2023/3/17, Fri.

 ハイデガーキルケゴールから多くを学んでその実存概念を練りあげたが、『存在と時間』の中で展開される「平均的日常性(durchschnittliche Alltäglichkeit)」という概念が、ここでキルケゴールが批判している大衆的人間のあり方にあたる。この種の人間は好奇心に満ちあふれ、流行に敏感で、いつも噂話を追いかけ、「ひと(das man)」と同じように考え生きることを喜びとしているような人間である。この種の人間をハイデガーは「頽落した人間」と名づけ、私たちはだいたいこのような状態にあると言っている。この状態は、自己自身、本来の自己(eigentliches Selbst)を忘れた状態であり、それゆえに、本来的自己を通してのみ接近できる「存在」への通路を失った「存在忘却」の日常的な姿だ、と考えている。(end211)だから、ハイデガーは、「本来の自己へ立ち返れ」とこのような状態にある人々に良心がささやく、と言うのである。
 ハイデガーの言う「ひと」を大衆とおきかえ、本来的自己を単独者とおきかえ、存在を神とおきかえれば、これはキルケゴールの思想の現代的な言い換えにほかならない。キルケゴールの言う実存とは、大衆の中の同質的単位としての一人ではなく、かけがえのない絶対的な個人である。彼は、大衆は非真理である、とまで言う。なぜなら、大衆は個人をまったく無責任にするからである。だから、実存であるためには、あらゆる意味で普遍性を超えてゆかなければならない。それが、国家であれ、教会であれ、民族であれ、絶対精神であれ、普遍的なものの中に自己を埋没せしめることは、個体としての責任を、すなわち、罪ある者としての本来性を放棄することなのである。
 人間であるということは、普遍的なものの中に解消されないということ、普遍的なもの以上であるということだ、とキルケゴールは考えている。彼においては「単独者として全責任を背負って神の前に立つ」ということが、実存の意味であったが、サルトル(一九〇五~一九八〇)に見られるような現代の実存哲学では、この「神の前に」が脱落して、ただ「全責任を背負う単独者」という概念のみが受け継がれた。
 (岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、二〇〇三年)、211~212)



  • 起きたのはちょうど八時ごろ。晴れではない空気のいろだがからだはあたたまっており、寒さは感じない。胸とか首とか耳のまわりをさすっておき、深呼吸もすこしして、すぐに寝床を抜けた。きょうはうがいをするのを忘れてそのまま水を飲み、トイレに行って用も足すと布団のうえにもどってChromebookで一年前の日記を読んだ。引いておくほどのことはなし。それからウェブもいくらか見て、離床したのは九時半すぎくらいか。きょうは実家に行くことになっており、一二時半には発たなければならないので猶予はすくなく、瞑想はサボる。水切りケースのなかをかたづけると温野菜をこしらえはじめて、おととい買ったチンゲン菜が、一袋にふたつはいっていたのがひとつはきのうつかったその残りのもうひとつを使用し、白菜も開封。チンゲン菜はなかなか良い。醤油に合うし、比較的安い。先日実家でもらったブロッコリーもうまかったのでいいなとおもったのだけれど、ブロッコリーはチンゲン菜よりすこし高い。そのほかウインナーと豆腐を合わせたスチームケースをレンジに送り、まわしているあいだに腕振り体操をおこなった。きのう、胸鎖乳突筋がこごっているとやはり駄目だということに気づき、鎖骨のあたりとか耳のうしろ付近とか、首の横とか後頭部とかをさするとかなりゆるむぞということに気づいたのだけれど、この観点からすると横向きの腕振り体操のほうが首がほぐれやすい気がする。あと肩周りも。前後は前後でほぐれるので両方やるのが良いのだけれど。横向きでやると首がうごいて、かつちょっとひねりのうごきもくわわるのでよいのだろう。きょう実家に行くので、また両親の不愉快なふるまい、とりわけ父親の威圧的で醜い言動を目にしなければならないのかとおもってはやくも先取りのストレスを胃に感じていたのだけれど、横向きでからだを振って首まわりがほぐれるとともにその感覚もやわらいだ。温野菜ができると食事。あとわすれていたが、八時過ぎにいちど床を抜けたさい、水に漬けてあった炊飯器の釜を洗ってあたらしく米を炊いておいた。それで納豆ご飯も食し、バナナとヨーグルトもいつもどおり。食後は歯磨きをしたり洗い物をしたりだがその他たいしたことはやらず、漫然とウェブにふけって時間を無為につぶし、そのうち一一時半にいたった。そろそろ湯を浴びなければならない。また、ロラゼパムの二錠目を飲んでから外出したいので、シャワー後になにかしら食わなければならない。