2023/1/9, Mon.

 白い土埃が円形の視野に侵入してきた。女性が、わたしの所有者になる人が、片足でトントン道を叩いて、ほっそりした靴の爪先で土埃を立てていた。わたしは靴全体が見える位置まで視線をずらし、たちまち心を奪われた。どんな贅沢を夢に見ても、これほど美しい靴は想像したことがなかった。ピンクがかった淡いクリーム色の最高級の鹿革製で、優美そのものの風合いで、南国の果物の皮みたい(end104)に産毛で覆われている(もちろん、そんな果物も現実には見たことがなかった)。女王か、四季を通して花びらの散り敷く道を歩く幸運な人にこそふさわしい、そんなふうに思える靴だった。わたしごときが歩くふつうの道の土埃で汚すのは冒瀆以外のなにものでもない――そのわたしはといえば、靴にすっかり魅了され、自分が置かれた恐ろしい状況のことも忘れかけていた。
 「『おはようございます、奥さま』くらいおっしゃいな。礼儀を教わらなかったの?」
 耳に心地よい奥さまの声は、楽しげでありながらどことなく険悪で、大きな高圧的な声ではっきり命じられるか、褒められるか、叱られるかする状況にしか慣れていなかったわたしには、なんとも理解しがたいものだった。戸惑いと驚きに思わず顔を上げると、声に劣らず理解しがたい表情が待っていて、すぐまたわたしは目を伏せた。遠目には女性の面差しの細部までわかったわけもないのに、靴と同じでどこを取っても優美なはずだと、わたしは見もしないで決めてかかっていた。眩惑され、圧倒されて、ことばをかけるどころか顔を見るのも無理だった。その声、いでたち、しぐさ、なにもかもが、過去の狭い生活で出会ったどんなものともまるで似ていなくて、わたしのなかにこれでもかというほどの不安と混乱を引き起こし、なけなしの思考力まで奪い去ったのだ。不安をつのらせながらじっと見つめていると、足のトントンのテンポが速まった。土埃の小さな塊が舞い上がっては舞い下りて、道路のそこが脈打っているかのようだった。女性がふたたび口をひらき、若い男性を息子だと(end105)紹介したときには、靴はうっすら埃をかぶっていた。
 「このフェリックスがおまえの主人よ。礼儀正しいところを見せておいたほうがいいんじゃないこと?」
 ますます不安をかき立てられて、わたしはふたたび顔を上げた。もはや声はあからさまな脅しになっていたけれど、あいかわらずわたしには理解しがたいものだった。「主人」として紹介された人物はどう見てもわたしと何歳もちがわないように思えたが、洗練されて自信たっぷりなその態度に気圧されて、わたしはまたしても靴に目を落とした。靴は今やもわもわと土煙に包まれていた。
 「なんとかおっしゃいな! おまえは人間のはずでしょうが――口のきけない小ネズミでもあるまいし」
 脅しを戯 [おど] けにくるむという奥さまの奇妙な物言いは、どれほど激しい怒りの爆発よりも恐ろしいものだった。包み隠しようのない怒りをたたえた軽口は、なんだかあらゆるものを非現実的に思わせた。堅牢な世界が揺らめく夢の風景のなかへ溶けて消えていくような気がした。こんな不条理な雰囲気のなかで、自分がとんでもない大罪を犯さなかったと断言できるわけがない。それどころか、これはまちがいなく罪を犯したせいだ、身に覚えのない行為の結果から救われることは決してないのだと、急にそんな気持ちになってきた。この名もなき罪という考えにわたしはすっかり打ちのめされて、石にでもなったように立ちつくすばかりだった。神にも人にも、もはやすがることはできなかった。(end106)
 ところが、ここまで追いつめられていてさえ、あの靴はささやかな慰めの源となって、なおもわたしの想像力に不思議な支配力をおよぼしつづけていた。靴の片割れが離れたところでじっと控えていることに、今さらながらわたしは気づいた。どことなく、落ち着きのない相棒がかき立てる砂埃を避けようとしているようにも見えた。その控え目なようすがうかがわせる優しさにわたしは迷わず身を委ね、同時に、そちらの靴に自分の命運をかけた。今のところ、その美しい表面は損なわれていなかった。土埃よあの上に落ちるなと、わたしは全身全霊で念じた――もし靴が土埃をかぶったら、わたしの命運は尽きるのだ。
 (アンナ・カヴァン安野玲訳『草地は緑に輝いて』(文遊社、二〇二〇年)、104~107; 「小ネズミ、靴」)



