2022/10/1, Sat.

 (……)大変悩まされたフェリーツェが、よくあったことだが、おそらく手紙の待ちぼうけをくわせた弁解をしたとき、それに答えて彼は言う(一九一三年二月二一日から二二日への夜)、「あなたはオフィスでも市電でもぼくにあてて書くことができませんでした。その訳をあなたに説明しましょうか、最愛のひと? あなたは、だれにあてて書くべきか、知らなかったのです。ぼくは手紙の目標ではありません。」 つまり現実には、彼は存在しない。彼が存在するのは、書くことの非現実性のなかだけだと彼は言う。
 それは絶望的な状況である。彼は作家である故に、世界を失った。しかしその代りに彼が得た世界――それは一つの世界である [﹅3] 、なぜなら、現実的なある世界の有効な諸法則以外のなにによって、カフカの言語があれほど法則にかなっていることを証明できよう?――かくて得られたこの世界は、彼にはたえず地獄の幻影だと思われる。という(end19)のは、この彼の世界を築いている言語は、いったいどんな現実に対応しているのか? おそらく自身の感情、自身の内部の現実にすら対応していない。今しがた言語が救いであり、「一時の恩寵にめぐまれた力の過剰であり――その場合しかし、苦痛は明らかにぼくの全力を、ぼくという存在の底をつくまで……使い切っているのだが」(一九一七年九月一九日の日記)――、外的生活から追放された内面性の避難所であったのに、それはすぐにまた、一瞬のうちに虚偽と欺瞞にすぎなくなる。「ぼくが十分に書くことと生きることに没頭していたとき」と、一九一三年三月一七日から一八日への夜、フェリーツェにあてた手紙に言う、「すべての真実な感情はそれにふさわしい言葉を探さず、言葉とぶっつかり、いや言葉に駆り立てられるとぼくはあなたに書いたことがあります。」 そう、おおよそそんな風に彼はいった。それも四週間はたたない前、一九一三年二月一八日から一九日への夜のことだ。そのときはこうだった――たえずくりかえし、まちがった文章が彼のペンのまわりに待ちぶせして、ペン先にからまり、手紙のなかに一緒にひきずりこまれるが、言いたいことを完全に表現する力は、けっして欠けることはない。「言語の無力を言ったり、言葉の限界と感情の無限性を比較するのは、全くの見当違いです。無限の感情は、心の中でと全く同様に、言葉においても無限です。内奥で明晰なものは、言葉となっても必ずそうなのです。」 こう彼は書いた。そのとき彼は、内的真実には少くとも一つの [﹅3] 外的な句切り、つまり言語という句切りが対応すること、だからただ書くことにおいてのみ、人生の他のすべての行為が拒否するもの、すなわち外的身ぶりの純粋さが見いだされることを、信じられる楽天的な愚か者だった。それも今はだめだ。「ほとんど一言も根源から生じない」で、どの言葉も「道ばたのどこか離れたところで、偶然に、過大な面倒をかけて」、ひったくり、しっかり摑まえていなくてはならないように、彼には思われた。
 これは呪いだ――書かないと彼は無のなかにおち、書くことがごくまれに彼を「受けいれてくれる」と、またちがった無のなかにおちいるとは。すでにフェリーツェあての初期の手紙(一九一二年一一月一日)で――当時書いていた「とりわけ嘔吐を催させるような物語」『変身』の結末、最後に掃除婦がグレーゴル・ザムザの死骸を帚でやっと片づけて、両親や妹に笑いながら「となりのあれをどう始末したらいいか」心配する必要はないと告げるところを明らかに暗示しながら――うまく書けないとたちまち彼は「床 [ゆか] に横たわり、掃き出されて当然といった状態になる」と言った。その月の終り、一九一二年一一月三〇日、よく書けないで眠れぬ夜、恋人および求婚者として、自分はもっと良くなるだろうと彼は約束する。なぜなら「ぼくはすでに(end20)幾度か書くことの中心に、その最良の温かさのなかにいると考えたのだから、まったく書くことから放り出されるなどということはありえないでしょう。」 しかしわずか数週間後、一九一三年一月一四日から一五日への夜、明らかによく書けていたとき、彼はもう彼女には理解できないときまっていること、自分は不忠実な夫になるだろう、毎夜書くことで彼女を裏切るだろうと告白する。純真に、なにも疑うことなく彼女は、あなたが書いているあいだ、そばに坐っていたいと言った。いや、それでは書けないだろう、と彼は答える。最も孤独な夜でさえ、書くために必要な静けさと孤独を彼にあたえるには、まだ十分といえないのだから。つまり書くことは「過度なまで」の献身を、そして生きようとする人間が、たとい最愛の人であれ、他人と交際するとき、「正気でいるかぎり」抑制しなければならないような「卒直さ」を要求する。だって一人の人間が立っている――あるいはまた二人の人間が一緒に立っている――地盤は、書くことに形をあたえるよう助けてくれるあの「真実な感情」が現われるやいなや、ゆらぎ始めるではないか。「ぼくはもうしばしば考えたのですが、ぼくにとって最良の生活方法は、筆記道具とランプを持って、広々とした、隔離された地下室の最も内部の部屋に居住することでしょう。……それからぼくはなにを書くことでしょう! どんな深みから、ぼくはそれを引き出すことでしょう! 苦労もなしに! というのは、極度の集中は苦労を知りません。ただぼくはそれを長いこと続けられないでしょう。そんな状態でさえ避けられぬかもしれない最初の失敗で、すごい狂気に陥らざるをえないでしょう。」
 つまり書くことのなかにだけ、ほかのどこにもない本当の真実がある。なぜならこの真実は、一度それとともに生きたものは、もし真実が脱離するようなことがあれば、狂気におちいらざるをえないようなものだ。そして人生自体、たとえば結婚が行われる世界は、この脱離なのだ [﹅3] 。それについて、この愛され欺かれた女性は、どう思うだろうか? 遠慮なく「地下室居住者」に言ってほしい! しかし彼女は苦労する必要は少しもなかった。半年の後、すでに引用した一九一三年八月二二日の手紙で、彼自身が言っている。彼が書くことの真実が、書かれたものと「現実的なもの」との関係によってきまるとすれば(ここでは真実がまたすっかり現実の側に移っているのを注意せよ)、まったく捉えようのない不均衡、マックス・ブロートあての手紙(一九二二年七月二〇日)で、簡単正確に彼が名づけた不均衡、すなわち虚偽が生じる。(……)
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、19~21; エーリヒ・ヘラー「まえがき」)




