2022/10/24, Mon.

 (……)どうかまた、まもなくお便りをください。骨を折らないで。手紙は、見てもわかる通り、骨が折れます。小さな日記を書いてよこしてください。その方が手数がかからず、与えるものも多いのです。もちろん貴方だけに必要なことより、もっとたくさん書かないといけません。だって私は貴方のことを知らないのだから。いつ貴方はオフィスにいくのか、朝食はなんだったか、オフィスの貴方の窓からなにが見えるか、どんな仕事なのか、貴方の友人、女友達はなんという人たちか、なぜ貴方は贈物をもらうのか、だれが甘い菓子を贈って、貴方の健康を傷つけようとするのか、その他私がその存在も可能性もまったく見当のつかない無数のことがらについても書かなければなりません。(……)
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、38; 〔労働者災害保険局用箋〕プラハ、一九一二年九月二八日)




 覚醒は八時過ぎ。天井にもれだしているひかりのいろや部屋の暗さからして、きょうは秋晴れならず、ひかりのとぼしい沈んだ曇りである。一〇時から通話なのでわりと良いタイミングで覚めた。欲をいえばもうすこしはやく起きたかったが、昨晩はひさしぶりにわりと夜更かししてしまったので望みがたい。布団のしたで深呼吸をはじめ、腰とか背中をもぞもぞやったり、膝をかかえて胎児のポーズを取りつつ左右に揺れたりする。きのう気づいたのだけれど、これはとてもよい全身のほぐしかたである。胎児のポーズじたいはまえからやっているし、全身に効くとも書いていたけれど、いままで主にやっていたのは膝をかかえるとそのまま静止して息を吐くようなやりかたで、それももちろん良いのだが、左右にゴロゴロうごいたほうが背骨も刺激できるし、肩の付近もよくうごいてしだいしだいに楽になってくる。からだをほぐすには往復運動をゆったりと、あまりちからをこめずに時間をかけてやるのがいちばんなのかもしれない。膝でふくらはぎを揉みさするのも往復といえばそうだし。ともあれ自己の身体上の解、肉体の真理はやはり過去にもう見出されていた。体調をととのえるには、脚を中心にからだをほぐして全身の血流を促進するのがいちばんだということだ。具体的な方法は寝ながらやるいくつかのやつと、胎児のポーズ、そして歩行、この三つがたぶんいちばん。ストレッチとか筋トレとかはこれでからだとやる気のベースをつくったそのうえで、心身がもとめるようならやっていけばよい。寝転がりながらからだをととのえるのは、なにより読書がはかどることが利点だ。なんだったら詩作だってできる。
 八時半を過ぎたくらいでいちど起き上がり、カーテンをひらいて曇りのいろを部屋に入れ、立ち上がると水を飲んだりトイレに行ったり。すこし喉にひっかかりがあるようだったので、うがいもしておいた。そうして寝床にもどると過去日記の読みかえし。2021/10/24, Sun.の冒頭はリルケ「ドゥイノの悲歌」の第九歌。「ドゥイノの悲歌」のなかではこの箇所がいちばん好きだ。といってちゃんとぜんぶ読んだことはないが。いちおう古井由吉の、行替えをせずに「訳文」として翻訳したものでぜんぶ読みはしたけれど。

 この現世こそ、言葉になる物たちの時であり、地上がその故郷だ。
 語れ、そして打ち明けよ。かつてないほど
 物たちはうつろいゆく、体験しうる物たちは。なぜなら、
 それらの物をおしのけて替ろうとするのは、形のない行為だ。
 殻におおわれた行為だ。その殻は、
 内部から行為がはみ出し、別の境目ができると、
 じきにはじけてしまうのだ。
 二つのハンマーの間に
 われわれの心が立つ、舌が
 歯と歯の間にあるように。けれども
 称賛をする舌は健在なのだ。(end111)
 天使に対してこの世界を称賛せよ、言葉で言い得ない世界をではない。
 天使に対しては、華々しい感情の成果を掲げて競い合うわけにいかない。
 宇宙空間では天使の感じ方は奥が深く、そこではきみは太刀討ちできない。
 だから天使には素朴な物を示すがよい、世代から世代にわたり形づくられ、
 われわれのものとなって生き、いつでも手に取り、視野に入れられる物を。
 天使にはそのような物を言葉で示すがよい。すると天使は目を瞠り、立ちつくすだろう、
 かつてきみがローマの綱作りやナイルのほとりの壺作りのところで見とれたように。
 天使に示すがよい、一つの物がどんなに形よく出来、けがれなく、われわれのものであり得るかを、
 嘆きを発する苦悩さえ、いかに清らかに物のかたちとなることを決意し、
 一つの物となって奉仕し、あるいは死んで物となるのを、
 そしてかなたで清らかにヴァイオリンから流れ出るのを。これら
 限りある命を生きる物たちは、きみが讃えてくれることを分かっている。
 はかない存在である物たちは、最もはかない存在であるわれわれ人間に救いの手を期待している。(end112)
 物たちの願いは、われわれが彼らを、目に見えない心の空間で
 内部へ――おお、限りなく――われわれの内部へ変容させることだ。たとえわれわれがどんなにはかない者であっても。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、111~113; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第九の悲歌」 Die neunte Elegie

