2022/10/28, Fri.

 長い中断のあと(私に時間があればいいのですが! 休息できて、すべてに正しい展望が得られるでしょうに。貴方にもっと慎重に書くこともできましょう。今しているように、貴方を傷つけることもけっしてないでしょう、それこそなによりも気を遣って避けたいことなのですが。私は休息できて、ちょうど少し前のように、上のオフィスで貴方のことを考えながら書類の前で慄えたり、いまこの部屋の一時的な静けさのなかでぼんやり坐っていたり、垂れさがったカーテンのあいだから窓の外を眺めたりはしないでしょう。我々が毎日お互いに手紙を書くとしても、今日と(end66)はちがった日々が来るでしょうか? 全力をあげて互いから飛び去り、それから同じ力をもって結びつきあうという、不可能なことを行うより他の運命が生じるでしょうか?)
 手紙を中断したことしか書けませんでした。他はなにも書けず、今はまた午後、もう午後遅くになりました。今またお手紙を読むと、貴方の以前の生活について私はこれほどなにも知らないし、幼い少女の貴方がそのなかから畑を見渡している木蔦から、それこそお顔だけしか見てとることができないのだという気持に襲われました。そして書かれたことを通して知りうる以上のことを知る手段は、ほとんどないのです。あると信じないでください! 私自身が行けば、私は貴方にとって我慢できなくなるでしょう。(……)
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、66~67; 〔労働者災害保険局用箋〕一九一二年一一月七日)




 また半端なねむりを取ってしまったのだが、しかしきょうはシャワーも浴びたし、歯も磨いた。ただデスクライトをつけたままだったので、五時ごろにいちど覚めた。ふたたび寝つき、目覚めると天井にもれだしている、湯のなかの卵黄めいたあかるみが、きのうおとといよりも色づいている。晴れらしい。そして時間もややくだる。ちょっと深呼吸したりしてから携帯をみると、九時ごろだった。晴れなのでそこまで寒くはない。布団のしたでもぞもぞしながらChromebookでウェブを見たり、過去の日記を読みかえしたり。背中をほぐすのがやはり最重要。起きるとてきめんにかたまっていて、それでからだも緊張してここちわるいのがわかる。とちゅうから脚だけそとに出してマッサージもする。一年前は午前からはたらき、かつ夕方にも再度労働。したのような天気や風景。かがやかしい秋晴れだったらしい。

裏通りへ。ここにも日なたがおおくひらいて、高い太陽から降ってくる陽射しがあたまから背をまるごとつつみ、肩口に宿る暖気がなかなか暑い。とちゅうの一軒のまえに生えたハナミズキの葉がワインレッドに熟しており、重力にさからわずちからを抜いて垂れ下がったすがたの表面は皺をつくって革のような質感を帯びていた。空から雲は完全に始末され、青さを乱す闖入者が見事に絶滅したつかの間の無音的な平和がひろがっている。

 もうひとつ、したはふたたび職場に向かう夕刻五時ごろだが、この記述にはおお、とおもった。ぜんたいにわたってずいぶんととのえているなと。とうじの感触がどうだったのかわからないが。大仰ではあるが、すみずみまでばちっとしている。かえって視覚像としての風景は表象しづらいようでもあるが、いまのじぶんはこんなふうにかっちり書けない気がするし、あえて書こうともおもわないなとおもった。

もはやあたりに陽の色は一片もなく、たそがれた地上をあまねくしろしめす空は青白い平面性につらぬかれ、波も皺もなく固着した色素の海としてさらさらとひろがっているが、行く手、東の一角にだけ雲のすじが数本淡くながれてただよい、それはほとんど襞もうしなって黒影と化した現実の山のさらに上に空に埋もれた非在の幻想山がかくされており、その稜線だけがつかの間うつし世に浮かびでているかのようだったが、道をすすんで脇の樹々がとぎれて空が拡張されると雲の線のもとには、筆でいくらかぐしゃぐしゃとかき乱されたようなおおきな母体があったことがあきらかになり、もはやとおく去った陽の気配はその下端と地上の上端とのせまいあいだにわずか香るのみ、その残香がかろうじて青暗い雲の縁にのぼってあえかな層を添えていた。

