(……)ぼくはいま前の文章を書いたとき、まっすぐ上の方を自分が見たのに気がつきました、あなたが上の方にいるかのように。あなたが上にいなくて――残念ながら実際はいるのですが――このぼくのいる下にいてくださったら、いいのですが。それはほんとうに低いところです。そのことで思い違いをしないでください、ぼくたちがこれから落着いて文通するようになればなるほど――そのうちどうにかそうなれますように――いよいよはっきりそのことが分るでしょう。しかしそれでも、あなたがぼくの居るところに留まってくだすったら! そう、悲しい不安と弱さがたのむところに留まるのは、落着きと力の使命かもしれません。
(マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、101; 一九一二年一一月二三日)
この日は(……)くんおよび(……)とともに(……)で会ってカラオケに行った。起きてから外出までのことはおぼえていない。一年前の日記からメモされていたのは以下のふたつ。
(……)かなりしずかで良い。そとから聞こえるのは空間の奧に敷かれている川のものらしき薄い響きと、ときおりながれる微風がゴーヤのネットの枯れた草葉を撫でるときのすれあう音のみで、そのシャラシャラという乾いた音はつらなってなだれおちるひかりの粒のきらめきをイメージさせる。とちゅうで干してある布団を叩く音が近所のどこかから立った。イベントのときに盛り上げのために鳴らされ、空中にかすかな煙の残滓をのこして消えていくちいさな砲のようなほがらかな破裂感。
最寄りで降りると暮れ方に見たのとおなじものか、星がくっきり灯っていた。マスクをずらして顔を出し、だれともすれ違わない帰路を行く。木の間の坂道をくだっていると前方に猫らしきすがたがあって、こちらをうかがいながら先んじてさっさとあるいていく。野良猫なのかなんなのかわからないが、たまにこのあたりで見かけるやつだろう。こちらの歩みが遅いので見えなくなっていたのだが、出口近くになると道端のガードレール下あたりにいたのが道を横切って暗がりへとはいっていき、そこまで行って見てみると(……)さんの庭の境界あたりにそれらしきうっすらと白い影があったので立ち止まってしばらくながめた。猫のかたちをしているように見えるその影にじっと視線をおくってにらめっこめいた対峙をしたり、たまに口笛を吹いたり舌を鳴らしたり、片足をパタパタさせて音を出してみたりとしたのだが、あいてはまったくうごかない。あまりにもうごかないので、もしかして猫じゃなくて低い庭木の影じゃないだろうなとおもったくらいで、もしそうだったらかなり間抜けな図になってしまったのだが、とちゅうでいちどだけ、首を横に振ってべつの方向を向いたように見えたので、たぶんあれが猫だったはずだ。それいがいはおそらくずっとこちらのほうを見つめていたはずで、こちらも止まってうごかずに見つめかえしていたのだが、あいてもなかなかの忍耐強さ、きょうは負けをみとめて引いてやろうというわけで、じきに切りをつけて歩きだした。夜空は雲なくすっきりと晴れて、見事に切り落とされた金属板の襞のない純ななめらかさ、コバルトのつよさまでは達さず鈍くくすんだ青の表面に星があかるくただよっていた。
服装はれいによってブルーグレーのズボンと、うえはカラフルなGLOBAL WORKのシャツを、アイロンをかけずに放置していたのだけれどまあいいやとおもって身につけ、それでジャケット。今秋ジャケットを羽織ったのははじめて。nicoleの濃紺のやつ。それでPOLOのバッグを身にかける。あるいて(……)駅まで向かった。一時三五分ごろに出発。路地を左へ行き、公園前で細道に折れておもてへ。渡ってちょっとだけ南に移行するとちゅう、角のコンビニで飯かなにか買ったらしい男性とすれちがったが、かれはそこにある整形外科の患者かスタッフのような雰囲気だった。コンビニを曲がると一路西へ向かう。天気がどうだったのかがおもいだせない。空をおりおり見上げて雲を見たとおもうのだが。この日はけっこう曇っていたのだったか? ともかくすすんでいって踏切りを越え、またちょっと行くと繁茂の空き地だが、土地の内のほうでたくさん群れて生えている穂の植物にわずかな赤みがふくまれているように見え、遠目にはけっこうするどく突き立った感触をもたらすそれは細い竹でつくった箒にほんのすこし色を混ぜたようでもある。