2023/3/2, Thu.

 彼ら [ホメロスの描く英雄たち] にとって霊魂(プシューケー)とはなんであったか。彼らの考えでは、死ぬと肉体は滅び、プシューケーはあの世(ハデスの館)へ行く。だから、死後においても、人間はなんらか(end24)の形で存続するとは考えられているのである。しかし、この死後の存在は、肉体の喪失のために、すべてのよいものを奪われたみじめな存在にすぎない。死んだアキレウスの嘆きを聞こう。

 「死をつくろうことは止めてくれ。すべての、命のない死人の王となるよりは、生きて、暮らしの糧もあまりない、土地を持たぬ男の農奴になりたいものだ」(『オデュセイア』第一一巻四八九~九一)

 この時代の農奴とは、財産もなく、土地もなく、自由もなく、ほとんど独立の人格とは見なされえないようなみじめな存在だった。アキレウスのような誇り高い男が、その農奴となっても生きていたいと言うほど、ホメロス的人間にとって、あの世はつまらぬものであり、魂の存続は価値がないのである。魂とは、外見は生者にそっくりだが、力のない、煙のような亡霊である。
 (岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、二〇〇三年)、24~25)




(……)新聞、一面のウクライナの報をみた。ロシア軍は市街地に砲撃をしていると。ハリコフでは州庁舎が砲撃を受けて二〇人だか死亡したという。ベラルーシ東南部の国境ちかくの街ゴメリでおこなわれていた停戦協議はみのらなかったが、協議継続では一致し、ロシア側から全面降伏などの要求はなかったという。とはいえキエフにむかう幹線道路には六〇キロにわたる戦車列が確認されているし、数日内にキエフを包囲して猛攻をはじめるのではないかと米国務省の高官は予測している。一一時半からはじまったテレビのニュースでも情勢がつたえられるが、キエフの放送塔がミサイルらしき攻撃を受けて、市街からひとつ頭抜けてそびえているその高い塔が中途あたりでオレンジ色の炎をみせながら爆発しているさまとか、ほかのおなじような爆発や、しきつめられた瓦礫の映像を目にすると、さすがに動揺する。

     *

二時半。食後、白湯を飲みつつ(……)さんのブログの最新記事をみていると、「また、ロシアの国営テレビで司会者が “Our submarines alone can launch more than 500 nuclear warheads, which guarantees the destruction of the US and NATO for good measure. The principle is: why do we need the world if Russia won’t be in it?” と語ったという情報もある」とあった。”The principle is: why do we need the world if Russia won’t be in it?”のことばは、二八日の記事でふれたプーチンの発言とまったくおなじである。プーチンの思想を完璧に忠実にインストールしている。

