2023/3/22, Wed.

 全体についての経験とは、何かが「しかじかのもの以上のなにものでもない」という経験である。「これですべてである」という経験である。たとえば、自動車は自動車以上のなにものでもなく、自動車以下のなにものでもない。建物でも飛行機でも何でも、すべての物がそうである。それらは、「それっきりの自己同一性」のうちにある。
 それでは、その自己同一性とは何か。それは、私がそれらのものをそのようなものとして認識した、ということにほかならない。認識するとは、あるものを一定の普遍概念によって把握することであり、言い換えれば、型にはめることである。理性としての私が認識という(end236)態度で世界とかかわるとき、私はあらゆるものを普遍概念によって整理統合し、私の張りめぐらせた意味連関の網の目の中へ秩序づける。それによって、私はすべての存在者を自我のうちに取りこむのである。この取りこみにより、私は認識されたものを道具化する。認識された事物がたとえ何億光年かなたの星雲であったとしても、認識された以上それは私の理性のうちに取りこまれたのであり、したがって、なんらかのしかたで私に利用され、私の道具となる可能性のうちにおかれた、と言ってよい。
 ヨーロッパの哲学はギリシアの初端以来根本的に無神論であった、とレヴィナスは言うが、それは、ヨーロッパの哲学が基本的に理性に真理の基準をおく哲学であったからである。理性は認識しえないもの、すなわち、根本的に自己とは異質なものを認めない。理性とは同化の力であり、全体化の力であり、それによって自己を貫徹する力であるからである。
 だが、この全体化の態度は、じつは、貫徹できないのだ。それは、他者に直面するからである。他者に直面したとき、私は冷水を浴びせかけられ、無言の否定に出会い、自己満足の安らぎから引きずり出される。私の世界が完結しえないことを思い知らされるのである。もちろん、自分の思いどおりにならない他者をさまざまな暴力によって排除し抹殺することはできる。しかし、そのような殺人は全体化を完成したのではなく、むしろ、全体化が不可能であったことを証しているのである。(end237)
 ここに「無限(infini)」の経験があらわれる。無限の経験とは、何かがつねに私の知っている以上のもの、私が判断し、享受し、利用しうる以上のもの、私の用いなれたカテゴリーに入らないものである、という経験である。
 ところで、他者は、つねに私の知を超える者、私の把握をすりぬける者、私の期待を裏切りうる者、私を否定しうる者である。この意味で、他者は無限なのである。
 (岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、二〇〇三年)、236~238)



  • 一年前から。いまと状況が変わっていない。というかいまのほうが追いつかなさはよりはなはだしいが。

きょうは起床が遅くなったし布団のしたにはあまりとどまらず、水場に行ってきてから瞑想。すわりながら、日記が満足に書けていないことにたいする怒りをかんじていた。とくに一五日の火曜日、つまりちょうど一週間前だが、この日は外出していろいろ見聞きし感覚したから書けること書きたいことはたくさんあっただろうに、ここまで時間がはなれるとそれらの記憶印象ももちろんうすれるし、そうするとあまり意欲もなくなって、書けたはずのことがうしなわれてしまったということにかなりの怒りをおぼえる。はげしいものではないが、しずかで重く、強力な怒り。書きたいことを書けないというのは、ほんとうにくだらないこと、つまらないことである。クソだ。とはいえ、やっぱり一定いじょう書きたいことをしぼってすくなく書かないとコンスタントにつづけるのは無理かな、とおもったのだが、そうかんがえてみるとこんどは、とくにこれは書きたいということがおもいあたらない。これだけはぜったいに書いておきたいということはないし、どれもこれもべつに書かなくても良いといえば良い。どのことがらも、そうしようとおもえばあきらめたり捨てたりすることは容易である。あたまに浮かぶものごとのどれも書きたいようでもあるし、そうでもないともおもえる。しょせんはその程度のいとなみなわけだし、その程度のものとして楽にやっていくほうがよいだろう。食事中もわりと怒りを秘めながらかんがえをめぐらせていたのだが、部屋にもどってきてウェブをみながら白湯を飲んでいるあたりでそのきもちは薄れ、心身がおちつき、けっきょくはじっさいに書くときのじぶんにまかせるといういままでどおりの方針に回帰した。たぶん飯を食って、空だった腹が満たされたことにもよるのだろう。

