやったり、詩をつくったり、ばあいによっては小説のたぐいをこころみたり、家事をやったりということだ。そもそもむかしはふつうに毎日完成・投稿のペースをまもってやっていたのだが、なぜいまのようなことになったのか? 認識と記憶の成長によって書くこと書けることが増えすぎたというのがやはりおおきくはあるのだろう。二〇一四年あたりには二〇〇〇字三〇〇〇字くらいでひいひい言っていたとおもうし、五〇〇〇字書いたらめったにない快挙だった。いまなら三〇〇〇字五〇〇〇字などもののかずではない。三〇分散歩すればそのくらいはふつうに行くだろうし、数時間街に出れば一万字は余裕で超える。世界はつねにゆたかであるのだから、それはしかたない。あとは単純ななまけごころと熱情の衰退。

 「先日の記事にしるしたとおり、日記なんてものはその日のうちかせいぜいつぎの日までにさっと記録するものであり、何日もかけたり、一週間後になってようやく一週間前をしあげたりするものではない。これはじつにただしい主張である」というのはいまも同意だ。まったくもってじつにただしい主張だ。ところがじつにただしいとおもうその主張にしたがうことが一向にできない。
 往路の記述は以下のようなもので、まあわりとやってんなと言ってやってもよい文にはなっている。二段落目は記憶を喚起されるようでよい。

(……)三時四〇分ごろに出発。このころには晴れていて、川向こうの集落や山にまだまだいろ濃くにおやかなオレンジ色が投射され、空はおおかたきりりと青いなかに粉状の淡い雲がすこしひっかかっていたり、チョークの粉をつけた指でなぞったような細雲が引かれているのみ、公団前まで来るとまぶしさがいっぺんにひろがり視界が占拠され、おもわずほとんどまぶたを閉ざすようになり、陽射しは肌にじりじりと暑いが十字路まで行けば風が木立をざわめかせて、まろやかな涼しさをもたらした。坂道は枝葉の天蓋でひかりが弱く、時もまだはやいから鋭角薙ぎのあまい木洩れ陽もないが、左手のガードレールの奥では木立の上方にあかるさが侵入して水平にひろがり、射られた一本の緑葉がことごとく白さをはめこまれて季節はずれの電飾のようになっていた。

暑かった。蒸す感覚はなくて気持ちの良い秋晴れではあるものの、陽射しがなかなかに旺盛で、駅につくころにはからだがだいぶ汗ばんでいた。ホームにはいると屋根がつくりだしている蔭の端に止まって、電車到着のアナウンスがあるまでひとときたたずんだ。微風があまり途切れずながれて汗に涼しく、線路脇に群れて茂った立位のほそながい草ぐさは、揺れるというほどの動きでもなくごくしずやかに、しかし絶え間なく風にさそわれたわむれていて、寝入ったからだのような微細な息づきがかならずどこかしらで生じて法則なしに交替しあっているその動きは催眠的というべきものかもしれなかった。草と空のあいだのひかりが満ちとおった宙には一匹の虫がただよって、トンボだろうかと見つつ定められなかったが、あかるいひかりの橙のなかでさらに独立したオレンジの一片として行き交っていた。目をふればホーム上の柱の上端と屋根のあいだに張られた三角旗のような蜘蛛の巣も、大気のあかるさを分けあたえられ、ひかりを塗られてきらめいている。

 それから2014/2/18, Thu.も。つぎのような一段落。とくにおもしろくはないが、二〇一四年のじぶんにしてはがんばっていると言ってやってもよい。

 木々のあいだをすりぬけた光はその先で民家にぶつかって広がり、無表情な素朴さを見せる家壁がオレンジ色のスクリーンに変わると、光の手にさらわれた分身がそこに映しだされた。西の空には落日がまばゆく輝いていた。緑と紅色が暗く混ざりながら長く伸びる林はその全体が淡いオレンジ色に包まれ、夕陽が宿ったすべてのものに分け与えられるあのつくりものめいた美しさをまとって町に寄り添った。斜陽の光が波のようになかばまで広がった頭上の空には、糸のほつれた帯のような雲がひとすじ走った。広場では無数に連なった雪の小山が昼間の太陽の力でえぐれて襞をつくり、波立つ海面が凍りついたふうにも、あるいは白い砂漠が広がっているようにも見え、それ自体がひとつの完成された造形作品さながらの存在感を放っていた。

 「寄り添った」「走った」というこの二文の終わり方は、いまだったらふつうに「寄り添っていた」「走っていた」としてしまうところだが、たぶんこのとうじは、具体的に特定できる時空において主体(こちら)がみたものとしてというよりも、この林とか空がそれそのものとしてあるように書きたかったのではないか。つまりこちらの一人称ではなく、三人称的な視点にちかいものとして。もうひとつ、この前後はどちらも「輝いていた」「放っていた」と「~~ていた」で終えているので、あいだもそうするとぜんぶおなじ文末になってしまうというあたまもあったかもしれない。いまだったら一文をもっとながくしてそういうことを回避してしまえるけれど、このとうじはまだながい文をつらねてつくるちからはさほどなかっただろうし、マルケスの影響も受けていただろうから、堅実に締まった文のリズムを体得しようとしていたはず。二〇一五年くらいからそのリズムの一定性が退屈になってきていたような記憶がある。というか、のちになって読みかえしたときにそうおもったのだったか。さいしょからさいごまでほんとうにおなじリズム感でずっと書いていて単調だな、と。それくらい身についたということではあったわけだ。
 あと、「教室のすぐ正面にあるバス停が雪の重みで斜めに倒壊し、黒い縞が入った黄色いテープで囲まれ、危険を警告する紙が貼られていた」と。言われてみればたしかにこういうことがあった。それくらいの影響をもたらす大雪だったのだ。
 起き上がり、正午前から瞑想。二五分ほど。わるくはないが、そうながくすわれたという感じでもない。洗濯をすることに。このころにはすこし陽の色がみえていたのだ。その後、午後三時現在ではまた白さに閉ざされて、さきほど洗濯物を入れたときにふれたピンチの先端がちょっと水気を帯びていたから、見えないほどのかすかな雨もはじまっていたようだ。ニトリのビニール袋にはいっている汚れ物をひとつずつとりあげてはひろげて洗濯機に放りこみ、注水をしているあいだに便所でクソを垂れ、出ると洗剤を入れて開始。うごきはじめたその洗濯機のうえで野菜を切る。サラダはキャベツと豆腐とリーフレタスのみで、ドレッシングも胡麻のもの。昨晩とおなじで、ひきつづき腹のようすを見ることにしたのだ。食うのもさいしょのうちはゆっくりしていたが、大丈夫そうだったのでわりとふつうに食べすすめ、サラダいがいにこのあいだスーパーで買ったバターデニッシュも食べた。消費期限がきのうまでだったので。冷蔵庫に入れておいたのを電子レンジですこしあたためてはようすを見、ちょうどいいくらいの温度になったところで出してもぐもぐかじる。あいまは(……)さんのブログ。一八日分と一九日分。冒頭の引用はよくわからないところもあるが、興味深いのでふたつとも引いておく。