 この日つくっている、「あやふやなことばばかりがいとおしい原初の秋の木もれ陽のような」という短歌はちょっとよかった。
 2014/3/22, Sat.は祖母の四十九日の法要。この日もまたうつくしい日だった。したの場面はすこしおぼえている。K.Hさんというのは(……)さん。O.Sさんというのは(……)さん。父方の祖母も、自死した(……)さんももはやこの世にいない。

 まっさらな青空を飛行機がゆっくりと横切っていくと陳腐だと思いながらもやはり魚のイメージが思い浮かんだけれど、米粒大の機体に陽が反射してそれ自体がひとつの光点となるのを見てそんな比喩はどうでもよくなった。信じられないような思いがした。地上何千メートルか知らないが、そこまで視線をさえぎるものはなにもなく、車の前面に跳ねるのと同じ光があのはるか彼方からこの小さな瞳に届いているのだ。空気が揺れるごうごうという音は泳いでいく飛行機のあとを追うように、少し離れた空から響いてきた。父が墓を磨き、息子がまわりを箒ではいて掃除を終えると、K.Hさんと奥さんがやってきた。それを皮切りに続々と人が集まり、みな鯉がいる池のそばに集まってなんとなくのまとまりをなしていた。父方の祖母とO.Sさんが一緒にやってきた。Sさんと会うのは前回会ったのがいつだったか思い出せないほど久々だったけれどそれに気づいたのはのちのことだった。不思議だった。柔和な笑みは変わっていないし、特に老けたところも見受けられなかったからだろうか? そう、いつ会ったのか思い出せなくても、彼の顔はどういうわけか明快な記憶として保存されていた。その記憶と目の前の顔との齟齬がなかったために、再会までの長い歳月に思いいたらなかったのだ。

 会食のようす。Zさんは父親の長兄にあたる(……)さん。Kさんは(……)さん。「中途半端な知識をひけらかすわけではないが開示しなければすまない」という評言はなかなか微妙なところをいやらしくついていて笑う。あんまりひとのこと言えないのだが。Yさんは(……)さん(漢字はこれで合ってんだっけ?)。この夫婦ももうこの世にいない。べつに親しかったわけではないが、おばさんのようすがここに書かれてあってよかったなとちょっとおもう。こちらの脳裏にはそのすがたがよみがえってくる。Yちゃんは(……)ちゃん、すなわち(……)さん、叔父である(母親の妹である(……)さんの嫁ぎ先)。

 十一時から坊さんと一緒に経を読み、焼香をして、骨壷を持って墓へ移動した。並ぶ人々のあいだを姿勢を低くして忍者のように素早く動く業者の人が線香を配ってくれた。墓のかたわらで僧侶の親子が経を読み、親戚連中が線香を供えていくなか、おじいさんのときは暑くてねえ、と母が言った。覚えていた。お坊さんの頭が汗かいて光ってて、と母は笑った。それも覚えていた。墓誌に彫られた戒名のなか、いまは祖母のものだけが真新しく白いが、やがて他の名前と同じ色にくすんでいくのだろう。みんなで会食をした。たいして親しくもない親戚とべらべら話すようなこともないけれど、正面に(……)に住んでいるZさんが座っていたので気まぐれに、このあいだ太宰の墓見てきたんですよ、全然普通の墓で見過ごしちゃう感じですね、向かいには森鴎外の墓もあってこっちのほうが立派でした、と言うと、そういう方面に興味があるのか、と聞かれた。どう答えるか困りながらも、まあ小説ばかり読んでますね、日本より海外文学ですけど、とかなんとかつぶやいたら隣に座っていたKさんが、英米文学とか、どういうの、と聞くので、ヴァージニア・ウルフとか、と言えば、よく知らないなあ、と笑ったあとに、ホーソーンとか、モームとか、などと言ってくる。まずもって海外文学は英米だけではないのだけれど、この人はよく知らないが多少インテリらしく、中途半端な知識をひけらかすわけではないが開示しなければすまないみたいなところがあることには以前から気づいていた。別にこんな場で文学の話などしたいわけではないし、その後はぽつぽつとどうでもいい話をしたり黙ったりして終宴をむかえたけれど、隣に座っていたYさんが、うしろで盛り上がっている旦那さんに向かって、お父さん、もう帰ろうよお、と声を上げたのは笑った(その後もしばらく食事はつづいたのだが)。このおばさんも昔は活気ある人だったのに、何の病気か知らないが身体を壊してからは、その笑みが、まわりの人々に世話されることを常に申し訳なく思っているような弱々しく卑屈めいたものに変わって、足だけでなく手指もうまく動かないようで隣で食事にもいくらか難儀しているからお汁の蓋を外したり、皿を手元に持っていったり、帰りに車いすに移動するときは体を支えた。Yちゃんが池の前でぼけっと日向ぼっこするのもわかる陽気で、この青空と陽光のもとではすべてのものが輝き、玉砂利の上でふと振りかえった母の見慣れた顔でさえ、過去の思い出を目の前にしているような奇妙ななつかしさをともなって見えるのだった。

