2023/3/7, Tue.

 ところで、イザヤ書は六六章あるが、そのうちの第四〇~五五章は、背信と不義の民に対する神の怒りとその処罰を強烈に説いた第一~三九章とは、異なった雰囲気の内容である。そこで、この部分の著者はイザヤではないと判断され、旧約学はこの無名の預言者を第二イザヤと呼んでいる。
 紀元前五八六年、ネブカドネザルによってバビロンに拉致され捕囚の身となったユダヤ人は、前五三八年ペルシアの大王キューロスによって解放されるまで、異邦の地で悲しみと苦しみの日々を送った。このバビロン捕囚こそ、イスラエル人の神観念を大きく転換させたものである。捕囚以前まで、イスラエル民族はヤーヴェの庇護を受ける特別な神の民と考えられていた。しかし、捕囚によって、この民族信仰は大きくゆらいだ。神ヤーヴェは民イスラエルを助けなかった。彼らは異邦の民の支配下におかれた。こうして、捕囚のユダヤ人の多くはヤーヴェの信仰から離れたのである。(end105)
 いまや、第二イザヤの立場は、捕囚以前の預言者のそれとは逆になった。捕囚以前、アモス、イザヤ、エレミアなどは、ヤーヴェの助けを盲信する民に、神の怒りとイスラエルの滅びを説いた。しかし、捕囚の地で、ヤーヴェへの信頼を失いかけた民に、第二イザヤは慰めの預言ともって、ヤーヴェの救いに希望をもつように励ましたのである。(……)
 (岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、二〇〇三年)、105~106)




  • 一年前から。

(……)風呂のなかでは相変わらず瞑想的に静止する。たぶん脚の毛をはなれて浮かび上がってくる微小な気泡だと思うのだけれど、脇腹のあたりにぷつぷつ触れる感覚があってくすぐったい。しばらく停まっては出て脚に水を浴び、もどってまた停まるというプロセスを何度かくり返した。目をつぶっているあいだ、時計が秒を打ったり、シャワーヘッドから漏れる水滴が落ちてこまかく響いたりする物音を聞く。それらの組み合わせのタイミング、交錯の仕方が不規則で、聞いていると意外と音楽みたいでけっこう面白いのだけれど、こういう物音を人間は普段、全然しっかり聞いてはいないということがよくわかるなと思った。音そのものを聞くということはないというか、何かの音を耳にしたとき、だいたいそれは自動的にこれの音だと分類されて、理解される。聴取と同時に、そういうふるい分けははたらいており、音が耳に入っているということを意識していなくてもそうである。いま耳にしている物音はたいていの場合、それまでの経験から容易に理解され、分類可能な空気振動なので、自覚の有無にかかわらず、世界の秩序はおのずから安定的に保たれている。そういう自動分類が機能しないような音を耳にした場合は、安心できず、違和感が生じるはずだ。つまるところ、感覚とか知覚というものも先験的に概念と意味に侵入されているのだな、と思ったのだった(概念と意味に「侵入されている」とか「汚染されている」とかいう言い方がよくされるが、それは意味以前の世界、もしくは意味の彼方へ向かおうとする根源への回帰に純粋性と真実を見る一種のユートピア思想だろう)。それで安心しているので、われわれは、音そのものを聞こうとするということが基本的にはないし、たぶん聞けないのだと。そうは言っても耳をかたむければ概念的要約に馴染みきらない音の質感、ロラン・バルトの言葉で言ってまさしく「声のきめ」がそこそこ感じられるもので、それはわりと楽しい。