  • 瞑想時の感覚。

そういうわけでFISHMANSがながれるなかで手の爪を切った。それから瞑想。あたまのうちに眠気がこもっており、序盤は上体がしばしば左右にゆらいだが、たえられないほどのものではない。そういうふうに意識がややあいまいなときはとうぜんとしても、瞑想をしているあいだはたまにじぶんがいまどこにいたのかわすれることがけっこうあり、文学的なレトリックとしてよくつかわれるいかにもな表現だが、どこでもない場所、いつでもない時間にいる、というかんじがすることはときどきある。そのかんじはわるくない。ねむいときとか、ねむくなくとも思念にしばらくまきこまれたときとかは、時間はともかくとしてもそういうふうに場所をわすれて、じぶんがいまいる空間の周囲のようすや事物の配置がどうだったかというのを一瞬おもいだせないことが起こる。ふつうに自室でベッドのうえにいるわけだが、窓がどっちにあったかとか、どういう向きですわっていたのだったかとか、そういうことをつかみそこねる瞬間がある。時間にかんしては、いつでもない時間というよりは、ベルクソンの純粋持続でもないけれど、われわれが直接ではないにしてもともかくいまこのときに接し合っているのはたしかに現在だけであり、その現在がその都度の現在としてずっとつづいているのだなと、永遠の現在みたいな、これも哲学とか文学の方面でよくいわれそうなかんじが実質的な感触をもったものとしてわかるような気はする。なんにちかまえに風呂のなかで目を閉じてじっとしているときにそういうかんじがあった。とはいえその現在はもちろん純粋な、混じりけのないものではなく、過去がつねに織りこまれているし、ばあいによっては未来の仮想もそこに混ざってはくる。しかしともあれいまここにあるのは現在であってそれがひたすらにつづいているな、というかんじにはなる。

  • 「一〇時に風呂を出てくると茶をつくり、自室にかえってきて一五日の記事をブログに投稿。なぜかアクセスがきょうだけ七四とかで急に増えていたのだが、こういう日はたまにある。どこかにさらされたりしていたらいやだなあとおもってURLで検索したが、たぶんそういうことはないようだ。ぜったいにゆうめいになりたくない。もしまちがえてゆうめいになってしまったり炎上したりしたら、すぐにブログを閉じてやめるか非公開にする」などという言も。
  • 「読みかえし2」ノートから。

Tomislav Marković, “The cult of Putin in Serbia reflects a nation that has still not dealt with its past”(2022/10/28, Fri.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/oct/28/the-cult-of-putin-in-serbia-reflects-a-nation-that-has-still-not-dealt-with-its-past(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/oct/28/the-cult-of-putin-in-serbia-reflects-a-nation-that-has-still-not-dealt-with-its-past))

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“Ukraine attacks Russia!” was the surreal headline on a report in the 22 February edition of Informer, Serbia’s biggest-selling tabloid. That headline was not a one off, it was an expression of the Putinophilia that has been strong in Serbia for years. As most of the world condemned Russia’s aggression against Ukraine, much of the media in Serbia turned to glorification of Russia’s actions. Tabloids, web portals, dailies, weeklies and nationwide television channels celebrated the destruction of Ukrainian cities and gave wholehearted support to Russian armed forces. The killing of civilians, the levelling of cities and the destruction of cultural monuments appeared to fill some of Serbia’s editors with enthusiasm and exuberance.

Pro-Russia rallies took place in Belgrade, at which the crowd cheered Putin and the letter Z was scrawled on the asphalt. The rest of the world shuddered as it watched real-time coverage of corpses on the streets of Bucha, civilians sheltering from Russian shells in underground stations and millions of refugees fleeing their country, but instead of compassionfor innocent victims, understanding for the criminals seemed the response of Putin’s Serbian fans.

If President Aleksandar Vučić’s allies in the Serb media appear sanguine about death and destruction in Ukraine, he claims that the country is politically neutral. Serbia has grudgingly voted in favour of the UN general assembly’s resolutions condemning Russia’s use of forceand illegal annexation of Ukrainian territory. But the Vučić government has repeatedly refused to back western sanctions against Russia. European officials, US senators and various envoys have flocked to Vučić, telling him that it was time to choose: would Serbia be part of Europe or an ally of Russia? Despite all the pressure, Vučić keeps Serbia in limbo.

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Serbia’s attitude towards the war in Ukraine requires additional context. Whereas in other countries, the Russian state-owned news agency, Sputnik, and the Russian TV channel RT diffuse the Kremlin’s propaganda, in Serbia most of the domestic media act as if they themselves are part of the Russian machinery under the command of the Kremlin’s communications supervisors. The problem is not limited to the media. Serbia has never renounced the Greater Serbia nationalist ideology that led to the wars of the former Yugoslavia. The one exception was the short premiership of Zoran Đinđić, but that was cut short by his assassination in 2003 .