  • 一年前から。カール・ゼーリヒ/ルカス・グローア、レト・ゾルク、ペーター・ウッツ編/新本史斉訳『ローベルト・ヴァルザーとの散策』(白水社、二〇二一年)を読んでいる。

ゴットフリート・ケラーについての評価。この本のなかでヴァルザーはケラーを一貫して最大限に称賛している。66: 「それにしてもケラーはなんと比類なく、高邁なものを低俗なもの民主的なものと結びつけ、そうすることで人間的なものにする術を心得ていたことでしょう」。75: 「『緑のハインリヒ』ほどに熟慮をうながす書物があるだろうか、自分はこの作品を「おそろしくすばらしい」と思う。年々すばらしくなっていく」。

矛盾。31~32: 「スイスの話し言葉で書く試みには、彼、ローベルト・ヴァルザーは、ほとんど関心がないという、「私は意識的に、方言では書かな(end31)いようにしてきました。あれは大衆への見苦しい擦り寄りであると、一貫して考えてきたのです。芸術家は大衆に対して距離を置かなくてはなりません。大衆が尊敬の念を抱くようでなければならないのです。他の書き手よりも大衆のそばで書くことにわが才能の証しを見出そうとする作家は、お馬鹿というほかないでしょう」(一九四〇年九月一〇日)。たいして、88: 「いったいに作家というものは、どの文学ジャンルに向かうべきかを、自身の判断で決めなければならないのです。ことによると作家はやっとまたひと息つくためにこそ、あのような長編小説を書くのかもしれません。周囲が是とするか非とするかは、まったくどうだってよいのです。得るものがあるところでは、失わねばならぬものもあるでしょう。もしもう一度最初から始められるなら、個人的なものは徹底して閉め出し、大衆を喜ばせるべく書くでしょう。私は自由にやりすぎたのです。大衆を避けて通るなど許されないのです」(一九四四年一月二日)。

もろもろのこまかい斟酌や考察は措いてかんがえれば、「芸術家は大衆に対して距離を置かなくてはなりません」という前者の発言と、「もしもう一度最初から始められるなら、個人的なものは徹底して閉め出し、大衆を喜ばせるべく書くでしょう。(……)大衆を避けて通るなど許されないのです」という後者のことばとは、一見して反対のことがらを主張しているようにおもえる。このあいだに三年と四か月の月日がながれているので、その間にヴァルザーのかんがえが変わったという可能性もむろんあるけれど、主観的な印象としては、そもそもヴァルザーはこの件について、本質的な首尾一貫性などもっていないのではないか、というかんじを受ける。それはかれの小説の登場人物に受ける印象とおなじである。だからじぶんは言語的フィクションにおける人間を作者当人に反映させてかんがえるという点で、ここで素朴かつ粗雑な誤りを犯しているのかもしれないが、なかみがスカスカで、本質がないように見え、言っていることややっていることが本気なのか否か判断がつかず、そしてそれにもかかわらず独特のありようでひじょうに感動的なリアリティにみちみちているというのが、ヴァルザーの登場人物にたいしてかんじるこちらの印象である。まがいものがまがいもののままでこのうえないかがやきを獲得している、いわば、人形の生命とでもいうもの(それはたぶん、「生命を付与された人形」とはちがう)。かれらは作中のいたるところで嬉々として二項対立をもてあそび、常識的な価値の序列を転覆させたりかき乱したりするたぐいまれなる詭弁家なのだが(その系譜はあきらかにカフカに受け継がれている)、それとおなじで、ゼーリヒの報告する作者ヴァルザーも、持論としてのおおまかな方向性はもちろんありつつも、そのときどきの文脈のながれとかいきおいに乗って、自由にこだわりなくアフォリズムをくりだしているのではないか、というかんじを受ける。

