(……)もう三時半です。ではごきげんよう、ぼくの最愛のひと。いや、あなたとだけ居ることを、ぼくはあなたが思っているようには考えませんでした。なにか不可能なことをぼくが望むとすれば、ぼくはそれを全体的に望みます。つまり全くひとりで、最愛のひとよ、ぼくはあなたと居たいと思ったのです、地上で全くひとり、天の下で全くひとり、あなたのものであるぼくの命を、散乱させず、全く集中的に、あなたのなかで生きようと思ったのです。
(マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、170; 一九一二年一二月一八日から一九日)
いま三時二〇分。そろそろ勤務に向かうころあいだが、まだ一時間ほどは猶予がある。きょうはまだ夜もあけておらず黒々としたはやい時間からめざめてしまい、六時には覚醒をさだかに。七時四〇分くらいまで寝床にとどまり、瞑想したり食事したり湯を浴びたり。一〇時から通話。一二時過ぎまで。そこからまた休んでふくらはぎをさすり、一時半ごろになると先日着たワイシャツや、ずっと放置していたハンカチに私服のシャツとアイロン掛けを済ませて、二回目の食事。終えると二時四五分ごろ。そこからきのうの支出をつけたり、簡易的にほんのすこしだけ記述しておいたり。きょうは帰りが遅くなるだろうし、勤務で疲労するだろうから、きのうきょうのことの記述はあしたいこうだろう。もともとあした医者に行こうかなとおもっていたのだけれど、薬はまだすこしだけもつし、あさっての午前か木曜日にしてもよいという気になっている。
*
いまもはや一一月二〇日日曜日の午後九時ぴったりで、もう一週間ほど経ってしまっている。はなしにならん。どうも書けないが、しかし体調優先。この月曜日のできごととしては、通話したのと労働したことくらい。そして出勤の電車内で発作が来て動悸爆発。小発作どころではない、きちんとした真正の発作と言ってよいだろう。駅に向かってあるいているあいだから、このあいだの木曜日とはちがってなんかおもったよりもからだがほぐれないなとはおもっていたのだけれど、乗ってみればひともややおおいうえに車両の端に自転車らしきおおきなつつみが置かれてあって角に行けないし(まあけっきょくその後、自転車が置いてあってもかまわずその脇に立ったが)、とびらが閉まった瞬間からもうとたんに身の内を蛇がかけまわるみたいに動悸があばれだして、苦しい。とても目を閉じてじっとしていられるような規模ではないので、しょうがねえとおもってその場でリュックサックから財布をとりだし、水はたしか持ってきていたはずだがそれを出す手間もはぶきたいというか余裕がないので、一錠を口に入れて舌の裏側でちょっと溶かしたあとに飲みこんだ。しかしたぶんこれもあまりよくないのだとおもう。ロラゼパムは胃にたいする効果もあったはずだから、水に溶かしたり食べ物といっしょに服用したりせずにそのまま胃に入れると、なんか腹のうごきが活発になりすぎてかえってきもちわるいみたいなことが起こる気がする。そのあと職場に行って労働はそこそこふつうにやれたが、終わったあとに講師であつまって報告とか情報共有とかするときになぜか緊張して、やや吐きそうな感じがあった。授業中はだいじょうぶだったのだが。それで立ち尽くしてなるべくからだをうごかさないようにしようと身をしずかにし、発言も手短に、ちからのない声で終えた。
朝に読んだ過去の日記からはいろいろ引用されている。一年前は(……)くん・(……)さん・(……)さん・(……)さんと(……)に行った日で、詳細でおもしろかった。やはりこまかく書いてあるとそれだけでおもしろいというところはある。店の空間のようすとかおまえはよくこんなに書いておくなと。よくおもいだせるわ。しかしまずは風景のたぐい。
(……)三時半なので道のうえにはもう日なたがないが、南の山はまだ西陽につつまれて緑の質感をあかるく浮遊させていた。(……)さんの宅のあたりまで来ると坂の脇に繁った濃緑のこずえのなかに太陽が見え隠れし、ときおり集束的なかがやきをあらわすとともに葉のすきまをひかりの液で埋めている。坂道に木洩れ陽ははや薄く、光線の角度が低くなったためにもう路上に宿るものもなく、右手の古びた法面のなかで溜まった葉っぱに注目をうながすかのようにぼんやりあかるむ二、三の小円があるのみだった。
