2023/3/19, Sun.

 人生を生きるということ、行為するということは、理論によっては基礎づけることのできない決断であり、選択である、ということが、キルケゴールが「跳躍」という言葉であらわす事態である。彼は、人生行路には三つの段階があると言う。
 第一の段階は美的段階である。人は、ここでは、感覚的悦楽をもとめて花から花へと飛びまわる。彼の選択を制限し、彼の生に確定した形を与えるようなものを、彼は憎む。そのような自己分散が自由である、と彼は思っているのである。それは、ちょうど、パスカルの語る、自分を忘れるために気晴らし(divertissement)に憂き身をやつしている人にほかならない。だが、このように感覚的悦楽のうちに自己を散乱し喪失している人間も、心の奥底では漠とした不安を覚えているのである。
 ここで、第二段階への跳躍がおこる。自己を回復せねばならないという促しを自覚するのである。これが倫理的段階である。くりかえし言うように、これは理論的移行ではなく、決断による跳躍である。普遍的な道徳法則により、自分の生に確とした形と整合性を与えようとするのである。倫理的段階に達した人は、人間の弱さを意志の力で克服できると思い、人(end214)間の倫理的自足を信じている。だが、事実は、人間は自力で完全な徳に達することはできないのである。この段階にいる人には、罪の自覚が欠けている。
 ここで第三段階への跳躍がおこる、とキルケゴールは言う。それは、罪の自覚をバネとした神との対面への跳躍である。それが宗教的段階である。言うまでもなく、キルケゴールにおいて、神の存在は論証によって証明されうるものではなく、その意味で不確実である。証明されうる確実なものならば、信ずる必要はない。だから、「信ずる」とは客観的には不確実なものへと、全情熱をあげて自分自身を賭けることにほかならない。
 では、なぜ賭けるのか。それは、罪を自覚するから賭けるのである。罪とは、自分が神から離れていて、絶望の状態にあることの自覚である。私は、神によって存在へと送りだされたにもかかわらず、神から離れて救いのない状態にある。その状態の自覚が罪の自覚である。この自覚は、神から送られてこなければ、人間のうちには自力では生じえない、とキルケゴールは言っているから、ここには明らかに循環がある。しかし、循環があってもなくても、罪の自覚が神への跳躍の基礎なのである。
 だが、神とはいったい何か。存在とか、絶対者とか、純粋現実態とか、空とか、無とか、アペイロンとかいうものならば、おそらくは、なにがしかの理論的接近は可能であろう。だが、受肉した神、すなわち、神が人になったということ、無限者が有限者になったというこ(end215)と、は理解不可能な自己矛盾であり、これをなんらかの理論によって了解することはありえない。キリスト教の言う神とは、この不条理のことであり、キルケゴールはこの不条理への跳躍を呼びかけているのである。
 しかし、なぜ、キリスト教の神はこれほど不条理な存在か。それは、神が愛であるからである。愛する者は、愛する相手と少なくとも同じ次元に立とうとする。なぜなら、優越した次元にあっては、両者の関係は支配被支配の関係になり、愛は成り立たないからである。それゆえに、神は自己を虚無化(ケノーシス)して奴隷の姿をとり、人間の世界に到来したのである。これが、神でありながら人である、という理解不可能な不条理もしくは逆説の、理由と言えれば理由であるだろう。このような逆説に己を賭けることを、キルケゴールは「不確実なものに向かっての情熱的な跳躍」と言い、「主観性が真理である」と表現したのであった。
 (岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、二〇〇三年)、214~216)



  • 一年前の日記からニュース。

(……)新聞を読んだ。ウクライナ情勢では、プーチンがいちおうたしょうの軟化をみせていると。トルコのエルドアン大統領が両首脳の仲介に意欲をしめしているわけだけれど、プーチンはロシア側の要求を再度確認しながら積極的におうじるようすをみせているらしい。要求というのはウクライナNATO加盟断念というのが中核的なひとつとしてあり、それから非武装化なのだが、この非武装化はいぜんは全面的なものとしていたのを、ロシアの安全をおびやかさないみたいな条件付きのものにやわらげているという。ほか、クリミアの主権と東部親露派の独立承認、それにロシア語の保護。ゼレンスキー側は友好国によるウクライナの安全保証にロシア軍の即時完全撤退。政治面にはゼレンスキーが二三日に日本の国会でオンライン演説をすることが決まったとあった。ウクライナから打診されて国会は先例がないからと即決できず、スクリーンの用意がないからどうするかとか、予算編成とのかねあいで日程的にきついのではとかいろいろあがったらしいが、ここでもたもたして決めかねれば世界から失望されるからとともかくやることを決めたらしい。

国際面には【露、「反戦」徹底封じ 大統領「裏切り者 浄化」】という記事があり、治安当局がウクライナ侵攻に反対するひとびとへの捜査や摘発をつよめているとつたえられている。「プーチン氏は16日に開いた経済制裁への対応を協議する会合で、「ロシア人は愛国者と裏切り者を簡単に区別できる」と切り出し、「社会の自然な浄化作用が国を強くする」と述べた。米欧志向の国民を「口に飛び込んだ虫」と表現して嫌悪感をあらわにし、弾圧を加速させる方針を示唆した」とのこと。また、ロシア在住のウクライナ人の行動監視もすすめられ、ウクライナ人と交流のあるロシア人にかんしても「スパイ行為」をおこなっていないか注意されているという。

