2023/3/12, Sun.

 イエスは、つねひごろ「自分を捨てよ」と言いつづけてきた。なぜ、自分を捨てなければいけないのか。それは、愛するためである。愛するとは、他者を愛することだからである。他者を愛するとは、自分の気に入った人間によくしてやることではない。それは自己愛であ(end135)り、そういうことは、だれでも、罪人でもやっているとは、すでにイエスの言葉として述べたとおりである。そういう愛は自己愛であるから、他者に価値がなくなれば、それで消滅してしまう。他者が地位を失うとか、財産を失うとか、魅力を失うとか、挫折してしまうとか、ボケてしまうとか、自分にとって意味のない存在になったとき、あるいは、むしろ重荷になったとき、そういう愛は終止する。
 だが、イエスの命ずる愛は、自分にとって価値があるかないかにかかわりなく、他者を他者であるがゆえに大切にせよ、ということなのである。他者が無能であろうと、ボケていようと、悪人であろうと、敵であろうとである。それは、自己中心性の全面的な否定である。それが、「自己を捨てよ」という言葉の意味である。このことを、パウロは「キリストは自分自身を喜ばせなかった」(『ローマ人への手紙』一五の三)と表現している。
 (岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、二〇〇三年)、135~136)




  • 一年前よりニュース。

(……)新聞一面にはウクライナ情勢と、東日本大震災から一一年ということできのうの追悼のようすなどが載っている。ロシア軍はウクライナ西部にも戦線をひろげており、軍用飛行場二箇所が爆撃をうけたと。マリウポリでは人道危機状況がたかまっており、米当局はおおくの住民が飲み水を確保できないと述べている。井戸にならんで水をえようとするひとびとの写真も載っていた。ロシアは幼稚園や(精神科)病院にも空爆をおこない、またハリコフの原子力研究施設にも、先日につづいてふたたび攻撃がおこなわれたという。

Switzerland’s government has said it will not change its longstanding policy banning the transfer of Swiss-made arms to a third country despite growing pressure to export them to Ukraine.

     *

Ukrainian officials have ordered a historically Russian-aligned wing of the Ukrainian Orthodox church to leave a monastery complex in Kyiv where it is based, the latest move against a denomination regarded with deep suspicion by the government.

     *

The war in Ukraine is driven by the interests of several “empires” and not just the “Russian empire”, Pope Francis has said in an interview. Speaking to Swiss television RSI, the pontiff described how he had offered to go to Moscow to negotiate peace but had been rebuffed.

 