(……)いちばんまえの車両に乗り、いちど本をとりだしたが、なんとなく心身の表面がほんのすこしだけざらついているような気がしたので、(……)あたりまで休むかと決めて瞑目した。そうして意識をリフレッシュさせ、じっさい(……)から書見。「藤枝静男論」を読みすすめた。(……)についても乗り換えずそのまますわりつづけたが、だいたいみんな特快に乗るのでこちらはけっこう空き、とちゅうでとなりの席もあいたくらいで楽にすごせた。本に目を落としつづけていたが(……)を越えて線路が高架にのぼると視界の端でそれを察知したようでおもわず顔が上がり、見れば果てまで起伏なくひろがる平らな町並みのむこう、もうひかりが遠のき青がつめたくなってきた北の空がさらにひろがりつづけており、町の屋根屋根から抜けて鉄塔が数本立っているのがそこに目立って、さいしょは横にはなれて散在していたそれらはしだいに距離を廃して近寄っていき、すべるようにあつまるとある地点で一瞬、てまえから奥まで縦一線にかさなりあうやいなや、すぐにまたはなれておのおのの場所にもどっていった。
新聞記事。
(……)新聞からはアメリカで警察廃止論が転機にかかっていると。George Floydの件から警察を解体せよという声がつよくなり、ミネアポリスでは先般市民投票がおこなわれたのだが、結果は否決。警察の予算と人員が削減されたことによってとくに貧困地域(アフリカ系のひとびとの居住地域ともかさなる)での犯罪が増加したというデータもあるようで、ある黒人女性は、警察改革はとうぜん必要だと言いながらも、安全な地域に住んでいる上流層のひとびとは、(警察の横暴の被害者であるのみならず)多くの犯罪の被害者ともなるわたしたちのリアルをわかっていない、と漏らしていたという。ニューヨークでも先日黒人の市長が誕生したが、このひとは元警察官で、警察の予算削減は治安の悪化をまねくと批判していたのだけれど当選したと。ニューヨークでも警察の縮小によってやはり治安が悪くなった地区もあり、また、人種差別的に偏向しているとみなされた保釈金制度が改革されて凶悪犯罪でなければ比較的容易に保釈されるようになったらしいのだが、それによってなんども保釈されてはおなじ犯罪をくりかえすという人間も出てきているようで、とある窃盗犯は今年で四六回逮捕された、とかいうことも起こっているらしい。たとえば刑務所廃止論者、すなわちabolitionistの道行きはきわめて険しい、彼ら彼女らの理想は果てしなく遠いなあとおもう。
そして外出時のことごと。プレート上の食い物の配置など、よく観察して記憶していたなとおもう。
(……)のぼったところにはまずたしか「(……)」とかいうなまえの美容室があって、なかにふたり待ち客がすわっていたが、そのまえを過ぎてつぎに行き、入り口のところでうかがっていると、なかにいた浅黒い肌の男性(とうぜんネパール人のはずである)が、いくらかカタコト的な調子で、どんなご用ですか? だったか、なんの用ですか? みたいな問いを発したので、食事できますか? とたずねると肯定が返り、人数を聞かれたので、もうここにはいってしまうか、行ってみよう、とまとまった。それで入店。店内はせまい。はいってすぐの周囲はたしかにスパイスやらなにやら棚に雑多にならべられており、男児がふたり、床のうえでにぎやかにさわぎながら遊んでおり、男性はたびたび彼らをうるさい! うるさいよ! と叱った。子どもらも主に日本語を喋っていたとおもうし、男性が叱りつけるのも日本語のうるさい! だったのだが、のちにすがたが見えた母親らしき女性はこのひとも日本人ではないように見えた。スタッフはほかにあとひとりかふたり、男性を見たとおもう。はじめの男性とべつにもうひとりいたのはたしかだが、さらにもうひとりいたか、通路をとおった人間がひとりだったかふたりだったかさだかでない。たぶんそのうちのひとりが厨房で料理をつくっていたのではないかとおもうのだが。ともかくも店の奥に通されて、そこにはかなり密着的に詰めればギリギリ四人かけられないこともないというくらいのテーブル席が狭いスペースに三つほど用意されていて、その先が厨房というか料理場になっているようで、男性は注文を聞いてそこにつたえるときにはネパール語をはなしていたとおもう。かなり細い通路をはさんで左右に分かれ、こちらは左側のテーブル、(……)さんの右隣につき、店の入口側にあたる向かいには(……)さんがつき、(……)さんもはじめはそこにいた。