 その後Guardianも読んで、一〇時半ごろ床を出た。便意が最高潮。水を飲むよりまえにトイレに行って便器に腰掛け、腹から糞をひり出す。顔も洗い、出ると口をゆすいだりうがいをしたり。水を飲みつつのこりとぼしい消毒スプレーとティッシュでコンピューターの埃を拭き取り、起動させてNotionを準備。それからすこし体操したりして瞑想。ちょうど一一時から。座ったさいしょも肩をよく回したり、首をゆっくり回したりする。静止の感じはよい。しずか。ただ脚はそんなにほぐれていなかったので軽くしびれてくる。それで二二分。
 食事はキャベツと豆腐を切ってシーザーサラダドレッシングをかけ、あとはきのうつくった鶏白湯スープの煮込みうどん。ウェブをてきとうに見つつさっさと食うと、ヤクを一錠服用し、大根おろしをドレッシングの水気がのこっている大皿にちょっとすって食べる。皿洗い。プラスチックゴミも起きたときに始末しておいた。食器類をすみやかに洗ってかたづけ、ケトルに水を入れて沸騰。席について「ことば」および「読みかえし」ノートを読む。湯が沸いたのを機に立ったさい、布団を足もとのほうからたたみあげておいた。天気はよい。正午を越えて、レースのカーテンにひかりが宿る。座布団と枕もこれいぜんにそとに出しておいた。カーテンの右半分をすこしだけひらいてあかるみを室内に入れるようにしておく。左側をひらくとむかいの保育園から丸見えだが、右側なら窓の位置関係でそこまで見えない。白湯をカップにそそぐと音読のつづき。神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)より。

  • 28: 「聞こえるだろう、愛するひとよ、ぼくは瞼を閉じる、/するとそれさえも、あなたにまでけはいが届く。/聞こえるだろう、愛するひとよ、ぼくはまた瞼をあげる……/……しかしどうして、あなたはここにいないのか。」(「静寂」; 『形象詩集』 *Das Buch der Bilder* より)
  • 39: 「わたしは遠方のけはいにとり囲まれた旗のようだ、/風がくるのを予感する。かなたで物たちがまだ身じろぎも/しないのに、わたしは風を生きねばならない。」(「予感」; 『形象詩集』 *Das Buch der Bilder* より)
  • 46: 「嵐が通って行く。変革の力が/森をつらぬく、時代をつらぬく。/そしてあらゆるものが年齢を失くすようだ。/風景は、旧約詩篇の一行の詩句のように/おごそかさ、おもおもしさ、そしてとこしえそのものだ。」(「見ている人」; 『形象詩集』 *Das Buch der Bilder* より)