 皆さん、こんにちは。時間をとってくれてありがとう。このメッセージは、親愛なるロシアの友人とウクライナで従軍しているロシア兵に届けるために、さまざまなチャンネルを通して送っています。
 今日、私が皆さんにお話しするのは、世界で起きていることで、皆さんには隠されていることがあるからです。皆さんが知っておくべき、恐ろしいことです。
 ただ、その厳しい現実について話す前に、私のヒーローとなったロシア人のことを話したいと思います。1961年、14歳だった私を親友がウィーンに招待してくれ、重量挙げの世界選手権を観戦しました。ユーリ・ウラソフが、世界チャンピオンのタイトルを獲得した時です。彼が人類で初めて200キログラムを頭上に持ち上げた時、私は観客席にいたのです。
 友人に連れられて舞台裏に行くと、14歳の少年の目の前に、世界最強の男が立っていました。信じられませんでした。彼は握手を求めて手を差し出してきました。私はまだ少年の手です。彼の手は、私の手をのみ込むようなパワフルな手でした。でも、彼はとても優しくて、私にほほ笑んでくれました。あの日のことは決して忘れません。決して。
 家に帰ってから、重量挙げを始め、自分を鼓舞するために彼の写真をベッドの上に置きました。父はその写真はやめて、ドイツ人とかオーストリア人のヒーローを探せと言いました。父は本当に怒っていて、私たちは何度も言い争いになりました。
 父はロシア人が嫌いでした。第二次世界大戦での経験があるからです。彼はレニングラードで負傷しました。彼が所属していたナチス軍はそこで、素晴らしい都市と勇敢な人々に悪質な危害を加えたのです。ただ、私はその写真をベッドから下げることはしませんでした。ユーリ・ウラソフが掲げる旗がどこの(国の)ものかは重要ではなかったからです。
 私とロシアのつながりは、それだけにとどまりませんでした。ボディービルや映画の撮影でロシアを訪れ、ロシアのファンに会い、むしろ関係は深まりました。そして、その旅の中で、ユーリ・ウラソフにも再会したのです。
 場所は「レッドブル」(原題:Red Heat)を撮影したモスクワでした。あの映画は、赤の広場での撮影が許可された最初の米国映画なのです。私は一日中、彼と一緒に過ごしました。彼はとても思慮深く、親切で、スマートで、そして、とても優しかった。この美しいブルーのコーヒーカップをくれました。あれ以来、私は毎朝、このカップでコーヒーを飲んでいます。
 なぜ、こんな話をしたかというと、私は14歳の時から、ロシアの人々に愛着と尊敬の念しか抱いてこなかったからです。ロシアの人々の強さと心は、私をいつも感動させてきました。だからこそ、ウクライナでの戦争と、そこで何が起きているのかについて、真実を語らせてほしいのです。
 政府に批判的なことを聞くのは誰も好きではありません。それは分かっています。しかし、ロシアの人々の長年の友人として、私が言わなければならないことを聞いてほしいのです。
 思い出してほしいのですが、私は心から懸念していることを米国民にも話したことがあります。昨年1月6日に狂気じみた群衆が連邦議会議事堂を襲撃し、政府を転覆させようとした時です。あの時のように、間違っていると思うことがあれば、声を上げなければならないのです。これは、皆さんの政府でも同じことです。
 皆さんの政府は、これはウクライナを「非ナチ化」するための戦争だと言っているのは知っています。ウクライナを「非ナチ化」する? それはありえません。ウクライナユダヤ人の大統領がいる国です。そのユダヤ人の大統領は、付け加えれば、父親(米メディアによると、祖父)の3人の兄弟が全員ナチスに殺された人なのです。ウクライナがこの戦争を始めたのではありません。民族主義者でも、ナチスでもない。
 この戦争を始めたのはクレムリンにいる権力者たちなのです。ロシア国民の戦争ではありません。
 聞いてください。国連では141カ国がロシアは侵略者であると投票で表明し、軍隊を直ちに撤退させるようロシアに要求しました。世界でロシアに賛成したのは4カ国だけです。これは事実です。
 ウクライナでの行動によって、ロシアは世界を敵に回したのです。
 ロシアによる砲撃や爆撃で市街地は壊滅状態になり、そこには小児科病院や産婦人科病院も含まれます。300万人が難民としてウクライナから逃れ、その多くは女性や子供、お年寄りです。そして、さらに多くの人々が脱出を求めています。人道危機なのです。ロシアはその残虐性から、いまや国家社会から孤立しているのです。
 この戦争がロシア自体に何を及ぼすのかについても、真実は語られていません。残念ながら、何千人ものロシア人兵士が亡くなりました。彼らは、祖国を守るために戦うウクライナ人と、ウクライナ征服のために戦うロシアの指導者との板挟みで死んだのです。
 多くのロシア製品が壊され、廃棄されました。ロシアの爆弾が罪なき民間人に降り注ぎ、それは世界を激怒させ、史上最も厳しい世界的な経済制裁が皆さんの国に科されました。この戦争を戦うどちらの側でも、その必要がないはずの人たちが苦しむことになるのです。
 ロシア政府は国民にウソをついただけではありません。兵士にもウソをつきました。
 兵士の中には、ナチスと戦うのだと言われた人もいます。ウクライナの人々が英雄のように迎えてくれると言われた人もいます。単に演習に行くのだと言われ、戦争に行くことさえ知らなかった人もいます。そして、ウクライナにいるロシア系住民を守るためだと言われた人もいます。
 どれも真実ではありません。ロシア兵は、家族と国を守ろうとするウクライナ人の激しい抵抗にあっているのです。
 赤ちゃんが廃虚の中から引き出されているのを見ると、今日のニュースではなく、第二次世界大戦の惨状を描いたドキュメンタリーを見ているのかと思います。
 聞いてください。私の父がレニングラードに到着した時、彼は自分の政府がついたウソに熱狂していました。しかし、レニングラードを出る時、彼は“壊れて”いたのです。肉体的にも精神的にも。残りの人生を痛みとともに生きました。背中の骨折による痛み。(体内に残った)銃弾の破片による痛み。彼はその痛みでいつもあの恐ろしい時代を思い出していた。そして、彼が感じていた罪悪感による痛みです。
 これを聞いているロシア兵の皆さん。皆さんは、私が話した真実の多くをすでに知っているはずです。自分の目で見てきたのですから。私は、皆さんに私の父のように“壊れて”ほしくないのです。
 これは、あなたの祖父や曽祖父が戦ったような、ロシアを守るための戦争ではありません。違法な戦争なのです。あなたの命、あなたの手足、あなたの未来。世界中から非難される無意味な戦争のために、それらが犠牲になっているのです。
 クレムリンにいる権力者たちに尋ねたい。自分の野心のために、なぜ若者を犠牲にするのかと。
 これを聞いている兵士たちへ。1100万人のロシア人は、ウクライナと家族的なつながりがあるのを思い出してください。つまり、あなたが撃つ弾丸はすべて、兄弟や姉妹を撃つこととになるのです。爆弾や砲弾は敵に落ちるのではなく、学校や病院や家に落ちていくのです。
 ロシア国民がそんなことが起きているのに気づいていないのは知っています。ですから、ロシアの人々とウクライナにいるロシア兵の皆さんは、自分が聞かされているのはプロパガンダや偽情報なのだと理解してください。真実を広めるために私の手助けをしてください。仲間のロシア人に、ウクライナで起きている人間の惨事について知らせてください。
 そして、プーチン大統領へ。あなたがこの戦争を始めました。あなたがこの戦争を指揮しています。あなたが、この戦争を止めることができるのです。
 最後に、ウクライナ侵攻に反対し、通りで抗議しているすべてのロシア人へのメッセージを送ります。世界はあなたの勇敢な行動を見ています。その勇気の結果に苦しんでいることも知っています。皆さんは逮捕され、投獄され、そして、殴られもしました。
 皆さんは、私にとって新たに現れたヒーローです。皆さんにはユーリ・ウラソフのような強さがあります。ロシアの本当の心があります。親愛なるロシアの友人たちへ。神のご加護がありますように。【訳・隅俊之】