というのは右手のテーブルが片側しか空いておらず、もう片方は狭くて座れないようになっていたからで、(……)くんがそこにひとりだけはいって孤立していたのだが、店員の男性が彼の向かいでスツール的な椅子に座ってなにかやっていたので、なんでこのひとここにいんの? なにやってんの? とおもっていたところ、それはスツール椅子の高さを下げていたのだ。それで、ここ座ってください、と席が用意されたので、(……)さんがそちらに移って三人とふたりに分かれた。男性は笑みを浮かべることがなく、マスクで顔の下は見えないものの目つきはすこしするどいといえばするどく、愛想はあまりなかったが、しかし水が減っているとお水いりますかと言ってたびたび補充にきたりして、接客はわりと丁寧だった。それで水とおしぼりが配られ、メニューを見て注文。メニューは一枚の紙もしくはシートで、おすすめのプレートもしくはセットが三つ、写真つきで上部にならべられ、下部にはランチセットとしてもろもろの品が五種か六種くらい記されてあり、裏面はその他さまざまな単品のものが無数に取り揃えられてあった。みんな上部の三種のなかのまんなかのプレートを選ぶことにして、さらにこちらがソーセージを(さいしょは唐揚げを頼もうとおもったのだが、そう言うと男性は唐揚げはいま切らしているとこのときはやや日本人的な眉の曲げ方でことわってきたので、ソーセージに変更した)、(……)さんが水牛の餃子を頼み、みんなで分けて食った。飲み物は(……)さんがビールで、(……)さんがコーヒーだったとおもうが、ほかのふたりはわすれた。こちらはべつに飲み物はいらなかったのだが、飲み物はどうですかという店員のすすめにしたがってみんな頼んでいったので、そのながれに乗って、じゃあジンジャーエールをと注文したところ、このジンジャーエールはめちゃくちゃ薄くて炭酸も風味もぜんぜんないような代物だった。
頭上にはそう高くない天井の近くに電車の網棚のようにものを置くスペースが通されてあり、そこに箱がたくさん置いてあったり、壁にはネパールの風景らしき山やら湖やらを描いた絵がかかっていたり、また周囲にはこまごまとしたちいさなものが置かれていたとおもうが、そんなかんじで雑然としていたものの、われわれがいるあいだほかに客は来なかったし(店を出るときになってちょうど入れ替わり的にべつの一組がはいってきた)、飾り気がなく庶民的で意外と過ごしやすいというか、落ち着く気がした。入り口にちかいほうでは子どもらがあそびまわっており、たまにわれわれのテーブルのあいだをとおっているかなりほそい通路を行き来してもいた(男性もたびたびそこを通るが、席がせまいのですこしそちらにはみ出すようにしていた片足をそのときは引っこめなければならない)。また、こちらの位置から見て前方、通路の入り口あたりにはカウンターがあり、その下は壁だったが、その壁の一部にちいさな扉が取りつけられて開閉するようになっていて、まだまだ背丈のちいさな子どもはそこを開けてカウンター内のスペースに出入りしていたので、あ、そういうかんじなのね、とおもい、また、のちほど女性も身をかがめてそこをくぐり抜けていたので、あ、大人もそういうかんじなのね、とおもった。それで食べ物はさいしょにこまぎれにされたソーセージが届いた。なんの肉なのかわからないが、やたらと柔らかく、しっとりしたような肉で、ふつうにうまかった。餃子も肉汁があふれており、またカレー的な風味のスパイスも付属していてうまく、(……)さんが、うま、これはうまい、と満悦していた。メインとして頼んだプレートはいろいろな種の食べ物がそろえて載せられたもので、まんなかにあったのがたぶん加工米だったのだとおもう。これは味がまったくなかった。その右横に、ほんとうはすこし違うのだがベビースターラーメンをこまかく割った見た目というかそんなようなかんじの品があり、こちらはすこし塩気がついていた。左隣は豆。それが中央の列で、下は右から大根の漬物、ソーセージ、ソテーかなにかしたジャガイモ、上部左にはキュウリとニンジン(これも漬物だったのかもしれないが、味つけはほぼかんじられなかった)、そしてラム肉なのかなんなのかわからないがタマネギのこまかなソテーと混ぜたなにかの肉(黒々とした色で、かなり固く、顎の訓練になるくらい何度も噛まないと飲みこめなかったがふつうにうまい)という構成だった。