骨壺たちからの砂
黴のような緑色だ 忘却の家は。
風に翻るいずれの門の前でも 首をはねられたお前の吟遊詩人が青くなる。
かれはお前に 苔と苦い陰毛でできた太鼓を叩く、
膿んでいる足の指で 砂にお前の眉を描く。
かれはその眉を そうであったよりももっと長く描く、そしてお前の唇の赤を。
お前はここで骨壺たちを満たし、そしてお前の心に糧を与える。
- 一年前は(……)くんと通話しており、かれがつとめて心身をやられた会社のことなどあらためて聞いている。かなり特殊な、世間的な一般常識からみてもかけ離れたような、こちらのようなにんげんにとっては地獄みたいな企業だととうじはおもっていたが、社員の労務管理なんかにかんしてはいまはこういう会社も増えているのかな。界隈(というのがどういう界隈なのか不明だが)を知らないのでわからないが。
(……)この会社のシステムはなんでも理詰めで、こまかいところまで理屈で固めてあるのだが、その論理がたしかにそれじたいの筋道はとおるのだけれど、実態とあっていなかったりうまく機能しなかったりまたべつの問題が生じたりすることがままあり、だから一歩一歩踏んでいけばそういうことにはなるのだがなんか騙されたような、釈然としない感じがどこかに残る、という感じのものだったらしい。会社の風土としてもとにかく論理的に明晰なしゃべりかたをするように要求され、それが満たせていないと激しく叱られると。論理性へのこだわりが一周まわってただの馬鹿になっているという上司のエピソードについては過去にも書いたが、いまは割愛する。しかし、ちょっとあいまいだったりあやふやだったりするしゃべりかたをしただけで激昂されるとか、ふつうにパワハラじゃない? とおもうのだけれど、それはまあ(……)くんの上司個人の問題でもあったのかもしれない。社員が時間外労働をしないように労務管理の仕組みが整備されているという名目なのだが、その仕組みというのはたとえばテレワークでもZOOMにつねにつないでおいてほんとうにそこにいるかどうか確認できるようにしておかなければならないとか、業務中に自由にトイレに行くことができずその時間すらさだめられているとか、まあそういうかんじで、規則でガチガチに固めた監視社会といった具合だ。移動中の時間も社員個人の時間ではなく会社の時間だから、業務に関係ないことをしてはならない、というルールもあったという。つまり、取引先に行くときなど、電車内で寝ていたり趣味の本を読んだり携帯をいじったりしていてはならず、なにかしら業務につながるようなことをやっていなければならないと。「会社の時間」といういいかたにあらわれているように、社員個々人の自律性よりも会社としての主体性のほうが重きを置かれる。そのことが端的にあきらかなのが、会社にたいしての貢献や利益を金銭的に数値化して社員の評価をする仕組みで、いまあなたはこれだけの利益をあげてきて、会社はあなたにこれだけの給料をあげたりその他もろもろの経費を提供しているので、差し引きしてこれだけの黒字です赤字ですというのが瞭然となるようになっていると。まさしく資本主義の最先端という感じだが、だから「赤字社員」「黒字社員」というレッテル的な区分けが生まれて、赤字社員はとうぜんながら可及的速やかに黒字社員になるよう努力することを求められる。ひじょうに合理的で効率的ではあるのだけれど、もちろんそこでは人間的意味が希薄化して、個々人の自尊心や自己肯定感をそこなうことになるわけで、それが明確にあらわれでたエピソードをこの日(……)くんはひとつはなしてくれた。上司がかれと同僚をさそって飯をおごってくれたとき、同僚のひとりが、上司はおおくの利益をあげててとうぜん黒字社員だし、会社にたくさん貢献してるのに、赤字社員のじぶんたちがそのひとの貴重な時間とお金をわけてもらって、しかも食事までおごってもらえるなんて、ほんとうはおこがましいよね、ほんらいだったらこっちが上司にお金を払わなきゃいけない立場だよね、と言ったのだという。それで(……)くんはそこそこ衝撃を受けて、え、洗脳されてるじゃん、とおもったらしい。