もうひとつ。81: 「〈ちょっとした意見 [ベメルキグリ] 〉を言わせていただきましょう、文明の誘いに抗し、昔ながらのありように忠実でいたならば、アビシニアの人たちはこんな状況に陥ったりしなかったのではないでしょうか。昔ながらのありように忠実であること、いつでもどこでも、これが大切なのです!」(一九四四年一月二日)。そして、100: 「若い頃はとかく祝祭的なものに惹かれるものです。日常に対しては敵意すら抱いてしまう。翻って老年にあっては祝祭日よりも日常を信頼するのです。普通のことのほうが、不信感をもたらす普通でないことよりも好ましくなるのです。人間はそんなふうに変わっていきます、そして変わっていくことは良いことなのです」(一九四四年一二月二八日)。

一見するに、「保守」(「昔ながらのありように忠実であること、いつでもどこでも、これが大切なのです!」)と「変化」(「変わっていくことは良いことなのです」)との背反が見てとられるが、これにかんしては、アビシニア(というのはイタリアに侵攻・占領されたエチオピアのことである)についての評価は国家的規模でのひとびとのありかた、共同体の総体的な「状況」について述べられたものであるのに対し、後者は「日常」や「普通のこと」にかんする個人的態度という文脈にある発言なので、たんじゅんに対比させることはできないともかんがえられる。うえに挙げた例も、「もろもろのこまかい斟酌や考察は措いてかんがえれば」と付言したように、詳細に見てみればそこに(ずれをはらんだ対立はあっても)真っ向からの矛盾はないのかもしれない。あるいは、これもうえでふれたように、個々の発言のあいだにそれなりの時間が過ぎているし、ヴァルザーじしん数か月や数年前の過去にじぶんが言ったことをそんなに詳しくおぼえてはいないだろうから、記録にのこったことばが相互に矛盾していても特に不思議なことはないのかもしれない。ただ、ヴァルザーの話法や言動じたいが、読者にたいしてより矛盾の印象をあたえやすいようになっている、ということは言えるのではないかとおもう。つまり、かれは具体的な話題にさいして、それをかならずアフォリズム的な一般性の領域までひろげてはなしを締めくくらなければ気がすまない、そういう習癖をもっているのではないか、とおもえるほど、そこここで格言じみたことばを撒き散らしているのだ(それもまたかれの小説の登場人物とおなじなのだが、ヴァルザー当人のことばをそのようにひろいあげ、編集してこの書物に記述したのはカール・ゼーリヒであるわけで、ヴァルザーの熱心な支援者であるかれはとうぜんその作品を好んでいたはずだから、そういうゼーリヒがヴァルザー本人のなかにも作品の人物のようなところを見たいとか、作品中のようなことばを聞きたいという期待をもったり、さらにはより積極的に作者と人物の重ね合わせを演出しようとしたとしてもおかしくはなさそうだし、それを意図していなかったとしても、おのずから作品との類似や共通点がとりわけかれの印象にのこり、おおく記録された、ということもあるかもしれない)。だから個別的なはなしで終わっていれば矛盾をはらまずそのあいだにむすびつきも見出せなかったような部分が、ひろく一般的なレベルの言明に一挙に拡張されることで、まえと言ってたことちがうじゃんという引っかかりと対比的連関を読者のうちに呼び起こしてしまう、ということだ。

  • 「読みかえし2」より。

843

  [プロイセンの旅人カール・] モリッツの旅でもうひとつ特筆すべきものに、湖水地方からそれほど遠くない、イングランド北部ダービーシャーのピーク地方にある有名な洞窟の訪問がある。重要なのはそこにはすでに案内人がいて、料金をとって見所を案内していたということだ。ピーク地方、湖水地方、(end154)ウェールズスコットランドでは景色を目当てにした観光が興りつつあった。そして、ちょうどイギリス風形式庭園が詩や書簡の言葉をともなって発展したように、観光の成長にはガイドブックの宣伝と後押しがあった。現代のガイドブックや旅行記と同じように見るべきものとその所在地を解説するものだが、なかには、特に聖職者だったウィリアム・ギルピンのものなど、「どう見るべきか」を教えるものもあった。風景のよき趣味は洗練の証であり、洗練を求める者は風景の目利きの教えを求めたのだ。ギルピンが文筆家として大きな影響力をもつに至ったのは、おそらく彼の同時代人が、まるでのちの時代の人びとがガイドブックからテーブルマナーや宿の主人とのつきあい方を学ぶようにして彼の著作を読んでいたからではないだろうか。というのは、ギルピンの著作はちょうど、それまで上流のものだった風景という趣味を、中流階級が身につけようとした時代に書かれたものだからだ。風景式庭園は贅沢品であって、造ったり利用したりするのはごく一握りの者に限られたが、手の付けられていない風景は実質的に誰にでも開かれていた。そして道中の治安が改善され、路面が改良され、移動の費用が安価になるにつれて、それを楽しみに旅行する中流階級の人びとは次第に増えていった。風景へのよき趣味は学んで身につけるものであって、大勢の人びとがギルピンを導き手としたのだった。「彼女なら古くてねじまがった木の見方を説くような本はあらかた手に入れるでしょう」とは、ジェーン・オースティンの『分別と多感』のなかで、情熱的なマリアンについて語るエドワードの言葉だ。批評家のジョン・バレルはこう指摘している。(end155)