それはまあバナナ一本で良いだろうと決めたが、湯を浴びるまえにまた腕を振ったり、あるいは息を吐きつつ背伸びやストレッチをやっていると時間が過ぎ、シャワーを浴びて出てきたころにはもう正午をまわっていたからだいぶ残り時間がすくない。髪を乾かし、バナナを一本食って、皮はラップにつつんで冷凍庫に入れておき、薬を飲んで、歯磨きもして、そうして身支度。あしたが職場のミーティングなので一泊して実家から行くつもりだった。そういうわけでかっこうはスーツ、といってもいまだジャケットを着ずにベスト姿のうえにモッズコートを羽織るスタイルをつづけており、この冬はけっきょくジャケットを着ずにそれでずっと通したのだが、じっさいきょうあしたはいくらか冴え返るようなのでコートは必要そうだ。天気予報をみたところではあしたの最高気温は一〇度とかあった。実家でも書きものはしたいので、パソコンを持っていくわけだが、今回はふだんデスクに据えてつかっているやつではなくて、Chromebookのほうを持っていくことにした。両者はキーボードの規格が微妙なところでちがうので(たとえばChromebookには無変換キーがなく、カタカナにするには(ふつうに変換候補に出てくればそれでもよいが)最上列の太陽みたいなマークのキーを押さなければならない)、これまでChromebookを書きものにつかうということはなかったのだけれど、デスクに据えているやつはやや古いから大きめで、リュックサックに入れて持っていくのもけっこうかさばって重いし、Chromebookで済めばそのほうが良いわけで、この機会にこちらで文章を書いてみるかとおもったのだった。そうして現在午後六時四五分、じっさいこうして綴っているわけだけれど、ほぼ違和感なく書けるので、ぜんぜんこちらを書きもの使いにしてもよい。むかしは外出して喫茶店とか(……)駅にあったいまはなきロッテリアとかでよく書いていたものだけれど、またたまにはそういうことをしても良いかもしれない。そのほか電源ケーブルとか充電器とか、パソコンを見るときにかけているブルーライトカットの眼鏡とか、あと『イリアス』とかロラゼパムやアレジオン20をリュックサックに入れ、出発へ。部屋を抜けて道に出ると一二時三五分くらいだった。電車まで三〇分ほどしかないわけで、悠長にあるいていては遅れてしまう。兄も来るので「(……)」で必要な品を買いたいというはなしになっており、一時半すぎに着く電車で行くと父親に送ってあったのだ。そうして(……)駅前で合流すると。そういうわけで最短ルートを取ろうと路地を右側に抜け、西方面へ。ガラス窓がひらいている豆腐屋のなかのようすをちょっとのぞきながら過ぎ、(……)通りへ曲がる。公園の梅は、おととい夜にスーパーに出たときには、もう暗中に花の色もみえないなと、白はともかくとくに赤のほうはそうおもったが、昼間にとおってみればあれはこれから咲くものなのか梅ではなく桜なのか、蕾っぽくつぶつぶとした紅色を枝にまとわせているものもあった。直進。深呼吸をしてからだはわりと隅々まで酸素が行き渡っているので、足取りは軽い。通りの出口、(……)通りとの交差部前にバスが止まっており、バスって乗り物にはなるべく乗りたくないなと、とくに乗る必要も機会もないのだがそう思いつつ、そろそろ信号も変わって発車するだろうからあまりそばをあるくと良くないだろうと、そこに立っている細い柱の内側に身をほそめて入り、ローカルな本屋かなにかの店のきわをとおりぬける。そうして信号が変わってバスは発車し、こちらがそのまままっすぐ渡る横断歩道も青になったので通りを越え、裏道にはいった。はいってすぐ背後から男児が母親に、お祭り、お祭りだよ、よかったねえ、お祭り、などとあかるい声でかけているのが聞こえた。子どもは自転車かなにか乗っているらしく、気をつけるよう注意されていたが、すすむあいだもいろいろ言っていて、最寄り駅からすぐ北側にある踏切りまで来ると、「変の踏切り」! と言っていた(「変な」ではない)。そうして、ぼくこっちで見る! と言って、踏切りはちょうど閉まって電車が通るところだったのだが、道からすこし左にはいった位置でフェンスに寄ってたたずんでいた。よくみなかったが、たぶん補助輪つきのちいさな自転車だったようだ。ちなみにその左手を線路沿いにまっすぐ進むと、ホームから見える駅前マンション脇の通路を行って駅正面に抜けることになる。踏切りを越えててくてくとふだんのじぶんからすると軽快なペースで一路西に裏道をあるく。アパートの脇にあれも梅か薄紅の拡散的な、空間に直接吹きつけられたような花木が一本あったりする。先日ひかりによる風景の異化効果を見たタイル風壁のビル付近は、きょうは宙にあかるみがながれず白い平坦さがどこまでもひろがっているばかりなので、たいした印象をもたらしはしない。裏路地を抜けると車や徒歩者や自転車が行き交う大交差点。止められる。首をまわしたりしてちょっと待つ。