 てきとうなところで切りをつけ、きょうのことをさきにここまで書いた。一時九分。天気が良すぎるのでどこか行きたいくらいだ。(……)にあるいていって書店で読書会の課題書とか買っておこうか。あるいは(……)か(……)あたりまで電車に乗ってもどってきて、感じを確認するのもよい。日記はきのう、おととい分までかたづけたから、きのうのことをちょっと書き足せばOK。読書会の訳ののこりをつくっておくとあとが楽だろう。そしてなんとか書き抜きをしたい。
 そういえば音読まえに、ここ数日つくっていた詩を読みかえして、これで完成でよさそうとみていた。きのうもうさいごまでできていたのだけれど、読みかえしてほんのすこしだけ変更。そしていまもういちど読み、オーケーとおもったので完成とする。いままでで五篇目。ようやっと五篇。

  手は待っている

 時の道行きのどこかの岐路で
 ぼくらと君らが逢うことがある
 君らが来たのはじつにけわしい道だっただろう
 ぼくらもおなじだ
 それが、君たちのよりもけわしかったとは言えないが
 ただぼくらには これからいっそう
 けわしい道が待っているのだ
 君らに会えたのは僥倖だった
 なによりもいとおしい偶然だった
 けれどわれわれは ことさらなれ合うこともせずに
 ただ互いに礼節と敬意を贈り
 なごやかなひとつの握手を交わそう
 そこから与えられるものがぼくらにはある
 君らにもあってほしいとおもうが
 それはぼくらのわがままにすぎない
 くちづけのような一瞬に
 手のひらと手のひらの平等を知り
 おなじ熱を重ね合ったなら
 ぼくらは行こう 時の階 [きざはし] を
 上りか下りか知るよしもないが
 いずれけわしい、もどれぬ道を
 ぬくもりをただ手のひらにたずさえて

 そうしてぼくらの手はひらき
 差し伸べられて 待っている
 つぎの握手と出くわすことを
 ふたたび君らと逢うことを
 そのときぼくらはぼくらではなく
 君らがぼくらかもしれないが
 時の道行きのどこかの岐路で
 君らとぼくらが逢うことがある
 ぼくらが来たのはじつにけわしい道だった
 君らもおなじだろう
 そしてこれから いっそうけわしい
 もどれぬ道を行くことになる
 君らのために おだやかにひらき
 ぼくたちの手は待っている
 君たちの手とまじわることを
 そこに与えられるものがあるかもしれない
 くちづけのような一瞬の
 平等と平等の交換の
 熱と熱の重なり合いの
 なによりもいとおしい偶然を
 手は待っている

(2022/10/28, Fri.; 13:15)

  

 いまいちおう進行中というか、日記下部にメモってあるのはこれいがいに五つあり、そのなかではふたつが比較的終わりにちかい。ひとつはもうあとすこしなのだがおもいつかない。もうひとつはまだだが、ながれはなんとなくみえているような感じ。