Russian strikes killed two people and wounded eight in Kramatorsk on Saturday, mayor Oleksandr Goncharenko said, accusing Moscow of having used cluster bombs in the attack on the eastern Ukrainian city. Agence France-Presse reporters heard about 10 explosions go off nearly simultaneously and saw smoke above a park in the city’s south. A woman died at the scene from her wounds, they said. Soon after, another round of explosions was heard in a neighbourhood 2km away.

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Another 880 Russian soldiers were reportedly killed on Friday, according to unverified totals published by the Ukrainian army. Its general staff said that it meant more than 164,000 Russian service personnel had been killed since the outbreak of war in February last year. Another five tanks, seven armoured combat vehicles and eight artillery systems were disabled by Ukrainian forces, it said in an update posted on Facebook.

Russia’s Wagner mercenary group plans to recruit about 30,000 new fighters by the middle of May, its founder has said. In an audio message on Telegram on Saturday, Yevgeny Prigozhin said that Wagner recruitment centres, which he said last week had opened in 42 Russian cities, were hiring an average of 500-800 people a day.

Russia would probably introduce wider conscription to boost its military requirements, the UK Ministry of Defence said. In its latest intelligence update, it said Russian Duma deputies introduced a bill to change the conscription age for men from the current 18-27 to 21-30. The law would probably be passed, it said, and come into force in January 2024.

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The Biden administration has quietly resumed deportations to Russia, an apparent reversal of the position adopted after Russia invaded Ukraine just over a year ago, when such removals were suspended, the Guardian has learned