モッズコートのポケットから腕時計をとりだして時間をたしかめると(さいきんは手首につけるのではなくてポケットに入れるようになった)、電車まであと一〇分少々というところ、まあ間に合うだろうが余裕をもちたいので足はそこそこはやめに行くことにして、信号が変わると幅広の道路を渡って道沿いにずんずん行った。青が点滅しているところもめずらしくがんばって間に合わせる。駅そばまで来ると工事をしており、いちおう誘導の声を出してはいるが無愛想なガードマンが道路にはみだしてつくられている歩行者の通路を片手でしめすのでそちらを通り、歩道にもどるとそこにはラーメン屋「(……)」があって、ながくはないものの行列ができていた。なかにいる男子高校生がスマートフォンを手に友だちとなんとかはなしている。そのへんで向かいに渡り、駅側の歩道をてくてく行き、駅前まで来ると中年いじょうの女性ふたりが、エスカレーターで行く? 階段で行く? などと問答していたがこちらは迷わず階段をのぼり、駅の大通路にはいってひとのあいだを縫いつつ改札へ。くぐった時点でのこり五分くらいあったのでちょうどよい。(……)ホームに下り、先頭に行ってならんでいるひとのうしろにつき、リュックサックを足もとに下ろすと首をまわしたり額や目のまわりをちょっとこすったりして、それから音楽を聞くべく携帯を出すとSMSが来ており、父親で、(……)。そうして音楽はceroの『POLY LIFE MULTI SOUL』を聞き出し、来た電車に乗ると向かいの扉際、車両の角にあたるところへ。しかし背後から同時に乗った母子連れのちいさな男児が、こちらとは反対側の角のあたりにおり、じぶんがいまいる位置は車掌室につづく扉のまえで、そこにひらかれてある窓から線路のさきを見通せるので(扉だけでなくそれにつらなる壁にもある程度ひらいているが)、なんとなくここを見たいんじゃないかなとおもったので、まもなく右手、四人掛けの座席の脇にあたるほうに移動した。そうすると子どもは、音楽で声は聞こえないが、ひろくなった車両端の壁沿いの一画を自由に行き来していたようだ。こちらは立ったまま手すりを右手でつかんで、左手はコートのポケットに入れていたがじきにそとに出して自然に垂らし、そうして静止。けっこうねむくて、立っていても意識がちょっとふわっとしかけそうなときがあった。(……)あたりで右隣の座席で端があいているのに気づいたのでそこに座る。左には一席開けて若い女性。荷物を膝のうえにかかえてそれを支えにしながら寝ているかっこうで、じっさいにはぜんぜん似ていないはずだが(……)さんをおもいだした。何年かまえの塾の生徒で、大学にはいってからはしばらく講師としてはたらいてもいた。こちらも瞑目。するとねむくてたびたびあたまがまえにかたむく。しかしその甲斐あって意識はそこそこ晴れたようで、(……)に着いたあとは視界がいくぶんクリアになっていた。目が回復したというよりも、空間のぼやけかたはじつはほぼ変わっていないもののあたまがはっきりしたことで像がすこし明晰化したのではないか、という印象だった。到着すると降りるまえに三回くらい口からゆっくり息を吐いて深呼吸し、肩周りや全身をほぐしてから降車。
  • そうしていま一八日の午前一時一二分。夕食に風呂を済ませて出てくると一一時前で、そこから自室に下がったあとはまず歯を磨き、そうして白湯を飲みつつ七日火曜日の記事を綴った。(……)さん親子との面談のことしかあとは記すことはなく、ちょっと書いて終えるつもりだったところが、書いているうちにおもいだしてきて四五分くらい書き、そこでからだが疲れていることに気づいたのでいったんごろりと横になってしばらく休み、そのままねむりそうだったがなんとか回避し復活してからまたちょっと書いて終い。だからちょっと書いて済むだろうとおもったのがなぜか一時間弱は綴っているわけで、こんな調子では書きものが生に追いつかないのはとうぜんのことである。しかしそれをどうこうしようという気も起こらないのだが。忘れてしまい書けないことはもうしかたないとして、遡るも当日を書くも気分次第で、その日できる範囲で書けばいいやと。きょう父親は(……)関連の会合で(……)に出かけて夕食時には不在だったのだけれど、先日来たときも聞いたが母親いわくさいきんはしょっちゅう行っていて、帰りはいつもだいたい零時ごろ、ベロベロに酔っ払ってきてくさいしうるさいということだ。じっさいきょうもこちらが風呂を出た時点ではまだ帰っていなかったし、零時くらいだったのだとおもう。夕食はしたがって母親と兄とこちらの三人。小僧寿しで買った海鮮丼やこちらがつくったスンドゥブ、父親が出かけるまえに焼いた餃子にこしらえた生サラダなどをいただいた。そしてきょうは風呂をながくはいれたのが満足である。ひさしぶりに湯に浸かりながら瞑想めいて静止して、やっぱりそれはいいなという充実感があった。