     *


 きのうのことを書き足して完成。ウェブに放流。寝床へ。だらだらしながら井上正蔵 [しょうぞう] 訳『ハイネ詩集』(小沢書店/世界詩人選08、一九九六年)を読む。さいごまで行った。234から306まで。おもしろかった。ハイネは叙情詩人のいっぽうで革命的闘士としての顔ももっていたのだが、そのへんの、労働者とか貧困とかをあつかった詩篇では訳の口調の威勢がよい。長篇詩『アッタ・トロル』とかもよくできてんなあという感じで、ながめの篇に接して、なんかこれはうまい波打ち、うまいリズム、巧みだなという感もままあって、翻訳でもそれはわかり、この本の初版は一九六八年のようなのでそりゃ古臭いことばもおりおりあるが、それがむしろ味となっているかもしれない。ハイネの詩じたいも、そういう語をゆるすたぐいのものなのかもしれない。高踏的なことばとかほぼつかわれていないだろうし、民謡にもおおくまなんだらしいので。訳者はそのへん、真の民衆詩人みたいな評言をしていた。解説は六八年だから六〇年は過ぎたとはいえ、時はパリ五月革命から端を発した政治の季節まっただなか(とはいえ初版発行は昭和四十三年四月二十日(新潮社刊)とあるから、五月革命はまだ起こっていない)、政治と文学という問題がまだまだ切実なものとして語られていたころのはずで、解説でハイネをうつくしい調べをうたう親しみ深き叙情詩人であると同時に、無類の批判精神をもった急進的革命詩人であるとたたえる訳者の口ぶりはけっこう暑苦しくはあるけれど、しかしおもしろかった。散文も読んでみたい。ちなみにハイネは青年期には弁護士を目指したりしていろいろな大学に入学しており、一八二一年(二四歳のとき)にはベルリン大学にはいって「ヘーゲルの講義を聴き大きな影響を受け」たという(300; 「ハイネ年譜」)。「シャミッソー、フーケー、グラッベら文壇の惑星を知る」とも。その後「レッシングやヘルダーに心酔」。一八二四年にはハルツ地方からの「帰途ワイマルにゲーテを訪問したが、反撥をおぼえて帰る」(301)とのこと。ところでその文の直前は、「四月、ベルリンに旅し、帰途カール・インマーマンを訪れ、文学的盟友となる」とあって、インマーマンっていうなまえ、この一冊まえに読んだニーチェのなかでどっか出てきたなとおもったので、ちくま学芸文庫『この人を見よ 自伝集』の訳注を見返してみたところ、461ページにあった。「Karl Leberecht Immermann(1796―1840)という作家のことであろう。Merlin (1832), Münchhausen (1838―39)など有名な作が多い。「おじさん」が登場する作品はこのあたりを舞台にした小品だろうと思われる」。本文では一五、六歳の少年ニーチェが旅行のあいだ、「イムマーマンのおじさんの住まいになっている例の丸太小屋はどこにあるんですかと僕は人に尋ねてみましたが、あの名高い学生芝居の一場面、思い出すだけで大笑いしてしまうあの一場面の発祥の地を僕に教えてくれる人はありませんでした」(313~314)として出てくる。ところで『ハイネ詩集』の281ページ、この本に収録されているさいごの詩だが、「一六四九年―一七九三年―???」という詩についての訳者説明には、ハイネは「心の中に保守的な血が一滴もない、とブランデスによって批評された」という情報がある。それでいまニーチェの訳注を見返していて気づいたのだけれど、このブランデスというのはおそらく、Georg Brandesというデンマークのひとだろう。訳注を引いておくと、「Georg Brandes (1842―1927)デンマークの文明批評家、文学史家。ニーチェの「超人」思想の影響を受けた。二十九歳で Kopenhagen 大学で「一九世紀ヨーロッパ文学主潮」の講義をしたが、教授にはならなかった。一八七七―八三年ベルリンに住む」(455)。このひとは、ニーチェが『この人を見よ』のなかで、じぶんの哲学を正当に評価している数少ないにんげんのひとりとして挙げているなまえである。「私のツァラトゥストラにしてからが、私の親友のうちの誰か、そこに、許しがたいけれどさいわい自分とは全くかかわりのない一つの不遜、以上のものを見た者があろうか? ……あれから十年、私の名は理不尽な沈黙の中に葬られたままになっているが、この沈黙を破って私の名を擁護せねばならぬと良心の呵責を覚えた人はドイツにはひとりもいなかった。初めてこのことに良心の呵責を覚えるに十分な敏感と勇気と [﹅4] を持った人、それは一外国人、一デンマーク人であった。この人はニーチェの親友だと自称する連中に怒りをおぼえた……今日ドイツのどの大学で私の哲学についての講義が可能であろうか? ところが今年の春ドクター・ゲオルク・ブランデスコペンハーゲンの大学で私の哲学を講じ、そのことによってますます彼がれっきとした心理学者であることが立証されたのだった」(169; 「ヴァーグナーの場合」)。
 昼頃には文句なく晴れ晴れと晴れていたのだけれど、午後二時を越えたくらいにはもう雲が大挙してぐずぐずと湧いており、水色はおおかた隠されて断裂的な染みのようになってしまい、陽射しも薄らいでいたので、転がっているあいだに座布団やバスタオルを入れてしまった。保育園の二階ではこどもたちがくるくると踊り回っているのがみられ、ソーラン! ソーラン! という声もこのあいだからたまに聞こえているのだけれど、ソーラン節にはとてもみえないし、そこでながれるBGMは先日もふれたややロックンロール的なやつというか、ロックンロールといってもなんというかレイドバックした感じのやつというか、イメージとしては奥田民生みたいな雰囲気なのだけれど、そういうものだ。三時をまわったあたりで本を読み終えたのでストレッチを軽くして、それから立ち上がった。トイレに行って小便を放ち、水を飲む。この日のことを書き足して四時一四分。だんだん暮れに向かっている。日のうつりがはやい。
 あとそういえばきのうの記事を投稿するあいだとかそのあととか、noteにあげてある過去のギター演奏を聞いて、「音源_003」をながしたのだけれど、やっぱりけっこうきもちがよく、意外と弾けているなとおもった。意外にも音楽になっているように聞こえる。ブルースぶぶんにしてもインプロぶぶんにしてもわりと乗っているような気配がある。ときおりエアコンが風を吐き出す音がはいっているのは七月で暑かったからだ。また後半でたびたび呼吸のおとがはいっているのは、これはたぶん、エアコンのせいか鼻水がちょっと出ていてすすっていたのだとおもう。