空き地の反対側、病院の手前で裏のほうに折れていく。さいきんそこここの足もとでピンク色の細い灯しの草があるのだけれど、これはイヌタデというやつだったか? まえに読んだ多田智満子のなんとかいう詩に「赤まんま」という語が出てきて、なんだこれとおもって調べるとイヌタデの別名だったという記憶がある。空き地の草原にもそのピンク色がちらほら混ざっており、横を行くこちらの身には涼しさのつよい大気のながれがふれてくるのだけれど、右にひろがっている草たちは先日とちがってほとんどそよともうごかず、そこにはながれがないかのように静止していて、ひとつ背の高いいかにもススキっぽい穂のやつも視界からはなれる間際にすこし揺らいだのみだった。
その後病院や施設の裏をすすみ、そのまま(……)通りを渡って直進。とちゅうの工事現場に突き立った青い重機の、下端は壁にさえぎられて見えないのだけれど宙から地面に向けて降ろされている巨大な柱が、地を掘っているのだろうかぐるぐる回っているのを見て、おお、なんかすごいなと一時目を惹かれた。通りの端まで来るとドトールコーヒーがあり、そういやここそうだった、(……)がバイトしてたドトールだわとおもいながらその横を曲がり、幅の短い横断歩道をわたるといつもながら公衆トイレへ。用を足して出て、階段をのぼって駅舎にはいり、ひとの群れに身の回りをかこまれるとやはりすこしからだが緊張するようだった。壁画前へ。ふたりはまだいない。出るまえにLINEに、いまからあるいていくから二時を過ぎるとつたえておいたところ、わたしも遅れると(……)が言っていた。
それでしばらくレリーフの彫られている壁のまえに立ち尽くす。むかしは待つあいだに背中をうしろにあずけていたものだが、いまでは壁にちかく立ってももうよりかかりはしない。直立。直立しながら目のまえを行き過ぎる無数のひとびとのうごきを、注視せずに視界を左右に横切る集団的なながれとして漫然とながめたり、ときおり左方に目をふってふたりのすがたがないか探ったり、意味はないが反対に右に振ってみたり、あるいはじぶんのそばにいるおなじく待ち合わせのひとのようすをひそかにうかがってみたりした。しかし大部分ぼんやりした感じで、顔と視線をあいまいに正面に向けて立ち尽くしながら時間を過ごす。しかし意外となかなか来ないなとおもったので、とちゅうでバッグのファスナーをひらいて携帯を見てみると、着くのが二時二四分だかになるというメールがはいっていたので、了解をかえして、そのあとはまだ来ないのがはっきりしているからとちょっと目をつぶったりしていた。そうしてじきに人波のなかからふたりのすがたを見分けて、あちらが手をあげているのにこちらも手をあげかえす。合流してあいさつ。カラオケはまねきねこに行くらしいが、ふたりはまだ飯を食っていないと。ひとまず店に行って混み具合を見てからどこか食べる場所にはいろうということになった。それで北口へと移動。コンコースの人群れのなかを行き、広場に出て左方へ。やはりどうも天気がどうだったかがおもいだせないが、ひかりの印象がのこっていないということは、そんなにはっきりした空気ではなかったのだろう。ふたりの服装もぜんぜんおぼえていない。こうしてみるとまだまだぜんぜんものを見ていないなとおもう。べつによいのだが。(……)くんは薄手のジャンパーみたいな上着を羽織っていたのと、足もとは茶色のけっこうよさそうな、やや大柄の、ブーツに属するのかわからないがしっかりした感じの靴を履いていた。それを目にしたのは帰り、北口からまた駅舎にはいってコンコースを行っているあいだのことだ。モノレール駅のまえの広場ではたぶん共産党系の団体だろうか、戦争反対の演説をしているものがあり、何人か散らばって通行人に声をかけ、署名集めもおこなっていた。カラオケのはいっているビルはモノレール駅の入り口前を過ぎた奥にある。下階にはパチンコ屋があるこのビルに足を踏み入れるのも相当ひさしぶりだが、はいると三つくらいあるエレベーターを待ってひとびとがならんでいる。この光景もむかしよく見たものだ。そこに加わりながらもふたりは、(……)くんが歌広場の会員になっているらしく、まねきねこよりそっちのほうが安いんじゃないかとはなし、(……)が携帯で料金比較を調べていた。そうこうしているうちにエレベーターがやってきたのでいったん乗り、上階へ。