メニューにも、おつまみという文字が見えたが、これはメインの食事というよりは、酒のつまみとしてバリバリ食うみたいなかんじなのではないか(しかし(……)くんによれば、ネパールではこれを主食として食べるらしい)。どういう食い方をするのが正解なのかわからなかったが、加工米に味がないから両隣のものと混ぜて食えばけっこううまいなと混ぜはじめ、最終的に上下も混ぜてバリバリ食った。乾き物で腹に溜まるし、ゴリゴリ咀嚼するのに時間もかかるので、一皿食べればだいぶ満腹する。(……)さんなどすこし食べ切れなくて残していたくらいだ。いくつかの品には辛味がふくまれていて、こちらは辛いものが得意でないのでたびたび水を口にふくみながら食べすすめたが、いちばん辛かったのは大根の漬物だったとおもう。漬物といって日本のそれとはかなり違い、たぶんピクルスにちかいかんじなのだとおもうが、くすんで黄色っぽいような色をうっすらと帯びたなかに胡椒みたいな黒い点が付された見た目で、けっこう辛かった。肉もいくらか辛かったが、これはさほどではない。あと忘れていたが、(……)さんがラーメンを頼んでいた。きょうは夜にこうして飯を食うということで朝からほとんど食べていなかったので、ぜんぜん行けると言っていた。(……)くんによれば(……)にもこういうプレートのネパール料理(カジャというらしい)を出す店があるといい、そちらのほうがうまいと。おそらく日本人に合わせた味になっているのだろう。この店のほうがより本場的なのだとおもう、とのことだった。
この食事のあいだにはなしたことは、映画『ONODA』のことしかおぼえていない。午前中からこれを見てきた(……)さんと(……)くんにはなしを聞いたのだが、まあすごい映画だったと。時間も三時間あってながく、かなりボリュームがあって重たい映画だったようだ。太平洋戦争が終戦をむかえてもひとりフィリピンのジャングルにのこってその後三〇年ほど作戦行動を遂行しつづけていた小野田寛郎という軍人を題材にした作品で、しかしつくったのはわりとさいきんのフランスの監督らしい。小野田は諜報部隊の一員で、彼がのこったフィリピンの島は戦略上重要な拠点だったらしく、いつか援軍がやって来ると信じていた彼は、そのときのために島の各地を探索し、どこになにがあるのか調査したり、地形を調べたり、川や山になまえをつけたりして情報を整理していたのだという(山だか丘だかに、むかしつきあっていたか好きだったかした女性にちなんで、「~~の乳」だか「~~の胸」だかという名をつけたというのは笑った)。だからマジで、いずれまた戦闘をして、島を占領するというつもりでいたのだろう。各地になまえをつけたり、敵もしくは他者の気配を敏感に警戒しながらあるきまわるというのは、もろロビンソン・クルーソーだなという印象。食べ物はどうしていたんですか、とたずねると、小野田とおなじ部隊だった一員に農家の出身で植物にくわしいひとがいたらしく、彼に、これは食べられる、これは毒があるがここだけ取れば食べられる、これはこう調理できるといったかんじでいろいろ教わっていた知識が役に立ち、森のものを取ってまかなっていたという説明が(……)さんからあった。小野田は諜報員としての教育や訓練を受けていたので、地元のひとなどが戦争はもう終わったとつたえに来ても、それをすべてじぶんをだますためのプロパガンダであるとおもって拒絶していたらしい。いちどなど、小野田の親族だか、あるいは友だちの遺族だかわすれたが、見知った顔が説得に来ても、なんだか似ているひとがいるな、敵方はよくも巧妙にこんな人間を用意したものだが俺はだまされない、というかんじでやはり応じなかったと。小野田がそこまで作戦遂行にこだわったというのは、隊長だか上官からの命令があったからで、後続の援軍がやってきて攻撃するときのためにおまえは絶対に生き残らなければならない、なにがあっても生きていなければならない、と命じられたそれをまもってずっとひとりでたたかっていたのだという。すごすぎて笑うしかないが、(……)くんにいわせれば「絶望的」な映画であり、ドグマ的なものを非常にかんじさせられたと。戦前の日本がそのような狂気じみた超人的一徹の徒をつくりだしてしまったという事実にはそらおそろしいものをかんじざるを得ないが、右翼というか、いまだに皇国史観に賛同していたり、愛国的軍人をあがめるようなひとにとっては、小野田はおそらく理想的な軍人の鑑、英雄中の英雄ということになるだろう。