     *


 過去の演奏を聞いたためか、そのあとギターを弾きたくなってしまったので、しばらくいじった。きょうもいちおう録る。できを気にせずとりあえず録るだけ録っておけばよいんじゃないか。二回録った。三十四分くらいのやつと、もうひとつは十七分ほど。これ(https://note.com/diary20210704/n/ne2eee81cfd9c)とこれ(https://note.com/diary20210704/n/ne8b367d3144e)。前者はれいによってAの似非ブルースからはじめて、飽きてきたところでインプロにながれて、という感じ。後者はJoe Satriani教則本のなかで紹介していたLennie Tristanoのメソッドみたいな感じで、単音をゆっくり置いていくところからはじめててきとうに。あとで書き抜き中だったかに聞いてみたら今回はどちらもあんまりという印象だったが。
 この日はそとに出てあるかなきゃなあとおもいながらもけっきょくまた籠もってしまったから、その後にたいした印象はない。書き抜きをけっこうやったというのはひとつある。ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)。このときのBGMはnoteにアーカイヴしてある過去の演奏音源をながしていた。書き抜きできたのはたぶん六箇所かな。一箇所がそこそこながいので時間はかかる。この本はしかも一ページ二十一行もあるし。
 夕食にはまた野菜のごった煮スープをつくり、うどんと豆腐もさいしょから入れた。麺つゆをくわえた状態でだらだら煮つづけ、最終的に味噌で味つけ。じつにうまい。この日でなくなった生麺の品は(……)で買ったものだが、これを入れると汁にちょっと粘りが出るようでうまい。
 夕食にはあとおととい(二十六日)にスーパーに行ったときに買った冷凍のカルボナーラ(左側の口から入店してすぐには果物や野菜の区画があり、そこをまっすぐ正面にすすんでいくと、日によってちがうピックアップ品をそろえたケースがいくつかあるのだけれど、そこに今回冷凍のパスタをいっぱいに詰めたケースがあり、ひとつだけ買っておく気になった)も食ったので、胃に重かったのか、食後はけっこうねむいようになり、そのあとになにをやったのかさだかにおぼえていない。ねむいあたまでSteve Phillips, “America is built on a racist social contract. It’s time to tear it up and start anew”(2022/10/22, Sat.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/oct/22/america-racist-social-contract-start-anew-steve-phillips)という記事をとちゅうまで読んだことは記憶しているが、何時に寝床にうつったのか、何時に意識をうしなっていたのかもわからない。


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  • 「ことば」: 26 - 30
  • 「読みかえし2」: 348 - 356
  • 日記読み: 2021/10/28, Wed. / 2014/3/22, Sat.