やたらひとが多かったのはカラオケのひとつしたにあるサイゼリヤに行くひとが集っていたからで、われわれいがいたしか全員そこで降りたのではなかったか? とびらがしまったあとに、サイゼリヤ行き過ぎでしょ、と笑ったおぼえがある。ここのサイゼリヤも長い。高校時代やその後しばらくのあいだはこちらもよく行ったものだ。世話になった。そうしてカラオケ店のフロアに踏み入れたはよいものの、料金比較表を見ると歌広場のほうが三〇分で一〇〇円くらい安いようだったので、ならそっちに行くかということに。それでふたたびビルをくだって引き返し、そとに出ると(……)が電話で予約をしてくれた。一時間後になるというのでちょうどよい。(……)くんが歌広場の会員だというのは、東京に来てから一時期、ひとりカラオケでよく行っていたことがあるのだという。修行してたのかと笑う。じっさいこの日行ってみても二時間で九〇〇円くらいだったから安く、ギター持ち込んで練習するんだったらここが良さそうだなとおもった。
それで飯屋だが、カラオケのビル入り口のすぐ横はゲーセンの入り口になっており、そのまえにクレープ屋のウィンドウがもうけられてあって、ゲーセンのなかに店があるようだったが、クレープでもまあよいし、それかミスドでもよいだろうと。いずれにしてもこちらは出るまえに豆腐を食ってきたし、そとでふつうに食うのはまだ緊張するので食べない。(……)が、ファーストキッチンに行ってもいいかと言い出したのでそうすることに。(……)の一階にあるこれもなつかしの店であり、高校時代には(……)なんかとよくはいって、じぶんはいつもコーラフロートを頼んでいたものだ。高架歩廊をもどっていき、駅入口から見てこんどは正面のほうにすすんで、エスカレーターでしたに下りる。あるくあいだ(……)が、ファーストキッチンもなんだっけ、なんとかっていうやつといっしょになっちゃって、ともらして横文字を二、三口にしていたが、Wendy'sだろうと。しかもファッキンじゃなくてそっちがメインになったというので、侵略されたんだろと笑うと、そうそうと返る。それでバーガーだったかなんだかわすれたが、なにかの味があんまりおいしくなくなっただったか、気に入りのメニューがなくなっただったか、そんなことを言っていたとおもう。しかしあとで店で、袋のなかでシャカシャカ振るポテトとかを食っているときは、おいしいと言って、この店舗はあたりだと評価していた。店舗によってぜんぜんうまくないところがあるらしい。
入店。ふたりはレジカウンターへ行き、こちらは席を取る。空いてる? ともらしながら通路にはいってフロアをうかがうと、うしろからからだをちょっと押される感覚があり、振り返ると老人がどけという感じのようすでいたので、あ、すみませんとからだをずらして道をあけた。叩かれた感触や表情や雰囲気からして、おそらくわりと気の短い、えらそうなタイプじゃないかとおもう。空いているテーブルはほぼ一画しかないようだったので、そこにはいり、ふたりがけのいっぽうを引き寄せて四人がけをつくる。それでふたりが注文を終えて品をもってくるのを漫然と待った。こちらの分までちいさなポテトを買ってきてくれたので、また水も持ってきてくれたので礼を言い、ポテトはいくらかつまんだが、腹はとくに減っていなかったし、やはり緊張があるのか食べたいという感じもなかったので、飲み込みにくい感じもちょっとだけあったので、数本だけにしてあとは食べてもらうことにした。ここに滞在しているあいだはなしたのは高校時代の軽音楽部のことで、主に(……)くんの高校のそれについて聞いて、うちはこうだったなと比較するかたちだった。かれの高校は軽音楽部がおおきく、一〇〇人くらい部員がいたのではないかという。それはすごい。そんなにいるものだから練習するさいも、ギターの部屋、ベースの部屋、キーボードの部屋、そして合わせの部屋と分けて、おのおの割り当てられた時間まではじぶんの楽器のところで個人練をして、時間が来ると合奏部屋に行って確認、という感じだったというし、練習のはじめにもみんな廊下に出て部長が、じゃあはじめます、よろしくお願いしまーす、とか言ってみんなであいさつする段取りだったらしい。運動部じゃん、と笑った。ちなみにドラムは各楽器部屋に散らばって、だからいちおうリズムとちょっと合わせるみたいなことはできたらしい。うちはそんなにいないから、もうバンドごとだったね、どのバンドが何曜日とか決めて、まあだいたい一番うえの階の一番端の教室だよね、そこにアンプとかはこんでいって、と受ける。