 七時四五分ごろの覚醒だからだいぶはやい。昨晩床についたのが三時二〇分ごろだったから睡眠としてもみじかいが、からだと意識はまどろまず、もう目覚めのほうに向かっている。とはいえカーテンの端をめくって薄青い空を見ても、まぶたがたしかにひらいたままになるにはちょっと時間がかかったが。いつもどおり腹をちょっと揉んだり、腰を左右にうごかして背面を座布団にこすりつけたり、こめかみや眼窩を指圧したり、胎児のポーズを取ったりして活動の準備をととのえる。そうするとなんだかんだだらだらして九時にいたる。さきにもうがんばって起きてしまい、さっさと水を飲んだほうがよいのではないかという気もするのだが。枕もとに水を入れたペットボトルを置くようにしようか。紺色のカーテンをひらくまえにカーテンレールのうえから天井に漏れているひかりのかげをみるかぎり、陽射しの厚すぎないほどよい晴れのようだなとみえたが、カーテンをあけてみてもやはりそうだった。とはいえ現在午後一時半になれば空は雲のほとんど乗らない快晴、あざやかでかつやわらかい青の色がひろがって、太陽もそのなかで欠けることのないひかりを惜しみなく降らせて洗濯物をめぐんでいるが、レースのカーテンにあかるさが宿ってももはや熱気が寄せてくるでもない、一〇月初日の秋晴れである。床をはなれた午前九時にはまず椅子にすわって水を飲む。すこしずつ飲みながらパソコンを拭いたり点けたりしてNotionにきょうの記事をつくっておく。水を飲み干すとトイレに行って用を足したり顔を洗ったり、出るとうがいもしておいた。そうしてふたたび寝床にもどってChromebookを手にとって、一年前の日記を見返すいつもの習慣だ。2021/10/1, Fri.の出勤往路にはつぎのような記述があって、なかなかわるくない。

坂をのぼりきって最寄り駅まえに出ると、駅舎を越えた果ての西空の低みが、そこ以外すべてムース様の青い雲に占領されているのに唯一ほのかなオレンジを浮かべていて、通路を行けば、雨がまだほんのすこし降っていて薄暗いあたりの空気のなかにその反映がしのびこんで微妙に熟したような色合いになっていた。ベンチについてあらためてあかるみをながめると、空の端のその一画のみ金橙色ともいうべき落日のなごりがどこかからとどいて塗られており、それをスクリーンとして影となった青灰色の雲たち、ちいさなおもちゃの飛竜めいたかたちのものや、灰汁のように濁ってかたまったもの、また上部を覆いつくしている大陸雲とつながってわかちがたく垂れ下がったものなどが、すべて一定のスピードで間隔も変えずに右から左へと推移していくのだった。

 帰路は以下で、さらにながく、よく書いているなという感じではあるけれど、いかにも文学的なようで、よくもたびたび目にしているそのへんのものをこんな書き方するなというか、ふつうこんなふうに書く? というか、いずれにしても、これでいい、これがいい、と全面的には乗り切れないのがいまのじぶんだ。もうすこしちからを抜いて、そっけなく、散文的なほうがよくない? というか。じぶんの文章ってのはどうしても粋にながれないんだよなあ。性分としてマッチョイズムを厭悪しているはずが、文体としてはだいぶマッチョだよなと。