一〇時から三〇分くらいは静止時間を取ったのだが、ただその間ずっとうごかなかったわけではなく、じっとしているうちにそういえばと温冷浴のことをおもいだして、実家にいたころは冷たいシャワーをからだに浴びせるのと湯船にはいってあたたまるのをなんどかくりかえすという健康法をやっていて、風呂にゆっくり浸かれるとかそういう温冷浴とかはじっさい体調とからだのこごりにかなり影響していたのだとおもう。それで手先足先だけでもやっておくかと二、三回立ち上がったので三〇分間ずっと止まっていたわけではないが、それでもかなり静止した感、充実感を得た。じっとうごかずなにもしていないのに充実をおぼえるというこの逆説。ただ浴槽のなかというのは瞑想が意外としにくい。姿勢的な面でのことだが。あぐらをかきづらいし、尻のしたが硬いから背を立てているのも苦労なので背中を浴槽の壁にすこしあずけるのだけれど、その感触も硬いしいまいちはまらない感じだ。ただあたたかい湯に浸かっているわけだからきもちはよく、肉体各所がぷちぷちやわらいでいくのも感じられ、それを受け止めるにからだというのも奥が深いなとおもう。つまりこごりがもちろんかんぜんに取れるわけではないし、ここが引っかかっているなというのがつぎつぎに見つかるし、またこのとき胃もちょっとちくちくするような感じで、いったいじぶんのこの胃弱というか腹の違和感はどこから来てるんだろうなとおもうわけだ。胃じたいの問題もあるだろうけれど、やはりどこかのこごりや歪みとつながっているともおもうのだ。さいきんは耳のうしろとか後頭部とか鎖骨あたりをさすると腕の痛みがなくなったとか、ここをさすればここに効くなみたいなのがたしょうわかってきて、やっぱり肉とすじというのはつながっているんだなと。ミクロコスモスでもないけれど、じぶんの身体じたいがそういうふうに、無数の点が無数の点とむすびあい織りなされている微分的なネットワークとしてあるもので、つまり一種のテクストということもできるわけだが、それらの関係の束のうちもちろんじぶんで感知できるのはほんのわずかなぶぶんにすぎないのだけれど、しかしそれはたしかにそういうものなのだろうと。それらのネットワークのつながりや布置を探究するのはおもしろい。みずからのからだを読解するということだ。それもまた古典的・伝統的なおのれを知るというテーマの一環だろう。
  • 実家に着いたのは三時くらいで、一時間ほど休んでからさっそくスンドゥブをつくったのだけれど、そのまえに腹が減っていたのでちいさめのおにぎりをひとつつくって食い、ヨーグルトも食べて、その後料理をすると五時過ぎ、下階にもどると先日同様兄の部屋にはいって、指板や弦がどうしようもなく錆びついて汚れまくっているうえに一弦が切れていてないテレキャスターをVOXのおもちゃみたいなミニアンプにつないでしばらくあそんだ。ふだんアコギしかいじっていないから、ひずんだエレキでやった似非ブルースを録るのも一興ということで、携帯のボイスレコーダーで録音。そのあとクリーンにして再度録ったが、このふたつはすでにnoteにあげてあり、さきほど七日と八日の記事を投稿するあいだに聞いていた。これ(https://note.com/diary20210704/n/n93cb8dce8ec7(https://note.com/diary20210704/n/n93cb8dce8ec7))とこれ(https://note.com/diary20210704/n/n87752d5693eb(https://note.com/diary20210704/n/n87752d5693eb))。意外とまあまあ。下手くそなぶぶんはいくらもあるが。ゆびで弾いているわりにけっこうカチカチしている気がするが、テレキャスターだからか。
  • (……)駅についてロータリーへと抜けると、すぐちかくに軽自動車が停まっており、それが母親の車かとみえてあれかなと近寄っていったが、運転席をのぞいてみるとちがう。そこで目を振ると父親の白い車が発進してこちらに来るのがみえたのであれだなと同定し、空いているほうに移動して止まったところを後部に乗る。兄もいる。どうもどうもとあいさつ。発車してまもなく、あ、炊飯器ありがとうございましたととなりの兄に礼を言い、米をまいにち食ってるよ、と言っておく。それで「(……)」へ。駅前から東へと裏路地を抜けていき、坂道のとちゅうに出て右折すると街道へ。そこでさらに右折してすぐに駐車場、その横にまずは「(……)」があり(ちなみにこの店は(……)の大叔母がやっているらしい(いまでもそのひとが生きていて運営しているのかは知らず、もうしたの世代にうつっているのではないかとおもうが))、「(……)」はそのつぎなのだが、シャッターが閉まっていて休みらしかった。三時までって聞いてたんだけどな、と父親はもらし、ふざけんなよ、とかつぶやくのだけれど、かなり過敏だがわざわざこういうところでざけんなよという悪態を(かなりちいさくだが)ついてみせるところにも、その男性的権力性をみるこころがする。