  • 覚醒は六時台終盤。デスクライトがつけっぱなしだったとおもう。昨夜は通話後に寝床で休んでいるうちにれいによって意識を消失。明かりを消してしばらく布団のしたで深呼吸したりして、身を起こすと七時半だった。水を飲むよりさきにトイレに行って放尿し、顔を洗う。それから出てくると冷蔵庫のペットボトルから黒のマグカップにつめたい水をそそいで飲み、布団のしたにもどってChromebook。ウェブをみるなり日記を読むなり。一年前の日記は記述がすくなかったので、ひさしぶりに「読みかえし」ノートも読んだ。だいたい英文のニュース記事からの引用。あとはユーディット・シャランスキー。八時半くらいに離床し、天気は曇りだったので(空気の質感もここ数日のなかではすこし肌寒いほうだった)座布団はそとに出さず、片寄せて布団をたたみあげておき、腕をちょっとだけ振ると椅子について水を飲み、パソコンをスリープから解除してウェブをすこしまわると瞑想へ。八時五四分から。休みがつづいておりものを読みながらごろごろする時間を多く取っているためからだはかるく、こごりがすくなく、座っていてもしずかでここちよくおちついている。静止感が高い。左手、部屋のそとでは上階のひとが階段を下りてきて廊下にある洗濯機をつかいはじめる気配が聞こえ、去ったあと稼働している洗濯機の響きが、右の穴が詰まっており空気のとおりにくい鼻による呼吸の音と交錯するように、呼気と吸気のあいだにはさまる無音の瞬間にはいりこんでくる。花粉症のために鼻呼吸が苦労だが、それでも吐いた息のあとにおのずと滞空時間が生まれる。二〇分弱。そうして食事へ。きのう買ったキャベツをつかいはじめることにして、ポリ袋からとりだして皮を剝ぎ、切ってスチームケースへ。その他大根と豆腐。電子レンジに突っこんで、まな板包丁をかたづけると床上げしてあった布団をわざわざもどしてごろりとなり、温野菜ができるあいだに書見した。松井竜五『南方熊楠 複眼の学問構想』(慶應義塾大学出版会、二〇一六年)。240くらいからはじめて、いま午後一時直前だが296まで進行。いよいよこちらの関心の主だった「ロンドン抜書」についての章にはいっている。ロンドン滞在中の南方熊楠が、大英博物館の中央、大円形図書室にかよいつめて複数の外国語(和漢の書籍もふくむ)にわたる種々文献からひたすらかきうつした計五二巻のノート群である。「これらはすべて大きさが九インチ×七インチのかなりしっかりとしたつくりの、表紙がマーブル模様、背表紙が革製のハードカヴァーからなる二五〇~二八〇頁のノートに書き込まれている。ほとんどの巻は表と裏の両側から始まり、五十二冊すべてにびっしりと書き込まれているから、総計で一万頁に達する」(270)という。この抜書きのとりくみは一八九五年四月に開始され、「日記の記述からは、五年間の間、連日、七~八時間を費やしたことが推測される。完成させた抜書の数をざっと見ると、一八九五年八巻分、一八九六年十三巻分、一八九七年六巻分、一八九八年十一巻分、一八九九年七巻分、一九〇〇年七巻分となっている」(270)。書籍だけではなく雑誌記事の書き写しなどもあり、だいたいが特定テーマや項目の抄写だが、なかには書籍の大部を筆写しているものもあるらしく、たとえばまさしく一巻目のさいしょにあたるムーラ『カンボジア王国』(一八八三年)というフランス語の本は、はじめに「拇印考」に関連する資料として一部がうつされたあと、「第一巻第二頁から順々に、一頁から数行を抽出するかたちで抄写がおこなわれていくのである。この後、第一巻の他の項目はすべて数行から数頁の断片的なものであり、第二巻の一五〇頁までは『カンボジア王国』第一巻の筆写が続くことになる。つまり総頁数としては四百頁近い分量が費やされており、そこにA4判五一四頁になる原著の要点が書き抜かれている」(286)。書き写された文章の長短は措いて文献数のみにもとづいて分類すると、全五〇〇件弱のうち英語が二〇三件で41.2%、次いでフランス語一三三件/27.0%、和文、漢文、とつづくが、ほかにイタリア語、ドイツ語、ラテン語スペイン語の本も読んでおり、ポルトガル語が一件のみあってこれにかんしてはほんとうに読めたのか不確実なので、「きちんと理解できたのはスペイン語までではないだろうか」(276)という。また、「筆者の印象では、長い筆写が多いイタリア語は、分量から言えば一五%くらいは占めており、逆に短い筆写の多い和文、漢文、ラテン語の分量は、上の表の割合ほどではない」(275)と。いずれにしても、「ヨーロッパの言語に関しては、英語の他は、フランス語を中心としたロマンス語系統に優れた読解能力を持っていたことが見て取れる」(276)。
  • 電子レンジが鳴ると起き上がって実食へ。温野菜のほかは納豆ご飯やバナナにヨーグルト。食事中および食後はGuardianを少々読む。”Don’t forget to floss: the science behind dementia and the four things you should do to prevent it”という記事をとちゅうまで読んでから寝床にかえった。そのまえ、英文を読んでいるあいだに天気をしらべて洗濯をはじめたり、干したり、あと美容室「(……)」に電話して予約を入れたり。先日電話しても出なかったが、こんかいは問題なくつながり、わりと愛想のよくて腰もややひくい感じの男性の声が来たのでこんにちは、(……)と申しますとさっそく名乗ってあいさつし、メンズカットの予約をお願いしたいんですが、と申し出た。いつがいいかときかれるので、来週の水曜日以降でかつできたら午後三時以降が良いと告げると、男性はやや申し訳無さそうな声色で、一五日の水曜日から二〇日の月曜日まではもう予約がいっぱいに埋まってしまっており、いちばんはやくて二二日水曜日の四時半になるがよいだろうかと聞いてきたので、じゃあそこでお願いしますとたのんだ。それから、どこでこの店を知ったのかともきかれたので、ぼくいま(……)に、(……)の(……)に住んでるんですけど、ポストにチラシがはいってた、っていう、となぜかへらへら笑ってこたえ、それでさいごになまえをもういちど確認されて、たがいに礼を言いつつ通話を終了。
  • その後寝床に移動して本を読みすすめた。おもしろいなあおもしろいなあという感じ。からだがととのっていると本を読んでいてもそういう楽天的なきもちになって、いろいろな本をどんどん読んでいきたいという意欲が湧く。書き抜きもしたい。一時まえに立ち、きょうの日記をここまで書いて一時二一分。カーテンのいろはおおかたつやをはらまない生地のみの白だが、椅子に乗ったまますこし身をかがめると空に雲の湧出とともに水色も透けて見え、薄陽が生じて幕をいろどるときもある。
  • 翌日がUlyssesを読む通話だったので、翻訳をわずかばかりつくった。前回つくったのといっしょに合わせてしたに。