 天気の記述はしたのようなもの。やはりたいしたものではないが、「弱い風が下草をわずかに撫でる衣擦れめいたひびきや」とか、これだけで、ああ、いいなあとおもってしまう。

 一一時半に離床。きょうもひかりのまぶしい好天だったのだが、三時をまわった現在はあかるさがやや減じている。とはいえ空は淡い雲に巻かれながらも青いし、近所の家壁にすこし甘いようになった陽の色も見えるので、単純に日がみじかくなったということかもしれない。水場に行ってきてから瞑想。かなり良かった。いつもどおりしばらく深呼吸をしてから静止にはいったのだが、からだがあたたかくまとまるのが気持ち良く、長めに三五分くらいすわっていた。すわってじっとしていると、肉体の各所、たとえば首の付け根とか頬のあたりとか、いろいろなところの筋がおのずとゆるんでくるのが如実にかんじられるのだが、それは言ってみればからだが徐々に武装解除をしているような感覚だ。窓をすこし開けており、そとの大気はしずかでもう虫の音もはっきりとは聞こえず、弱い風が下草をわずかに撫でる衣擦れめいたひびきや、スズメかなにかの鳥がチュンチュンとかわいらしく鳴いている声だけが耳にとどく。

 ニュース。

(……)新聞、国際面。南アフリカで白人の土地を接収することを主張する黒人中心主義の極左勢力、「経済的解放の闘士」(みたいななまえだったとおもう)がいきおいをえていると。一一月一日に統一地方選があるのだが、そこで伸長を見せるかもしれないという。もともと与党のアフリカ民族会議を離脱したひとが二〇一三年だかにつくった党らしい。与党内もシリル・ラマポーザ大統領とズマ前大統領の対立で荒れており、人種対立の拡大もあって政情は不安定、そこを突いて余計に分断を煽ろうという向きのこの党は、やはりいわゆるポピュリズム的な方向性のようで、白人の土地を没収して黒人に分けたり、富裕層の地域に黒人用の家屋を建設することとかをかんがえているようだ。そんななか、白人種のほうには分離独立をかんがえる一派もあると。ネルソン・マンデラが掲げた「虹の国」という多人種共生の理想があやうくなっている、とのことだった。