そんな人間がいったいどのようにして武装解除し、戦争が終わったということに同意したのかむろん気になるところだが、いわく、バックパッカー的なひとりの男性(青年?)がそれをみちびいたという。このひとは世界中を旅してまわっていたらしく、当時の日本人としてはたぶんけっこうめずらしいタイプの人種だったのではないかとおもうが、そのひとが小野田に会いに行き、酒をくみかわして説得したとかいう。小野田に会ったときは、会えてうれしいです、会いたいとおもっていました、と感激し、野生のパンダ・小野田さん・雪男の順番で出会いたいとおもっていた、と言っていたらしい。そのひとがどうにかして関係を築き、酒をいっしょに飲みながら、小野田さんは何か国に行ったことがありますか(とうぜん日本以外にはこのフィリピンの島だけのはずである)、ぼくは五〇か国いじょうをまわって見てきました、とかはなして、戦争が終わったということを納得させたらしい。そういうわけで終戦が受け入れられ、武装解除がなされるわけだが、そのときも生き残っていた上官だか元軍人がやってきて、武装解除の詔勅だかわからないが文書を重々しく読み上げ、玉音放送をながすという正式な儀礼がおこなわれたといい、さいごまで軍人としての矜持と形式を生きなければやはり終われなかったわけだ。ちなみに(……)くんによれば、小野田は戦後(というか帰国後)日本の空気が合わずブラジルだかに移住して農場を経営していたらしいのだが、テレビで日本の若者がホームレス狩りをしているということを知って衝撃を受け、こんな日本であってはならないと若者の教育をこころざし、ふたたび帰国して教育団体みたいなものをつくって活動したという。それじたいはふつうにいいことだとおもうのだが(そこでおこなわれた教育の内容によるが)、その後は日本会議にくわわって、妻も日本会議のけっこううえのほうにいるらしく、まあそりゃ日本会議のようなひとびとからすれば神みたいな存在だろうな、というかんじ。
(……)喫茶店に行って駄弁ろうというわけで路地を駅のほうへ行ったが、そのあいだ周囲のひとを見るに、コリアンタウンといわれて有名だけれど先ほどのネパールのひとのような、東南アジアとか南アジア方面の出身だとおもわれる浅黒い肌のひとなんかもたくさんいるし、ひとびとが意に介さずうろうろぶらつくなかを車ががんばって通る道に接した商店など見れば、店先でおおきなドリアンや、色がめちゃくちゃくすんでいて絶対にうまいとはおもえないバナナなどを売っている八百屋と軒をひとつづきにしたそのとなりになにか服とかこまごましたものを売る店がちぐはぐに合わさっていたりして、じつに雑駁な町空間となっており、こういうところで育つのと、我が町のような田舎、現在でも外国人がそこまでは多くない田舎町で育つのとではぜんぜん違うだろうなとおもった。
はなした話題はだいたいやはりこの本が気になっているとかこの思想家が気になっているとかそういうこと。アリストテレスのはなしが出たひとときがあった。(……)くんが(……)アリストテレス全集を順番にさらっているのだという。ただアリストテレスのばあい、こまかな内容というよりは、彼が問題にアプローチしたやりかたや手順とか、つくったカテゴリーや枠組みとか、そのへんのほうが重要で、正直詳細なところまできちんと研究しようという気にはならないと。すごく勉強にはなるが、あくまで勉強、というかんじのようだ。快楽は薄いのだろう。こちらとしてはアリストテレスは『動物誌』にいちばん興味があるつもりで、それは要するに博物学にたいする興味で、博物学にたいする興味というのは要するに系統分類とかというよりは、観察者が動物とか植物とかをことばでスケッチするその書き方にたいする興味で、だからつまるところ描写にたいする興味に帰結するのだけれど、『動物誌』はそういう著作だと聞いている。ほか、まあ『詩学』とか『ニコマコス倫理学』とかもふつうに読んではみたいが、ニコマコスにかんしてはそのなかでふつうに奴隷制肯定というか、奴隷制は前提のものとして記されていたはずだし、アリストテレスをいま読んでどうかんがえるか、どう活かすかというのはなかなかむずかしそう、みたいなことを(……)くんか(……)さんが言っていた。『詩学』とか『弁論術』はおもしろいというか、読んだほうがいいと(……)さんは言った。