 そもそも主体は、自らの根源的な「病」を経験していなければ、分裂した主体であることを選択できない。まず決定論の要請、あるいは「脱-心理学」の要請によって形成される領域を旅していなければ——自らが行うすべての行為の原因すべての間に、一貫した、「閉じられた」連鎖関係が存在することを、そしてこれによりすべての行為の動機や意義が完全に説明できるということを、仮定するような領域を通り抜けていなければ——主体は(自由な)主体であることを選択できない。つまり主体は、まず強いられた選択肢ではなく、排除されたあるいは不可能な選択肢にたどり着いていなければ、主体としての存在を選択できない。まさにこれがSという選択肢——不自由であることの選択、完全に〈他者〉に従属した状態、自分の行為すべてが動機や利己心やその他の原因によって完全に決定される状態の選択——である。主体は、まず「私は行う」、「私は考える」などと言えないような場所にたどり着いていなくてはならない。このように主体自身が不在であるような不可能な点、主体に言えることは「私は存在しない[アイ・アム・ノット]」のみであるような点を通過することが、自由な主体としての地位を獲得するための必要条件である。そこに到達して初めて、決定論を極限まで突きつめていって初めて、倫理的主体の基盤となる「余り」が現れるのである。カントは、自由の基盤をなすこの根源的疎外の経験をどのように記述し、そして理論化しているのだろうか?
 しばしばカントは、現象としての主体は自由でありえない、自由とは主体性の「ものそれ自体」としての「側面」のみに属する、と主張する。が、批評家たちに言わせれば、そのような立場は、どうしようもないジレンマに陥るのみである。自由が「ものそれ自体」の領域に限定されるならば、それは現実の人間主体を理解する上で何の役にも立たない、全く空虚な概念となってしまう。逆に、実際に自由はこの世界に変化をもたらしうると考えるならば、それは超時間的なもの、「ものそれ自体」ではないということになる。すなわち、問題はこれである——どうしたら自由というひとつのものが、全く同時に、経験的性質と純粋思弁的な性質とをあわせもちうるのか? どうしたらひとつの行為が必然であると同時に自由でありうるのか? 『たんなる理性の限界内の宗教』の中で、カントはこれらの問いに答えて言う。

 選択意志の自由は全く独特な性質をもつ。というのは、誘因は、人がこれを彼の行動原理にとり込んでいるかぎりにおいて(これを、自分の行動を決定する際にしたがう一般的原理としているかぎりにおいて)、彼の選択意志を決定することができるからである。このようにしてのみ誘因は、それがどんなものであれ、選択意志の絶対的自発性(つまり自由)と共存できるのである。

 主体の特徴である自由にたどり着くためには、法則の対立項である恣意性あるいは任意性から考えなくてはならない、などというのは間違いである。その行為が予測不可能であるからと言って、主体が自由であると言えるわけではない。そのような解決が示しているのは、まだ我々が「脱-心理学の要請」の道を歩みきってはいない、ということのみである。確かに、その動機だと思われるものが、実際そうではなかった、ということもありうる。しかし、だからといって主体には他の動機、他の「病的」な利己心がなかった、ということにはならない。それゆえ我々は、主体の行動の恣意性の中にではなく、法則あるいは必然性自体の中に自由を探さなくてはならない。我々は、法則あるいは因果律による必然の中で主体が果たしている積極的役割を明らかにしなくてはならない。つまり、主体とは無関係のように思われる因果律の中に主体がすでに書き込まれている点を、明らかにしなくてはならないのである。
 右の引用でカントが言っているのは、まさにそういうことである。主体の問題においては、すべての原因と結果の関係の大前提として、必ずある種の行為(「意識的」であるとはかぎらないある種の決断)——何らかの駆動力を(十分な)原因として確立するような、つまり主体の行動を導く原理に組み込むような、ある種の行為——が想定されている。このような読解は、「組み込み理論」として、ヘンリー・E・アリソンによって提出されている。駆動力は、それ自体何の動機にもならない。それは、直接的には何物をも生み出すことができない。それは主体の行動原理に組み込まれた時にのみ、そのような力を発揮する——つまり「動因」あるいは「誘因」となる。

 簡単に言おう。自己保存、私利私欲、あるいは幸福が私の行動原理である時、それらがそのような権威ある立場にあるのは、私の中においてそれが自然な状態であるからではなく、私自身がそれらに原理としての権威を与えているからである。……もちろん、だからといって我々は、我々の行動の根底にある原理が前時間的・非時間的に、あるいは意識的・意図的に、外部から採用される、などと考えてはいけない。むしろ、自己を顧みた時、我々は、自らがそのような原理——道徳に関する根源的な意志の方向づけ——にずっとしたがってきたことを知るのである。

 アリソンによれば、カントの主張は次のようにまとめられる——「(自然な)ことの成り行きに流されるもよかろう。だが最終的に、このような必然性という君の行動の原因を原因としているのは、他でもない、君自身である」。主体の行動の原因の原因は存在しない——原因の原因は、他でもない主体自身である。ラカンの言葉で言うなら、〈他者〉の〈他者〉とは主体である。意志を超越論的なものとして、自由なものとして位置づけること、これは意志がその対象すべてに先行するということを意味する。意志は何らかの対象に向かうかもしれないが、この対象自体はそれに向かう意志の原因ではない。
 以上のことは日々の経験からも証明されるであろうが、より明確かつ印象的な事例を提供してくれるのは、精神分析が発見したもののひとつ、フェティシズムである。人物Aが何の関心も示さないある物体を見ると、人物Bは、自らの意志とは無関係に一連の行為あるいは儀式を行わずにはいられない。これはその物体が、二人の内のリビドー配分図において同じ場所を占めてはいないからである。カント流に言えば、Bの場合、この物体は、すでに彼の行動原理に組み込まれており、それゆえ動因として機能しているわけである。さらにカントが言うには、我々は、これには主体すなわちB自身が一枚噛んでいる、と考えなくてはならない。我々は、この動因あるいは誘因を行動原理に組み込む際になされる決断は主体のものである、と考えなくてはならない——たとえ主体がこの決断をそのようなものとして経験しなくても、である。フェティシストは、「今日この日、私は、ハイヒールを私の欲望の究極の対象、動因とすることに決めた」などとは言わない。彼は、ただこう言うのみである——自分ではどうしようもないのだ……私が悪いのではない……我慢できないのだ……。
 このような決断は、もちろん無意識レベルのもの、カントの言葉で言えば「心術」——すなわち誘因を行動原理に組み込む際の究極的な基盤である主体の心的傾向——のレベルに位置づけられるべきものである。しかしここで重要なのは、この「心術」、主体の究極的な心的傾向それ自体、主体によって選択されるものであるというカントの主張である。これは、精神分析において「神経症であることの選択[ノイローゼンヴァール]」と呼ばれるものに近いと考えていいだろう。主体は、自らの無意識に従属している[サブジェクト]——あるいは、隷属している——と同時に、最終的には、その無意識の主体[サブジェクト]——その無意識を選択した者——でもあるのだ。
 「主体が自らの無意識を選択する」という命題——これを、「(精神分析流)自由の要請」と呼ぼう——こそ、精神分析成立の条件である。精神分析の目的=終着点[エンド]である視界の変化、ラカンが「移行[ラ・パス]」と呼ぶものは、この原理を背景としてのみ起こる。無意識が選択されるのは一度だけではない。精神分析は、主体を新たな選択ん入り口まで導いた時、つまり主体が新たな選択の可能性があることに気づいた時、終了するのである。「精神分析の倫理」についてのセミナーの開始を告げるラカンの言葉——むしろ問いかけ——は、このような観点から理解されねばならない。

 これは言っておきたいのだが、道徳的行為は我々に問題を投げかける。というのは、精神分析は、我々にこれに対する心構えをさせると同時に、最終的には、その入り口のところで我々を置き去りにするからである。実際、道徳的行為は、現実に接ぎ木されている。それは現実なるものに何か新しいものをもち込み、そうすることによって、そこでは我々が存在している位置が正当化されるような、そんな道を切り拓く。精神分析が我々に道徳的行為に対する心の準備をさせるとは、いったいどういうことか? もし、本当にそのようなことがあるならば? 精神分析が我々を、言わば、いざそのような行為にとりかかることのできる状態にするとはどういうことか? なぜそれはこのように我々を導くのか? また、なぜそれは玄関口で立ち止まってしまうのか?