そもそも部室というものがなかった、というか、いちおう部室的なものはあったのだけれど、ほぼ物置きで、アンプやドラムセットなどを保管しておくための部屋であり(それでも歴代の部員が貼っていったポスターとかいくらかはあったが)、窓もないような閉塞感たっぷりの薄暗い部屋だったし、そこに溜まるような感じじゃなかった、とはなす。部室どこにあった? と(……)が聞くので、一階だか二階だかわすれたけど、なんかG組のあたり、G組がある場所の向かいあたりにあったのよ、とおしえると、かのじょもなんとなく思い当たったようだった。練習のときは皆でそこから機材類を運び出し(ひとりやふたりで抱えていくこともあったが、台車をつかうこともあった――しかしあの台車は、いったいどこから持ってきていたのだったっけ?)、エレベーターがあったのでだいたいそれに乗って最上階まで行った。もう階段のほうがはやいやということでがんばるときもあったが。部員が溜まるような場所がないから、だいたいバンド単位だよね、部員何人いたのかとか、ほかのバンドがどれくらいあったのかとかもよくわかんなかったし、発表の機会がほぼ文化祭しかないから、そこに向けて組んでそれぞれやるような感じ、文化祭の後夜祭(「フィナーレ」と呼ばれていた)と、あと文化祭本番中にいちおう音楽室でちょっとやったりもしたけど、ほぼそのくらい、とはなすと、あと新歓ね、と(……)が付け足して、そうだったとおもった。かのじょはその新入生歓迎会でステージに立ったのだ。"Glamorous Sky"をやった。二年生のときだったか? この曲は中島美嘉がボーカルで、とうじ流行っていたのかどうか知らんが『NANA』という少女漫画があり、たしかそれがドラマ化だか映画化だかしてその主題歌につかわれたものだったはず。あと一年のときもかのじょはたしか文化祭で、音楽室でHYの"AM11:00"をやっていたおぼえがある。(……)がボーカルで、(……)はキーボードではなかったか? (……)がギターを弾いていたはず。(……)は卒業式後の小イベントでも、(……)といっしょにへんな曲をギターで弾き語っていた。ところでいま(……)の名字が二文字だったのか三文字だったのかおもいだせず、たしかしたのなまえは「(……)」じゃなかったかとひょっと出てきて、しかも漢字もこんな字じゃなかったかというのが浮かんで、マジでじぶんよくおぼえているなとおもうのだけれど、それで検索してみるとちょっと違ったのだけれど(……)のなまえが出てきて、それをコピペして検索しなおすと表示された画像が記憶の顔と一致したものだから、ああこれだこれだとおもってその画像が載っているページをひらいてみるに、(……)というカメラマン・撮影監督のページで、名字がおなじだしこれ(……)の父親だなとおもった。いっしょにしごとをしているようだ。父親の担当作品を見るとこちらでもなまえを見たことがあるような監督も数人あって、(……)の親父そんな感じだったのか、とおもった。たしかに、高校卒業後にいちどだけ(……)でまみえたことがあって((……)もいたはずだが)、そのとき映像を撮ってる、そっちの学校に行ったみたいなことを聞いた記憶がかすかにある。
われわれの軽音楽部では発表の機会はほぼ文化祭と新入生歓迎会の部活紹介に尽きたのだけれど、(……)くんの学校だともうすこしあって、クリスマスにやったり、バレンタインデーにやったり、他校に行ったり、大会に出たりもしていたようだ。こちらも一回だけ、クリスマスだかにごくちいさな規模でやったおぼえがある。視聴覚室を借りてほんとうにすこしだけ。われわれいがいのバンドはあのときやったんだったか? 一学年か二学年したに(……)という、茶髪だか金髪に髪を染めてホストみたいな伸ばし方をしたドラマーがいて、うちのバンドの(……)(いまはこの「(……)」でアレンジをつとめているかれである)も高一の時点で、ワイシャツにスラックスをきっちり着込んで第一ボタンまで留めた状態でX JAPAN的なドラムソロとIan Paice("Highway Star")やってるわけだから高校生にしてはめちゃくちゃ叩けたほうだが、この(……)もだいぶテクニカルにバカスカやるタイプで、どっかライブハウスでライブしたりもしていたはずだ。かれのバンドが出ていたかもしれない。そのときはMaroon 5の"This Love"をやったことしかおぼえていない。チャッチャッ、ンチャッ、チャッ、とかいうカッティングをやりつつ、サビではコーラスも担当したおぼえがある。