そんな調子で数値に還元された弱肉強食の支配する世界だから、まあ黒字社員は誇らかにやっていけるとしても、そこからあぶれた社員の自己承認はボロボロに壊されるわけで、じじつ毎年辞めていく社員は多かったという。そして、辞めていくのはだいたい、中途入社のひとだったらしい。ほかの会社のやりかたを知っているので、それとくらべるとここはおかしいな、あまりにも行き過ぎているなと判断して離れるわけだろうが、いっぽうで新卒でこの会社にはいったひとはけっこう残っていると。そういう環境に適応して、いわば生え抜きの新自由主義エリートとしてたくましく邁進していくのだろう。じぶんがそんなところで生きていかなければならないとしたら精神を病んで自殺する自信があるが、この企業の仕組みの巧妙なところは、社員じしんが同意し、納得してそういうはたらきかたをしている、という外面的な体裁をととのえるようにできている、という点である。入社のさいにもこういうやりかただということは説明されるし、またひとつひとつ理屈を積んでいって、この会社の仕組みが理にかなっているという結論にいたるよう誘導される。また、一月にいちどだったか、社員の勤務実態が調査され、ひとびとは、時間外労働をしていますかとか、労働量に不満はありますかとか、あまりにも精神的に負担になっていないかとか、そういうアンケート的質問にこたえるようになっている。そこで時間外労働をしていると解答するとおおきな騒ぎというか、厄介なことになるらしく、またとにかくいそがしくてしごとを止めるわけにはいかないから、時間外労働はしていないとこたえざるをえない。しかしじっさいには、とても業務時間内では終わらないような量のしごとを課せられている。だからけっきょくかくれて自宅に持ち帰ってすすめたりせざるをえないと。ほんらいだったらそこで、この量だとじぶんには無理ですというのを相談して、給料を減らすかわりに仕事量も減らしてほしいというのを要望できる仕組みにもなっているとおもうのだが、たぶん上司もとにかくいそがしくてそういう相談をするようなタイミングとか、厄介事をもちこめるような雰囲気がないのだろう。会社側としては、そういうふうに社員に毎月聞き取りをしており、その解答で問題がないとなっていたのだ、問題があるのだったらなぜそのときにそう答えなかったのか? というふうに自己責任論にたよっておのれを弁護し、免責することができる。こういうやりくちはやや知的なヤクザとかマフィアをおもわせるものだが、形式的には、建前としては、制度や構造がきちんときれいに整っているが、実態がそれにともなっておらず、つまり仕組みが望ましく機能していないのに、外面が確保されていればそれでいいとばかりに形式にこだわりつづけ、本質的な中身のエラーはただ排除するだけ、というありかたが、中国をおもわせる気もする。(……)さんのブログで読んだあちらの社会の形式主義というのは、むしろ「外面が確保されていればそれでいいとばかりに形式にこだわり」つつも、じっさいには市民が制度の裏をかいたり抜け道をさがしたり細部を毀損したりして、そのなかでたくましく生きているという事例が多かった印象だが、この会社は建前を守るため、そのちからを隅々まで行き渡らせるために個々人が犠牲にされ、なにがなんでも形式の全体主義に還元され、押しつぶされてしまう、という感じ。(……)くんじしんも、まさしく全体主義、ほんとにそう、ともらしていた。合理と効率を旨とする「働き方改革」としては、ある意味最高の仕組みで、もっとも称賛されるべきかたちと言える。ただ、合理化と効率化というのはすなわち、不要なもの、余計なもの、いらないもの、ノイズをできる限り排除するという原理のことである。それを突き詰めていったさきにあるのはけっきょくナチスじゃないのか、というのが過去にも記したこちらの懸念であり、それがこういう趨勢に違和感をおぼえる根本的な理由だとはなした。資本主義と人種差別は、効率化という原理を媒介にして、ひじょうに相性良くむすびつく余地がある。われわれの社会に必要のない余計な人間種を排除し、社会的なノイズを減らしてスムーズにやろうというのが、ナショナリズム的観念とむすびついた人種差別主義だからである。そこで追求され加速されているのは純化の論理だが、不純なものをかんぜんに排斥して単一の人間種からなる純粋な国民国家というものは、歴史上どこにも存在したことのない虚構だろうとおもう(だからこそ追求されるのかもしれないが)。