 あとしたの一段はちょっとおもしろかった。大仰で笑う。

アイロン掛けを終えると夕食の支度だが、カレーがあるのでそれでもうだいたい良い。母親がもらった里芋をつかっちゃいたいと言うのにはけんちん汁をつくってもらうことにして、あとは餃子を焼いて野菜をてきとうにスライスすれば良かろうと決めた。それで餃子を焼くまえに先ほど漂白しておいた急須を洗っていると、母親が、駐車場のうえにかかってる蜘蛛の巣がとどくかどうか見てみてよと言う。高いところに張っているのを取りたいらしく、アイロン掛けのさいちゅうから言っていたが、それで急須を念入りにゆすいだあと、サンダル履きでそとに出た。竹箒をつかえばふつうにとどくだろとあなどっていたところがたしかにずいぶん高いところにあり、屋根のちかく、玄関上の庇というか小屋根みたいなところと家屋全体の屋根とを左右の支えにして浮かんでいる。小屋根部分の縁につながった糸の端を切ることくらいはできそうだったので、首をおもいきりうしろにかたむけて頭上だけを視界におさめるかたちで体勢を固定したまま竹箒をめいっぱい突き出し、前後左右不安定にうごかしてすこし糸をかたづけた。小屋根の縁には何本もくっついていたし、取り除いていても箒の先にまつわる糸のさまに粘りがかんじられたので、なかなか年季のはいっていそうな立派な巣であった。これいじょう上、すなわち巣の本陣にはとどかないし、このくらいでいいだろうと屋内にもどりかけたところが、母親が(……)さんの家がなくなって以来空き地となっているとなりの敷地に立っていた旗の竿(いまや旗自体はながいあいだ風にさらされたためビリビリに破れ、残骸となって竿のまわりにひっかかったり地に落ちたりしている)に着目し、これならとどくんじゃないと勝手に引き抜きはじめた。とにかく問題を解決したいというときの人間のあたまというものはなかなかの創意を見せるものだ。こちらは面倒臭かったし、そこまでがんばらなくて良いだろうとおもっていたし、そもそもくだんの蜘蛛は屋根のあたりで暮らしているだけでなんの害もなしていないので、あいつなにも悪いことしてないじゃんと言って反対したのだが、けっきょく母親の言を容れて、竿を受け取ってそれを頭上に突き出し、蜘蛛の巣をからめとるようにして破壊した。ちいさくまわした棒の先にひっかかった糸が宙をおよぐすがたは、綿飴のようだった。それから林のほうに行ってふきとろうということで移動し、こちらが水平に落とした竿の先を、母親がそこに植わっているサツマイモのおおきな葉っぱでふきとり、からまった糸(と、もしかしたら蜘蛛じしんもそこにいたかもしれない)を始末した。これが人間種のおごりである。その存在が気に入らないと言って勝手にあちらが住んでいるところまで出向き、その棲みかを一方的に破壊してなきものにしたのだ。たとえば入植地のイスラエル人がパレスチナのひとびとにおこなってきたことはこれに近い。とはいえこのばあいのあいては人間ではなく、所詮はちいさな畜生のたぐいにすぎない。だが、あいては家のそとでただ生きていただけなので、特段の問題もなく生命として平和裏に共存できたはずなのだ。まあたかが蜘蛛なのでどうでも良いといえば良いが、室内にもどって大根やニンジンをスライスしながら、『トリストラム・シャンディ』の叔父(だったとおもうのだが)の精神をみならわなければとおもいだし、久方ぶりのその想起によって、ポール・ド・マンを読み終えたら『トリストラム・シャンディ』を読もうかなとおもった。この小説は岩波文庫全三巻をずいぶんまえから持っており、むかし一巻の終わりくらいまで読みながら中断した記憶がある。