十八世紀後期のイギリスでは、絵画や文芸での表現とはまったく異なるものとして、ただ風景を眺めるということが教養ある者の重要な趣味となり、それ自体がひとつの芸術的実践ともみなされる意識があった。風景に関して適切な鑑賞眼を発揮することが、歌唱に優れていたり、礼節に則った手紙を認めたりするのと同じくらいに価値ある社会的たしなみだったのだ。多くの十八世紀後半の小説のヒロインは、こうした趣味をほとんど目障りなほどの技巧を弄しながら披露するような人物として描かれている。そして作家によっては、単純に風景への趣味を身につけているか否かということだけでなく、そのなかのさまざまな趣向の違いさえ、人物像を書きわける妥当な指標とみなしている場合がある。

 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、154~156; 第六章「庭園を歩み出て」)


844

 今日の読者にとっては、絵のような眺め、あるいは景色のための観光といったものの存在は、風景を好むこととおなじようにそれほど特筆すべきものとは思われないかもしれない。しかし、そのすべては十八世紀に発明されたものなのだ。世に知られた詩人トマス・グレイの湖水地方の旅は一七六九年、風景を見るための最初の観光旅行者がこの地を訪れ、そのことを記録に残した二年後のことだった。グレイもまた同じように記録を残した。この世紀のおわりには湖水地方はもはや押しも押されぬ観光地となり、その地位は未だに揺らいでいない。その立役者は(end157)ギルピンとワーズワースといってよいが、ナポレオンも忘れてはいけない。海外に足を向けていたイギリス人旅行者は、フランス革命ナポレオン戦争の動乱をきっかけに自国を再発見した。旅行者の足は大型馬車から鉄道へ(そして自動車と飛行機へ)と変わった。みなそれぞれにガイド本を携え、それぞれに風景へ目を向け、土産物を買う。そして目的地に着くと歩く。おそらくもともとは、歩くことはいちばんいい眺望を発見するために動き回るプロセスの一部であり、副次的な行動だった。しかし世紀をまたぐころになると、歩行を中心とする旅の趣向も登場し、ウォーキング・ツアーや山登りが夜明けを迎えようとしていた。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、157~158; 第六章「庭園を歩み出て」)