  • 風景。

(……)新聞をよめないので、窓のそとの景色に目をむけながらものを口にはこぶ。風があるようで川沿いの樹壁の、あさのひかりをかけられてふさふさとした淡い緑を白っぽく染めているこずえが、さきのほうはちいさな渦をいくつも巻いて沸くようにざわざわと、したのほうではさしまねくかに左右にゆるく暢気におどって、樹壁はそのむこうに対岸の町の屋根をわずかにのぞかせて、それをあいまに埋めるようにして奥にはまた濃緑の樹々が配されており、川のとなりからそこまでたしょうの距離はあるはずだが、奥の緑もいまおなじようなざわめきにゆだねられて波打って、織りものとしてひとつにつながり空間をなめるほのおのごとく、こずえたちは風に燃えあがりさわいでいた。てまえ、窓枠のしたからは、品のよい赤の粒をかざった梅の枝が、ひそかに、気づかれまいというかのように突端だけ顔を出しており、それもまた風にかすめられて左右にゆらいで、もう花の時なのでちょっとあたまをもちあげ胸を張っただけでも樹冠がのぞけばたちどころに清潔な白さがあらわれる。山に接したせまい空はひかりを吸いこんでとどめたごとく粉っぽい乳白色を横むきにさっと刷かれて青さを惜しみ、みえないたかみも同様らしく午前九時のひかりにみずの質はよわいものの、空間はなべて微光をはらんだおだやかさにじわりとかすみ、白さを塗られた屋根もある。うちつけに、山からはがれだしたように、紙くずめいた白さのかけらが目にあらわれ、きらきらとまではいかないまでもひらめくつばさにわずかはじくものをみせながら、ときにうしろの山に埋没してすがたを消してはまた浮かび、あたりをひとしきり飛ぶと背景のなかにかえっていった。

  • うえの描写は読んだときかなりよく書いているなとちょっと脱帽するようなこころになった。先日もそうだったが、一年前はけっこう、こいつやってんなという感じで充実した文がある。うえの記述は先日のものよりつくったのではないかという感触で、リズムに注意している気がするし、ひらがなへのひらきもかなり多い。これはたぶん意識したのではないか。「きらきらとまではいかないまでもひらめくつばさにわずかはじくものをみせながら」なんてこのながさでぜんぶひらがなだし。リズムとしては、たびたび読点を置いて文の息がおちつきながらながくつづいているのがやはりとうじの心身の充実をあらわしているようだし(体調が良くないとながい文は書けない)、ながい二文目のさいごで「こずえたちは」という主語をこの位置にもってきて締めるのかという点とか、さいごの文で「うちつけに」からはじまっているあたりが目を引くもしくは耳を引くところで、これはいまのじぶんにできるかはわからないリズム感だなとおもった。「青さを惜しみ」といういいかたもちょっとよい。
  • したは通話中のこと。笑ってしまった。

その後はれいによって雑談。なにかのはなしのとちゅうで(……)くんが急に、いかついおっさんみたいな、あるいは居酒屋で酒に酔っぱらっている下町の渋いおっさんみたいな、そういうかんじの声色と口調でしゃべりはじめて、なんなんですかとわらったら、代々木ゼミナールの荻野という数学講師のまねだった。(……)くんは代ゼミにかよっていて、じっさいに授業もうけていたという。なんとかかんとかだとおもうんだよな、おおォゥン、みたいなかんじで、個人言語的間投詞というか、発言のあいだにはさむ自己あいづちみたいなものが、重く深い息をついて低くうなるようなおもむきだったので、なんで射精したんですか? とおもわずきいてしまったが、射精をしたわけではないとのこと。そういうたぐいの声をはさむひとなのだと。マジでめっちゃ似てるからとじぶんで豪語しており、画面共有でYouTubeにあがっている講義の動画をみせてくれたが、まあけっこう似てはいた。いかつくガラの悪い、あきらかに元ヤンキーとみえるひとで、「数学ヤクザ」というあだなをつけられていた気がする。発語のかんじは全体的にいかついとしてもさいしょはいちおうですます調でしゃべっているのだが、もりあがってくると声がおおきくなり、口調も荒っぽくなって、さけぶようないきおいでポイントを断言するのだけれど、その噴出が突発的で、いきなり高潮するのでわらった。あと、とつぜん足を教壇かなにかのうえに乗せてかまえる瞬間もあり、そんなことしたら怒られるでしょとおもいつつ、急に波止場の船長になりましたけど、とつっこむなど、ぜんたいてきにかなり笑った。おもしろい。動画はふたつくらいみたはずだが、ひとつのなかでは説明のとちゅうで急にいらだちはじめて、あーイライラしてきた、どうしようかな、これいおうかどうしようかまよってたんだけど、やっぱりいうことにする、などとまえおきつつ、じぶんが予備校講師としておしえているその根本には生徒にたいする愛があるのだけれど、だから遅刻してくるとか、休んだときにぜんかいの授業の動画をみてこないとか、やる気のないような態度をしめされるとこっちも一気にやる気がなくなってしまう、講師としては失格だが応援したいという気がなくなってしまう、しょうじきそういうやつらには合格してほしくない、とつらつらはなし、なまえをあげないとわからないかもしれない、そこの女ァ! おまえだよ! おれはおまえが大嫌いだ! と全身全霊をこめたようなからだと腕のうごきですばやく生徒のひとりを指してはげしく叱りつけていたので、こわ、めちゃくちゃこわい、とわらった。