  • まだ暗いうちにあいまいに覚めたのだが、さすがにみじかいだろうとおもってからだがふたたび寝入るのを待ち、最終的に時刻を確認したのは七時一七分。その時点でも空気はまださほどあかるくない。さくばんは椅子のうえに座っているうちにねむってしまい、二時ごろ覚めてそのまま就寝にむかったので、まあ五時間くらいの滞在だが、椅子で寝ていた時間もふくめるとわりとちょうどよいのではないか。布団のしたで胸をさすったり腕を揉んだり、手のゆびをちょっと伸ばしたりする。花粉のために鼻が詰まっているので深呼吸がしづらく、きょうは口からすこし吐いた。起き上がって布団を脚のうえにかけたままあぐらになると、首や肩をまわす。もれてくるひかりはまだ白いが、カーテンをあけてみれば空は希薄ながら一面青、晴れの日とおもったけれど、正午現在では曇りのいろになっている。立って水を飲み、腕振り体操を左右前後ともちょっとやってからふたたび臥位に転がって、Chromebookで一年前の日記を読んだ。「読みかえし2」もすこし。離床したのは八時半を過ぎていただろう。晴れだしシーツを洗いたいなとおもったのだが、しかしきのうから薬(「アレジオン20」)を飲みはじめたとはいえ、いまの時期にシーツや布団など干してしまうと、花粉にやられてひどいことになるのではないかとおもいなおして、せいぜいあとで窓外でばさばさやっておくくらいにしようと決めた。立ち上がると水をまたちょっと飲んで腕振り体操。そうして瞑想。さいきんサボりがちだったが、きょうは休日だし比較的はやく起きたので余裕もある。とはいえそうながくはすわらず、たぶん一五分程度だったとおもう。椅子について時間をみたときは九時四分だったが、それから首をまわしたり背もたれに寄りかかってあたまを左右にごろつかせたりしていたので、じっさいに静止しはじめたのは九時七分くらいだっただろう。済ませると食事へ。水切りケース内のプラスチックゴミを始末して、キャベツと大根を切ってスチームケースに。さくやストアで買ったウインナーと豆腐も。電子レンジに入れてまわしているあいだはふたたび窓のほうに行って腕振り体操をおこなう。肩まわりや腕はかなりすっきりして、からだぜんたいに血もよくめぐるだろうから、肌の質感がやわらかくなり、意識があかるく、上向きだったり意欲的になる。カフカもどうせ体操をするならこれを知っていれば、毎晩もうすこし気分良く文を書けただろうに。しかし中国の英知は二〇世紀初頭のプラハには届かなかったのだ……(スワイショウの原典は、禅仏教の創始者たる達磨大師とされているらしく、なんという文献か知らないが万病の治る健康法としてかれが紹介しているらしい)。ところで瞑想をしているあいだのことをひとつおもいだしたが、きのうの帰路の電車内でこちらのまわりに座っていた三人の老人たちのことをおもいだしたのだ。ようすの描写はきのうの記事にゆずろうとおもうが(まだ書いていないのだが)、おのおの六〇や七〇を越えているであろう老人らのなかにひとり混ざった三三歳の我が身をおもい、意気の盛んな壮年のうちと古井由吉ならいいそうな年齢ではあるが(それよりももっと若いだろうが)、じぶんではそんな感じはしないし、かといってさすがにもう若いという感じもせず、どうせすぐにピークを過ぎておとろえるばかりの身になるのだろうなと、老人になるのもあっという間なのだろうなとおもういっぽう、たとえば三三歳を倍してみれば六六歳、ここまで生きてきた年月分をもういちどかさねてもせいぜい六六歳にしかならないのかとかんがえると、これはながいような気がされて、あの老人たちのように、いちにちいちにちをそれだけかさねて長年月のあいだ、それだけの時間の厚みをくぐり抜けて生きていくというのは膨大で、おびただしく、ほとんど無謀なことのようにすらおもわれた。