850

 この小説 [『高慢と偏見』] で特筆されるのは歩行に与えられている多様な役割だ。エリザベスはたとえば社交から逃れ、姉妹や求婚者と親密な言葉を交わすために歩く。そんな彼女の目を潤すのは、新旧の庭園の眺めや、北部やケンティッシュ郊外の手つかずの自然だった。エリザベス女王のように体を動かすために歩く場合もあれば、サミュエル・ピープスのように会話のため、あるいはウォルポールやポープのように庭園の散策が目的となることもあった。グレイやギルピンのように眺望を選んで歩くこともあれば、モリッツやワーズワース兄妹のように、周囲から反対さ(end165)れつつ移動のために歩くこともあった。誰しもが楽しんでいたようなゆったりとした散歩に身を任せることもないわけではなかった。新しい目的が託されてゆく一方で以前の目的も失われることはなく、歩くという行為の意味と使い道は増すばかりだ。もはや、ひとつの表現の手段になっているといってよいかもしれない。当時の社会的な制約のなかで生きる女性にとって、歩くことが与えてくれる社会的、空間的な余裕は大きかった。彼女たちは、そこに身体と想像力を目一杯にはたらかせるチャンスを発見したのだ。ついにふたりが互いを理解しあうことができたのは、道連れがいなくなって、エリザベスが「思いきって彼とふたりきりで歩いた」ときだった。その幸福な時間が過ぎるのは早く、「『リジーったら、いったいどこまで歩いてらしたの?』という質問を、エリザベスは部屋に入るなりジェーンに、それに食卓についたときにほかのみなから受けたのだった。ふたりで歩きまわって、自分でもわからないところへ行ってしまったの、と答えるほかなかった」。風景と心の区別はなくなり、エリザベスは文字通りに「自分でもわからない」新しい可能性へ足を踏み出している。それが、疲れを知らぬこの小説の主人公に歩行が果たした最後の役割だった。
 また、この小説を含めて、当時の小説には歩くことが動詞ではなく名詞として頻出することも指摘に値する。「ロングボーンの村から徒歩で少しの距離に within a short walk 家族が住んでいた」「メリトンまで歩くことが朝の楽しみに必要だった a walk to Meryton was necessary to amuse their morning hours」「彼女の好きな散歩道は……自由に出入りできる木立に沿っていて her favourite walk... was along the open grove」などなど。これらは歩くことを「歌」や「食事」(end166)のような、ひとまとまりの意味を備えた振舞いとして表現している。すなわち歩きに出かけることは単に両脚を交互に動かすということではなく、長すぎも短すぎもしない、ある程度の時間を継続する歩行を意味し、心地良い環境に身をおき、健康や楽しみ以外に余計な生産性のない行為に勤しむということを表現している。こうした言葉づかいには、日常的な振舞いを純化し洗練することへの意識を読み取ることができる。人はいつでも歩いていたが、その型式に常にこうした意味を託していたわけではなかった。そして、その意味はさらに拡張されてゆく。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、165~167; 第六章「庭園を歩み出て」)


857

 話題は再びシエラ・クラブになった。クラブが積み重ねてきた誠実な努力に称賛の念を覚える一方で、わたしは、自然への愛を特定のレジャー活動や眺望の美学に結びつけることは、異なる趣味や務めをもつ者の排除につながるのではという危惧を感じた。自然の土地を歩くことは、ある特定の伝統のデモンストレーションとなり得る。それが誤って普遍的な経験として受け止められれば、参画しない者は北ヨーロッパ的なロマン主義の伝統の素養がないと思われるのではなく、自然への感受性を欠いていると思われかねない。マイケルは、彼がリーダーを務めてヴァレリーが食事の世話をしたあるシエラ・クラブの遠征について話してくれた。何名かの会員が善意から都会の貧しい地区に暮らすアフリカ系アメリカ人の子どもを連れてきたところ、子どもたちは完全に気が動転してしまったのだという。彼らはありのままの自然に動揺してしまい、自然のなかで力試しをするという遠征の意図は実現できなかった。魚釣りに連れていった男性と、毎日ハンバーガーをつくってあげたヴァレリーだけが彼らの経験にとって救いだった。そのことを、マイケルはジョン・ミューアについての著書『道なき道』に書いている(シエラ・クラブをはじめとする団体はそれ以来、体験のやり方に工夫を凝らした〈都会っ子のための遠征〉を支援している)。(end256)

我々にとってなによりもショックだったのは、ありのままの自然への感受性は文化的に決定された、不足のない階層に暮らす一部のアメリカ人の子女だけにゆるされた特権であるということだった。遠足に出かけてユートピア的な共同生活の感覚を養うことは、基礎的な価値観を深く共有する人びとの集団という出発点があってこそ可能だったのだ。

 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、256~257; 第十章「ウォーキング・クラブと大地をめぐる闘争」)