 あとBill Evans Trioの感想。これも大仰で、何年かまえから、けっきょくなんど聞いてもほぼこういうことしか書いておらず、その都度いいかたをちょっとずつ変えながらこれをくりかえしているだけなのだが、熱をこめてよく書いているなあという感じで、感動と驚愕はありありとつたわってくる。じぶんのBill Evans Trioのとらえかたはこれいじょうもう深まらないのではないかというおそれがあるのだけれど、それはそれとしてこれからもなんどでも聞いていく所存である。六一年付近ばっかり聞いているのではなくて、すこしずつでももっとキャリアを追っていくべきなんだよな。ほんとうは。「『Portrait In Jazz』の五九年から死の直前、八〇年六月のVillage Vanguardで演じられた『Turn Out The Stars』まで、Bill Evansの演奏は本質的なところでは変化しなかったのではないか(きちんと聞いてみないとわからないが)。Evansはフリーへと行ける人間ではなかった。もしそうだとして、そのことは彼の弱みではまったくなく、それこそがBill Evansの最大のつよみだったのではないかとおもう。枠組みを破壊してそこから立ち去ることなく、その都度すこしずれた極北において絶えず行き詰まりつづけることを選んだのが、Bill Evansの偉大さだった」と書いているけれど、これはきちんと音楽じたいにふれて確認したものではなく、あいまいな記憶と印象でこうなんじゃないかというのを書いているだけなので。本質的な、根底的な変化はなかったとしても、晩年はまただいぶちがっているとはおもうんだよな。「フリーへと行ける人間ではなかった」というのは、やはりそうなんじゃないかとおもうが。しかし、LaFaroが生きていたらわからなかったかもしれない。LaFaroによって、Evansの根源的な質的変容が果たされていたかもしれない。ちなみに、「操作的な意味でのニュアンス」というところをみておもいだしたけれど、ロラン・バルトもたいていの声楽家はそういう歌い手じしんの技術的装飾がうっとうしい、みたいなことを言っていて(たしかバルト著作集の二巻か、それか三巻(『現代社会の神話』)あたりで)、そこで「見せ物性」ということばをつかってもいたかもしれないが、そのなかでなんとかパンゼラとかいうバリトンのひとはそういうのがぜんぜんなくて好みだというはなしをしていた。たしかバルトはこのひとにちょっとだけ歌をならったことがあったんじゃなかったっけ? もうひとつついでに言えば、Keith Jarrettはあきらかに「突出の瞬間」とか「瞬間的な過剰さ」とか、感情的激発を呼びこむタイプの演奏をしたひとで、だからそれはいってみれば憑依を待つシャーマンの身振りなのだけれど、あれはあれでよい。かれの演奏がピアノとのセックスにたとえられたのはれいの喘ぎ声的なうなりのせいだけではなくて、垂直的な絶頂と恍惚の瞬間にほとばしる美的射精としてのきらめきの印象がつよかったからでもあるとおもうが、Jarrettが憑依をなかなかまねきこめずに苦心しているかのように、鈍いうなりをもらしながら待ちもうけて地を這っている雰囲気のあたりとか、あの苦労している感じとかもじぶんはけっこう好きだ。ともあれJarrettにはどちらかというと不均一に寄ったような起伏と、明確なクライマックスがある。Evansにはない。Evansにももちろんある程度の起伏と高まりはあるけれど、激烈なクライマックスみたいなものは皆無だし、むしろある意味さいしょからさいごまでずっと激発しているとも言えるかもしれない。かれはなにかを待ちもうけていない気がするんだよな。なにも待っていないし、なんかもう準備とかなく、はじまったらすぐにもうはいっちゃってるというか。

いま一一時ぴったり。Bill Evans Trio『Portrait In Jazz』を聞いた。さいしょから、八曲目の"Spring Is Here"まで。きのうのようにねむることなく音楽を聞きたかったので、枕のうえに尻を乗せて上体を立てる瞑想時の姿勢で聞いた。やはりめちゃくちゃすごい。何年もまえからずっとおなじことをなんども書いているが、Bill Evansの演奏でじぶんがもっとも驚嘆するのがそのペースの一定さや、あらかじめそう弾くことがさだめられていたとしかおもえないような均整のつよさである。今回は二曲目の"Autumn Leaves (take 1)"のとちゅうからそれを如実にかんじた。例のピアノとドラムがおりおりからんでくるベースソロだが、そこでのEvansのベースへの添い方は、フレーズの入りや終わりのタイミングにしてもそのあいだをつなぐ音のながれかたにしても、Evansだけはそのように弾くよう楽譜にしたため指示されていたかのような、端正きわまりない配置ぶりである。最大限に呼吸の合ったインタープレイとしばしば称される第一期のBill Evans Trioだが、Evansの打ち出している音を聞くかぎりでは、彼があいての呼吸を汲み取りそれに応じているという印象はまるでおぼえない。おそらく演じているときのじっさいの意識としてはそういう関与がとうぜんあったはずだが、そこにあらわれている音のみから受ける印象としては、Bill Evansは他者からの影響に侵入されることなく、三人でいながらも、あたかもつねにひとりで弾いているかのようだ。Scott LaFaroはそうではない。彼のフレーズやタイミング、またニュアンスのつけかたからは、Evansの音を待ち、それを聞き受けて反応しているなという気配がときにかんじとれる。Bill Evansにはそのような、演奏主体の意向がにじみでるような瞬間がまず存在しない。誤解をまねかずに説明するのがむずかしいところだが、ニュアンスということばをつかうならば、Bill Evansの音には操作的な意味でのニュアンスが付与されていない。それは彼の演奏が非常に平板であったり、ダイナミズムの変化に欠けていたりするということではなくて、いついかなるときにも過剰な瞬間、演者の個人性(というのはいわゆる個性のことではない)があらわに露呈されるような突出の瞬間がないということだ。あらゆる瞬間的な過剰さの欠如と、人間離れしているとおもえるほどの揺るぎなき統一性こそが、ひるがえって演奏全体としての過剰さを、まごうことなき特異性を生んでいる。それはどの曲でもそうであり、"Autumn Leaves (take 1)"で絡み合い的なアンサンブルが終わったあとのピアノのソロもまたそうである。つぎつぎと空間を埋めつらなっていく八分音符たちはリズムとしても非常に正確だし、一音一音の粒立ちもつねにきわめてあきらかで、ソロはさいしょからさいごまでほとんど単調とすらいえるかのような明晰さに支配されている。そこに存在しているとかんじられるのは、演者ではなく、ただ音のみである。みずからをあやつり統御する主体をうしなった音楽が、起源をもたずただそれだけで自律する機械仕掛けの天使のようなダンスをおどっている。Bill Evansには音を奏でる者としての衒いがない。意図や情念のようなもの、思想であれメッセージであれ陰影であれ表情であれ音楽にこめたり装わせたりしたいなにか、あるいはどういうふうに弾くかといった目論見や、共演者にせよ観客にせよ聞く者への視線など、最大限にひろい意味での私性が完全に欠如しているということが、Bill Evansを聞いたときにかんじる驚愕のもとであり、その異様さである。それはマラルメ的な非人称性の理想を音楽の領域で実現していると言うべきなのではないか。彼が演奏するとき、彼は音であり、そこにいるのは彼ではなくて音である。