- めざめると鼻から息を吐き吸いして深呼吸をくりかえし、からだが各所ほぐれていくのをかんじる。胸や腹や肋骨の下端あたりもさする。しばらくして身を起こして時間をみると九時半をすぎたころだった。カーテンをあければ好天。首や肩をまわし、いったん立ち上がって水を飲み、腕をちょっと振ったりトイレで用を足し顔を洗ったり。洗濯はきのうもやったし、さほど溜まっていないのであしたでいいかなと判断した。布団にもどるとChromebookを電源ケーブルからはずし、ひらいてウェブをちょっとみたり、一年前の日記を読んだりする。その後、いつもなら「読みかえし」ノートに行くところだが、きょうは(……)さんのブログを読む気になり、一月二六日だか二七日だったか、そのへんのとちゅうまで読んだ。そうすると一〇時四〇分ごろだったはず。正式に起床して、布団をいつもとは逆方向からたたみあげておく。ふだんは西窓の外の左側、すなわち陽の当たりやすい南側に洗濯物を寄せて干す関係で、布団もそちらがわから北の足もとにむかってたたみ、床を露出させて窓辺での作業をしやすいようにしているのだが、きょうは足もとから枕のほうにむけて折った。起きたあといつもだいたい窓のそとに出して風や陽を浴びせている座布団を、きょうはなぜか出すのをわすれたが。また水を飲んだり、体操的にからだを伸ばしたりしてから椅子に座って目を閉じた。一一時五分か八分かわすれたがそのあたりから半のまえまで静止。はじめにしばらく鼻から深呼吸して、終わりのまえにもさいしょよりもみじかくそうしてみた。呼吸をくりかえして身がほぐれると息を吐くのにも抵抗がほぼなくなるから、しぜんにまかせているのとあまり変わらないような感覚になる。大事なのは意識的に呼吸をしているかしぜんにまかせているかよりも、そこで呼吸だけに集中せず、それをつうじて身体各所の細部を感じ取ったり観察したり、また外界の知覚情報にひらいてみたりと意識の遊動をさまたげないことなのではないか。それができれば息をみずから吐くか否かはたいした問題ではない気がしてきた。吐くにしても鼻からゆっくりするするとした調子で吐いているので、能動性はうすい。数息観とか、呼吸のみを見つめつづけるような瞑想のしかたもあるだろうけれど、いっぽうで呼吸というのはもともと自動的な機能として身体にそなわっているものだから、かんぜんな行為というよりは半 - 行為みたいなところがあり、また意識的にやるとしてもちからを入れすぎずにゆっくりするする吐いていってはある程度のところで吸うというこのふたつの様態をくりかえすだけだから、行為としてもかなり単純化することができ(そのたんじゅんな大枠のなかに微細な複雑性が刻々生じるわけだが)、だからそれを主としてほかを排除するかたちで焦点化するのではなく、媒介や共連れのようにすることができる。とはいえそれでも意識的に吐けば、横隔膜のはたらきによって弱いながら全身に圧力がおくられて、それで血圧があがったり血流がうながされたりするのだとおもうが、各所の細部が(たとえば首すじとか、耳の付け根の下側とか、太ももの裏とか)ぴくぴくじわじわうごめいたりして、たぶんいま血と酸素が隅までとどいているんだなというぐあいにほぐれてくる。まさしくからだの錆びた部分に油が差されてうごきが円滑化されるようなイメージだ。しかし座っていてもやはり左腕から背中の半分にかけてのところどころにブロックめいたものが差し挟まっているのがよくわかる。静止しているうちにそれもたしょうほぐれてはくるのだけれど、すっきりしきらず、痛みの芽みたいな微妙な固さやこごりがのこりつづける。具体的な箇所としてはまず左の肘のそば。ここにひとつなにかある。手のひらをうえにして左腕をまえに伸ばしたとして、肘のつなぎ目の両側がちょっと出っ張るとおもうが、その右側の、つまり内側の出っ張りからすこしだけ肩のほうにずれた箇所に引っかかりがあって、それが根幹なのかわからないが、このブロックは腋のしたのあたりとか、腕の付け根である肩甲骨付近のブロックと連動しているというのはまちがいないとおもう。