  • いちど六時半に時刻をみたが、そこでは起きず、最終的に九時半。九時三二分。きのうは勤務がそこそこたいへんだったし、たいへんだったというか忙しかったし、さすがに疲れはあったようで、覚醒がしゃきっとした感じにならず、意識をとりもどしてはいるけれどからだが鈍くてなかなかついていかないという時間がながかった。それでも起き上がると水を飲み、きょうもさっそく横向きの腕振り体操をやり、血と酸素を肉体にめぐらせてから臥位にもどってChromebookをもった。天気は快晴。ダウンジャケットをまとう必要もない。さいしょのうちウェブをみて、それから一年前の日記に移行したが、一年前はまたウクライナの情報をいろいろ追っていてながく、一〇時半過ぎにいたってまだとちゅうだったがもう起きる気になったので中断して寝床を抜けた。座布団とクッション(というか旧枕)をそとに出し、布団をたたむ。洗濯はいちど立ち上がったさいにはじめてすでに終わっていた。それでふたたび腕振りをしたあとまず洗ったものを干す。カーテンを開けてガラスもひらき、ハンガーにかけて洗濯バサミふたつで取りつけたものをピンチで物干し棒に固定して干していくあいだ、向かいをみやれば保育園の上空は真っ青な晴れ空で、あちらでも屋上の柵のむこうに子どもたちが昼寝につかう布団だろうか薄緑色のや薄黄色のがならんで干されて空にひたされていた。食事へ。水切りケース内のものをとりだしたりプラスチックゴミをスリッパで踏んで始末したり。それから温野菜。キャベツはきのうなくなり、白菜も少量のこっていたのをここで使い切った。あと大根。ウインナーに豆腐。電子レンジでまわす。腕を振りながら待ち、とまるととりだして、まわすまえにはきょうはドレッシングで食おうとおもっていたところがそれをわすれていて気づかず塩を振っていた。それでいつもどおり塩と醤油で食す。あとキーマカレーまん。米もすこしだけのこっていたので払ってしまい、しかし納豆をかけるほどの量ではなかったので「ふじっ子」(というのは塩昆布の佃煮を乾燥させた品のことだが)を乗せていただいた。その他バナナにヨーグルト。体調がよくなってものをけっこう食えるようになり、米もわりとどんどん食っているので、体重はいくらか増えたのではないか。五五キロくらいは行っているのでは? 洗い物を済ませると歯磨き。ヤクも飲んでいる。さくばんあいまいに寝床にうつってしまい、アレジオン20を飲めなかったのでそれもここで飲んだ。食後はウェブをちょっとみたり、Woolfの英文を音読したり。そうして一二時四〇分くらいになるとたたみあげていた布団をもどして、座布団も窓外からもどして横になり、書見。松井竜五『南方熊楠 複眼の学問構想』(慶應義塾大学出版会、二〇一六年)。第二章「西洋科学との出会い」をさいごまで、そして第三章「進化論と同時代の国際情勢」をほんのすこし。80から99まで。南方熊楠が中学校時代につくった「動物学」という教科書的ノートの分類法にふれる段で、哺乳類の分類法の原型をつくった学者としてキュヴィエの名が出てくる。ほか、中学生の南方熊楠は分類法について説明した文章のなかでラマルクやハクスリー(Thomas Huxley)の名をあげている。一九世紀の動物分類学において決定的な役割を果たしたのはキュヴィエで、明治日本もその分類法を導入したというが、いっぽうハクスリーはとうじまだ現役の学者で(一八二五~一八九五であり、一八六七年生まれの南方熊楠が「動物学」をつくったのは一八八〇年から八一年なので、五〇代なかばということになる)、明治初期におけるかれの訳書としては一八七九年に『生種原始論』というもののさいしょの二章が訳されているが、これはダーウィンの『種の起源』についての講義を一八六三年に出版したものの抄訳で、だから動物の分類学についての本ではなく、また南方熊楠もこれをとうじ読んでいたとはおもわれない。