Today’s Serb political leaders were participants in the wars of the 1990s. Vučić was a high-ranking official of the Serbian Radical party of convicted war criminal Vojislav Šešelj. His coalition partner Ivica Dačić, leader of the Socialist party of Serbia, was Slobodan Milošević’s spokesman. One of Vučić’s closest associates, the minister of the interior, Aleksandar Vulin, began his career as a functionary of the Yugoslav Left, the party founded by Milošević’s late wife, Mirjana Marković. Today’s minister for European integration, Jadranka Joksimović, worked on the Serbian Radical party’s magazine, Velika Srbija, whose title (Greater Serbia) speaks for itself.

Serbian political leaders still don’t publicly acknowledge Srebrenica as genocide. If at all, they refer to the “terrible crimes” committed. But there has been no dealing with the past at the state level. On the contrary, political, media, cultural, church and social elites continue to deny Serbian responsibility for war crimes. Serbia’s recent historical revisionism suggests that it was Serbs who were the victims , never the criminals. Internationally convicted Serb war criminals return home after serving their sentences and given heroes’ welcomes, sinecures and media space to expound their version of the truth, which The Hague tribunal was of course, unable to understand.

Murals sport the image of Ratko Mladić often with the slogan “Serbian hero” in cities all over Serbia. Anyone who speaks about Serbian crimes is smeared as a traitor by a media lynch mob. At the Serbian war crimes prosecutor’s office, 2,500 cases have been languishing at the pre-trial investigation stage for years. According to estimates by the Humanitarian Law Center in Belgrade, at least 6,000 unconvicted war criminals freely walk the streets of Serbian cities.

For far-right Serb nationalists, the current state of peace in the Balkans is temporary, just like the borders. They still dream of a great Serbian state that will encompass Kosovo, Montenegro, Republika Srpska and parts of Croatia. The realisation of that dream is not possible as things stand, but the nationalists are patient. After defeat in the Yugoslav wars, they retreated to lick their wounds, fuel hatred towards their neighbours and keep the population in a state of combat-readiness via the media. That they must bide their time until international circumstances change has been one of the main narratives of Russian propaganda for the Serbian market filtered through parts of the Serb media for more than two decades.

Serb ultra-nationalists have waited for Russia to enter into a decisive conflict with the western antichrist, to defeat godless Europe and the USand to establish a different world order. They have placed their faith in Putin as a messiah and imagine him as an upgraded version of Slobodan Milošević: the ruler of a powerful empire with a nuclear arsenal at his disposal.