帰路は徒歩。雨はやんでいた。マスクをずらして鼻と口を露出させながら夜道を行く。空気のながれはそこそこあって、吹くというところまで行かず肌寒さにも転じないやわらかな涼気が身に寄って、見上げれば空は意外と晴れていて雲は途切れてひろく生まれた夜空の底がすっきりと青く色濃さをたたえており、なかに星がきらめき浮遊している。裏路地をあるいていっておもてに折れると正面にひろがる南空に綿をあつめてからめたような、あるいは波頭の白さでもってクジラを成型したような雲の白さもあきらかで、月は遠くなったはずだがずいぶんとあかるい夜空だった。雨後のことで、諸所の家先に大ぶりの葉がまだ色をはっきりのこしたまま散らばり落ちている。また裏にはいって下り坂のうえまでくればなだらかに伸べられた視界の半分を今度は東南の空がひらいて占め、そこだと余計に空の青さと雲の白が双方密にきわだって、ほとんど富士をおもわせるような色の濃さ、それを見ながら足をすすめているながめに右からゆっくり一本の梢と葉の粒立ちがはいってきて、気持ちがおちついており歩もゆるく軽かったので現在時の密度がたかまっており、坂をおりるあいだあたりのようすが映画の風情を帯びた。周囲の頭上に垂れ下がる枝葉はことごとく、葉のところどころに指輪をはめたようにつや消しの白銀色を埋めこんでおり、その宝飾品はしかし葉の指にはサイズがゆるいらしく、ときおりするりと抜け落ちてきてあたまがつめたい。坂下で川のほうを見やれば近間の家々の先のあるところから端的な闇が空間を支配しており、なにも見えない黒の真空にただながれる水のひびきだけが存在し、のぼってくる。視覚がそのまま聴覚化されたかのような様相だが、かたちも襞もない黒一色の充実は川沿いの樹々のあたりも同様で、そこから対岸の地域を経由して(黒い海のなかに散発的に浮かぶ街灯のひかりでつくられたつつましい花弁のみが、そこがひとの暮らす地帯であることをしめしている)、色のちからで距離を無化しながら山へとつながり、その影は景観の最外縁をめぐるように右へとつらなって、ふたたびあいだの空間をものともせずに圧縮して我が家のすぐまえの林にまで達しているのだ。

 そのまま2014/2/23, Sun.も。この日は先日もふれたれいの、與那覇潤『中国化する日本』をめぐって(……)さんと対立した読書会の当日だった。体調はいまと同様あまりよくないようで、「心臓を締めつけられるような苦しさがあって呼吸がしづらかったので電車が来る前に薬を飲んだ」とか、「薬を飲んだにもかかわらず車に酔ったときのように目の奥にわだかまりが、のどの奥には吐き気があり、あるいはおとといと同様の異物感の幻影が嘔吐中枢を刺激しているような気もした」とかある。最寄り駅まで行くとちゅうの家の前の林のようすとか、駅のようす、電車内のようすとか、一四年のじぶんにしてはいろいろ詳細に描写している印象で、このあたりからだんだん、よりそういう意識がたかまって能動的になり、ちからがついてきているのかもしれない。とくにおもしろくはないが、電車内のようすを引いておく。座席の背もたれ部分を書いているあたりからのことはすこしおもいだせるというか、たしかにこういう女の子がいたなというのもかすかにあるのだけれど、それよりも、ここにあって見たものをたしかに記憶し書き記そうと、ちらちら目を向けて観察していたそのじぶんのひそやかな熱心さのようなものをおもいだすような気がする。

 行程の真ん中あたりの駅で三分ほど停車した。誰かがあけたままにしていった扉の外、南から照らされた駅のホームの床が光っていた。付着したガムが白い点となったそのなかを柱の影がひとすじ扉にむかって伸びていた。別の入り口から乗ってきた老人がわざわざボタンを押して扉は閉まった。車両の床には窓の形に切り取られた薄いオレンジの光が宿っていた。その周囲の影の部分のほうがかえって汚れが目立って重なりあった靴跡が床のどこにも残り、滑り止めなのか点字ブロックなのか、扉下の黄色いおうとつにも無数のひっ掻き傷がついていた。日曜午後三時の電車内は人が少なく、座席はようやく半分埋まるかというところで、正面の席はあいていた。座席の背中が当たる部分には格子模様が描かれている。肌色に赤みを加えたような暖色がベースになって、ところどころに青も見られ、おのおのの格子内は一色で塗りつぶされていたり、ストライプ模様であったり、あるいは整然とドットが並んでいたり、ランダムな模様になっているものもあった。それを見ていると母娘連れが座った。小学生の少女はファーつきの耳あてをかぶり、小さめのキャリーバッグの持ち手にピンク色の別の手提げをかけている。手提げの外側についたポケットにはリボンをつけたかわいらしい絵柄のクマが描かれていて、"sweet girls"と筆記体で書かれたハートを抱えていた。

 会合の経緯はつぎのような感じだ。金なさすぎ。(……)さんがあとから来たというのはおぼえていなかった。あと、このころはまだ(……)くんもいたのだ。かれは(……)くんの、高校か中学の同級生だったはず。というか(……)くんの学校はたしか中高一貫だったはず。このころのじぶんはまったく未熟で狭量なクソバカだったといわざるをえない。(……)さんには申し訳ないことをした。こんど一五日に(……)くんと会う予定だが、そのまえにメールでこういうことあったよねと送ってみようかな。