『弁論術』は要はあいてをどのように説得するかという言語技術論なのだとおもうが、たとえば聴衆にかたりかけるときはまず明快な結論から述べたほうが良い、そうすればひとびとは演説者がはなすあいだにじぶんのあたまのなかでなぜそういう結論になるのか、根拠や論理の道筋を予測するので、それをなぞるようにはなしをすればより説得力を生むことができる、みたいなことを言ったりしているらしく、だから(……)さんとしてはけっこう自己啓発本的なスキル紹介のように響いたようで、自己啓発書とか読むんだったら『弁論術』読んだほうがいいのにとおもいました、とのことだった。アリストテレスはそういうふうに、聞き手を説得し納得させるという意味での修辞学を重視したひとらしく、ただ正しいことを言ってもあいてを説得できるとはかぎらず、受け容れられないこともあるとかんがえていたようなのだが(なぜそういう認識を持っていたかについてもちょっと触れられたような記憶があるのだが、その点は忘れてしまった。アテナイの民主政の崩壊以後の混乱した時代に生きたから、みたいなことだったか?)、それはきわめて重要なポイントだとじぶんはおもう。ひるがえってプラトンはおそらくそうではなかった。彼は弁論術というのは悪しきソフィストが強弁をおしとおすための堕落した技法だとかんがえていたはずで、また哲学者は真実在をおいもとめ観想するにいたる崇高な存在だと認識していたはずであり、それがプラトンじしんの明示的な主張かどうかはともかくとしても『国家』のなかではその哲学者が王となる哲人国家のヴィジョンをあきらかにしている。またおなじ『国家』中で、詩人というのは真実在であるイデアをコピーしたものに過ぎない事物をさらに言語によってコピーするわけだから、ミメーシスのさらにミメーシスをしている卑しい連中でしかない、みたいなことを書いていたはずで、あと神々にかんしても詩人たちは虚偽を述べている、神とか英雄は善やちからそのものである崇高な存在だからたとえば悲嘆の感情に屈して泣いたり嘆いたりすることなどあるわけがないのに、ホメロスでさえそのようなことを語り、神をおとしめひとびとをたばかっている、したがってわれわれの国家には虚偽の徒である詩人は必要ない、みたいなことも述べていたはずだが、しかしプラトンいぜんには詩と哲学はおなじものだったはずでしょう、とこちらは言った。プラトン=ソクラテスいぜんの、断片としてのこっているイオニア自然哲学者なんかはだいたい詩とか箴言のような形式で思想を語っているはずだと。プラトンがそういうふうに文学と哲学を峻別して前者をおとしめる発想を導入したところからはじめてそうなったわけだが、弟子のアリストテレスがそれにたいして修辞学、言語の修辞的な側面を再評価してかんがえたというのは、文学好きとしてはやっぱり興味がありますね、とはなした。はなしのなかに出てきた文献としては、アルマン・マリー・ルロワ『アリストテレス 生物学の創造』という、わりとさいきんみすず書房から出たという上下本がひとつある。あとこれは飯屋でのことだったが、フィリップ・セリエ『パスカルと聖アウグスティヌス』という法政大学出版局叢書・ウニベルシタスの本も(……)くんがおしえてくれた。このセリエというひとはフランスのパスカル研究の権威らしく、彼が編集したセリエ版全集というのがいまいちばんメジャーなものになっているとか。
帰ってきてから読んだ記事からメモしてあった本も再掲しておく。
「じんぶんや: 第四講 斎藤美奈子さんが選ぶ 21世紀の女と男を考える本」(https://www.kinokuniya.co.jp/04f/d03/tokyo/jinbunya/jinbunya4-2.htm(https://www.kinokuniya.co.jp/04f/d03/tokyo/jinbunya/jinbunya4-2.htm(https://www.kinokuniya.co.jp/04f/d03/tokyo/jinbunya/jinbunya4-2.htm)%EF%BC%89))
・『岩波 女性学事典』
・エリザベート・バダンテール『XY 男とは何か』
・高田里恵子『文学部をめぐる病い』
・ロンダ・シービンガー『女性を弄ぶ博物学』
・田中美津『いのちの女たちへ』
・駒沢喜美『魔女の論理』
・女たちの現在を問う会『銃後史ノート戦後編8 全共闘からリブへ』
・ジュディス・バトラー『ジェンダートラブル』
・イヴ・K・セジウィック『男同士の絆』
・上野千鶴子『家父長制と資本制』
・加賀まりこ『とんがって本気』