なんというか、性格や人物像としてもともと威勢が良かったり、テンションが高かったり、ガラの悪いようなにんげんだったらむしろなんの違和感も受けないとおもうのだが、父親はふだんべつにそういう感じでなく、他人に会えばそこそこやさしげにふるまっているし、後天的に身につけたたぐいの社交性を演じることもでき、どちらかといえば腰が低いほうだとおもうので、それと照らし合わせてなんだか無意味にいきがっているようにうつるのだ。このあと小僧寿しで海鮮丼を買って帰ろうということで、車中で運転しながら電話で注文したさいの店員(若い女性で、たぶん高校生のバイトとかではないか)とのやりとりにも似たような印象をおぼえた。なんとなく口調が、高圧的というのではもちろんないが、すこし押すような感じがあるというか、たとえば注文を終えたあとにあいてがえーっと……みたいにしているさい、電話番号、とあいてのプロセスを先んじて差し入れるときの語調なんかにそういうものをおぼえたのだ。終わりは丁寧なことばで締めていたが。時間をもどすと「(……)」は閉まっていたので、となりの「(……)」でも良いんじゃないかとなりつつも、あしたの午前でいいんじゃないか(兄が昼前に帰る予定だったので)、行くまえに電話してやってるか確認してみれば、ということになった。それで買い物を済ませて帰ろうということで東へと走り、主には父親の用事で「(……)」に行ったり、あとぎょうざの満洲で餃子を買ったり。その他注文した海鮮丼を受け取るのと、なんか飲み物でもということでコンビニ((……)駅からすこし西側にあるセブンイレブン)に寄ったが、このすべてにおいてじぶんは車から降りずずっと乗っており、それなので帰って降りたときにはからだが固くなっていて、車ってのはじつに窮屈な乗り物だなとあらためておもった。道中、兄とは塾のはなしをちょっとしたり。なにかの拍子に、塾の生徒に聞くと、いまもう一学年二クラスとかだって、とこちらが言ったのを機にそちらにながれ、子どもが減っていて塾業界も生徒がすくない、うちの教室も先月末で受験が終わった子がたくさん辞めてしまったからいまかなりすくない、というわけだが、兄は、家庭教師のトライなんかは業績伸びてるらしいね、と受けた。オンラインでさ、トライはそれに講師がみんなプロフェッショナルだとか言ってんじゃん、と。ああそうね、とこちらは受けつつ、まあでもオンラインは教えるがわからするとクソやりづらいけどね、とコメントすると兄もそうだろうなと同意する。でもいまもう授業をしない塾とかもあるから、とつづけると、ああなんだっけそれ、と兄は言って、なにかのおりに見たことがあるようだ。武田塾っていう、とこちらは名を告げて、むろんそこではたらいたことがあるわけでないので詳しくは知らないのだけれど、(……)さんがそこにいるのでいぜんちょっと聞いたことがあり、どういう感じなのかと兄が問うのに、課題を出してやってきてもらって、毎回テストはあるらしい、それができてるかどうかをチェックするっていう、あとは授業をやるんじゃなくて、勉強の方針とかをこまかくいっしょにはなしてかんがえたりとか、あと進路相談とかをするんじゃないか、よく知らんけど、とはなした。「(……)」という店を兄は知らなかったようで、こんな店あんのか、なんの店なの? とか言っていた。事務用品店というか、さまざまなファイル類だったりがあるはずで、といってこちらも一回しか来たことがない。まえに一回来たなと車中でつぶやいたのだが、それは鬱様態だった二〇一八年の、何月だったかわすれたが五月くらいだったか? それか夏ごろかわからないが、父親に連れられていちど来て、あれかもしれん、(……)のほうにあった精神科にカウンセリングを受けに行った機会だったかもしれないが、それと同時にマクドナルドでドライブスルーでバーガーを買って食ったのをおぼえている。「(……)」に行ったのは父親がなにか書類をファイルに整理するかなんかで必要な道具を買いに来て、ファイル整理というかラベルを貼ってつかえるファイルをたくさんつくるみたいなことだったかな、鬱様態でなにも意欲や感情がないといってもなにかしらやることがあったほうがいいだろうということで、そういう仕事をこちらにあたえてくれたのをおぼえている。きのう(というのは二〇日の月曜日のことだが)だったかおとといだったか、瞑想をしているさいちゅうにこの日「(……)」に行ったのをおもいだし、つれてそういう過去の記憶もおとずれてきたのだけれど、鬱様態だったときにそういうふうに気を遣ってもらったことには、おのずと感謝の念が湧きもした。