 エクセルシオール横の切り立った階段をおり、コンビニで二万円おろすと残高は八万五千円になった。それからパスタ店の前を通り過ぎ、横断歩道を渡り、駅前ロータリーのまわりをたどって待ち合わせの喫茶店に急いだ。喫煙席側の部屋の片隅にAくんとUくんが座っていた。ほとんど同時にKくんも着いた。アイスココアを頼んだ。体調のためか、課題本のためか、いつもより声が低く、険があると自分でわかった。『中国化する日本』についての話し合いがはじまったが、程度はちがえど、こちらと同様の違和感をみんなが共有しているとわかって安心した。ひととおりこきおろしたあと、そうしてばかりいても生産的ではないし、ひとまず著者の言うことを追ってみよう、と中国化の定義などについてしばらく検討した。もちろんみな素人なので細かいところを詰めることはできないが、さまざまな疑問が噴出した。
 六時前になってNさんが来るというので店を出て駅で合流し、ファミリーレストランへ向かった。しばらく雑談をしつつ食事をしてから、Nさんも加えてふたたび話し合いがはじまった。この本が好きだ、おもしろいと言って課題図書に推したのはNさんだったので、彼女の前でボロクソに言うのは控えようと思って黙っていたが、無批判に持ち上げるのに加えて当人が直接、どうだった?などと聞いてくるので、苦笑し、それ俺に聞いちゃう?と不穏な前置きを置いてからまあクソだったね、と告げた。どこが、問われたので色々と述べて議論めいた感じになったが、最終的には男性陣四人対Nさんみたいな構図になってしまい、彼女の口から好きな本がけなされるのはつらいわという言葉を引き出させてしまった。オーウェルのときも思ったけど、とことん趣味が合わないね、と言われた。かなりへこんだ様子のあと空元気のように、スーツケースを買いに行かなきゃならないと言ったのは近日中に旅行に行くらしいので嘘ではないだろうが、さっさとこの場を離れたいとの思惑もはたらいていただろう。悪いことをしたと思った。Aくんから苦笑がもれた。僕多分こういう展開になるだろうなあと思ってたんだよね。いや、俺も本屋であの本を見たときからそういう予感はあったよ、Nさん俺のこと嫌いになっただろうなあ。嫌いにはならないと思うけど、正直あんなにへこむとは思わなかったね。これだから女子にもてねえんだよ。