 (『リアルの倫理——カントとラカン』アレンカ・ジュパンチッチ・著/冨樫剛・訳 p.47-52)

     *

 「理論哲学」においてそうしたように、カントは実践理性の領域に、現象のレベルにも「ものそれ自体」のレベルにも還元できない第三の要素を導入する。彼が『純粋理性批判』で発展させた主体の概念は三つの要素——まず現象としての「私」、表象としての、あるいは意識されるものとしての「私」、第二に「ものそれ自体」のレベルに位置づけられる「考える『もの』」、そして第三に純粋統覚としての超越論的「私」——からなるものであったが、実践理性の領域においても、我々は同じように三つの部分からなる主体性に出会うことになる。第一に現象の領域、つまり因果の連鎖の領域における人間の行為や行動——ここにあるのは「心理学的私」、自分自身が自由であると信じている意識のレベルの「私」である。次に、主体の心術であるが、これは「ものそれ自体」のレベルに属する。なぜならそれは、主体が直接経験することのできないもの、主体の行動から推測するしかないものだからである。そして第三の要素として、主体によるこの心的傾向の選択、現象のレベルに属さず、また「ものそれ自体」のレベルにも属さない「主体が自発的に行う行為」があるわけである。
 アリソンは心術を、カントが第一『批判』において「統覚の超越論的統一」、あるいは「主体が自発的に行う行為」と呼んだものの「実践的」対応物として理解してはどうかと言うが、これはいささか早合点だと思われる。この解釈の問題点は、それが心術と、主体による心術の選択という(超越論的)行為との差異を抹消してしまうことにある。確かにカント自身、時折、統覚としての「私」と(「ものそれ自体」としての)「考える『もの』」との区別を曖昧にしてしまっているが、この区別は、彼の実践哲学においては絶対的に重要である。主体の心的傾向とは選択されるものであることを強調する際、彼は、「我々の内にある『ものそれ自体』」——つまり心術——と、主体による心術の選択が行われる空虚な場所に他ならない超越論的「私」との区別をも強調している。この空虚な場所は「ものそれ自体」のレベルにはない。むしろそれは、現象と「ものそれ自体」の差異を保証する盲点の具現である。この「盲点」があるために、(行為する)主体は自らに対して透明ではありえない、つまり「主体の内にある『ものそれ自体』」、すなわち心術に直接到達することができないのである。
 さらにこの差異は、超越論的自由と実践的自由の差異の源でもある。カントの言う実践的自由とは、心術のレベルの自由、主体の行動を決定する原理に特定の誘因を組み込む自由である。他方、超越論的自由の機能は、この根源的な選択の背後には何もない——自由の「メタ基盤」など存在しない——ということを示す空虚な場所の輪郭を示し、そしてそれを維持することである。主体の心術が、あの誘因ではなくてこの誘因を組み込む原因であるとすれば、ここにおいて超越論的自由の存在が意味することは、他でもない、この原因の〈原因〉など存在しないということである。
(『リアルの倫理——カントとラカン』アレンカ・ジュパンチッチ・著/冨樫剛・訳 p.52-54)

 ひとつめの引用の、「我々は、この動因あるいは誘因を行動原理に組み込む際になされる決断は主体のものである、と考えなくてはならない——たとえ主体がこの決断をそのようなものとして経験しなくても、である。フェティシストは、「今日この日、私は、ハイヒールを私の欲望の究極の対象、動因とすることに決めた」などとは言わない。彼は、ただこう言うのみである——自分ではどうしようもないのだ……私が悪いのではない……我慢できないのだ……」とか、「しかしここで重要なのは、この「心術」、主体の究極的な心的傾向それ自体、主体によって選択されるものであるというカントの主張である。これは、精神分析において「神経症であることの選択[ノイローゼンヴァール]」と呼ばれるものに近いと考えていいだろう。主体は、自らの無意識に従属している[サブジェクト]——あるいは、隷属している——と同時に、最終的には、その無意識の主体[サブジェクト]——その無意識を選択した者——でもあるのだ」という部分を読んで、過去になにか似たような、にんげんだれもじぶんの強迫観念をえらびとってそれを引き受けながら生きていくしかないものだろう、みたいなことばを書きつけたことがあったような気がした。たしか一八年の変調中に、医者で、じぶんの書きものが強迫観念的だといわれたときではなかったかとおもったが、それでブログを検索してみると、時期としてはやはりそのころ、2018/1/21, Sun.のことで、「自分はやはり、出来る限り平静と自足を保ち、その瞬間瞬間を丁寧に生き、その時々の自己と他者を大切にして生きて行きたいと思うものであり、それが自分にとっては多分、要は書くことと生きることを一致させるということの内実だと思うのだが、そのような考えがもし強迫観念となって自分を苦しめるとしても(しかし人間、ある意味で、何かしらの事柄を強迫観念としなくては生きていけないのではないか? 自らそれに従うことを同意し、自覚した形での強迫観念、それがそれぞれの人の「物語」であり、あるいは「信仰」というものではないのだろうか)、そうであっても自分はそのようにしていきたい、瞬間を書き続けることをやめたくはないという結論が、一応導出された(しかしまたそのうちに、これを疑いはじめるのではないかという気もしており、さらにその後、またここに回帰するのではないかという見通しまで立つ。もう自分はそのように、常に迷い続ける存在で良いと思う)」という一節が見つかった。この時期はあたまがだんだん狂いだして、そのように現在の瞬間を絶えず(もちろん断片的・飛躍的にだが)あたまのなかで言語化してしまう意識のはたらきとか、そういうふうにあたまのなかで言語が自動的に生まれてながれていくさまそれじたいとかが怖くなり、日記を書こうとコンピューターのまえについてもじぶんの脳内の言語もしくは思考そのものが怖いわけだから、そんな状態でまともに書けるはずもない。この一月二一日はそれでもまだ書いているが、このあと二月三月にかかるにつれてだんだんと書けなくなっていき、それに応じるように感情や感覚が希薄化して、じぶんがなにも感じない(かのようにおもえる)という離人症もしくは鬱的な症状がじぶんにとってのリアルな現実となり、鬱的様態にはいっていくことになる。一八年中は一二月までずっとそうで、そのあいだはなにかの手違いで冥界から現世にもどってきてしまった死者のように、おりおり絶望と希死念慮を書きつけるだけだった。
 食後はすぐに皿を洗い、音読。さいちゅうに洗濯が終わったので(すでに一時ごろだった)、まずひとつのみ出していた集合ハンガーをなかに入れ、吊るしてあるものを取ってたたむ。そうしてあたらしいものをハンガーたちにとりつけるとそとへ。このあたりでは空は雲がちながら水色の間もいびつとはいえはさまれて、窓辺にも薄陽がかかっていてわるくなさそうだったのだけれど、そのあとたいしてあかるさには行かず、けっきょく冷え冷えとしたような色の平板な白曇りに変わってしまい、雨すら降ってきそうな気配で、だから三時ごろにはもうしまってしまった。音読をつづける。「読みかえし」ノートから目についたのはしたのもので、この513番のさいごで話されていることはこちらが先日(……)との通話を受けて「神」について書きつけた汎神論/否定神学の話題とつうずるものがあるだろう。それにしてもバルトの『記号の国』の、皇居は不在の中心であるみたいなあれって京都学派がすでに先行していたのか。

「対談:ホー・ツーニェン×浅田彰 《旅館アポリア》をめぐって」(2020/1/5公開)(http://realkyoto.jp/article/ho-tzu-nyen_asada/(http://realkyoto.jp/article/ho-tzu-nyen_asada/%EF%BC%89))