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Samantha Lock and Tom Ambrose, “Russia-Ukraine war at a glance: what we know on day 246 of the invasion”(2022/10/27, Thu.)(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/27/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-246-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/27/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-246-of-the-invasion))

Vladimir Putin has said that he directly ordered his defence minister to make a series of calls to top Nato commanders this week over the potential detonation of a “dirty bomb” in Ukraine. Russia has escalated its rhetoric in recent weeks by claiming without evidence that Ukraine was preparing to detonate a low-yield radioactive device on its own territory, leading Kyiv and other western observers to consider that Putin may be preparing a “false flag” attack of its own.

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In his remarks he also criticised former UK leader Liz Truss for saying she was “ready to do it” regarding the need for a prime minister to be ready to use nuclear weapons. “Well, let’s say she blurted out there – the girl seems to be a little out of her mind,” said Putin. “How can you say such things in public?” He also blamed Washington for failing to distance itself from Truss’ remarks.

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Russian-installed authorities in Ukraine’s occupied region of Zaporizhzhia ordered phone checks on local residents on Thursday, announcing the implementation of military censorship under Russian president Vladimir Putin’s martial law decree. “From today in the Zaporizhzhia region, law enforcement officers have begun a selective preventing check of the mobile phones of citizens,” the Moscow-appointed official Vladimir Rogov said.

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The United States has not seen anything to indicate that Russia’s ongoing annual ‘Grom’ exercises of its nuclear forces may be a cover for a real deployment, US defense secretary Lloyd Austin said on Thursday. “We haven’t seen anything to cause us to believe, at this point, that is some kind of cover activity,” Austin told reporters.


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Damian Carrington Environment editor, “World close to ‘irreversible’ climate breakdown, warn major studies”(2022/10/27, Thu.)(https://www.theguardian.com/environment/2022/oct/27/world-close-to-irreversible-climate-breakdown-warn-major-studies(https://www.theguardian.com/environment/2022/oct/27/world-close-to-irreversible-climate-breakdown-warn-major-studies))

Collective action is needed by the world’s nations more now than at any point since the second world war to avoid climate tipping points, Prof Johan Rockström said, but geopolitical tensions are at a high.

He said the world was coming “very, very close to irreversible changes … time is really running out very, very fast”.

Emissions must fall by about half by 2030 to meet the internationally agreed target of 1.5C of heating but are still rising, the reports showed – at a time when oil giants are making astronomical amounts of money.

On Thursday, Shell and TotalEnergies both doubled their quarterly profits to about $10bn. Oil and gas giants have enjoyed soaring profits as post-Covid demand jumps and after Russia’s invasion of Ukraine. The sector is expected to amass $4tn in 2022, strengthening calls for heavy windfall taxes to address the cost of living crisis and fund the clean energy transition.

All three of the key UN agencies have produced damning reports in the last two days. The UN environment agency’s report found there was “no credible pathway to 1.5C in place” and that “woefully inadequate” progress on cutting carbon emissions means the only way to limit the worst impacts of the climate crisis is a “rapid transformation of societies”.

Current pledges for action by 2030, even if delivered in full, would mean a rise in global heating of about 2.5C, a level that would condemn the world to catastrophic climate breakdown, according to the UN’s climate agency. Only a handful of countries have ramped up their plans in the last year, despite having promised to do so at the Cop26 UN climate summit in Glasgow last November.

     *

The fossil fuel industry as a whole amassed $4tn in 2022, according to another new report from International Energy Agency (IEA), a sum that could otherwise transform climate action.

The IEA report said: “Net income for the world’s oil and gas producers is set to double in 2022 to an unprecedented $4tn, a huge $2tn windfall.” The oil and gas sector has gained an average of $1tn a year in unearned profits for the last 50 years.

The IEA said clean energy investment would have to be at least $4tn a year by 2030 to hit net zero emissions by mid-century. “If the global oil and gas industry were to invest this [$2tn] additional income in low‐emissions fuels, such as hydrogen and biofuels, it would fund all of the investment needed in these fuels for the remainder of this decade.”