 一〇時四〇分ごろに起き上がり、屈伸などちょっとしてから、もう洗濯もはじめることに。肌着やタオルを洗濯機に入れ、洗剤が切れていたので詰替え用を開封してボトルにそそぎ、注水の終わった洗濯機に足すと蓋を閉めて瞑想へ。まあよろしい。三〇分いかないくらい。胃のしくしくする痛みはなくなったとはいえ、やはりどうしても喉の奥の詰まりみたいなものがとれず、目を閉じてからだを観察するにそれはやっぱりみぞおちというか肋骨の接合部と関係しているようだった。志向性をそこに、もしくは喉奥のひっかかりに集中させているとすこしほぐれるようではあるが、溶けきりはしない。それでやっぱりここをほぐすのが大事なのかなとおもい、瞑想を終えて立ち上がると、両腕をうしろに伸ばして胸を張るストレッチとか、直上にかかげて上体を全体的にもちあげて伸ばす要は背伸びとかをやったのだけれど、そうするとたしかに詰まりがかなりなくなって、その後の食事も楽だった。とはいえ午後二時現在のいまはまたちょっと出てきているのだが。しかしみぞおちを中心に胸郭、肋骨を全体的にほぐすこれを習慣的にやればなんとかなりそうな気はする。食事はきのうの煮込みうどんののこりである。それを食ったあと、サラダも食べるかとおもい、キャベツをすくなめに切ってサニーレタスと豆腐と合わせた。さいごに消化のためにとおもって大根おろしをちょっとつくって腹に入れる。食事中はなんか動画でも見ようかなとおもって、お笑い系のやつでもたまには見て笑うのもよいのだろうけれど、なんとなく金井美恵子トークイベントの動画でも見ようかなという気になり、というかきのうすでにそういう気になって朝吹真理子との対談動画を再生したのだけれど、食事がすぐさま終わってしまったのでほとんど三分くらいしかみられず、きょうそのつづきを見ようかなとおもったもののなんかあんまり真面目なはなしの気分でもないなとおもい、中原昌也磯崎憲一郎といっしょに出ているやつのほうをながした。まえにもいちど見たことがあるのだけれど。髪の毛ボサボサでライブハウスのスタッフみたいな真っ黒いジャンパーを着ている中原昌也が、平生の状態としてすこし険のあるような顔つきをしている金井美恵子とちかくならんで座っている図は、なんかそれだけでもわりとおもしろい。それを見ながら食事を取って、食後は皿洗い。済ませると洗濯機のうえに置かれた水切りケースを床におろし、機械の蓋をあけて洗濯物を干しにかかった。数はすくない。ひかりもよく通っていながら、あからさまに汗ばむほどの熱も大気になくて、陽射しの熱さをほどき拡散させるさわやかさのときにひらめく昼過ぎである。ひかりのあるうちにあるきに出たいような、おだやかに誘惑的なあかるさだ。座布団二枚も出しておき、家事に切りをつけると、ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』があとすこしだったので、きょうはまずそれを読み終えてしまうことにした。読了。なかなかおもしろかった。タイトルどおり、ツアナキ島とかサッフォーの恋愛歌とかムルナウの映画とか東ドイツにあった共和国宮殿とか、いまはもうこの世になく消えたり滅んだりした一二のものをとりあげて、各篇の冒頭にその来歴といつどんなふうに消え去ったかという情報を付したあと、それにまつわる物語やエッセイ的な文章が綴られる。まつわるとはいったものの、各篇はほぼどれも、そのものじたいについて記すというより、そこからけっこうはなれたり、あるいはそれにまつわるひとのフィクショナルな語りを構築したりしている。いちおう著者じしんとみなしてよいらしい「私」が語る篇も複数ある。そのうちのひとつである「フォン・ベーア家の城」という篇は、著者じしんの幼少期の記憶をもとにしたほぼ自伝的な内容のようだ。「ユーディット、あなたはおばかさんじゃない」(146)と、この作家とおなじなまえが明示されているので。ほかの「私」の篇にはしかしそういうことはないから、これらの「私」は著者じしんがエッセイ的に書いたものと取ってもよいだろうし、それぞれちがう「私」と取ってもよいだろうとおもう。訳者あとがきによればこのひとは「一九八〇年、旧東ドイツの港町グライフスヴァルトに生まれた」(247)ということで、篇のひとつにはまさしく「グライフスヴァルト港」というものがある(この篇において「失われた」物とされているのは港そのものではなく、それを描いたカスパー・ダヴィッド・フリードリヒの絵である)。そして、こちらがいちばん印象にのこったのもこの篇だった。というのもこのはなしは、グライフスヴァルト港へとながれこむリク川の水源をたずねたり、用水路に沿って一帯をあるいたりするだけのものだからだ。そうながくはない篇全体は行開けをはさんで三部に分かれており、さいしょは水源付近をたずねていて、さいごにはグライフスヴァルト港にたどりついているのだけれど、著者じしんといちおうみなしてよさそうなこの「私」(187: 「古い病院の建物を通り過ぎる。私が生まれた病院だ」/187~188: 「私がティーンエイジャーの頃、ひと春練習に参加したボートクラブが並んでいる」)がどういう目的でその歩行をしているのかはわからない(まさしくこの本におさめるつもりだったこの篇を書くためということなのかもしれないが)。そしてあるくのは森のなかとか牧草地とか、だいたいがゆたかな自然のあいだであり、書かれることもそれに応じて種々の花やら木々やら鳥の声やら空のようすやら、いくらかの動物もしくは生物やらで、ひとが住む村や町のようすもたしょうはふくまれて、人間もいちおう出てはくるものの、「私」とそのあいだにやりとりはない。内面性がかんぜんに排除されているわけではないが、風景と事物だけが順々に、ほぼ列挙的というか、あゆみに沿って単線的に描写されつづけるような文章で、こいつはやられたなとおもった。じぶんがやりたいのがかんぜんにこういうものかというとわからないが、あきらかにじぶんがやりそうなことをやっている。さきにやられてしまった(まあ、まいにちの歩行中の記述でもっとみじかく断片的にやっていると言えなくもないが)。文体としては、文末はほぼ「~している」「~する」で終わるかたちになっており、一文はむやみやたらとながくはならず、あえて技巧を凝らすこともなく、ものたちをひとつひとつ順番にとりあげながら堅実に綴っており、ほとんど単調ともいえるその反復的なリズムがしかし歩行のそれに相応しているようで、また花や木、鳥など、なかにはぜんぜん聞いたことがないようなものもふくみつつカタカナで記されるさまざまな固有名詞の豊富さと、おなじく多数の「~~色」が文章のはしばしをいろどっており、こういう感じでもぜんぜんいけるのだなとおもった。こんなふうだというのを示すために冒頭、「当初の計画通りに、流れの上流へ向かって南西方向に歩きはじめ」(174)て直後から二段落を引いておく。

 大きな雲の覆いが、頭上に低く重たげにかかっている。かろうじて遠くの方に空が明るんでいる所があり、そこから薄いバラ色がひとすじのぞいて見える。がっしりしたナラの木が数本、柵で囲まれた牧場の向こうにそびえている。大昔に開墾された放牧地の名残だ。窪地に雨水と雪解け水が溜まって湖のようになっている。そこにナラの枝が映っている。トウシンソウに似た淡黄色の草が、その淡青色の水の中から生えている。一羽のセキレイがひょこひょこと水辺を通り、お辞儀をするように尾羽を低く下げ、羽毛を散らしながら飛び立つ。
 表面が凍って硬くなった、まだ三日も経たない三月の雪の名残が、日陰になった芝生の隅や、トラクターのタイヤ跡のくぼみ、干草を発酵させて飼料にするための、白いシートにくるまれた円筒形の塊の陰で光っている。岸辺にはひっくり返った家畜用の餌入れが錆びている。その上にヒトシベサンザシの裸の枝が伸び、その樹皮は硫黄色の地衣類に覆われている。その時、ラッパのような鶴の声が鳴り響く。用水路の向こうに、二羽の鉛色の鳥が巨大な翼を広げて飛び立ち、すぐにまた曲線を描いて着陸の態勢に入る――完璧な調和を保ちつつ、両脚を地面に向かって伸ばしながら――そして三回短く羽ばたいて、すっと着地する。その後まだしばらく響いていた鶴の声は東風にのみ込まれる。唸り声をあげて海から吹いてくるその冷たい風は、薄鼠色のナラの葉を巻き上げる。畑の土はなめらかだ。黒褐色の粘土質の土の塊がそのまま、あるいは柔らかくほぐされて表土に載っている。畝間には菜の花が芽吹いているが、葉の縁はすでに農薬の毒のために脱色したブロンドのように変色している。色彩には生気がなく、光はまるですぐにも夕暮れが訪れるかと思うほど弱々しい。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、174~175)