ふだんしょうじきそんなに家族にたいして実体的な感謝の念をおぼえないし、じぶんは孝行息子ではぜんぜんなく、とりたててそうなりたいというきもちもつよくはないし、家族にたいして、好き嫌いは措くとしても比較的疎外をおぼえるたぐいの人種なのだけれど、にんげん弱っているときにやさしくされればやはりそれはありがたく助かるもので、パニック障害のときと鬱様態のとき、この過去二度の生の底でこちらを追いつめたりせず、鷹揚に見守ってくれたことにかんしてははっきりと感謝していると言える。両親の性格や対応がなにかちがっていればそこで死んでいておかしくなかったし。気を遣ってくれたことはそうなのだが、だからといってことさらにめちゃくちゃ気を遣うでもなく、なんか治してあげたいみたいな能動性を発揮するでもなく(まあ鬱様態のときには、父親は(……)いがいの医者を探してもくれて、それでいちど(……)のほうにカウンセリングに行くことになったわけだが。(……)じゃなかったかな? (……)のほうだったか)、おおきな介入をしようとせずに心配しながらも放っておいてくれたのもありがたかった。母親なんかはその後たまに、ぜんぜん辛さをわかってあげられなくて、みたいなことを言っていたが、むしろそれでよかったのだ。
  • 帰宅後は上述したように一時間ほど休んでからさっさとスンドゥブをこしらえた。兄は自室には下りず居間にとどまっており、こたつにはいってごろんと横になって一時寝ていたとおもう。母親はしごと。スンドゥブの素は鍋に比してあきらかに量がすくないのだが、味が薄くなってしまったとしても鍋にいっぱいつくっておいたほうがあしたも食えるし楽でいいだろうとかんがえ、水をそそいでいくらか嵩増しし、そこに野菜類をもろもろ切ってつぎつぎに放りこんでいく。白菜やタマネギ、ニンジンに大根、あとブナシメジなど。中途半端につかわれてあまっている野菜がけっこうあったのでそれらを消費する。キノコはそういえば兄が駄目なんではなかったかとおもったが入れてしまった。そうして弱めの火でしばらく煮込む。そのあいだに居間のほうにうつり、つけっぱなしになっているテレビのニュースをながめながら腕振り体操をしたり立位でのストレッチをちょっとしたり。完成時、五時半には達していなかったとおもう。ほかは海鮮丼があるし(ちなみに三つ買ったのはこちらと兄と母親の分で、父親は会合で(……)に行くのでいいということだった)、あとは買ってきた餃子なんかのちほど食事のまえに焼けばいいだろうとおもっていたところが、それは父親が出かけていくまえに生サラダといっしょに済ませていった。ギターで遊んだあとは自室のベッドでゴロゴロ休み、上階にあがったころにはもう八時が近くなっていた。行けば母親は電話をしており、あいては(……)さんらしい。きのう(……)の(……)さん(叔母、母親からすると実妹)が彼岸で墓参りに来たところ、(……)さんも毎年来るがこんかいは義兄のほうの親戚の初彼岸とかでそちらに行かなければならず、それであいさつの電話をかけてきたようだった。菓子類も送ってくれたのがこの日届いており、あとで食ったり翌日帰るときにもすこしいただいたりした。兄はこのとき風呂にはいっていたがまもなく出てきて三人で食事。寿司なんてひさびさに食ったわと言いつつ海鮮丼をむさぼる。兄は一時すこし痩せたのがまたもどったとかで、からだはたしかに厚みを増したようにも見え、いちおう気を遣っているらしく生サラダをおかわりしてよく食っていたいっぽう、海鮮丼にはなかなか手をつけず、こちらがものをぜんぶ食い終わって風呂にはいろうというあたりでもまだ蓋をあけていなかったとおもう。家では家事をたしょう分担しているというので、となりの母親がえらいじゃんとかいいつつ笑う。ゴミ出しは兄の担当らしく、きちんと分別をして毎回出していると。洗濯がめんどうくさいと言った。こちらなどは母親の血から性質を継いだのか洗濯は好きでわりとよくやっているほうだとおもわれ、洗濯が好きというよりも干すときに窓をあけて外気や天候にふれるのが好きなだけなのだけれど、兄のばあい四人分だというからそれはたしかにめんどうくさいだろうな、一家ぜんいんの服を干したりたたんだりしなければならないのはと納得した。会話はたいしておぼえていないが、母親が、父親はさいきん「(……)」にしょっちゅう行っていて、そうすると帰りはだいたい零時くらいになる、向こうもはやく帰ってほしいとおもってるだろうに、ベロベロに酔っ払って帰ってくるからくさいしうるさいし、お酒を飲むとおおきな声を出して口調も乱暴になるしいやだよ、というのに、ああいうのがおれはこの世でいちばんきらいなんだよね、マジで、とかさねて、なんか飯屋とかでたまに店員にいちゃもんつけてるやつとかいるじゃん、あれとおなじような感じ、おれはああいうのがほんとうにいちばん不愉快で、マジでぶち殺したくなる、と兄をまえにしながら憚りもなく非難を口にしたが、向かいに座っている兄の反応はとくになかった。