  • 「風景」が文化的発明物だということはよくいわれるはなしで、うえの引用からみられるように、ばあいによってはそれは社会階級に条件づけられた所産ですらある。バルトもじぶんのささやかな体験(別荘がある南部の町(ユルトといったっけ?)でよく晴れた日に行きつけのパン屋で女性店員にあいさつするさい、天気がいいとふられたので、それにひかりがとてもきれいで、と言ったところ、はかばかしい反応を得られなかったというエピソード)にもとづいてそのように書いていた。ひかりにたいする感受性やその見方には階級が、したがって文化が刻印されているのだと。『ロラン・バルトによる』のなかのさいごのほうだったはず。じぶんのことをかんがえても、緑のおおくてどこにいても山や丘が空間の外縁にみえるような地域にそだったわけだが、それを「風景」として対象化して感受したのは、おぼえているかぎりでは高校二年生くらいがさいしょのことだった。(……)駅まであるいているかまたはそこから家まで帰っているかのとちゅう、丘に目を向けて、緑がずいぶんあざやかできれいだなとおもったことがあったのだ。同時に、いままでずっと身近にあった風物をそういうふうに明確に「鑑賞」することがなかったという自覚も得ていたかもしれない。ぜんぜん興味がなかったのだ。一六歳か一七歳のころである。そこで風景鑑賞にめざめたわけではなく、草木や花や空やひかりや風を愛でるようになったのは読み書きをはじめてからのことで、小説内の風景描写を(とりわけひかりの描写を)読むことで(そして書き写すことで)、そういう観察のしかた、感受のしかたを獲得し、習得したのだ。感受性とは様式であり、まなばれるものなのだ。
  • きょうは労働で出るまえにあまり書くつもりはないが、いまシャワーを浴びたあとの二時半直前。ここまで特段のことはない。天気はとてもよく、昼下がりのひかりのいろがきのうおとといにも増して濃いような気がする。覚めたときにもカーテンの端からもれだしているいろをみて晴れらしいと容易にわかり、色味のかんじから七時か八時くらいだろうとおもいながらも窓外で保育園がうごいている気配がないので、きょうは一月九日月曜日だけれど祝日だったか、成人の日かなにかか? とおもった。八時四五分だったかに携帯を見て、正式な起床は一〇時二〇分とかか。体操したりしてから瞑想。一〇時三三分から一一時ちょうどまでで、だいぶよろしい感覚だった。寝床にいるあいだ鼻から深い呼吸をするようにしていたし、瞑想のはじめにもしばらくそうして深呼吸したのだけれど、吸うのも吐くのも鼻からやったほうがなぜかからだはまとまる気がする。口で吐くのも血が一気にめぐって身がかるくなるから魅力的なのだが。
  • 出勤路に出たのは午後四時ごろ。路地を南に向かい、公園や建設中の福祉施設のまえをとおりすぎてそのまま車道沿いに出る。西に折れればすぐそこに動物病院があるのだが、いま白い犬をかかえて男性がひとり出てきたその建物の壁には陽射しのいろがまだのこってかさねられており、隣の人家の二階ベランダにはまだ洗濯物が干されてあって、そこにはひかりはあからさまでなくそろそろつめたくなってきそうだが、おだやかな空気が衣服のまわりにただよっているようでなにとはなしに目を引いた。道中、左の車道をはさんで対岸も越えたかなたの空に、建物のひらきによっては満々とした西陽のすがたがあらわになって、いろづいたひかりをななめにおくりつけてくる。この日のルートはそのままずっとまっすぐ、病院のおもてがわを通って(……)通りにはいるものだった。病院の敷地から公園、(……)のまえあたりまでは歩道の際に街路樹が置かれているが、枝をみじかく伐られながらもこまかな葉っぱがのこってかるくよそおっているその色が、色調はさすがに鈍いものの緑から黄から臙脂深紅と混淆で微風にゆらいでいて、ここの木はこんなにカラフルだったのかとはじめて気づいて目にとめた。きょうは成人の日というわけで(……)まえには式を終えた新成人らがたむろしている。振り袖すがたを遠目にみつついったん施設のなかにはいってトイレに行って用を済ませた。出てきて通り過ぎながら目をむけてみると、女性はさすがみんな振り袖で髪もととのえてばっちりきめつつ着物の色や柄もおのおのあってとりどりだけれど、ちかくにかたまっている男連中はどいつもこいつも黒いスーツで(というか礼服だったのか?)、いかにも地味な有象無象がそろいの色服装で地から湧いたようなわだかまりをなしているの感。電話をしたり車に乗りこもうとしている着物らのあいだを抜けて交差点にいたると信号につかまった。そこで向かいにやってきた若い男をみればスーツすがたでスラックスのポケットに手を突っこみ、からだをわずかにかたむけながらとまっていられず無意味な身じろぎをしているようすがいかにもな若さで、大学生か? とおもい、からだのまえで三つ揃えのボタンを留めているようにもみえたので、もしかしてあれも新成人か? 合流するところなのか? とおもっていたが、わたりだしてみるとそうではなさそうで、ボタンは薄くて裾のみじかい上着のものだった。ポケットに手を入れてさむさに辟易するような顔で肩をかたくしながらあるくさまやら、からだの無意味なかたむきなど、立ちすがたのたよりなさはこちらもひとのことはいえない。