  • 五時台にいちど意識をとりもどす。二時半過ぎに寝床にうつったあと、エアコンをつけて脚を揉んだりしていたのだが、そのままあいまいにねむってしまったかたち。エアコンとデスクライトを落として正式にねむり、つぎに覚めると布団のしたで胸や鎖骨まわりをさすったり、足の裏を合わせて口から息を吐いては鼻から吸ったりして、たぶんもう九時くらいではないかとおもっていたところが、じきに身を起こして携帯をみてみると八時一二分だった。意外とはやい。そこであぐらになってカーテンをひらき、首や肩をまわしたあと立ち上がってながしでうがい。水も飲むが冷蔵庫で冷やされた水の刺激は起き抜けのからだにつよいので一気には飲み干せず、トイレに行って用足しと洗顔をしてからマグカップを空にした。寝床にかえってChromebookで一年前の日記を読んだり。「読みかえし」ノートもすこし。読んでいるあいだにココナラのことをおもいだして、またサイトをおとずれて出品や出品者のページをいくつかのぞいてみた。やはりなんとなくなじめないようなものをおぼえるし、サービスを出品したとしてじぶんみたいなやつにそうそう依頼が来るともおもえないのだが、とりあえずそのうちに出すだけは出しておくつもりではいる。しかし期待はできないので、近間の塾ではたらくほうを優先するのが吉だろう。そのへんの情報収集もしなければ。ココナラのほうはまた、noteのURLを貼ってこういうことをやっているにんげんだというのをしめそうとおもっていたのだけれど、もしかすると出品ページに他サイトのURLを貼るのは駄目なのかもしれない。そのへんのルールを読んだわけではないが、広告につながるので駄目みたいな判断があるのではないかと。ただココナラにもブログ欄があるので、そのばあいはそこにてきとうに何日分か日記を投稿して見てもらえばよいだろう。寝床をはなれた時間をみなかったが、九時半過ぎだったとおもう。天気は快晴。したがって洗濯をはじめ、洗濯機がガタガタやっているあいだに瞑想もする。瞑想の開始もみなかったが、終えると一〇時一九分だった。食事の支度へ。スチームケースにキャベツと白菜を切って入れ、ウインナーも三本入れて、ふだんは豆腐も入れるがなんか白菜がおもったよりも多くなってしまい、豆腐がはいりきらなそうだったのでいいかとそれだけで電子レンジに突っこみ、まわしているあいだまな板包丁を洗うと布団をたたみあげたあとの窓辺にうつって腕振り体操。背伸びなどのストレッチもやっておく。息を吐きながら。たんじゅんな背伸びで深呼吸すると腋や肩のあたりがかなりほぐれることに気がついた。上腕も伸びてよい。その後食事へ。あいまはGuardian。温野菜を食ったあとは冷凍の唐揚げを三つ椀に入れて熱し、もうひとつの椀に米のあまりをぜんぶよそって合わせて食す。そしてバナナとヨーグルト。洗い物はいったん漬けておき、きのう実家からもらってきた菓子類をデザートにいただきつつ英文を読んで、歯磨きや皿洗い、洗濯物干しをおこなったのち、足首をまわしたり手の指を伸ばしたりしながらWoolfの英文を三項目音読した。それで正午くらい。日記に行きたいところだがまだやはりからだがセットアップされきっていない感だったので、安息の聖地たる布団のうえに逃げて、ホメロス/松平千秋訳『イリアス(下)』(岩波文庫、一九九二年)を読んだ。第一五歌の終盤から一六歌。104から132まで。ヘクトルが勇猛を振るってアカイア勢は船側まで追いつめられ、とうとう船に火もつけられてしまうのだが、おりしもパトロクロスが自陣の劣勢をみてひかえていられなくなり、兵を率いて救援に行かせてくれとアキレウスにたのんで出陣する。ミュルミドネス勢を率いて雄々しく突撃し船の火も消したかれのたすけでアカイア勢は盛りかえしてつぎつぎとトロイエ方の将を殺していき、戦況は一気に転じて、トロイエの兵らは引き返さざるをえなくなる。これはゼウスがアキレウスの願い、パトロクロスによって敵軍を打ち砕かせたまえというもとめを受け入れたことによるが、ゼウスはしかしもうひとつの願い、そのあとかれを武具もそのまま無事に帰還させたまえというほうは受け入れなかったと語られている。しかしアキレウスはそのことを認識したようすがないから、とうぜんながら神に誓いをささげたり祈ったりしたとしても、それが神のほうでほんとうに是認されたかどうかはにんげんにはわからないのだ。ただ物事の結果によって事後的にそれを判断するほかはない。ただし登場人物ではなく語りの水準では、ゼウスの意図はたびたび明言されており、このあとかれの息子であるサルペドンもパトロクロスの手によって斃れるが、そのパトロクロスも生きて帰ることはないと予告されている。かれがアキレウスに出陣させてくれとたのんだその直後からして、「こういって嘆願したが、なんという愚かさ、つまりはやがてわが身に悲惨な死の運命の訪れるのを願ったことになったとは」(117)と述べられている。だからパトロクロスの死はあらかじめ告げられているし、その後ヘクトルが滅ぶことも同様である。「これもゼウス自ら上天から彼を援護しているからで、神は数ある戦士の中でも特に彼一人を重んじてその名を挙げさせようとしていた。それというのも既にパラス・アテナイエが、ペレウスの子の力を用いて、ヘクトルの最期の日を早めんとしており、彼の寿命も残るところ僅かであったからである」(106~107)とあるからだ。親友パトロクロスの死によって怒りかなしむアキレウスがついに蹶起してヘクトルを斃すというのがこのあとの展開だったはずで、それが全篇のなかでいちばんの盛り上がりどころのはずだから、そこに向けて予告的にだんだんとながれが高潮していっているという感じだろうが、いっぽうでここまでのことの経緯消息、ゼウスはアキレウスの母であるテティスのたのみを聞き入れて戦況を操作しているのだとか、アキレウスアガメムノンの理不尽なふるまいに怒って出陣しないのだとかいう点も再説明されている。前者の情報は下巻にはいってからもう三回くらいは出てきているし、後者はパトロクロスの嘆願を受けたアキレウスが116から117でみずからの口で簡略的に語っている。