先週来て母親とはなしたさいに、兄貴にもこんどそういうことをはなしてかんがえを聞いてみたら、あなたはいまおれのかんがえしか聞いてないわけだし、兄貴がなんていうか、聞いてみてもいいんじゃないの、とすすめておいたが、この日母親が兄にたいしてじぶんの不安やいつもの愚痴のようなことを語っていたのかどうかはあきらかでない。すくなくともこちらが同席しているときはうえのことくらいで、詳しくはなすことはなかったのだが、こちらが来るまえや風呂にはいっているあいだにもしかしたらたしょうはなしていたかもしれない。しかし母親は兄にはそんなに愚痴らないのではないかというのが、なにとはなしのこちらの印象だ。こちらのばあいはなんだかんだ去年まで一つ家のなかにともに暮らしており、実質上父親についての文句や不満をもらすあいてというのはこちらしかいなかったわけだし、三人暮らしのなかでそういう役回りが定着していたわけだが(ひたすらに反復されるその繰り言にうんざりして、おなじ愚痴をなんどもなんどもずーっと聞かせるのをやめてくれと言ったり、かなり苛立ってそれこそつよい口調で怒ったりしたことも過去にはなんどかあったのだけれど、やめてくれと言っても翌日にはまたおなじことを喋っているので、数年前にわりとあきらめた)、兄は大学を卒業して就職したあと、さいしょからだったかはおぼえていないがはやばやと家を出たわけで(つとめだして序盤は神奈川の寮にはいっていたのをおぼえている)、とうじ兄を二三歳とすると一五、六年前で、ということは二〇〇八年、母親はもちろんまだふつうにはたらいていたし祖母もいたわけで、というか母親がここ数年愚痴りつづけているような案件はまだ発生していなかったわけで、つまり兄は愚痴をいうあいてとして母親のなかでそんなに位置づけが確立していないのではないかとおもうのだ。そういう習慣的関係性、もしくは関係的習慣性がなかったので、もしかしたら愚痴りにくいのではないかと。まあなんでもよろしいのだが、あとおぼえているのは兄がなにかのタイミングに、もう三九だということを言い、というか母親が年齢を聞いたのだったかもしれないが、つづけてこちらにも聞いてくるので三三だと言えば、そのとき飲み物かなにか取りに台所に立っていた兄は、三六くらいまではだいじょうぶだみたいなことを口にし、その「だいじょうぶ」というのはいったいどういう意味の「だいじょうぶ」なのかよくわからないのだが、なんかあたらしいことやってみたら? 三六くらいまでは行ける、と言ってもどってくると、どんどんあたらしいことをやるのはいいとおもう、おれもさいきんは会社で業務改善っていうか、やらなくてもいいような、どうでもいいようなことがたくさんあるわけよ、そこを能率化するしくみをエクセルでつくったり、みたいなことをちょっとはなした。具体的にはよくわからないし、エクセルと言っていたか否かもおぼろだが、後輩にそういう無駄なしごとをやらせるシステムがいつまでものこらないように、そのへんの改善に取り組んでいるもよう。この点はたしか年末に来たときにもちょっとはなしていた気がする。はなしていたと言ってそのときは父親とはなしていて、こちらは横から耳にしただけなのだが、上層部はやっぱりあたまが固いから、みたいなことを言って批判しつつ、その業務改善にかんしてということだったのだろう、なにかしら提案を出すつもりでおり、それが受け入れられなかったら見切りをつけてべつのところに行くこともかんがえているなどと、なかなかおもいきったことを言っていたおぼえがある。
  • 父親が帰ってくるのはいつも零時ごろということで、じっさいこの日もそうだったわけだが、あらためて母親にその点聞いて、なら風呂にはゆっくり浸かれるなとおもい、ゆっくりはいりたいからさ、ともらすと、ゆっくりはいってもだいじょうぶだよ、まだ帰ってこないよ、という返答。それで九時を越えたくらいか、そろそろはいろうとおもっているところに兄の携帯が鳴って、(……)さんからビデオ通話が来たことが判明、母親はそれを受けてちょっとあわてだし、ぜんぜんちゃんとしてないからうつりたくないと言って一時場をはなれ、すこし経ってからもどってきたのは化粧をしていたようだ。兄は着信に気づいてからも画面を見つめてなぜかすこし間を置いてから通話を受け、すると(……)ちゃんや(……)くんが映るので、テーブルの向かいで兄が持ち上げているちいさな画面に向かって手を振ってこんばんはとあいさつしたりする。(……)さんが、(……)くん髪伸びたね、と、先日実家に来たさいに(……)をまとったすがたの写真を母親が送ったときにもおなじコメントを返していたようだが、そう言われたので、めちゃくちゃ伸びました、来週切ります、とこたえた。(……)くんが(……)さんのことばを真似て、(……)くん髪伸びた? となんかいかくりかえしたり、髪伸びてないよ、と否定したりしたので笑う。