 ほかにもいろいろ書きぬこうという箇所はおおくて、おもしろかった。この本がえらばれた国際翻訳プロジェクトのはなしもおもしろくて引いておきたいが、いま疲れてきたのであとで余裕があれば。書見のあとはきょうのことを書き出して、ここまでで三時一七分。また野菜スープをつくっておきたい。あとはきょうは買い物も行きたい。といって、なにを買うんだったか? 麺つゆか。あと漂白剤(ワイドハイター)がもうないのだけれど、やっぱり洗濯には入れたほうがいいのかなとおもうのでそれとか、あとなんかあった気がするのだけれどなんだったかな。喉の詰まりはいまはなくなっており、わりと意気がありもするので、なんだったらおととい返したばかりのカフカ全集をまた借りに図書館まで行って、ついでに鈴木大拙『禅』を買ってくるのもよいかもしれない。一五日もだんだん近いし。


   *


 そういえばわすれていたが、起床直後とか食事後とかで、Guardianの記事をふたつ読んだ。Peter Beaumont in Kyiv, “Russia escalating use of Iranian ‘kamikaze’ drones in Ukraine”(2022/9/29, Thu.)(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/29/russia-escalating-use-of-iranian-kamikaze-drones-ukraine-reports-say(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/29/russia-escalating-use-of-iranian-kamikaze-drones-ukraine-reports-say))と、Shaikh Azizur Rahman, “Narendra Modi’s BJP bans Indian Islamic group for ‘terrorist’ links”(2022/9/29, Thu.)(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/29/narendra-modis-bjp-bans-islamic-group-in-india-for-terrorist-links(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/29/narendra-modis-bjp-bans-islamic-group-in-india-for-terrorist-links))。内容はそれぞれしたにメモしておこう。
 うえまで書いたあとは寝床に横になって休息。洗濯物を取りこんだあと、Chromebookでウェブを見る。山本貴光吉川浩満「人生がときめく知の技法 賢人エピクテトスに学ぶ人生哲学」(https://www.webchikuma.jp/category/chinogihou(https://www.webchikuma.jp/category/chinogihou))なんていう連載を読みはじめてしまう。夕食前までで第一二回まで。ふたりの対話体で書かれているし、とちゅう、エピクテトス本人をフィクショナルに召喚して会話にまじえるなんていう趣向もあり、一回一回もみじかいしかなり初心者向けという感じ。エピクテトスの『人生談義』はわりと興味がある。今年だったか去年だったか、岩波文庫で新訳が出ていたはずだ。記事中にもモンテーニュとか夏目漱石とかが愛読していたとあるが、たしかフーコーもなんども読んでいたというはなしではなかったか。
 起き上がったのはたぶん五時ごろだったかな。野菜スープをこしらえることにした。まだ明かりがなくてもどうにかなるレベルではあったが、部屋がもうだいぶ薄暗くなってきていたので、電灯をつけて鍋やまな板を用意する。タマネギ一個、大根少々、ニンジン一本、ネギを一本の三分の二くらい、キャベツ少々をそれぞれ切って、ザルに入れる。窓は網戸で開けており、レースのカーテンは閉ざしているが、もうたそがれに向かって薄青くなりつつあるそとからは、保育園の子どもとむかえに来た母親とがくりひろげる問答が聞こえてくる。問答といっても、帰らないの? 帰ろうよ、帰れなくなっちゃうよ、などとうながす母親にたいして、子どもはずっとえーんえーんと泣き声をあげているばかりで、あいまにちいさな声でなにか言っていたのかもしれないが、こちらの耳にはほとんど会話にはなっていない。野菜を切り終えると鍋に油を垂らしてひろげ、火を点けて油がちょっと熱をもってから、ザルの野菜を半分くらい落とした。鍋がちいさいので一気にぜんぶ入れると野菜たちの可動性が低くなる。もう一段階おおきい鍋がほしいなとおもった。それでなくともひとつきりというのは、まあいまのところは問題ないが今後もっと料理をするとしたら、あきらかに不便で、なにしろ一品でそれが埋まっていればべつのものにつかうことができない。野菜をかきまぜる木べらは実家からもってきたもので、もう古く、さきのほうなどやや削れていたり、焦げた痕がちょっと黒くついているのだが、むかしからこれがなぜかいちばんつかいやすい。残りの野菜も半分ずつくらい加えて、ある程度炒めてよいところで水をそそいだ。そうすると火を最弱に落とし、あとは灰汁を取ったり調味料を入れたりするときいがいは、ずっと放置しているだけである。スープっていうのはほんとうに都合の良い料理だ。べつのことをやっているあいだに勝手にできる。しかも栄養もたくさん取れるうえ、うまい。
 それで煮えるのを待つあいだはまたエピクテトスについての連載を読んだりしていたのだけれど、やはりどうしても喉の奥の詰まり感が抜けないので、いったん瞑想してからだを観察した。さらに呼吸をいろいろ変えてみて、感覚が変わるか、反応をさぐる。いろいろと言って、非介入から、鼻でゆっくり吐くようにしてみたり、口でよりながくふかく吐くようにしてみたりというくらいだが。たぶんこの喉の詰まりというのはまえまえからある逆流性食道炎的な症状が顕在化したもので、逆流性食道炎というか胃酸逆流にたいしては、胃と食道のさかいを締める括約筋が運動不足などでゆるんでしまっているのが原因で、呼吸法やヨガなどで横隔膜をうごかし鍛えると改善されるというはなしがあり、それで楽になるかなとおもってやってみたのだけれど、あまりよくわからない。たしかに口で深く吐いたあとは唾を飲みこむときの引っかかりが減ったような気はするが。いずれにしてもちょっとやっただけでそう効果が出るはずもなく、習慣化しなければ意味がないだろう。そのあとスープに味つけをして(あご出汁や鰹節や、寿司についてきたものかあまっていた小袋の醤油はすでに入れており、鶏ガラスープの素と味噌をさいごにくわえた)水を飲んだり、ちょっとからだを落ち着けてから食事を取ったが、食後のいまはたしかに楽な感じではあるので、ともかくもやはり胸郭から腹にかけての柔軟性をなるべく確保するのがよいのかもしれない。口で吐くながい腹式呼吸、またいくらかやってみるか。口だと血がめぐりすぎてかえって疲れるようなこともあってあれなのだけれど。なにごとも過ぎたるはおよばざるがごとし。適度に取り入れてやってみよう。やはり覚醒時の寝床のなかでやるのが手っ取り早いのでは? 血がぐんぐんめぐるのはまちがいないし。
 食事中はまた金井美恵子中原昌也磯崎憲一郎の鼎談イベントの動画を見ていた。まあ気楽なはなしでそこそこおもしろい。金井美恵子がふたりとはじめて会ったときのはなしとして、小説家にはめずらしく(そもそも小説家に会うってことがあんまりないんですけど)と言いつつ、中原昌也はそのときヌーヴォー・ロマンのなにかをさがしているがどこに行っても見つからないとなげいていたと語り((ロブ・グリエの)『嫉妬』じゃない? と金井は聞くが、いや、『嫉妬』じゃなかった、という)、また磯崎とはじめて会ったときも、これも小説家にはめずらしく、ムジールムージルはむかしムジールとかムジルとかムシルと表記されていたのだ)の『三人の女』のはなしをして、で、その文庫本をくださったんですよね、小説家から本をもらう、そのひとの書いた作品じゃなくて、ほかのひとが書いた本をもらうってのはなかなかなくて、びっくりしました、大岡昇平以来でしたね、ということで、大岡昇平なんてなまえが出ればみんな笑うし、こちらも笑ってしまう。それで金井の、「小説家にはめずらしく」という発言から、ああやっぱり、業界の小説家でもヌーヴォー・ロマンとかムージルとかをカバーしているひとはすくないんだなあ、とおもった。まあふつう読まないよね、「三人の女」はまだしも、「静かなヴェロニカの誘惑」とか。わけがわからんし。あれを読んだっていうひと、いままで(……)さんしか会ったことない(しかしそもそもこちらの交友範囲はせまいから、文学を読むにんげんの母数がとぼしい)。『失われた時を求めて』をぜんぶ読んだっていう他人にもたぶん出くわしたことがないんじゃないか。おもしろいですよあれは。どうでもいいようなところもかなりあるけれど。
 汁物はまあふつうにうまいが、喉の感じが気になってそんなに楽しめはしなかった。それでも食後のいまはわりと楽だ。飲みこみに違和感がほぼない。というか空腹時のほうがむしろ詰まり感が出るのかもしれない。腹にものがはいっていればだいじょうぶなのか。括約筋が反応していちおうはたらくということか? いずれにしてもつかった食器をさっと洗い、ここまで記して八時一一分。きのうのことを書き、できればスーパーに行きたいがまあそれはあしたでもいいかなという気にもなってきている。書抜きもしたい。