  • いまもう午後一一時半前で、日付替わりもちかく、きょうはここまでぜんぜん文を書かなかった。美容室に行って髪を切ってもらった日。アパートからあるいて二〇分くらいのところにある「(……)」という店で、(……)さんというひとがひとりでやっており、かんぜんマンツーマンの体制で、切ってもらいながらいろいろはなしを聞いたりしたりしておもしろかった。次回もここに行くつもり。予約は四時半からで、朝は九時ちょうどにいちど床を抜けた。それいぜんに覚めていたのできょうも鼻から息を吐き出して深呼吸。鼻から吐いて鼻から吸ったほうがなぜかやはりからだがなめらかにやわらかくまとまる気がする。めぐりをよくしたり、たんじゅんに可動域をおおきくするなら口で吐いたほうがその効果はたぶんあるのだが、鼻呼吸のほうがまとまりがよい感じがある。覚醒後はいつもどおり過ごして正式な離床が一〇時半過ぎ。もろもろ簡易に行くが洗濯もした。好天。そういえば離床後に洗濯物を干すさい、向かいの保育園にかちっとした服を着て胸に花飾りをつけた子どもや、それにつきそう保護者のすがたがみえて、どうも卒園らしいなとおもった。卒園式のような音声も聞こえず、式をやっていたとしてそのわりに子どもの声がすくなかったというかさわがしくもなかったのだが。美容室には四時ごろ出たが、それまでのあいだはだらだらしがちでたいしたことはしなかった。温野菜にきのう買ってきたチンゲンサイをつかい、さきほど食った夕食時にはブロッコリーも。温野菜にブロッコリーを入れるのはなかなかうまい。きょうはひじょうに天気が良く、三時ごろ、湯を浴びるまえに窓辺で腕振り体操をしていたときもレースのカーテンがあかるくて、ぬくもりがそこから染み出してくるようで腕を振っていれば汗がすぐににじんできたくらいだ。それなので外出時にも肌着のシャツにブルゾンをまとっただけのかるいかっこうで済んだ。アパートを出ると左手へ。もちものは財布くらいしかないのでひさしぶりにPOLOのちいさなショルダーバッグ(モンドリアン風の配色にしたやつ)。公園では桜が咲いていて、道にはながれがあって身にも触れてくるのだが、敷地内正面向かいに立った木の、貝殻の薄片めいた白さにはゆらぎがみられず、剝がれもせず、いかにも浮遊的に宙を染めている。いつもはまっすぐ南の車道沿いまで行くが、さいきん福祉施設前で工事をしており、きょうはそれを避けて公園と施設の境で左に折れて、これまでとおったことのなかったルートを行く。あるくにはじつによい気候で、からだと大気のあいだの矛盾が最小限の暮れ前で、おだやかな生の充実をおぼえるようだった。『ダロウェイ夫人』のなかでウルフが、月曜日が来て、火曜日が来て、いちにち、またいちにちと時が過ぎ、夜になったらまた朝が来て、それだけでじゅうぶん、このくりかえしがいつか終わってしまうなんてとても信じられない――みたいなことを書いていたが(夫人が家に帰ってきて居間かどこかにいるあいだ、政治家である夫も昼間でいちど帰ってきてやりとりするのだけれど、そのまえかそのあとの独白だったはず。文言の正確性はかなりふたしかだが)、おおげさにいえばそのような感じだ。折れた道をまっすぐ行けばじきに南北に走る横向きの道路にあたり、そこは(……)の敷地沿いで、かこいのなかにも桜の木が何本か、白さをこずえにまとわせながら、ここではパラパラとつぎつぎに花弁がはなれて舞っていた。右折して南へ。桜のほうへと首を曲げて視界から出ていってしまうのを惜しむようにしながらすすむ。道沿いの一軒にはちいさな畑めいた土地があり、といっていまはなにも植わっておらずただ濃い色の土がむき出しになっているだけで、そこの端に男性がひとりたたずんで思案げだった。じきに南の車道沿いにいたる。当たる直前に横断歩道が点滅していたので車のないのを向かいに渡り、入れ替わって青になった南側へと越えるほうの歩道もそのままとおって、左に曲がると方向は東、右手には夜になると整然と灯をならべてとおくからでも風景をいろどる黄褐色めいた色のマンションが近間にみえ、いまはたいしたいろどりもないが脇をうっすら西陽に染めて、おなじいろがこちらの足もとにもひろがりながら影を淡く映して背中がじんわりとぬくい。対岸、(……)の敷地内でいちばんてまえは浅い下草の緑だが、いぜんとおったときよりそのいろが濃く春めいているようにうつった。まもなくまた南北方向の道路に当たって右に折れ、ある程度行って左折すればそこの通りに店はある。それまでのあいだ保育園や中学校があり、通りの両側に桜が何本もならんでどれもやはり花の時、ほんとうの花満つではまだなさそうだがだいぶ隙なくよそおったものもおおくて見頃だった。交差点にいたって東へ渡るが、そのまま南へ行けば(……)駅のほうで、いぜんいちどだけ散歩に来たことがあるけれど、そちらの道もまた両岸を桜でかためてあって、いましたをくぐってきたほうよりも色がゆたかに充実している印象だった。中学校の塀に沿ってすすむ。おなじ道をあるくひともそこそこある。塀(というかフェンスだったか?)には子どもらがコロナウイルス状況(どうでもよいのだが、疫病の蔓延を「コロナ禍」というあの呼び方の胡散臭さはなんなのか? その印象もしくは感覚の因って来たるゆえんをこちらじしんもよくわかっていないが、なにとはなしに胡散臭い感じがするので、日記中ではじぶんの言い方としてこのことばをつかったことはたぶんないはずだ)をテーマに盛りこんで文言をつくったらしいおおきなカルタ札風のイラストがいくつもならべて貼られてあった。