『Portrait In Jazz』は一九五九年の一二月二八日に録音された音源だが、Bill Evansの振る舞い方は、一九六一年の高名なライブでのそれとなにもちがいがないように聞こえる。クオリティの高さという意味であれ、演奏の仕方という意味であれ、スタジオとライブで質にまったく差がないというのも、やはりおどろくべきことだろう。ほかのふたりはといえば、六一年のVillage Vanguardと『Portrait In Jazz』とではけっこうなちがいを見せている。Paul Motianはそのあたり見極めるのがなかなかむずかしい、つかみどころのない演奏者なので微妙だが、それでもスタジオ盤ではいくらかは猫をかぶっているようにおもえるし、LaFaroのほうは比較的オーソドックスなフォービートが中心でライブよりもあきらかにおとなしい。リズム隊のふたりがライブにくらべてサポートに寄っていることで、それまでのピアノトリオのありかたからは離れつつもここではまだEvansが主役だという印象がおおきいのだが、それがゆえにむしろ演奏全体としてはつよく凝縮しているともかんじられる。より拡散的なMotianと、大胆と奔放の権化のようなLaFaroがあらわれ、融通無碍というほかない流体的な交錯を実現するには、六一年の六月を待たねばならなかった。LaFaroの死によってこのトリオが終わっていなければ、ベースとドラムはおそらくそのあとより拡散の度をつよめ、フリーにいたるすれすれのところまで差し迫っていたかもしれない。そして、これは妄想にすぎないが、そのなかでEvansだけは、神聖な頑迷さとでもいうような一貫性でもって、孤高の形式的統一をまもっていたのではないか。そこでは演奏を多方向へ切りひらこうとするふたりの趨勢と、それに飲みこまれまいと安定をたもつEvansのあいだでのっぴきならない緊張の渡り合いが演じられたはずであり、Evansがついにフリーへの誘惑に屈することがあったとしたら、その瞬間が同時にこのトリオの終幕でもあっただろう。主観的な断定をおかすならば、Bill Evansはフリースタイルに行ける人間ではなかったとおもうのだ。彼がもしフリーへの境目を踏み越えるとしたら、それはそれいぜんとはまったくちがったすがたへの完璧な変身、すなわち新生としてしかありえなかったようにおもう。実際上も、『Portrait In Jazz』の五九年から死の直前、八〇年六月のVillage Vanguardで演じられた『Turn Out The Stars』まで、Bill Evansの演奏は本質的なところでは変化しなかったのではないか(きちんと聞いてみないとわからないが)。Evansはフリーへと行ける人間ではなかった。もしそうだとして、そのことは彼の弱みではまったくなく、それこそがBill Evansの最大のつよみだったのではないかとおもう。枠組みを破壊してそこから立ち去ることなく、その都度すこしずれた極北において絶えず行き詰まりつづけることを選んだのが、Bill Evansの偉大さだった。

