2022/11/23, Wed.

 ぼくらは自分の不安を交換し合っているような気がします。今日はぼくが不安な人間でした。あなたがそれでもぼくの手紙を受取ったかどうか、知りたかったのです。今日一日のうちに、次の瞬間があなたをぼくのところに連れてこないなら、もうその瞬間に堪えることができないだろうと思われる瞬間が幾度もありました。(……)
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、205; 一九一三年一月三日から四日)




 あいまいに目覚めてうめきをあげながらからだを横向きに変えたり、深呼吸などしながら過ごし、九時過ぎになって起き上がってカーテンをひらいた。雨降りの日。さくばんから降りはじめていた。寝床で目を閉じているあいだに保育園からひとの気配がまったく聞こえてこないので、きょう休みなのか? しかし水曜日だし、一一月二四日って祝日でもないよなとかんがえていたところが、きょうは一一月二三日、勤労感謝の日だった。濃紺の幕をあけてもその内にあるレースのカーテンは青白いような濡れた空気のいろを受けており、室内は薄暗くて晴れ晴れしさは皆無である。気温も低い。とはいえからだのこごりはそんなに感じないというか、肩口のあたりは深呼吸のためかぬくもりを感じるくらいだった。布団のしたできのう復活させた手指のストレッチももうやっておく。そうしてChromebookをとると一年前の日記を読んだり、ウェブをてきとうに閲覧したり。一年前は短歌をいくつかつくっていたが、「雲に聞け解決不能の俺たちは何億年もかれらのとりこ」というやつだけ、ちょっとだけよかった。一〇時半を過ぎて離床。水を飲んだり、手指をストレッチしたり、また手首をプラプラさせたり、つま先立ちをしたりとからだの末端をあたためてから瞑想。きのうは四五分ものながきにわたって座りながら身体を観察していたが、きょうは二〇分少々で満足した。食事はきのうつくった煮込みうどんののこりにヨーグルト。キャベツも白菜ももうないのでサラダをつくれない。ドレッシングもないのだ。きょう実家に行くことになっているのだが、コートとかの荷物を持って帰ってくるだろうから、帰りにスーパーに寄るのはむずかしい気がする。実家で食い物をくれる気がするので、きょうはそれでしのいであした買いに行こう。
 食後は白湯を飲んだり、また手指を伸ばしたり、あるいは足も、座ったまま片足をもう片方の腿のうえに置き、足の甲のさきのほうを持っててまえに引っ張るようにして足首や脛の前側を伸ばしておいた。音読もせず書きものもせずだらだらしていたが、一時くらいになって湯浴み。出ると、たいして腹は減っていないけれど豆腐一個とヨーグルトをまた食ったのは、外出前にヤクの二錠目を飲んでおきたかったからだ。いまここまで書いて二時四〇分だが、三時半くらいに出ればよいかな。できればあるいていきたいけれど、窓外からつたわってくる響きからして雨はけっこうな降りであり、(……)駅まであるくとなるとそこそこわずらわしいかもしれない。


     *


 いま一一月三〇日の午後六時なので、この日からもう一週間も経ってしまっている。したがってまたやっつけでゆるくかたづける。さいきんはだいたいいつもこんな感じだが、まあしかたがない。とりあえずなにかしら書けてりゃなんでもいいとおもうし、そのきもちもいっそう薄くなってきたというか、なんでもいいから書かなくてはというこころはないし、べつに書けなきゃ書かなくてもいいというほうによりかたむいている。いとなみが摩耗してきた感があって、その摩耗のてざわり、ごわごわになった着古しの服みたいな感覚はきらいではない。二三日は実家に帰った日で、コートを取りに行ったのだ。けっこうな雨降りだったので(……)駅まではあるかず、ひさびさに最寄りの(……)から乗った。で、行きも帰りもけっこうよくて、車内にひとがすくなかったのもあるだろうが、ceroの『POLY LIFE MULTI SOUL』をイヤフォンからながしつつ席について目を閉じ静止していると、ストレッチしたり振ったりしておいた手があたたかくてきもちよく、からだもかなりおちつくどころか安らぎの感すらあり、ここさいきんではいちばんのリラックスぶりだった。それでどうも手をほぐすのはよさそうだなと判断された。