腋のした付近も固くなりがちで、むかしから左胸にときおり痛みをおぼえることがあって、心臓がなんかやばいのかなとおもっていたけれど、おそらくこれら各所のブロックがその原因である。推測ではやはり背骨がなにかしらゆがんでいて、そこが根本となって左半身のながれが手先までの範囲でところどころ乱されており、各所でブロック的なとどこおりが生じるとともに、背中で神経にさわって胃のあたりに影響するというのがこちらの見立てだが、真実はわからない。あと上腕の外側もよく凝っているが、これは左だけではなく右腕もそうなので、たぶん打鍵習慣のためである。腕振り体操は上記したすべての箇所に総合的にアプローチできるからけっこういいなという印象で、瞑想後に食事の支度で温野菜をレンジでこしらえているあいだにまたやっていると、肩とか肘とか背とかの骨がかなりゴリゴリなってじょじょにやわらいでいくわけだ。習慣的につづけることでからだの歪みが感知されなくなるくらい是正されるのか否か、一年後を待とう。
- 食事は温野菜と即席の味噌汁と肉まん。米はきのうの夕食でなくなってしまったので、漬けてあった炊飯器を起床後に洗っておいた。ウェブをみつつものを食い、バナナやヨーグルトも食べて薬を飲み、洗い物も適宜かたづけて、味噌汁を溶かすのにつかった湯のあまりをマグカップからちびちび飲んですごし、歯磨きもすませてしばらくすると一時前くらいになったのだっけ。湯を浴びたいところだが、きょうはそのまえにゴロゴロすることにした。布団をおろすとともに、ちょうど陽射しが窓辺に寄ってほがらかないろあいを呈していたので、掛け布団をいくらか陽に当てることに。柵にかけておき、寝床と座布団のうえに横たわると、吉田満『戦艦大和ノ最期』(講談社文芸文庫、一九九四年)を読んだ。そのまま三時まで。すごい本だ。とにかく圧倒的な具体性。軍国主義にたいするいまからのイメージと一致するような価値観とか、勇猛なことばづかいとか、情緒的な部分とか、戦死した兵隊仲間にまつわる「美談」とかもふくまれてはいるのだが、そのいっぽうでそうした価値観や勇猛さにたいする冷静な目や、戦艦大和の特攻作戦が現場の司令官からは終始一貫して批判され反対されていたことや、かれらからみると海軍本部は愚劣きわまりないと映っていたこと、つまりこの終戦間近の時期における帝国軍やその作戦計画のお粗末さなどもありありとふくまれており、カタカナをもちいた文語体で綴られていることもあって、むしろ筆者のそうした冷静な観察力のほうが印象にのこる。そして、戦闘開始以降の圧倒的というほかのない具体性。米軍の航空機隊がどのように攻めてきたかとか、「大和」の機構の仕組みとか、ある時点における戦闘行動の説明とかそういった戦場における細部ももらさず語られていてある種ひじょうに興味深いし、敗滅と死を運命づけられた兵士らがあっけなく死んでいくさまや、浸水によって艦の傾斜がすすむのを食い止めるために反対側に注水をしなければならないとなったときに、機関室で立ちはたらきつづけている機関士たちを犠牲にするかたちで注水がなされざるをえなくなったその経過なども克明に記されている。直撃弾を受けた電探室を筆者がおとずれたところ、そこにいた兵らが「朽チシ壁ノ腰ニ叩キツケラレタル肉塊、一抱エ大ノ赤キ肉樽」(78)と化していた場面が、そうした戦場の惨禍のなかでいちばん印象にのこった部分だ。もうひとつは、艦橋内にいて砲撃を受けたときに、筆者は前後および左にいた三人の兵とひとかたまりにくっつき合うようにして倒れるのだが、そこで「前後ノ兵、トモニヌギ捨テタル服ノ如シ 即死」(93)と書かれている箇所。これらの「肉樽」と「ヌギ捨テタル服ノ如シ」の即物性が、この書物でいまのところいちばんすさまじいことばだとかんじている。とくに後者は、石原吉郎がシベリアでみた、「すでに中身が流れ去って、皮だけになった林檎をつかんだような触感」の死をおもいおこさせる。以下の記述だ。