じきに三時二〇分くらいになったので、そろそろ行こうと店を出た。駅にもどってコンコースを反対側に抜けていく。高架歩廊からみると駅前の、たしかにああここかという場所にカラオケがはいっていて、それはさきほどのドトールの至近、となりのビルだったかもしれないがそのなかで、しかしなぜかここにカラオケ店がはいっているということはいままで目についたことも認識したこともなかった。したの道におりながら、(……)がバイトしてたドトール、と(……)におしえる。それでビルの脇の薄暗いようなところからエレベーターに乗って四階へ。手続き。部屋は三階になったので、重い扉をあけて非常階段から下りた。扉から出て風にさらされつつ、非常階段いいなあとおもったのでそう口にする。階段にはエスカレーターやエレベーターにはない独自の良さがある。じぶんの脚をうごかして上り下りせざるをえないという身体的運動性もそうだが、なにより足音が響くのが良い。リズムがある。しかも非常階段だと外気に接しているから開放感がある。その分、高いとちょっと怖いが。足音の響き方が階段空間によってたしょうちがってくるのもよい。かなりむかし、たぶん二〇一三年の冬くらいだが、池袋ではいったなにかのビルの階段通路は音響がよかったおぼえがある。
カラオケは二時間。歌をうたいたいとはいってもあんまりなにをうたおうかなというのもなく、さいしょは(……)がJUDY AND MARYの"そばかす"を入れて、しかしこの曲だと地声で出さないといけないからきつかった、さいしょに入れるものじゃなかった、もう歌わない、とあとで言っていたが、つぎに(……)くんが"エイリアンズ"を入れていたので、じゃあじぶんもキリンジにするかとおもって"双子座グラフィティ"を歌った。この曲はそこまで高い音は出て来ない。最高音がたしかF#だったはずなので、一曲目でもなんとか出せた。その後はしばらく小沢健二ばかり歌う。"愛し愛されて生きるのさ"とか、"僕らが旅に出る理由"とか、"大人になれば"とか。ほんとうは"天使たちのシーン"をうたいたいが、あれは一二分かそこらあったはずなのでさすがに断念する。かわりに(……)くんに、これ知ってる? と選曲機の画面をしめしながら聞いて、めっちゃいい曲、とおしえておいた。小沢健二のあとにFISHMANSの"忘れちゃうひととき"を入れたのだけれど、FISHMANSは音域がもうさいしょからして高いから出ない。歌をうたうどころかふだんぜんぜん声を出さない生活になってしまったので、ミックスボイスのやりかたを喉がかんぜんにわすれており、どうにもならない。低いほう、地声の領域から伸ばしていくやりかたしか筋肉が記憶しておらず、裏声領域を下げてくる方向のうごきがまったく生まれなかった。それなので後半では曲によってはもうぜんぜん出ねえわという感じで疲れてしまい、一時声を止めたりも。さいごにちょっと余ったからということで歌ったthe pillowsの"Tokyo Bambi"も、サビまではよいがサビを歌っているとだんだん出なくなってくるので、無理やりという感じになった。ほかのふたりが歌っていたなかでいちばん印象にのこったのは(……)が入れていたやなぎなぎ "ビードロ模様"というやつで、きれいな曲で、装飾音もけっこう凝ってるなという印象だったのだが、くわえて、これなんか聞いたことあるなとおもった。それで帰ったあとに検索してみると、『あの夏で待ってる』というアニメのエンディングにつかわれたというから、それでかと理解した。このアニメは、アニメをいくらか見ていた一時期に見たのだ。宇宙人の先輩ともさもさした髪型の映画好き少年が映画製作したりして恋愛するやつで、幼馴染のなんとかいうキャラクターが青い髪で、かのじょも少年に恋心をいだいていたが報われないので、とうじしばらく匿名掲示板で青髪がどうのとかネタにされていた記憶がある。いまあらためて見てみたらやなぎなぎはsupercellのボーカルをつとめていたひとで、"ビードロ模様"はそのメジャーデビューシングルだったらしい。あ、supercellのひとだったのかというのは過去にもおなじ情報に接しておなじようにおもった記憶があるが、まったくわすれていた。(……)くんは二曲目でシャウト全開みたいな曲を入れていて、甲高い声で叫びまくっていたので笑い、よく出るな、二曲目からやる曲じゃないぞとおもった。さすが修行していただけはある。