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 九時半ごろだったか、けっきょく夜歩きに出た。しかし道中のことはたいしておぼえていない。ルートはわりといつものとおりで、アパートを出て左方に南下、車道沿いに当たると右折して西へ、病院や(……)の敷地まわりを端まで行って裏に移行してもどってくるかたち。印象はいろいろあったはずだがすでに忘却の淵にながれた。病院裏の敷地際、いろいろ花が植わっているなかに香りがただよって、見ればややかたそうな濃緑の葉にオレンジ色のつぶつぶした花を、あまり押し出さずひそめるようにつかせたものがあって、これってキンモクセイだったか? とおもった。検索したかぎりではたぶんそうだ。あと、これはきょう(三日)もみとめたが、足もとの低い植込みに白い小花がたくさん群れた種もあって、花のかたちはどことなくオシロイバナをおもわせるような感じでほそい首がちょっとついているのだけれど、これはたぶんアベリアというやつだとおもう。ツクバネウツギ属だといい、ウツギといわれればたしかに、とおもうところもある。実家のそばの坂道には四月か五月ごろにヒメウツギだとおもわれる白い小花が群れていたが、あれにちょっと似ていなくもない。最寄り駅あたりまでもどってくると、スーパーに寄って買い物した。スープつくるようになったからキノコ入れられるじゃんとおもってエノキダケを入手。あと、野菜コーナーの入り口あたりに、ちゃんぽん鍋のつゆとかいうものがあって、おお、とおもって買ってしまった。鍋料理のもとを買って味つけするのもよいな。その他タマネギとかニンジンとか大根とか野菜を買い足したり、あとシーフードミックスも。うどんも。遅い時間に行ったので大根はもう半分のやつは売り切れており、一本まるごと買うしかない。これまでは葉の始末が余計事だったので、いつも下側、白いほうの半分を買っていたが、大根の葉もスープに入れれば良いので上半分や一本も買える。れいによって(……)氏あいてに会計して退店。


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  • 日記読み: 2021/10/1, Fri. / 2014/2/23, Sun.