513

浅田 この作品の中に出てくる京都学派について、予備知識を持たない聴衆の方々のためにきわめて基本的なことを言うと、ふたつ大きな問題があると思います。ひとつは、特に西田幾多郎に言えることですが、ロジカルというよりはレトリカルだということ。もうひとつは総じて非常に図式的だということです。
 前者に関しては、鈴木大拙と比較してみればいい。彼は西田と同世代で親しい関係にありましたが、禅をはじめとする仏教について英語で書き、ジョン・ケージや抽象表現主義者といったモダニストたちにも大きな影響を与えた。大拙がかなりロジカルに書いていて、わかりやすかったからでしょう。しかし西田は、それより真面目だったというか、座禅などの体験において体で感じ取るべきこと、言葉で言えないことを言葉で言おうとしているので、非常に無理のあるレトリックを反復していくことになるんですね。だからロジカルに理解することがとても難しい。西田に比べて田邊元はロジカルだとは思いますが。
 後者は京都学派一般に関して言えることで、特に西洋に対する東洋という形で非常に図式的な議論を組み立てるきらいがあるということです。例えば西洋思想では全体論と要素論、全体主義個人主義が対立しているが、東洋思想は全体でも要素でもない「関係のネットワーク」に重点を置くものであって、その東洋的関係主義によって西洋の二項対立は超えられる、というわけですね。「人の間」と書いて「人間」というように、人間は全体の一部でもなくバラバラの主体でもなく、関係のひとつの結節点である、と。西洋では全体主義個人主義の二項対立がある。全体主義の中でもスターリン共産主義ムッソリーニヒトラーファシズムが対立しており、それらに対して英米の自由資本主義が対立している。そうした対立を、関係主義、あるいは京都学派左派だった三木清の言う協同主義で乗り越えられる、と。要するに、東洋の知恵によって西洋の二項対立を全部乗り越えられる、それこそが西洋近代の超克だ、というわけです。しかし、それは図式的な言語ゲームの上での超克であって、現実的に関係主義とはいかなるものか、協同主義はどういう制度なのかというと、よくわからないんですね。
 ついでに言うと、西田も1938年から京都大学で行った講義『日本文化の問題』でそういうことを言っているんですが、41年のはじめごろ、真珠湾攻撃より前に、天皇を前にした「御講書始」において、いま言ったようなことを生物学のメタファーで話しています。生物学者でいらっしゃる陛下はよくご存じのことと思いますが、森というのは全体でひとつというのでもないし、バラバラの動植物の総和でもない、エコロジカルな関係のネットワークなのであります、といった感じですね。だから社会もそうでなくてはいけない。アジアに関しても、西洋に代わって日本が全体を帝国主義的に支配するのではなく、トランスナショナルかつエコロジカルなネットワークとしての大東亜共栄圏を築くべきだ。日本はその先導役を務めるべきだけれども、西洋の植民地主義帝国主義に取って代わる新しいヘゲモンになってはいけない、と。京都学派の主張は総じてこうしたもので、耳障りはいいのですが、それが日本の植民地主義帝国主義を美化するイデオロギーでしかなかったのは明らかでしょう。京都学派は海軍に近く、陸軍のあからさまな全体主義帝国主義に対して最低限のリベラリズムを守ろうとしたのだ――そういう見方はある程度は正しいものの、大きく見れば海軍も陸軍と同罪であり、京都学派も同様だと言わざるを得ません。
 ひとことだけ付け加えると、西田が禅の体験などについて言っていることは、東洋武術の人がよく言うことに似ています。西洋では、筋肉の鎧をまとい、さらに鉄の鎧をまとった剛直な主体がぶつかり合って闘争が起こり、その結果、次のものが出てくる。これが西洋の弁証法だ。東洋は違う。水のように自在な存在として、相手の攻撃を柔らかく受け止め、相手の力をひゅっとひねることで相手が勝手に倒れるように仕向ける、と。西田の好んだ表現で言えば「己を空しうして他を包む」というわけです。ブルース・リーと同じことで、「水のようであれ(Be formless, shapeless, like water)」という彼の言葉を香港の民主化運動家たちが運動の指針としているのは面白いことではあります。ただ、西田は『日本文化の問題』の中で、それを天皇制と結びつけるんですね。西洋には「私は在りて在るもの(存在の中の存在)だ」という神がおり、神から王権を与えられて「朕は国家なり(国家、それは私だ)」という絶対君主がいる。それが近代では大統領などになり、そういうものを頂く国家が、上から植民地主義帝国主義で世界を支配しようとするわけです。しかし、東洋は違う。そもそも、日本の天皇は「朕は国家なり」とは絶対に言わない。むしろ、皇室とは究極の「無の場所」であって、だからこそすべてを柔らかく包摂し、トランスナショナルかつエコロジカルな大東亜共栄圏の中心ならざる中心になりうる、というわけです。美しいレトリックではある。しかし、「無の場所」としての皇室がアジア全体を柔らかく包むと言われて、アジア人が納得するとは僕には思えませんが。

 音読に切りをつけると音楽を聞こうとおもって、Bill Evans Trio『Portrait In Jazz』を#4 ”When I Fall In Love”から#7 ”Spring Is Here”までながしたのだけれど、どうもねむいというか目をとじて音楽を聞いていても意識がはっきりせず、音を見るための瞑目内の視界がはっきりせず、それだからたいしてとらえられもせず、とちゅうからはあたまがまえにかたむくようなありさまだった。#5 “Peri’s Scope”でEvansがよく踊っているなというのがみえたくらい。Evansは意外と躍動的に踊るピアノだ。もちろん優美な踊り方で、ファンキー風味に跳ねるとかそういうことではないけれど、ただつっこみかたとか引っ掛けかたとか特有のリズム感覚というのはあると聞こえ、あかるめの曲で軽快にやるのも相当にうまい。
 音楽を聞いてかえってあたまがぼんやりしたので、椅子から立つと背伸びしたり、あるいはそのまま寝床になだれてちょっと転がってしまったりしたが、すぐに起き上がるときょうのことを書きはじめて、ここまで記せば四時をまわったところだ。瞑想中には、どうしても日記が追いつかないし、やはりおもいきって記述を大幅に削減するべきなのではないか、ほんとうにつよく印象にのこったことだけ書くようにして、朝起きてどうのこうのとかあんなどうでもいいことはもうはじめから省いてしまえばよいのではないかとおもっていたのだけれど、いざ書き出してみれば習慣のちからというものか、やはりふつうに書く気になってしまい、だからこういうことになっている。きょうはこのあと図書館に行かなければならない。けっきょくぜんぜん読めなかったが返却日がきょうなので。カフカ全集のほうは二七日だが、こちらもぜんぜん書抜きをすすめられていない。ブランショの『文学空間』もちびちびとしか読めずにいたが、きのうの夜にようやく読書会のノルマとなっている半分ほどまで読むことができたので、ここでいったんほかの本に行きたい。ポール・ド・マンガウスセミナーも読みさしになっているのだけれど、小説か詩か、どちらでもいいがとにかくいいかげん実作を読みたい。部屋にある本のなかからえらんでもよいだろうし、ちょうどきょう図書館に行くわけだからそこでなにか借りてきてもよいとおもっている。


     *


 うえまで記し、腹が相応に減ったのでレトルトのハヤシライスを食うことに。というかうえまで記し終えるすこしまえから鍋に水を汲んでパウチの湯煎をはじめていたのだ。そうして書き終えるとパック米も電子レンジであたためる。申し訳程度の換気扇を回してはいるが、火をつかうとやはりそれなりに暑くはなり、その暖気が椅子にすわっているこちらのほうにまで届いてくる。窓外ではそろそろお迎えの時間のはずだが保育園の子どもたちがまだまだ旺盛に声を張り上げてあそんでいる。木製皿に米を出してスプーンでちょっとほぐし、鍋から箸をつかってパウチをとりあげ、ながしのなかで鋏で開封し、洗濯機のうえに乗せている木製皿のところまで持っていき、火傷しないようにソースをかけた。そうするとながしの排水溝のカバーを取って、すぐにパウチをゆすいでしまう。それで席について食いながらまた(……)さんのブログを読んだ。最新の二〇日付に追いついた。冒頭の引用。じぶんが生半可ながら哲学思想なんぞにずっと引かれつづけているのは、けっきょく自己と他者(世界)とその関係のありかたに興味があるからなのだとおもう。