  • 食事。温野菜を食べたあとは冷凍の唐揚げをおかずに米。米もあと一杯分弱しかなくなり、きのう炊いたので袋のほうも尽きたからまた買ってこなくてはならない。二キロだとさすがにすぐになくなる。温野菜のスチームケースは唐揚げをあたためているあいだに洗ったが、箸や椀ふたつは漬けておき、洗濯へ。まわしはじめて、歯を磨いたのちパソコンをまえにしながら足首をまわしたり手指を伸ばしたり。指を伸ばすさいはWoolfの英文を音読していた。習慣が途切れてしまっていたが、きのうから再開している。To The Lighthouseの二箇所と、まえに「ことば」ノートにくわえておいたWavesの一箇所もあわせて読みはじめた。ただそこは邦訳との対応やわからない単語の調査などをまだきちんとやっていないのだが。そのうち一一時半前に。立って、また腕を振ったり、背伸びをしたり、腰をまえに突き出しながら左右にうごかしたり、開脚して上体を左右にひねったり、前後に開脚して脛を伸ばしたり、冷蔵庫に片手でつかまりながらもう片手で足首をもって脚を引っ張り上げたり。それからきょうのことを書き出して、ここまでで一二時半。洗濯物も食後に干した。
  • 午後八時。いま二〇日をしあげて投稿し、二一日火曜日もつづけてちょっと書き足して終いとした。ようやっと二〇日を投稿できた。書きぶりもかるく、さらさらと違和感なく文を書ける心身が復活してきている。とはいえ打鍵しているとどうしたって腕や肩や背や腰、背面全般がこごってくるのは避けられない。さいちゅう、これはまえだったらかなりいやな感じになっていた状態だな、喉が詰まってきたりみぞおちのあたりがえぐられるようになっていた状態だな、というのがわかるが、いまはこごってきてもそこまでのことにはならない。胃液感もすくない。着々と身体の柔体化がすすんでいる。おおかた腕振り体操のおかげで、打鍵していて肩まわりがかたくなってきたな、疲れてきたなとおもえば立ってしばらく腕を振り、腕や肩があたたまりほぐれてくるとまた座って文を書く、という感じでやっており、じっさいそうしないとおおくの文を書くのは無理だ。きょうは二〇日二一日をかたづけたし、きのうのことも職場に行くところまでは書いたのでけっこうよい。欲を言えばきのうの帰路のことも書いてしまいたいしきょうのことも書いてしまいたいが、買い物にも行きたいのでそこまでできるかどうか。ところで買い出しに出ると言ってもきょうは一時くらいからやたらと風がつよくなり、うえまで書いたあとにまだまだからだがこごっているから寝転がって脚をほぐそうと臥位になり、レースのカーテンをひらいて白い曇り空のあかるさをとりいれながら、小野紀明『政治思想史と理論のあいだ 「他者」をめぐる対話』(岩波現代文庫、二〇二二年)を読んでいたのだけれど、そうすると窓外の洗濯物がびゅんびゅんびゅんびゅん吹かれて吸着的に窓を慕い愛するかのごとくかたむきがちで、これだいじょうぶかなと、ピンチがはずれて飛んでいったりしないだろうなと危惧されたので、書見のとちゅうでもう入れてしまった。その後も風はやまず、たびたび荒れる響きが窓のほうからも扉のほうからも聞こえてきて、台風のまえぶれなのか? というほどだからこんななかを買い物に出るというのも……というきもちにもなるが、しかしつねに変わらず天候と風景を愛好するものとしてこの風のなかをむしろあるき記述するべきだというかんがえかたもできる。お天気模様ほどにんげんにとって重要なものは数少ない。その点でじぶんはプルーストの(というか正確には『失われた時を求めて』の話者の)父親に同意する。かれは話者の友人であるユダヤ人ブロックが、雨に降られながら家にやってきたあと食事の席かなにかで、雨はどうでしたか、かなり降っていましたか、とかきいたさい、このユダヤびとは似非哲学者なので、びしょ濡れの様相なのに、いいえちっとも気づきませんでしたね、なにしろぼくは形而下のどうでもよいできごとにはまったく意識をはらっていないものですから、みたいな返答をしたのを受けて、話者に、あなたにはわるいけれど、あのひとはどうもちょっとあたまがいかれてるみたいだね、というストレートなコメントをあたえたそのながれで、天気の重要性を断言していた。Evernoteから典拠を引こう。とおもったところが、みつかったのはつぎの書き抜きで、肝心のぶぶんが記録されていない(ちなみにこの第一巻は二〇一六年の七月に読んでいる)。