アキレウスの動向のよってきたるところというのは、つまりかれとアガメムノンの悶着というのは『イリアス』のいちばんはじめに起こったできごとで、下巻のここまで来るとわすれている読者もおおいだろうから、かれの発言は情報の再確認として機能することになるが、ただこの叙事詩がじっさいに語られていたとうじはとうぜん文庫本二冊で文字によって読みすすめるわけではなく、講談や紙芝居なんかとおなじでひとびとは日々にすこしずつ語られるのを聞いたり、あるいは部分的に一場面だけを聞くみたいな受容のしかただったはずだ。だからそのばあい、どの場面を聞いても事情がわかるようにということで、再説明的な情報のくりかえしがそこここにしこまれているのかもしれない。ところで詩人はうえのように、地上のにんげんどもの状況だけでなく、オリュンポスのうえにいます神々の動向や、そのあいだの悶着や意図を語ることができるわけだが、たかだかひとでしかないにんげんが神のことをつぶさに語れるというその根拠、正当性はどこから来るのかといえば、それもまた神々のうちの存在であるムーサ(詩神(詩の女神)すなわちミューズ)によるものである。全篇中おりにふれて語り手がムーサに呼びかける一節があって、ここでも120で、「さてオリュンポスに住まい給うムーサらよ、いかにしてアカイア勢の船団に、最初の火が放たれたか、その次第を語り給え」とある。そもそも『イリアス』はそのさいしょからがムーサへの呼びかけからはじまっている作品(「作品」ということばにはどうしたって近代的な観念がまとわりついているから、微妙になじまないものをおぼえるが)である: 「怒りを歌え、女神よ、ペレウスの子アキレウスの――アカイア勢に数知れぬ苦難をもたらし、あまた勇士らの猛き魂を冥府の王 [アイデス] に投げ与え、その亡骸は群がる野犬野鳥の啖 [くら] うにまかせたかの呪うべき怒りを。かくてゼウスの神慮は遂げられていったが、はじめアトレウスの子、民を統べる王アガメムノンと勇将アキレウスとが、仲違いして袂を分つ時より語り起して、歌い給えよ」(上巻11)。また、第二歌のさいご、いわゆる「軍船の表」にはいるにあたってはつぎのようにある: 「オリュンポスに住まい給うムーサらよ、今こそわたくしに語り給え――御身らは神にましまし、事あるごとにその場にあって、なにごともすべて御承知であるのに、われらはただ伝え聞くのみで、なにごとも弁えぬものなれば――ダナオイ勢を率いる将領たちはいかなる人々であったかを。イリオス城下に攻め寄せた、かくも多数の将兵の数と名の一々をことごとく挙げて語るのは、アイギス持つゼウスの姫君、オリュンポスに住まい給うムーサらよ、御身らが教え聞かせて下さらぬ限り、よしやわたくしに十の舌、十の口、また嗄れることなき声と青銅の胸(肺臓)があろうとも、到底この身の力には及びますまい」(上巻65)。話者がたびたびムーサに「歌い給え」「語り給え」と呼びかけているように、語りの主体は詩人や語り手じしんではなく、あくまでも詩神ムーサのほうなのだ。詩人は女神らが語ることを聞いてみずからの口によってつたえる語りの代行者であり、あるいは媒介者だということになる。だから詩人はじぶんの力(のみ)によって語っているわけではなく、その点はさいごの引用中に明言されている(じっさいこの「軍船の表」はめちゃくちゃ長たらしいぶぶんで、そのくせおおかたの現代の読者(まさしく「読者」となってしまった現代の受け手)にとって興味を引くポイントはほぼないとおもわれ、もっぱら退屈で付き合いきれない感をおぼえるひとが多いとおもうが、これをほんとうに暗記して語るのだとしたら至難のわざだろう)。詩人がムーサのちからによって語れるとして、ではなぜほかでもないかれこそがムーサの代行者となれるのか、つまり語り手となれるのかという根拠はとくに述べられてはいない。それは詩神が詩神であり、詩人が詩人であるからというところにたぶん尽きるのだろうし、現実にはムーサのみちびきがあろうがなかろうが詩人はものを語ってしまうわけで、神の存在についての認識とそれへの言及は、それを事後的に根拠づけることになるだろう。ところでムーサらもまたオリュンポスのうえに住まっていることはまちがいがないのだが、『イリアス』中で詩女神たちが登場人物として出てくることはここまでなかったし、おそらくさいごまでないとおもわれる。ムーサらは語る存在なのだが、では詩人がかのじょらに呼びかけるのではなく、当のムーサらを語ることはありうるのだろうか? これはホメロスにかぎらず古代ギリシャ(とローマも?)の文学全般にわたる問いだけれど、そこでもしミューズたちじしんのことが、詩人によって語られることがないのだとしたら、ある意味でミューズらは主神ゼウスとはちがった意味で(詩人たちにとっては)特権的な地位をそなえているということになる。詩人はゼウスを語ることはできるのだが、ムーサを語ることはできない。その場合はしたがって、ムーサたちは詩人の語りのなかにすがたをあらわすことはなく、表象の対象から除外され、しかしかれらにことばのちからを供給しつづける不在の起源として存在することになるだろう。
  • きょう読んだ範囲では劣勢の自軍にたいして、「男になってくれ」という鼓舞のことばがたびたび見られて、またパトロクロスがアカイア勢の苦難に泣きながらアキレウスのまえにあらわれるのに、「幼い小娘のようではないか」(115)とアキレウスは理由を問うている。このへんの男尊女卑イデオロギーは洋の東西を問わず古来不変で、つまり勇敢さはつねに男とむすびつけられる男性の価値であり、たいして女性は柔弱とむすびつけられる。日本でもたぶん古代から勇猛さは「男らしさ」とイコールだっただろうし、勇敢ということとはちがうけれど、『古事記』のさいしょでもイザナギイザナミ大八洲を生むときに、あきらかに女性を劣位に置いた記述がみられる(原文や原文の翻訳じたいを読んだことはないが)。つまりかれらは交わることで島々を子として生むわけだけれど、さいしょは女性であるイザナミのほうから誘ったところ失敗し、そのあとイザナギのほうから誘いなおして成功したというはなしになっているのだ。だから男尊女卑イデオロギーは洋の東西を問わず古代の神話段階から世界に定着している。
  • あと先日、ホメロスの比喩は特徴的だと言って、それを状況的・場面的ということばで形容したが、きょう読んだなかだとつぎのようなながいやつがあり、なんやねんこれとちょっとおもった。