もうすぐのはずだがどこかなとおもいつつ中学校を過ぎると、ふつうの民家のならびが出てきて、その二、三軒目あたりにああここじゃんと看板を発見し、道からそっちにはいろうとすると、ちょうどそのまえに出ていて干していたものを運ぶかなにかうごきまわっていた男性があって、このひとが店主だなとわかったのだが、あちらもこちらに気づいて、あ、ご予約の? と聞いてきたので肯定し、あいさつをして入り口で(……)と申します、よろしくおねがいしますとかるく礼をした。なかに招き入れられて、バッグはあずかってもらってそばの棚のうえに行き、鏡のまえの椅子にとおされるとまだやることが終わっていなかったようで店主がうごくあいだちょっと待つ。きょうのところはここまでとして、このさきの記述は後日。いま零時二四分だ。どうしても背中がこごる。
  • じきに店主の手が空いてやって来たので、あらためてあいさつしていくらかはなし。(……)に住んでるって言ってましたっけ? と電話でつたえたことがあがるので肯定すると、店主もしくは美容師は(……)さんというのだが、かれの父親(七〇代と言っていたはず)がしばらくまえまで近間の家々にチラシを配ってまわってくれていたのだといった。それで我がアパートのポストにもはいっていたのかもしれない。髪はどうするかと問われたので、いままで髪型にぜんぜん気を遣ってこなかったというか、ぼく去年こっちに越してきたんですけど、地元は(……)で、ずっと近所の、おばちゃんがやってるような美容室に行ってたんですよ、で、越してきたもんで髪切るのどうしようかなとおもってたところにチラシがはいってたもんですから、こりゃいいとおもって、とはなして電話のときとおなじようにへらへら笑う。それでせっかくなんで、これを機にまあいろいろおしえていただきながら、まあそんなにお洒落じゃなくてもいいんですけど、もうすこしちゃんとした髪型というか、そうしたいとおもいまして、とつたえると、(……)さんもそうですねと受けて、男性の髪型一〇〇〇みたいなヘアカタログをひらきつつ、とりあえずきょうはベースをつくりましょうと言ってショートかベリーショートかとページをめくる。しごとを聞かれたので塾講師だと言い、いぜんはまわりをバリカンで刈ってもらってうえのほうをみじかくととのえてもらうくらいな感じだったとつたえると、じゃあけっこうみじかくベリーショートくらいにやっちゃっても、とたずねてくるので問題ないと受ける。しかし(……)さんとしてはきょうはいきなりそこまで行くのではなくて、ひとまずショートくらいのながさでベースをつくりますということだったのでこちらも否やはなくそのようにたのんだ。それで方針が決まると洗髪へ。店の奥に洗髪台があり、すわってうしろに倒してもらいゆだねるかたちだが、地元の「(……)」のそれよりも体勢が水平かもしくはあたまが下がるかたちの傾斜になるようだった。マスクにかんしては店内ではつけてもつけなくても、もう個人の判断でということで、はずすのもなんかあれなのでつけていたが、このあおむけの姿勢のときはつけているとちょっと苦しかったのでずらして呼吸孔を露出させた。それで洗ってもらい、鏡のまえにもどり、切ってもらうが、やっているあいだこちらのこともいろいろはなし、またあちらのこともそこそこ聞いた。塾講師をやっているということのほかに、読み書きが好きなもんで二〇一三年からはじめてほぼまいにちやっていて、それができればまああとはわりとなんでもいいようなにんげんで、とはなす。ふだん書いているのは身の回りのことで、長大かつ詳細な日記ばかりをもっぱら記して生きているということは言わなかったが、なかなか作品はつくれないんですけど、と言っておいた。日によって書ける日書けない日ってあるわけですかと聞かれるので、それはもうありますね、体調によってぜんぜんちがいますね、さいきんはもうからだがついてこなくなりました、むかしは気にせずがーっとやれたんですけど、いまはもうしばらく書くとつかれちゃっていったん休まないと、とはなす。のちにだが、きょうも帰ったあと書きますか、と聞かれたので、あ、書きます、と確信をもったうなずきをかえした。まあそのわりにじっさいにはあまり書けなかったわけだが、しかしここで断言しておいたためか、帰り際にあいさつしたさいには、がんばってください、文章書くの、と応援のことばをいただくことができた。読みのほうにかんしてはどういうものを? とやはりきかれるので、そうですね、なんか本とかって読まれます? と質問をかえしてみると、いまはこうしてじぶんの店をやっているがいぜんはひとの店につとめており、そのときは電車に乗る時間がながかったのでそこでけっこう読んでいたと言い、でも本屋でベストセラーにならんでいるようなものだ、たとえば東野圭吾とか、といってあとふたりこちらが知らないなまえが挙がったので、なるほどと受けると、本屋大賞を取ってるやつとか、そういう売れてる、本屋のひとが売りたいようなやつですねと言い、そういう「くだらないような」もんは読んでましたとちいさくけなしがはいるので笑い、受けるこちらはこういうときのお決まりの説明なのだが、日本だとおおきな文学賞って、大雑把に直木賞芥川賞のふたつがあって、直木賞ってのはエンタメで、芥川賞のほうはいわゆる純文学っていうやつで、なんか読んでもよくわからないような、そういうやつなんですけど、ぼくはかんぜんに芥川のほうですね、だから小難しいようなやつです、と笑う。