(……)くんはまえに実家で直接邂逅したときにはまだことばをさほどはっきり喋ってはいなかったのだが、この日の通話では容易に意味を受け取ることのできる言語表現を成立させて、ふつうにいろいろ喋っていたのでずいぶん喋るようになったなあとおどろいた。こうして赤子は一般性の世界へと参入していくわけだ。(……)ちゃんはともかく(……)くんはこちらのことなどたいしておぼえちゃいないのではないかとおもうのだけれど、そうでもないようすだった。(……)ちゃんはといえば通話に積極的に参加するではなく、画面の後方で絵を描くかなにかしつつ、たまに口をはさんだり、よくわからないことを言ったり、悪態めいたことを口にしたりとマイペースで、通話中ほぼ笑いもせず、不機嫌ではないにしてもぶっきらぼうな感じで、だんだんとわがままだったり生意気だったりという性質が育ってきている印象だ。眼鏡をかけており、母親がいぜん「アラレちゃん」みたいだと言っていたときがあったが、まあわからんでもない。さいきんは子どもふたりいっしょに水泳に通っているらしく、母親が、(……)ちゃんすごいね、たくさん泳げて、とか褒めることばをさしむける。(……)くんはあいかわらず乗り物が好きなようで、あれはトミカなのかは知らないがミニカーをいろいろ机上にならべて、数をかぞえて五個! と言ったり、それなに? と聞くと、なんとか救急車両、みたいにながめのなまえをこたえたりしていた。また、英語でambulanceとか、ショベルカーのことをexcavatorと言ったりしていた。excavatorなんてずいぶんむずかしい単語を言うものだが、ただもちろん英語を理解しているわけではなく、おそらくはアルファベットも知らないはずで、(……)さんがいうにはとくにおしえてないのにいつの間にか英語で言うようになったというはなしで、かのじょがこれ英語でなに? と聞くと、そう口にするのだ。発音はややあいまいではあるがいわゆるカタカナ的なそれではまったくないので、乗り物系の動画で英語を言っているものがあり、それをみているうちに真似しておぼえたとかではないか。通話中はだいたいそういうふうに子どもらふたりのようすを追い、声をかける感じで、(……)さんはあまりしゃべらない。しゃべるとしても子どもに声をかけるのがメイン。そのうち一〇時がちかくなり、もうお風呂にはいって寝ようと声をかけるのだが、(……)ちゃんはやだ! とか言って抵抗する。いつも何時くらいに寝てんの? と兄に聞いてみると、まあ一〇時くらいよ、とのことだった。そのへんで終了へ。(……)のときにまた会おうねーと言ってあいさつして別れる。
  • そのほか会話でひとつおもいだしたが、墓のはなしがあり、兄は名古屋にある(……)家の墓の管理をゆくゆくは頼むようなことを言われているらしかった。とはいえ、実際上は名義を兄のなまえにするのがメインみたいなはなしで、遠いからそんなに頻繁に行ったりはできませんよ、それでもいいなら、ということを兄のほうでもつたえているらしいが。そこから墓なんてのはもうだんだんなくなっていくだろ、とこちらが言った。まあじっさいかんぜんになくなりはしないだろうが、簡素化はしていくだろう。そのながれもどこかで宗教性の揺り戻しが起こったりもするのかもしれないが、それはともかく母親もわりとそうね、めんどうくさいよね、という感じのスタンスで、兄も、死んだあと墓にはいりたいというきもちがいまいちよくわからない、と言っていた。こちらもかんぜんにそうで、個人性はともかくとしても、死んだあとになってまで家という単位がのこってだれといっしょの墓にはいるだのはいらないだの、しょうじきわりと阿呆らしいとおもってしまう性分で、もちろん死者にそんなことは関係なく、じっさいには生者のほうの問題でそういうもろもろがあるわけだけれど、いずれにしても死後墓にはいりたいというきもちはまるでないし、どうなりたいというきもちもない。樹木葬とかはけっこういいなとおもうので、この席でもそう口にしたが。おおいなる自然のみなもとへと還帰してみんなで葉叢を鳴らす風になろうぜ! という感じだが、死後にまで死者を家というくくりにしばりつけてちいさな墓石に宿らせておくのではなく、ひとつの木のもとにみなねむっているという垣根を越えたゆるい共同性のほうがぜんぜんいいじゃんと。墓参りもその木をながめに行くとか、そこでちょっと花見でもすればいいわけだし。まあだからといってじぶんが死んだあとそうしてほしいともとくにおもわず、そのへんに打ち捨てられていっこうにかまわないが。先般なくなった(……)家の(……)のおばあさん((……)さんの祖母)は、墓に入れる骨と海だかに撒く骨とで分けたとかいうことだった。おばあさんの旦那さんが海軍の軍人でやはり海に散骨したらしいので、じぶんもそうしてほしいという遺言があったのではないかとのこと。


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  • 日記読み: 2022/3/17, Thu.