 (……)パトロクロスの心はヘクトルをめざしていきり立ち、討ち取らんものと逸りに逸る。しかしこちらも、駿馬がヘクトルを載せて走ってゆくが、そのさまを喩えていえば、晩い夏のある日、人間どもが集会の場で無法にも曲がった裁きを下し、神罰の下るのも意に介せずに、正義の法を逐い払うのに腹を立て、怒ったゼウスが豪雨を降らせ、荒れ狂う風雨の下に大地は一面に黒ずみ打ち拉 [ひし] がれる。流れる河々はすべて水嵩を増し、奔流となって山腹の到るところを削って断ち切りつつ、轟々たる音を立てて山々からまっしぐらに紫の海へと注ぐと、人間どもが汗を流した田畑も荒れ果てる。疾走するトロイエ馬の蹄の音は、それほどにも凄まじかった。
 (ホメロス/松平千秋訳『イリアス(下)』(岩波文庫、一九九二年)、131~132)

  • 先日ふれた箇所もゼウスの雷によって倒された木のようにどうのこうのというところで、ながい比喩のすべてがそうではないけれど、こういうやつは喩えることを目的とするいっぽうで、そのなかば神のわざのすさまじさを語りそれに畏敬を払うことも目的となっている印象で、その説明や描出のために喩えの記述がながくなるのだろう。そしてまた比喩のなかに神的甚大さを織りこむことは、それによって喩えられるにんげんの領分にもその性質を付与することになるわけだから、トロイア戦争やそこで活躍する英雄たちの地位をいくらかなり神のほうに近い、超越的なものにちかづける役目を果たすことにもなるだろう。
  • 書見に切りをつけると椅子にうつり、あいまに体操などはさみながらここまで記して三時一七分。湯を浴びる。あと、(……)くん・(……)くんとの読書会が四月一日にせまっておりあと二週間ほどだから、そろそろ課題書である『フォークナー短編集』を読みはじめたほうがよいとおもうが、さきほど図書館のホームページで検索したところなさそうだったので、これはちかいうちに書店に行って買ってこなければならない。まあAmazonでもよいけれど。
  • 腕振り体操などをちょっとやってからシャワーを浴びた。裸になって浴室にはいり、シャワーの温度を調節して浴槽に湯を少々溜めるあいだに胸やら腕やら背中やら上半身をいたるところさすってみてからだの反応をみるのだけれど、やはり肩のうしろがわとか肩甲骨あたりとかそのあいだの背骨のちょっと突起になったあたりとかが胃につながっているようにおもえる。首から肩にかけてと、背中を全般的にゆるめるのが肝要だろうと。それで身を清めて出てきたあとはごろごろしつつ背中をほぐそうとおもい、髪を乾かすと安息の聖地たる布団に横になった。髪がもう伸びていて鬱陶しく、ドライヤーをやっても水気もたしょうのこるので、その状態で横になっているとややひろがってもさっとした感じになり、いかにも冴えないのだが。べつにひろがらなくても冴えないのだが。(……)さんのブログを読んだ。したは書物からの引用で目にとまったもの。

 今日、中国には投資可能な資産を一千万元以上持っている大金持ちが、すでに数十万人いる。二〇〇九年のフーゲワーフ(中国名は胡潤、イギリスのジャーナリスト)の調査によると、中国では資産一千万元以上の富豪の数がすでに八十二万五千人に達した。この数字の中には、資産一億元以上の富豪が五万一千人含まれている。フーゲワーフの調査によれば、中国の富豪の年平均消費額は二百万元だという。
 これと大きな格差をなすのは、二〇〇六年時点で、年収六百元以下の貧困層の人口が三千万人いるということだ。もし年収八百元以下まで含めれば、一億人に達してしまう。二〇〇九年時点ではどうだろう? 私はまだ数値を手に入れていない。
 二〇〇九年二月、私はバンクーバーのUBC(ブリティッシュコロンビア大学)で講演をした。二〇〇六年の時点で、中国には年収八百元以下の貧困層が一億人いると聞いて、一人の中国人留学生が立ち上がって言った。「金銭は幸福を量る唯一の基準ではありません」
 この言葉は私を震撼させた。それが一個人の声ではなく、今日の中国で多数の声となっているからだ。彼らはますます繁栄する中国の現状にどっぷり浸り、いまだに一億を超える人たちが想像を絶する貧困の中で暮らしていることに関心を示さない。思うに、我々の本当の悲劇はここにあるのだろう。貧困や飢餓の存在を無視するのは、貧困や飢餓そのものよりも恐ろしい。
 私はその中国人留学生にこう答えた。「我々が論じているのは幸福の基準ではなく、普遍的な社会問題だ。あなたがもし年収八百元以下の人なら、その発言は尊敬されるだろう。でも、あなたは違う」
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)

     *

 社会生活の不均衡は、理想の不均衡をもたらす。十年ほど前、CCTVは六月一日の「児童節」に各地の子供を取材し、この日にもらいたい贈り物は何かという質問をした。北京の男の子は、本物のボーイングジェットが欲しいと答えた。西北地区の女の子はおずおずと、白い運動靴が欲しいと答えた。
 同じ年齢の中国の子供でも、抱いている理想にはこんなに大きな格差がある。西北地区の女の子にとって、ありふれた白い運動靴は、北京の男の子が欲しがったボーイングジェットと同じくらい遠い存在なのかもしれない。
 これが今日の中国だ。我々は現実と歴史の大きな格差だけでなく、理想の格差の中で暮らしている。
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)