帰りに(……)で降りてホームからあがり、フロアを行っていると(……)線のホームから上がってきたひとびとが密な波をつくって、それをみるにいやな感じが、緊張が身に生じて、これはよくないな、たぶん車内で苦しむことになるなとおもいつつも雨のなかあるくのも面倒くさかったので(というか荷物が重くてさすがにそうはできなかったのだ)、そのままホームに下りていくに、くわえて尿意がちょっと生じていて、それも焦燥につながって余計によくない。しかし一駅だしなんとか耐えればということでいちばん端まで行って、扉際に荷物をおろして立ち尽くし、発車までの時間を待ったが、予期不安はそこそこ高くて安心ができない。発車するとまもなく来るだろうと覚悟を決めていたが、意外にもさほどではなく、動悸が爆発まではいたらず、発作的な状態を一〇〇とすると四〇くらいかなという程度におさまってどうにかなったので、これも手をよくストレッチしておいたおかげかもしれないとおもった。実家にいるあいだもおりおりゆびを曲げていたので。
 往路は(……)まで母親に来てもらうことになっていた。駅を出るとコンビニへ。ちょうど高校生の下校時間で、つまり四時半か五時くらいだったとおもうが、コンビニの入り口には女子高生が何人もつれだってはいるのかはいらないのかよくわからないあいまいな状態でとどまっている。傘を閉ざしていくつもの穴がひらいた傘立てのいちばん端に立て、入店して手を消毒するとすぐ脇のATMに寄って金をおろした。金をおろしたかっただけ。それですぐ出ると傘を回収してまたひらき、そのまま角を曲がって裏路地にはいれば、たしかあれだよなという黒っぽい緑というか緑っぽい黒みたいな色の軽自動車が停まっていたのでちかづいていくと、運転席の横まで来たところで母親もこちらをうかがって、まちがいがないと同定される。助手席にまわって乗車。あいさつしてなんとかはなしながら家へ。
 実家では煮込みうどんがあるというのでいただいた。その他キノコ(瓶詰めのなめ茸)をつかったハンバーグもあるといったがこれはこの席では食わず、ジップロックに入れて持ち帰り(ジップロックってほんとに便利だよね、なんでも入れられるし、と母親は褒めたたえる)、夜の食事でいただいた。米も。あと小粒のジャガイモのソテーも。実家の卓上には新聞があるわけで紙の新聞のなつかしさよ。めくってちょっとだけ読んだ。紙の新聞はけっこうきらいじゃないんだよな。あのパッチワーク感というか。というかGuardianばっかりみていて国内メディアのサイトをぜんぜんのぞかない習慣の現状、紙新聞でも取らなければ日本内の世情や事件やあれこれにうとくなるいっぽうだが、さすがに取る気にはならない。東京新聞とか日経とか、たまにチラシがポストにはいっているけれど。というかよくかんがえたら実家で新聞を読んでいるときも国際面ばかりみていたから、あまり変わらないわ。それで飯を食って卓についたまま母親とはなしたりしていると、階段下にいた父親があがってきたのであいさつして、体調はどんな感じだというのを報告。母親にもはなした内容をもういちどくりかえす。先週の月曜は行きがやばかったし、おとといは電車内はどうにかなっても職場についていやな感じだったので一錠追加で服用し、しごとはまあわるくなかったが帰りで乗り換えたあとがきつかったと。でもまあぜんたいとしてはだんだんよくなってきている気はすると言っておく。帰り際になって父親はまた、いったん帰ってきてここから通うこともかんがえてみたら、ほんとうに、と、これでたぶん三回目くらいになるがすすめてきた。それはふつうに身を案じてくれているということもあるだろうが、母親がけっこういそがしくしておりまた父親も週にいくらか山梨に行っているようだから、こちらが家にいれば母親をひとりで置いておくより安心だし、家事もいくらかやってもらえるから母親の(そして父親じしんのも?)負担もたしょう減らしてくれるという目算もあるのではないか。わからんが。とはいえこちらとしては、せっかく出たわけだしいまさらもどるのもなあというところで、実家にいればいたで楽な部分もむろんありつつもストレスはあるだろうし、端的にひとりでいるのが好きな人種だし、いまのところもどる気はない。体調が悪化してどうにもならなくなればそれはしかたがないが。つってもじっさい、三〇分そこら電車に乗るのはそれだけでだいぶ消耗はするから、勤務の前日のひとのすくない時間にあらかじめ実家に移動しておいて泊まり、つぎの日はあるいて職場に行くとかいう方策は取っても良いかもしれない。