五時半過ぎで終了。部屋を出て会計へ。こちらはトイレに。おくれて非常階段をのぼり、合流すると九三〇円くらいだというので、(……)の会計が終わるのを待って財布からとりだした九五〇円をかのじょにわたしたが、九〇〇円でいいというので礼を言った。そうしてそとに出て、どうするかというところだが、ふたりは八時から(……)で鍼治療の医院に行く予定がある。(……)くんがしごとでなった腱鞘炎がなかなか治りきらないということで。(……)は付き添い。こちらはそとで飯を食うのはまだ怖いので、夕食は帰って取ると明言し、それまでまあ喫茶店でくっちゃべろうということになった。れいによってエクセルシオールで良いのではないかということで、またコンコースにうごめくにんげんたちの一片となり、北へ通過して、歩廊とちゅうの店舗ではなく駅出口を東に折れてすぐの店へ。はいって見てみるとけっこう空いている。二階にも、一階よりすくなかったが空きがあったので、そこに入ることに。階段をのぼると左側の細い通路に沿って小さな席が二、三あり、そのさきはトイレで、正面はカウンター席、そして右手がいぜんは喫煙スペースとしてガラスで区切られていた記憶があるが、いまはもう喫煙席はかんぜんに排されたようで、ふつうのフロアとなっていた。その左の壁際のまんなかあたりにはいる。(……)が(……)のきれいなトイレに行くついでに飲み物を買ってくるというので、ひとりずつ交替で行くことに。(……)くんとしばらくはなして待つ。練習する曲はやはり"My Favorite Things"がいいだろうとのこと。なんか手本になるような音源がほしいね、テンポとか、と言っておき、そういやSarah VaughanのバックもJim Hallが弾いてたはずだから、あれでもいいかも、たしかJim Hallだったとおもうんだけど、Joe Passだったかな? わすれた、と言っておく。しかしいま見てみると、Jim HallでもJoe Passでもなく、Mundell Loweだった。なぜ? どこで勘違いしたのか? Joe Passが出てきたのは、『Crazy And Mixed Up』だっけ、全篇スキャットの"Autumn Leaves"がゆうめいなあそこのギターがJoe Passだからだろう。Jim Hallが歌伴やってるアルバム、なんかあったのか?
こちらの飲み物はれいによってホットココアS。ここでの会話はだいたい漫画のことだった。『HUNTER×HUNTER』の連載が再開して、いまなんだっけ? 国王篇とかいうのをやっているのだけれど、コマのなかに文字がおおすぎて、絵よりも文字のほうが多いくらいでぜんぜんわからない、というはなしがあったのだ。(……)が携帯で検索して画像を見せてくれたのだけれど、それを見るとたしかに、一ページにたぶん七コマ八コマくらいあるそのうち絵がはいっているのはひとつふたつだけで、あとのコマはぜんぶ縦書きの文がならんでいるというありさまで、これはおもしろいなと笑った。漫画っていうより小説、とは(……)の言。『HUNTER×HUNTER』はキメラアント篇くらいまでしかわからない。いちおうさいごまで行ったはずだが、よくおぼえていない。鬱様態で死んでいた二〇一八年中に、海外の違法アップロードサイトでアニメ版を毎日ひたすら見ていた時期があった。見ていても特別おもしろいでもなかったのだが、とりあえず時間が過ぎはするので。じっさいほんとうに、その一時期は夕食の支度をするいがいはほぼ部屋でそうして『HUNTER×HUNTER』を見ているか、それかベッドのうえで転がって希死念慮に苛まれているか、SUNNY DAY SERVICEの『MUGEN』をうっすらとながしだしてそれにぼんやり耳をやっているかだけだったので、アニメを見ていると一日なにもしないまま飛ぶように時間が消滅するなという感じだった。『HUNTER×HUNTER』はなにしろさいしょから見ればかなり長かったので、そういうふうにして鬱症状から逃避して間をもたせるにはけっこう良かったのだ。しかし『HUNTER×HUNTER』はまえからけっこう説明的というか、心理のかけひきみたいな要素が濃かったとおもうけれど、いまあんな感じになってるのか、というのは、漫画のやり口としておもしろい。冨樫義博だからゆるされるよねという感じではあって、今回の連載再開は四年ぶりとかで、腰をやっていてそうなってしまうらしい。職業病という感じか。文を書くのもそうだが、ずっと座って作業をするにんげんは、だいたい腰なり背中やり首なりやるだろう。