 A cloud began to cover the sun slowly, wholly, shadowing the bay in deeper green. It lay beneath him, a bowl of bitter waters. Fergus’ song: I sang it alone in the house, holding down the long dark chords. Her door was open: she wanted to hear my music. Silent with awe and pity I went to her bedside. She was crying in her wretched bed. For those words, Stephen: love’s bitter mystery.
 Where now?
 Her secrets: old featherfans, tasselled dancecards, powdered with musk, a gaud of amber beads in her locked drawer. A birdcage hung in the sunny window of her house when she was a girl. She heard old Royce sing in the pantomime of Turko the Terrible and laughed with others when he sang:

 I am the boy
 That can enjoy
 Invisibility.



 雲が太陽をゆっくりと遮りだし、やがてすっかり覆ってしまうと、陰につつまれた湾はいっそう深い緑色をたたえた。それは彼の眼下にひろがっていた、苦い体液を溜めたボウルが。ファーガスの歌。家にいるとき、ひとりで歌ったものだ、暗く尾を引く情感を抑え気味にして。寝室のドアはひらいていた。母さんが歌を聞きたがったから。畏れと哀れみとで黙りこくったぼくはベッドの横に行った。むごたらしいベッドのなかで、母さんは泣いていた。あのことばのせいなんだよ、スティーヴン、愛のもたらす苦しき神秘っていう。
 いま、どこに?
 母さんが隠していたもの――古ぼけた羽根扇、麝香をふりかけた房飾りつきのダンスカード、安っぽい琥珀のネックレス、鍵をかけた引出しのなかにしまってあった。子ども時代に家の日当たりのいい窓辺に吊り下げていた鳥のかご。昔、お笑い劇の『王様ターコー、おそるべし』で、ロイスが歌うのを聞いたときには、ひとと一緒になって母さんは笑った。こんな歌――

 おれさまったら
 誰の目にも見えなくなるぜ
 透明人間、お楽しみさ

  • さいごの三行はTurko the Terribleという大衆劇からのもので、これについて検索するとJoyce Projectとか、Joyce作品の細部を注釈的に研究した情報を載せているサイトが出てきて、一八七三年だったかにじっさいアイルランドで演じられた作品で、みたいなことが書かれてあるのだけれど、肝心の劇の内容についてはたいした情報がない。いちおう文脈として、この歌がうたわれるのはKing Turkoがひとを透明にするちからをもった魔法の薔薇を手にして、このちからでなにをやろうかなみたいなことを語る箇所だというはなしだったが、そもそもこのTurkoってのは何者やねんというのがKingとあるからにはどうも王様らしいということいがいまったくわからない。その範囲でがんばるしかなかったが、いちおう王様らしいのでじゃあタイトルはそう言っておくかと。そしてこのまったく難解でない、意味としても構造としてもたんじゅんな三行を、しかしどう訳したら適切なのかというのが難事で、苦労した。そもそも集英社文庫版だと一人称が「おいら」となっていて、たしかにI am the boyと言っているわけだけれど、しかしいっぽうでKing Turkoだっていうもんだから、このTurkoは子どもの王様なのか? それともふざけてこう言っているだけなのか? というのがわからず、まあでもどうせなら王様っぽい言い方にしておいたほうがいいかなとおもい、さいしょは「吾輩」をかんがえたのだけれどさすがに固いかと、お笑い劇だからもうすこしくだけた言い方にしたほうがいいかなとおもって「おれさま」にした。このpantomimeというお笑い劇みたいなやつはまたどうやら卑猥な要素もたしょうふくんでいたようなので、たぶんここから透明になって女のひとの着替えなんかを覗きに行けるぜみたいなはなしではないかとおもうのだけれど、それをかんがえるとthat can enjoyのぶぶんを取って「お楽しみ」という言い方で終えればそういうスケベなニュアンスが出るかなと。それでいちおう一人称とむすびの方針は決まったがじゃああいだをどうするかというのに苦労して、けっきょくうえのようなかたちになったが、なにしろ劇の詳細がわからないからどうしたら正解なのかがつかめず、やりづらい。I am the boy that ~ なんていう言い方も直訳じゃどうしようもないし、どう日本語にするよ? という感じで、かんがえるにこれは舞台上で発されるセリフなわけで、そこでI am the boyといえば、いまや透明になれるちからを手に入れたぜというかたちでじぶんの存在をやや強調的にしめすような調子になるのかな、と想像し、つまり「ぼくはね」とか、「おいらはよお」みたいなことなのかなとおもって、「おれさまったら」なんていう言い方にした。わりと苦肉の策だが。それでInvisibilityを「透明」という語にすると固いしみじかすぎるし、これは「誰の目にも見えなくなるぜ」というちからの誇示で二行目に置き、ただそこから三行目を「お楽しみ」だけにするとまたはまらないから、「透明人間」ということばを入れたかったという個人的な趣味もあって、意味が重複するけれど「お楽しみ」のまえにそれを盛りこめば語調もととのうな、という感じ。翌日通話時にこれをあらためて読んでみたら、なんかダサい訳になった気がするな、とおもったが。