(……)さんもむかし、そういうものを読んでみたいもしくは理解したいとおもってたしょうふれてみたがよくわからなかったといった。「走れメロス」の名があがりつつも作者が出てこなかったので、太宰治の、と受けると、ああそう、太宰治、あれとか読んでみたんですけどね、なんかよく……と言い、どういうふうなところがおもしろいんですか、文学のおもしろさを語ってくださいよといわれたのでなかなかむずかしいことを言われたぞと笑いながら、なんでしょうね、とひとまず受けて、でもやっぱりエンタメ方面と文学みたいなやつだと読み方がちがうのかなとはおもいますね、エンタメってストーリーがあるっていうか、基本ストーリーなんですよ(というと(……)さんもよくわかるというようすでうなずく)、ストーリーのおもしろさで読ませるジャンルで、でも文学みたいなのってあんまりそういうストーリー的なおもしろさはまあないんですよね(と笑い)、それよりもこういうかんがえかたはじぶんになかったなとか、こういう心理はおもしろいなとか、あとぼくみたいな文を書くにんげんだったらことばの表現ですよね、こういう言い方ができるんだみたいな、そういうふうに読まないとたぶんあんまりおもしろくないんじゃないかとおもいますと説明した。のちほどまた、塾の生徒に本の魅力を語るとしたらどんなこと言いますかという質問もあったけれど、そのときも似たようなことを言った。つまり、そうですね、ぼくが塾でおしえてる子どもたちにいうとしたら、ありがちな言い方ですけど、やっぱり世界がひろがるっていうことになるんじゃないでしょうか、こんな考え方ができるんだとか、じぶんにそれまでなかった考え方感じ方、発想とかを知ったり、まあそれはおもしろいよ、っていう、と。めちゃくちゃ優等生みたいな回答してないおれ? とおもうが、これはいちおういわゆる現代思想一般に共有されている他者との遭遇によって自己が変革されるというはなしのすんごい平たい版ではあるはず。こちらじしんのそういうことは日記にもよく書いているしじぶんで知ってもいるわけでたいしておもしろくもなく、じぶんよりもまさしくあいてのはなしやその生のほうがつねにおもしろいのだけれど、ある程度はなしたところでまず、おなまえなんとおっしゃいましたっけ? とたずねてみると、ぼくですか、とあり、(……)といいます、(……)と申しますと来て、さいごに帰り際にも名刺を渡されながら、本日担当させていただきました、(……)ですと名乗られた(ひとりしかいないわけだが)。それで、かんぜんにおひとりで運営されてるわけですかと聞くとそうだというので、すごいですねとかえす。じっさいこちらが切られているあいだもいちど、(……)さんが入り口のほうをしばらくみやって、ちょっと待ってくださいねというのでそちらに目を振ってみれば、自転車をともなった婦人が店のそとでようすをうかがうようにしており、(……)さんが行くと予約だけしちゃっていいですか? ということでやりとりがなされ、もどってきた(……)さんに、人気ですね、と向けてみたところ、そうなんですよ、人気なんですよ、とか言ってみたりと笑うのでこちらも笑った。二〇一九年の八月に店をはじめて、そのあとすぐコロナになっちゃって、というのでああ、と受け(今時の新型コロナウイルス感染症は、二〇一九年末に中国・武漢市で発見され、翌年一月から世界的に流行しはじめ、日本では二月くらいから本格的にひろがりだしたとおもう)、さらにつづけて、コロナになったあとのほうが伸びましたねとも来たのでなるほど、と納得する。マンツーマン方式はそうだろう。美容師じたいはもう何年になるのかと聞いてみると、二〇歳からはじめていま四九なので、二九年目にあたるというので、すごいですね、めちゃくちゃベテランじゃないですかと受けた。しかも一八くらいからバイトにはいってはいたというのでじっさいには三〇年を越えている。修行期間もながかったのだろうかと聞いてみると、いわゆる独立をするまで一七年くらいやっていたらしい。青山の店ではたらいていたというが、ただいまからかんがえるとそこでおそわったのは「商業的な」やりかた、つまりどうすれば客が来るかとか、話題になるかとかそういうことで、あまり本質的なことではなかったと(……)さんはいまはかんじているようだった。青山というからにはとうぜんだがモデルの客なども来て、たぶんわりと著名な芸能人とかもいたんではないかとおもうが、時代柄もあるのか(といって三〇年まえといえば九〇年代でバブルは終わっている)、バーッ、シャーッ、みたいな(といいながら鋏をすばやくうごかす真似をする)、そういう受けるパフォーマンスみたいなのが流行っていたらしい。そのほうが客を呼べると。ただだんだんやっていくうちに、そういうことではないんではないかと(……)さんは感じはじめたらしく、そのへんの空気が肌になじまなかったようだ。