 (…)言い換えるなら、他律性の場所としての〈他者〉それ自体の内に、それが完全な体系として閉じることを妨げるような異質なものが全く含まれていない、という保証はどこにもないのである。主体と〈他者〉の関係には、何か他のもの——主体にも〈他者〉にも属さない、どちらの内にも外-在する[エクスティミト]何か——がある。我々は、主体とは〈他者〉の〈他者〉として理解することができる、と指摘した。今度は、この〈他者〉の〈他者〉とは、ラカン対象a——主体にも〈他者〉にも属さないがゆえにこれらの間の関係を決定する、欲望の「対象[オブジェクト]-原因[コーズ]」——と呼ぶものに他ならないことを指摘して、この公式をさらに詳しいものにしたい。カント哲学において、この対象aの役割を果たすものはいったい何か? もちろん、現象のレベルにも、「ものそれ自体」のレベルにも属さない超越論的主体である。
 現象のレベルの自我、実践的自由(動因の行動原理への組み込み)にかかわるものとしての主体の心術、そして超越論的自由、これらの区別を考えると、カントの実践哲学が教えているものは、「ものそれ自体」のレベルにおける自由と現象のレベルにおける必然の差異、などという問題ではなさそうである。むしろそれは、(実践的)自由と同様、必然(不自由)もまた超越論的自由という背景があって初めて可能となるということである。
(『リアルの倫理——カントとラカン』アレンカ・ジュパンチッチ・著/冨樫剛・訳 p.54-55)

 樫村愛子の記述も。わかりやすい。

 転移とは他者を理想的なものと設定することであり、宗教の教祖に対する転移や、心理療法の分析家に対する転移など、心の操作の入口に存在し、自己変容の支えになっていくものである。子どもは他者に力の審級を措定し、この他者に依存することで成長が可能である。大人になっても、理想的なものを設定し、それがあるからこそそこに向かって人は努力が可能となる。つまり転移とは、片方で退行し快楽を受け取りつつ(依存や甘えによって心理的緊張を緩和したり、現実認識を他者に仮託しこれを節約する)、一方でその他者が導くような理想へと自己を変容させ現実を受容していくプロセスである。人が厳しい課題に取り組むとき、そのインセンティヴ(動機)として他者からの評価は機能し、また他者への依存により課題のもつ困難は見えにくいものとなるだろう。でなければ快感原則に閉じようとする自己を現実に即して変容させていく力を得ることはひとりでは困難であろう。このような転移を支えとした成長の過程は、子どもが母親に絶対的に依存しながら世界を取り入れていったように、人に備わった無理のない基本的な構造であり、大人になっても機能するものである。実際、科学的生産にしろ、世間からの評価・カリスマ的チーフへの依存・隣人の心理的サポートなどに支えられているものである。宗教における修行やお務め、心理療法における自己分析は、このように転移に支えられ進められていく。
樫村愛子ラカン社会学入門』より「自己啓発セミナーの危険性」p.7-8)

 そういえばひとと会って飯を食っている一八日の記事には「日記にこれ以上時間を奪われたくないので要点だけかいつまんで記す」とあったが、こうはいいつつもぜんぜんかいつまんでないというかじゅうぶん詳細だよねという感じで、これとおなじことはじぶんの日記を書いていてもたびたびおもう。なになににかんしてはめんどうくさいので割愛しよう、とかいいつつもなぜかかんぜんに割愛することはなくその直後からそれについてちょっと書き出してしまい、しかもそのままそこそこながくなったりすることがあり、ぜんぜん割愛してねえじゃんとじぶんでおもうことがある。
 いま四時半過ぎなのだけれど、何時に行こうかなという感じですね。図書館は八時までやっているので、けっこう遅くなってもだいじょうぶではある。あと、一〇月一五日の(……)くんらとの読書会のために、ちくま文庫鈴木大拙『禅』もできたら買っておきたい。図書館まではあるいていこうかな。ひさしぶりに長距離をあるくのもよいだろう。そうするとしかしたぶん一時間弱はかかるはずだから、それを考慮に入れなければならない。


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 「読みかえし」ノートより。「大気や光、世界の風景は、まずは「表象の対象」ではない。かえって、「われわれはそれらによって生きているのである」! 「風や光や風景は「生の手段」でもなければ、「生の目的」でもない(同)。ひとは生きるために [﹅3] 呼吸をしているのではなく、呼吸をするために [﹅3] 生きているのでもない。私はただ、大気を吸い込み、そのこと、つまり〈息をすること〉によって [﹅4] 生きている」! 「世界は私の「糧」(nourriture)であり、「糧を消費することが、生の糧である」」! 「身体とは、いっさいの〈もの〉への《意味付与》という、意識へと帰属される特権への恒常的な異議申し立てなのである」!

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 ひとは、「大気」を吸い込み、日の「光」を浴び、さまざまな「風景」を目にし、それを愉しみながら生きている。より正確にいえば、それら「によって」(de)生きている。たんに呼吸することでさえ、大気を享受することである(cf. 154/216)。
 ひとは、しかし風の流れで大気を認識し、光のなかで〈もの〉のかたちを枠どることで、ある意味ではそれを構成 [﹅2] し、風景をみずからに表象 [﹅2] しているのではないか。そうもいわ(end20)れよう。だが、たとえそうであるとしても、世界を認識するためには、私はまず生きていなければならない。構成されたものであるはずの世界が、世界を表象するための条件、生の最下の条件をととのえている。「私が構成する世界が〈私〉を養い、私を浸しているのである」(136/190)。大気や光、世界の風景は、まずは「表象の対象」ではない。かえって、「われわれはそれらによって生きているのである」(Nous en vivons)(前出)。
 風や光や風景は「生の手段」でもなければ、「生の目的」でもない(同)。ひとは生きるために [﹅3] 呼吸をしているのではなく、呼吸をするために [﹅3] 生きているのでもない。私はただ、大気を吸い込み、そのこと、つまり〈息をすること〉によって [﹅4] 生きている。大気や光、水、風景は私の「享受」(jouissance)へと、つまりは「味覚」(113/158)へと供され、私の〈口〉に差しだされている。世界は私の「糧」(nourriture)であり、「糧を消費することが、生の糧である」(117/165)。世界を構成しようとする、たとえば超越論的現象学のくわだてが結局は「失敗」してしまうのは、世界が私の「糧」であるからである(cf. 157/220)。〈糧〉としての世界の受容こそが、比喩的にいえば、経験の原受動的な層をかたちづくっている。
 世界をたんに表象するとき、世界は私のうちにとりいれられる。そこでは「〈他〉が〈同〉を規定せず、〈他〉を規定するものはつねに〈同〉である」(130/182)。世界は私の外部に [﹅3] 存在するということ、世界は私とは〈他なるもの〉であること、つまり世界の「外部(end21)性」を、認識はけっきょくは否定する。認識され知られたかぎりでの世界は、認識と知の内部に [﹅3] 存在するからである。世界が提供するさまざまな「糧」によって生きている私は、これにたいして、世界の外部性を肯定する。それはしかも、「たんに世界を肯定することではなく、世界のうちで身体的に自己を定立することである」(133/187)。――身体はたしかに、「世界の中心 [﹅2] 」(*ibid*.)を指定する。知覚される世界は、身体を中心にひらけている。世界を認識する私は、世界に意味をあたえ、世界がそれにたいして立ちあらわれ、世界の意味がそこへと吸収される、つまり世界という〈他〉が〈同〉と化するような中心点である。だが、身体である私は、まず世界によって養われていなければならない。
 かくして、「裸形で貧しい身体」(le corps nu et indigent)が、なにものももたずに [﹅9] 、ただ身体だけをたずさえて世界に生まれ落ちた〈私〉が「いっさいの肯定に先だって、《外部性》を、構成されはしないものとして肯定している」(133 f./187 f.)。そのいみでは、「身体とは、いっさいの〈もの〉への《意味付与》という、意識へと帰属される特権への恒常的な異議申し立てなのである」(136/190)。純粋意識もまた身体のうちに受肉する。受肉した意識はもはや、無際限な意味づけの主体ではありえない。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、20~22; 第Ⅰ部 第2章「自然の贈与 ――始原的な世界を〈口〉であじわうこと――」)