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Peter Beaumont in Kyiv, “Russia escalating use of Iranian ‘kamikaze’ drones in Ukraine”(2022/9/29, Thu.)(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/29/russia-escalating-use-of-iranian-kamikaze-drones-ukraine-reports-say(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/29/russia-escalating-use-of-iranian-kamikaze-drones-ukraine-reports-say))

A day before Ukraine’s air force spokesperson Yuriy Ihnat suggested Iran may have supplied “several hundred” of the weapons to Russia.

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While much attention has focused on Ukraine’s highly successful use of drone warfare – not least that employing Turkish supplied Bayraktar TB2s – Russia has begun relying more heavily on kamikaze drones rather than missiles.

In recent weeks Russian forces have used Iranian-made Shahed-136 unmanned aerial vehicles to hit the Odesa and Dnipro regions with Ukraine’s president, Volodymyr Zelenskiy, citing the supply of the drones to Russia as “a collaboration with evil” behind Ukraine’s recent downgrading of ties with Iran.

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While at least one other kind of Iranian-supplied drone has been identified in Ukraine, the Shahed 136 – also known as the Heran 2 – has been used most frequently, already becoming familiar for its sound like a distant motorbike engine during its approach.

Usually launched in pairs, the 200kg drone – which is armed with a warhead, officially has claimed range of about 2,000km although realistically it is believed to be closer to several hundred with anecdotal evidence suggesting that Ukrainian forces have at times struggled to track the incoming drones.

In a recent interview Oleg Katkov, of Ukraine’s Defense Express, suggested the drones were probably relatively low-tech, assembled from parts that could be bought easily online and guided by a civilian GPS system, with their effectiveness coming from their use in swarms.

“Since this equipment is assembled from low-quality parts, the reliability will be low. That is why the tactics of using these UAVs [unmanned aerial vehicles] involves their use in a so-called swarm. In other words, five to six, or even more, kamikaze drones are launched at one target, assuming that a few of them will fulfil their task.”

Ukraine has also said Russian forces are using another larger and more sophisticated Iranian drone – the Mohajer-6 – which can also be used for reconnaissance flights or armed with munitions, which is also being flown out of Crimea.

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The concern over Russia’s new kamikaze drone tactics – and how to counter them – comes amid reports that Ukraine has also signed a contract for a similar system, the US-made Switchblade 600 although those may not arrive for several months.

With a powerful warhead, which has been compared to the force of a Javelin anti-tank missile, the munition is capable of destroying tanks and other armoured vehicles.

Ukraine has also been seeking intelligence and countermeasures from Israel to use against the Iranian drones. Earlier this month Israel’s deputy director for Euro-Asia, Simona Halperin, visited Kyiv, where one of the issues understood to have been raised was Israeli intelligence on Iranian drone technology.


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Shaikh Azizur Rahman, “Narendra Modi’s BJP bans Indian Islamic group for ‘terrorist’ links”(2022/9/29, Thu.)(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/29/narendra-modis-bjp-bans-islamic-group-in-india-for-terrorist-links(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/29/narendra-modis-bjp-bans-islamic-group-in-india-for-terrorist-links))

An Islamic organisation that says it fights discrimination against minorities in India has disbanded after the government declared it and its affiliates unlawful, accusing them of involvement in terrorism.

The government of Narendra Modi’s Hindu-nationalist Bharatiya Janata party (BJP) accused the Popular Front of India (PFI) group of having been involved in “terrorism” and “anti-national activities”.

The ban, under a strict anti-terrorism law, came amid a crackdown in which 300 PFI leaders and activists have been arrested.

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Muslims, who make up more than 15% of India’s 1.4 billion population, often complain of persecution in the Hindu-majority country, and note that the marginalisation of the community has been increasingly prominent under the BJP. The BJP and the government deny the accusations.

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The PFI supported the protest against a 2019 citizenship law that according to its critics discriminated against Muslims. It also supported this year’s protests in the southern state of Karnataka by Muslim girls who demanded their right to wear hijab in educational institutions.

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Security expert Swaran Ram Darapuri, a retired police services officer, said the allegations against PFI seemed to be preconceived as “no related specific charge or crime has been investigated or proved” in the cases.

“Only some general allegations have been made against the PFI. The organisation has been accused of being involved in terrorism-related activities, among other charges. Those serious charges should have been thoroughly investigated and proved in a court of law before taking any action like banning the organisation,” said Darapuri, who is also a human rights activist.

“The widespread raids and arrests accompanied by diatribes were carried out to malign the organisation. The whole exercise of the crackdown seems to be biased and motivated.”