・中村方子『ミミズに魅せられて半世紀』
そして二〇一四年。四月四日の金曜日。なんでここを引いといたんだったかな。うえの段落はまあ風景記述がこの時期にしてはわるくない気がしたのだろう。あと、このブルドッグを連れているおばさんというのは(……)さんで、いまどうしているのかわからない。やや押しのつよいようなひとだったのだけれど、ある時期からなんだか顔を合わせても元気がなさそうというか、だれとも会いたくないようなようすですぐに家のなかにはいっちゃうみたいな、そんな雰囲気になっていたのだが、あれはコロナウイルス状況のせいだったのだろうか。それいぜんからのことだったかもしれないが。なんかいっとき、家を売って引っ越すとかいううわさを両親が言っているのを聞いたおぼえがあるが、すくなくともこちらが実家を出るまではまだあのばしょに住んでいたはず。その後どうなっているかは知らない。
野菜を取りにいこうと上階へ上がればちょうど雨が降りだしたらしかった。先にアイロンをすませているあいだに雨脚は強まり、そのくせ雲間から光は射して、暖色に染めあげられた家壁の前を雨粒が通過していった。まもなくやんで外に出ると近所のおばさんが犬を連れて通ったのでしばしたわむれた。おとなしいブルドッグで、どこをさわってもいやがらないし、気持ちよさそうにのどを鳴らすだけで吠えないので首元や皮膚が波うった背中などを思う存分なでまわした。畑に出てキャベツやねぎやブロッコリーを収穫した。晴れてきた空には雲が夏の入道雲みたいに高く積みあがって、まだ灰色にかすんだその彼方から雷が鳴り響くと、母はこわがって声をあげた。地面から飛びたった小鳥が波を描くようにして植木を渡って空中に飛び出していった。
したもまあわるくはない風景と情緒感慨があるが、この菜っ葉を届けに行ったさきの宅というのはしたの(……)さんである。その息子(次男)である(……)ちゃんが、去年だかおととしだかに我が家の畑のとなりの小家、これは一〇〇歳を越えて生きた隣人だったが今年かさくねんついに天に召された尊き(……)さんの持ち家で、我が実家の西隣にある(……)家の南側にあるのだけれど、そこにはいってきた人物である。(……)さんの奥さん、(……)ちゃんの母親はけらけらわらう威勢のいいねえちゃんという感じのひとで(ねえちゃんと言ったってもう六〇くらいだろうとおもうが)、実家を出るまえはたまに(……)ちゃんのところに来てそのとおりのよいおおきな声でしゃべっているのが聞こえていた。(……)家のこどもは長男が(……)ちゃんといってこちらの兄と同級(ということは五つか六つうえ)、娘で(……)という子がいたはずで、この子はこちらの一個したではなかったか。もう顔もおもいだせないが。(……)の妹である(……)(漢字がわからん)と、(……)の妹である(……)(本名がわからんがたぶん「(……)」か?)も一個したで、そのへんで一時つるんでいたような気がしないでもない。子供会とかで知り合ったんではないか。この二〇一四年時点で(……)さんがこちらのことを、しかも暗がりのなかで見分けられたというのはマジでなぜなのかわからない。
午後七時になろうというところで上に上がり、風呂の前に外に出た。澄んだ夜空に星が明瞭に灯り、林をかすめるように三日月も出て、明るく青い夜に染めぬかれた雲が市街の上空に見えた。涼しげな風のなかに夏のにおいをかいだような気がして、三月もすればまたあのなまぬるい夜がやってくるのだと思うとそれだけでひどくなつかしい気分になった。音の聞こえないインターフォンを鳴らして、壊れているのではないかともう一度押そうとしたところで声が聞こえて、こちらもこんばんはと挨拶した。扉をあけたのは旦那さんで、いくらかふやけた口調と赤みがかった顔からして酒が入っているらしく、袋に詰めた菜っ葉をさしだすとおおげさに礼を言った。辞去するとちょうど奥さんが帰宅して、こちらの顔など数年は見ていないはずなのに明らかに誰だか認めた様子でどうしたの、と声をかけるので、届けに来たことを告げるとこちらも丁寧に礼を述べた。
通話時のはなしもごくごく簡易的に。(……)
職場でのこともだいたいわすれたのですこしだけ。(……)
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- 日記読み: 2021/11/14, Sun. / 2014/4/4, Fri.