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國分 立木さんは「抑圧=メタファー」(二一二頁)と書かれていますね。抑圧はメタファーであり、メタファーが衰退しているということは抑圧が衰退しているということだと。
千葉 メタファーとは、目の前に現れているものが見えていない何かを表すということですから、見えていない次元の存在を前提にしている。ところが、すべてがエビデントに表に現れるならば、隠された次元が蒸発してしまうわけです。
 立木さんの本の後半では、エビデンス批判がされていますね。
國分 あの本で重要だと思ったのは「心の闇」が必要だという指摘です。例として取り上げられていたのは、一九九七年の神戸連続児童殺傷事件、いわゆる「酒鬼薔薇事件」です。評論家たちは犯人の少年の「心の闇」について語った。でも、むしろ「少年は、残念ながら、心の闇をつくり損なった」のであって、自らの「苛烈な欲望」をその闇にしっかりと繋ぎ止めておかねばならなかったというのが立木さんの指摘でした(二七頁)。
 きちんと「心の闇」を作ることが大事なのに、それがいままさしく「蒸発」してしまっている。
千葉 あるいは、至るところにダダ漏れになっている。かつてだったら2ちゃんねるみたいな空間に「心の闇」が一応は隔離されていたのが、いまや2ちゃんねる的言説がSNSの至るところに撒き散らされている。これは松本卓也さんが言っていたことなのですが、本来だったら無意識に書き込まれるべきことがネットに書き込まれている。
國分 なるほど。「心の闇」による隔離が弱まった結果、これまでだったら人目に触れるはずのなかったような欲望がネットに書き込まれるようになり、ネットはまるで無意識が書き込まれる場所のようになっている、と。
 こうやって「心の闇」の機能を論じていると思い出すのがアレントのことです。彼女は『革命について』(ちくま学芸文庫、一九九五年)の中で、「心の特性は暗闇を必要とし、公衆の光から保護されることを必要とし、さらに、それが本来あるべきもの、すなわち公的に表示してはならない奥深い動機にとどまっていることを必要とする」と述べ、まさしく「心の闇」の機能を肯定的に論じています(一四二頁)。
 どうしてアメリカ革命とフランス革命を論じた本でアレントがそんな話をしているのかというと、これはロベスピエールに対する批判として出てくる話題なんです。ロベスピエールは社会から偽善や欺瞞を廃絶しようとした。だから人間の心に徹底的に光を当てようとするんだけれども、アレントに言わせれば、動機というものは明るみに出された途端、その背後に別の動機を潜ませているように思わせてしまう。「動機は、その本質からいって、姿を現すことによって破壊される」とアレントは言っています(同前)。つまり追求すればするほど、さらに奥に別の動機が潜んでいるのではないかと思われてしまって、結局その人間は疑惑の対象になる。「おまえは偽善者だ。反革命だ」ということになって、ギロチンにかけられることになるわけです。何でもかんでも理性の光の下に晒そうとすると全員偽善者になるので恐怖政治が起こる。これがアレントによるロベスピエール批判なんですね。
國分功一郎+千葉雅也『言語が消滅する前に』)

  • したも。こんなん笑わざるをえないでしょマジで。

 あと、いまちょうどWBCをやっているので、関連ニュースの見出しなど見るたびに思い出すのだが、第1回大会はたしかこちらが(……)のあばら屋の二階に住んでいたとき、すなわち、(……)がまだ(……)さんと結婚しておらず、新婚夫婦+こちらの三人暮らしではなく二人暮らしだったころに開催されたものと記憶している。ちょうど(……)と(……)がそれぞれ大阪と名古屋から遊びに来ていた日で、いっしょにあばら屋の二階でたたみの上に腹這いになって視聴した記憶がはっきりと残っているのだが、腹這いになって見たというのはテレビがなかったからで、いや正確にいえばDVDで映画を鑑賞するためのテレビはあったのだが、当時住んでいたあばら家のテレビのアンテナ? ケーブル? がねずみにかじられていたので、テレビは映らなかったのだ、だからこちらの携帯だったか(……)の携帯だったかのワンセグで試合を視聴したのだった。(……)は元野球部で野球好きだった。こちらと(……)は野球なんてさっぱりだったが、とりあえず(……)の希望で三人そろって観戦していたところ、こちらでもぎりぎり顔と名前が一致する数少ない選手だった小笠原が打席に立った。小笠原の顔と名前が一致したのは野球選手としてはめずらしくひげをたくわえていたからなのだが、そのとき(……)が、見とれよ、こいつ三振するとぜったいピッチャーにらみながら打席去るからな、と言った。そして実際、その通りになったのだが、そのいかにも敗北者然としたメンチの切り方がたいそうおもしろかったので、その打席以降、小笠原が画面に映るたびに、「こいつ三振するたびにヒゲが3センチのびるぞ」とか「こいつデッドボール受けると口髭と顎髭が入れ替わるぞ」とか言い合ったものだった。当時われわれのあいだでは、相手のボケがつまらないと感じた場合、突然真顔になってシリアスな口調で「え?」と問い返すのが流行っていた(さらにいえば、その「え?」に抗議する「え?」もあり、そういう場合は第三者である人物——この場合は(……)——に判定をもとめる「え?」をそろって向けることになる)。だから小笠原が打席に立つたびに会話はだいたい混沌とした様相をていし、具体的にいえば、「こいつがホームラン打つたびにチームメイトのヒゲが濃くなるぞ」「こいつ四球で塁に出るたびに相手キャッチャーの陰毛が濃くなるぞ」「え?」「こいつスイング一回するたびにヒゲが一本増えるぞ」「え?」「え?」「え?」「こいつのバットの芯、これまで剃ったヒゲがねりこんであるぞ」「こいつヘルメットかぶっとるようにみえるけどあれヒゲやしな」「え?」「こいつ今日の試合前、入院しとるファンの子どもに今日の試合中にヒゲ剃るって約束しとったぞ」「こいつむしろヒゲが本体やぞ」「え?」「こいつ試合前に審判に賄賂として脱毛クリームおくっとったらしいぞ」「こいつのヒゲの全長、打席立つたびに毎回相手国の首都にちょうど届く長さに変化するらしいぞ」「え?「え?」「え?」みたいな感じだった。われわれのそうしたやりとりがよほど面白かったのだろう、もともとは特急に乗って夕方までに名古屋にもどるつもりだった(……)は(バイトに行かなければならなかったのだ)、こうした時間を共有するためにわざわざその場で大枚をはたいて新幹線のチケットを買った。「こいつ打席立つたびに名古屋行きの新幹線のチケット一枚売れるぞ」「え?」「え?」「え?」