青山あたりが業界だとやっぱり中心地って感じなんですかとたずねると、いまはどうだかわかんないですけど、ぼくらのころは、とりあえずそこに行ってまなんでおかないとキャリアができないみたいな感じだったんで、ということで、でもいまかんがえてみると、まあ師匠みたいなひとにつくんですけど、その師匠のカットですごいっておもったことない気がするんですよね、とぶっちゃけるのでおおいに笑った。やはり「コマーシャルな」、「商業的な」やりかたをそこではおそわったのだと。でもなんかそれはちがうじゃん、というきもちがあって、こうバーッ、みたいな……そうすれば客が来るみたいな……いや、カットで勝負しろよっていう、というので、チャラチャラしやがってみたいな、とにやにや向けると笑みとともに肯定が返った。キャリアを積んでいくうちにじぶんの技術が頭打ちになっているなということも実感しはじめて、そこでプロの美容師がかようという専門学校にかよいだし、そこにはいまも行っているのだという。鏡の横の棚にはその学校の免状みたいなものがいくつか飾られてあった。そこで「原理」をまなんだのだと。つまりあたまのかたちはひとそれぞれちがい髪の生え方もちがうわけで、それを見極めて、頭部にたいしてこう生えているからこういうふうに切ればこうながれて落ちる、という見方や技術をまなび、それをいまもって日々探求中だということだった。切っているあいだにこちらが、いまその「原理」を……と向けると、そうですねと言い、観察してるわけですかとつづければ、この「髪の毛ちゃん」はこっちに行きたがってるかな、みたいな、という。職人ですねと評すると、むかしは感覚でやっていたけれど、そういう「原理」をまなんでからは理屈でかんがえるようになり、そっちのほうが本質的だとおもうようになって、だからさいきんはたしかに職人みたいな感じかもしれない、とのことだった。その髪の毛の一本一本の生え方とか向かうさきとかをかんがえて調節するというのは、まあ一文一文の構成とかリズムとか意味の射程とかをかんがえてつくっていくのと似たようなもんだろうとこちらはおもい、文を書くのと似てるような気がしますけどね、というと、そうなのかもしれない、髪の毛にかんしては、そういう理屈でかんがえますね、本とかも、ちゃんとつくられてるものってやっぱりきちんと、ちゃんとするだけの理屈があるとおもうんですよ、と返った。この店をはじめるまえには何年か北海道にいて、友人の美容師の店ではたらいていたというが、そのときの客が何人か、わざわざ東京まで出てきて店に来てくれるというので、それはめちゃくちゃすごいなとおもった。はじめはこっちに用事があるからせっかくなのでそのついでに来たということだろうとおもっていたのが、(……)さんに切ってもらうほうがわりとメインらしいと。それはほんとうに美容師冥利に尽きますねと言っていたし、じっさいそうとうすごいのではないか。地元の美容室ではどんなはなしをしていたのかと聞かれたので、なんでしょう、でもやっぱり塾のことだったり、あああとほかのお客さんのこととかもおばちゃんがはなしてましたね、あのひともう髪ないのに、みたいな、と笑うと、けっこう突っこんではなしてますねと来たので、けっこう辛辣でしたねと受け、おもしろいお客さんとかいますか? とこちらもたずねてみたところ、(……)美容室っていうのはしかし、ほんらいそういう町のパーマ屋みたいな感じでいいのだとおもうともかれは言った。髪を切ってもらいながらいろいろはなしたり聞いてもらったりして、すっきりしたきもちになって帰っていく、と。それでいえばいま書いていておもいだしたのだけれど、日時的には先取りになってしまうが(これを記しているのは三月二九日の午後九時前なので)、先日読み終えた『フォークナー短編集』のなかに「乾燥の九月」(Dry September)という一篇があり、これはジェファソンが舞台となっているもので、ミニー・クーパーという四十がらみの、むかしの小説だったら「老嬢」というところだろうがそういう独身女性がウィル・メイズという黒人に襲われたという噂が町にひろがっており、それでいきりたった白人の男たちが集団でその黒人のところまで行き、殴りつけるとともに車に乗せて拉致して運び、さらにリンチする(運んだあとのことは書かれていないが)、しかしどうやらミニー・クーパーがかれに襲われたというのは真実ではないらしい、というはなしなのだけれど、その冒頭、男らがあつまってその噂について議論するのは床屋なのだ。新潮文庫の156から165までつづいているこのさいしょの場面はかなりよく書けている印象で、その場には理髪師数人や、旅のとちゅうで滞在している客や、そのほかに溜まっている男らがいるのだけれど、みんながあいての言うことにおっかぶせてどんどん喋りまくってはなしが激していくその雰囲気とか、またとちゅうでマクレンドンという元軍人がやってきて男たちを煽動し、怒りにかられて黒人をつかまえようというやつらが一斉に出ていくいきおいとか、じつにまざまざとしている調子で、ここはながいから全篇ひとつづきに書き抜くのではなくて分けたかったのだけれど、そのながれを切れるぶぶんがどうしても見つからなかったのでぜんぶ書き抜く予定でページをメモしたのだった。