 どこかのタイミングで読んだニュース。尹錫悦もろくでもなさそうだなあという印象をもってしまう。

「韓国大統領、カメラに気付かず米国侮蔑発言 米主催の会合で」(2022/9/22)(https://www.afpbb.com/articles/-/3425205(https://www.afpbb.com/articles/-/3425205))

 【9月22日 AFP】すでに史上最低の支持率を記録している韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル、Yoon Suk-yeol)大統領が21日、訪問先の米ニューヨークでジョー・バイデン(Joe Biden)大統領主催の国際会合に出席した際、米国を侮蔑する表現を用いて側近に話し掛ける瞬間を映像に捉えられ、非難を浴びている。
 尹氏は、感染症対策に取り組む基金への増資を検討する会合で米国が60億ドル(約8600億円)の出資を表明した後の記念撮影の時に「もし、こいつらが議会で可決しなかったら、バイデンのクソメンツは丸つぶれだな」と側近に韓国語で話し掛けている。
 この映像は韓国で一気に拡散された。ユーチューブ(YouTube)では投稿から数時間で再生が200万回を上回り、韓国語ツイッターTwitter)上では「こいつら」がトレンド1位になった。
 尹氏の発言は、バイデン氏が約束した資金拠出には米議会の承認が必要な点を指摘したものとみられるが、ユーチューブのコメント欄には、「大統領の言動は韓国の威厳に関わる」との投稿があった。
 5月に大統領に就任したばかりの尹氏だが、すでに評論家の言うところの「無理解」ぶりを連発し、支持率は一時24%まで下落した。その後32%まで持ち直したものの、記録的な低迷が続いている。
 数日前には、エリザベス英女王(Queen Elizabeth II)の国葬参列のため訪英した際、女王のひつぎが公開安置されていた国会議事堂のウェストミンスターホール(Westminster Hall)を弔問に訪れず、その理由を「交通渋滞のため」と釈明する羽目に陥ったばかりだった。(c)AFP


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 この日はその後、徒歩で四〇分ほどかけて図書館に行ったのだけれど、めんどうだから詳細には記さない。出るときには降っておらず、傘を持っていこうとおもっていたのに、数日前に飲んだクラフトコーラの缶を片手に持っていたためかわすれてしまい、そうすると道に出てまもなく頬を点々と濡らすものに気づくわけである。しかしもどるのもめんどうくさい。徒歩をやめて電車に乗るか? ともおもったものの、せっかくの歩く機会だし、しょうがねえからコンビニで傘を買おうと決断して、(……)前のFamily Martで一二〇〇円かそのくらいもする六五センチの黒傘を買った。とはいえいま家にあるのはたぶんおなじ店で買ったものだが七〇センチの白いビニール傘と、柄の接着部分がこわれた実家出自の黒い傘なので、こわれたほうの代わりが手に入ったとおもえばわるくはないし、ともあれこれでそとをあるきつづけることができる。それでいったん向こうから渡ってきた踏切りを再度越えて西へまっすぐすすんでいると、交通量のおおい幹線である(……)通りにいたるころにはもう心身がけっこうおちついてどことなくきもちよくなっており、ウォーキング・チルにはいっていた。そこで右へ、つまり北へと曲がって道沿いにずーっとすすめば図書館のある区域にいたる。とちゅう、電車の通るしたをくぐりぬける立体交差があって、都市のこういうところに点火されているあのなんとなく不穏な雰囲気の、精神を覚醒させるようなオレンジ色の明かりはいったいなんなのか。もうすこし落ち着いた色にできないものなのか。なんだかんだ言ってこの立体交差を抜けて駅の南北を越えたことはいままでなかった気がする。越えれば場所はれいの、なんの思い出もないなつかしき(……)ビルの付近にあたり、といってもよくみえるのはそのちかくの趣味の悪いカプセルホテルのほうである。そこから道路はややななめにながれて、中洲みたいなちいさい歩道がいくつか浮かんだ交差部にかかり、そこを渡って、大通りではなくもう一本横の道路沿いにすすむのだが、高校時代に帰りがてら学校から図書館に向かったときの道は、ここを通ることもあったがもうひとつ横の裏だなと記憶を照合しておもった。あの道はけっこうなんというか、なにか特徴があるような路地ではなくて、だいたい人家がならんでいるのみで、あと魚屋があったような気もするが、特別な道ではないのだけれど、なにがしかなつかしいようなものとしていまのじぶんにのこっている。道そのものというよりも、学校を終えてひとなかを離れ、ひとりで黙々とあるいて図書館に向かっているときの、なにかしらぽっかりとした解放感のような雰囲気や、そのときの気分が、感触としてのこっているのかもしれない。梶井基次郎がいうところの「聖なる時刻」をおもいださせないでもない。じっさいこちらは二年か三年のころには、午後の授業をめんどうくせえとおもい、早退するって先生に言っといてくれとだれかにつたえて帰ったことがなんどかあったが(ほんとうは保健室に行って早退理由を出してもらうか、せめても担任につたえて許可をもらわなければならなかったはずだが)、そういうときにまっすぐ帰らず図書館に寄ったということもあったはずだ。だとすれば、みながまだ学校にいて授業を受けているときにひとりだけべつの場所で道をたどっているという、その自由と孤独の感覚が、一日のつうじょうのながれのなかにおもいがけずひらいた余白地としてじぶんをつつんでいたのかもしれない。そして、ひとの生にのこるのはやはりそういう時間なのだ。
 図書館ではとくに事前の当たりをつけていなかったのだけれど(ヴェルナー・ヘルツォークの『氷上旅日記』がはいっていれば借りちゃおうかなくらいにはおもっていたが)、ヘルツォークの本はたぶん文学ではなくて映画のほうにあるのではないかとおもいつつもドイツ文学を見分していると、ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』に行き当たり、これまえから読みたかったやつだしこれにしようと即座に固まった。ほか、英米のエッセイや詩の区画もみて、エッセイ類も読みたいものはいくらでもあるし詩も同様だが、『パティ・スミス詩集 無垢の予兆』を借りることに。さらに英米の小説のさいしょのあたりをなんとなく見ていると、アンナ・カヴァンの『草地は緑に輝いて』が目にとまって、アンナ・カヴァンは文遊社から何冊か出ていて文遊社の本はどれも想定がけっこうきれいであり、この本もわりときれいだから書店で目に留めたこともあったはずだが、タイトルもいいし、これも借りてしまおうと手に取って、その三冊で最終的に確定させた。貸出し手続きをして退館。
 帰路はまた歩くのも良かったのだけれどからだが疲れていたし、電車に乗ることに。一錠しか飲んでいないからだいぶ緊張するのではとおもい、じっさいそこそこ緊張したが、おもったほどではなかった。しかしこの翌日には喉につかえを感じて勤務を休むことになるわけで(それじたいはきのうの水曜日の勤務中に喋っているうちに出現したのに気づいていた)、一錠だけでの外出というのはけっこう影響はあったのかもしれない。スーパーにも寄って帰宅。


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  • 「ことば」: 11 - 15
  • 「読みかえし1」: 501 - 513, 514 - 518, 519 - 526, 527 - 530
  • 日記読み: 2021/9/22, Wed. / 2014/2/18, Thu.