 母親はそういえば(……)でやっていた介護福祉士だかなんだかの資格の講座はすでに終わり、試験もいちおう合格したといぜんにメッセージで聞いた気がするが、いまこんどは(……)でまたべつの講座に行っているのだという。意欲的である。まえのやつは役所の広報に出ていたのをみつけたという経緯だったとおもうが、こんどのやつは、街道沿いの(……)と(……)のさかいあたりの位置に「(……)」という福祉事業所みたいなものがあるけれど、そこのひとにいぜんそういうのがあるというはなしを聞いていたのだとか。これは駅から実家までの車内で聞いた情報だが。なんの機会に「(……)」のひとと会うタイミングがあったのかはよくわからない。それで土曜と言っていたか日曜だったか、曜日はわすれたが、週一だかで朝から電車に揺られて通っているらしい。(……)よりも遠くなったというのにたいしたものだ。(……)大学のちかくだとかいうので、(……)大学ってそのへんにあったのかとおもった。
 父親のほうはとくだん変わったこともなさそうで、こちらにいれば主には畑とかそとのことをやっているのだろうし、山梨では養蜂にとりくんでいるのだろう。それで蜂蜜が取れたらしく、持っていくかといわれたが、もともと蜂蜜というものを食べつけるにんげんでないし、持っていったとしてつけるものもなさそうなのでまあいいかなと落とした。あと今回ベルトをリュックサックに持ってきており、履き物がどれもこれもゆるいので、実家には錐かなんかあるだろうとおもってベルトに穴を増やそうと持ってきたのだったが、母親に錐ある? と聞いてみるといちおう出てきたものの、それで革と突き通して穴をあけるのは意外と労力がかかる。ぐりぐりやったり、火を起こす原始人よろしく両手で回転させたりしていると、しだいを聞きつけた父親が、ドリルでやろうかと言っていったんそとに出て、台座用のちいさな木板と機械を持ってきたので、そのときにはもうひとつはいちおう開いていて錐でもどうにかなりそうではあったのだが、まあせっかくだしやってもらうことに。電動ドリルなので穴じたいは容易に開くけれど、貫通したちいさな穴の縁がバリでただれたようになったので、それを裁縫用の小鋏とか紙やすりとかで処理するのがかえって面倒くさく、しかもかんぜんにきれいにはならない。だからあたらしく開けたふたつの穴がもともと開いていたほうとくらべて不格好になってしまい、これだとスラックスにつけて職場に履いていくにはなあという感じだったので、もっぱら私服用にせざるを得ず、とすればけっきょくあたらしいベルトを買う必要はなくならないわけだ。そしてあたらしいきれいなベルトを買ったら、それを私服にもつかえばよいではないかということになるのがことの順当な道理だから、無駄働きのようになってしまったが、まあしかたがない。ひとまずいまブルーグレーのズボンを履くときはつけている。ゆるすぎてたびたびシャツを入れるとともにズボンの上端をあげなければならない状態から抜け出せたのはよい。
 ほかにたいしたこともなし。母親が(……)に子どもを迎えに行くときに、まえは山道のほうからはいれたのにいまはもう駄目だから、図書館のほうから行って坂をあがってそこに停めて、坂をくだって校門をはいり、校舎の反対側の端まで行かなければならないということを言っていた。まえにも言っていたが。しかし母親のはなしぶりのことだから細部がいまいちつかみきれないところがあり、全容を理解するにはやや時間がかかったが、母親のいう「まえは山道のほうからはいれたのに」というのはかのじょがかよっていた時代ということで、いやそんなむかしとくらべたらいまはもうそうでしょと、じぶんが通っていたころにももうすでに門や柵ができて通行は禁止されていたとこたえた。しかしこのへんややあいまいで、小学校に入学してさいしょのうちはまだ通れたような、門や柵がなかったような気もするし、また放課後になるとそこをとおって(……)に上がっていくのがゆるされていたような気もするのだが、わからない。