ではどこで南方がハクスリーについての情報を入手したのかといえば、もっとも可能性が高いのは和歌山中学の教師だった鳥山啓がかれの『動物分類序説』についての情報をなんらかのルートで入手し、それを南方につたえたのではないかと。つまりとうじ最先端の西洋の動物学の知識を鳥山啓ならびに中学生の南方は受け入れていたとかんがえられる。和歌山中学というのはほかにもすぐれた教師がいたらしく、「江戸時代から学問が盛んであった紀州藩の城下町に設立された和歌山中学が、全国的に見ても高い水準の教師陣を有していたことは想像に難くないところである」(93)という。南方熊楠の西洋近代科学への理解の進展は「動物学」の全四稿を比較考証すると如実にわかり、第二稿などでは『和漢三才図会』や『本草綱目』、また同時代に清で宣教師および医師として活動していたホブソン(合信)の『博物新編』の記述がもとになっているところ、第四稿ではそれらとはちがって西洋近代科学にもとづいた書きぶりになっているらしい。とはいえ和漢の博物誌への関心と、西洋科学への関心とは南方熊楠のなかではつねに内在同居しており、前者は後年「十二支考」へ、後者はアメリカなどでのフィールドワークを経て熊野での隠花植物採集へとつながっていくながれをしめしていると。
  • 書見は一時半くらいまで。立つと便所に行ってクソを垂れ、出てきて腕振りをちょっとやったのち、きょうのことをここまで記して二時二〇分。ゆびはひじょうに軽い。胃液感も微小。きょうはまた四時ごろに出るが、面談同席だけでしごとはすくないので楽ではある。
  • いま帰宅後の一一時六分。Billie Holiday『Lady In Satin』をBGMに、二月二五日と二六日の二記事をブログおよびnoteに投稿した。一年前の日記から引いたウクライナの記事をいちいち引用仕立てにしていかなければならないのでめんどうくさい。帰宅したのは八時ごろ。スーツを脱いで寝間着に着替えると、腕を振り、それから煮込みうどんをこしらえた。キャベツと白菜がもうなかったので帰りにスーパーに寄って買ってもよかったのだが、寄りたいかといえばそんな気分でもなく、むしろはやく帰って休みたいこころがあったのでそうすることにして、冷蔵庫にあったキノコ(エノキダケにブナシメジ)やニンジン、大根、タマネギで汁物をつくることに。スティック顆粒のあご出汁や麺つゆすこし、あと塩味の鍋キューブで味つけ。ひさしぶりに味噌にしようかともおもったが、袋からお玉に取って溶かすのがめんどうくさかったので。布団で休みつつ(……)さんのブログを読んでいるあいだに煮込んで、麺つゆや鍋キューブで味をつけたのはそのあとである。豆腐と麺を入れてOK。
  • 三月一日水曜日と二日木曜日にすこし書き足して完成。問題はこのあと、三日の金曜日と四日土曜日だ。三日は医者と図書館に行った日。こちらはまあもう記憶もたいしてないしそこまでではないとしても、翌四日は映画を見て(……)夫妻とながく過ごしたのでそれらをある程度いじょう書こうとおもえば文量はおおくならざるを得ず、なかなかめんどうくさい。くわえてきのうの六日も勤務時にはいろいろあったのでこれも書くことが多い。
  • 勤務(……)


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  • 日記読み: 2022/3/7, Mon.
  • 「ことば」: 1 - 3