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 「いまなぜカントなのか? 秋元康隆×吉川浩満 『いまを生きるカント倫理学』刊行記念対談」(2022/9/22)(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/【対談】秋元康隆x吉川浩満/21226(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/%e3%80%90%e5%af%be%e8%ab%87%e3%80%91%e7%a7%8b%e5%85%83%e5%ba%b7%e9%9a%86x%e5%90%89%e5%b7%9d%e6%b5%a9%e6%ba%80/21226))

Q 私は格率(Maxime)というものを、いわゆるマイルール、その人なりの行動原理と理解していますが、人が倫理的であるためには、格率が普遍的でなければならないとカントは言っています。でも、普遍性のある格率って画一的で多様性が乏しい印象を持ちますし、普遍性がある時点でマイルールというより、社会共通のルールのように思えます。ですから私は、格率とは矛盾なのではないかと思っています。倫理的でかつ個性的な、その人なりの行動ルール、格率とはどういったものなのでしょうか?

秋元 普遍性のある格率とは、画一的で多様性が乏しい印象があるというご意見ですね。これは、結局、道徳法則とは何なのだろうか、という話です。確かに、ある種のカント研究者の中には、道徳法則にはいわゆる正解みたいなものがあって、そこにたどり着かなきゃいけないのだという解釈をする人も結構います。
 でも、私はその解釈は間違いだと思っています。だって、「そんなのどうやってたどり着けるの?」って思いますよね。そんなもの、たどり着けるわけないでしょう。それで、「そうしたゴールにたどり着けない以上、私たちは、道徳的善をなせないのですか?」という話になりますよね。能力や運があって正解を導ける人だけが道徳的善をなすことができるということであれば、その人個人の能力や運の良し悪しによって道徳性が決することになります。それはどう考えたって、おかしい。ですから、私はあくまで自分で考えて、自分で判断を下す。その際に、自分の行為が道徳的であるかどうかは、正解にたどり着けるかどうかではなく、根拠によると、私は考えています。根拠さえあれば、道徳法則というものは成り立ちます。どんな根拠を見出すか、何を道徳法則と見なすかという点には、その人の個性が表れると思いますよ。 
 ただ、そこでよくある疑問として、とんでもない格率を持った場合、それを道徳法則としてみなせるのか? という問題がありますよね。例えば、人を無差別に殺すという格率を持った人がいて、その動機が正当化されるならば、道徳法則たりえるのかという疑問です。私は、こうした反論はもっともだと思います。確かに、そうした格率を持った人間が生まれる可能性を理論的に完全に否定することはできません。
 例えば、そうしたタイプの人間として、アドルフ・アイヒマンを想起することができると思います。アイヒマンというのは、第2次世界大戦中にドイツ軍の将校として、大量のユダヤ人を強制収容所に送る手配をしていた人です。彼は戦後、裁判にかけられて、自分は正しいことをしたと主張し、その根拠としてカント倫理学を持ち出すわけです。
 アイヒマンは、カント倫理学に照らし合わせ、自分は確信を持って正しいことをしたのだと法廷で述べています。けれども、その一方で、自分は上司の命令に従っただけであり、個人的に判断をする権限などないのだから、無実であるといったような、まったく逆の主張もしている。結局、こうしたタイプの人間は、言動を追ってみると、大体、整合性がとれていない。後付けで理屈を考えているだけではないのか? と思えるケースが多いのです。
 『いまを生きるカント倫理学』の中でも、相模原障害者施設殺傷事件の話を取り上げています。この事件の犯人である植松聖死刑囚は、社会の利益のために障害者を殺したのだと供述し、今でもそう確信していると言っています。ですが、その一方で、面会に来たジャーナリストに対して、自分は今まで社会の役に立たない人間だったけれども、障害者を殺したことによって、役に立つ側にまわれた、と微笑みながら語っている。ここに彼の本音であり、利己性が、口や表情に出てしまっているのです。
 ですから、理論的には、どのような行為でも道徳的善になりえるというのはおかしいのではないか、という批判は分からなくはないのですが、現実的にはそのようなことは有り得ないと私は思っています。そうした場合は、話していると、不整合やら、利己性やらが出てくることになるのです。


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西村章「スポーツウォッシング 第5回: 「国家によるスポーツの目的外使用」その最たるオリンピックのあり方を考える時期」(2022/9/21)(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/column/スポーツウォッシング/21142(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/column/%e3%82%b9%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%84%e3%82%a6%e3%82%a9%e3%83%83%e3%82%b7%e3%83%b3%e3%82%b0/21142))

 1988年のソウルオリンピックは、1980年のモスクワ、1984年のロサンゼルス、に続いて行われた大会だ。モスクワは、ソ連のアフガン侵攻に抗議するという理由で西側諸国の多くがボイコット。1984年のロサンゼルスでは、その報復としてアメリカのグレナダ侵攻への抗議という名目で東側諸国が参加をボイコットした。1988年のソウルは、政治に翻弄されたこれら2大会を経て東西両陣営が久々にスポーツの舞台で競い合う大会になった。
 「国家の威信があれほどガチンコでぶつかり合ったことは久しくありませんでした。その結果、かつてないほどのドーピング合戦になったわけです」
 陸上男子100メートルで世界記録を更新して優勝を飾ったベン・ジョンソンが、ドーピング検査で陽性反応が検出されて、新記録取り消しと金メダルを剥奪された一件は非常に有名だ。この事件で、ドーピングという言葉が広く世界に知られるようになったといってもいい。ソウルオリンピックでは、これ以外にも多くの選手がドーピング検査の陽性が出た、と二宮 [清純] 氏は言う。
 「西側諸国と東側諸国のドーピングは、それぞれ意味合いが違っていました。西側諸国のドーピングは資本主義型。これは、金メダルを獲り世界記録を出すことによって金を稼ぐ、いわば一攫千金を狙ったものです。一方、東側諸国は、当時の東ドイツなどが典型ですが、国威発揚型のドーピングでした。つまり、同じドーピングでも種類が違っていたわけです。
 一方で、この時期のオリンピックは1984年のロサンゼルスで成功した商業主義の手法がさらに進んで、スポーツ関連会社や飲料メーカーなど様々な企業が公式スポンサーとして参入しました。では、ドーピングで揺れた1988年の大会は、スポンサードした企業にとってプラスだったのか、それともマイナスだったのか。これは各企業の判断によるでしょうが、以降も金を出し続けたということは、ネガティブな材料があったとしてもそれを上回るメリットがあったからでしょう。それがオリンピックの魅力であり、魔力でもあるのだと思います。たとえいろいろな矛盾があっても、お祭りの喧噪がそれをかき消してしまう。オリンピックには、そうした現実があります。」

     *

 たとえば昨年の東京オリンピックは、開催前から賛否が大きく分かれて様々な議論を呼んだ。しかし、いったん大会が始まってしまえば、新聞やテレビはスポーツ欄とスポーツコーナーを全面的に使って、〈勇気〉と〈感動〉と〈人々に寄り添う〉ドラマばかりを来る日も来る日も量産し続けた。
 このように、スポーツメディアが社会事象の批判的チェックや検証という機能を放棄しているようにしか見えなかった一方で、その役割を果たしていたのは、ゲリラ的な存在感を発揮した週刊誌やそのオンラインニュースなどだ。競技結果を広報装置のようにただ報告し続ける日本のスポーツメディアは、果たしてジャーナリズムと名乗るに足る能力を持ち得ているのだろうか。
 「それはスポーツのみならず言えることであって、政治や経済においても(日本のジャーナリズムは)非常に不完全なものだと思います。どの国の報道にも程度の差こそあれ、問題はあります。しかし報道の自由度ランキング(2022年)で、日本は世界71位。まぁロシアや中国よりは上ですが(笑)」
 と、二宮氏は厳しい視線を向ける。
 「『国家の価値は結局、それを構成する個人個人のそれである』と語ったのは、英国の哲学者J・S・ミルですが、メディアに対してもリテラシーという点では国民がそこをチェックするわけだから、今の日本メディアの状況はやはり国民を反映した姿なのでしょう。
 具体的に東京オリンピックとスポーツメディアについて言えば、当初、東京開催が決定したときから東京都民や国民の支持はあまり高くありませんでした。だから、官民一体となって、政・官・業・メディアが複合体として盛り上げなければいけない、という動きが出てきたのかもしれません。その流れの中で、新聞社がオリンピックのスポンサーになりましたよね(註:読売新聞グループ本社朝日新聞社毎日新聞社日本経済新聞社がオフィシャルパートナー、産業経済新聞社北海道新聞社がオフィシャルサポーターとして契約した)。そこに関してはやはり、踏みとどまるべきだったと思います。監視機能を鈍らせる恐れがありますから」