とはいえこの日に母親のそういうはなしを受けて、またこの翌日の通話でも(……)さんをあいてに語った火遊びのエピソードをかんがえるに、小四くらいのときにはすくなくとも昼休み中はそこを出てはならないとなっていたはずで、そのとき門だか柵だかを乗り越えた記憶もある。いずれどうでもよろしいのだが、そういう小学生時分のいたずらエピソードを両親をまえに語ることになった。もうひとつ、ザクロの樹に生っていた実を取って食ったというのも。こちらは怒られなかった、見つからなかったから、と。あのザクロはけっこう美味かったんだよな。だいぶ酸っぱかったのではないかとおもうけれど、それまでに食べたことのない味で、新鮮だったのだろう。あのザクロってまだあんの? と母親に聞いてみたが、かのじょはそれには注目したことがないらしく、わからないという。校庭から校舎のある石段上にあがっていく階段のとちゅう、道が左右二股に分かれたそのあいだに生えていたのだが。ことによるともうないかもしれんな。なくなる理由もとくに見出せないが。
 持ち帰る荷物はモッズコートに、濃青でチェック柄のバルカラーコートに、スーツのうえに着るJournal Standardの真っ黒なコート、その他冬用のパジャマや、また肌着の新品があるというのももらっておくことにして、そうしたこまかいものに、あとは食い物と本。兄の部屋の本棚においてあった文庫本をいくらか持ってきた。モッズコートは着てきたブルゾンと取り替えて着て帰ればよいというわけで、その他ふたつのコートを入れる袋は、自室の書物ラックの外縁柱にひっかけられていたやつを母親がみつけ、これがいいんじゃないとひろげたのをみてみればNICOLEのもので、NICOLEじゃん! とおもわず口に出してしまったそれはひろげた状態だとスーツとかをおさめるようなああいう感じなのだが、そこからさらに二段階おりたたんでファスナーを閉めることでおおきめの手提げバッグのかたちにできるしろもので、さすがNICOLEだ、その濃紺のジャケットはおれの気に入りだ、とおもった。BANANA REPUBLICのやつより気に入っているかもしれない。もっとも、テーラードジャケットはいまそのふたつしかないのだけれど。リュックサックのなかにはこまかい衣服類を詰め、そのうえに文庫本八冊を乗せたが、ちょっと重そうだったので、食い物を入れてくれた紙袋のほうにいくらかうつした。したがって帰りの装備は、傘+背にリュックサック+コートふたつがはいった真っ黒なNICOLEのバッグ+食料の袋である。(……)駅まではまた母親が送ってくれて、電車内ではうごかないので、実質持ち運びは(……)からアパートまでが主だったが、雨降りだからそこそこわずらわしくはあった。そういえば(……)駅にはいったとき、ホームにちょうど特殊な特急車みたいなのが来ていて、それを撮影する鉄道好きのひとたちがたくさんあつまってうろついていた。ホームに階段をあがっていくときも、はい、じゃあよみうりのひとはこちら! こちらでーす! とか小旗をかかげて先導する男性と、そのあとをぞろぞろついて下りてくる一団がみられたし、鉄道好きをターゲットにしたそういうツアーみたいなものが組まれていたようだ。けっこういるのだなあとおもう。ほうぼうの駅で、電車が発車するときもしくは来るときに、ホームの端のほうでカメラをかまえているすがたをみかけることはわりとあるけれど、今回のようなかたちでたくさんあつまっているのを見るのははじめてだった。しかも地元の駅に。老いも若きも幼きもいたな。年齢層はなかなか幅広い。その特急車みたいなものは写真撮影のためにしばらくとどまっており、それが退去してからこちらの乗る電車が来るかたちだったので、階段開口部の反対側、縁壁の脇に荷物をおろして立ち尽くして待っていたのだが、そのあいだ左のそばには中年から高年くらいまで混ざった数人の鉄道ファン男女がいて談笑しており、そのなかのいちばん高年とみえた男性はひとのいないときに車両内の映像や音をとってどこかにあげているらしく、いつも音録るよね、よく録ってるよね、とか女性から突っこまれていた。たしょう反響はあるらしい。


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  • 「ことば」: 31, 9, 24, 16 - 20
  • 日記読み: 2021/11/23, Tue.