 「おや、ブロックくん、いったい外はどんな天気なんです? 雨でも降ったんですか? さっぱり分からないなあ、晴雨計は上々なのに」
 ところが父の引き出したのはこういう答えだけだった。
 「雨が降ったかどうかは、まったく申し上げられませんね。ぼくは断然、形而下的偶然事の枠外で生きる覚悟を決めましたので、感覚もそんな偶発事をぼくに知らせる労をとろうとしないのです」
 (中略、end168)
 「ぼくは大気の乱れにも、時間の因習的な分割にも、絶対に影響されないようにしているんです。阿片のパイプやマレーの短剣[クリス]などの使用ならば大喜びで復活させるところですが、これよりはるかに危険で、そのうえ俗悪なブルジョワ的用具、つまり時計だの傘だのの使用は、ぼくのあずかり知らぬところです」
 (マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 1 第一篇 スワン家の方へⅠ』集英社、一九九六年、168~169)

  • このあとにあいつは馬鹿だみたいなコメントがあっておもしろかったのに、とおもい、そこまでうつしてなかったかなとブログを検索してみたところ、2021/8/7, Sat. のなかに井上究一郎訳でうつされていた。

 「おや、ブロックさん、どんな天気ですか、そとは? 雨がふったのですか? おかしいな、晴雨計は上々吉だったのに。」
 それにたいして父はこんな返事しかひきだせなかったのだ、
 「それはあなた、絶対に申しあげられません、ぼくとしては、雨がふったかどうかなどと。ぼくはじつに断乎として形而下の偶発事のそとに生きていますから、ぼくの感覚はそのような偶発事をぼくに通告する労はとらないのです。」
 「いやまったく、あなたにはわるいけれど、白痴だね、あなたの友達は」とブロックが帰ったあとで父がいった。「なんてことだ! あいつはきょうの天気のことさえ私に話せない! いや、天気ほど関心をひくものはないのだからね! あいつは低能だよ。」
 (マルセル・プルースト井上究一郎訳『失われた時を求めてⅠ 第一篇 スワン家のほうへ』(ちくま文庫、一九九二年)

  • 読み比べてみてわかるが、父親のコメントがあったのはひとつめの引用の「あと」ではなく、中略されたぶぶんだったのだ。つまりひとつめの引用をうつしたときのじぶんは、父親のコメントよりもブロックの似非哲学者的態度の滑稽さのほうに注意を引かれていたのだろう。ふたつめの時点ではそれにたいして、父親の率直なけなしぶりと、天気にたいする偏愛というまたべつの滑稽さのほうにおそらく焦点がうつったのだ。
  • いま三日の午前一時二六分。さきほどきのうの帰路いこうのことを書き終えた。あとは勤務時のことのみ。すばらしい。じぶんのやるべきことをやっている感がある。きょうは二〇日二一日をかたづけ、きのうのことをおおかた書き、きょうのこともだいたい書いた。のこっている書くべきことはあと、二二日水曜日のこと、二八日月曜日の勤務時のこと、それにきのうの勤務時ときょうのことをいくらかくらいで、二三日以後はメモも取っていないしとうぜんおぼえちゃいないので、いま書いてある分だけで終いとする。いよいよ現在時へと追いつく見込みが出てきたかもしれない。このままコンスタントに日記を書き、始末できる心身を確立し、それを越えて日記いがいの文もつくる生へとそろそろ移行したい。To The Lighthouseの翻訳をやりたい。そのいっぽうで生活もきちんと生活していかなければならないだろう。たんじゅんなはなし、もろもろの掃除とか、ものの整理整頓とか、美容室に予約を入れて髪を切りに行くとか、たまには布団を干したりシーツの埃を取ったりするとか、そういうことだ。じぶんの生き方には生活への軽蔑や軽視がある。こちらが明示的・暗示的にどうおもっているかは問題ではない。生を書くことを優先してしまい、それがかたづかなければほかのことがあまり目にはいらず、目にはいってもやる気にならず、日々を綴ることに日々のおおくが占領されてしまうというありかたじたいが生活を軽視しているのだ。書くことばかりが生ではない。書くために生きているとはもはやおもっていない。書こうが書くまいが生と生活はそこにある。ともあれまずは生きること、生をととのえること、そして生きればそれは書かれる。生きることを書くことによって書くことを生きること、そして、書くことを生きることによって生きることを書き変えていくこと。ビオスとロゴスの、一致ではなく、交流や交歓や交錯であるような、そういう生をかたちづくっていこうではないか。
  • 昼間に小野紀明『政治思想史と理論のあいだ 「他者」をめぐる対話』(岩波現代文庫、二〇二二年)を読んでいるとき、とつぜん南方熊楠のことをおもいだし、というか正確には南方熊楠が留学中にこしらえた膨大な抜書きノートについて研究した本があったなとおもいだし、それはたぶん小野紀明の本のなかでフーコーがすこし出てきて、「集蔵態(archive)」なんていうことばをみたのでそこから連想的に書き抜きノートのことがおもいだされたのではないかとおもうが、それでその後椅子についたさいに図書館のホームページにアクセスして、あの本あるのかなと「南方熊楠」で検索してみたところ、これだというのがみつかった。松井竜五『南方熊楠 複眼の学問構想』というやつ。いぜん書店でこういうのがあるなとチェックした本なのだが、単行本の研究書でとうぜんそこそこ高いので、図書館にあるのはありがたい。それでこれをやたら読みたくなり、きょう図書館に行って借りてこようかなというおもいも高まったのだが、しかしあしたどうせ医者に行くわけだし外出時の用事はひとつの機会にまとめたほうがよいから、図書館に行くならあしたでいいかとこの日は見送った。


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  • 日記読み: 2022/3/2, Wed.
  • 「読みかえし2」: 1251 - 1253
  • 「ことば」: 40, 31, 49