栄養が失調して行く過程は、フランクルが指摘するとおり、栄養の絶対的な欠乏のもとで、文字どおり生命が自己の蛋白質を、さいげんもなく食いつぶして行く過程である。それが食いつくされたとき、彼は生きることをやめる。それは、単純に生きることをやめるのであって、死ぬというようなものではない。ある朝、私の傍で食事をしていた男が、ふいに食器を手放して居眠りをはじめた。食事は、強制収容所においては、苦痛に近いまでの幸福感にあふれた時間である。いかなる力も、そのときの囚人の手から食器をひきはなすことはできない。したがって、食事をはじめた男が、食(end6)器を手放して眠り出すということは、私には到底考えられないことであったので、驚いてゆさぶってみると彼はすでに死んでいた。そのときの手ごたえのなさは、すでに死に対する人間的な反応をうしなっているはずの私にとって、思いがけない衝撃であった。すでに中身が流れ去って、皮だけになった林檎をつかんだような触感は、その後ながく私の記憶にのこった。はかないというようなものではなかった。
「これはもう、一人の人間の死ではない。」 私は、直感的にそう思った。
(柴崎聰編『石原吉郎セレクション』(岩波現代文庫、二〇一六年)、6~7; 「確認されない死のなかで――強制収容所における一人の死」)
- 惨禍のいっぽうで、戦闘のさいちゅうにふっとくつろぐような瞬間があったりだとか、幹部連が笑みを漏らしていたりだとか、ポケットに入れていた菓子を食ったりサイダーを飲んだりしたときのうまさとか、そういった瞬間も記されていて、おどろくべき観察力によってそこにあったことごとが、物語も美談も情緒も状況の推移も悲惨も余白もふくみこんで総体的にたしかにひろいあげられているという印象をもつ。また、文語体であることが手伝ってか、情緒的な部分も悲惨な部分もそこまでその性質をさらけ出してはこず、カタカナ+漢字の器が粛々としたすごみを語り口や文章に付与しているようにおもわれる。ただ、いよいよ「大和」沈没が避けがたく確定し、じぶんの死を目前にしたときに筆者が導入する、「フト、肋 [アバラ] ノ下ヨリ何ビトカノ声」(108)という自己の内なる声との対話みたいな演出は、これはさすがに脚色にすぎるとおもった(おなじ声との対話は114~116でもくりかえされている)。ここでこの本もしくは作品は、ドキュメントであることをやめて物語になったなとおもった。もちろん、堕したという意味だ。ここまでに書きつけられていることばはすべて、いかにも物語的なエピソードであれ、「美談」のたぐいであれ、それはそれとしてしかしそういうことはじっさいにあるのだろうし、たしかにあったのだろう、とおもえるものだったが、この「声」の発生を借りた自問自答はそうはおもえない。あきらかに、わるい意味での文学趣味にながれてしまったようにみえる。戦場で吉田満がじぶんの死にまつわってのっぴきならない葛藤を体験したということじたいは事実だろうし、それをうたがう理由はなく、その瞬間をなんらかのかたちで書き記し形象化することは、おそらく戦後の吉田満にとって必要不可欠な行為でもあったのだとおもう。吉田満がその葛藤をじっさいに生きたことはたしかである。だとしても、そこに記されたことばはそれを生きていない。とはいえ、この本がすごい本だということはまちがいないとおもう。
- その後けっきょく特攻作戦の中止が決定され(それは明確には伝達されなかったようだが)、生き残った人員たちは脱出することになりながら、作戦遂行に一貫して反対していた伊藤司令長官は自室にすがたを消して自決をしたらしいし、艦長らトップまわりの三人はじぶんの身を互いや羅針儀などに縛りつけて沈没する艦とともに死んでいく。そうした「最期」「御最期」がじっさいにじぶんの目でみた情報や、「帰還」「生還」後の他人の証言から語られて、見事なものとして言われているのだが、そのあたりを読むと、こういうのはいったいどう受け止めればいいのか、じぶんのなかにも困惑や分裂が生まれてなんとも言いがたいな、という状態になる。三時ごろまで書見したのち、湯を浴びて、出てからこの日のことをここまで記述。するといま五時半をまわっている。さきほど米を炊いておいた。
- その他忘却。
―――――
- 日記読み: 2022/2/5, Sat.