まあでもぶっちゃけ富樫レベルだったらたぶんもう漫画描かなくても生きていけるわけでしょ、むしろジャンプのほうが描いてほしいんじゃないの、と口にした。もちろんほんにんが描きつづけたいというのもあるのだろうが、その点『ONE PIECE』もそうで、尾田栄一郎は果たして『ONE PIECE』終わったあと漫画描くのかね、と疑問を言った。ふたりによれば、あと三年くらいで終わるみたいなはなしらしいが。しかしあれだけ長くやっているのもすごい。しかも(……)によれば、尾田栄一郎はさいきん、これでようやく下準備が終わったというか、いちばん描きたかったことをこれからようやく描けますみたいなコメントを発していたらしい。『ONE PIECE』もなんだかんだけっこう特異な漫画だよなあとおもうもので、どこがと問われて、あの描き込みというか、よくあんなにこまかく描き入れるよね、とこたえた。そこにいる集団のだれがこのときはどの位置でどうしているという情報を、ひじょうにこまかい後景もつかってできるだけ入れ込もうとしているというか。だから尾田栄一郎のあたまのなかではそういう俯瞰的なかたちで物語がカチカチうごいているのかなとおもうものだが、しかしそれはキャラクターの多い人気漫画に必然的な要請ということなのかもしれない。メイン級の登場人物がたくさんいて、それぞれに多数のファンがついているとなると、だれかを描かなかったり省略して済ませるということがむしろできないのかもしれない。じっさいある時期まではそこまでごちゃごちゃしていなかったはず。ちなみにこのとき(……)が言っていたことには、ネット上ではルフィはむかしのほうが鬼気迫るような表情を見せていてよかったという意見が一部あるらしく、比較画像を見ると、むかしの絵としては目のなかが白くなっているような、一巻でシャンクスがルフィを助けに行ったときに近海の主に失せろだか消えろだか言ってギロリとにらみつけるときのような、ああいう感じの顔がえらばれ、たいしてさいきんのやつはもっとニコニコしているような感じだったので、比較として適切なのかわからなかったが、まあ丸くなったんだろう、貫禄が出たんだろうみたいなことを言っておいた。(……)はそこに、作者尾田栄一郎の丸くなりぶりもあらわれているとちょっとおもっていたようだが、でもアシスタントもめちゃくちゃいてやってるわけでしょ? と(……)くんに評価をゆだねた。
その他そのへんのメジャーどころの漫画のはなしをいくらか。『NARUTO』はふたりともあまり追っていないらしい。こちらも『NARUTO』はほぼ読んでいないのでわからない。いまは『BORUTO』という続編をやっているようだが、(……)に言わせればずっとあれ(あの世界、忍者もの)やってるじゃんとのこと。『シャーマンキング』もさいきんあたらしいのやってんだよね? と聞いたがふたりともそれはよく知らない。あとあれ、『封神演義』のひとどうしてんだろ、『封神演義』はけっこう好きだった、と言ったがそれもふたりには情報がない。尾田栄一郎が果たして『ONE PIECE』のあとに漫画を描きつづけるのだろうかという疑問から、だいたいまえのほうが良かったみたいなこと言われるよね、むしろそういうおおきな人気作を終えたあとに、つぎの作品でもっと人気が出たひとっているのかなと(……)が問うたが、冨樫義博なんかは『幽遊白書』を描いてそして『HUNTER×HUNTER』だから、それをかんがえるとやはりすごいなとおもう。『ヒカルの碁』のひともそのあと『DEATH NOTE』だとあがった。『ヒカルの碁』のひとと言ってほったゆみが原作なのか漫画なのかわからなかったのだが、その場でふたりが検索すると、ほったゆみが原作で、小畑健が漫画だと。『ヒカルの碁』はおもしろかった、というと(……)くんも同意し、わりとさいきん一気に読むだかアニメを見るだかしたらしい。小畑健の作品は『ヒカルの碁』、『DEATH NOTE』、『バクマン』までしかわからず、しかも後者ふたつはちゃんと読んだことはない。