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Guardian staff with agencies, “Russia-Ukraine war at a glance: what we know on day 263 of the invasion”(2022/11/13, Sun.)(https://www.theguardian.com/world/2022/nov/13/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-263-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/nov/13/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-263-of-the-invasion))
Ukraine president Volodymyr Zelenskiy says Kyiv’s forces have established control in more than 60 settlements in the Kherson region and “stabilisation measures” are being carried out in Kherson city after it was retaken by Ukrainian forces. Zelenskiy said that Russian forces had destroyed all of Kherson’s critical infrastructure before they fled, including communications and water supplies along with heat and electricity supplies.
Ukrainians hailed Russia’s retreat from Kherson as Kyiv said it was working to de-mine the strategic southern city after the eight-month occupation and restore power across the region. In the formerly occupied village of Pravdyne, outside Kherson, returning locals embraced their neighbours, some unable to hold back tears, Agence France-Presse reported. “Victory, finally!” one said.
The head of Kherson’s regional state administration said everything was being done to “return normal life” to the area. Yaroslav Yanushevych said from Kherson city in a video posted to social media that while de-mining was carried out, a curfew had been put in place and movement in and out of the city had been limited.
Pro-Moscow forces are putting up a much stiffer fight elsewhere and the battles with Ukrainian forces in the eastern Donetsk region are hellish, Zelenskiy said. “There it is just hell – there are extremely fierce battles there every day. But our units are defending bravely – they are withstanding the terrible pressure of the invaders, preserving our defence lines,” he said.
Ukraine would decide on the timing and contents of any negotiation framework with Russia, according to a readout of a meeting between the US secretary of state, Antony Blinken, and the Ukrainian foreign minister, Dmytro Kuleba, at the Asean summit in Cambodia in Phnom Penh.
The Russian president, Vladimir Putin, has spoken to his Iranian counterpart, Ebrahim Raisi, by phone and both leaders placed emphasis on deepening political, trade and economic cooperation, the Kremlin said in a statement on Saturday. The discussion of “a number of topical issues on the bilateral agenda” also including the transport and logistics sector, the Kremlin said. It did not say when the phone call took place and made no mention of Iranian arms supplies to Moscow.
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Claudia Hammond, “Why we all need to be a lot less hesitant about being kind”(2022/11/13, Sun.)(https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2022/nov/13/why-we-all-need-to-be-a-lot-less-hesitant-about-being-kind(https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2022/nov/13/why-we-all-need-to-be-a-lot-less-hesitant-about-being-kind))
Shaad D’Souza, “Phoenix: ‘Every political cycle France has an existential crisis’”(2022/11/5, Sat.)(https://www.theguardian.com/music/2022/nov/05/phoenix-interview-alpha-zulu(https://www.theguardian.com/music/2022/nov/05/phoenix-interview-alpha-zulu))
Jonathan Freedland, “The Democrats’ midterms performance shows how Trump – and his imitators – can be beaten”(2022/11/11, Fri.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/nov/11/democrats-midterm-donald-trump-joe-biden-republican-right-labour(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/nov/11/democrats-midterm-donald-trump-joe-biden-republican-right-labour))
Patti Miller, “Reading Proust aloud: ‘How can it be that deeply flawed and terrible humans have the capacity to create?’”(2022/11/12, Sat.)(https://www.theguardian.com/books/2022/nov/12/reading-proust-aloud-how-can-it-be-that-deeply-flawed-and-terrible-humans-have-the-capacity-to-create(https://www.theguardian.com/books/2022/nov/12/reading-proust-aloud-how-can-it-be-that-deeply-flawed-and-terrible-humans-have-the-capacity-to-create))