―――――

  • 日記読み: 2022/3/12, Sat.
  • 「読みかえし2」: 1261 - 1269
  • 「ことば」: 1 - 3, 6 - 7




 私が歩んだのと同じ道を行く覚悟のある者は滅多にいない。自分自身についての記憶と役人としての確かな将来を、高次の真理あるいは神聖なるものに到達できるという漠然とした希望と引き換えにするのに必要なのは、勇気ではなく、謙虚さだからである。だれかがその人間のことを覚えている限り、姿を消すのにはかなりの器用さが要求される。クルマウのような領地で、責任のある職務に就いていればなおさらである。しかもクルマウは、政府が農民の賦役のみならずいくつかの農場まで失う結果となったあの運命的な年の後ですらなお、帝国中もっとも素晴らしい領地の一つであった。侯爵様はまるで父親が子どもを見るように、自分の領地を毎年訪れ、その繁栄の様子を監督することで知られていた。それゆえ父なし子で、侯爵様よりほんのいくつか年下の、弟と言ってもいいような私の行動もまた、思いやり深い猜疑心をもって見守っておられた。私が父なし子などでないことは、母が死の間際にそれとなく明かしてくれたのであるが。母の葬列に、さらなる苦痛がつづくことになろう。私はもう二度とかくも辛い列に連ならずに済むように、いつか私たち皆を見舞う運命を自ら選び取ることにした。私の名が判読できぬほどに色褪せるのがいますぐか、それとも四世代後か、四十四世代後かは取るに足りないことだからである。諸般の事情が、私の企てを妨げるよりはむしろ容易にした。私の管轄していた領地の面積は大幅に縮小しており、わが知らせを後代に伝えてくれるはずであった二人の子らは流行り病に命を奪われ、いまや教会の墓地に眠っていた。流行り病も、あの不幸な凶作も、妻は根深い迷信にもとづいて、すべて月の不吉な力のせいにした。私にはそんな妻を教え正すことも、妻の無言の非難のこもった苦しみを和らげてやることもできなかった。妻は妻で、私の月夜症が耐えられず――しかもその突然の死を悲しみ、疑いの目を向けるような親兄弟もいなかった。妻を一緒に連れて行くことは、この世を統べる自然法則に照らしても、いずれにせよ不可能であった。私たちのだれもが、最後の境を越えるように、すべてを捨てて行かねばならないのだ。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、233; 「キナウの月面図」)

     *

 当局の指示が住人たちを驚愕させることも珍しくなかった。ここの住人は人類のもっとも優れた代表者から構成されているとは言いがたく、むしろ似ても似つかぬ者たちを無造作に寄せ集めた共同体であり、それをつなぎ合わせているのは、かつて彼らが月との間に結んだ細い絆であった。遠くから望む月は、文化圏ごとにまったく異なる姿を見せていた。私が故郷の二つの言葉に従って、月を男性としてしか想像できなかったのに対して、ここの少なからぬ者たちが誘惑的な女性ルナとして思い描いた。満州人たちには月は神の兎と臼に見えた。そしてまことに遺憾ながら、アングロサクソン的な表現によれば「彼」は、夢遊病者と精神異常者をも惑わせ、ここへ来させた。とくに後者は太陽風の(end236)悪影響の犠牲になった記念碑を数えながら、いつまでも終わらない数え歌を歌うという冒瀆的悪習に染まりやすかった。それは長い月夜に夜通し行われる呪術めいた慣習で、もっとも堕落した者だけでなく何人かの同志が、私たちがここで送っているものをそう呼ぶとするならば、永遠の命を急に失うことで、その罪を償うことになった。完璧な無歴史性がここでの生活の最上の美徳とされる。地上の憂鬱のわずかな名残たりともこの「上」の世界では許容されず、それにもかかわらずその憂鬱に陥った者は、ここでの存在資格を喪失する。月の資料保管員は地球の保管員以上に、どの対象物にも同じように奉仕し、すべての物の利益のために、自分の心をいずれの物にも執着させないという決まりを厳守することを求められるからである。そうでなくとも時間の貪欲な牙は、ほんの一部の物質にしか、そのかつての形態を一定期間保つことを許さないのであるから。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、236~237; 「キナウの月面図」)