なんか芸人のやつをいまやっているとか言っていた。あと『FAIRY TALE』のひとなんだっけ、と聞くと、真島ヒロだと。真島ヒロもさいしょのうちは尾田栄一郎のパクリだみたいなことを言われてたんだけど、と言うと、(……)はそうなの? 似てないとおもうけど、と意外そうだった。まあ特にたしかな情報元があるわけではないが、なんかそんなくさしをネット上で見かけたおぼえがあって、まあ絵柄や方向性としてわりと似ていると言えば似ている気がする。女性キャラクターの腰がやたら細いところとか、あとたぶん目が飛び出る表現とか、口が大開きになるとか、そういうところだったのではないか。しかしその後独自の地位を確立した感があるというか、まえにTwitterで見かけたのだけれど、絵を描くのがめちゃくちゃはやく、かつうまいらしく、ちょっと描いたラフ画みたいなのがTwitterにあがっていてやたらうまいと好評を得ていた記憶があるから、だからたぶんめちゃくちゃ描きまくって練習したんだろう、と。とは言い条、真島ヒロで読んだのはさいしょの『RAVE』だけで、これは中学生のころ、(……)という同級生が持っていたのでかれの家で、もしくは借りて読んだ記憶がある。『FAIRY TALE』は読んでいないのでよくわからないし、いまやっているのもよく知らない。ところでいまはじめておもいだしたけれど、(……)の家にはまた『晴れのちグゥ』という漫画もそろっていた。検索すると正式タイトルは『ジャングルはいつもハレのちグゥ』だったが、そちらはあまり読んだ記憶はない。ジャングルつながりでか、パプワくんのこともうすぼんやりとおもいだしてしまったが、こちらも特段に読んだおぼえはない。あと『テニスの王子様』もずっとあれやってるし、舞台とかメディアミックスもして、もう独自の文化を築いてるよね、と。さらに、『こち亀』のひとはどうなってんの? もう描いてないの? と疑問が出されたので、いや、『こち亀』終えたあとになんか三つだか四つだか、一気にあたらしいやつはじめてたはず、というとおどろきが返った。『こち亀』あれだけやって、それでまだそんなに描けるのかと。ながくやってるうちにいろいろやりたいアイディアが溜まっていたんだろうねと返す。秋本治ももうまもなく七〇歳になるようだし、こう見てくるとメジャーどころのにんげんたちはなんだかんだやっぱりみんなすごいな、となる。
七時二〇分くらいまでそうしてはなし、退店へ。駅へ。あるいて帰るのと聞かれるので肯定し、改札にはいるまえで別れ。改札の向こうにうつってときおり振り返りながら手をあげてくるふたりが見えなくなるまでこちらも手をあげて見送り、そうして帰路へ。しかし帰路に踏み出すまえに、しごとに復帰するので休みをもらった礼の品を買っていこうとおもっていた。それで(……)にはいる。さきにトイレに行きたかったので案内表示を見ると一階((……)は駅舎からはいるフロアを一階としている)にはなく二階だというので、エスカレーターをのぼる。服なんかも見たくないでもないが、もう新品を買うような金の余裕もない。トイレに行って小用すると下階にもどって、れいによって「(……)」へ。まあいつものクッキー詰め合わせで良いだろうと。それを(……)さんの分と、あとこちらが休んでいちばん負担が増えたのが(……)先生だろうからかのじょの分と、じぶんで食べる用に三つ購入。手提げ袋をふたつ入れてもらった。そうしてビルのそとに出て帰路へ。高架歩廊をたどり、階段でしたに下りて、南下して当たった(……)通りをひたすら東へあるいていくルート。歩調はしずかであり、からだはおちついていて、淡々とした歩みにそってくる風はたいして冷たくもなく、無理なく伸びた背で黙々と行った。交差点を渡り、(……)と病院のあいだで公園の入り口にそびえた大樹の、幹の又におうじてななめに放射された影はきょうはさほど濃くもなかったが、まわりのベンチの足もとには四角く切り取られた黒い布のような分身が、やはり地に貼られているというよりは宙に浮かんでいるかのような見え方でそこにいる。空き地前では首を曲げて墨色の空の広大さを見上げたり、草っ原の向こうに鎮座している駅前マンションの部屋部屋の灯火が描くまだら模様をながめながら通り過ぎた。
帰宅後のことは忘却。
―――――
- 「ことば」: 31, 9, 24
- 日記読み: 2021/11/5, Fri. / 2014/3/29, Sat.