Eric Dolphyは『Last Date』の最終トラック、"Miss Ann"の演奏が終わったあと、最後の数秒で、"When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again."とかたっている。あらゆる音楽は、あらゆる時間的な物事と同様に、この仮借なき一回性を生きることを宿命づけられている。音楽とはほんらい、生のすべての瞬間とおなじく、一回かぎりのもの、一回しかないものである。あらゆる音楽家は例外なくこの事実を体感において理解しており、自覚的にであれ無自覚的にであれ、その瞬間にもっとも受け容れられる音を、瞬間からもっとも歓待される音を全身で追いもとめ、つかみ、生み出そうとしているだろう。ほかのどんな音楽にもまして、さだめられたその闘争を誠実に引き受け、ギリギリのところでそれをたたかっているとかんじさせてくれるのが、Bill Evansの演奏である。あらかじめ仕組まれていたわけでもなくそのときその場で生まれたはずの音が、これしかない、これしかなかった、と魔法のようにひとを撃ち抜くあの均整の相において、闘争が生きられたことをなまなましく物語っているようにかんじられるのだ。白銀色に透きとおった静謐さと入り混じって見分けのつかなくなった、うつくしくするどい苛烈さがそこにある。

 2014/3/18, Tue.はとうじのじぶんとしてちからを入れて書いているのはわかるが、やはりわざとらしい部分が恥ずかしくてちゃんと読む気になれなかったりする。したの一段だけはそんなにわるくないというか、リズムもいちおうできている気がする。

 地上の半分はすでに陰に沈み、陽は川の両岸を分かつように水の上で途切れ、いまだその光に包まれているのは向こう岸に生える木々のほうだったけれど、空はこちら側でもまだ明るく透きとおって、冬の終わりを如実にあらわした。坂を上がって家々のあいだを抜けると、落ちる前の太陽が手を伸ばしたところに追いついた。雲は不思議にひとつの方角に集まり頭上にはかけらも見えず、それらをしたがえた斜陽は沈みながらもむしろまばゆさを募らせて街道に光の帯を敷いた。そのなかを車が走り、人が歩くと、柔らかな光の手にさらわれたおのおのの分身が長く伸びて地に宿った。黄みがかった橙色に触れられると林の葉は生き生きと色づいて大きさを増し、長い歳月を経た木造家屋の壁もくすんだ木目のなかに秘められた輝きをあらわにした。町全体がつくりものと化したようなものだった。日常からわずかに、しかし確実に浮遊したその時間は長くつづくものではなく、やがてマンションの最上階の窓ですら光を反射しなくなると、息をひそめるようにして夕刻は夜に場所を譲りはじめた。

 九時五〇分くらいまで寝床にとどまり、起き上がってパソコンをつけたりジャージにきがえたり。ケトルで白湯を沸かし、飯はまたきのう買った冷凍のパスタでいいやとおもい、電子レンジでナポリタンを加熱する。一〇時を過ぎてしまったが、体操的にうごきながらスパゲッティがあたたまるのを待って、火傷しないようにビニールを鋏で開封し、皿に出してからZOOMにログイン。ソースの付着したビニールは即座にながしで水をかけておいた。ZOOMにはいるともうみんな来ているので、遅くなりましてとあいさつ。窓外のすぐそばで工事をしており、寝床にいるあいだから騒音と、さらにはなんか鼻にくるにおいがしていたのだけれど、(……)