そういうふうに床屋というのがみんなが溜まってなんだかんだはなす場所になっていたらしいということなのだけれど、もうすこし内容にふれておくと、この場面の会話はうえにもあげたようなリンチへと加熱していくその雰囲気もふくめていろいろな要素がふくまれている印象で、いちおうじぶんはウィル・メイズをよく知ってるからあいつがそんなことをしたとはおもえないという意見を述べて冷静な理髪師もいるのだけれど、その判断は即座に「黒人びいきのろくでなしめが!」(158)と罵倒されることになる。基本的にはすべての発言はその白人対黒人の二分法のもとに強力に還元されてしまい、「あんたは白人の女のことばよりも、黒人のいうことのほうがほんとだとでも思うのかい?」(157)、「そんなことをいうようじゃ、あんたは白人の面よごしだよ」(158)、「すると、あんたは白人の女がウソをついたとでもいうんだな?」(158)という調子で、マクレンドンがあらわれてのさいしょの発言も、「おい、きみたちは、ジェファソンの町のまんなかで、白人の女が黒人に強姦されても、平気な顔をしてるつもりなのかね?」(161)というものだ。そのいっぽうで、北部対南部の対立もそれとからみながらしこまれており、「まあ、生れ故郷の北部へでも、とっとと帰ったほうがよさそうだな。この南部では、あんたみたいな人間にここにいてもらいたくないんでね」(160)と客は言っているし、また、まず「真相をつかむ」(159)のがさきだという冷静な意見も理髪師いがいにもみられるのだけれど、その声は尊重されることはない。「真相」や「真実」はここでは価値ではなく、マクレンドンはその点、「実際にあろうがなかろうが、たいしたちがいはなかろうじゃねえか。いったいきみは、黒人どもを勝手にほったらかしにしておいて、ほんとにそんな事件が起きるのを待ってるとでもいうのかね?」(161)と明言している。そうしてこうした会話のなかで関心は基本的に、だれが白人側でだれが黒人側なのかという二元論と、「真相」の価値の軽重、したがっていますぐ行動を起こすべきかどうかというところに集中しており、ミニー・クーパー嬢のことを案じているものはだれひとりとしていない。ウィル・メイズがほんとうに強姦をしでかしたとかんがえるものたちがゆるせないのは、黒人が白人の女を襲うという事態が起こったこと(もしくは起こりうること)であって、ミニー・クーパーじしんの視点やその心情はかれらの関心にはまるではいっていない。「真相」をもとめる穏健派も同様で、そもそもかれらはクーパーさんが襲われたというのはほんとうかといううたがいがあるから「真相」を口にするわけだ。そこにはクーパーさんの素性や来し方がかかわってもいて、「もう四十ぐらいになってるでしょうな。まだ独身者 [ひとりもの] なんです」(157)、「そりゃもう、みなさんのご想像にまかせますがね、独身者 [ひとりもの] のままで老けてゆくご婦人がたが、男ってものはどうしても、その――」(158)、「ろくでもねえ天気がつづいてるからだよ。こんな天気じゃ、だれだって、なにかしたくならあね。たとえ相手がミニーさんだろうとさ」(158)、「ただね、わたしもみなさんもよく知ってることなんだが、男をまるで知らない女ってものは――」(158)、「ミニーさんが男におびえたのは、こんどがはじめてじゃないんだぜ。そら、一年ほど前にも、男が台所の屋根にのぼって、ミニーさんが裸になるところをのぞいてたっていう話があったじゃないかね?」(161)というのがかのじょの語られかたなのだ。だからクーパー嬢は「男をまるで知らない女」として「真相」派からはあなどられ、見下されている。かといっていきりたったやつらがクーパーさんのことを気にかけているかというとまったくそんなことはなく、かれらがかたちのうえでクーパーさんに味方するのは、ただかのじょが「白人の女」だからというだけのことにすぎない。おなじように、この件がほんとうに起こったということをかれらがうたがっていないのは、「白人の女」は嘘をつくような存在ではないと前提されているから(ほとんどそのように定義されているかのように)、というか正確には、嘘をつくとしたらそれは黒人のほうであり、「白人の女」ではないとかんがえられているからで、そこでクーパー嬢個人の性格や事情はなんら勘案されていない。そしてマクレンドンのセリフがしめしているように、かれらにとっては「真相」がどうなのか、クーパーさんが嘘をついているのか否かはじつのところどうでもよい問題なのだ。事実や真実、「真相」がどうでもよいといういじょうに、印象としては、かれらにとってはそれが「法」の問題と化しているようにもうつる。つまり、事件は、「ジェファソンの町のまんなかで、白人の女が黒人に強姦され」たというものでなければならず、嘘をつくのは黒人のほうでなければならない。それがはじめから決まっているので、事件のじっさいの真実がなんなのかはどうでもよい、というような感じだ。そこでミニー・クーパー嬢はとうぜん、たんなる「白人の女」としての記号的なたちばしかあたえられていない。だからかのじょは、「真相」追求派からは見下されており、直接行動派からは無視されている。


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  • 日記読み: 2022/3/22, Tue.
  • 「読みかえし2」: 1295 - 1300
  • 「ことば」: 1 - 3