     *

 イベントの利害関係者となった新聞やテレビがスポーツ欄やスポーツコーナーで、〈勇気と感動のドラマ〉を流し続けることは、スポーツと社会、スポーツと国民の関係を毀損することにもなる、とも二宮氏は指摘する。
 「東京オリンピックで、日本の選手たちは金27、メダル獲得総数58と史上最多になりました。では、これらのメダル獲得は果たして国民に還元されているのか。そこが非常に重要で、選手のトレーニングや強化には、いくらかの税金が使われているのだから『感動をありがとう』で終わっちゃダメなんですよ。
 一例を挙げれば、金メダルを獲るためのトレーニングやチームビルディング等のノウハウが民間企業や民間の組織づくりに役だちましたとか、あるいはこういうトレーニングが少子高齢化社会の大きな課題である健康寿命と平均寿命の差を縮めてQOL(クオリティ・オブ・ライフ:生活の質)向上に役立ちましたとか、金メダリストのトレーニング方法や食生活等が我々の社会と生活に還元されましたよ、と可視化されていない。そこが可視化されるようになれば、オリンピックに対する否定的な意見が少しは減ったかもしれません。
 つまり、勇気をありがとう、感動をありがとう、だけで終わるとその先がなにもないから思考停止に陥ってしまう。確かにスポーツには、『ガンバるぞ!』と思わせる〈精神浮揚効果〉があるのは間違いないんです。しかし、それだけでは漠然としていて、勇気や感動という言葉から先へ進んでいかない。だからといってすべてを細かく数値化しろ、ということではないんですよ。ただ、良い結果を出すためのノウハウや組織作りなどをもっと国民に還元する努力をしなければいけない。その仕組み作りがないから、国民とアスリートの間の乖離が大きくなっているのかもしれません」

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 「今日〈する〉人が明日は〈見る〉人になってもいいし、〈支える〉人になってもいい。また、〈支える〉人が今度は〈する〉人になってもいい。いちばん大事なのは、この流動性なんです。
 一例を挙げれば、ソルトレークシティオリンピックの取材に行った時、現地でメディア用のバスに乗ると、ボランティアの中に元オリンピアンがいました。『今までいろんな人に支えてもらったので、今度は自分が送迎係をやっているんだ』と、支える側になっているわけです。日本では元メダリストが送迎係をやっているなんて聞いたことがないですよね。オリンピックに出た人は、いつまで経っても選手目線で話をする。でも、引退したら見る側の目線も、支える側の目線も必要なんですよ。自分の役割を固定化するのではなく、スポーツをする側、見る側、支える側と立場を変え、固定化しない。それによってエコサイクルが生まれてくる。
 もちろん、結果を出した選手に対するリスペクトは必要ですが、役割が固定されてしまうと今度は悪い意味でアスリートが特権階級みたいになってしまう。そうなると“上級国民”といった批判が起きる。流動性の確保こそ優先すべきものです」
 この役割固定化と多様性という点では、障害者スポーツに対するメディアの取り扱いも同様の問題を抱えてきた、と二宮氏は指摘する。
 「たとえば、パラリンピックは最近では日本でも市民権を得てスポーツとしてメジャーになりつつありますが、かつては選手たちがどんなに素晴らしいパフォーマンスを発揮しようとも記事はスポーツ面ではなく社会面の扱いで、『感動をありがとう』で終わっていました。障害者スポーツはずっと福祉行政として厚労省の管轄でしたが、スポーツ庁ができたこともあって、パラリンピックを巡る状況はここ10年ほどでだいぶ改善されてきました。福祉やリハビリとしての障害者スポーツ厚労省の管轄でいいのかもしれませんが、大会に出場するレベルの選手ならスポーツ庁の管轄は当然のことだと思います。
 しかし、その一方でデフリンピック(4年に1度、世界規模で行われる聴覚障害者の総合スポーツ競技大会。2025年の東京大会開催がさきごろ決定した)はまだスポーツ面の記事になりませんよね。なぜデフリンピックの記事はないのかとメディア幹部に訊ねると『パラリンピックは市民権を得ましたけれども、デフリンピックはまだですから』と。要するに新しい格差、新たな差別が始まっているわけです。
 市民権を得たから記事に出すとか出さないとかではなく、アスリートたちの競技なのだからメディアは自分たちで自主的に判断をして記事にすればいいんですよ。なのに、先ほどの役割固定化と同じで、根拠はなくても『こういうものだから』と自己規定して、それが慣習になってしまう。そこはたえず見直すべきではないかと思います。
 お上のお墨付きがあるものをスポーツと解釈するような硬直した考えではなく、もっと自主的に、自分たちがスポーツだと思うものをどんどん発信していけばいい。そもそもスポーツの語源(註 : ラテン語のdeportare)は余暇、気晴らし、楽しみ、といった意味なのだから、身体を動かして気持ちが晴れるようなことは全部スポーツの範疇に入れてもいいのではないか。もっとフレキシブルな発想が必要だと思います」

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 そして、スポーツを支え出資する企業の考え方も、投資に見合う効果を求めるスポンサー型から、ともにスポーツを育むパートナーシップ型への移行が求められるようになってゆくだろう、ともいう。
 「現在、私は中国5県の広島、山口、岡山、島根、鳥取で活動する様々な競技のクラブを支えるプラットフォーム〈スポーツ・コラボレーション5〉のプロジェクトマネージャーをしているのですが、企業に支援をお願いすると、『広告費に見合う費用対効果はありますか』と必ず聞かれます。
 それぞれのクラブは、老若男女皆がする・見る・支えるという役割を皆が分担し入れ替わりながら、地域のコミュニティの核になることを目指している。この活動を通じて皆が健康になって親子の会話が弾むかもしれないし、地域の活性化を通じて観光資源になるかもしれない。『だから、費用対効果はやってみなければわからないけれども、一緒に子どもを育てるような考え方で、そのために皆が少しずつマンパワーやお金などを出し合うパートナーになっていただけるのであれば非常にありがたい』という説明をするようにしています。
 スポーツはもともと公共財という側面が大きいので、そこに出資する企業にとっても元が取れるか取れないかという費用対効果以上に、これからはその公共財を共に育てるという発想や役割が重要になってくるのではないかと思います。
 近年は投資家も企業のESG(環境・社会・企業統治)に注目するようになりました。従来なら財務情報の中に企業のすべてが詰まっている、という考え方でしたが、今では財務諸表の数字には含まれない環境問題や人権問題などへの対応が重視される傾向にあります。それに呼応する形で、企業のスポーツに対する接し方も、スポンサーシップからパートナーシップへと変わっていくと思われます。株主資本主義からステークホルダー資本主義、そしてESG型資本主義へ――といった流れですかね、ざっくり言えば。でも、こうした考えは、日本には昔からあった。近江商人の“三方よし”なんていう商売哲学は、まさにこれですよ。そんな時代において、不都合な事実を隠すことをホワイトウォッシングといいますが、スポーツを通じて都合の悪いことを浄化しようと企んでいる企業や国家は、世界の中で居場所を失うでしょうね。マネーロンダリングをやっている国家や企業と同じ運命を辿ることになるでしょう」