     *


 いま七時二二分。通話時のことはれいによってあとにして(と言いながら、さいきんはあとになっても書かないことがおおいが)、一時くらいで通話が終わると、とりあえずゴロゴロした。ニーチェを読む。きのう372まで読んだので373から。のちほど、きょうの日記を書いたあとにもういちど休みながら書見して、本篇は終わり、年譜のはじめである479まで来ている。訳注は本文を読むあいだにぜんぶ読んでいる。あとは年譜と解説のみ。
 そとの工事はみていないが道路か水道かそのあたりのものだったのか、たびたび整理員が通行人に声をかけて、すいませんね、こっちを通ってくださいとか言っている声が聞こえていた。工事の音できょうは保育園の子どもたちの声はほとんど聞こえなかった。天気がよくなかったし、そとでも遊ばなかったのではないか。三時を過ぎたころあいからもう濡れたような、褪せた青さがカーテンの向こうに沁みてきていて、いかにもどんよりと暗く、その時点で部屋内の明かりをつけなければならないくらいだった。気温もそこそこ低いようで、いまモニターの右下には13℃の表示が出ているが、寝床で胎児のポーズとかやって背があたたかくても空腹になるとすこしだけ肌寒いような感じだった。一回だらだらしたあとの食事はのこっていたキャベツの半玉をぜんぶ刻んでしまい、それに豆腐を乗せてフレンチドレッシングをかけただけのサラダと、あとチョコレートの入った小球状のパン。ヤマザキの「薄皮チョコパン」という五個入りのやつで、おなじシリーズでクリームパンもあるし、あと餡パンもあったはず。あとひとつだけのこっているのでこれは夕食に食べる。六時半過ぎくらいで二度目の書見から寝床をはなれたあとは、鍋をつくった。このあいだスーパーで買っておいた鶏白湯風味のスープで。鍋というかごった煮の野菜スープだが。ほんのすこしのこっていた大根のややしなびかけてきている青首のあたりを入れてしまい、その他ニンジン、エノキダケ、タマネギ、ネギ、あたらしい大根をすこし。エノキダケをふつうに一袋ぜんぶつかってしまったのでそれが圧倒的に多く、ほとんどキノコスープみたいな感じ。スーパーではごった煮に入れようかなとおもってナスも買ったのだけれど、ナスってふつうあんま鍋に入れないかとおもってやめた。味噌汁とかにするとうまいが。どうせなら肉と米を買ってきて炒めて食いたい。それで鍋にあけたスープのなかに野菜をぽんぽん入れていってあとは煮ておくだけなので楽勝。この文を書いているいまも弱火でじっくり煮込んでいる。そろそろ飯を食う気だが、きょうはあと書抜きをちょっとだけでもやりたいのと、二一日以降が書けていないのでさっさとそれをかたづけたいところ。きょうじゅうに二一日が終わるかどうかというくらいだとおもうが。あと(……)からメールも来ていたので、それも返信したい。


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 けっきょくこの日は書抜きもメールの返事もできなかったわけだが、あと通話時のことをいくらかだけ書いておきたい。(……)
 (……)
 (……)


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  • 「ことば」: 21 - 22
  • 「読みかえし2」: 287 - 300
  • 日記読み: 2021/10/24, Sun. / 2014/3/18, Tue.


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Samantha Lock, “Russia-Ukraine war latest: what we know on day 243 of the invasion”(2022/10/24, Mon.)(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/24/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-243-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/24/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-243-of-the-invasion))

Russia has urged more civilians in occupied Kherson to flee amid an exodus to escape an anticipated Ukrainian counteroffensive. Russian authorities told residents to take “documents, money, valuables and clothes” due to “the tense situation on the front” and reported on Sunday that there had been “a sharp increase” in the number of civilians trying to flee. About 25,000 people have been evacuated since Tuesday, the Interfax news agency said.

Russia’s grip on Kherson appears increasingly fragile. The US thinktank the Institute for the Study of War said the urgent call to flee indicated that the occupiers “do not expect a rapid Russian or civilian return” to the city, and appeared to be trying to depopulate it to damage its “long-term social and economic viability”.

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Russia and Ukraine have accused each other of planning to blow up the Nova Kakhovka dam. Breaching it could flood a swathe of southern Ukraine, including Kherson.

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Iran has said it will supply Russia with 40 turbines to help its gas industry amid western sanctions over Moscow’s war in Ukraine, local media reported. Iran’s “industrial successes are not limited to the fields of missiles and drones”, Iranian Gas Engineering and Development Company’s CEO, Reza Noushadi, was quoted as saying by Shana, the oil ministry’s news agency on Sunday.

Ukraine’s special operations forces said that Iranian drone instructors have been spotted in Belarus. According to special operations forces, Iran’s Islamic revolutionary guard corps are training Russian forces in Belarus and coordinating the launches of Iranian-made drones.

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Ukraine faces power outages after Russian strikes target energy facilities. Russian airstrikes on energy infastructure across the country have left more than a million households in Ukraine without electricity, the deputy head of the Ukrainian presidency, Kyrylo Tymoshenko, said at the weekend.


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Sam Jones, “Climate activists throw mashed potatoes at Monet work in Germany”(2022/10/23, Sun.)(https://www.theguardian.com/environment/2022/oct/23/climate-activists-mashed-potato-monet-potsdam-germany(https://www.theguardian.com/environment/2022/oct/23/climate-activists-mashed-potato-monet-potsdam-germany))