Prof Myles Allen, at the University of Oxford, said: “The combined profits, taxes and royalties generated by the oil and gas industry over the past few months would be enough to capture every single molecule of CO2 produced by their activities and reinject it back underground. So why are we only talking about transforming society and not about obliging a highly profitable industry to clean up the mess caused by the products it sells?”

“The situation is serious and bleak,” said Prof Simon Lewis, at University College London. “Shell has made £26bn profit this year, carbon emissions are back at pre-pandemic levels, while 53,000 people died of heat stress in Europe in the summer, and floods have displaced millions from Nigeria to Pakistan. The solution is to do everything we can to defeat the fossil fuel industry – they stand between us all and a prosperous future.”


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Steve Phillips, “America is built on a racist social contract. It’s time to tear it up and start anew”(2022/10/22, Sat.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/oct/22/america-racist-social-contract-start-anew-steve-phillips(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/oct/22/america-racist-social-contract-start-anew-steve-phillips))

In his original draft of the Declaration of Independence, Thomas Jefferson included a forceful denunciation of slavery and the slave trade, condemning the “execrable commerce” as “cruel war against human nature itself”. The leaders of the states engaged in the buying and selling of Black bodies balked at the offending passage, and Jefferson explained the decision to compromise, writing, “The clause … was struck out in complaisance to South Carolina & Georgia who had never attempted to restrain the importation of slaves, and who on the contrary still wished to continue it. Our northern brethren also I believe felt a little tender under those censures; for tho’ their people have very few slaves themselves yet they had been pretty considerable carriers of them to others.”

The constitution itself, the governing document seeking to “establish justice” and “secure the blessings of liberty”, is replete with compromises with white supremacists’ demands that the nascent nation codify the inferior status of Black people. The “Fugitive Slave Clause” – article IV, section 2, clause 3 of the constitution – made it illegal for anyone to interfere with slave owners who were tracking “drapetomaniacs” fleeing slavery.

And, of course, there was article I, section 2, clause 3, which contains the quintessential compromise on how to enumerate the country’s Black population, resulting in the decision to count individual human beings – the Black human beings – as three-fifths of a whole person.

The whites-first mindset about citizenship and immigration policy that still roils American politics to this day is not even really the result of compromise. It is in essence a complete capitulation to the concept that America is and should primarily be a white country. The 1790 Naturalization Act – one of the country’s very first laws – declared that to be a citizen one had to be a “free white person.” That belief was sufficiently uncontroversial that no compromise was necessary, and the provision was quickly adopted.

In a unanimous opinion in the 1922 Ozawa v United States case, the supreme court ruled firmly and unapologetically that US law restricted citizenship to white people because “the words ‘white person’ means a Caucasian”, and Ozawa “is clearly of a race which is not Caucasian, and therefore belongs entirely outside the zone” of citizenship. The racial restriction was official law until 1952, and standard practice until adoption of the 1965 Immigration and Nationality Act. This centuries-long, whites-first framework for immigration policy was most recently articulated by Donald John Trump – the man for whom 74 million Americans voted in 2020 – when he asked in 2018, “Why are we having all these people from shithole countries come here?”

The sweeping social programs of the New Deal were the result of compromises with Confederate congressmen working to preserve white power. In a Congress that prized seniority, many of the most senior and influential members came from the states that barred Black folks from voting. In his book When Affirmative Action Was White, Ira Katznelson breaks down how “the South used its legislative powers to transfer its priorities about race to Washington. Its leaders imposed them, with little resistance, on New Deal policies.”

Social Security is perhaps the signature policy of the New Deal era, but in deference to white Southerners, the program explicitly excluded farmworkers and domestic workers. As Katznelson explains, “These groups – constituting more than 60 percent of the black labor force in the 1930s and nearly 75 percent of those who were employed in the South – were excluded from the legislation that created modern unions, from laws that set minimum wages and regulated the hours of work, and from Social Security until the 1950s.”