  • (……)通りを行っているあいだのことは特に印象にのこっていない。駅の雑踏のなかでは振り袖のすがたをまたみたようだ。電車内もわすれたが、この日も勤務後まで二錠で問題なかった。職場に飛ぼう。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 勤務を終えるころにはまた首の左側から肩や肩甲骨にかけてがこごって、痛いとも重いともつかない鈍いざらつきの停滞が生じていた。いぜんよりは軽いが。電車内で深呼吸をして改善をはかる。しかしこのコンディションでひとの多い乗り換え電車に乗るのに気が引けたので、きょうはあるいて帰るかと決めた。こごりはあるものの、からだ全体としてはそこまで疲労が重いという感覚ではなかったのだ。せっかくなのでというか、行きに来た道をそのまますこしも変えずに逆からたどって帰るかたちにしたが、道中のことはとくにおぼえがない。
  • そういえばこの翌日がプラスチックゴミの回収日で、年末に出すのをわすれてしまってかなり溜まっていたのを、出勤に向かうまえにぜんぶはこんではやばやと出しておいたが、そのときこちらより先んじて大量の漫画本もまた出されてあって、どこの部屋のにんげんか知らないが処分したらしい。まるで退去して引っ越すのか? というくらいの多さだった。たぶんうえの階のひとかな。顔をあわせたことはないが、たまに友人が来ているような声が聞こえることがあるし。しかしあれだけあったらかなり手間がかかったとおもうのだけれど、作業の音を聞いたおぼえもない。たぶんふつうに一〇〇冊いじょうはあったのではないか? 縛られた漫画の塔がいくつもならんでいたので。ちょっとみると、なんか古めのヤンキー漫画みたいなやつがあった。うえの階のひとといっていったい何人住んでいるのか知らないのだが、いぜんひとり、夜に勤務から帰ってきてのぼっていくすがたを目撃した男性がいる。夏だったはずで、ふつうにワイシャツスラックスのすがただったのだが、髪を茶だか金だかに染めていたはず。だから比較的若いようにみえたのだが(二〇代ではないか?)、このひとがこちらの部屋の直上なのかは不明。おそらく違うような気がする。もうすこし年が行っているのではないかというか、わりとおっさんっぽい声がたまに聞こえることがあり、直上に住んでいるのはどちらかといえばこちらではないかという気がする。毎夜午前二時半くらいになるとおもてに新聞配達のバイクが停まる音がして、配達員がドスドスドスドスと、こんな夜でみんな寝てるんだろうからそんなにいそがなくてもいいだろう、もうすこししずかにのぼりおりしろよという感じの足音で階段をいそいであがっていき、三階に新聞をとどけているのだが、新聞を取っているのはたぶん直上の部屋な気がする。とすればそこがおっさんだとしても不思議ではない。いまの若いにんげんはもう紙の新聞なんぞ取らないだろうから。茶髪だか金髪の若者が声色や情報収集手段の点で妙におっさんくさいのでなければ、すくなくともふたり、上階には居住者がいることになろう。こちらとおなじ階には端の部屋に女性がいて、このひとはなんどか行きあってこんにちはとあいさつをしたことがあるが、たしかいままで三回行きあったなかで一回目と三回目は無言の会釈しか返ってこなかった。いつもヒールつきの靴を履いているようなので、扉のそとの通路をカンカン行く音で判別しやすい。平日は朝早くに一回出て、九時くらいに帰ってくることがあるようにおもうのだが(きょうもたしかそのくらいにカンカンいう音がそとを通過したはず)、あれはどこに行っているのかよくわからない。こちらの隣室はずっと空き部屋になっていて、このまま未来永劫空き部屋であってほしいが、ふたつ隣はたぶんだれか住んでいるはず。そとからみたときに洗濯物が窓辺に吊るされていることがあったとおもうので。しかしそのひとの気配をかんじたことはない。ともあれこのアパートにはおそらくこちらもふくめてすくなくとも五人のにんげんが居住している。


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  • 日記読み: 2022/1/9, Sun.
  • 「読みかえし2」: 843 - 857