  • あとDOMMUNE中原昌也緊急支援番組をみわすれたともあり、緊急支援ってついに金がなくて暮らせなくなったのかなとおもって検索してみたところが、糖尿病の合併症で入院したのだという。ぜんぜん知らなかった。ここまで書き足して五時二一分。寝転がっているあいだ、とちゅういちど立って洗濯物を取りこみ、また米も炊きだしておいた。腹が減った。きのうもらったシュウマイ食いてえ。

The link between imperialist exploitation of the continent and archaeological research was established as early as 1798 when Napoleon invaded Egypt accompanied by teams of French specialists set on understanding the country’s past but also taking huge amounts of artefacts away.

Sudan was a British colony for nearly 60 years, and then run by a series of autocrats often beholden to external powers. Few paid much attention to archaeology. In such circumstances, western support was important in preserving what little activity continued.

Dr Eglal el-Malik, the director of the conservation department of Sudan’s National Corporation of Antiquities and Museums, said she was grateful to foreign archaeologists who “never stopped coming even in our darkest times. This was a very big help for us. They truly helped Sudan in maintaining and sustaining our work, and helped build capacity for young archaeologists. We needed professionals. Now we have many.”

A handful of Sudanese archaeologists have travelled recently to Europe to work on sites there, reversing a century-old flow in the other direction. “We are looking forward to the day when African archaeologists regularly travel to Europe or US to do archaeology there,” Malik said.

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But the new wave of young archaeologists in Sudan and elsewhere on the continent face many obstacles. For women in particular, their choice of profession brings resistance from relatives and schools.

“For three years my family was opposed. There were all these questions: what are you doing with this qualification? Why be an archaeologist if you’re a woman? How are you going to travel alone? But I was very determined,” Jamal said.

Men also face prejudice and ignorance. Joshua Kumbani, 31, who has conducted groundbreaking work in southern Africa on prehistoric music-making, said he was often laughed at when he told people he was an archaeologist.

“They can’t understand why I chose this profession. They think I work in the dirt with old things. Some even accuse me of being a grave digger. I have to explain this is not what archaeologists do,” Kumbani said. “I think they get it from Indiana Jones and cinema. They don’t have full information.”

This is more than just a military frontline: this orphanage is one of many stories in this outrage – among the many in Russia’s invasion of Ukraine – and now an unprecedented matter at international law, reaching to a head of state. According to the Ukrainian government, 16,226 children have been deported to Russia, of whom 10,513 have been located, and 308 have returned.

A report last October by Yale University Human Rights Lab, citing a vast range of open sources in Russia and Ukraine, traces many reasons for their abduction: including so-called “evacuation” from state institutions such as that at Kherson, transfer of children to camps – often in Crimea – sometimes with parental consent, whether coerced or not.

Interviewed by the Observer in Kyiv, the government ombudswoman for abducted children, Daria Gerasimchuk, adds further “scenarios”: “They kill the parents, for whatever reason, and kidnap the child. In other cases, they just grab the child directly from the family, perhaps to punish that family. Others go through the appallingly named ‘filtration camps’ – collected, indoctrinated and prepared for ‘adoption’ of the kind that commissioner Lvova-Belova has herself boasted.”

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It is notable that the ICC’s first warrants concern children and damage to civilian infrastructure, rather than massacres at, say, Bucha or Mariupol. Among the most effective independent experts investigating Russian war crimes, Nataliya Gumenyuk of the Public Interest Journalism Lab in Kyiv, says: “This is probably to do with establishing the chain of command. It’s harder to make the connections from this crime to that commander, up the ladder. But with children, there it is: ‘filtration’ camps – filtering who? The Russians have condemned themselves from their own mouths on this.” But on genocide, she cautions: “As any good lawyer knows, that is the high bar.”

  • いま一一時七分。うえまで書いたあとはまたちょっとごろごろしてから米が炊けたら食事。温野菜と兄がくれた崎陽軒のシュウマイをおかずに白米を食って、マジでクソうまい。米も炊いたばかりだったし。身に染み入るうまさ。食後は洗い物をさっさと済ませ、歯も磨き、それから(……)じきに三月九日の記事にとりかかって、寝転がって腰を左右にうごかして布団(というか座布団だが)にこすりつけるかたちで背面をほぐしておくとこれがよくて腕のほうまで血液も行き渡るのかこごりもないし、ゆびがよくうごいてわりとなめらかに書けた。ただ書いているうちに肩甲骨のあいだがこごってくるのはやはり避けられない。そうするとまた布団に逃げてしばらく休んだり。それで九日はけっこう書いたのだけれどなんとか完成させ、翌一〇日はなにもおもいだせなかったので書いてある分まででよく、一一日一二日もやっつけですこしだけ書き足して終いとした。一〇日分まで投稿してある。しかしいまは一九日である。これでも一週間遅れになっている。さすがに今週中にはどうにかしたいというわけで、あしたはUlyssesを読む通話の予定だったが、日記を優先させてもらおうということでいましがたLINEにお休みの打診を送っておいた。投稿作業中はこのあいだ実家でエレキで似非ブルースを弾いた音声24番と25番をくりかえし聞いてしまい、けっこう楽しめてしまう。ひずませた24番はあらためて耳にした瞬間、わりとクソみたいなトーンだなとおもったが。ボロボロの弦とおもちゃみたいなミニアンプなのでしょうがない。


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  • 日記読み: 2022/3/19, Sat.
  • 「読みかえし2」: 1278 - 1280
  • 「ことば」: 1 - 3